いのちの水  2017年4月号   第674号


私はつねに主を前に置く。

主が私の右にいますゆえ、私は動かされることがない。(詩篇168


目次

我が愛に居れ

四季の春、人生の春

私を仰ぎ望め、そうすれば救われる

・二つの道

休憩室

編集だより

報告とお知らせ

徳島聖書キリスト集会案内

リストボタン我が愛に居れ

 

 日本は、そして世界はさまざまの難しい問題に揺さぶられ続けている。

 どこに清い世界があるのか、これから先、どうなっていくのかーそのような解決不能と考えられるような状況にあって、ただ全能の神、万物を創造し、いまもすべてを支えている神に信頼し、時至れば新しい天と地をもたらすことのできる神を信じていく道は常に備えられている。

 そして世界や日本全体という大きなことでなく、自分の病気や悩みに立ち上がれないような、心に重い傷を負っている方々も数知れずいる。

 そのようなすべての社会状況や時代、そして個人的な悩みや苦しみのただなかに、主は静かに語りかけてくださっている。

 わが愛に居れ!  と。

              (ヨハネ15の9)

 全能でかつ変ることなき愛の神の内に留まることによって、私たちは、現実の闇にうち勝つ力を与えられて、ふたたび前に進んでいくことができる。

 

 

リストボタン季節の春、人生の春

 

 4月、低い山にあるわが家の周囲は、つぎつぎと春の装いに変わっていく。ふもとに着く前には、山のあちこちには、ヤマザクラの点在する昔からの風景、わが家に登る坂道のそばには、タチツボスミレの淡い青紫色、また家の周辺には、レンゲの花、カキドオシ、キランソウ、あるいは菜の花、、カラスノエンドウの赤紫の花々、裏山には、ツバキ、ヒトリシズカの静かなたたずまいの花、ラショウモンカズラの野草としては珍しい大きく美しい花…等々、そして木々も初々しい新芽を一斉に伸ばそうとしている。

 その美しさとみずみずしい命の現れーそれは人間においても可能なのだろうか。

 それは部分的ではあっても可能だということがはるか三千年も昔から言われている。

 

…主はわが牧者。

私には乏しいことがない。

主は私を緑の牧場に伏させ、

いこいのみぎわに伴われる。

主はわが魂をいきかえらせ …      (詩篇23より)

 

 これは、たしかに、主が自分を愛をもって導いてくださるとき、魂は満たされ、乏しいものがないといえるほどになるーそんな心の世界を指し示している。

  豊かな魂の食物を備えられ、いのちを支える水際へと導いてくださり、そこで、新たな命を得て、力を日々与えられていくー。

 そのように神からの命に日々に生かされるーこれはまさに、春の植物が象徴的に示すものである。

 そして、キリストが言われたことー

…私を信じるものには、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。

               (ヨハネ738

 このようにいのちの水が与えられ、さらに私たちが一つの泉となってそこから周囲へと流れ出るほどになるという。

 そのような魂は春の植物が周囲に命とその美しさ、初々しさをたえず注ぎだしているのと通じるものがある。

 そのような状態は、人生の春というべきもの。

 年老いても主は私たちを担ってくださる。

 

…わたしはあなたたちの老いる日まで、

白髪になるまで、背負って行こう。

わたしはあなたたちを造った。

わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ書464

 

 主に担われ、重荷を担ってくださるなら、私たちを古びさせる力は取り去られ、日々新たにされていく。

「外なる人は、古びていっても、内なる人は日々新しくされる。」(Uコリント 416

 

 老いてもなお、日々新しくされるという。春の植物は日々その新芽は大きく育っていき、次々と新しい花がさいていく。

 人間もまた、万物創造された愛の神と結びついているときには、日々新たにされ、花を咲かせていくことが可能となる。そのように信じる道が開けている。

 

…(信じる人は)造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。

          (コロサイ書310

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 植物たちの一枚一枚の葉の中では、おびただしい化学反応が生じていて、それらの茎や葉、花などを作り出している。

 それらすべては静けさの中で、行なわれている。しかも人間が作る際には必ず必要な数々の機器や電気のエネルギー、さまざまの薬品などまったく必要ない。

 人間が造り出すものは、その過程で必ず悪しき廃棄物や有毒物質、粗大ゴミ等々を生み出す。また車など不可欠なものであるが、それらはまた交通事故ということで毎年数万の人たちが死に、あるいは大怪我をして生涯苦しむことになっていく。

 現在の世界を悩ましている難民問題も、テロリストたちが科学技術の産物である武器弾薬をつかって各地に住む人たちの生存をおびやかしていることがその背後にある。

  そうした破壊や砲撃を避けようと逃れていく、その行く先にテロリストが混入している可能性があるゆえに、ヨーロッパの国々も徐々に逃れてくる人たちを制限する動きとなっている。

 原発の大事故や原発への攻撃、核兵器などという人間の製造したものが、悪用されるとき、おびただしい人々が死に、あるいは生涯苦しまねばならない。

 春の植物たちの生き生きした姿を見ているとき、人間の造り出すものがいかに、無秩序で危険に満ちたものも同時に生み出しているかを思い知らされる。

 植物は沈黙のなかでよきものを造り出していく。

 人間にとっても、本当によいものは、静まり、沈黙のうちで生まれていく。

 キリストは、いかなる武力も用いなかった。その大いなる力は、二千年を経ても変ることはない。そしてその力は、しばしば夜を徹しての祈り、あるいは日常のなかにおける神との霊的な交流によってーこれも祈りであるがー与えられていた。

 それこそは、静けさのなかで確実に良きものを生み出していく。

 植物たちの春になってのその生きざまは、人間にとっても重要なことを指し示している。

 

リストボタン主を仰ぎ望め、そうすれば救われる

 

 この単純な神の言葉は、驚くほどの広がりと深さ、そして力をたたえている。

 

…地の果のすべての人々よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。

      (イザヤ書45の22より)

