渇く者は来たれ、望む者は、値なくして生命の水を受けよ。

  (黙示録2217



20137629号 内容・もくじ

リストボタン天への大路

リストボタン神の恵みによって
リストボタン求めよ、そうすれば与えられる(その2)―新約聖書 3 リストボタン聖書における啓示と古代神話の違いについて―
リストボタン途失明者の証言 鈴木益美、(キリスト教四国集会) リストボタン中途失明者の証言綱野悦子(キリスト教四国集会)

リストボタンお知らせ

 


リストボタン天への大路  

 

 この世の道は至るところにある。高速道路もあれば、田舎の小道、また市街地の混雑する道路、そして自然豊かな小鳥も賛美をかなでる山道もある。他方、危険な毒蛇や有害な生物のいる道もある。流れのほとりのせせらぎとともにある道もある。

 こうした目に見える道は、また目に見えないさまざまの道―霊的な道をも象徴している。

 そうした道のなかで、大通り―英語では、highway*)―、まっすぐに目的地に向って通じている道のことが聖書に記されている。 

*highway という英語は、国道や市街地の大通りなど、一般の幹線道路、主要道路を言う。日本の高速道路は、expressway, throughway,freewayなどという。  

 そこに大路が敷かれる。

その道は聖なる道と呼ばれ…

           (イザヤ書358

And a highway will be there;

it will be called the Way of Holiness.

 

 これは、捕囚の民が、神殿のあるイスラエルに帰ってくることができるという歴史的な状況を述べつつ、あらゆる時代の苦しみにある人たち、社会的状況によって困難な状況に置かれている人たちが、最終的には信仰によってどのような状況へと導かれるのか、という大いなる預言となっている。

 どこにも聖なる道などないと思われる混乱した世にあっても、神から光が射してきて啓示が与えられる。神の啓示は、現状の闇があることとは関係なく与えられるからである。

  このような道が示されることと、砂漠的状況のただなかに水が流れ、どこにも植物など生えることのできない状況にあってもそこに花が咲く。

 このような道が備えられるということは、次の箇所でも再び告げられている。

 

…呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。(イザヤ書4034

 

 道のないところ、荒れ野に道を備えよ、この言葉もまた、当時の時代的な状況を越えて、あらゆる時代にあてはまる内容を含んでいる。

 いつの時代にも、うるおいはなく、精神の荒野は広がっているからである。日本だけ見ても現代の政治や社会的状況は、原発問題や憲法9条を変えて、国防軍を持ち、他国へも攻撃できる軍としようとしている。国民の老齢化、精神的なバックボーンの欠如から来る人間世界の荒廃は、今後もいっそう深まる可能性が大きい。

 そのような状況を見るとき、どこに道があるのかと懐疑的になる。周囲の人間の考えやマスコミ、インターネット等々をみるだけでは、そのような道はますますその存在を疑うようにこそなれ、確信などは生まれようがない。

 しかし、神ははるかな古代から、そうした混乱と闇のただなかに、神からの啓示としてそこから大いなる道が天に向って通じていることを記している。

 それは、創世記にも兄から殺されそうになって一人荒野を逃げていくヤコブの前に、天に通じる階段が示された。そしてヤコブはその啓示を見て、ここは聖なる場所だと悟った。

 このように、たとえ憎しみを受けているようなくらい状況であっても、神が目を開かれるときには、まさにその場から天へ通じる道があるのが見えるのである。

 そして現代の私たちにとって、聖書はまさに過去数千年にわたって、天への階段であり、御国へと通じる大いなる道であり続けてきたのである。

 


 リストボタン神の恵みによって

 

 私たちは何かをしている、働いている。そのとき、自分の努力の結果だとか、自分の能力のゆえだ、と秘かに誇ることもある。あるいは両親や友人たち、協力者のおかげだ、ということもあり、ときにはご先祖様のおかげだなどと言う人たちもいる。それらに共通しているのは、みな、人間の力によってできたのだという思いである。

 しかし、聖書の世界においては、人間は自分の力では、何一つ(本当に良いことは)できない、とさえ言われている。

 

…私の内にとどまれ。私から離れては、あなた方は何もできないからである。(ヨハネ福音書15の5)

 

 このような言葉は、あまりにも極端だと一般的には受け取られるかも知れない。いくらでもキリストに無関係の人でも立派にやっている人はいるではないか…と。

 しかし、神の前に本当に清いこと、愛あることは人間の自然のままの心では何一つできないと言われたのである。これは私たちが心静めて自分の心や行いを見つめてみるとき、このイエスの言葉の真実性がだんだん感じられてくる。

 パウロも、福音のために命がけで各地で働いてきた。しかし、「働いたのは、私ではなく、私とともにある神の恵みである」(Ⅰコリント1510)と言っている。

 いろいろな活動の表面だけをみれば、パウロという人が特別に働いたと見える。しかし、そのパウロを動かし、導き、支え、力を与えていたのは、神であり、主イエスであった。彼自身の力とこの世の学問や経験の力では、キリストを知ることもできず、かえって迫害するだけであった。

 神の恵み―深い罪をも赦され、そこに新たな命と愛を注いでくださる恵みこそは、いっさいのものをなさしめる力である。その恵みの根源にあるものとは聖霊である。

 その聖霊が、死ぬはずのからだをも生かし、神のわざをなさしめたのであった。(ローマ8の11

 また、神を愛し信じるものには、万事がともに働いてよきとなる。(同左8の28

 それをなすのも聖霊である。パウロも罪深いものだったが、その罪をも用いて神は、よきへと導いた。み子とともにすべてのものを私たちにくださる。(同8の32

 パウロもそのように、あらゆる良きものを主イエスから受けた。それゆえに、いかに困難が多くとも、働くことができた。

 神の恵みが与えられてなかったら、何をもって働くか。それは自分の力や意志である。  神などいないと思っているなら、魂には、神の恵みも与えられていても気付かず、自分の力でやっていると思うであろう。

 したがって、パウロが述べているように神の恵みによって働いたという意識も生まれない。自分の力や意志、努力でできたのだと思う。しかし、人間の力は実にもろく必ず弱り、できなくなる時が来る。

 私たちの毎日のいろいろな働きは、自分がやっているのでなく、神の恵みによってなすことができていると受け取り、日々のさまざまの出来事も、神がなさっている、と神のはたらきを常に思うこと、そのような心こそ、山上の教えに言われている「心貧しき者」であり、そこに神の国が与えられる。

 自分にとって苦しいことであっても、そこにも神の目的があってそのようなことが起こっているのだと受け取ること、そのように神の御手をいつも見ようとする姿勢が祝福される。

 パウロはフィリピ書において、「各自の救いの達成に努めよ」と述べたが、それは、そのための力は、内にはたらく神からいただけると述べている。救いの達成という良き志を起こすことも神であり、またそのことを行なわせるのもまた神だから、救いの達成に努めるということは、神との共同のはたらきになるというのである。

 

…神はあなた方の内に働いておられる。そして、あなた方に神のご意志にかなったことを求め、それをなす力を与えてくださる。(フィリピ書2の13

 

 God is working in you, giving you the desire and the power to do what pleases him.

