主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。
生涯、わたしは主を呼ぼう。

(詩篇一一六の12



20116 604号 内容・もくじ

リストボタン望みの港へ

リストボタン日本に最も必要なもの

リストボタン聖書における復興と再生

リストボタンタリタ・クミ(娘よ、起きなさい)

リストボタン解き放たれた者として

リストボタン神様からの呼びかけと愛 愛媛 三好久美子(幼児教育者)

リストボタンi神様がして下さったこと  徳島熊井勇(はり治療)

リストボタンキリスト・イエスに結ばれた者は

リストボタン放射性廃棄物の処理の困難

リストボタン編集だより

リストボタン来信より

リストボタンお知らせ



リストボタン望みの港へ

さまざまの困難が、とくに東日本大震災以来続いている。地震と津波によって家や畑、また家族、職業などを奪われた人たち、またそれらが壊れることもなく以前のままにあるにもかかわらず、原発の事故による放射能のために、そうした大切なものが失われ、傷つけられている多数の人たちがいる。
そのような方々にとって、以前と同じ目に見える状態に復帰して平安を与えられるということはまだまだ遠いし、また家族などの死によって、深く結びついた人間との関わりが失われた場合には回復するときがない。
しかし、神は万能であるゆえに、そうした方々の悲しみや苦しみに耐える力を与え、慰めや励ましを与えることは可能である。
「求めよ、そうすれば与えられる」という主イエスの約束の言葉はこのようなときにこそ、成就するはずの言葉である。
主イエスが「ああ、幸いだ、悲しむ者は。天の国はその人たちのものだからである。」と言われたことが思い起こされる。天の国とは神の国と同じであり、神の国にあるあらゆるよきもの、清い心、神の愛、苦難に耐える力等々が与えられるという約束がここにある。
私たちの心のさまざまの不安や騒いだ心を、静め、そのような主の平和へと導かれることこそ、大きな苦しみにある方々の真の支えとなると思われるし、ぜひそのような平安が与えられますようにと思う。
津波や地震の波は止まっても、大きな苦難に直面した魂の内なる波は静まることがない。それは、愛の神のもとに、見えざる港に導かれるとき初めて静まる。

…苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった。
主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、
波はおさまった。
彼らは波が静まったので、喜び祝い、
望みの港に導かれて行った。(詩篇107の2830より)



日本に最も必要なもの

原発のことは、いまの困難な事態だけでなく、今後生じるかもしれない大地震によってはさらに日本全体に回復の困難なほどの大きな影響を及ぼす可能性を持っている問題であるゆえ、日本人全体が強い関心を持つべきであるし、たしかにそのようになりつつあるだろう。
しかし、いかにこうした現実の問題を深く知ってもだからといって心の平安は与えられない。逆に知れば知るほど不安になったり、その原子力の途方もない破壊の力に驚かされ、人間の科学技術を含む力の弱さを思い知らされていく。
知っても知らなくとも、いやおうなく毎日のニュースで報道され、解決へとまるで進んでいかないような状況に接するわけだから、不安は漠然と増大していく。
そうした中で、私たちは力を与えられるものが必要である。人間が何より必要としているのは、さまざまの困難に出会ってもそれに耐える力であるからだ。
そしてその力は、確かにインターネットで得られるような一般的な知識や、科学技術やいろいろな学問的な知識、あるいはさまざまの小説などでも与えられない。
死の苦しみのときに、いったい誰が、科学や経済学、法学などの学問書を読んだり、売るために書かれた他愛もない小説を読んだりするだろうか。
私たちが元気であっても病気であっても、また人からの評価を受けなくとも、あるいは若くても老年であっても、たえず新たな力と希望を与えられることこそ、最も大切なことであり、それこそ、神の言葉がその力を与えるものである。
神の言葉、それが最も凝縮された存在がヨハネ福音書の冒頭に記されているように、キリストである。そのキリストが目にみえないかたちで私たちの世界にいまも訪れて下さっているのが、聖なる霊である。
この現在の日本、そしてこれからの日本に最も必要なのは、この永遠の真理たる神の言葉、いかなる人にも信じるだけで力を与える神の言葉、そして聖なる霊なのである。



リストボタン聖書における復興と再生

東日本大震災の残した深い傷跡は、3カ月を経た現在もなお癒えることなく、かつて経験したことのない大規模災害であるゆえに、至る所でその復興と再生の困難さが現れている。
とりわけ、福島原発の大事故にあっては、膨大な放射性物質が外部に流失し続けているという、世界の歴史始まって以来の状況が続いており、それを止めることができない。
放射能をもった水やさまざまの器具、物質それらから放射能を取り除くことができない。フィルターとか化学物質で沈殿させて除去するといっても、そのフィルターとか化学物質そのものが濃縮された強い放射能をもった物質となって新たな管理が必要となる。そしてそれを捨てるところも、その放射能を消すこともできないのである。
原発事故に関しては、このように、農地も山野も元通りに何の放射能もなく清い大気や水、大地となる、という状況まで何十年かかるかわからない。チェルノブイリでも100年はかかると言われているほどである。 こうして目的地の見えない長い困難な道が続いている。
こうした現実を見据えるとき、原発というものが持っている破壊的な力は、聖書に記されている力とは全く逆であるのに気付かされる。
聖書に記されている神の力は、目には見えないという点で共通している。そして何万年となくその放射能の力は持続するのに対し、神の力、聖書の力も永続する。というより、何万年という時間をはるかに超えて文字通り永遠である。
また、原子力が現在私たちの前に生じているように、次々と人間の生活を破壊し、断ち切っていくのに対して、聖書にある神の力は、壊れた人間の心や、つながりをも修復し、新たに造り替えるという本質をもっている。
真の復興、それはまったく道筋の見えない、闇と混沌の中にあっても、そこに力を与え、光を与えるものである。それは、実は聖書においては一貫して述べられていることなのである。
聖書は、人間社会の復興とは、究極的には物の復興、再建でなく、人間一人一人の魂の再建こそが、核心にあると教えている。自然の大災害も、一見何の計画も目的もない、単なる偶然にみえる。しかし、それは、万物を愛をもって創造し、かつ支配すると信じるならば、いかに無目的にみえることであっても、そのようにみえるのは、人間の浅はかな考え方その狭い考えのゆえであるとみなすのである。 人間の判断力や理性は非常に優れていると考える人も多い。コンピュータや、宇宙を飛行する物体を造り出したり、原発の複雑な仕組みを見て、人間の頭脳は途方もないことだと思う人もいる。
しかし、その優秀なはずの人間の頭脳や思考力をもってしても、明日、自分に何が起こるかさえ全く予見できない。毎日、交通事故は、全国でおよそ二千件も発生している。しかし、だれも自分が明日交通事故に遭うということは分からない。
また、自分のなかにどんな罪がひそかに宿っているか、あるいは、目の前にいる人間の心の奥に何がひそんでいるかなどといったことについては、全く分かっていない。明日何が起きるか、いっさい分からないのだから、いつ死ぬのかも分からない。
このように、人間の頭脳、思考力といったものもきわめて大きな限界を持っている。そのような限界ある頭脳が、ある出来事がどうして生じたのか分からないということはごく当たり前のことである。それゆえ、災害にせよ、事故にせよ、それが人間を超えた立場から見るとどんな意味や、目的があるのかは全く分からないというのも当然と言えよう。
そのように論理的に考えてもまったく分からないから意味がないのではない。そこから信じるということが始まる。
神は善であり、愛であるのに、どうして悪事がたくさんはびこり、悪人がたくさんいるのか。こうした問題は論理的にいかに説明を受けても納得できるものではない。
しかし、だからこそ、そこから信じるのである。まず神は愛であり、万能だと信じる。そうすれば、どんな出来事も深い愛が背後に込められている。ただ人間がその浅はかな、狭い頭脳だからこそ、それが分からないということなのである。
信じるという立場に立つとき、とたんに新たな風景がみえてくる。どんなことも、神の愛があると信じるとき、私たちに不思議な力が与えられ、また希望も力を伴って近づいてくる。
まず信じることから、道は開けていく。
神は私たちがそのように、神の真実と愛を信じることができるように、そのときを待っておられる。アダムとエバが神のご意志に背くという罪を犯したのちも、ただちに罰することをせず、楽園から追放したものの、滅ぼすことをせず、土地を耕す者としたとある。そしてその子どもであるカインが弟アベルへの妬みから、殺すという重い罪を犯す
。それにもかかわらず、神はそのカインをやはり滅ぼすことをせず、住んでいた土地から追放したが、カインを不思議にも守って、だれもカインを撃つことのないようにしるしを付けたという。(創世記41216より)
このように、聖書に記されている書き方は、私たちが神の忍耐と愛を知るようにという意図をもって書かれているのがうかがわれる。
その後の創世記の記述、ヤコブは、彼の祖父であるアブラハム以来、神の導きによって生活するようになったカナンの地(現在のパレスチナ)で飢饉があって、エジプトへと移住する。そこで自分の子供で、すでに野獣に殺されたと思っていたヨセフに出会い、エジプトで長く住むようになる。彼らの死後、その子孫たちはエジプトに住むことになり、増え広がっていった。そこでエジプトによって奴隷状態とされ、さらに生まれた男子はナイル川に投げ込まれ、民族としての絶滅がはかられた。そこからモーセが神によって呼び出され、数々の奇蹟が神の力によってなされ、ついにイスラエルの人たちを導き出す。しかし、砂漠とか荒れ野、荒れ地と訳されているシナイ半島をたどり、シナイ山に登って神の言葉を直接に受けたにもかかわらず、彼らは死と隣り合わせていると言えるような砂漠地帯を40年もさまよった。
しかし、カナンの地から、エジプトまではせいぜい数百キロであり、2週間ほどで到達する距離である。だからこそ、マリアはイエスを産んだのち、へロデ王に殺されそうになったので、すぐに夫婦でエジプトへと逃げていったのであり、またしばらくして王が死んだので、簡単に帰ってくることができたのである。
それなのに、40年という歳月を砂漠地帯の苦しい生活で費やした。
これはいったい何のためであっただろう。こうした苦難の旅路の経験によって、神は、イスラエル民族の真の復興と再生をのぞまれたのであった。
復興と再生、それは現代の私たちにとっても、多大の苦しみや悲しみを通ってなされていく。
旧約聖書のハートと言われる詩篇はどうか。
詩篇とはすなわち、外からの敵、うちからの罪の力、あるいは病気などによって破壊され、あるいは崩れ落ちようとする人間から発せられる叫びと祈りであり、そしてそこからの真の復興と再生を記した書物である。
いかに困難が生じようとも、その困難に打ち倒されずに、神に向かって叫び、祈り続ける魂の姿がここにある。
そのために詩篇の巻頭に置かれた第一篇は、どのような内容となっているか。それは、「み言葉を聞いて愛し続ける者、そのような者は、水によってうるおされて周囲にいのちの水を流し続けていくのだ。」となっている。
み言葉を愛するもの、それを喜ぶ者は、水の流れのほとりに植えられた木のようになる。それゆえにいつも花を咲かせ、実ができていく。そうした状況こそ、本当に魂が復興、再生した姿なのである。
そしてまた、第二篇のような一見して何も復興と再生などないように見えるような詩が続いている。これは、この世には至るところで、神などいないという言動があふれている。そしてアメリカ、ロシア、あるいは中国といった国々においても巨大な軍事力、経済力で世界を支配していくように見える。
しかし、第二篇は、そうしたこの世の支配の力、権力をすべて神の力の前には、まったく何の力もない、神の一声でそうしたものはすべて一掃される。とくにそのために、神は一人の人間を神の子として地上に送り出し、その神の子にこうした地上の世界での権力者、王のいっさいの力、悪の力にうち勝たせる、と預言している。
これは、キリストの預言である。すなわち、この世において真の復興と再生は、このキリストによるということがこの第二篇においてすでに預言されているのである。
また、第三編においては、個人の苦しみ―それは敵対する者の力によって追いつめられ、苦しめられているが、そこから、神の力に全力をあげてすがり、救いの力を与えられる。それこそ、魂の復興、再生なのである。
このように見てくればわかるように、詩篇とは人間そのものの―それが一人であれ、民族であれ―魂の復興と再生を目指し、その再生がいかにして可能であるか、そして再生できた喜びを証しする書にほかならない。
病や、敵対する人、あるいは、民族全体の危機的状況―そうしたものからの再生と復興が、随所に記されている。
その再生されたあかつきには、いかなる状況が訪れるか、それは詩篇全体に満ちているが、詩篇の最後にまとめられている、ハレルヤ! の壮大な賛美のうたが究極的な再生の状態を表している。
聖書は、この詩にあるような、全世界が自然も人間の世界もみなが唯一の創造主である、愛と真実の神に向かって再生の喜びに導かれていくのだという真理を記したものなのである。