 私たちは何かを見つめている。しかし、それは救いとはつながらない。多くの場合、人間を見つめる、自分たちに関係の深い家族、友人、あるいはプロ野球や相撲などの有名選手、俳優等々。また、自分に悪意をもって対してくる人たちを、敵意や憎しみをもって見つめる場合もある。

 良心的に生きようとする場合、自分を見つめる。自分の能力や考え、弱さ、罪等々…。

 そのようなすべては、人間を見つめるということである。

 しかし、人間は移り変わる。どのような人間も弱さがあり、正しいあり方から離れてしまう。愛情や、やさしさといっても、せいぜい自分と関わりある人や、自分によくしてくれる人たちだけに及ぼされるものである。

 そのような人間すべてに対して、冒頭にあげた聖書の言葉が神からのメッセージとなっている。

 それゆえ、この言葉は、古今東西の無数の人たちに大いなる影響を及ぼしてきた。

 例えば、内村鑑三も、決定的な転機となったのはこの言葉である。彼にとっては、札幌農学校において、クラーク博士からキリスト教を初めて知られされて、神とキリストを知ることになったのが、第一の転機であったが、それでも深い魂の平安はえられず、アメリカまで行って、知的障がい者の施設で働き、かつ学び、研鑽を積んだが、それでもやはり確信はえられなかった。

 そのような悩みのとき、アマースト大学のシーリー総長から言われたひと言が、内村にとっての決定的回心となった。

 それは、難しい哲学や学問、思想家の言説ではなかった。次のような単純、明解な言葉だった。

 彼の文を引用する。

 

 …「空しく自己の内心のみを見る事を止めよ、あなたの義はあなたの中にはない。十字架上のキリストに在るのである」

 この一言は私の信仰に大革新を起さしめた。

 そして熱烈なる愛国者としてアマストに入った私は単純な福音的信者としてその地を出でた。シーリー先生のこの一言がなかったなら、多分今日の私はなかつたであろう。

 その時から、私は聖書の研究を私の天職とし、帰国後今日に至るまで、私の全力を傾注してこの事に当りつつある。(「内村鑑三全集」第24巻57頁)

 

 ここで言われているように、自分の内を見るのでなく、神を、十字架のキリストを仰ぎ見よ、ということは、以後の内村鑑三の生涯を決定するほどの大きな力を持っていた。

 彼が、全力を傾けて生涯続けた聖書の研究、み言葉を深く受け取ってそれを証しし、この世に提供するということ、それはこのひと言が出発点となった。

 それゆえ、彼が聖書ーみ言葉の深き研究を世に発表する場となった「聖書之研究」誌は、内村自身の考えが根本にあるのでなく、そのような転機を与えてくれたシーリー先生だと、言っている。

 

… 本誌(「聖書之研究」)の創設者 本誌をして在らしめし最も有力なる人はアマスト大学のシーリー先生である。私は先生によって初めてキリスト教が何であるかを知った。 (「内村鑑三全集」第12巻97頁)

 

 神を仰ぎ見よ、そうすれば救われる、というイザヤ書の言葉、そして十字架のキリストを信じて救われるー、十字架を仰ぎ見て救われるということは聖書にある重要な真理であるから、当然のことながらすでに内村は知っていた。しかし、そのような言葉があると知っている、読んでいるーということと、それがじっさいにその人に大きな転機や力をもたらすということとは決定的に異なる。

 日本においては、聖書はたくさんの人たちによって購入され、また部分的であっても読まれている。しかし、聖書に記されているように天地創造の神を信じ、キリストが私たちの罪の赦しのために死んでくださったということや、死を越える復活という真理を本当に受け入れる人はごくわずかであり、キリスト者は1%程度しかいないという。

 それはなぜなのだろうか。

 私は、ごく短い聖書の言葉を読んで今日まで半世紀を経ても変わらない真理を与えられた。そしてその直後、たまたま目にした大学の食堂で見たキリスト教講演会の案内のチラシを見て、講演会に参加し、そこでじっさいに無教会というキリスト教の流れに接して集会に加わった。

 しかし、私がキリスト者となった本をたくさんの人が一応は読んでも、ほとんどの人は、キリスト者とはならなかった。また、その講演会に参加した人たちも、その後も幾年も同様の講演会が行なわれたが、新たに加わる人は、ほとんどなかったようである。

 私が、大学四年のときに古書店で小さな一冊の本を立ち読みして、キリスト教の真理にただちに触れて、キリスト者となったーそれは私の努力でもなければ、知識や能力、あるいは経験でもなかった。

 それは、神の力がはたらいて、私の魂に触れたのであった。その本に書かれてあった神の言葉が神の力によって私に入ったのである。 

 その神の力ー言い換えると聖霊こそは、そのような大いなる転換をもたらす力ある存在である。

 じっさい、キリストも生まれたときから特別な能力を与えられ、12歳にして当時の聖書(旧約聖書)の学者たちと対等に問答したと記されている。

 それにもかかわらず、成長してもなお、父親の職業であった大工の仕事をともにしていた。福音を伝え始めたのは、天よりの聖霊を受けたことがその決定的転換となったのが記されている。それは、30歳になったときであった。   また、使徒たちも、イエスに直接に「私に従え」との言葉を受けて、すべてを捨てて従ったものの、イエスが逮捕されたときにはみな逃げ去った。それにもかかわらず、後に 命がけで福音の伝道に立ち上がったのは、何故なのか。それは聖霊を注がれたからである。(使徒言行録2章)

 最大のはたらきをした使徒パウロも、ユダヤ教の熱心な信徒であり、キリスト教はそのユダヤ教の律法を壊してしまうとして、キリスト教徒を激しく迫害して殺すことまでした。(使徒言行録22の4)

 それにもかかわらず、後に現在のトルコ地方からギリシャ地方への広大な領域にわたってキリストを伝えることになり、またローマの信徒に宛てた書簡には、キリストの十字架の福音が明確に記されており、それがローマ帝国の中心部において読まれ、キリスト教がヨーロッパ各地に広がっていく基盤ともなっていった。