 

 パウロは、常に自分の内には、神の力が働いているのを知っていたし、それと同じ力が信徒たちの心にも働いており、集会にも働いているのを実感していた。それは、自分の内にもキリストが住んでいたのを感じていたし、信徒たちの心にも住んでいたし、集会にも主が住んでおられることを実感していたのと同様である。

 しかし、信徒たちは、そのことに気づかないでいる者が多くいた。それゆえに、パウロは、「あなた方の内にキリストが住んでいるのを知らないのか…」と霊的な目覚めを願って書いている。(Ⅰコリント316

 一般の人々は、身近な植物の一つ一つの葉や風や雲、太陽の光に神の力を感じていないように、自分の内なるキリストにも、心の目を向けてない人が多く、まだ実感をもっていない人たちが多かった。

 私たちが意識してそのように植物や周囲の自然をみないと神の力は感じない、それと同様に私たちの内に住むキリストや私たちの一人一人の内に、そして集会に働いている神の力も同様に意識してそのようにみなければ分からないままになる。

 私たちの内に、そして信じる人たちの集りに、さらに周囲の社会にも、そして日々私たちのちかくにてその姿を示す空や風、雲、星などのたたずまい、山野の野草の花々等々、これらはみな神の恵みのゆえだと信じて受け取ることができる。

 さらには、苦難や苦しいことさえも、そのように受け止めていくことも、やはり主の恵みによって可能となる。

 


 リストボタン 求めよ、そうすれば与えら_れる(その2)

        ―新約聖書から―

 前月号で述べたように、旧約聖書においては、求めない先から、一方的に与えられている例が多く記されている。

 例えば、アブラハムはカナンの地に行きたいとか、いま住んでいる生活から離れたいなどと求め、願ったのではなかった。

 神から一方的にアブラハムが選ばれ、彼に言葉がかけられたのである。そしてアブラハムはその言葉に従ったとき、カルデアという現在のイラク地方からはるかに遠いカナン(現代のパレスチナ地方)への旅も守られ、数々の困難はあったが、それも神の一方的な助けによって導かれ、さらに子供が生まれることすらもあきらめていたときに、これも神から一方的に子供が授けられること、そしてさらにその子供から天の星のように子孫が増え広がるという約束が一方的に与えられたのである。

 こうした祝福もまたアブラハムが求めたから与えられとは記されていない。神のほうから時至ってそうした祝福を知らせたのである。

 そのようななかで、旧約聖書において「求めるならば与えられる」という真理が最も明確なかたちで表現されているのが詩篇である。

 詩篇の冒頭からして、み言葉を昼も夜も黙想しているものは、流れのほとりの木のように、葉はしおれず、たえず実を結ぶと記されている。それは、昼も夜も、み言葉の真理とそこに込められた神のご意志を自分の心と一つにしようと求める続けることである。

 そのような信実な求めには、神が応えられて、その人の魂に霊的な実り―心の清いこと、愛や喜び、平和、希望等々が与えられるということである。

 このように見てくれば明らかであるが、詩篇こそは、旧約聖書のなかで特に、求めよ、そうすれば与えられるという真理が個人の魂の生きるか死ぬかという深い経験を通して、一貫して述べられている。

 旧約聖書のイザヤ書には、最も明瞭なかたちで、救い主、メシアが現れるということが預言されている。しかし、それも、人々がそのようなメシアを求め続けたからとは言われていない。逆に多くの人々が求め続けたのは、物質的利益や快楽であり、それらを求めても、とがめられることもない偶像を求め続けた。

 人々は、神の言葉でなく、神に従えば祝福があるという神の言葉に背を向け続けた。その結果、北のイスラエルは滅び、南のユダ王国も滅んで、多くの民は遠くバビロンへと捕囚として連れ去られ、国も民も滅びてしまうところまで落ち込んでいったのだった。

 そのような状況において、イザヤは、はるか後にメシアが現れることを神からの直接の啓示として受けた。そしてじっさいにその啓示と不思議なほど一致して人々の罪をになって死なれるイエスが現れたのである。

 このように一方的にさまざまの恵みが与えられるということが、旧約聖書には多く記されているのに対して、新約聖書においては、人々の真剣な求めによって与えられる、ということが記されている。

 主イエスは、「求め続けよ(*)、そうすれば与えられる」と言われた。

 イエスがたとえで用いられた話がある。夜中に旅の途中の人が来たが、食べさせるパンがない。それで友人のところに行ってそのことを説明してパンを貸してもらおうと思ったが、その友人は、夜遅いからもうだめだ、と断った。しかし、パンを求めてきた人は、あきらめず、求め続けた。単に友人だからといっては与えられない。あきらめることなく求め続けたから与えられたのだ、と言われた。(ルカ福音書118

 そして、このたとえに続いて、「求め続けよ、そうすれば与えられる。探し続けよ、そうすれば見つかる。…」と言われているのである。

 

*)原文は、一回だけ求めよ、というのでなく、求め続ける意味をも含んだ現在時制が使われている。すなわち、「求め続けよ、探し続けよ、たたき続けよ」という意味を持っている。それゆえ、一部の英語訳聖書では次のように継続を表す表現で訳されている。

Keep on asking, and you will receive what you ask for. Keep on seeking, and you will find. Keep on knocking, and the door will be opened to you. (NLT)

Keep asking, and it will be given to you; keep seeking, and you will find; keep knocking, and the door will be opened to you (CJB)

Ask,and keep on asking,and it shall be given to you The Amplified New Testament

 

 こうした切実に求め続ける心に対してイエスはじっさいに応えられた。

 

…二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。

 群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。

 イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。(マタイ202934

 

 このように、群衆が叱って黙らせようとしてもなお、叫び続けた。イエスに向って求め続けたのである。もし、多くのまわりの人々が黙らせようとしたのでそのまま黙ってしまったらイエスはそのまま過ぎ去ってしまったであろう。

 このように、人間の側でも求め続けるということの重要性が言われている。

 このことは、次の復活のキリストと弟子たちとの出会いの記述にも見られる。

 

…イエスは、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。

二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ24章より)

 

 もし弟子たちが、過ぎ去ろうとしているイエスを無理にでも引き止めなかったら弟子たちは、復活のイエスとは気づかないままであった。エマオという村への途中で復活の主イエスが現れたのは、イエスが復活したということを直接に知らせることが目的であった。

 しかし、そのきわめて重要な体験は、弟子たちがイエスを引き止め続け、イエスがともにいて下さるようにと求め続けたから与えられた。

 もし、イエスが先に行くと言っているので、そうですか。と言ってそのまま彼等の言うとおりにしていたら、この大いなる恵みは与えられなかった。

 弟子たちのこの求め続ける気持ちは、この箇所を題材とした讃美歌によく表されている。(讃美歌21-218、新聖歌336、讃美歌39)ここではその1節を原詩の直訳と原文、そして讃美歌21の訳詩とともに引用する。

 

私と共にいてください 夕暮れは、はや迫っています

闇は深まっています。 主よ、私と共にいてください

他の助け手が失われ、 慰めが失せるとき

助けなき者の助け手よ、 私と共にいてください。

 

Abide with me; fast falls the eventide;

The darkness deepens,Lord,with me abide: 

When other helpers fail,And comforts flee,

Help of the helpless, o abide with me.

 

日暮れて やみはせまり

わがゆくて なお遠し

助けなき身の頼る

主よ ともに宿りませ(讃美歌21-218

 このように、元の英語讃美歌の歌詞では、「私とともにいて下さい 」(abide with me)という言葉が3回も繰り返し用いられていて、切実な祈り、願いが表現されている。 日本語の讃美歌となるとメロディーに合わせるために原詩の内容は大きく削られて、「私とともにいて下さい」という願いも1度だけとなっていて、この強い祈りの心がうすれてしまっている。

 現代の私たちとこのことは無関係であろうか。決してそうではない。復活の主に出会うという最も重要な経験―それは一回与えられたらそれでよいというものではない。できることならば、日々復活のキリストに出会って歩んでいきたいと願うものである。

 そのとき、私たちは祈りの継続ということが重要なのである。復活された主、聖なる霊としてのキリストが共にいてくださるためには、絶えることなく求め続けること―言い換えると祈りを続けることの重要性となる。

 そしてこのことこそ、使徒パウロが、「絶えず祈れ」と教えたことの意味なのである。

 このように、まず求め続けるという心の姿勢、それが信仰の歩みにおいて不可欠なものとなる。

 自分は必要なものを持っているという気持ち―そこには神に切実に求めるということは生じない。自分には最も大切なものがない、と深く知らされた魂こそ、真剣に求め続けていく。

この求める心の重要性は、また広く知られているイエスのぶどうの木のたとえにも見ることができる。

 

