福音 №323 2015年4月

復活・信仰・祈り

 死と復活。死に逝く母の手をとって思っていた。この死の苦しみに見合うものが、この世にあるだろうか。世界一の富豪になっても、ノーベル賞をとって誉めたたえられても、充実した一生だったと満足していても、死の前に価値あるものなど何もない、と痛いようにかみしめていた。この死の苦しみに見合うものは、復活の喜びしかないと全身で思った。

 イエス様は言われた。

  「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自  分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」マタイ16:26

また言われた。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」ヨハネ11:25

「わたしをお遣わしになった方(神)の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」ヨハネ6:39

 復活の希望なしに、だれ一人死に逝くことのないように。虚無の海に漂い、何の希望もなく、死という恐怖の大波に飲み込まれてしまう人のないように、祈らずにはおられない。

 

**************** 

 「大変なんです。一緒に祈ってください」とあわてた友の電話の声に、さあ祈ろうとひざまずき、目を閉じれば、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」との御言葉に、そうか、神様を信じていればいいんだ、信じることこそ私にできる唯一のことなのだと知らされて。だが、真に信じるとは。

 向こう岸に渡ろうと舟に乗ったイエス様と弟子たち。激しい突風が起こり、舟が波をかぶって水浸しになっても、「イエスは艫の方で枕をして眠っておられた」とある。宣教に力を使い果たし、幼子のように安らかに眠っておられるイエス様。その側で、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と騒ぎ立つ弟子たち。風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と命じられ、すっかり凪になったとき、イエス様は言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

 すべてを捨ててイエス様に従ってきた弟子たちでさえ、激しい突風に遭うと恐怖におののいて、イエス様が共にいてくださるのに信じることができなかった。信じるということの危うさを思う。

 

 福音書には、イエス様から「あなたの信仰があなたを救った」と言われた人が4人記されている。12年間も出血が止まらず、苦しみの果てに、そっとイエス様の衣の裾に触れた女性。「わたしを憐れんでください」と叫び続けた盲人バルティマイ。イエス様の足に泣きながら香油を塗った罪深い女の人。そして、10人のライ病人が癒されて、他の9人は癒された証明をもらうために祭司の所に走ったのに、たった一人イエス様に感謝するために帰ってきた人。

 そうだ、みなイエス様の愛と憐れみと御力を信じ、イエス様のもとに行った人たちだ。このお方の他に救いはないと一心でイエス様にすがり、救われた喜びを決して忘れなかった人たちだ。イエス様は今も「わたしのもとに来なさい」と呼んでいてくださる。この4人の人のように、私たちもイエス様だけを見つめて、真っ直ぐに駆けていこう。

 

 さあ、春4月。桜の花がアッという間に満開になり、強い風にアッという間に花吹雪となり、雨が続いてアッという間に葉桜になって、4月も10日。日の光を受けて咲き、風に吹かれて花びらは舞い、雨に打たれれば新緑に変わっていく、御心のままにと歌っているような桜の木。

 せめて私も「神様は愛」と信じ、信頼しきって、今日一日を生きる。

 

*****************

 久しぶりに「マザーテレサのことば」という小さな本を開いた。

 

 *愛はまず家庭から始まるのです。愛は家庭に住まうものです。今の世に不幸と苦しみがこれほど多い理由も、家庭の中の愛の欠如にあります。イエスに尋ねたら、かつて言われたと同じことをおっしゃるでしょう。

  「わたしが、あなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい。」

 イエスは、わたしたちのために、苦しみをとおし、十字架にかかって死ぬほどにわたしたちを愛してくださっています。もしわたしたちも互いに愛しあいたいなら、また、このイエスの愛をわたしたちも生きたいと願うなら、まず家庭から始めましょう。p15

 

 何と分かりやすい言葉だろう。聖書を読んで、愛も信仰も分かっていると思っていても、このように具体的な言葉に出会うと、ハッと気づかされる。

 

 *思いやり深くある術を知ったなら、ますますキリストのようになるでしょう。キリストの心は柔和で、いつもほかの人ことを思っておられます。思いやりは聖性への始まりです。わたしたちの召された使命、きりすとに倣って美しくあるということは、いつもほかの人への思いやりでいっぱいになっていなければならないということです。p33

 

 こんなあたり前のことを忘れて、いつの間にか自分の正しさにこだわって、人のことではなく自分のことを思っている。「へりくだって、互いに相手を自分より優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」ピリピ2とある、

その低さにとどまることは何と難しいことか。しかもその秘訣も、この小さな本にわかりやすく書かれている。

 

 *祈ることを愛しなさい。日中たびたび祈りの必要を感ずるようでありなさい。そして、実際に祈るように努めなさい。祈りは心を広くし、神ご自身というおくりものを受け入れることができるようにしてくれます。願い求めなさい。そうすれば、あなたの心は大きくなって、神を自分のものとしてお受けし、神から離れることがなくなるほどになるでしょう。p85

 祈りによって神様と深く結びつき、神の言葉を聞くだけでなく、その言葉を生きることができるように。さあ、明日の朝からは、一時間早く起きて祈ろう。