福音 №416 20231月 


「永遠の生命」


「世界の戦争と動乱は、キリストの与えたもう「永遠の命」を持たぬことより来ると思います。」


ある方からいただいたクリスマスカードに記されたこの言葉が、今も心深くに響いている。


 


戦争も、動乱も、自分たちの住む所がなくなるという恐れに端を発しているのかも知れない。人が住む所、家。それにはハウスとホームがあって、混同してはいけないと言われた。


住む家はあっても「自分には居り場がない」と感じる時の悲しさ、不安、辛さは少しなりとも想像できる。


 


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。」ヨハネ14:1-2


イエスさまが「父の家には住む所がたくさんある」と言われた住む所を仮にハウスだとするなら、ホームは「永遠の命」、「父とわたしは・・・その人と一緒に住む」完全な状態。


「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」ヨハネ17:3


 


杣友豊市さんの求道のきっかけとなった「死ぬのがいや」という叫びは、神様を知りたい、イエスさまを知りたい、という、魂の叫びであったのだ。


=イエスは人に永遠の生命を与えるために来られたのだ。聖書とは、その道を伝えるために書かれたのだ。今こそ永遠の生命を授けていただきたい。・・・「神さま、おゆるし下さい。お救いください。命をお与えください。生涯苦労しても良いから従います。」=


 


「信じるとは、生きようとするということである。」


杣友さんは生きるために信じたのだ。そして、生きることと信じることは一つなのだと、その生涯をもって教えてくださった。


 


今は天に召されたHさんから、子供の頃、仲の良かった友だちが「死にたくないよ、死にたくないよ」と言いながら死んでいったという辛い話を聞いた。


一昨年天に召されたSさんからは、「私がまだ3歳のころ、キリスト教の幼稚園に行っていた姉は死ぬときまで ♪かみさまは、のきのこすずめまで~ と歌っていました」と聞いた。(その後、ご両親はSさんを同じ幼稚園には入れてくれなかったが、Sさんの心には♪神さまはのきのこすずめまで~と歌う、うれしそうな姉だけが残っていると、話してくれた)


1.かみさまはのきの こすずめまで


おやさしくいつも まもりたもう


ちいさいものをも めぐみたもう


かみさまのみなを たたえましょう


 


「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」マタイ6:25-30


 


若き日に結核療養所にいた父も、この聖句だけは暗唱していたのだろう。私が聖書読み始めた頃、すらすらと聞かせてくれて驚いたが、明日をも知らぬ身となって、その時は幼子のように素直になれたのかも知れないとふと思う。


「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」 マタイ18:3


 


どんなに思い煩っても、寿命をわずかでも延ばすことのできない私たちが、何と多くの思い煩いを抱えて心を暗くしていることか。戦争はどうなるのか、コロナはいつまで、環境破壊も気がかり、巨大地震はいつ、体の病、心の病、老後はどうなるの・・・、たとえ思い煩わなくても、私たちはいつも何かを考えている。今考えていることが今のその人自身なのかもしれない。


 


ありとあらゆるものを真剣に考えるが、神だけは真剣に考えず・・・


神をいつもただ最後にわれわれの観念の厳かな背景としてだけ利用する・・・


世界と祖国における今日のわれわれの状態全体は、それはだめだということを、示していないであろうか。


「人間よ、本質的であれ」という激しい招きの言葉は、すべての者に向けられている。・・・


神を他の一切のものより真剣に考えるということで、いささかなりとも始めようではないか。 K.B「ただひとつ必要なもの」より


神を他の一切のものより真剣に考えなければ、この混迷の世からの出口はない。


 


「世界の戦争と動乱は、キリストの与えたもう「永遠の命」を持たぬことより来ると思います。」


 


聖書の中心と言われる御言葉に、聴こう。


 


「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子が世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」ヨハネ3:16-17