福音 №368 20191

「主よ、み国を」

白い表紙に朝顔の花一つ、その上に「主よ、み国を」と表題の書かれた本を買い求めたのはもう30年も前になるだろうか。その本に出合った時のワクワク感、ところが読んでみると何となくありきたりのように思えて半分も読まず(読めず)、がっかりしたのを妙にはっきりと覚えている。それがお正月も終わり一息ついて、ふと書棚を見ると目が合ったというべきか、あのありきたりのように感じた主の祈りの講解を読んでみようと思った。

「主よ、み国をー主の祈りと説教」鈴木正久

1pを開き、(まえがき)を読んで、あの時のワクワク感はこれだった、この前書きを読んで感極まって本文を読み始めたのに、主の祈りの解き明かしはピンとこず、それがずっとこの本へのこだわりとなっていたのに気づいた。もっと大きな気づきは、何のことはない、あの頃の私にはこの本を読む力がなかったのだ。ピンと来ないなどと生意気なことを言われても、30年間も黙って待っていてくれた本。

ということで、今月の「福音」は、著者が天に召される前、病院のベッドに伏して書かれた「主よ、み国を」の(まえがき)をお届けします。

 

 主と そのみ国を望み見つつ(まえがき)

わたくしは今、わたくしのこの世の生活の終わりに立っています。それというのは肝臓癌だからです。自分のこの世の生涯がこのようにして終わるとは、実は考えたこともありませんでした。

しかし今は、このことについても「神のなさることは、皆その時にかなって美しい」伝道の書3:11ことを覚え、わたくしの生活の頂点として、主とそのみ国をこのように深く真剣に思う時を与えられる恵みにかんしゃしております。

主の光と慰めと力が、日々新たにわたくしを支えてくださり、死を待つのでなく「キリストの日」に向かって生きてゆく導きを与えてくださいます。この世の生活のすべてを通じて、主による祈りと説教をさせられることにより、自分の魂に与えられる神の言は、わたくしの唯一無二の力でした。その祈りと説教の小著が、わたくしの遺作になることを喜んでおります。

そしてわたくしは、この本を母にささげたいと思います。親切な医師もわたくしも、今力をつくして体力を増すため、病状制圧のため、努めてはおりますが、それでも自分が癌でまず再起不可能であることを知ったとき、人間的、感情的に、心の中にうずまいたとまどいと嘆きの大きいものは、牧師としては1970年代の教会の戦いに直接参加できないこと、個人としては母のことでした。

今年88才の母は、わたくしを信仰に導き伝道者となることをはげまし、主日礼拝や聖書研究会に、いつも最前列にいて、わたくしの話をきき、筆記し、その写しを知人に送ったりしていました。わたくしが健康で働いていること、そのために母は常に祈り、またそのことが母の喜びであり、生きるはげましであることは明らかでした。この年老いた母を残して・・・、こう思うとき、わたくしは涙をとどめることができません。

しかし、今こそわたくしは、主とそのみ国の恵みが、教会の上にはもちろん、母の上に、そしてほんとうになつかしいすべての人々の上に、いっさいにまさって力強く君臨しておられることを信じます。

「お母さん!もし悲しかったら、ここを見てください・・・。ほら、ぼくは、正久は、お母さんといっしょに生きていますよ」。

母とともに、家族、家族同様の教会員、そして主にあって手をたずさえて歩んできた多くの多くの兄弟姉妹たち・・・。ああ、どんなに一人一人がなつかしく、もし主とそのみ国を知らなかったら、「別れ」は何と悲しいでしょう。

しかし、主とそのみ国は厳存します。わたくしは過去の生活のいつにもまして、今、その光と慰めと力を実感しています。

主よ、わたくしたちすべてのものは、あなたに感謝し、あなたを賛美いたします。

わたくしたちすべてのものは、決して闇に負けない、あなたの光の中を歩ませられております。いつも、そのあなたの恵みの力をわたくしたちの心にお与えください。

みなさんの上に、主の祝福が常にあることを信じ、また祈ります。

                 主の年1969620日 鈴木正久

 

この後、714日に召天、87日(57才の誕生日)に「主よ、み国を」は発行された。

 

主よ、あなたはわたしたちに

祈ることを教えられました。

いかに祈るべきかを知らず

しかも祈らずには生きえず

それにもかかわらず祈ることの少ないわたしたちに

あなたはみずから真実に祈りつつ

真実の祈りを教えられました。

そのあなたのみ名によって与えられているこの祈りを

日ごとに祈りつつ

主よ、あなたによって

そしてあなたとともに

ただあなたの前で

わたしたちに生きることを得させてください。アーメン 
 こんな祈りで始まる「主よ み国を」の講解を当時の私はありきたりのことだと思ったのだ。でも、そんな自分を嘆くより、この本に再び出合わせ、真実な祈りへと導いてくださる主に感謝と賛美をささげよう。そして、「主よみ国を」に続く、いくつかの説教の中に記された「イエスはこの世の終わりに至るまで悩みたもうであろう。その間中、眠ってはならぬ」とのパスカルの言葉を、30年待っていてくれた鈴木正久牧師の遺言と聞こう。

 p25

主イエスよ、あなたは「こう祈れ」とわたしたちに教えてくださいました。もしあなたの教えがなかったら、わたしたちは祈りえず、苦しみのない日には無自覚に時をすごし、悩みがおそってくる日にはただうめき、また呪うしかしえないでしょう。そしてわたしたちの生活は亡びてゆきます。主よ、日々に、あらゆる時に、あなたの祈りを祈る恵みをお与えくださったことを感謝します。