…私の内にとどまっていなさい。そうすれば私もあなた方の内にとどまっている。…私の愛のうちにとどまっていなさい。(ヨハネ15の4、9)(*

 

*)新共同訳では、「私につながっていなさい」と訳されているが、原語のギリシャ語メノーは、直線的なニュアンスを持つ、つながる、という意味でなく、~の内にとどまる、というのが原意であり、英語訳聖書でもその意味の訳語―すなわち abide in あるいは remain in が用いられている。以下に例をあげる。なお新改訳は、「とどまる」という訳語を採用している。

・平安を祈り、受けいれた人のところでとどまれ。(マタイ1011

・私は悲しみのあまり死ぬほどだ。ここにとどまって目を覚ましておれ。(マタイ2638

 これは、やはりまず人間の側から、イエスの内にとどまることを願い続け、求めていかねばならないと言われているのである。うっかりすると、私たちは人間的な考え、軽薄な事物のなかにとどまってしまう。静まってつねにそこから脱し、主のうちにとどまることを願い求めていくことが問われている。そうした姿勢があるなら、イエスご自身が私たちの魂の内にとどまってくださると約束されている。

 こうしたすべて、それが、「心の貧しき者は、幸いだ」と言われたことにつながる。心貧しきゆえに―自分は神の前には、何も持っていない無力なものであり、罪深いものだと実感するときに、神からの助けと恵みを、そして力を求め続ける。そうすれば、そこに天の国が与えられるという。

 ああ、幸いだ。心貧しき者は! なぜなら、そのような者は絶えず求め続けるからであり、そこに神は応えて天の国という最もよきものを与える。それゆえに、この上もなく幸いなこと、祝福されたことなのである。

 それに続いて、ああ幸いだ!悲しむ者は。なぜならその人たちは、神によって慰められ、励まされるからだ、と言われている。ここで用いられている、「悲しむ」という原語(*)は、愛する者の死からくる悲しみ、といった深い悲しみに関して用いられることが多い。

 

*)ペンセオー pentheo このギリシャ語は、旧約聖書においてもそのギリシャ語訳では、アブラハムがその妻サラが死んだときの悲しみを表すのに用いられ(創世記232)、またヤコブがその子ヨセフが野獣に食われて死んだと知らされて深く悲しんだときにもこの語が使われている。それゆえに、英訳においても、死に関する悲しみを表す mourn が用いられている。

 

 愛する者が死んでしまった悲しみ―それは取り返しのつかない悲しみである。また、自分の過失や罪ゆえに他者に大きな苦しみを与えたり、その一生を狂わせたといったようなことがあれば、それもまた回復できないような事態を招いたということゆえに、深い悲しみとなる。

 そのような悲しみは、お金や人間的な気晴らし、人の慰めなどどのようなことによっても、いやされない。それは、ただ復活させることのできる神、そしてどんな重い罪をも赦してくださる愛の神だけが、いやすことができる。それゆえに、神の愛を知っている者は、ただ神に求める。その深い孤独な悲しみをいやし、それに打ち倒されないための力を求め続ける。悲しみは深くなるほどその人は孤独になる。だれもこの悲しみを知ってくれる人はいないと感じるからである。

 愛するものの喪失、あるいは取り返しのつかないような罪や失敗のゆえの悲しみはまた大きな空白感を伴う。

 それゆえにその空白を満たしてくれるものを求めてやまない。 その絶えることなき求めと祈りに、神は応えてくださり、励ましと慰め、そして力を与えてくださる。悲しむ者は幸いだ。なぜなら、神の国はその人たちのもの―神の力はその人たちに与えられるからである。 神の国は言葉でなく、力である。             (Ⅰコリント4の20

 使徒パウロも、ギリシャの都市の新たに生まれたキリスト者の集りにおいて、はやくも党派的な心が生じ、そこから対立が生まれていることを深く嘆いている。そして、キリスト者たちの集りを壊すようなことでなく、造り上げること(*)の重要性を繰り返し説いている。

 

… 知識は、人を高ぶらせ、愛は造り上げる。

            (Ⅰコリント8の1)

 

*)従来の口語訳は「徳を高める」、新改訳は「徳を建てる」であるが、原語のギリシャ語は、オイコドメオー oikodomeo で、oikos は、「家」を意味し、「家を造る、建てる」というのが元の意味である。旧約聖書のギリシャ語訳では、この語は、(町を)建てる、(祭壇を)築く、(城壁を)造る等々に用いられている。

 

 人間も自然の状態では、壊れたようなもの、エペソ書(2章1)の表現では、「死んでいた」ような状態であり、それゆえ、新たに造り上げられる必要がある。ヨハネによる福音書では、「新しく生まれなければならない」とある。(ヨハネ3の7)

 私たち一人一人、そしてキリスト者の集りが絶えず新たに造り上げられるためには、人間の愛でなく、神からの愛が不可欠だということになる。そしてその愛は、やはり求めることもしないでひとりでに与えられるということはない。

 神の愛、それは聖霊の実であり、人間がだれでも生まれつき持っているものではないし、特定の人がはじめから持っているものでもない。聖霊をはじめから持っている人は誰もいないからである。

 そしてその聖霊という最も重要なもの、神とキリストと同質なのであるから、当然それはほかのいかなるものよりも重要なものであるが、その聖霊を受けるには、やはり単にじっとしていて与えられるのではないことがはっきりと記されている。

 ルカ福音書において、すでに述べたように夜中に旅人のためにパンを友人に貸してもらおうとしても与えられなかったが、繰り返し求め続けることで与えられるというたとえの後で、「求めよ、そうすれば与えられる」という言葉が続いていた。そしてその締めくくりとして、主イエスは、「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる」という約束を確実なものとして言われている。(ルカ1113

 このように、旧約聖書から新約聖書の時代になって、大きくその重要性が浮かびあがっているのが、神の愛と信実を信じて求め続けることの重要性である。この点では、旧約聖書の詩篇が旧約と新約を結ぶ橋のようなものになっている。旧約聖書ではほかの書と比べてとくに求めることの重要性を繰り返し強調しているのが詩篇だからである。

 旧約聖書では、神からの一方的に与えられることが多く記されているとともに、神からの一方的な求め―あるべき姿が要求されていた。それはとくに律法という形である。出エジプト記の後半やレビ記、そしてとくに申命記では繰り返し神の熱心が感じられるような書き方で、人間へのあるべき姿が求められている。

 それに対して、新約聖書でも人間のあるべき姿は繰り返し言われている。互いに愛し合うこと、罪を赦すべきこと、小さきものを顧みるべきこと等々。

 しかし、それとともにすでに見てきたように、人間の側からも繰り返し求めることの重要性が言われている。

 世界で最も多く繰り返し発せられている言葉であろうと思われる主の祈り、それも何を求めるべきかが言われているのである。祈り、願いのなかで何を祈り願うことが最も神のご意志に沿ったことであるか、ということである。

 御国(*)がきますように、これは、神の王としての御支配が来ますように、ということである。

 

*)国とは日本語(中国語)では、国家、という意味しかないが、原語のギリシャ語では、王の支配という意味が元にある。

国と訳されたバシレイア basileia という語は, 王(バシレウス basileus)から派生した語で、王の支配、権威というのが原意であり、そこから、王の支配する領域(国)をも意味するようになった。

 じっさい、この語は、支配権とも訳されている。「神は、…彼等が自分たちの支配権を獣に与えるようにされた」(黙示録1717)英訳なら、power to ruleNIV)となる

 

 主の祈りは、人間の側での求めることの重要性を示すものであり、主イエスの「求めよ、そうすれば与えられる」という約束によって必ず与えられると信じることができる。

 この世の終りに至るまで、私たちは求め続ける。その姿勢は、聖書の最後の書の終りの部分に次のように記されている。

…主イエスよ、来てください!