日よ、月よ、主を賛美せよ。
輝く星よ、主を賛美せよ。
主の御名を賛美せよ。
主は命じられ、すべてのものは創造された。
火よ、雹よ、雪よ、霧よ、御言葉を成し遂げる嵐よ
山々よ、すべての丘よ、実を結ぶ木よ、杉の林よ
野の獣よ、すべての家畜よ、地を這うものよ、翼ある鳥よ
地上の王よ、諸国の民よ、君主よ、地上の支配者よ
若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ。
主の御名を賛美せよ。
主の御名はひとり高く、威光は天地に満ちている。(詩編148より)

こうした罪に崩れ落ちた人間そのものの復興と再生への切実な願いとその再生への道筋が最もリアルに記され、最終的な復興がいかに喜びと力に満ちたものであるかを記したのが詩編であるが、次に続く預言書というのもまた、そのような復興と再生がテーマとなっている。
アモス、ホセア、ミカといった短い預言書から、エゼキエル書、イザヤ書、エレミヤ書といった長大な預言書に至るまで、それらすべては、現状がいかに荒廃して絶望的な状況であるかを述べ、そしてそのままいけば更なる徹底的な滅びへと至ることを厳しく指摘し、そこからの復興と再生を熱情をもって語り続けている。
真実な人間のあり方から遠く離れ、まちがったものをあがめ、人間の欲望にまかせて生きていったゆえに国は滅び、人々の心も荒廃し、多数の人間が遠い異国へと捕囚として連れ去られていった。
それは、まさに枯れた骨で満ちたような絶望的状態であった。しかし、そこに力強い復興へと向かう神の言葉が与えられた。そしてその枯れ果てたものが新たな命を与えられてよみがえった。(エゼキエル書37章) それは滅びに瀕していた民族の再生を預言するものであったし、さらにそれ以後の人間の本当の復興と再生をも預言する内容となっている。
エレミヤ書においても、まさに当時の大国、新バビロニアによって攻撃され滅びていく状況にエレミヤは遣わされた。そこにおいて、本当の復興と再生は、近くの大国エジプトの助けを借りて武力で反撃することでなく、遠いバビロンへと捕囚となっていくことから開けていくというのである。このような普通では屈辱的と思えるような苦難の回り道を経ることこそが、神の大いなる御計画なのであった。
そして事実、その捕囚から50年後に人々は、あらたな大国となったペルシャ王の驚くべき配慮によって、バビロンの捕囚という苦難から解放され、祖国に帰ることができて、神殿や城壁の復興、再建が可能となったし、そこから500年ほどのちに、全世界の真の復興と再生をなしとげるキリストが現れたのである。
また、イザヤ書においては、その復興と再生の状態はうるわしい詩的表現で記されている。

… 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。
花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。
神は来て、あなたたちを救われる。
そのとき、見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く。
そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで荒れ地に川が流れる。
熱した砂地は湖となり乾いた地は水の湧くところとなる。

そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ…
主御自身がその民に先立って歩まれ…
解き放たれた人々がそこを進み
主に贖われた人々は帰って来る。
とこしえの喜びを先頭に立てて喜び歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え、
嘆きと悲しみは逃げ去る。(イザヤ書35章より)

預言書イザヤの生きた時代は、大国アッシリアが西南アジアの広大な領域を制覇し、イスラエルにもその矛先を向けて襲いかかろうとしていた危機的状況であった。 そうした状況はこの箇所の直後のイザヤ書3637章にも記されている。
そのような不安と先の見えない状況のただなかで、このようなうるわしい復興と再生が啓示されたのである。
このことを見ても、人間的な励ましや洞察などは到底与えられない深い力や未来に備えられている再生の状況は、すでにいまから二千七百年も昔にこのように生き生きと記されていることに驚かされる。
回復の見込みがない状況、それは砂漠、荒れ野、荒れ地、水のない地、熱した砂地などいろいろに表現されている。いかにそれが水のない、死に瀕した状況であろうとも、神は万能である。神はその御計画をいかなる状況にあってもなしとげられる。聖書の巻頭に書かれている、闇と混沌のただなかに、神の風は吹き渡り、そこに神のひと言で光が存在するようになるという真理、それはこのイザヤ書三十五章の喜びに満ちた内容にかたちを変えて表されている。
この世は闇と混沌である。しかし、聖書の世界にはこのように、すでに数千年も前から、真の復興と再生をあらわす光と喜びが啓示されているのである。
そして、そのような再生をもたらすのは神であるが、神はこの世界に神の大いなる力を与えられた一人の人間が現れることを預言していた。

エッサイ(*)の株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。…
弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。…
その日が来れば、エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。(イザヤ書11章より)
*)エッサイとは、ダビデ王の父

このように、この世の荒廃から復興させ、再生の力を与えるお方(メシア、救い主)が、エッサイ、ダビデの子孫から生まれるという預言がここになされている。その救い主の特質は神の霊を受けているということ、そこから弱きものに力を与え、正義を行うということが記されている。
このことは、現代においてもそのままあてはまる。真の復興と再生は人間の努力や武力や権力でもなく、神の力、神の霊によるのであって、それとともに弱い者への愛がはたらく。神の愛こそは死んだようになった者をも再生する原動力なのである。
こうした万人の復興と再生をなしとげる救い主が現れるということは、イザヤ書の後半の箇所においてさらに深い意味をたたえて記されている。

… この人は主の前に育った。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを知っていた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた苦しみによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。(イザヤ書53章より)

人間の魂が真の復興と再生をとげるには、いかに個人的に努力しても、また制度や組織を変えようとも、あるいは教育や科学技術がいかに発達しようとも、どうしてもできない無限に高い壁のようなものがある。
そこからの解放、そして再生は、神の力によるほかはない。そしてそのために、神はこのイザヤ書53章に預言されているような、かつてだれも聞いたことも見たこともないこと―万人の罪を担って、見下され、捨てられて死ぬという驚くべき使命をもった一人の人間によってなされることを予告したのであった。
そしてその預言のとおり、それから五百年ほども経って歴史のなかにそのような救い主がイエス・キリストとして現れた。
旧約聖書の最後の書にも、次のように記されている。

見よ、その日が来る。…
我が名を畏れ敬うあなた方には、
義の太陽が昇る。 (ミカ書31920より)

太陽が昇るとき、いっさいの植物も動物もその光と熱によって芽を出し、成長しはじめ、動き始める。春になっていっせいに山野の植物たちが芽吹き、動物たちも活動を始める。太陽は地上の目に見えるさまざまの生き物たちに、あらたな力を与える根源となっている。
それと同じように、人間の魂に光と熱を与え、再生させるのが、義の太陽であり、それはキリストを指し示す言葉なのである。
このようにして旧約聖書は閉じられているが、新約聖書になってその巻頭には一見無意味な、無味乾燥な系図と訳された名前の羅列がある。(*
だれでも初めて新約聖書を手にとったとき、読みとばしてしまうことが多い。

*)系図とは日本では先祖を誇るときなどに使うし、権力を握った歴史的に有名人の系図などが教科書に出ていることから、よくない連想がある。しかし、この系図と訳された原語(ギリシャ語)は、genesis であり、これは 旧約聖書のギリシャ語訳で、「創世記」というタイトルの訳語として用いられ、それが英訳でもそのまま踏襲されている。
系図と訳された原語は、生み出す gennnao という言葉から派生したものであって、起源の書と訳するのがより原語にふさわしい。(じっさいに、ドイツの有名な神学者、聖書注解者であるシュラッターはそのように訳している。Buch vomUrsprungJesu,…)


この系図と訳されたのは実は、イエスの起源の書と訳すべきもので、イエスがいかなる起源から生まれたか、いかなる神のご意志によって地上に現れたか、を示す内容なのであって、決して先祖を誇るためでないことは、そこに現れる女性が 遊女ラハブのような罪の女や、当時は神を知らないゆえに汚れたとされていた異邦人ルツ、あるいは大罪を犯したダビデの相手であるバテセバなどが記されていることからもうかがえる。
この系図は三つに分かれていて、アブラハムからダビデ、ダビデからバビロン捕囚、そして捕囚からキリストへという三つに分かれている。それは一つの家族にすぎなかったところから、大いなる民族となり、ダビデ王の時代に周囲の国々を平定して支配するにいたり、繁栄の頂点に達した。しかしそこからダビデの罪、人々の罪のゆえに、王国は分裂し、どこまでも下り坂となって国は滅び、遠くバビロン捕囚となって滅びの寸前に追い込まれていく。
しかし、そこから真の復興、霊的な再生への道がはじまり、それがイエスが現れるということに結びついていった。
このように、歴史は、腐敗と崩壊を経て、キリストに向かって流れていく、という大いなる流れがこの系図と称する名前の羅列のような記事の背後にはある。
すなわち、新約聖書の最初にそのようないかに困難な闇と混沌があっても、そこにキリストが現れるのが神の御計画であり、世界のあらゆる闇と混沌の最終的解決なのだということが示されているのである。
そして、主イエスがなされた行動、教えなどは、すべて、弱くて立ち上がれないような人たちの心身を回復させ、神の力を注ぐことによって再生がなされることが目的である。それゆえに、最も恐れられていたハンセン病、あるいは生まれつき目の見えない人、聞こえない人、そして立つこともできない人たち、そのような人たちに注がれる神の力と愛がとくに記されている。
そしてそのような目に見える弱さを持っている人たちだけでなく、実はすべての人間が、その罪のゆえに死んだようなものであり、そこからの再生がなされるために、キリストは来られたのだということがはっきりと記されている。
キリストの十字架を信じることによる罪の赦し、そこからの清め、そしてキリストの復活によって聖霊が信じる人にはだれにでも与えられるということ、それらもすべて霊的にみれば、使徒パウロがいうように、「死んでいた者」であった人間を起き上がらせること、再生することである。

…あなた方は以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。 (エペソ書21
…自分自身を死者の中から生き返った者として神に捧げ、五体を義のための道具として神に捧げなさい。(ローマ613

キリストは十字架で死なれただけでなく、死からの復活によって死から再生する力を与えるお方となられた。そして、さらに求める者には、聖なる霊が与えられ、その聖霊によって日々新しくされていく道を開いてくださった。
キリストより500年ほども昔の預言書イザヤが述べたように、信じるだけでこの世の道とはまったく異なる新たな道、神の国へと続いている聖なる大路があるのを知らせて下さった。
そして最終的にこの世界、宇宙そのものが再生される新しい天と地とされるということが、新約聖書でははっきりと約束されている。
ここに究極的な復興と再生がある。

 


リストボタンタリタ・クミ
(娘よ、起きなさい!)


