クリスマスおめでとうございます。

今月の「福音」に用いさせていただいた「杣友豊市さん」は一八九五年生まれ、一九九七年に百二歳で天に召されました。百才を越えても「私はまだまだ生きます。私は永遠に生きます」とニコニコ柔和なお顔が目に浮かびます。今年はご召天二十五周年なのだと改めてなつかしく思います。

杣友さんは、私が大阪狭山で集会を始めた頃、とても喜んで励ましてくださいました。杣友さんの頭のなかは、いつもキリスト伝道のことでいっぱいで、「はこ舟」を書き続け、福音の「種まき」を何よりも大事にされていたと思います。

私も少しでも見習いたいと拙いながら励んできましたが、行き詰まったような感じで、ふと、吉村孝雄先生の編集発行された「杣友豊市文集」を開いて読んでいると、杣友さんの息遣いが聞こえるような文に出会いました。

 

「まかぬ種は生えぬ」ということわざがある。私どもはまず、福音の種まきを根気よく続けなければならない。そのほとんどは、石地で、生えてもすぐに枯れてしまい、また鳥に食われたり、ふみつぶされたりもしよう。だが、その中の一粒でも、生えて成長するならば、五十倍も百倍もの実を結ぶであろう。

 

  キリスト教は俗受けしないものなのです。昔からそうなのです。あまりにも純粋なからです。・・これが万人に好かれるものになったらそれはも早、腐敗した塩です。それと共にまたこの純粋な宗教を求めているものが必ず居るのです。その人に出会うのが伝道です。その人に出会い得た歓びは較べるものがありません。

伝道は先に救われた者の務めでありまた歓びです。

 

 たとえ私が書けなくても、杣友さんが「種まきをやめてはいけない」と言われているような思いがして、何度も聞いて何度も読んだ杣友さんの「永遠の生命を求めて」を、召天二十五周年記念にみなさまにお届けすることにしました。何度も聞いて何度も読んでいても、今も命は脈々と流れています。天で祈っていてくださるのが分かります。