 そしてこの切実な求めに対して、「然り、私はすぐに来る」

という約束で聖書は終えられているのである。(黙示録221720  

 


リストボタン聖書における啓示と、神話の違いについて

 

 一般の社会では、例えばニュースや新聞、テレビ、あるいは小説などでも、啓示ということはほとんど目にすることも耳にすることもない。

 しかし、聖書は、個々の記述には当時の人間の考えや習慣といったものが混入していることは見られるが、その全体として見たときには、深遠な啓示の書である。

 啓示にも時代とともにより進んだもの、より高く、深い啓示が人間に与えられるようになっていった。

 例えば、動物をささげよ、ということは、当時の古い時代には、神からの命令として重要なことであった。すでに最初のアダムとエバの息子であったアベルとカインも神にささげものをすることを知っていた。また、ノアは箱船から出て最初にしたことは、神に捧げ物をすることであった。

 しかし、後になってより高い内容の啓示が与えられ、そのような動物を捧げることより、悔いた心、砕けた心を捧げることこそ、本当の神への捧げ物だと言われるようになった。

 

…もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。(詩篇511819

 

 あるいは、昔の旧約聖書の時代では、一夫多妻ということはごく自然なことであったのは、信仰の父と言われるアブラハム、ヤコブにも複数の妻があったことがごく普通のように書かれていることからもうかがえる。そしてキリストより千年ほど昔のダビデ王も何人もの妻を持っていたし、その子のソロモン王も多くの妻を持っていた。

 そして預言者も王が複数の妻を持っていること自体を非難するというような言葉は見られない。

 こうしたことからも、結婚ということ、一夫一婦の重要性については、旧約聖書の時代にはその啓示が十分な高さにまで達していなかったと考えられる。

 それと同様なことは、武器をとる戦いについても言える。旧約聖書では武器をとって戦うことは、神が命じたとして記されている。このことが、キリスト教の時代になっても、引用されてキリスト者も武器をとる戦争は必要なときには、当然なすべきことだという聖戦という考え方が主張されるようになった。

 しかし、新約聖書においては、武器を取る戦いはまったく記されていない。イエスが捕らえられようとしたとき、弟子たちの一部は、剣をもって人々に切りかかろうとしたが、イエスは「剣をさやにおさめよ、剣をとる者は剣によって滅ぶ」と言われた。

 そして、使徒たちのはたらきを示す使徒言行録においても、数々の危険が使徒たちにふりかかってきたが、どのようなときでも、キリスト者たちが武器をとって戦ったということは全く記されていない。

 例えば、パウロは、現在のトルコ地方での宣教のとき、迫害者たちから石を投げつけられて意識不明となり、町の外まで引きずりだされたこともあった。(使徒言行録1419

 このように、ひどい仕打ちを受けてもまったく武力で対抗するということはなかった。

 そして、新約聖書では、キリスト者の戦いは、血肉に対するものでなく、至るところに存在する悪の霊との戦いであると記されている。それゆえに、キリスト者の武器とは、真理であり、正義、信仰、福音を告げようとする勇気、福音、さらに最も鋭い武器としては、神の言葉をもって武器とするように、そしてそれらが力強く発揮されるために、絶えず祈れと記されている。          (エペソ書6の1218

 これを見ても明らかなことであるが、旧約聖書では神ご自身が戦いを命じることもあったし、ヨシュアやダビデ王なども武器をもって戦うこと、約束の地を守り、外敵を滅ぼすための戦争は当然のこととして記されている。

 しかし、新約聖書の時代になってからは、すでに述べたように、武力による戦争ということは廃棄され、ローマ帝国の長い迫害の時代においても、キリスト者たちは磔にされたり、ライオンなどの野獣に食わせられたり、また拷問などを受けたりして多くが死んでいったが、集団で武力でローマ軍と戦うことはせず、あまんじて殺されていったのだった。

 さらに、旧約聖書の時代では、復活ということはほとんど言われていない。ごく一部に、民族の復活(エゼキエル書37章)や、ヨブ記や詩篇の一部に死後の復活ということが暗示されている箇所があるくらいである。

 このように、人間に示される啓示は、次第に深まり、高められていくのであって、旧約聖書の啓示がそのままいつまでも続くというのではない。

 血を食べてはならないということも、当時の人が受けた神からの示しだと受け止められた。

 

…またあなたがたはすべてその住む所で、鳥にせよ、獣にせよ、すべてその血を食べてはならない。

だれでもすべて血を食べるならば、その人は民のうちから断たれる。」(レビ記7の2627

 

 このような言葉も、キリストによって新たな啓示が与えられた。

 

…口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。…口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。

           (マタイ 151118

 

 このように、旧約聖書の時代には、食べると汚される、あるいは血を食べると民の内から滅ぼされるなどといった食物に関する禁止令というのがいろいろとあった。

 しかし、キリストは、そうしたいっさいの戒めを廃棄して、どんなものを食べても汚されることはない、と単純明快に言われた。

 このキリストが示されたことこそ、最終的な啓示であって、旧約聖書に書かれたことは、キリストによって完成されるゆえ、キリスト抜きには真理にはずれることもいろいろとみられる。律法はつねにキリストを指し示すのである。言い換えると、より不十分の旧約聖書の啓示は、キリストによって完全な啓示とされたのである。

 このことをわきまえないとき、旧約聖書で文字で書かれたことをそのまま真理だとしてしまう間違った態度が現れる。

 それは、エホバの証人が、「血を食べてはいけない」ということを固執して、それを創世記などの記述に根拠を置いて主張している。これは、啓示というものが、歴史を通して次第に深まり、キリストにおいて完成することを知らないからである。

  啓示とは何か。言葉の面から見てみよう。

 それはヘブル語では、ハーゾーン(chazon)、あるいは、ガーラー(galah)などがある。ギリシャ語では、アポカリュプシス apokalypsis  という。

 ヘブル語のハーゾーンは、動詞のハーザー(見る)という語から生じている。日本語訳聖書では、「幻」と訳されているが、これは原語の意味からは大きくはずれている。日本語の幻という言葉は、「現実には存在しないのに、あるように見えるもの。幻影」と説明されている。しかし、イザヤ書の冒頭で、「イザヤがユダとエルサレムについて見た幻。」と訳されていることからわかるように、イザヤ書の全体についての見出しのようなものである。これが日本語のような、ありもしないのに一時的にあるように見えたことを書いている書物ならば、そのようなものは何の意味もなくなってしまう。

 例えば、ある人が亡くなった人の幻を見た、というとき、それはその人の特異な精神状態、とくに亡くなった人に心が結びついていたから夢、幻のように見たのだということで単に個人的なことにすぎない。それは真理とは何の関係もない。

 しかし、イザヤ書においては、じっさいに神がイザヤに啓示し、霊の目で見ることを得させたのであって、永遠の真理そのものである。

 それゆえ、イザヤ書の冒頭の箇所で、新共同訳や口語訳、新改訳などで「幻」と訳された語は、本来「啓示」と訳すべき言葉である。幻と啓示とは全く意味が異なる。幻とは存在しないものを特別な感情や興奮あるいは夢などで一時的に見る個人的なものであるが、啓示は真理を示したことであり、真理こそは実在するものだからである。じっさい、中国語の聖書を五種参照したが、一つの聖書が「黙示」と訳した以外は、みな「啓示」と訳している。日本語訳では、フランシスコ訳、関根正雄訳などでは「啓示」と訳している。

 なお、本来、中国語の「啓示」という語はどうか。「啓」とは、この漢字の上部は戸と手を意味し、「戸を手で開く」あるいは閉じた口から述べることを意味するという。(「漢字源」による)

 ギリシャ語のアポカリュプシスは、アポ は ~から(分離) カリュプシスは、覆い、ベールであり、ベールをはずす、というのが原意である。ふつうの人にはベールがかかっていて隠されていることを神がそのベールを取って示したこと、ということである。

 英語で「啓示」は、revelation であるが、revealとは、 re(離す)は、ギリシャ語の apo とほぼ同じ意味、また veal は、英語のveil となっている語で、ベール、覆いを意味する。それゆえ、ギリシャ語も英語も、覆い(べール)を取る、そして表されたことという意味を持っている。

