福音 №398 20217

「お便りから」「ジャルマ島」

 「飢えた人」と「富める者」、それこそ暗記するほど読んでまとめたつもりだったけど、要約なんてやっぱり無理なんだと思っていた時、友人から届いた一通の手紙。読み進めるうちに、私の「福音」よりずっと分かりやすいと感動したので、そのままを写し書きします。

 

頌主 主イエスに在る御平安を祈ります。

日々、朝ごとに御祈りいただいている恵みを感謝致します。私共、キリスト者の真の交わりと愛は、祈りなのだとしみじみ思います。・・・・・

「福音」で飢えた人、富める者についてかいてくださり有難うございました。

バルトの祈りのことば

   ‘あなたが完全に現れ、あなたの救いが示されるあの大いなる日に目を注ぎつつ‘

   ‘あなたがおいでになることは、今すでに確かなことなのですから‘

の希望に、慰めと励ましをいただきます。

宇宙から眺めれば、美しい緑の星と云われるこの地球の現状、温暖化によって気候が変わり、南極、北極の氷がとけ出し、シベリアの永久凍土がとけ出して、大きなクレーターが現れ、太古の生物の遺体が出てきて、それに伴うウイルスが発生してきたら怖いらしいとのこと、等々、様々の情報が伝えられますが、コロナウイルス禍の中でも、オリンピックが開催されようとして、聖火リレーがはじまっています。富める者、強い者、美しい者の誇りであるオリンピックなのだと思いますが、神無きこの世の人間の罪、空しさを思うばかりです。

貧しい富める者、ひそかに満ち足りた者、自分が義であると自信をもった人々。教会の中に沢山居ると思うのですが、信仰による自己義認は、未信者には犯し得ない、最も深い神の前の罪だと教えられたことも思います。貧しい者も、富める者も、飢えた者も、人間は、自分中心に生きている限りすべて、神に追い返される者なのですね。

イエス・キリストの十字架のゆるしと救いのみが道なのだと、本当に深く教えられます。福音の恵み、義認と聖化ということを、示していただき有難うございました。

 

老年とは無力になり、自分は賢明な者では無く、愚かで、「すてき」どころでなく醜く汚く、むしろ極めて不快で無用で惨めな被造物であると実感する存在であり、時々刻々、助け給え、あわれみ給え、ゆるし給えと、主よ、主よ、と聖名を呼びつつ、この世の旅路を歩みゆく者であります。(以上は、誰、彼ではなく、90才の私自身です。)

そのいみで、恵老であるということを感謝いたします。

  老い行けよ、われと共に

  最善はこれからだ、

  わが時は、聖手の中にあり、

  すべて神にゆだねよ、

  よく見よ、そして恐れるな

近畿集会で与えられたこのブラウニングの詩の一部分、わが祈りの中に常にあり、感謝のほかありません。大阪狭山集会に又参加させていただきたいと祈っています。お会いして、共に祈り合いたいです。くれぐれもお大切に。

 

わが家にクーちゃんが来て4カ月が過ぎた。犬や猫など地を歩くものは同じ立ち位置、同じ目線という感じがするけれど、たとえ文鳥とはいえ移動に羽を使って飛ぶ姿は見る度に`すごい`と感動する。スズメやハトは毎日見ていても、鳥が飛ぶのは当たり前と不思議にも思わなかったけれど、手のひらのくぼみでじっとしていたクーちゃんが突然飛び立って一瞬で隣の部屋に行くのは、やはり神業???だと思ってしまう。

神は言われた。

「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」創世記1:20

クーちゃんは紫外線にも弱いらしく、とても天の大空を飛べそうにはないけれど、でも神さまの創造物であるということは全身が表している。

 

  魚は水の中に、鳥は大空を飛べ

「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」

この神様の祝福の言葉によって今も魚は泳ぎ、鳥は飛ぶ。

だが、その姿を見て深い嘆きを詠わずにはおられなかった人がいた。

  魚ならば海にもぐりても生きん

  鳥ならば空に舞い上がりてものがれん

  五尺の体 住む所なし

 

以前、沖縄を旅した時、愛楽園を訪ねるために通った屋我地大橋たもとの石碑に刻まれていたこの詩との出会いは衝撃だった。ハンセン病のために激しい迫害を受け、隠れ住んだ小屋も次々と焼かれ、大地に住む所の無い人たちは海へと向かう。

「青木(恵哉)氏外16名がのがれのがれて余命をつないだ無人島ジャルマ。しかし水のない島は人間の永住に適しなかった」と、その碑には書かれていた。

「碑に向かって左方上500Mジャルマ島」とあるのを見て、その島を一心に探したのを思い出す。

 家に帰って、青木恵哉著「選ばれた島」を読み、ジャルマ島でのムカデやトビムカデなど刺す虫の多い洞窟での生活、でもそれは誰にも文句を言われず、MTLの救護を受けながら、祈りに明け祈りに暮れ、たえず神を賛美する心満ち足りた生活であったと知り、「光は暗闇の中で輝いている」のを見る思いがした。

 

 「選ばれた島」p260より

「(ジャルマ島で)その頃わたしは相続いて二人の霊を天に送った。その一人嶺井という青年は、神に似せて作られたものがよくまあこんなにまで蝕まれ醜悪化するものかと思われるばかりに姿が変わりはてていた。彼ほど苛酷な試練にあった人はそう多くはあるまい。しかしながら、彼は自らライの腫物と発熱に苦しみつつも、その深い信仰によって元気なものを励まし、刻一刻と衰えていく肉体の中に内なる人の喜びが躍動していた。山なす富を積み美衣美食をほしいままにしている人々の中にだって、彼のような信仰を持って真の幸福を味わっているものが果たして幾人あるであろう。逆境を恩寵の泉にした彼は、遂に日頃愛唱していた「神の恵みはいと高し」をかすれた声で歌いながら静かに召されたが、これを見てわたしは今さらながら人の幸福が健康や持ち物によるのでないことをしみじみと感得したのであった。「今より後、主にありて死ぬる死人は幸福なり」ヨハネ黙示録14:13