 キリスト教の迫害の急先鋒から、最大のキリストの使徒へーその驚くべき転換をなさしめたのは、何であったか。それは、復活したキリストからの語りかけであり、復活したキリストの光であった。そしてその復活のキリストはまた聖霊と同じであるゆえに、パウロを根本的に変化させたのは、聖霊ということになる。

 そして、パウロをイスラエル地方から遠く離れた現在のトルコ地方へと遣わされたのは、彼自身の考えも組織の命令でもなく、聖霊による。

…彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。

「バルナバとサウロ(パウロ)を私のために選び出しなさい。私があらかじめ決めておいた働きをさせるために。」…聖霊によって送り出されたバルナバとサウロはキプロス島に向って船出した。…

    (使徒言行録13の2〜4より)

 さらにそこから、パウロは自分でも考えていなかったヨーロッパ(マケドニア、ギリシア方面)に福音を伝えるという使命を与えられたが、それもまた、人間やその会議、組織の派遣ではなかった。

 それは、直接に聖霊から命じられたことであった。

 

…「彼らは、アジア州(*) でみ言葉を語ることを聖霊に禁じられた…」とあり、それゆえにさらにトルコ半島を西のほうに下って行った。そこで彼らは、夢のなかで啓示を受けた。それは、一人のマケドニア人(**)が現れ、「マケドニア州に渡ってきて、私たちを助けてください」というものだった。

 

 (*)古代では トルコ半島の西部、小アジア地方を意味していた。)

(**)マケドニアとは、ギリシアの地域の名前。

 

 それがはっきりと神からの啓示であったことを悟り、パウロはマケドニア地方、ギリシアというヨーロッパ地域へと渡っていった。これが、キリスト教がヨーロッパの宗教となっていくことを強力に支えることになった。ローマにはすでに名を知られていない人たちによってキリスト教は伝えられていた。

 このように、キリストや使徒たちが福音伝道に命をかけて生きるようになったのは、単なる人間の教えや奇跡を見たとか、特定の団体や組織の命令、あるいは自分の人生経験などではなかった。

 それは、神(キリスト)の霊、聖霊の命令であり、その力によってであった。

 神の言葉についても、真に人間の魂に深く刻まれるためには、人間の表面的な読書や聞くことによるのではない。経験でもない。それは聖霊がはたらいて人の心に刻むのでなければ、決定的な転機をもたらさず、また力とはならない。

 そして、聖霊は、思いがけない人物との出会い、あるいは人間の言葉(書物)や自然の現象、あるいは苦難、病気、事故等々の出来事によってもはたらくことがある。

 内村においても同様であった。彼の場合は、最初の回心はクラーク博士による聖書との出会いであった。それまでキリスト教の真理に対してはまったく無知であって日本には有害だと考えていて、神社に行って、キリスト教を滅ぼしてくださいーと祈ったほどである。

 しかし、そこに聖霊がはたらき、クラークという人間が用いられて内村やほかの多くの学生たちもキリストを信じるに至った。クラークの強い働きかけは、聖霊によるものであったゆえに、札幌農学校の第一期生がキリスト者となり、さらに第二期生であった内村たちにもその力は及び、内村もキリスト者となった。

 それが彼の最初の精神的な大きな転換であり、キリスト教という真理の大海原に向って船出することになった。しかしそれは小さな小舟であり、この世の波風に揺られ、翻弄され、彼の魂は深い平安を得ることができなかった。

 そのために、確固たる平安を求めて、アメリカまで赴くことになった。そこで前述のアマースト大学のシーリー総長に出会ったのである。

 クラークによって点火されたキリストの真理へのともしびは十分な力は持っていなかったといえるが、なお燃え続けていた。

 それが、神の言葉を用いたシーリーによっていかなるものによっても消えることなき強いともしびとなった。シーリーの語った神の言葉に、聖霊がはたらいたゆえに、内村は生涯における決定的な転機となり、彼自身が言っているように、それなくば、聖書の研究と称する雑誌を刊行して、日本全国にキリスト教を伝えていくはたらきもなかったのである。

 このように、み言葉と聖霊(*)ーその両者相俟って思いがけない人がキリスト者となり、キリストの真理をこの世界に伝えていくことになる。

 

(*)聖霊のはたらきは、それゆえに内村鑑三もしばしば強調し、繰り返し述べている。

内村は、「霊」という語は、その全部の著作で、2726回使っている。この数は、聖霊、キリストの霊、主の霊などという語も含んでいる。そのうち、聖霊は、968回、 神の霊 227回、 キリストの霊 76回など。

 

 それによって、消えることなき真理が提供されていく。それはまた、この世界に大いなる見えざる波動となっていかなる事故、災害、戦争等々によってもとどめられることなく世界に響きわたっていくことになった。

 こうしたみ言葉と聖霊のはたらきは、キリスト以後の二千年にわたって世界で数知れず起こされてきた。現在、キリスト教信仰を与えられている者は、たしかにその程度はあれ、み言葉と聖霊がはたらいたからこそ、キリスト者となり、またキリスト者であり続けているのである。

  神の言葉として、「神を仰ぎ見よ、そうすれば救われる」      (イザヤ書4522

と言われている。これはきわめて単純なことである。

 旧約聖書は、キリストを指し示す。主イエスご自身が「聖書はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネ福音書539)と言われているとおりである。

 さきほど引用したイザヤ書の言葉において、「私」とは神であり、また新約聖書によれば、神とキリストは同じ本質を持つ存在であるから、神が私を仰ぎ見よ、といわれていることは、キリストを仰ぎ見よ、ということと同じとある。

 そして神は愛である、と言われているので、その愛は十字架でみずからが万人の罪を担って死なれたことに最も深くあらわされているゆえに、神を仰ぐことは、キリストを仰ぐこと、さらにはそこに最も神の愛が込められているゆえに、十字架を仰ぎみるーということにつながっていく。(*

 

*) 内村は、神やキリストを仰ぎ見る、あるいは十字架を仰ぐという表現を多く用いている。

〇神(主、十字架)を 仰ぎ見る

・仰瞻…82回 (第6巻からほとんどどの巻にも使われている)

