福音 №399 20218

「あなたの道を主に任せよ」

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

              マルコ福音書1:35

 

 1.きよい朝あけて 神さまに祈る

   この日こそつよい 神の子にしてください

2.神さまと人に 心からつかえ

   この日こそきよい 神の子にしてください 

(子どもさんびか)

クリスチャンは朝目覚めると、まず「神さま」と呼びかける。「神さま」、「イエスさま」、「天のお父さま」、「主よ」・・・、呼び方はさまざまだろうけど、ともかく心を高く上げて、天の神さまに向かう。そこからの祈りはまた、人それぞれで「御名が聖とされますように。御国がきますように」と主の祈りから始める人もいるだろう。「今日も共にいてください」と祈る人、あの人この人の苦労や困窮を思いとりなしの祈りから始める人。

「どのような時にも霊に助けられて・・・根気よく祈り続けなさい」とのみ言葉に励まされ祈っていて、この祈りが聞かれたら、その人への最高のプレゼントだとハッとすることがある。神さまから与えられる最高のプレゼント・永遠の命、そんな壮大な望みをもって祈るのだから、祈りほど楽しいものはない。

しかし、子どもさんびかの「この日こそ強い、 神の子にしてください」って、どういうことかなってふと思った。ともかくキリスト教はいつだって、貧しい者、弱い者、苦しむ者の味方である。その思考が身について「強くなりたい」なんてけしからんことのように、心のどこかで思ってしまう。2番の「この日こそ清い、神の子にしてください」だけでいいかな、と。

そして気づかされた。強い子にして下さいと祈るのは、自分が強くなって、金メダルをとって人から誉めたたえられるためではなく、神の子としてこの世の悪と戦うためなのだと。私たちはエルサレムに向かって先頭に立って進まれるイエスさまに従うために、強くされねばならないのだ。

 

だが、朝毎の祈りが、熱心な人の業であってはならない。

主の慈しみは決して絶えない。

主の憐みは決して尽きない。

それは朝毎に新たになる。

あなたの真実はそれほど深い。

祈りは、み言葉によって与えられる恵みなのだから。

祈りは感謝の応答だから。

あなたの道を主に任せよ。

主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。詩篇37:5

 

聖書の言葉は語りかけて来る。

聞こうとすると、ますます強く語りかける。

まるで聞かれるのを待っているかのように、

絶え間なく、

ある時は、遥か彼方から

ある時は、耳元で語りかける。

 

「あなたの道を主に任せよ」。「あなたの道」と呼びかけられて、私の道・・・と思いめぐらす。今日までの道、これからの道。

どんな大きな人も、小さな人も、人はみな自分の道を生きる。境遇がどうであれ、DNAがどうであれ、満足しようがすまいが、その道を誰とも取り換えることはできない。

♪自分の人生の中では 誰もがみな主人公

と歌にあるように、その人の心のもっとも深いところにある、そうありたい、そうしたいとの思いは、誰も変えることはできないだろう。それがおそらくその人の尊厳であり、その人の誇りなのだから。

人は自分の道を、ある時は力強く誇らしげに、ある時はひとりぼっちで、まるで捕らわれの身のように生きている。

それでもある日、この道はどこに続くのかと不安になり、立ち止まることがあるかも知れない。自分の力を信じて、周りの人の優しさに助けられて頑張ってきたのに、それでも限界にぶつかって、どうにもならない時があるかもしれない。

しかし、人の力の尽きた時こそ、天からの声、聖書の言葉に耳を傾ける時。前にも後ろにも、右にも左にも勧めない時、天だけはすべての人に開かれている。神の子イエスさまが開いてくださった。

「よくよく言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。(ヨハネ福音書1:51)

 

マンションなんて不思議なもので、今自分のいる数メートル上で人が寝ていたり、数メートル横にはテレビを見て笑っている人がいるかも知れない。天井や壁があって見えないとはありがたいことで、透けて見えたら到底生きられない環境でも、こうしてのんびり静かに過ごしている。ところが、ベランダの先の庭に出ると、数メートルどころか何百光年も離れた星まで見える。天が開いているとはこういうことだと思う。天井や壁や、人間が区切った限界ばかり見ていないで、外に出て天を仰げばいい。天から聞こえてくる声に耳に耳を澄ませばいい。

「わたしは主である」

「あなたをこの世の限界に追いやった主である」

「あなたの道を主に任せよ」

と、主イエスのお言葉を聞く者は幸いである。

私たちが、その声に気づくのを、今か今かと待っておられる主。

「わたしがあなたを造った。あなたはわたしのものだ」

「あなたのこれまでの道がどんなであろうと、わたしに任せるがよい。老いも死も心配しなくてよい。わたしはあなたを造ったから、命がけで愛している」と、手を伸べてくださる主がおられる。

 

小さな島々が海に囲まれているように、私たちはキリストの愛に囲まれている。