福音書の中に、二人の女性のことが対照的に記されている箇所がある。一人は、12年間という長い年月を出血の病気に苦しんできた女性であり、もう一人は、まだ12歳の死の迫っている少女であった。(マルコ福音書52143
前者の女性に関しては、この聖書の時代では、そうした病気そのものの苦しさにさらにその苦しみを増したのが、社会的な差別であった。婦人病である出血する病気は、汚れたとされ、その女に触れる者、その女の使ったものに触れるものさえ汚れがうつるということになっていた。(レビ記の1525~)
このようなことは、現代とはあまりにもかけ離れているので、この女性の苦しみは想像することが難しく、大多数の人は、この箇所を簡単に読み過ごすのではないかと思われる。差別と孤独、誰にも言えない苦しみと悲しみであった。
また、らい病にかかるとやはり汚れているとされていた。人間を悪くいうときでも、だれかを汚いといったような言い方は非常に相手を苦しめることになる。
人間はみな汚れている存在であるのに、特定の病気や生まれつきの障がい、あるいは生まれた場所や環境で人をそのように言っていた。 昔のユダヤ人たちも、異邦人であるというだけで、汚れているとしていたのである。
この大きな汚れと清めの区別を決定的に打ち破ったのが、キリストであった。そうした観念を破壊し、またそこで苦しめられてきた人を解放し、救いだした。
この箇所に現れる二人の女性のうち、12年間も出血が止まらない婦人病で、医者に全財産を使い果たし、苦しめられてきた人は、絶望的状態にあった。自分という存在が汚れているというようにみられるのは、自分の存在が否定されていることである。しかも、自分が使った家具、触れるものまでも汚れて、それに触れる人もまた汚れてしまい、清めの儀式をしなければいけなくなる、ということでは、およそ人との交際はできなくなる。家族との関わりもできなくなり、離れて生活しなければならなくなる。
そんな長い歳月は、彼女にとって地獄のような日々であったと思われる。家族との生活も、結婚や仕事も、およそ人間との共同生活ができないという状況に追い込まれていたと考えられる。
そのような女性が、イエスに対して不思議な力を感じていた。自分の病気は家族や医者にも、そして祭司たちにもどうすることもできない絶望的状態であったが、その闇の中にただ、イエスというお方だけは不思議な光をもたらしたのである。
それまで、この女の状況であれば人の集まるところへも行けなかった。彼女に触れる人まで汚れてしまうからである。
しかし、イエスが近くに来るといううわさを聞き取ったこの女は、何としてもそのイエスの力に触れたいと切実な願いを持つようになった。社会的に孤独な状況にあったこの女はいかにしてイエスに対するこうした絶大な信頼を寄せるようになったのであろうか。
その過程は記されていない。しかし、確かなことはこのような状況にある人でも、12年間という神の時が来たときには、そうした不思議な信仰が生まれたのであった。12というのは象徴的な数として聖書では現れる。神の定めたとき、というニュアンスがここにはある。
いかに闇と混沌の状況にあっても、時が来れば神が導かれる、ということ、それは、すでに聖書の最初から記されている。聖書の冒頭には、闇と混沌が世界に立ち込めていたが、そこに神の霊(風)が吹きつのり、そのなかに神が突然「光あれ!」との言葉によって、光が創造されたことが記されている。
このことは、ここにあげた女の状況をそのまま預言するものとなっている。
あるいは、十字架でイエスと共に釘付けられた重い罪人が、すぐ横で同様に重い犯罪人として処刑されているイエスが復活すると信じて、「あなたが、御国に行くときには私を思いだして下さい!」との最期のときの願いを訴えた。その願いに対してイエスは直ちに「あなたは今日、パラダイスにいる」と、救いの確約を与えたのであった。
ここにも、この重い罪人はいかにして、イエスが復活して神のところに行くなどということを信じ得たのか、その過程は記されていない。
3年間もイエスにつき従い、あらゆる奇蹟を目の当たりにし、その教えをすべて間近に聞いてきた弟子たちすら、復活などは信じられなかった。イエスがその死の前に、自分はとらえられて十字架にかけられ、三日目によみがえる、と予告したとき、弟子のペテロは、「決してそんなことがあってはならない」とイエスを引き寄せて叱る、といったことさえした。そうしたペテロの言動は、ただちにイエスによって「サタンよ、退け!」と一喝された。(マルコ833
さらに、弟子たちは裏切って逃げてしまったが、最後まで十字架のイエスのもとにとどまり続けたマグダラのマリアたち、イエスへ深い信頼を持ち続けてきた女性たちも、復活など信じられなかったことは同様である。
このように、最もイエスの近くにあった人たちでもみな一様に信じられなかったキリストの復活ということを、この十字架で最期を迎える罪人が信じることができていた、ということは、驚くべきことであり、ここに啓示ということの深い秘密がある。
学問でも、経験でもなく、また豊富な知識でもない。あるいは恵まれた家庭や生まれつきの能力でもないし、優れた教師につくことでもない。それらすべてがなくとも、ただ一方的な神からの啓示があれば、人は最も重要なことを知ることができる。
主イエスが、弟子たちに、「あなたがたには、天の国(神の国)の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。」(マタイ 13:11)と言われた。その弟子たちとは、漁師が半数ちかくを占めていたし、マタイという弟子は、ユダヤ人から憎まれ、差別されていた徴税人という仕事であった。それはユダヤ人を圧迫していたローマ人の手先になってしばしば不正な金を手に入れていたと考えられていたからである。
また、当時は、ローマ帝国がユダヤ人たちを支配していたが、その支配を受けいれず、反ローマ運動に関わっていた人たちのグループ(ゼーローテース、熱心党と訳されている)も、イエスの弟子に含まれていた。そのようないろいろな状況の人たちが、イエスからの招きとイエスの霊を受けることによって、悪の霊を追いだし、病など人を苦しめていた力に勝利する力を与えられたのである。
12
年間も、出血の病で苦しめられてきた女は、ただイエスというお方は、いかなる人間にもない神の力をもっていると信じていた。それゆえに、ただ服に触れさえしたらいやされると信じていた。何も詳しい学問的知識や思索は要らない。ただそのような素朴な、しかし、全身をあげての信頼があれば足りる。
この女と対照的に記されているのが、12歳の少女の記述である。さきに記されている出血の病で苦しんでいた女は、12年間病気で苦しみ続け、この少女は12歳であったという。この12という数字は聖書では特別な意味をもっている。(*

*)旧約聖書における部族も12部族、イエスの弟子の数も12人、また、五千人のパンの奇蹟として知られている出来事においても、二匹の魚と五つのパン(合わせると7というやはり特別な数になる)を、イエスが祝福して分かち与えたところ、五千人をも十分に満たし、さらに残りは12のかごにいっぱいになったという。
これは、12という数が、完全数、言い換えると神の御計画のうちに置かれているということを暗示する。12部族とは神の御計画によって選ばれた民であり、神のご意志を知らされた人たちである。12弟子も同様である。
ここに現れる12年の苦しい病気や、12歳というのも、それは神の御計画のうちに置かれていたのだということを象徴的に表しているのである。


この12歳の少女の父親は、会堂長であった。会堂とは、毎週の安息日に人々が集まり、神の言葉(律法)の朗読と解きあかしがなされた。エルサレムの狭い市内に、400ほども会堂があったという。その指導者たちから選ばれたのが、会堂長であったから、社会的地位は高く、指導的立場にあった。そのような人が、30歳ほどの若いイエスのところに来て、大勢の群衆たちが集まっていたのに、そのイエスの足もとにひれ伏して懇願し続けた。(*

*)「しきりに願った」と訳されている原文のギリシャ語表現では、パラカレオー parakaleo の現在形であり、「繰り返し~する」というニュアンスを持つが、さらにここでは、「たくさん、多く」という意味の ポリュス polus があるので、繰り返し、懇願した、熱心に懇願し続けた、という意味になる。英訳各種にもそうした強い懇願を表すために次のようにいろいろな表現で訳されている。
made strong prayers
pleaded desperately
begged him repeatedly,
pleaded earnestly

「私の幼い娘が、死にそうです。どうか手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるのです。」(マルコ523

自分の娘のこととはいえ、たくさんの群衆がイエスのところに集まっている状況のもとで、イエスの足もとにひれ伏して懇願するとは、ほかの人がどう思うかといった余計なことは念頭になく、ただひたすら娘への愛ゆえに死なないようにとの必死の気持ち、そしてイエスへの大いなる信頼がここにはある。
この会堂長は、いかにしてイエスに対するそのように絶大な信頼を持つことができたのだろうか。それについてはいっさい記されていない。
それは先に述べた長い出血の病で苦しんでいた女がいかにしてイエスだけはいやす力があると信じることができたのか、その過程はいっさい記されていないのと同様であって、それは、啓示ということに他ならない。
神(キリスト)からの啓示を受けたときには、周囲のあらゆる偏見や疑い、未熟な判断などを超えて、真理を洞察し、受けいれることができる。
このように、ただ主イエスの神のごとき力を単純率直に信じることこそ、主イエスが求められていたことである。幼な子、乳飲み子とはただ母親を全面的に信頼して見つめる。そのような心とイエスへの信頼がこの会堂長にはあった。
しかし、その家に向かう途中で娘は死んだと知らせが入った。それゆえもうイエスに来てもらう必要はなくなったとの連絡である。それにもかかわらずイエスは「恐れるな。ただ私を信じなさい。」と言われてその家に向かった。そして子供の手を取り、「タリタ・クミ」―娘よ、起きよ ―(*)と言われた。