・仰ぎ瞻る…92回

・仰ぎ見る…47回

・十字架を仰ぐ…24回

・主を仰ぐ…6回

・神を仰ぐ…15回  合計266回。

 

 私を仰ぎ望め、そうすれば救われるー。この単純なひと言は、無数の人たちに大きな光となってきた。

 ここでは、そのうちの一人、スパージョンのことをあげる。

 

スパージョン(*)の回心とその働き

 イギリスのスパージョンは、子供のときから両親から信仰の雰囲気ある家庭で育てられた。しかし、それがそのまま彼の信仰とはならなかった。10歳前後のときから、救いを求め続けるようになっていた。

 

*Charles Haddon Spurgeon(チャールズ・ハッドン・スパージョン)  1834〜1892年。

 なお、ヒルティはスパージョンと同時代に生きた人であって、自分が最もよく理解した人物として、キリスト、ヨハネ、トマス・ア・ケンピス、ブルームハルト、トルストイなどをあげているが、スパージョンについてもヒルティはしばしば引用し、やはりよく理解した人物の一人であったのがうかがえる。

「何といっても彼が最も熱心に精読して深く感化をうけた書物は『聖書』であり、これに次いでダンテ、タウラー、スパージョン等であった。」(眠られぬ夜のために第一部382頁 岩波書店)

 内村鑑三もあとで述べるように、まだ日本ではわずかしか知られていなかったときに、はやくも彼に注目して何度かスパージョンに言及している。

 

 そして、人間に罪があるということはわかっていても、自分の罪のことは本当はよくわかっていなかった。後になって彼は、「聖霊の御手にとらえられるまでは、自分の罪を認めることができなかった」と言っている。

 それゆえ、自分の罪が徐々にわかってくると今度はそれがどうしたら赦されるのかと悩み始めた。 聖書には、十字架にかかって身代わりとなって死んでくださって、それを信じるだけで赦しを与えられると書いてあり、そのことを繰り返し聞かされてもなお平安はなかった。

 そうした罪に関する悩みゆえに日曜日にはあちこちの教会の礼拝に参加したが、やはり平安は与えられなかった。

 彼が15歳のとき、雪のためにはじめの予定であった教会への道が難しいのを知って、近くの教会に行った。それは10数人の小さな集りだった。

 雪のために牧師が来ないので、代わりにふつうの人と思われる人物が説教壇に立って話し始めた。

 そのときの聖書箇所は、「地の果てのすべての人たちよ、私を仰ぎ見て、救いを得よ。」(イザヤ書45の22)であった。

 そしてその説教者は言った。「主を仰ぎ見るということは、とても簡単なことだ。指を動かすことも、足を上げることも要らない。大学に行く必要もない、愚か者であっても見るのに何の妨げもない。子供でもできる。

 だが、たいていの人は、自分を見ている。しかしそれは何の益にもならない。自分自身を見つめても、何ら慰めにはならない。…」

 そして、その説教者は、スパージョンを見つめて、「あなたはみじめな状態だ。

 もしあなたが、この聖句に従わなかったら、生きているときも、そして死においてもみじめな状態になる。

 しかし、いまこの聖書の言葉に従うなら、今のこのときに救われる!」

 と言った。

 そして、両手をあげて叫んだ。「若き人よ、イエス・キリストを仰ぎ見よ、見よ、見よ、見よ、あなたはただキリストを仰ぎ見るだけでよいのです。そして命を得なさい!」(*

 

*The preacher continued, "You always will be miserable,miserable in life and miserable in death if you don't obey my text; but if you obey now, this moment you will be saved."

 Then, lifting up his hands, he shouted,

"Young man, look to Jesus Christ! Look! Look! Look!

You have nothin' to do but to look and live."

 (「CHARLES.SPURGEON by W.Y.FULLERTON 34p 1966 MOODY PRESS

 

 このメッセージを聞いたことが、スパージョンの生涯での決定的回心となった。15歳のときだった。

 このイザヤ書の聖句、そしてキリストの十字架を仰ぎ見よという言葉を受けて、回心したこと、自分の内を見つめていても何にもならない、そして、自分の罪のことで悩み苦しんだこと、そこから十字架を仰ぎ見るーそれは内村鑑三の場合とよく似ている。(*

 内村鑑三は、スパージョンに関して次のように述べている。

 

…スポルジヨンの如く十九歳より伝道に従事せしあり  (「内村鑑三全集」第1274頁)

 

…「青年よ、自分自身を見ることなく、キリストを見よ」このひと言によって、英国の有名な説教者スポルジヨンは、その青年時代において、彼の全身を神に献げるに至った。

 日常、自分の欠けたるところ(罪)にのみ注目して、そこから離れないがゆえに、日々そのことを悲しむ者に対しては、その心は、良き点もあるといっても、まだ、神に喜ばれる者とはいえない。我らの罪は、キリストを見てはじめて我らより取り去られる。   我々が一日に百度も自分を顧みても我らを去るのではない。救いの秘訣は、実にこの一事にある。今日の青年は、英国のスポルジョンにならうべきである。  (全集第9巻139〜140頁)

 

…英国の有名な説教者スポルジヨンは私と同様に単独で雑誌(キリスト教の説教、メッセージ集)を発行した。

 ところが、その雑誌が彼の死後の今日もなお続いていて、その記事は主としてスポルジヨンの筆に成ったものである。

 すなわち彼の旧稿が再度印刷されて新しい冊子の記事となつて現われているのであり、とても喜ばしいことである。     (「全集」第29巻527頁)

 そして、スパージョンは、16歳の若さで不思議ないきさつで教会でメッセージを語る機会が与えられた。

 そして2年後、18歳の少年であったにもかかわらず、10数人の信徒がいる小さな教会の牧師となった。

 そして、彼の聖霊に満ちたメッセージにより多くの人たちが礼拝に加わるようになり、わずか数カ月で、200人を越えるようになった。

 さらに彼は、19歳のとき、ロンドンの大きな教会に招聘されることになった。それは1200人も収容できるものだったが、スパージョンが赴任したときには、牧師もおらず、広い座席は物置になっているほどで、あちこちに200名ほどが散らばって座っているという状態だった。