 イエスが神の子―神の本質と同一である―とわかるのは、人間の探求や経験ではない。それは神が啓示することによってであると主イエスご自身がペテロに対して語られた。

 

…イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。"

すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現した(*)のは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。            (マタイ161517

*)ここで、「表した」と訳されている原語は、アポカリュプトーで、その名詞形がアポカリュプシス(啓示)である。

 

 このことは、到る所でじっさいに分かることである。いかに知的に優秀で、学者であっても、また世界各地を旅したとしても、だからといってイエスを神と同質であると信じて受けいれることができるとは限らない。

  聖書におけるような啓示は、学問からは直接には与えられない。使徒パウロも当時としては優れた律法教育を受けたエリートであった。またイエスの周囲にいた律法学者も専門的に旧約聖書を学んでいた知的には優れた人たちであった。しかし、イエスのことを信じることができず、かえって迫害していった。

  主イエスご自身、学者や知的な能力、あるいは、権力者などでなく、幼な子のようなものに天の国の秘密を示したと言われた。

 

…そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。

「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。

 これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。(ルカ 1021

 

 主イエスが、言われたこと、幼な子のような者に「示した」とあるが、この原語は、アポカリュプトーであり、啓示するという意味を持った言葉である。

 啓示を受けるには、幼な子のような心、幼な子が邪心なくまっすぐに母親を見つめるように、私たちがただまっすぐ神を仰ぐ心さえあれば、啓示を受けるというのである。啓示は何も特別に神秘的なこと、また知的なことでもない。何かの学説を聞いて啓示を受けたなどというとき、それは単に知的に新しい着想を与えられたということであって、聖書でいう意味の啓示とは根本的に異なる。それは、そうした新たな着想は、さまざまの学問、自然科学の研究や技術的発明、発見などとかかわっているが、そうしたものは、人間の魂の救いとは全く関わっていない。

 聖書でいう啓示は、人間の魂の救いに直接的に関わる重要なことなのである。主イエスこそは、神と同じ存在だということ、十字架で死なれたことは私たちの罪の赦しのためだ、あるいは、いかなる闇であっても、神のひと言で光が存在するようになり、それはいっさいの闇に勝利する…等々、歴史的に無数の人々の救いにじっさいに関わってきたことである。

 パウロもその創世記のことを、次のように、永遠の真理として受け取っている。

 

…「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださった。

           (Ⅱコリント 46

 

 このように使徒パウロが受けた啓示の一部はすでに創世記にその淵源がある。単なる神話とは根本的に異なるのはこのような、魂の救いに関わる真理がここにすでに示されていることであり、ほかの国々で古代に書かれた神話と言われているものはまったくそうした救いに関わることがない。

  日本の古事記や日本書紀、風土記などに記されている神話についても、それはは人間の救いにもならず、また普遍性もないために、他国に広がって他国の人の救いにつながったということも全く耳にしたことも読んだこともない。以下に、聖書の創世記にある内容と、日本の古代文書がいかに異なっているかを具体的に引用する。  

 

日本の神話―古事記について

 古事記は、日本での最古の書物として名前はたいていの人は知っているであろうが、その内容についてはほとんど知らないのではないだろうか。私自身も、大学4年のときにキリスト教信徒となるまでは、古事記や仏教など、総じて宗教的なものはいっさい関心がなかった。大学で学んだのも自然科学であったから、そうした宗教などの話題は4年間皆無であった。

 しかし、大学を卒業して聖書をより詳しく知ろうとする過程で、日本の古代の宗教にもおのずから関心が生じ、神道の経典ともいわれる古事記や日本書紀、風土記、さらには、仏教にも関心を持つようになった。

 その後何年かして仏教大学の通信課程にて仏教をも学び、高校の社会科免許をも取得したのはそうした延長上にあった。それまでの高校の理科や数学教師としてだけでなく、社会科をも部分的にでも担当して、そこから聖書を授業においても教えたいと思ったからである。

 ここで、日本の神道のもとにもなっている古事記、最古の書たるその書物がいかなる内容をもっているか、聖書の巻頭の創世記の内容を比較しながら検討していただきたいと思い、以下にとくに日本人にとって関心の高い天照大神と天の岩戸についての一部を引用する。

 

(原文は非常に分かりにくいので、岩波書店版の倉野憲司の校注を参照、さらに角川書店の「古事記」武田祐吉(*)の訳注と、同じく鈴木三重吉(**)著「古事記物語」などの訳文から。)

 

*)国文学者。万葉集・古事記の研究者。『万葉集』の研究によって日本学士院賞受賞。

**1882-1936年 小説家・児童文学者。日本の児童文化運動の父と言われる。東京帝大で英文学科にて漱石に学んだ。

 

… スサノオの命は、乱暴をはたらき、天照大神(あまてらすおおみかみ)が田を造っておられたその田の畦を壊したり、溝を埋めたりし、また食事をする御殿に大便をし散らした。天照大神はそれでも叱りもせず、「排泄物のようなものは酒に酔ってはきちらしたのだろう。…」などといった。しかし、スサノオの命は、乱暴なしわざを止めず、天照大神の機織り場にきて、衣服を織らせているときに、その機織り場の屋根に穴をあけて、まだらの馬を使い、その皮を尻尾の方から逆向きに裂いて落とし入れたので、機織り女たちが驚いて、機織り機の横糸を通す道具で下腹部を突いて死んでしまった。

 そのために天照大神も怒って天の岩戸を開けて中に隠れてしまった。それで世界は真っ暗となった。 そのために、いろいろな神々が、工夫しそのうちの一人の女神アメノウズメノミコトが、桶を伏せて踏みならし、胸の乳も腹もあらわにして踊ったので、そのあたりにいた八百万(やおよろず)の神々が大笑いした。

 そこで天照大神も何が起こったのかと不思議に思い、そっと岩屋の戸を少し開けて外をのぞいてみた。そして踊っていた女神に向って、外は真っ暗のはずなのに、何がおもしろくてそんなに笑っているのか、と尋ねた。その女神は、「あなた様にまさって貴い神様がお出でになったので、みんなが楽しく遊んでおります。」と言った。

 それと同時に、別の神が鏡を天照大神の前に突き出した。天照大神は、それに写った自分の顔を見て「おや、これは誰だろう」と言いつつ、もっとよく見ようとして少し戸の外に出た。その時、岩屋のそばに隠れて待ち構えていた別の神が、天照大神の手をとって、外に引き出した。それとともに、別の神が、天照大神の後にまわって、もう岩屋に入らぬようにと、しめ縄を張り渡した。…

 

 (この天照大神を生んだのが、イザナギ、イザナミである。後者は火の神を生んでから病気になり、その吐いたものでできた神、さらに排泄物でできた神まで、その名前とともに書かれている。)

  イザナミは死んだので、イザナギが黄泉の国に会いに行った。そこで見たのは、イザナミの体中にウジが湧いてごろごろ鳴っていて頭、胸、腹などなどにいろいろな雷がいた。驚いて逃げたが、イザナミは怒って魔女をつかって追跡させた。逃げるとき、櫛の歯をとって投げつけたりした。するとそれが落ちたところからタケノコが生えてきて、追っかけてきた女鬼どもはそれを引き抜いてもぐもぐ食べはじめた。その間にイザナギは、どんどん逃げたが、こんどは黄泉にいた雷神たちがたくさんの鬼の軍勢を引き連れて追跡してきた。それを剣でイザナギは追い払いつつ逃れた。最後にイザナミ自身が追いかけてきたが大きな岩で近づけないようにした。イザナミは、怒って「あんたがこんなことをするのなら、私は一日に千人も殺してしまう」と言った。イザナギはそれに答えて「あんたがそんなことするなら、私は一日に千五百人を生ませる」といって逃げた。

