福音 №356 2018年1

「聖書」

 

  聖書を読もう!

  聖書をお持ちですか。

  なら、ぜひ開いてみてください。

 

 聖書は牧師や伝道者などその道の専門家のためにあるのでなく、私たち一人一人が自分で読むためにあるのです。その一人一人の中に牧師も伝道者も聖書研究者も含まれているのであって、字の読める人は誰でも自分で聖書を読んでいいのです。

 

 なのに聖書を読まないで一生を終わってしまうなんて、それほどもったいないことはない。元気で長生きするために健康本を読むのなら、永遠の命について書いてある聖書をまず読んでほしい。老後の心配をするのなら、老後の先にあるもっと深刻な死について、聖書は何といっているかぜひ読んでほしい。幸せになりたいと願うなら、本物の幸せについて書いてある聖書をこそ読んでほしい。もちろん旧約新約合わせて1982ページもある聖書(新共同訳)には、箇条書きで永遠の命とは、神とは、キリストの愛とは、など簡潔に書かれているわけではなく、歴史あり預言あり詩歌ありイエス様の伝記あり弟子の書いた手紙ありで、どれか一つ読んですべて分かるという訳にはいきません。でも、だから面白い、読みごたえがあるというものです。

 

 もちろん、最初から聖書が良く分かって感動するという人はほとんどいないと思います。

なのに、努力や忍耐という言葉から程遠い私が、それでも聖書を読み続けることができたのは、最初に手引をしてくださる方がいて、そして何よりも聖書を読む仲間が与えられたことによります。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とのイエス様の言葉は本当です。人間的な優しさや慰めを求めて集まるのではない、神の言葉である聖書を本気で読むために集まるなら、夫と二人でも、友人と二人でも、必ず聖霊が導いてくださる。なかなか続かない聖書通読も、集会で読み続けるなら聖書全巻を読むことだって楽しみになります。

 

 それともう一つ、この世界とは何なのだろう、いずれ核戦争や地球規模の災害で人類は滅びてしまうのか、そもそもなぜ人間が存在するのか、この世界はどこから来てどこに向かっているのか・・・それらの疑問や不安に、聖書は答えてくれます。もちろんそれも質疑応答のように、ふんふんなるほどというわけにはいかないかも知れません。でも「初めに、神は天地を創造された」という創世記から、「わたしはまた新しい天と新しい地を見た。

最初の天と最初の地は去って行き、もはや海はない」という黙示録まで、神の歴史が記された聖書はどこを開いても、神の永遠の愛がすべてを導いているのだと告げているのです。

 「では一度聖書を読んでみよう」と思う方がおられたら、年の初めから実行なさってください。お知らせ下されば、メールでもハガキでも電話でも喜んでつながらせていただきます。

 

「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」ロマ書6:23

 

 人は死にます。どんなに人体について研究され病気の予防や治療がなされても、死の問題が解決されることはありません。そのことを強く味わい知らされた年末年始、本当の愛とは神とキリストを伝えることだと、今心底思わされています。

 

   「わたしは主、あなたの神」と語られる神様がおられる、

   「わたしのもとに立ち帰れ」と今も待っておられる生ける神様です。

でも、人の内には神様から離れようとする(知りたくないという)罪の力があって、

  「罪の支払う報酬は死である」とあるように、神様に背いた罪の結果として、みな死ぬ者となった。そんな私たちに真の命(永遠の命)を与えるために、イエス様はこの世に生まれ、人の罪を負うて十字架の上で死なれ、復活し、死に勝利してくださった。

   「死は勝利にのみ込まれた。

   死よ、お前の勝利はどこにあるのか。

   死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

      死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによっ     てわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。(1コリント5:5457

 このように聖書の所々を抜き書きしてみても、何の実感にもならないと言われるかも知

れません。でも、聖書は少しずつ読み進めていくと、はっと気づかされることがあったり、これは確かに神様が語っておられると信じる心が与えられたりするのです。冷たい理論や教理ではなく、ある時は暗雲を裂いて走る稲光のように、ある時は清らかな水の流れのように、ある時は生きるって素晴らしいと声をあげたくなる愛のように、ある時は天の国から聞こえる音楽のように、聖書の言葉が私たちに迫ってくるのです。だから聖書は自分で読むのが一番いいのです。

 

 伝道というと、90歳を過ぎても「この命ある限り働きます」と集会用のテープを作って送ってくださった杣友豊市さんを思い出します。次の分は「杣友豊市文集」からの抜粋です。

 

   信仰への出発

 キリストを信じることができたなら、1億円の宝くじが当選したよりも桁違いの収穫です。

しかもそれを得る資格はどんな無学者であれ、身体に大欠陥のある者であれ、前科者であれ、大酒飲みであれ、求める者はだれでも得られるのです。ただ、思い切って出発することが肝要です。

    1、聖書を読め。

    2、祈れ

    3、信仰を始めたことを発表せよ。

それなら今からすぐ出来ます。韓国の諺に「着手したら半分は成就したものと思え」とあります。  (19902月「はこ舟」354号)