 そのような大都市の教会に、わずか20歳にも満たない青年が赴任するというのは通常では考えられないことであったが、その教会の疲弊した現状をなんとか復興したいと願うその教会員が、若きスパージョンの語る姿に実際に触れてその力と聖霊にあふれた内容に深く感じて、自分の教会にぜひ招きたいと考えるようになった。あまりの若さに不安を感じる教会員もあったが、最終的にその教会での牧師となった。

 その後、驚くべき変化がその教会に生じ、1年も経たないうちに、1200名を収容する会堂には人があふれるようになった。

 そのため、さらに新たに五千人を収容する大きな教会堂が建設され、その後すぐに、さらに増設されて6500人もの人を収容する会堂となったが、さらにそれでもおさまらないほどの人たちがキリストの福音を聞こうと集まってくるようになっていった。

 彼のメッセージ(説教)は、独特の詩的な表現、あふれ出る言葉が、すべて福音の真理を語り、それを浮かびあがらせるためのものだった。

 そのメッセージにおいては、準備に時間をかけ、真剣に祈り、学び、かつまとめられたが、それを朗読して説教するなどは決してなく、聖霊の導きのままに語り続けるのであった。

 彼を通して福音が語られるゆえに、その福音の力、み言葉の力に聖霊がはたらいて多くの人たちの魂がキリストのものとされていった。

 そうした聴衆の一人に、リビングストン(*)がいる。

 

(*)1813〜1873年。彼は、若き日にドイツの中国方面の宣教師、ギュツラフの働きに深く感じて、中国への宣教師を志すが、阿片戦争のために断念。アフリカへのキリスト教伝道に向う。そのために、アフリカでの伝道の拠点を調べるためにアフリカの各地を歩くことになって、その報告が当時はほとんど知られていなかったアフリカの実態を初めてヨーロッパに知らせることになり、そこからさらなる地理的な知見を得るために依頼されることもあり、アフリカをヨーロッパ人としては初めて横断し、地図もみずから測量技術を身につけたうえで作成した。そうしたことからアフリカ探検家とみなされることがあるが、彼自身の心にあったのは、常に福音をアフリカの人たちに伝えたいという願いであった。

 

 リビングストンは、スパージョンがみ言葉について語る集会に参加したとき次のような感想を残している。

 

…私は生涯、このような感動を受けた集会に出たことがない。私がもし再びアフリカの危険や混乱のただなかにあって、孤独でわびしい中、わずか十数人のアフリカの人たちを集めて、彼らに神の教えを伝えようとするとき、私の心を強く慰めるのは、ただこのときの集会の祝福された状況を思い起こすことである。

 私はいまだかつてあのような不思議な力を持つ説教者を見たことがなく、神の人が壇上に立って、あのような力あるメッセージをなしたのをかつて聞いたことがない。

(「スポルジョンの生涯」88〜89頁 日本基督教興文協会 1917年刊)

 

 そして、彼の日曜日の礼拝のメッセージは次々と印刷され、発行されていった。多くの外国語訳も発行され、現在ではインターネットでは大量の彼のメッセージがそのまま読めるようになっているし、「Treasury of David (ダビデの宝庫)」と題する詩篇の膨大な講解集は、古今のおびただしい注解者たちの注解などを各詩篇ごとに集められ、みずからの講解とともに収録したもので、一巻が千ページ近いものが全3巻、合計三千頁近い内容となっている。日本語に訳せばおそらくその数倍のボリュームとなると考えられる。

 そして現在では、インターネットでスパージョンの聖書に関するメッセージ(礼拝集会での彼の説教)は、その相当部分を読むことができる。キリスト教のあらゆる著作家にもまして、スパージョンは今日インターネットでも読むことができる最もその量が多い説教者であると言われている。

 

 このように、内村鑑三の大きな働きの原点となった聖書の言葉「私を仰ぎ望め、そうすれば救われる」(イザヤ書4522)は、キリストの時代以降は、「十字架を仰ぎ望め、そうすれば救われる」となり、この単純な信仰に聖霊がはたらくとき、この人類の歴史に絶大な働きをしてきたのであった。

 そしてこれは過去のことでなく、はるかな過去から現在、そして未来にわたって決して衰えることなき真理なのである。

(これは、2017年3月に名古屋で行なわれた内村鑑三記念講演会で語ったことをもとに加筆したもの)

 

 

リストボタン二つの道

 

  今日はこの世界に存在する二つの道ということを聖書、とくに旧約聖書の中から、そしてそれが新約聖書のキリストの言葉にも深くつながっていることについてお話をしたい。

 聖書という書物の大きな特徴の一つは、命か死か、白か黒か、光か闇かをはっきりと分けて対照的に書いているということです。普通の考えでは何が正しいか正しくないか境界がない。人間でも清いか清くないか分からないことが多い。

 しかし聖書の世界でははっきりしていて、始めから一貫している。これに対し、日本の古事記などにあらわれる神々は、完全に善なる存在というのではまったくない。

 例えばスサノオノミコトは古事記に記されているように、驚くような悪いこともしている。日本の神々は、万事そのような形で境界がない。徳川家康や豊臣秀吉、あるいは織田信長など、多くの人たちを殺害したような人も、神として祀られ、戦争で沢山の人を殺した人であっても英霊と称して神様になっている。

 狸や狐、白い蛇、あるいは大木や山さえも神として拝む対象になる。それらが善悪を持たないのは言うまでもない。

 このように、日本においては、何が本当に礼拝すべきものなのかそうでないのか、実にあいまいである。

 しかし、聖書の語るところは、はっきりしている。「礼拝すべき者、賛美されるべき」御方は、天地創造をされた愛と真実の神だけなのである。

 最初から闇と光という対照的な世界が示されている。「闇と混沌の中に光があった」(創世記1章)とある。

 また、最後の黙示録に、いのちの水を飲み、永遠の命を受けて生きるか、あるいは滅んでいくか、さらに、万物が新しくされるのか、それとも、最終的に滅び、消滅してしまうのか、という二つに一つということが最後まで記されている。