 やっと逃れたが黄泉の国で汚れたので、きよめをしようと、投げ捨てた杖や袋、衣…等々から次々と新たな神ができた。最後にできた3人の神々が、左目を洗ったときにできたのが天照大神、右目を洗ったときできたのが月読の命(ツクヨミのミコト)、鼻を洗ったときにできたのが、スサノオの命であった。それぞれ天を治め、夜を治め、海を治めるようにと命じられた。しかし、 スサノオの命だけは、従わず、長いひげが胸に垂れる年頃になってもただ泣きわめいていた。その有り様は、緑の山が枯れた山になるほどで、海や川も泣く勢いで泣き干してしまった。さまざまの災いがそのために生じたので、イザナギは追い払ってしまった。…

 

 このような内容のあとに、先に引用した天の岩戸の記述が続く。ここには、人間の魂に触れるような信実や真理がまったく感じられない。創世記の記述と比べてその内容の余りの落差に驚かされる。それゆえにこうした神話は、ただ狭い日本人の一部の人が知っているだけで世界に広がることが全くない。

 このような日本の神話の内容よりはるかに高いレベルをもっているのがギリシャのホメロスの書いた作品である。すでにその作品は、「崇高」の感を漂わせているとして古代から哲学者たちが論じていたものである。

 本来の筋書きの中に、あちこちにちりばめられた表現のごく一部を引用する。(カッコ内は筆者のコメント。「イーリアス」の第7~8巻より)

 

…神によって我々の優劣がきまり、一方に勝利が与えられるまで戦おう。もはやすっかり夜になったし、夜の指図に従うのもよいことだから。(人間の戦いの背後にそれを超えた御手がある)

・ この二人の武将は、命を争う戦いをしたが、また再び友情によって結ばれあって別れを告げた。

・翼をもった言葉をかけて…(イリアスのなかには、こうした表現で表される言葉があちこちにみられる。)

・太陽はいましも新たに、田畑の上へ光を投げかけて、静かに流れる豊かなオーケアノスの流れ(世界を取り巻く大河流)から大空へ昇っていった。(単に太陽が昇るといわず、田園地帯や大いなる流れをもすべて見下ろしその光を万物に照射しつつというその広がりと力が込められている)

・群がり集まる雲を寄せるゼウスの神は…(日常的にみられる雲の動きのなかに、神の御手のはたらきを感じていた)

・…たくさんの兜、むらがる槍などが突き出て波をなす有り様は、さながら吹き募ってきた西風のために、海面一体に、さざ波が流れわたる、その下に海が黒ずんで見える、それと全く同じに、両軍の隊列があった。

・お前は、認めないのか、ゼウス神の与える守りが、今はまったくお前の上にはないというのを。…たとえどんなに勇気と力があろうとも、人間の分際では、神の意図をほんの少しでも曲げられるものではない。神は全くはるかに偉大な存在であるからだ。

・彼等は意気揚々と一晩中陣取っていた。火をおびただしく燃やした。それはさながら、天空に輝きわたる月のまわりに、星の姿とりわけはっきりと現れるときのようだった。高い上空に風も途絶えたときのこと、見渡すかぎりの高い見晴らしの丘も、尾根のさまざまも、また谷のひだまでもくまなくすっかりあらわれて、天から果てしも知れない高い空が断ち切られ、空がすっかり見えてくれば、牧人も心に喜びとする。その星の数ほども、トロイア勢が燃やす火が眺められた。 (単に大軍の武器が立ち並ぶということを、このように天空の事象を連想させつつ表現する、そこに著者がつねに宇宙的な視野でものごとを見ていたことを感じさせる)

 

 しかし、こうしたホメロスの作品にも、神々の描写では単なる人間の欲望に負けるようなことも記されている。

…ゼウスは、女神ヘーラーを見て、たちまち恋情が生じて心奪われて一緒になろうとした。         (イーリアス第14291351

 また、死後の世界を不気味な恐ろしいものとして描いていることや、もっとも優れた神々から生まれた人物であるアキレウスが、勇敢である一方で金銭愛にとらわれたり、神々や人間への高慢をもっているような混乱した精神であったように描写されていること、あるいは神々の争い等々。

 このような点をすでにプラトンは、その主著である「国家」において、若者の教育に不適だとして批判している。(第2巻~3巻)

 死後の世界をそのように描くことは、若者の心に死への恐怖を植えつけるだけであり、むしろ死後の世界によきものがあるように言わねばならないとした。

 じっさい、プラトンの師であったソクラテスは、最後のときに、死後の世界は、この世から別の世界へ移ることだとし、善き人には、生きているときも、死後も何一つ悪いことは生じないのだという確信をもっていた。そして死後の世界でホメロスなどの大詩人と再会できるならこれより大きな善きことはほかにない、と言っている。(「ソクラテスの弁明」40E~)

 また、神々の争いとかはそれらが比喩的に作られているにせよ、そうでないにせよ、あるべき国に受けいれてはならない。本来人間は、戦争や人間同士の敵対などをすべきでないのだから、神々がそうしたことをやっているなどということは若い世代のものたちには知らせるようなことをしてはならない。(プラトン「国家」378a~)

 そのような指摘をして、当時のギリシャ人たちがみな高く評価していたホメロスのイーリアスなどについても、それらの内容には、青年たちを惑わし本当の魂の育成を妨げるものをもっていると指摘している。

 このように、ソクラテスやプラトンなどは、今から二四〇〇年ほども昔から、神話的記述が、たとえそれが世界的に定評のあるものであっても、若き魂を惑わし適切に導くかどうかについてはさまざまの不適切な内容を含むと見抜いていたのである。

 崇高といわれるほどの内容や表現をもっているホメロスの作品でさえもそのような限界をもっていたのを古くから指摘されていることに対し、日本の古事記などの神話の記述がいかに内容的に狭く、小さく、ときに読むに耐えないような卑俗なことを連ねているのは驚かされるし、そのことに関して何ら正しい批判的内容の記述がなされるどころか、そのような内容さえもしばしば事実であるかのように言われてきたのが日本の戦前である。

 しかも、古事記などの人間のフィクション―単なる想像の産物を神聖な事実だとして信じることを強要してきた。このことに関して、すでに触れた、鈴木三重吉の「古事記物語」の解説を書いた坪田穣治(*)が次のように書いている。

 

*1890 - 1982年。岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。朝日文化賞受賞

 

…古事記の内容などは、学校の教室では歴史的事実だと教えられた。しかし、それは教室の中だけだった。戦前はそのようなことが言えなかった。 しかし、全くウソの上に立つ文化が長く続くはずがありません。

…ギリシャ神話はヨーロッパの子供たちに強い影響があったというのに、古事記については、わが国の成人にも子供にも何の話も聞かない。子供たちが愛読したとも、成人たちが面白がったとも言っていない。

 

 残念なことに、日本では幼いときからその魂を真実な神に関する記述によって養われることがない。元日に近くの神社に行ってお参りするが、その神社では何を神々としているのかさえも知らないのが大多数であるし、またその神の名前を知っていたとしても、それは古事記などに出てくる想像上の神々でしかない。

 乱暴狼藉をする神、血でよごれた衣服を洗ってできた神々、あるいは鼻や目を洗ったときにできた神々、また裸踊りをして喜ぶ女神やそれを大笑いして喜ぶ八百万の神々―そうしたものを この古事記における描写を見て、本気で敬うなどということができようか。

 坪田穣治が述べているように、戦前の日本はこうした虚偽の神話の上に立っていたのである。そのようなものは必ず崩壊する。そして当然それは敗戦とともに崩れ落ちた。しかしなおも、人間をカミとして拝む対象とする風潮は、現在も続いている。

 私たちが誰もが人生のなかで直面する病気やさまざまの苦難において、古事記に記されているような神々の正体を知ったうえで、いったい誰がそのような作り話のものに頼ることができるだろうか。

