福音 №382 20203

「主を喜ぶことは、力です」

 

うれしい一週間は、子供たちの歌声から始まる。この頃のみんなのお気に入りは 

♪さあ、僕らの戦い終わったら、かんむりが待ってるよ

天国の希望の歌である。そうちゃん、いつきくん、のあちゃん、えまちゃん、けいじくん、真ん中には10ヶ月のせなちゃんが座っている。(やっと座れるようになってリズムに合わせてからだをゆする)。子供たちを前にして、こんなことってあるんだと毎週感動する。30年前日曜学校に来ていた3姉妹、そのうちの2人が、今は自分の子供たちを連れてきて、御言葉カード、紙芝居と分担して作って、良く分かるように聖書のお話しをして、子供たちが聴き入っている。今週の聖書箇所はルカ10章の「マルタとマリア」。

☆「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つである。」

「一番だいじなことは、何ですか」と問われ、はい、はいと元気よく手をあげる子供たち。思わず私も手をあげたくなるが、そこはぐっとがまんして心の中で答える。「イエス様のお言葉を聞くことです。イエス様は神様だからです」

 

週の初めは「主日礼拝」から。これはもう「今日も守られて」と言うほかはない。集会が始まってから思い出す限り「今日はお休み」という日は一日もなかった。主を慕い求めて集まる者に、惜しみなく注がれる祝福。そうだ、神様はこの喜びを与えるために日曜日を造られた!と心底思う。今週の聖書箇所はゼファニア書3章。何という喜び、何という希望。

☆「シオンよ、恐れるな 力なく手を垂れるな。

 お前の主なる神はお前のただ中におられ

 勇士であって勝利を与えられる。

 主はお前のゆえに喜び楽しみ

 愛によってお前を新たにし

 お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

すべての預言はイエス・キリストによって成就した。「恐れるな、力なく手を垂れるな、わたしが共にいるではないか」、「わたしの愛がお前を新しくした、今やお前はわたしの喜び、わたしの楽しみ、共に喜び祝おう」と、主は力に満ちて語ってくださった。

 

今週の月曜日は京都・桂の地で「桂坂集会」。月一回のこの集会も「主は生きておられる」という証である。なぜ集会が続くのか、「主がそれを望まれるから」としか言いようがない。バス亭から集会のお家まで、かつて雪道だったり、プラタナスの紅葉に見とれたり。今は沈丁花、馬酔木、彼岸桜、モクレン、コブシも膨らみ始め・・・あれほどに季節ごとに美しい小道を他には知らない。今月の聖書箇所はヨハネ福音書11451211。詩篇8

☆主よ、わたしたちの主よ

 あなたの御名は、いかに力強く

 全地に満ちていることでしょう。

新型コロナウィールスのため社会の営みは何もかも行き詰ってしまったようで、ひたすら終息宣言を待つ日々。でももちろんそれがすべてではなく、いつでも病院には人があふれている。老人病院で拘束されてまで、おそらく死ぬ日まで点滴を受け続ける姿はいつ見ても悲しい。国会中継など見ようものなら、内村鑑三が2つのJJesusJapan)とまで言って愛した日本はどこに行ってしまったのか、胸が痛むどころではない。

こんな暗い、人の罪と悩みに満ちた世にあって、なおもこの詩人は、主の力と愛は「全地に満ちている」と歌いあげる。この詩人は、見えるものではなく、見えないものをみているのだとはっきりと分かる。私たちにとってはっきり見えるもの、それは日々近づいて来る病と老いと死。そんな中でこの詩人が見ているもの、それはキリストの十字架によって成し遂げられる罪の赦しと新しい命。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われた主イエスのおられない地はどこにもない。主の御名を呼んで届かない地はどこにもない。確かに、主の御業は全地に満ちている。

 

火曜の夜は「内村鑑三をバルトを読む会」をスカイプで。これは始まったばかりでこれからが楽しみだ。

「イエスは、新しい時を開始し給うた。それが、われわれがその中にいるこの時である。・・・彼以前の時は、神なき人間の時であった。彼以後の時は、人間のもとにいます神の時である。彼以前には、世界は、神の陰の中にあったが、今は神の光の中にある。それゆえに、以前には・・・人間は、悪や人間の罪以上に重要なものを、何も考えることができなかった。しかし、今では・・・自由が存在し、喜びが存在し、生命が存在するのである。『キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者である。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた』2コリント5:17

 

水曜集会の恵みと喜びは大きい!主の招きを毎週毎週実感する。ルカ13:1130の学びと申命記1章の通読。「神の国はからし種に似ている。」確かに、からし種のような小さな集会に生き生きとした命がある。

 

今週の木曜日は若い人たちとクローバー集会。学校がお休みで子供たちもいっしょ。まず洗面所で手を洗って、子供たちは宿題グループと塗り絵グループに分かれて、私たちはいつものようにマルコ福音書15:2141とその後、創世記15章。声も出ないほど濃い内容の箇所をこともなげに読み進め、最後には「主よ、あなたを喜びとします」と祈り、♪今日も励もう主に守られと大声で歌った。その後、おやつも無しでそれでも喜びいっぱいに散会。

 

金曜午後は車で20分、桐ヶ丘での家庭集会。電車の方は駅で合流、あまりの晴天にウグイスの初鳴きをお互いに確認し、聖書箇所はエレミヤ書37章とテトス3章。「この集会には他とはまた違う喜びがあるね」と、その不思議に満たされて。

 

☆ある方に「私が福音を書くのは日記を書くようなもので、今一番心にあることそのままなんです」とハガキに書いて、ふと気づいた。だったら、うれしかった今週をそのまま書こう。今日は土曜日、明日からまたうれしい一週間が始まる!