「見よ、わたしは万物を新しくする。…渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。」

「わたしは…輝く明けの明星である。…渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」

 

 聖書は、人間を見る目も通常の見方と異なっている。

 

「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいた。」(エペソ人への手紙2の1)と言われている。

 このような言い方はふつうでは考えられない。元気に、立派に生きている人もいくらでもあると感じるからである。

 しかし、聖書の世界では、完全な愛や真実を基準にして言われており、そのような基準をもとにみるなら、いかなる人間も不信実であり、その愛などはきわめてかぎられた相手にしか及んでいないためにこのように言われている。

 キリストは、そのような罪のために死んでいたわたしたちを救うために来られた。

「あなた方をキリストと共に生かし、―あなたがたの救われたのは恵みによる―キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださった。(同5〜6節)

 

 このことを私たちも信じ続ける、そして悪の力や死の力に対する最終的な勝利を頂く、すなわち天の王座に着くという恵みを受ける。

 この事はエペソ書だけでなく、新約聖書でとくに重要なローマの信徒への手紙を読むと、常識的な人間観、学校で学ぶようなそれと全く違うことがわかる。

 

  …ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にある。

「正しい者はいない。 一人もいない。…善を行う者はいない。ただの一人もいない。」

 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっているが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる。             (3章9節以下)

  万人が罪を持った存在であるゆえに、すべての人は救われないといけない。人間は変ることのない正義など持っていない。本当の愛もない。隣り人を無差別的に愛する愛とか、敵対する人、汚れた、不正な人…等々すべての人を愛する愛は人間にはない。

 無限の包容力を持った愛は聖書で指し示されている神様しか持つことはできない。人間の愛は、お返しがなかったら止まってしまう。

 このような意味で、人間は本当の神様のいのちをもらわなければ死んだ者だと言われている。

 神から受けて初めて本当の命がある。真に生きる。

 申命記は最初からこの命と死の問題を記している書である。

 

 …見よ、私は今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。 私が今日、命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと法を守るならば、あなたは命を得る。(申命記 30の15)

 

 この御言葉において、「今日」は、モ―セの時代であるから、今から三千数百年前のことだが、今日でもそれは変ることがなく、「命の道と災いの道」がある。

 

…あなたの神、主は…心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。(30の6)

 

 神を愛することの特別の重要性は、ほかの箇所でも、「あなたの神、主を愛し、…」(10、20節)と繰り返し出て来る。

 これは、まさにイエスが律法学者からの一番大事な律法は何か、の問いに答えられた言葉と同じである。

 

…イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。       (マタイ22の37、38)

 さらに、もう一つ、これと並んで重要なこととしてイエスは次のように言われた。

 「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』(同39節)

 これは旧約聖書のレビ記にある。(1918)申命記と共にキリスト者にもあまり親しまれない書であるレビ記に出て来る言葉である。

 信仰とはすべてを注ぎ出して神を愛し隣人を愛することであり、そうせよというのは、キリストが初めて教えたのではなく、旧約聖書からすでに言われていたことなのである。

 主イエスが伝道を始めるにあたって直面した荒野におけるサタンの試みに対しても、イエスはすべて旧約の御言葉をもってサタンを退けられ。

 このように、聖書の真理、真の命の言葉は旧約から新約までずっとつながっている。そしてすべてを完成したのがキリストなのである。

  そのように全身全霊で、神、主を愛し、隣人を自分自身を愛するように愛するならば「命」をもつ、と記されている。(16節)

 この「命」という言葉も何度も出て来る。 

…あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それがまさしくあなたの命であり、… (20節)

 

 これは、「わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14章6節)」とのイエスの言葉につながっている。

 主を愛することの重要性は、旧約から新約まで流れ続けているのがわかる。

  また、「御言葉」についても、次のように記されている。

… 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。(3014

 パウロもこの申命記の言葉を引用している。(ローマ10の8)

  このように、申命記30章はその最初から見ても「二つの道」―祝福の道とのろいの道、祝福される道と祝福されない闇・滅びに至る道があることを繰り返し、情熱的に明示している。

 これは旧約だけではなく、キリストのよく知られた「ぶどうの木」の譬え話にも書かれてある。

  「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネ15の4)

  実を結ぶことができない、枯れる、集められて火で焼かれる―というのは、(実る―祝福されるの逆)旧約聖書で「神の言葉に従わないものはのろわれる」ということを言い換えたものなのです。

  私たちは命か死か、実るか枯れるかの二つの道のどちらかを歩くのです。詩篇一篇は詩篇全体のタイトルでもありますが、その詩篇一篇でも、はっきりと二つの道が描き出されている。

 

「いかに幸いなことか…主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。 

その人は流れのほとりに植えられた木。

ときが巡り来れば実を結び 

葉もしおれることはない。

その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(1〜3節)

 

 ここに書かれているのは、主の教え、御言葉を愛する者の道である。

 それとともに、つぎのように記されている。

「神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。」(4節)

と、反対の道が明示してある。

 このように「二つの道」はいろんな所で、はっきりと書かれている。

 動物は本能で生きている。私たち人間も、自然のままでは、欲しいものを奪う、敵対するものを攻撃する…等々、動物と同じように本能で生きていこうとするが、それは滅びへの道となる。神に立ち帰らないと、私たちは枯れていく。

 水野源三(*)は、動くことも声を出すこともできない、そのような外見からでは枯れているように見える。

 

*19371984年。長野県生まれ。9歳の時赤痢、そのために脳性麻痺、目と耳の機能は残ったが話すこともできず、立つこと動くこともできなくなった。母親が彼の思いを読みとろうと、五十音表を指で指しつつ、彼がまばたきをして示すという方法で言葉を書き取ることができるようになった。彼はキリスト者となり、心にあふれる主にある思いが詩となり、讃美歌にも取り入れられ広く知られるようになった。

