シモツケソウ     伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境、標高1377m    2010.8.6

シモツケソウ  伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境、標高1377m 2010.8.6


 この花は、伊吹山で今回初めてその群生に出会うことができました。 かつて、徳島県の剣山でも見たことがあったが、それは花の色も淡い紅色で、ごく少ないものでした。しかし、この伊吹山のシモツケソウは、その赤色の色彩があざやかでしかも山の一部では群生していて、まるで赤く染まった庭園のようでした。 またある所ではところどころにカワラナデシコなどと共に咲いているのも見られました。

 北海道からの帰途、各地の聖書の集会に加わり、最後の日程である京都での近畿集会を前にして、時間をとることができてこの山の植物たちに再会する機会が与えられ、それは まさに、神のお心が記された生きた聖書を見る思いでした。

 今でこそ、車が頂上のすぐ下まで登ってこれますが、昔であれば、何時間もかかって長い登山道を登って頂上に達していたのです。そこでこのような美しい花々が、地上には到底見られないような広範囲に、しかもさまざまの種類のものが咲いているのを目にすることになったわけで、登ってきた人たちの心を驚嘆とやすらぎで充たしてくれたことと思います。

 頂上に近いところからは、丈の高い樹木がほとんどなく、弱々しいはずの野草たちが厳しい風雪に絶えて頂上近くの山域で増え広がっていったのはとても不思議なことと感じます。頂上付近一帯には高山性の美しい花を咲かせる野草たちが広がっています。それらは、一つ一つをとれば、踏みつけられたらそれで枯れてしまうかと思われるほどであるのに、こうしたもっとも環境としては厳しい山頂部で増え、生き続けてきたのです。それは、聖書の有名な言葉、「神の力は弱いところに現れる」というのを思い起こさせてくれます。

 神は、このように自然のなかにも、弱いと見える野草たちに、また別の強さを与え、それだけでなく、強そうにみえる植物、樹木などが持っていない繊細な美しい花をつけるように創造されているのです。

  人間の世界にも、似たようなことがあります。 社会的にも活躍し、強そうにみえる人、能力に恵まれているように見える人の心にはかえって清い花が咲かず、何も取り柄のないような素朴に見える人のなかにかえって清いものが感じられるということはよくあります。

 神は、さまざまの領域において、その愛と万能の力をもって、驚くべき深みのある世界を創造し、いまも支えておられるのだと感じます。 (文、写真とも T.YOSHIMURA)


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