 永遠の真理の神、またいかなる時代にも弱き者を顧み、死を越えてすくい取ってくださり、死にうち勝つ力―復活を与えてくださる神からの啓示―聖書こそ、私たちの永遠の拠り所なのであり、そのような真理を啓示された神はいまも生きて直接にその真理を啓示し続けておられるのである。

 

中途失明者の証言                  鈴木 益美(徳島)

 (5月12日の四国集会での証し) 

 

 はじめにヨハネ福音書十五章四節・五節を読みます。

「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

 私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。」

 私はこの言葉によってイエスさまの救いをいただいた、そのことをお話します。

 私は森永ミルクのヒ素中毒によって視力に障害が残りました。中学一年のときから盲学校に入って、その盲学校の高等部理療専攻科というところを卒業しました。そしてもう少し鍼治療の勉強をしたいと思って、東京の「信愛ホーム」というところに導かれて行きました。そのホームは平方龍男という全盲の人が設立したホームですが、その平方龍男は若い頃、内村鑑三の聖書講話を何度か聞くうちにクリスチャンになった人です。そして自分が確立した鍼のわざと、キリストの福音を当時とても身分が低くて地位が虐げられていた盲人の女性のためにその二つのことを伝えたいという目的でホームを作ったそうです。いまも東京にそこはあります。

 私はそこで三年半学んで、そのなかで持たれている礼拝や祈祷会に参加して、先生方もほとんどクリスチャンなので、その方たちの真剣な祈りによって、私も神さまを信じるように変えていただきました。少し自分でもお祈りができるようになりました。そこで私の中に信仰の種が蒔かれました。

 そして徳島に帰って、鍼治療院を開業して、順調に仕事もしていましたが、三十歳ぐらいから視力がだんだん落ち始めて、三十四・五歳のときにはまったく目が見えなくなってしまいました。いずれ私の目は見えなくなると言われていましたし、私はそれまで全盲の人と何人も接していたので、もう自分は目が見えなくなっても大丈夫だと思っていました。

 ところが少し目が見えるということと、まったく見えなくなるということは、こんなに大きな違いなのかなと思って、そのときはほんとうに思い知らされました。

 そして毎日、心が真っ暗でどうしても明るいほうに向いていかない、そのことを誰にも言うことができずに一人で悩んでいました。苦しんでいました。そのときはイエスさまのことも忘れてしまって、お祈りすることも出来なくなってしまいました。

 そんなときが何年も続いて、そして徳島聖書キリスト集会に導かれました。その導かれてから一年ぐらい経ったとき、いろんな植物の名前を手に触れて教えてもらうときがありました。それまでもそんなときが何回もあったのですが、そのときは、特別に繊細な花びらや、つやのある葉っぱを手に触れていると、この植物たちはどこかに深く根を下ろして栄養をもらって一生懸命生きているんだなあと思って、そのことに私はとても感動して、そのときこのヨハネ福音書の「ぶどうの木のたとえ」のところが私の頭に浮かびました。

 その日家に帰って、ほんとうに久しぶりに聖書をこのヨハネ福音書十五章一節から読んでみました。イエスさまが「わたしにつながっていなさい」と私に言ってくださっている。そのことがものすごい勢いで私の心に迫ってきました。私はイエスさまから遠く離れたところでいた、その不信仰の罪をはっきりそのときに知らされました。

 でもこれはイエスさまのところに行かなければ、私はだめになってしまうと思って、そのときに真剣にお祈りしました。それまで観念的にしか分かっていなかったイエスさまの十字架のあがないというものが心から信じることができた、その瞬間です。そのときはとてもうれしかったです。

 そしてそのときから私は自分で驚くように変わりました。なにがいちばん変わったか大きな恵みだったかというと、イエスさまがいろんなことを通して私に語りかけてくださっている、その語りかけに耳を澄ますことができるようになったというのは ほんとうに大きな恵みです。

 それまでなんとも思わなかった自然に吹いてくる風や雨音に耳を澄まして、そして季節の移り変わる様子のなかで、そのなかにイエスさまが私に込めて伝えてくださっているメッセージがあるということを、毎日思って生きていくことはすばらしいことだと思いました。

 そしてそのことを、ふだん集会に行っていない人にも知ってもらいたいと思って、私の治療院でも「小羊集会」という集会を月に一度、開くようになりました。集会代表者の吉村孝雄さんに来ていただいて、私の家族や友人や治療に訪れる人といっしょに神さまの言葉を聞くひとときは、とてもうれしいときです。

 この集会をしていて良かったなと思うときが、私の家族にありました。

 いまから五年ぐらい前に、私の妹が病気を宣告されて、天に召されました。そのときも以前のようにイエスさまから苦しくて離れるのではなくて、私はこれにもなにか大きな意味があると思って、祈ろうと思いました。

 そして妹の病気が治らなくてもその魂が救われますように、妹がイエスさまを受け入れますようにと一生懸命に祈りました。集会の方にも祈っていただきました。さいごに妹はイエスさまを受け入れました。 そしてこの集会でお葬式もしていただきました。そしてそのときに妹の娘は八歳になったばかりだったのですが、その娘も母親に連れられて二歳ぐらいのときから小羊集会に来ていましたが、そして神さまの話はなんとなく聞いていたのですが、母親の死によって「お母さんが信じていたイエスさまを私も信じる」と言っています。そしてお母さんとまた天国で逢えるという希望を持って毎日明るく過ごしています。その娘も中学一年になりました。

 私の母も家庭集会にはじめから参加していて、吉村さんが永遠の命ということについて妹の祈念会のときにもくわしくお話してくださっているので、母も「自分のような者もイエスさまを信じていたら、永遠の命というものをいただける」そこに希望をつないで母も平安が守られています。

 「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。」という言葉のとおり、私たちはイエスさまの導きによって光の中を歩むことができるようになりました。

 私の中に蒔かれた種はもう二十年ぐらい経って、イエスさまから光を当てていただいて、やっと発芽しました。それでも自分がしていることがほんとうに正しいのかどうなのか分からなくなったときには、また聖書に立ち返ってイエスさまの愛の中に深くとどまって、これからも歩んでいきたいと思います。

 さいごに詩編一編二・三節を読んで、このお話を終わります。「主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。 その人は流れのほとりに植えられた木。

 ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。   その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」 

 

霊の目が開かれるまで       綱野 悦子(徳島)

 

 神様からの恵みのなかから二つを証しさせていただきます。

 まず、私が信仰に導かれた恵みについて。

 大阪で仕事をしていて、網膜色素変性症という目の病気で次第に見えなくなっていくので、もし見えなくなったらどうしよう、とても生きていけないと毎日が不安でいっぱいでした。

 そんな中、友人の部屋にあったカレンダーの「明日のことを思い煩うな」というみ言葉を思い出しました。聖書に書かれているこのみ言葉にすがろう、神様を信じようと思いました。

 ちょうどそのころに知り合った友人に無教会の夜のテープ集会に誘われ参加するようになりました。

 その頃、何もわからなかった私が祈ったのは「神様、私の目を見えるようにしてください。もしそれが駄目なら、生きていけそうにありません。どうか、あなたがこの命をとってください」というものでした。

 でも、神様はこの祈りをきいてくださいませんでした。    25歳頃に失明しました。

 しかし、神様を信じるようになって、真っ暗な闇に向かって進んでいた私は見えなくなっていたにもかかわらず、不思議な平安がありました。どん底に落ちていきつつあった自分がスッと救い上げられたようなイエス様の御手を感じました。

 これからも「明日のことを思い煩うな」のみ言葉を信じて行こうと思いました。「まず神の国と神の義を求めなさい」とありますから。

 大阪の盲学校で鍼級の資格をとり、徳島に帰り自宅で鍼治療院を開業しました。

その頃、なまぬるい信仰になっていて、もっと聖書を学びたいと友人に相談すると、夏の愛農聖研に誘われ参加し、その帰りに、私を誘ってくださった方に「徳島でも無教会の集会があるなら教えて」と頼んだら、その集まりの関係者の方の一人が四国集会に参加したことのある方で、すぐに徳島の無教会の吉村さんに連絡をとってくださり、吉村さんが家に訪ねてきてくださいました。