 

 しかし水野源三の詩を読む人はすぐに気付くことだが、彼の内には命があふれている。 彼は、聖書に触れ、キリストの真理へと導く人によって、キリストの十字架を仰ぐだけで命の道へ入れたのであった。

 彼がキリストを知らなかったら、言葉も言えず、動くこともできず、きわめて少数の人としか接することもできず、生涯を重度障がい者として自宅の狭い部屋のなかで、拷問を受けているような生活を送ることになり、それはまさに魂が枯れていく日々となったであろう。

 そのような枯れる運命ー滅びの道から脱して、いのちの道へと切り換えられたのはキリストによってであった。

 歴史の流れの中で、世界の無数の人たちは、彼と同じように罪と滅びの道ではなく神の道―主の十字架を仰ぎ、御言葉に従う道を歩けるようにしていただいて、平安を与えられてきた。

 主イエスが捕らわれる夜、その最後の夕食の後、イエスは捕らえられ、翌日に十字架につけられた。その左右の罪人の中の一人は、十字架の上で苦しみつつも、イエスをののしり、最後まで滅びへの道を歩いた。

 もう一人は、みずからの罪をみとめ、イエスが神の人であり、殺されても復活して神のもとにかえるということを確信して、私を思いだしてください!と願った。それによって、生涯の最後に、真のいのちへの道へと180度方向転換をすることになった。

 この人は、信ずる者はいつでも誰でも―たとえ重大な犯罪を犯したり、何のよきこともないような人間でも、ただ信じるだけで、天の楽園に行くことが出来るという主の祝福、救いを約束された第一号になった。   (ルカ23の43)

 私たちの現状は、毎日の生活の中で絶えず神の国にある清く真実なものを見るのでなく、その反対の方向に引っ張られている。

  私たちは朝起きてまず何をするであろうか。良き書物や祈りから始め、空や周囲の自然の姿を見ようとするか、あるいはテレビや新聞を見るであろうか。テレビや新聞は昔は一切なかったから、昔は朝起きると家は電気もなく暗いので外に出る。そして空や周囲の野山を見るーこうしたことが多かったであろう。

 今は朝起きたら、まずテレビや新聞、あるいはスマホなどを見るという人がおそらく大多数ではないか。

 そこでは、次から次にこの世の出来事が報じられ、経済学者や社会学者、マスコミ関係者が登場し、いろいろと解説し予見する。

 しかし、福島原発のような大事故を予見し、警告していた人は、学者でも一般の人たちでもごく少数であったし、イギリスのEUからの離脱とか、アメリカの新大統領にトランプ氏がなると予見した人もわずかだった。

 だから私たちは、そのような揺れ動く現実をまず知ることでなく、変ることなきもの永遠的なものを見つめることが求められている。

 神の言葉をいただくこと、あるいは神の直接の被造物である自然ー大空や雲、周囲の自然等々を見ること―が私たちの目標となる。

 

…わたしは今日、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。

 あなたは命を選び、あなたもあなたの子 孫も命を得るようにし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それがまさしくあなたの命である。…

    (申命記30の19〜20より)

 

 神は万物を意味なく造られたのではなく、いろんな物にメッセージを込めておられる。

 全能にして全愛なる神様は、すべてのものをキリストによって造られた。すべて意味がある。それゆえ、絶えず目を覚ましていなさいと言われる。

 

…野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

     (マタイ6の28〜29より)

とイエスは言っておられる。自然はさまざまなことを呼びかけている。

 また旧約聖書でも次のように言われている。

 

… 天を仰ぎ、よく見よ。頭上高く行く雲を眺めよ。

            (ヨブ記35の5)

 ヨブは神を信じ、子供たちの罪の赦しを願って日々祈りを捧げるような信仰深い人であったが、突然に襲いかかった家族の死、財産の略奪、重い病気等々に襲われ、さんざん苦しみ、友だち三人が来てあれこれその解決を試みるが、少しも軽減されない。

 しかし、最後に登場した若いエリフの上の言葉、それに続く神様の言葉によって一変する。

 ふつうの人は、困難にある絶望的状況の人に対して、「天を仰げ、雲を見つめよ」などのようなことを言わない。流れゆく雲にどれだけ深い意味が込められているか考えない。

 青く澄んだ空を流れゆく雲もまた、私たちへのメッセージをたたえ、祝福の道への呼びかけがそこに込められている。

 聖書もその最後の書である黙示録の最後の部分において、キリストを「明けの明星」としている。

 夜明け前、人がまだ寝静まっているそのときに、暗夜に強く輝く明けの明星(金星)をみて、迫害の満ちている世界にキリストが再びきてくださる!という強い願いをもってその星を見つめたのがうかがえる。(黙示録22の16)

 私たちの生活の日々のなかで、つねに二つの道が前途につづいている。

 その一つは滅び、もう一つが祝福といのちの道。後者を歩むためには、何もいらない。ただ信仰あれば足りる。そして神の言葉(聖書)にたえず触れ、目に見える神の言葉でもある周囲の自然に目を向けつつ、聖霊に導かれて祝福の道をともに歩ませていただきたいと願っている。

  (これは、2016年11月11日 鹿児島聖書集会にての聖書講話を、集会代表の古川静兄がまとめてくださったものを一部修正、加筆したものです。)

 

 

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 〇小鳥たちのコーラス

 徳島市にある徳島聖書キリスト集会の集会場での朝、すぐ前の木にて、一羽の小鳥がさえずり続けていました。

 それはカワラヒワで、飛ぶときには、美しい黄色の羽を見せる小鳥で、鳴き声も二通りの声を聞かせてくれます。

 そこにヒヨドリ、またキジバト、そしてスズメ、と町中の家であるにもかかわらず、次々と小鳥たちがきて、それぞれに歌を歌っていたのです。

 その集会場から10数`南の低い山にあるわが家では早朝からウグイスがすぐ近くで歌っていました。

 山は、広大な自然植物園のようなもので、さまざまの植物が自由に育っていますが、そこにはまた、多様な小鳥たちもやってきます。 子供のころは、だれが口笛を山で吹いているのかと不思議に思っていたアオバトもときどき訪れるし、毎年春にさえずりはじめるウグイスの歌に慰められ、またそうした小鳥の歌声を指揮する創造者(神)のみわざをも思います。