*)これはアラム語というヘブル語とよく似た言葉で、当時のユダヤ人が使っていた。タリタとは、「娘」、クミとは、クームという「起きる、立つ、立ち上がる」という動詞の命令形。このクーミーという言葉が、ギリシャ語に訳されたとき、クームと音写されたので、新共同訳では、クム という訳語にしてあるが、この箇所のヘブル語訳聖書、あるいは ほかの日本語訳―口語訳、新改訳、塚本訳、文語訳なども 本来のアラム語やヘブル語の発音である「クミ」と訳している。

この単純なイエスの言葉「タリタ・クミ」がなぜ、わざわざイエスの当時の発音のまま残されたのだろうか。このようにイエスの当時の語られたままの発音が残された他の例としてすぐに思いだされるのは、十字架上での最期のときの叫び、「エリ、エリ、ラマ サバクタニ」(わが神、わが神、なぜ私を捨てたのか!)がある。これは厳密には、アラム語とヘブル語の混在した形であるが、この言葉は、詩編22篇の冒頭にそのままのかたちですでに旧約聖書にみられる。詩編はしばしば預言書としての内容をも合わせもっているがこの例はそのような例の一つである。これは信仰を持ち、その信仰によって生き抜いてきた人間の最後の、最も困難な試練がいかなるものであるかを如実に表すものであり、それゆえに、主イエスもその最も苦難の極みでその叫びをあげられたのであった。
しかし、この会堂長の娘の件には、イエスの死のときの叫びほどの深刻さはない。「娘よ、起きなさい!」これは、毎日の家庭で日常的に言われるようなごく普通の言葉とみえる。
しかし、そのような何も重要性のないようなひと言がもっている重要な意味を、このときイエスと共にいたと記されている3人の弟子たちは鋭く感じ取ったのである。そしてそれはこの福音書を書いたマルコやほかの福音書の著者にも伝わっていった。
その重要性とは、何か。それは、娘よ、といわれているが実は、自分たち、さらには人間みんなに向かって言われているのであり、起き上がれ!というひと言も、万人に向けて言われている重要な意味を持っていると直感したのである。
起き上がる(立ち上がる)という日常的な言葉のなかに、人はみな、起き上がっていない状態にある、立ち上がれない弱さを深くその魂に持っているということが含まれている。
キリスト教の二千年にわたる最も大いなるはたらきをしたパウロのような人でも、「私はよいと思うことができない。したくないことをしてしまう。この死のからだをどうしたらいいのか!」と深い嘆きの言葉を発している。
パウロは家柄もよく、律法に関しても特別な教育を受けてユダヤ人の指導者でもあった。

…「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人だ。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていた。 (使徒 223

それはまさに、どんなに優れた教育を受けても、本当の意味で人間は、死のからだといった状態から立ち上がることができないことを示している。この点は、だれでも自分がいかに無差別的な愛に乏しいか、敵対する人たちに対しても彼らがよくなるように(神の愛の心をもって)祈る、ということがいかにできていないか、いかに自分中心であるかを、静かに顧みるときに誰でも実感して確認できることだろう。
そうした人間の本性の根本的な弱さ、醜さは、聖書においては最初から記されている。パウロが、自分がよいと思ったことができず、悪いことをしてしまう、というそのことは、聖書の最初の創世記に現れる最初の人間であるアダムとエバの記述に記されている。神が食べ物も十分に備えてくれたエデンの園にて生活できるのに、あえて その一つの木の実だけは食べてはいけないと言われていた木の実を食べて、楽園を追放されることになった。
そこに、パウロが言った、死のからだ、ということを思い起こさせるものがある。人間は真に正しい道、あるべき姿にはどうしてもなれない、本当に死者のような状態から起き上がることができないという現実が記されている。
この聖書の箇所では、じっさいに、少女の手を取って、イエスが「タリタ・クミ」と言うと、すぐに起き上がって歩き始めた。
主イエスこそは、このように死んだ状態、あるいは起き上がれない状態にある人間に手を取って起き上がらせて下さるお方なのだ、という真理がここには込められている。そしてそれはキリストを本当に信じた人には、だれもがこのような内的な経験を与えられていくという、預言的な行動なのであった。
弟子たちはそれをはっきりと悟り、それゆえに、このひと言の重要性をイエスの言葉のままで彼らの魂に刻まれ、それが書き留められ、さらにじっさいにこの出来事が起こって数十年後になってマルコなどの福音書が現在のかたちに書かれたときにも、そのままで保存され伝えられていったのである。
このことは、またいかに家族の愛情、人間の愛が深くても、死に勝利することは決してできない。死の力に勝利するのはただキリストに注がれた神の力のみである、ということをも指し示している。
12
年間も、医者からも苦しめられ、周囲の宗教的指導者からも苦しめられてきた女性は最も愛を受けない、孤独な日々を過ごしてきた人であった。そのようなまさに失われた羊のところへとキリストの力は流れていった。
他方、会堂長の娘は、すでに述べたように父親の深い愛からみても、幼いときから家族の愛に包まれて育ったと思われる。その点で対照的な背景をもった二人の女性であった。
前者は社会的、人間的な圧迫のゆえに暗闇の生活、絶望的な日々を歩むことを強いられてきた人であるが、いかにそのような闇が深くとも、キリストはその闇を貫いてそこに光を与え、力を与える。そしてこの女もまた、うちひしがれた今までの人生から、新たに起き上がり、新しい力を与えられて歩み始めることができた。
このように社会的な、人間関係や伝統、習慣ゆえに苦しめられてきた人間も、死という最大の滅ぼす力に飲み込まれそうになった人間、その双方にうち勝つお方としてのキリストが、この短い箇所に凝縮されて記されている。
これらの記述から二千年を経た現代の私たちにおいても、こうした困難、闇の力は常に迫っている。自然の大災害、人災、そしてまた、病気や人間関係による苦しみ…等々、それらはいつの時代にも人間を苦しめてきたし現代も同様である。
しかし、いかにそれらの闇の力が強くあろうとも、そのような力にうち勝つ力がただ幼な子のように神とキリストを信じること、その万能を信じるゆえに、イエスの死が私たちの心の最も奥深い問題をも解決するということを信じるだけで、そうしたいっさいにうち勝つ力が与えられるのである。
現代の複雑な時代、さまざまの映像や印刷物が洪水のようにはんらんしているときにあって、私たちに求められているのは、この幼な子のような単純率直な心をもって主イエス、神の万能を信じることである。
そのイエスの神にひとしい力によって、万人の心に巣くう弱き、醜い心(罪)を赦し、取り除いて下さり、あらゆる闇の力にもうち勝つ力を与えられることが約束されている。

…イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「幼な子たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
あなた方に真理を言う。
幼な子のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
(ルカ181617


 


リストボタン解き放たれた者として
(第38回 四国集会での聖書講話)


私たちは、すべて何らかのものによって縛られている。そして誰でもそこからの解放を、本人が意識すると意識しないを問わず、願っている。
例えば、友だちを得ようとか、お金を、また遊具や高価な持ち物、少しでもきれいにしようとすること、健康でありたいということ、趣味、娯楽あるいは、仕事に励むこと…何をとってもそうした人間の行動は、何らかの意味での解放を求める行動だと言えよう。
友だちを求める、それは自分一人では楽しくない、言い換えると何か心が縛られている、だから友だちと遊んだりおしゃべりすることでその孤独という目に見えない束縛からの解放が得られると考えるのである。
また、お金を求めるのも、お金がなかったらたちまち貧しくなる、食物が不自由、衣服なども立派なものを買えない、そこから見下される可能性が強まる、それはすなわちなにか息苦しい、ということになる。誰かから、ばかにされるとか見下されるとき、心が何か狭いところに閉じ込められたような感じとなって、それがまた繰り返されたりすると、だんだん心にストレスがたまってくる。自由なのびのびした心でなくなる。
また、病気になると、すぐに分るが、動けなくなる、食事や行動も制限される、もっとひどくなるとベッドに寝たきりとなり、しかも痛みのために心は四六時中苦しまねばならなくなる。これはベッドに縛られ、また病気、苦しみに縛られてしまう状況であり、これが心も体も縛られた状態となる。
健康であり、お金もある、友人もあっても、なお縛るものはいくらでもある。それは例えば、考え方、心の持ち方、感じ方が縛られるという状態である。 まわりの人の考えに縛られるから、自分の思ったことを自由に表せない。自由に表せないだけでなく、自分の考えのなかまで他人の考えや伝統が入り込んできて、自分独自の考えが生まれない。それはすなわち他人の考えに縛られているということである。伝統という名の古くからの人間の考えに縛られていることである。習慣、伝統というのは、それは要するに昔の人の考えの現れであって、伝統に縛られるというのは、昔の人の考えに縛られているということである。
例えば、日本人は圧倒的多数が、この宇宙を創造し、支配しておられる生きた神、しかも愛の神などいないと思っている。それは単に親や周囲の人たちがそういうからにすぎない。
「君が代」を国歌だとして、なぜ強制までして歌わせようとするのか、それはあの歌は天皇の支配の永遠を賛美する歌であり、天皇賛美という古い観念にしばられた人たちが、こどもにも強制しようとする現象である。あのような内容の歌を、その意味をきちんと理解した上で、心から歌えるという人はいったいどれほどいるだろうか。
あの「君が代」を国民全体の自由や喜び、平和といった内容と、活気あるメロディーにして、国民みんなが歌いたいというような内容に、国民から募集して変えるならば、なにも法律で強制して歌わせるなどということは生じないのである。
このように、私たちの生活の至る所で、何らかのものがたえず縛ろうとしている。
そして、そのような外部のものによって縛られているということは、まだしもたいていの人が気付くであろう。しかし、内部においても私たちを外部のもの以上に強固に縛っているものがあるが、それには日本人の大多数の人が深くは気付いていないと言えよう。
人間は外側のさまざまのものによって縛られているばかりでなく、内側のものによってさらに強く縛られている。
聖書は最初からこのテーマを記している。
闇と混沌の中に神の風が吹き募っていた。そこに神の霊のはたらきがすでに暗示されている。混沌と訳された原語は、トーフーとボーフーである。いずれも、「いのちの水」誌5月号に書いたように、トーフーは、荒れた、混乱した、あるいは形がない、空しい、空虚という意味を持っている。
闇と混沌、空虚ということは、人間の魂の縛られた状態である。かつての奴隷は、先に何らの希望もなく、生活は動物と同じような酷使される日々であり、そこには生きがいも平安も目的もない。混沌と空虚であった。
荒れて、定かな形もなく、空虚なもの、そのようななかに吹いていたのが、聖なる風であった。これはこの世界にあって何が根本的に重要であるかを聖書の巻頭から指し示すものとなっている。
そして、そこに光あれ、という神の言葉によって光が生じた。
私たちが縛られているのは、本当の光がないからである。例えば、まわりの人の評判や他人の言うことに縛られているから、自分の考えをはっきりと主張しないし、また自分の考えもしっかりしたものが生まれない。金に縛られると、まちがったことも宣伝していく。原発事故も電力会社から、例えば、東京電力だけでも、年間250億~300億円と言われる巨額の金が原発の宣伝のために使われてきたという。一日にすれば、7000万円~8000万円という多額の金である。こうしたことに縛られて学者も政治家たちも原発は絶対安全だと主張し、そのため住民も、国民も次々と安全を信じるようになった。
今回の大事故は、金の力によってからめとられた結果の出来事でもあった。いつのまにか、絶対安全という神話に縛られていた。そこから解放されてその危険性を一貫して主張してきた原子力科学者は、京都大学原子炉実験所に勤務する一部の科学者などのきわめてわずかの人たちであった。
このように、金の力で縛っていくことは、いろいろなことでみられる。
だが、人間を縛るものは、金だけでない。いくらでもある。エネルギー、電気の無駄遣いという習慣に縛られてしまったのが、日本人である。昼間から暗くもないのに、電気を付けるとか、真夏であっても多量の電気を使って冷房し、秋冬用の衣服をわざわざ着用するなど、こんなことも無駄遣いという間違った習慣に縛られている姿である。
戦前なら、例えば、男尊女卑とか、天皇は神であるといった観念、あるいは日本は神国だから絶対負けない、などという根拠のない考えに縛られていた。
信仰も、それを持っていない人からみると、いかにも縛っているように見える場合もあるだろう。実際、オウム真理教のような新興宗教のように人間を文字通りに規則に閉じ込めていく宗教もある。
また、高価 な持ち物、美味な食物を取るとか、本能にかかわることに縛られることもあり、タバコ、酒、その他の飲食物にも縛られて離れることができない場合もある。
人間の自由を縛っているもの、それはこの肉体である。体が疲れたら、眠れなかったら、あるいは水や食物がなかったらたちまち動けなくなる。水によって縛られているのである。水がなかったら生きていけない。
そしてこの体そのものも絶えず私たちを縛っている。どこかにひどい痛みがあれば、例えば足に耐えがたい痛みあれば歩くことも車も運転できない。歯が激しく痛むだけでも、何もできない。
こうしたさまざまのものが私たちを縛っているが、それらすべての根源にあるのは、自分である。自分というものによって誰でも縛られていて、そこから解放されることができない。
イエスに従った弟子たちですら、一番偉いものはだれかという議論が始まったという。そのことは、ルカ福音書では二度にわたって書かれている。

…弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。
…それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。(ルカ 9462224

このように自分に縛られているところから、さまざまの欲望や、争い、妬み、憎しみなどが生じる。
使徒パウロは、そのような状態のゆえに次のように言っている。「ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪のもとにある。正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆、迷い、だれもかれも役に立たない者となった。…」(ローマ3912
人間はすべて自分というものに縛られているゆえに、そこからの解放を目的としてキリストは来られた。「その子をイエスと名付けよ。この子は、自分の民を罪から救うからである。」(マタイ121
また、そうした罪に縛られた状態は、闇にある状態である。それゆえ、「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」と言われている。
このように、罪からの解放、自分というものからの解放こそは、キリストの来られた目的であり、それは言い換えると光を与えるためであった。
このキリストの目的が、創世記の最初にすでに預言されているとみることができる。
そして、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつ。」(ヨハネ 8の12
と言われた。
命の光、キリストの光は単に何かを知る普通の知識でも学問的知識でもない。まったく学問も経験もない者であっても、神の持っている命が与えられると約束されている。神は万能であり、一切に縛られない自由なお方である。
そのお方の命が与えられるということは、私たちもまたその命によって自由となることがわかる。
この自由、解放ということは、創世記だけでなく、聖書全体にわたって記されている。
出エジプト記においても、それは中心のテーマとなっている。
エジプトにおいて文字通り奴隷状態であった。そこからの解放、それは神の力による。荒れ野のシナイ山にて与えられた十戒も自由とむすびついている。
十戒も、単なる決まりではない。それは、人間が真の自由であるために、不可欠なことが言われているのである。唯一の神を拝しないとき、それは必ず人間を縛るものとなる。すでに王を求めたときに神は、その王は必ずあなた方を束縛し、奴隷とすると言った。
安息日を守る、それは人間が絶えず偶像に支配され、それに縛られてしまうということを常に注意しているために、安息日として、聖別する日の規定がある。
そして、人々の目的の地は、乳と蜜の流れる地と言われた。それは自由な地であり、その自由が単に思いのままになるということとは全く異なる魂のよき味わい、満たされるものであり、喜びと平安があることを示す表現となっている。

詩篇もまた、自由をもとめての叫びであり、祈りであり、また自由を与えられた者の賛美である。例えば、詩篇第1篇はみ言葉による歩みによって、私たちは水のほとりに植えられた木のようになる。たえず実を結ぶという。
神の霊によってうるおされた状態、その自由からさまざまのよき実が生じることをしめしている。
そして第2篇は、地上のいかなる権力や悪の支配の力にも縛られない、かえってそれらすべてを支配される神の御支配を述べ、それを信じて、その神の力を受けることこそ、この世の悪や権力に支配されない自由を受ける道であることが示されている。
また、詩篇のなかで、最も親しまれている詩篇23篇、それは主にある自由、そこからくる大いなる祝福といのち、そして死にうち勝つ自由を表している。気付かない罪の赦しの重要性も述べている。
主がわが牧者であるならば、私たちを憩いのみぎわに伴い、緑の牧場へと導かれる。そしていのちの水を飲ませてくださる。それゆえに、死の陰の谷を歩むとも恐れない。という。
これは、死という最強の力にも縛られないということである。
さらに、敵の前にて杯を満たしてくださるという。それは敵対する人にも縛られないという魂の解放された状態を示すものである。 そして完全な自由の存在である神のもとに永遠にいるという確信と希望がそこに記されている。
そして預言者は、罪に縛られた人々に対して、本当の自由の世界があることを繰り返し語りかけ、彼らの魂の方向転換を期待して命がけで神の言葉を語り続けたのである。

主は私に油を注ぎ
主なる神の霊が私をとらえた。
私を遣わして
貧しいひとによき知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告げ知らせるために。
(イザヤ書611

神の霊こそ、真の解放を与える。このように、キリストより2500年ほども昔から、真の解放を与える人が現れること、そしてその解放をなさしめる原動力は、神の霊であることを告げている。
たしかに、キリストの弟子たち、その代表的存在であったペテロもイエスの教えや奇蹟を3年間も聞き続け見てきた。しかし、なお、すでに述べたように、自分中心の考えからは解放されなかった。誰が一番偉いのか、自分をイエスが王となったときに第一の地位に置いてほしいといった自分中心の願望をあからさまに出すほどであった。
また、イエスがとらえられるというと、私は死ぬようなことがあっても従うと言った。
だがそれらの言葉は空しく、イエスの逮捕のさいには、逃げてしまい、三度も主を知らないと裏切ることになった。
こうした弟子たちの自分に縛られた状態を、真に解放したのは、経験でもイエスの教えでも、仲間の支えとかまわりの状況でもなかった。それは聖霊であった。
聖霊こそはそれまでのあらゆる自分中心から彼らを解放し、身の危険をもかえりみずに、イエスの復活を告げ、証しするという福音伝道の道へと導いたのである。
それは神の力であった。神の力のみが、私たち人間に深く巣くっている自分中心という束縛からの解放を成し遂げる。
それは使徒パウロも同様であった。かれも律法に縛られ、キリスト教をモーセ律法を壊すものたちだと思い込み迫害していたが、復活したキリストに出会って、それらの束縛から解放されて真の自由な者とされた。
それゆえに、かれの書いた手紙においては、聖霊が内に住むこと、聖霊によって導かれるものが神の子とされるキリストの霊を持っていないなら神の子でないとその重要性を強調している。(ローマの信徒への手紙8章)
また、私たちを取り巻く広大な自然、清く美しいさまざまの自然は、そのままそれらは完全な自由を暗示するものである。花が咲く、大地に縛られたようでありながら、自由を与えられているしるしだと受け取ることができる。
風、それは主イエスが聖霊にたとえて言われたように どこからきてどこへいくのか分からない。まったき自由を感じさせる。
また、山々は揺らぐことなく、岩のごとく不動である。

…神こそわが岩、わが救い、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。(詩篇626

神は岩のごとく不動であるが、同時に何にも縛られない自由を持っておられる。このように一見相反する特質を同時に持っておられる。私たちもまた、聖霊によってそのような動揺しない力を持ちつつ、自由を持つことができる。

そしてその聖霊こそは、愛、喜び、平和、を生み出す。
そうした与えられた信仰、希望、愛こそは、自由なる魂の特質となる。とくに愛こそは私たちの自由の度合いを示すものだと言えよう。愛がないということは、自分に縛られているということ、聖霊の注ぎが十分でないということを示すものである。
解放された者、言い換えれば自由になった者ほど神の特質をより多く持っている。解放された者の印とは愛である。
どんなにその人が自分は自由だ、と思っていても、他者の苦しみや悲しみに共感でき、何らかの手だてをなそうとするような心、祈りの心がないなら、その解放感は影のようなものである。
人間的な愛であっても、それは一時的にせよ一種の解放感を与える。親からあるいは友だちから愛されていると実感するとき何か解放された実感、自由がある。逆に、憎まれている場合は心がきしみを立て、捕らわれている実感となるし、憎しみを誰かに持っている場合も自分の心が縛られていると感じるであろう。憎しみや怒り、不満、敵意、そうしたものは人間の心を縛っていく。
ここにさばきがある。さばきとは、このように、神のみ心に反することを考えたりするだけで、もうさばきがそこになされている。主イエスが言われたように、私を信じないものは、すでに裁かれている、ということと同様である。
主イエスは、敵のために祈れ、と言われた。自分に害悪を及ぼそうとする者に対してすら、祈る心があるということは愛を持てるということである。そのような心は、敵の悪意にすら縛られていないと言える。
これに対し、だれかのひと言ですら人間を縛ることがよくある。ちょっとしたひと言で怒ったり、相手を嫌いだと思ったりする。人間とはそれほどに自由でない。自分がよく思われたいという自分中心の心に縛られているのである。
しかし、そのような縛られた状態を解放する力がある。それは聖霊である。ただ主イエスを信じ、神に対してお父様!と呼びかけることができさえすれば、私たちは聖霊が与えられているのであり、そこから、主イエスの言葉にあるように、求めることによって限りなく聖霊は与えられる。
信仰によって私たちは罪からの解放を与えられ、サタン、敵に縛られず、ついには死の力にも縛られないで、復活を与えられる。
そして完全な自由が与えられると約束されている。
さらに、この宇宙、世界も再臨によって新しい天と地となる。そこにいっさいの涙もなくなる完全な自由、解放がある。
私たちはこうした聖書全巻が一貫して告げている自由へのメッセージを信じ、さらなる歩みを続けさせていただきたい。


 


リストボタン神様からの呼びかけと愛 愛媛 三好久美子(幼児教育者)

