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カラタチバナ
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カラタチバナ     自宅の庭にて     2007.1.11

 真冬にこのような、赤い実が見られる小さな木の仲間は、この他にヤブコウジ、センリョウ、マンリョウ、あるいはナンテンやモチノキの仲間などがあり、それぞれに昔から親しまれてきました。それは、真冬に他に花もなくなったとき、新しい年を迎えるときにも、緑の葉と、赤い美しい実を付けるということで、目と心を引いてきたものです。 地方によっては、このカラタチバナがかなり多く見られるという記述を見たことがありますが、徳島県では、野生のものはなかなか見られないものです。
 わが家のものは、もう二十年以上前に、野生のものの実を採取して、育てたものが今も、毎年実をつけています。

 冬の寒さのゆえに多くの植物たちは枯れ、あるいは葉を落として、静かに春がくるのを待ち望んでいるかのようですが、この仲間は、緑のただなかによく目立つ赤い実をつけてその命ある輝きを周囲に示しています。冬には花もなく、木々の実も落ちたり食べられたりしてなくなっていき、えさとなる昆虫などもいなくなるので、小鳥たちはいつもえさを探し求めています。このカラタチバナの実もそうした小鳥たちにとってはよい食物になりますので、気がついたら食べられてしまっていることもあります。
 鹿が谷川の水を慕いあえぐように、わが魂は主を求める、という聖書の言葉があります。(詩編42:1)小鳥たちが必死になってえさを探しているのを見ると、この言葉を思いだします。そして私たちもまた、そのように、この世において、霊的な食物をたえず真剣に探し求めていくべきことを思います。
 神は、冬のさなかにも、このカラタチバナのようなよく目立つ実を備えられているように、私たちにも、この世の荒れ野のただ中にあって、神の言葉(聖書)という、いのちの輝きをもった霊的な食物が備えられ、誰にでも与えられているのに気付くのです。 (写真、文ともにT.YOSHIMURA)