 夕空に、去年からずっと見えていた宵の明星(金星)はもう見えなくなりましたが、夕方暗くなるころには、東の空に、木星がその強い光を見せています。

 そのため、木星はこの頃には夜通し見えていて、早朝4時ころには西の空に沈んでいきます。

 

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来信より

〇…北田康広さんの、「人生の海の嵐に」、「紫の衣」、「主の後姿」3曲は、四苦八苦して暗唱しました。「紫の衣」という賛美の作詞者は、裁判官の方のものだと知って驚きました。(関東の方)

 

〇3月号に、ヘボンに関する記述の続きは次号にと書きましたが、いろいろな都合で今月号には掲載できず、次回になりました。

 

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・名古屋市での内村鑑三記念講演会

 3月12日(日)は、名古屋市での内村鑑三記念講演会にて、「私を仰ぎ見よ、そうすれば救われるー内村鑑三の原点」と題して語る機会が与えられました。(今月号に掲載)

 もう一人の講師は、去年五月の徳島での無教会の全国集会に初めて参加されていた豊橋市の岩田堯氏でした。

 今回初めてお会いした浪川幸彦氏は、数カ月前からのいろいろな連絡や当日などいろいろお世話になり、前夜には初めての方々と主にある交流が与えられて感謝でした。 浪川氏は私より数年あとに、京都の北白川集会に参加されていたとのことで、50年ちかく昔の日々のことが思い起こされました。

 また、今回、名古屋での講演会のことで最初に話があったのは、かつて名古屋大学で教育学を講じてこられた安彦忠彦氏からでした。安彦氏は、東京在住なので、直接に講演会には参加はされていませんでしたが、いまから45年ほど昔、東大の西村秀夫氏の聖書研究会と、京大の富田 和久・塩谷ゆたか両氏が責任者であった北白川集会とが合同の聖書講習会を長野県の白馬岳山麓でなされたときに知り合った方でした。半世紀近い昔の一度だけの合同聖書集会のつながりが現在もつづいていることをあらためて感謝をもって思い起こしました。

 それとともに、キリストにかかわる集りには予想していなかった祝福が伴う、しかも何十年もあとになってもそれがつづくということを、今回のこと以外でもいろいろと知らされてきたことです。キリストのためにエネルギーや費用、時間、そして心を注ぐことの大切さを思わされたことです。

 今回の名古屋での講演会の参加者は私の知らない方々がほとんどでしたが、中には、数十年前からの「いのちの水」誌(以前は「はこ舟」という名称)の読者であり、2008年の徳島での無教会の全国集会に御夫妻で参加された木村尚文、ハンネローレご夫妻が参加されて再会の機会が与えられ、また三重県からは私どもの徳島聖書キリスト集会の主日礼拝にスカイプで参加されている方もみえておられて、あとでお話しをする機会も与えられて感謝でした。

 私がどこでお話しする場合でも、心がけていることは、初めての方、信仰に確信がもてない方がどうか神の言葉の力に触れ、聖霊を与えられるようにとのことです。今回もまだ信仰のない方々に、内村鑑三やスパージョンなどの大きなはたらきのもとになった御言葉ー私を仰ぎ望めーということが、いまも働いて、信仰に近づき、あるいは深められるようにと願いつつ語らせていただきました。

 また、その翌日13日(月)は、静岡県清水区にて清水駅前のマンションで開催されている清水聖書集会(責任者は西澤正文氏)にて御言葉を語る機会が与えられ、日頃参加されていない方々ーその中には、仙台の田嶋さんも含まれ、ご家族の用件で静岡に来ていて、参加されました。

 さらにその翌日14日(火)は、静岡市の石川宅にての家庭集会でも御言葉を語らせていただきました。

 いまは天に帰られてある石川昌治兄のことをしのびつつ、御言葉と賛美、祈りを参加者とともに与えられて感謝でした。

 

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〇講演会録音CD

 3月12日に行なわれた名古屋での内村鑑三記念講演会で私が語った内容は、今月号に修正あるいは追加をして書きました。

 今回の二人の講師による講演内容は録音があり、その録音CD(MP3形式)をご希望の方は、奥付の吉村孝雄まで申込ください。MP3形式のCD1枚で、300円(送料込)です。(200円以下の切手でも可)

 

・なお、MP3形式のCD録音は、ふつうのCDプレーヤでは聞けないので、パソコンまたは、MP3対応のCDプレーヤが必要です。最近も何名かの県外の方々から問い合わせと申込がありました。現在のインターネットでの購入価格は、6千円余ですが、ネットでの価格はたえず変動していて、この価格より上昇することもあります。

 MP3対応のCDプレーヤは製品としてはわずかしかなく、その中で、ソニー製のCDラジオはとくにネット上でも多くの人たちの評価が高いものです。

 MP3形式での録音CDは、徳島聖書キリスト集会からは、吉村孝雄による聖書講話シリーズ(創世記、出エジプト記、サムエル記、詩篇、マタイ、ルカ、ヨハネ、コリント、ローマ、等々)、それから去年の無教会の全国集会の全内容の録音、今年の横浜の森の家での冬季聖書集会の録音、去年の近畿無教会集会等々、さらに徳島聖書キリスト集会の毎月の主日礼拝、夕拝などの全内容を収録したMP3CDなど、いろいろあります。

 CDラジオが自分では購入難しい方々でご希望の方は奥付の吉村孝雄まで、電話、メール、FAXなどで申込あれば、ネットショップで私が代金先払いして、ショップから直送するようにできます。(商品到着後に代金は郵便振替で私にお送りいただくという方法です。)  

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