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クチナシ 日峰山(徳島県) 2015.6.8 撮影


クチナシ

クる花です。この写真は、わが家のある山に昔から自生しているものです。チナシは、園芸店でもよく見られるし、庭に植えているのもしばしば見られ

家が山を少し登ったところにあるために、こどものときから、周囲の野草や樹木などの植物には関心があったけれども、その名前となると、ほとんどは知らないものばかりでした。

そのなかで、このクチナシだけは、両親も知っていたからこどものときから親しかったのです。その真っ白い花、黄色の大きい雌しべがとくに目立っていますが、それ以上にその香りが心ひくものでした。

これは日本でもどこにでもあるのでなく、静岡県以西で分布する植物ですから、東北や北海道の方々はこの野生のクチナシの香りには接することがないわけです。

そのクチナシは、花屋さんなどには、八重咲きのものや小さい花のものいろいろありますが、私がかつて知ったどのクチナシの香りよりも、わが家のある日峰山での野生のクチナシは、とくに香りに気品あるものと感じています。

花開いた直後の純白そのものが心を惹きつけるものですが、その香りもまた魂に届くハーモニーとなっています。

キリストの香りという言葉があります。私たちが祈りに心を注ぐとき、そのキリストの香りがほのかに感じられることがあり、また長く信仰に歩んで、晩年を迎えた信仰者からも、ほのかなキリストの香りがただよってくるような方もあります。


神は、こうした自然のなかに驚くべき多様な花や香りを刻んでおられますが、今日の都会化した町々では、このような野生のクチナシはるか何万年も昔から続いてきたであろうその香りには接することができない状態です。


それゆえに、神はどのような状況におかれようとも、だれでも求めることによって与えられるキリストの香りを備えてくださったのだと言えます。


その香りはただ、神とキリストを信じるだけで、心の霊的嗅覚を敏感にすることによってこの世のさまざまの汚れた状況にあっても香ってくるようにしてくださっています。


キリストは、光であり、また力であり、命であり、そしてさらにいのちの水とともに、御国の香りをも二千年にわたって注ぎだしてきたのです。         (文・写真ともT.YOSHIMURA

  

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