 私がキリスト教を信じるようになったきっかけは、幼い頃からたくさんの心当たりありましたが、今、言えることは、「神様からの呼びかけと愛」をいただいているという実感があることが、
キリスト者として現在に至っている証しではないかと思うのです。
 私は、今、不思議に幼児教育者としての仕事をしていますが、私が望んで頑張って園長をしているのではありません。
できることなら、家庭にいてのんびり過ごしたいと思う人間です。私は五人姉妹の末っ子に生まれ、その当時、上三人の姉たちは幼稚園に通ったのに、下二人は幼稚園に通っていません。両親も家族が多いので、幼稚園に行かせなくてよいと思ったのかも知れません。
ですから、末っ子で甘やかされた上に集団生活をしていなかった為、小学校へ入ったばかりの頃は、不安で寂しかった辛い経験を思い出します。その上、まもなく一年生になってはしかにかかってしまいました。そのはしかがひどくてこじらせてしまい、心臓弁膜症という病気になり一ヶ月以上入院しましたが、「このまま入院していると薬の副作用で、もう娘は死ぬのではないか」と父が判断し家庭に連れ帰ってくれました。その時の記憶は今でも鮮明に残っていますが、こども心にみんなの心配している様子などから、「もうだめなのかな」と思いました。
しかし、人生は不思議なことばかりで、今思えば神様や家族の愛で守られ回復できたと思います。又、幼稚園生活未経験に加えて、一年生の学校生活はもちろん、二年生の一学期頃まで休んでいてよく留年しなくてすんだと思います。
こんな心も身体も弱い私が少しずつ元気になり現在まで生かされ、責任のある仕事を与えられるなど、自分はもちろん誰も予測できなかったと思います。
 大病をして以来、生きることの意味や、死ぬことの意味にいつも疑問を持つようになりました。この頃から、「教会に行ってみたいな」と思うようになりましたが、神様が無教会に導いて下さる為かどうかわかりませんが、高校卒業までキリスト教に出会う機会はありませんでした。
 やがて、大学受験では、全て不合格という経験をし、一年間両親の食料品販売のお店を手伝いながらどうするべきか悩んでいました。結局、一年間が過ぎこれではいけないと思い、高校三年の担任であった恩師の所へ相談に行きました。すると、恩師が、「あなたは幼稚園先生になったらどうですか?」と言って下さり、今まで将来の仕事として一度も考えたことがなかったのに、すぐに「そうします。」と返事をして恩師の勧めて下さったカトリックの短大に行き、聖書に初めて出会ったわけです。
その時は、キリスト教が全く理解できず、幼児教育の授業の楽しさを満喫していました。幼稚園での楽しさ知らない私でしたが、幼稚園で学ぶことが、こんなに楽しい授業と同じなのかと、大人になって知りました。今でも、神様を通してこの職業に就ける道筋を教えて下さった恩師に感謝で一杯です。 
やがて、カトリックの幼稚園で働いている時に現在のプロテスタントの幼稚園のバスの運転をしていた主人とお見合いをし、キリスト教を信じているというので、結婚を決めました。
それからは、二人が無教会信仰者になる為に神様から様々な試練を与えられ、信仰がなければ罪びとの頭であるような夫婦が神様からの慈愛によって、なんとか今日に至っています。
主人の両親が無教会信者であったこと、主人がクリスチャンになったこと、私も同じ信仰を与えられたこと、神様が私のような者に仕事を与えてくれていること、キリスト教を信じることにより、たくさんの試練があり日々祈らずにはいられないこと、など「神様からの呼びかけと愛」は数えきれません。
神様からの恵みである試練をいただいていると感じる度に、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント1013節)という聖句を思い出します。
そして、讃美歌511番「みゆるしあらずば」の歌詞を噛みしめて、神様のお導きと深いご計画に感謝して過ごしたいと思っています。
 これからも、神様のお導きに全てを委ね、日々犯してしまう罪を赦していただき、現在の仕事や信仰を全うできるよう、主イエス様との一対一の祈りによって、生かされたいと願う毎日です。



リストボタン神様がして下さったこと  徳島 熊井 勇(はり治療)

 今日は、ぼくに神様がしてくださったことをお話します。思い出せば出すほどたくさんの恵み、導きがあり、すべてをまとめてお話しするには、むつかしいので仕事を中心に神様がしてくださったことを述べたいと思います。
 初めてキリスト教と出会ったのは、盲学校に隣接している児童施設に入っているときです。この施設は、5歳くらいから20歳までの子供が当時120人ほど入っていました。中学生のころくらいだと思いますが、毎週日曜の午後に牧師さんか神父さんのどちらかはわかりませんが、お話をしに来てくれていました。そこに先輩に誘われて数回参加したことを覚えています。生まれつき弱視で、最高に見えていたときでも視力表の一番大きい文字を1m離れて見える程度の、0.04という弱い視力でしたが、生活に不自由も感じていなかったせいもあって、神様を求めることなく過ぎてしまいました。
 卒業して鍼(はり)の勉強会で出会った綱野悦子姉が、吉村兄を紹介してくださり、現在の信仰にいたっています。
 日本では、視覚障害者といえば、あんま・マッサージ・指圧・はり・灸というようにほとんどの人がこの職業についています。ぼくの後輩でもあり吉村さんの教え子である北田康広さんのように、ピアノと歌でコンサート活動をしている人もまれにいます。
 ぼくは、当然のように鍼灸の道にすすみました。この仕事しかないので仕方なくしているという人もいるようですが、考え方によっては、目の見える人たちは多くある職業から自分がすべき職業を選ぶ苦労がありますが、私たち視覚障害者は、その苦労をせずこの仕事を与えられていると思います。神様と出会ってこのように受け取ることができるようになりました。
 結婚をして許可を得て県営住宅で開業していましたが、生活と仕事を兼ねることになっていましたので間取りが不便だし、家賃も上がってきたため専用の治療室を持とうと思い土地を探すことにしました。近くの不動産屋に頼むと次々にさがしてくれました。しかし、これというものがありませんでした。家内と「必要であれば与えてください」と祈っていましたので、決めることができないまま日が過ぎていくうちに、自分の思いで選ぶのでなく、次に紹介してくれる物件は、神様から与えられたものとして決めようと思っていたところ、集会の姉妹が別の人を紹介してくれました。それでその人の紹介してくれたところに決めました。そこが現在住んでいるところです。ここは、子供のときの大半を過ごした盲学校の近くであり、幼稚園から高校まである静かで、しかも車に乗れないぼくたちにとって必要なバスや鉄道も近くにあり満足できる場所でした。本当に神様が与えてくださった土地だと思いました。加えて、数年前には、隣にスーパーもでき、南に隣接する高校の校舎がなくなり日当たりが良くなりました。
 ヨハネの福音書の「わたしは道であり、真理であり、命である。」という聖句から「一真堂」という名前にして、ここで鍼の治療院を開業をしました。新しい場所での開業ですから当然折込チラシを入れるところですが、引越しをして荷物を片付ける間もなく、前の場所に来てくれていた患者さんが次々と来てくれました。結局チラシを入れないまま現在に至っています。
 はり治療という仕事を与えてくださった神様は、もう一つ仕事を与えてくださいました。それは、盲学校の講師です。最初は、1日だけの講師を頼まれましたが、人前で話すような器でないと思い断りました。
それなのに、今度は、教えてくださった先生や先輩で教員になっている人を通じて、何度も1年の講師を頼まれました。1日を断ったのに1年もの長期間、これこそ受けるには荷が重いと断っていました。しかし、思えば神様が盲学校の近くの場所を与えてくださったということは、これも盲学校に行くようにということと受け止めて、それだけの器があるかどうかわからなかったけれど受けることにしました。それが1年のつもりがもう8年も行っています。
、この地で、開業して21年になります。この仕事は技術職ですので、ぼくの手先が器用ではありませんから、人を癒したり、楽にする力はありません。今日まで続けてこられたのは、神様の大きな助けをいただいているためだと思っています。また、学校の講師も続けておられるのも神様が招いていてくださると思いますので、機会があれば神様と結びつくような話をするようにしています。
 必要なものをいつも与えてくださり、思えば思うほど神様からの恵みや導きがたくさんあります。神様と出会っていなければ、今こうして歩んでいるぼくはなかったと思います。


 


リストボタンキリスト・イエスに結ばれた者は
大阪 那須佳子(小学校教員)


パウロがロマ書、また書簡文において、
「キリスト・イエスに結ばれて…キリストがあなたの内におられるならば…キリストの霊に従って歩む者は…」とくりかえし表現していますが、結局はこのことが、今回のテーマ「解き放たれた者…」ということだと思っています。
私は中学校時代の国語の恩師が無教会のクリスチャンで家庭集会に誘われ、信仰に導かれました。四、五人のささやかな集会でしたがいつも厳粛な雰囲気に包まれキリストの香りに満ちていました。礼拝の度ごとに繰り返し語られていたこと、どんな講話であっても最後は必ず語られていたこと、それは「イエスをもつこと、十字架のイエスを思うこと、生活の中で慕わしい人を思うようにイエスを慕っているか、実感しているか、大切なことを後回しにして、この世の用事を優先していないか、神とこの世の両方を追おうとしていないか、…余った残りの時間を神に・・となっていないか」。「私には何も良いものはない、すべていただいた義だ。」ということでした。いつもこの問いに聖霊を受け、厳粛で真摯な信仰を注がれていました。

水野源三さんの詩と讃美に、昨年秋から冬にかけて慰められていました。

「キリストの愛に触れてみよ」
キリストの愛の尊さは
触れなければ分からないから 
キリストの愛に触れてみよ
思い考えても 
キリストの愛のたしかさは
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
涙を流して感動しても
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ 
キリストの愛に触れてみよ 
キリストの愛に触れてみよ

