福音 №424 20239

「小さな抵抗」を読んで

 

 1)千歳の岩よ わが身を囲め    

   裂かれし脇の 血潮と水に      

罪も汚れも 洗いきよめよ      

 2)十字架の外に 頼むかげなき

   わびしきわれを 憐れみ給え

御救いなくば 生くるすべなし

 

 70歳を越えた私でさえ古風な感じのする歌詞ですが、今日は朝から、この歌をくり返し歌っています。十字架の血潮と水で、罪も汚れも洗い清めてください。十字架の他に救いはなく、生きる希望もありませんから。

 

先日、御殿場での夏期聖書集会(キリスト教独立伝道会)に参加した友人から、「これ、コピーしたから」と、その時の講演記録をいただきました。その日の夜、有賀実男氏の講演「御言葉に聴く―殺害命令を拒否した兵士から」を読んでから今日まで、2週間、ほとんどそのことを思っています。その講演で紹介された歌集「小さな抵抗―殺戮を拒んだ日本兵」渡部良三著をすぐに読みたくて図書館に行き、そこに記されていた渡部氏の講演記録「克服できないでいる戦争体験」、捕虜虐殺・拷問をみる・・・等の短歌を読んで、人間の罪とはこういうことか、これが罪か、これが罪の支払う報酬かと、絶望の意味をはじめて知った思いがしたのです。

 捕虜を殺し肝玉もてとう一言に飯はむ兵の箸音止みぬ 2p

 演習に殺人あるとは知らざりき聞きし噂はまことなるらし 

 「人を殺してはならないという倫理規範から、敵は殺さなければならないという倫理規範に転換させるのが軍隊であり、戦争である・・・」(解説より) 

この戦争をくり返すのが人間の性なら、「世界が平和になりますように」とみんなで声を合わせて100万回唱えても、平和など成るはずもない・・・。

 

講演記録から: 学徒動員で中国へ、新兵の訓練に、杭に縛った捕虜を突き刺し殺せと命じられた渡部氏が、父(弥一郎氏)の別れの言葉「神様を忘れないでくれ。事に当たって判断に窮したならば、自分の言葉で良いから祈れ。信仰も思想も良心も行動しなければ先細りになるばかりだぞ・・・」に力を得て、「神様、道をお示しください。力を与えてください」と祈ったこと。その時、自分の体全体が巨大な剣山で挟み付けられたと思うような激痛と共に、「汝、キリストを着よ。すべてキリストに依らざるは罪なり。虐殺を拒め、生命を賭けよ!」との御声を聴いて、「捕虜と共にこの素掘りの穴に朽ちることになろうとも、拒否以外に選択肢はない。殺すものか・・・」と、虐殺を拒んだこと。確かに、神は生きてい給うて、人間を超えた行動を可能にしてくださいました。それでも、渡部氏が、戦場で罪に苦しまずにすんだわけではありません。

すべもなきわれの弱さよ主の教え並みいる戦友に説かずたちいつ p19

捕虜の刺殺を拒んでから、毎日毎夜、死を除いてのあらゆるリンチにも耐え、それでも「戦場において、神のみ教えを説かず沈黙してしまった神への背きに苦しみ、

最後の歌は

  強いられし傷み残れど侵略をなしたる民族(たみ)のひとりぞわれは

という、逃れられない罪の連帯を詠んだのだと、私には思えました。

罪は個人的なものであるとともに、「それは私の罪ではない、他人の罪だ」とは言いきれない、罪の連帯ということを思わずにはおられません。その渡部氏が、

 生きのびよ獣にならず生きて帰れこの酷きこと言い伝うべくp115

との覚悟をもって書き留め、日本に持ち帰られた短歌と、そのことを話された講演記録を読み終えその時、この罪から人を救うのはキリストの十字架をおいて他にない、キリストの救いとは、罪からの救いだ!それ以外ではない!と、聖書の真髄に触れた思いがしたのです。

 

 共観福音書の中には十字架なしでも何とか理解しうるような章句は一行もない。神の国は厳密には十字架の彼岸に始まるところの国である。(ロマ書187p

 

 イエスさまが、「終末の徴」について話された時、「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」マルコ13:7と言われました。なぜイエスさまは、戦争は起こるに決まっていると言われたのか。そのままマルコ福音書を131415章と読み進め、

捕らえられたイエスさまに唾を吐きかけ、こぶしで殴る者たち、「十字架につけろ」と叫ぶ群衆、十字架上のイエスさまに「今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら信じてやろう」とののしる人たちの声()に身震いがして、

「イエスは、何が人間の心の中にあるかを知っておられたのである。」ヨハネ2:25との御言葉が聞こえてきます。

 ナザレのイエスを 十字架にかけよと 

要求した人 許可した人 執行した人

  それらの人の中に 私がいる

 

  主イエスがあんなにも 主イエスがあんなにも

  私達を愛するために 血潮を流して苦しんでおられるのに

  悔い改めなくてよいだろうか 悔い改めなくてよいだろうか

 

水野源三さんの詩、渡辺良三著「小さな抵抗」が語っています。

「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」ヘブライ書12:1

 

「人間の生命、これ程貴いものはこの地上にはない。人間の生命を放る戦争、そのための軍備は決して平和や幸せの使者にも担い手にもなり得ない。戦争は信仰も自由も愛も育てない。戦争は自由を剥ぎとり信仰心を滅ぼし、愛を失わせる人類最大の罪悪である。」218p

 

「思想も信仰も権力や時代の体制に認めて貰う必要は全くありません。それを希求することは、思想信仰の堕落の始まりです。」253p

 

「行動のない信仰思想良心は先細りだぞ」247p