それから徳島聖書キリスト集会に参加し始めました。

 み言葉の学びを続けていって、自分の罪のこと、イエス様の赦しと愛と恵みに気づかされ少しずつ導かれていきました。

 けれども、信仰が順調だったわけではなく、いろいろな波がありました。とても大きな波、それは妹がガンであと3か月と宣告されたときです。 自分中心の罪が示され、信仰がなくなりそうですと祈りました。

 その時、十字架のイエス様が「私の愛にとどまりなさい」との愛の御手で包んでくださいました。罪で死ぬべき私を命へと御手をさしだしてくださいました。

 私は思いました。私の最初の祈りは実は聞かれていたのだと。肉体の目は閉ざされましたが、霊的には心の目を開いていってくださいました。

 そして、罪に死ぬはずの私の身代わりにイエス様は十字架で死んでくださり、愛によって永遠の命を与えようとしてくださっている。

 私が目が見えなくなったのは神様の愛ゆえの選びでした。私が救われたのは何のよきものもないのに一方的な神様の恵みでした。

 

 もう一つの恵みについて。

 少し前のことですが、治療に来られた方のことをお話しします。その方はガンの手術後、少しでも免疫を高めてほしいと鍼治療に来られました。

 私がクリスチャンだと言うと、その方もキリスト教に関心があり、聖書のことやキリスト教のことなど、いろいろお話ししました。

 ご自分はもう十分生きたのでいつ命を終えてもいい。最後はイエス様を信じて天に召されたいと言われていました。

 ただ家族が神様を信じて救われてほしいので少しでも長く生きてやりたいと願っているから苦しい抗ガン治療も受けているので祈ってくださいと言われました。

 集会の「いのちの水」誌や文集、そして私が勧める本はみんな読まれ、家族にと本を買って子供さんや孫さんに送っておられました。

 ご家族の救いのために、まずご自分が集会に参加され、その恵みをお話しするのが一番の伝道になるからと勧めました。

 数年前から月に一度、私のところに吉村さんに来ていただいて家庭集会を持っていたので是非参加してくださいと勧めると、そうしますと言っておられたのに、強い抗がん剤を受けていたので、体調が悪い時と家庭集会とが重なりなかなか参加できませんでした。

 その後、とても体調が悪くなり、入院されたので、集会の姉妹に頼んで、共に病室に何度か訪問しました。

 体調がまだよい時は聖書のことをお話しもできましたが、だんだん具合が悪くなっていき、一人でとっても苦しい時、どう祈ればいいのかと尋ねられました。

 私たちも自分が苦しい時、暗闇にいる時に「イエス様、助けてください」と叫んだことを言って、苦しいなかではただ「イエス様、助けてください」と叫び祈るだけでいい、イエス様がすぐそばに来てくださいます。イエス様は私たちの罪の身代わりに死んでくださったのですからと言うと、夜中に苦しいときそう祈りますと言われました。

 吉村さんにもお願いして聖書のお話をしていただきました。

 もう、時間が迫っていました。それからまもなく天に召されました。

 私たちはその奥様と病室でお会いした時に、ご主人のことやご家族のこと、今抱えておられるいろいろな悩みをお聞きし、讃美とお祈りをして帰ってきていました。

 その奥様がご主人が召されて、キリスト教での葬儀が難しかったので、納骨はキリスト教霊園に分骨をと決められ、納骨式が行われ、娘さんやお孫さんも参加されました。神様が生きて働かれたと思いました。

 そして、奥様はご主人が召されてすぐに聖書を学びたいと私のところでの家庭集会に参加されるようになり、主日礼拝や別の家庭集会にも参加されるようになりました。

 神様は人の思いを超えて大いなる導きをされるのです。うれしい驚きでした。

 私にしてくださったこと、そして今お話しした先に召された方とその奥様の上に神様は闇から光へとみちびかれ、それは今も続いているのです。

 どんなに苦難や闇が迫っても、愛の神様が必ずよきようにしてくださると信じ、希望を持って歩みたいと思います。

 すべてを主に感謝します。

 


リストボタンお知らせ

 

7月の県外集会予定(続き)。

 平日の家庭での小集会が多いですが、主がこうした集まりをも用いて下さることを願っています。こうしたお知らせを読んで参加される方もあるので、連絡先も書いてありますが、奥付の吉村孝雄まで問い合わせて下さっても結構です。

〇7月15日 札幌での交流集会

北二条クラブ  札幌市中央区北2条西21丁目 連絡先 大塚寿雄

011-598-6383

17日(水)苫小牧市での集会 苫小牧市青葉町2丁目5の4の204 大澤宅0144-75-7110

20日(土)山形県鶴岡市大西町5~16  佐藤宅での集会 電話 0235-22-4856

20日(土)山形市での集会

 午後6時30分~8時30

大手門パルズ  山形市木の実町12-37  電話 023-624-8600

・連絡先 白崎 良二 023-625-4113

21日(日)仙台市 戦災復興記念館 午後2時~4時 連絡先

田嶋 誠 電話022-394-6128

22日(月)福島県 湯浅鉄郎宅 午後4時~6時 本宮市本宮塩田入 170 電話0243-33-4516

23日(火)さいたま市浦和駅から五百mの埼玉会館 午後2時~4時 連絡先 関根義夫 電話 048-886-8400

24日(水)足立哲郎宅 千葉県山武郡大網白里町大網872-2。午前10時~12時 連絡先(深山)電話0475-52-0273

24日(水)午後6時~8時

土屋宅 市原市桜台1の11の2

25日(木)八王子市緑町1704 永井宅 電話 0426250178

26日(金)山梨県北杜市長坂町大八田604-1 山口宅 午前10時~12時。電話 0551-32-0026

〇同日 午後3時~5時 有賀宅 長野県伊那市西箕輪羽広30881

電話 0265-76-6646

27日(土)午前10時~12

下伊那郡松川町元大島5441-5 松下宅

 

〇6月号で紹介した、5月の四国集会関係のCD、賛美CD、DVDなどの申込が続いています。引き続いて希望の方は、お申し込み下さい。

 なお、6月号には紹介していなかったのですが、四国集会で用いられた賛美の録音CDとは別に、参加者全員に贈呈した徳島聖書キリスト集会作成の賛美集があります。「綱野 悦子・貝出久美子他 集会賛美集」、「鈴木益美、中川陽子他 集会賛美集」の各CDです。

 それぞれ30曲ほど収録しています。古い「讃美歌」の他に讃美歌21、新聖歌、リビングプレイズ、友よ歌おうなど多様な賛美集から、それぞれ30曲余、合計60曲ほどが入っていますので、新しい賛美を知りたい方、あるいは賛美からキリスト教に近づきたいと思われる方の参考になるかと思います。

 これはふつうのCDラジカセでも聞くことができます。

 価格は、送料共で2枚セットで五〇〇円です。

 

〇第13回 近畿無教会集会 8月24日午後1時~25日(日)1

・主題 「キリストのからだ」

・場所 ふれあい会館 京都市西京区大枝北沓掛町131

・申込先 宮田 咲子 電話072-367-1624 E-mail saiwai1950@yahoo.co.jp

・土曜日講話と証し・ 伊東良  和、大嶋紗綾子

・日曜日 聖書講話   吉村孝雄

 

〇NHKの教育テレビで一か月に一度放映中の「内村鑑三」シリーズ録画DVD 13回分46月分 一枚500円(送料共)

 残りは九月までの3回です。

 

訂正

〇6月号 34頁 上段  山形市での集会開始時刻は上記のように、7月20日(土)午後3時からでなく、6時30分~8時30分と変更です。

〇6月号に校正ミスがありましたのでお詫びして訂正しておきます。

9頁上から2段右2行 、話の上手下判こ関係なく→…話の上手下手に関係なく

・同4段左9行 生きる二とは→生きることは