水野さんにとって信仰は生きるか死ぬかのたたかいでした。大切なものを取り上げられて信仰なしでは生きていけないという切羽つまったもの、そこから得た救いでありこれしかないという聖なる信仰でした。私たちの信仰はどうでしょうか。これさえあれば他にはなにも要らないというほどに切実に求め思っているのか 身が引き締まるような気がします。少なくとも目標にしなければならないと思います。この世的には何の力ももたない水野さんに生きた水が流れ、聖霊が注がれ多くのものが励ましを受ける、ここに神の御業が顕れていると思います。
先の詩にあるようにどんなに考えても感動しても涙を流しても主の愛に触れなければわからない、この主の愛に触れたとき初めて憎しみや恨みや悲しみ不安が瞬時に消え去る、これが結ばれること、今回のテーマ、解き放たれた者の姿だと思います。
さて、私は小学校に勤めており、朝8時から遅いときは夜8時ごろまでどっぷりと人のうごめく世界につかっています。教育の場は尊い仕事だけれど人間中心の場、一日中子どもたちの賑わいと喧騒の中におり人の動きに右往左往し心動かされています。
そうした生活の中で祈りをもってしても良くない言葉を発したり、行動をとったり思いを持ったりします。ちょっと良いはたらきをすれば、高ぶりの心が生まれ、うまくいかないと喪失感や空しさまで感じることもあります。自分という人間が根強くあり自分で何とかしようという傲慢が深く心に巣くっています。
自分の罪にさいなまれてしまいます。そうした毎日必ず帰り道に寄るところがあります。バイクを停めて家の近くの川べりにたちしばらく祈ります。川の水の静かな流れの音、四季それぞれの野の花、草花が風に揺られ、高く広がった夕暮れの空を眺め…動かないものの世界に心を馳せます。暗くなれば夜空を見上げ、星々を見上げます。
ことに一月、二月、冬の身を切るような寒い夜空の星を見上げるときが好きです。こうした自然を創られた方に思いをはせるこの時間がなくてならぬ時です。
「イエス様すみません。今日もあなたをうらぎるような思いをもち行為をしてしまいました。ゆるしてください。こんなわたしのために罪をゆるしてくださったんですね。十字架にかかってくださったんですね。」と祈ります。見えるものに心を動かされていた中で、瞬時に、イエス様さえもてばそれでいいと立ち戻されます。
すべての不安は自分から出ていることに気づき、また明日はすべてをゆだねてみようと心が平安に満ちていく瞬間です。キリストに結ばれた実感、解き放たれた実感をもつ、このうえとない大切な時間です。
一方、子どもたちと接する時、教材を考えるとき、聖書はどう言っているのだろうか、イエスは何を語ろうとされているのだろうか、伝えようとしているのだろうかと、示されたいと祈ります。
この聖霊の注ぎがあったからこそ続けてこられたのだろうと思います。
さて、東日本の未曾有(みぞう)の大災害、今も尚苦しみの中にいる人々のことがいつも心の中にあります。多くのもの(家族、家、仕事、生活、大切な命、愛する人…)が一瞬にして失われてしまいました。そして尚続く原発の緊張感。
豊かな生活を追い続けてきた私たちの罪への罰を代わりに担ってくれたようにも思います。失われた多くの命がどうか天において引き上げられ神様のもとに抱かれますようにと祈る毎日です。このことを通して神様は何を知らされようとしたのか、示されようとしたのか。
神の御手がふりおろされた時は、私たちが大切にしていると思っているものは一瞬にして取り去られてしまうことがあるという事実です。目に見える大切だと思っているものは、一瞬にして消えてしまうものでもあること崩れ去るものでもあること、「砂上の楼閣」のようなものでもあるということです。このことは東日本の方たちだけのことではなく私たちのことなのです。

主は言われた。
「行け、この民に言うがよい よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聴くことなく その心で理解することなく 悔い改めていやされることのないために。」 
わたしは言った。「主よ、いつまでしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく家々には人影もなく大地が荒廃して崩れ去るときまで。」イザヤ書6の9~11

では私たちの本当の救い、平安はどこにあるのでしょうか。
この二、三年、ヘブライ書の学びをしてきましたが、いつも心を惹きつけてやまないみ言葉があります。
「信仰によってアブラハムは…受け継ぐことになる土地に出ていくようにと召し出され、行き先も知らずに出発した。」 へブル118
「信仰によってモーセは、はかない罪の楽しみにふけるよりも神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりを、エジプトの財宝よりまさる富と考えた。」1125
「信仰によって他の人たちは更にまさったよみがえりに達するために釈放を拒み、拷問にかけられた。…世は彼らにふさわしくなかったのです。」1133
 この彼らの信仰に魂がふるえるような感動を覚えます。私たちは知らないところ、いまだ踏み出す勇気のもてないところに行けと言われていけるでしょうか。すべてを捨てられるでしょうか。拷問にかけられても捨てない信仰をもちえているでしょうか。
私たちは何かを捨てなければならない、この世のことも信仰もどちらもよいものとして受けようとしている。必要な時だけ神様を中心に置いていないか、都合よくイエス様に祈っていないか、主イエスだけを仰ぎ見る生活、なかなかこのようにできない。
だからイエス様が神の子として現れ、人として生きられ、こともあろうに最も低いところに降りられ、十字架にかかってくださった。このイエス様をどれだけ実感できるか、生活の中で愛に触れることができるか…。「生きるとはキリスト」というパウロのことばを思い起こします。見返りを求めず、キリストに捧げつくして働いている方々がおられる、そうした証人を私たちは知っている。このような信仰を神様はみておられてかろうじて私たちに恵みをもたらせてくださっているように思うことがあります。
少なくとも今思うこと、大切にしたいと思っていることは、
1、 礼拝を守ること。2、毎日聖書を読むこと。3、祈ること。です。
今日のこの会場の真ん中にイエス様がおられる、そのように神様を中心にすえる生活となりますように、どのようなことがあっても神様は最善の道を用意されると信じていきたいと祈ります。


 

 


リストボタン放射性廃棄物の処理の困難

三月十一日の大震災の発生以来、大地震と津波による建物や道路の破壊を復旧することは、さまざまの困難に直面しつつも、道路は車が通行できるようになり、ガスや水道、電気なども回復し、仮設住宅も建てられる…といった状況にみられるように、確実に前進している。
 しかし、原発はこの事故が、人間生活のあらゆる方面において、いかなる破壊的影響をもたらし続けるのか、ますます深刻さが拡大しつつある。
 あれほど大きな地震が起こったからといってあとは小さな余震で終わるだろうとは言えない。
 2004年の12月26日に発生したスマトラ沖大地震のマグニチュードはM9・1~9・3であり、死者行方不明者は30万人を超えた。この大地震はそれだけで終わらず、3カ月後に、250キロほど離れたところで、マグニチュード8・7の巨大地震が発生していて、多くの死者を出した。さらに、3年ほどのちにもその地域でマグニチュード8・4の大地震が生じている。
 このように、今回の東日本大地震の後も数年は大地震がその付近で発生する可能性があるから、福島原発がさらなる破壊を受ける可能性が残っているのである。
 もし、今後大きな地震が発生して、現在部分的に破損している圧力容器や格納容器、関連機器など、原発のさらなる破壊によって、注ぎ続けている水が大量に漏れることによって冷却ができなくなり、数千度という高温となり、さらなる水素爆発あるいは水蒸気爆発などが起こると、福島原発一帯が濃厚な放射能で汚染される。
 そのような爆発が生じなくとも、地震による原発のさらなる破損によって大量の高濃度の放射能が外部に放出されることになると、作業員も近づけなくなる。もはや何らかの対策を実行することもできず、4基もの原発が制御できなくなって、世界でいかなる国も経験したことのない状況が生じる可能性がある。
 そして大量に大気中に放出された放射性物質は、台風などの強い風雨、その風向きによっては、数千万人が生活する、関東一帯が放射能汚染され、水も飲めなくなり、生活に重大な困難をもたらす可能性をはらんでいる。
 東京、関東一帯に放射能が降り注いだら、数千万人はどうなるのか。日本全体が、かつてない困難な事態となるだろう。
 現在は、全力をあげてメルトダウンしてしまった核燃料を冷却することを続けているし、そのような破局的な事態を生む大地震が生じる可能性は少ないと言えようが、大地震が生じないという保証もない。万一の場合には、このようなかつていかなる国も経験したことのない事態が生じる可能性をはらんでいるのであり、そもそもそのような恐るべき事態をはらむ施設、しかも、解決方法もないのに、何十万年も放射能を出し続ける危険物質を生み出すものを造り続けるということ自体、根本的に誤っているのである。
他のさまざまの事故や災害は―あの太平洋戦争末期の空襲による荒廃のように、いかにひどい破壊状態であっても、確実に少しずつ復興されていくが、原発はきわめて復興が難しい。土壌や水が降り注ぐ放射能によって汚染されたら、いくつもの府県にわたって何十年、いやそれ以上にわたって住めなくなるからである。
 じっさい、チェルノブイリ原発の事故から25年がすぎたが、その地帯一帯は30キロ四方が居住禁止となっている。事故のあった原発そのものを撤去することもできず、その燃料体に近づくと、死んでしまうほどの強い放射能を持った状態である。その原発を覆う巨大なコンクリートもたくさんの穴があいて、そこから放射能は漏れだしているし、それら全体を再度覆うさらに巨大なコンクリートで覆う必要が生じている。
 緑豊かな田園地帯、新緑のしたたるような自然ゆたかな山々のひろがり、そうしたうるわしい大自然は、放射能が降り注ぐことによって一転して、恐ろしい放射能を含んで農業のできない田畑となり、山野、また森となり、樹木草木の一つ一つの葉も放射能が付着し、あるいは根から放射性物質を吸収して放射能を持つようになり、森は放射能のあふれる森となり、野草たちも放射能に満ちた物質と化してしまう。また清い川の流れも汚染され、地下水も汚染され、飲料水も使えなくなっていく。
 上空からの写真では、広大な福島の大地のわずか一点のような原子力発電所、それがひとたびこのように爆発して、放射能の管理ができなくなるとき、途方もない領域を危険と不安に満ちた大地とし、そこの生活を次々と破壊していく。その悲劇的事態はとどまるところがない。
 しかも、原発から出る膨大な放射能を含む廃棄物は、処理の方法がない。何らかの方法で放射性物質を吸着したとしても、その吸着したものから放射能をなくすることはできず、また、捨てることもできず、新たな濃厚な放射能をもった物質が生み出されることにもなっていく。
 何らかの処理をすれば、それで事が済むのでなく、何十年、何百年どころか、何十万年にわたってあらたな問題が次々と果てし無く生じていくのが原発の事故の深刻な事態なのである。
 こんな恐ろしい可能性を持っている原子力発電という仕組みを、このような大事故が起こったにもかかわらず、なおも、推進しようとか、数年先になって浜岡原発も再稼働しようと考えている人たちが相当いる。
 ほかのいかなる科学技術の産物も、この原発の燃料や廃棄物ほど困難な問題はほかにない。
 このような反人間的な施設をこれからも継続、増設などを唱える学者、政治家、一般の人たちが多くいる。そういう人たちは、福島原発の近くに住んで、農地や農業を奪われ、家族関係を破壊され、また自分の家にもいられず、不便とプライバシーのない、かつ、子供や孫が数十年先にガンになることをおびえつつ、いつまで続くか全く分からない避難生活の場所で生活してみたらいいのである。
 放射能は人間の力では消すことができない。消す方法がないのに造ってしまったのである。目に見えない放射能が何十万年と続く。そしてさまざまなものを壊していく。清い大地の中にも地下水にも、空気の中にも、放射能は入っていく。そして、放射能の被害はガンの発生など、何十年も後になっても現れる。このように、原発の大事故となると、水、農地、山野、人間の体など、至る所が放射能のために汚染されていくから復興は著しく困難となる。
チェルノブイリ原発の事故ののち、1週間後の1986年5月までに、30km以内に居住する全ての人間(約11万6000人)が移転させられた。さらに、原発から半径350km以内でも、放射性物質により高濃度に汚染されたホットスポットと呼ばれる地域においては、農業の無期限での停止措置および住民の移転を推進する措置が取られ、結果として更に数十万人がホットスポット外に移転した。(ただし、避難指示に従わないで、そこに住み続ける人たちが、30キロ圏内に200人以上いるとのことである。)
 現在も30キロ以内は居住禁止区域となっている。写真週刊誌の記者がじっさいにチェルノブイリ原発に行って、測定したところ、事故のあった原発に3キロという所まで近づいて、草むらの放射性量を測定すると、東京の平常値の数百倍、また別の場所では、爆発した原子炉関係の破片などが飛び去り、それが草むらに残って、通常値の5000倍もの放射能が測定された。
 そして、爆発した原子炉に残されている、溶けだした燃料が固まった状態のものは、近づくと即死するほどの放射線が、25年経った今も放出されているという。(FOCUS 4月20日号他による)
現在は、原子炉を冷やすということが中心に毎日のようにニュースでも報道されている。冷やさなければ数千度にもなって、水素爆発など何らかの爆発が生じる可能性が高まる。 そして、さまざまの周辺の物質を溶かし、膨大な放射能を出し続ける。そして、原子炉の建物以外に、土や地下水、大気、海、などさまざまのものが放射能で汚染され続けていく。
しかし、他方では、放射能で汚染された物質が絶えず増え続けていくことはどうすることもできない。
福島第一原発で放射能で汚染されたがれきや土砂を処理するのに、70兆円から80兆円、場合によっては100兆円前後もかかるのではないかという結果が出たという。
高濃度に汚染された土砂は1トンにつき1億3500万円もかかり、現在も高い濃度に汚染された水は、増大し続けている。すでに10万トン近い汚染水が福島第一原発内にある。この汚染水を処理するためには、1トンで1億円と言われている。
このような調子であるが、そもそも今後どれだけ汚染された土砂、山林、田畑、原発内で毎日生じている高濃度に汚染された水、また海の汚染…が増大していくか誰にもわからない。
だから、こうした放射性物質の処理にどれだけの費用と年月がかかるのかも、本当のところは誰にもわからない。
現在、増え続けている福島第一原発関係の汚染された水や物質だけでない。今回の事故以前から、放射性廃棄物を処理するとして青森県六ヶ所村に作られた施設がある。それは、全国の原発から送られてくる高濃度に汚染されたおびただしい放射性廃棄物からプルトニウムを分離して再度使うという目的のためであった。しかし、そのプルトニウムを使うはずの高速増殖炉の原型炉もんじゅは、故障して使えなくなっている。
もんじゅは、1968年に 高速増殖炉の実験炉「常陽」の後継として、原型炉の予備設計開始されてから、もう43年にもなるにもかかわらず、まだ全く使える状態にない。燃料には使用済み核燃料にふくまれるプルトニウムと燃え残りのウランからつくられた混合酸化物燃料(MOX燃料)が利用される。
1995年に最初の発電が行われたが、わずか3カ月あまりのちに、きわめて危険なナトリウムが噴出して火災を起こすという重大事故が発生した。それ以来、16年ほども何の発電もできず、それにもかかわらず、修理と維持管理費としてこの長い年月の間、平均すれば、毎日5500万円という巨額を使ってきた。そしてようやく再度発電を始めたが4カ月も経たないうちに、原子炉容器内に重さ3.3トンの機器が落ちてしまい、その回収も不可能と判明し、ふたたび長期の運転休止となっている。その落下した機器を出すには、大がかりな工事が必要となり、そのためにまた巨額が必要とされることになった。
その他いろいろの理由のため、高速増殖炉を使って、燃えないウラン238を使ってプルトニウムを生み出し、それを使って発電するというこの計画はすでに破綻している。
青森県六ヶ所村にある再処理工場もうまく稼働しないために、現在は、容量が3000トン放射性廃棄物を貯蔵できるが、すでに、2800トンも廃棄物がたまった状態にあり、各地の原発もそのために、放射性廃棄物を捨てるところがないために、それぞれの原発内に置いている。それはもう置くことのできる容量の66%にも達しているという。
膨大な放射性廃棄物が刻々と各地の原発でたまりつつある。しかし、それをどこにも持っていくところがない、捨てるところもない。放射能をなくすることもできない。そのような行き場のない、高濃度の放射性物質がこのままたまっていったらどうなるのか、誰もその本当の答えを知らないまま、進行中なのである。
このような、無責任なこと、必ず大量に生じる放射性廃棄物の処理すらできないのに、大量に原発を造り続けてきたのである。
そしてその多量の廃棄物は、ずっと冷却を続けなければ高熱となり、周囲のものを溶かしつつ、放射能を出し続けていくから、ずっと冷却が必要である。これらの膨大な廃棄物の容器や水で冷やすという仕組みが大地震などによって破壊されるとき、それらは原発の事故と同じような大問題となる。
さらに、現場で働く作業員が受ける大量の放射能の問題がある。表面に現れないが、肝心の原子炉の復旧にかかわっているのは、放射能を大量に浴びつつ作業している作業員の被曝がいちじるしく増大しつつあり、それらの人たちは現場から退かねばならない。とくに経験のある人ほど、許容線量を超えていくから現場から離れざるを得ない。残った人たちは作業に詳しくないことが多いであろう。
強い放射能のために、10分とか20分とかわずかの時間しか作業に使えず、別の人に作業をバトンタッチすることになる。原発のことがよく分かっていない人も作業員として集めているという。
この現場の作業員が年間の許容線量を次々とオーバーしていくから、それらの人たちは現場から離れることになる。
作業員の不足こそ、今後の原発処理の大きな問題点として浮かびあがってきた。作業員がいなかったら、どんなに専門家が指図しようとも現実には作業ができなくなる。
そして、作業員は各地の原発からも集めてきたが、福島原発で放射線を規定以上浴びた者は、その年はもはや自分のもといた原発に帰っても働くことができない。というわけで、経験ある作業員を次々と福島に連れてきて働かせるということにも大きな限界がある。それで、日本全国から、ときには一般の建築作業だと欺いて現場に連れてくるといったことまで発覚している。
このように、だれも予想もしなかった事態が次々と生じていくのが、この原発問題なのである。チェルノブイリよりはるかに深刻なのは、日本では世界にほかに例のない、地震の多発地帯であるうえに、数千万という人口が密集している日本の心臓部といえる東京を中心とする大都会が200キロ余りの近くにあるということである。
こうした最悪の場合には、日本全体が破局的事態となる、ということは意識的に隠してきた。日本では、過去何十年という間にわたって、原発の避難訓練はわずか3キロ~10キロの範囲でしかやったことがなかった。それは、もし30キロの範囲で避難訓練するとしたら、そんなに広範囲の大事故が起こるのかという疑問が住民のあいだに生じて、絶対安全といった主張は間違っているのではないかと疑いを生じさせるからだった。
自分たちの権益を守るために、電力会社、国、科学者、行政、教育、そしてごく一部の例外を除いて裁判所に至るまで、何もかもが、真実を覆い隠して、ひたすら安全と唱えてきたのである。
それゆえに、私たちは最悪の場合、いかなる事態が生じうるのかを、いつも確認し、それだからこそ、原発を継続することは決してしてはならない、という強い主張をしなければならないのである。


 


リストボタン編集だより

○今月号には、5月に開催された、高知での四国集会における、キリスト者としての証言を掲載しました。これらの証しによって主が一人の人間を導いてこられたあとを感謝をもって振り返り、さらに私たちすべてをも今後とも導いてくださるようにと願い、祈ります。
○東北と関東の一部の方々が被災された大震災の復旧も、その道のりは険しい状態であることが、日々知らされています。とりわけ複雑かつ、困難にしているのは、世界の長い歴史上でも初めてという、四基もの原発が制御できなくなり、おびただしい量の放射線廃棄物が放出され続けている事実です。
私たちは、こうした現状についてできるだけ正確な事実を知るとともに―知らなかったからこそ、日本国民の圧倒的多数が原発は絶対安全だという嘘を信じてきたのです―それらの心を暗くする現実に打ち負かされないような新たな力を日々与えられていきたいと願っています。

 


リストボタン来信より

・各2011年5月号届きました。
ありがとうございました。原発の問題点がより具体的に掲載されていて、先月にもまして説得力があると思いました。
 原発は現代のバベルの塔です。この世において人間が実行して良いこととしてはならないことがあるのです。
核分裂反応は神様の御心には受け入れられないことを素直に認め反省すべきと思います。
 東電副社長、自民党国会議員、自民党支持ご用学者、NHKご用解説者達が今回の事故は想定外の事実と言い続けてきました。
 しかし、この”想定外”とは全くの虚偽のだましの言い訳です。
その証拠に、327日の毎日新聞の第一面トップ記事に、「東京電力は2009年に経産省から大災害予知とその対策実施勧告を受けていたのに、具体的証拠が無いという理由でこの勧告を無視していた。」という大スクープが掲載されていました。”想定外”などではなく全くの人災です。
今回、福島原発の故障は津波では無くて地震被害であったという重大知見に併せて、対策事前勧告も成されていたのです。…(九州の方)

・先日、先生が同封してくださいました「原発関連の録音、録画集」を聞いて夫も私もとてもショックを受けました。「いのちの水」誌でもずっと取り上げていただいておりますので、福島在住ということもあり、3月11日以降、私達の食卓の話題はいつも「原発関連」です。
実は私も岩波書店発行の「世界」5月号は発売と同時にすぐ買って読んでいました。出版社と寄稿している方達が信用、信頼出来るからです。(若い頃もずっと定期購読していたのですが、ここ何年も読んでいませんでした。)
その他、文庫版で「いのちと放射能」(柳澤桂子著)、 「朽ちていった命 ー被曝治療83日間の記録-」(NHK 東海村臨界事故取材班)など、読むのに勇気のいるものばかりです。しかし目をそらさず「知らなかった」ではなく現実に何が起こっているのか、何故こんなに狭い国にもかかわらず「原発」だらけで、こんなに恐ろしいものを作ってしまったのか、個人レベルでも考える必要を痛感しています。
現在、創世記と並行してヨハネ福音書CD(*)を(このところ、ヨハネ福音に集中)拝聴させていただいているのですが、本当に「こころ揺さぶられる」想いで聖書の権威をしみじみ感じております。神様から信仰をいただけたことが今更ながら何にも代え難い宝と確信致しております。
*)徳島聖書キリスト集会発行のMP3版のヨハネ福音書の聖書講話CD。

 


リストボタンお知らせ

・今月の移動夕拝は、6月28日(火)午後7時30分から、熊井宅です。インターネットのスカイプでの参加も可能です。申込は、熊井 勇(kyrie@mb.pikara.ne.jp)電話0886-53-3980

・2008年の秋に毎日放送で放映された、京都大学原子炉実験所のドキュメンタリー映画は、いろいろな圧迫に抗して一貫して原子力の危険性を告げ続けた科学者たちの歩みの一部を記した貴重な映像です。希望者はDVDでお送りできます。1枚百円送料も百円。複数枚も可。申込は左記の吉村まで。

・第11回 近畿地区無教会 キリスト教集会 2011年7月30日(土)午後1時~31日(日)午後1時。主題「キリストの言葉」場所 京都市西京区大枝北沓掛町 ふれあいの里保養センター。
講師 島崎暉久、吉村孝雄 申込先 大阪狭山市東池尻 宮田咲子 saiwai1950@yahoo.co.jp 電話 072-367-1624