「いのちの水」 20194月号   第698

恐れるな、私はあなたと共にいる。私はあなたを強くし、

あなたを助け、わが勝利の右の手をもってあなたを支える。

                     (イザヤ書4110

目次

・萌え出づる春

・目が開かれる

・真に新しくするもの

・引きこもりからの解放

・戦後の皇室とキリスト教

・森祐理、岡兼次郎両氏の証し

・お知らせ

・徳島聖書キリスト集会案内

 

リストボタン萌え出づる春

 

 いまから千年以上も昔から、人々は、春には独特の新鮮さを感じてきた。

 

 石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (志貴皇子『万葉集』巻8・1418)

 (岩の上を激しく流れる滝のほとりでは、わらびが芽を出す春になった!)

 

  この歌からは、春に対しての新鮮な燃えるような感動が伝わってくる。

 岩の上を流れる清流とあいまって新芽のうちに宿る命の力がここからあふれている。

 中学生になったときに初めて、この歌に接して忘れられないものとなった。

 春になり、枯れたようになっていた樹木たちが、一斉に初々しい新芽を出し、どんどんその芽を大きく成長させていく姿を見るとき、つぎの聖書の言葉を思いだす。

 

…古きもののは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。

         (Uコリント5の17

 樹木でなくとも、だれでも、古い汚れた自分、枯れたようになっている自分が新しくされること、その心が一新され、新たな希望、そして力が湧いてくるような状態を望んでいるであろう。

 一般的に言えば、若き日々のときには、生命力であふれていると言えよう。

 しかし、現実には、若い世代でもその心が深く傷つき、生命の力を喪失し、生きていけなくなっていく人たちが多くいる。

 若い世代、また老年の世代、いずれの世代においても、新しくする力を求めている。

 そのような新鮮な力を与えられ、私たちの魂の世界に「萌えいずる春」、そして谷を流れる清流のようなものがつねにあるようになりたい。

 そのような力はどこにあるだろうか。いかなる人でも、いかなる時代にあっても、どんな年齢にあっても、力を受けとることができるーそんな力の源は人間にはない。

 それができるのは、宇宙万物を創造する絶大な力を持っておられる神だけである。

 私たちは、その神に求めよう。求めよ、そうすれば与えられる。というキリストの約束を信じてー。


 

リストボタン目が開かれる

 

 旧約聖書に、次のような記述がある。数千年の昔の預言書エリシャは、周囲が敵ばかり、という追い詰められた状況にあって、「主よ、彼(従者)の目を開いて見えるようにしてください」と神に願った。すると、目が開かれ、火の戦車が見えたという。

 この「火の戦車」はエリヤが天に引き上げられた時も「火の戦車」に乗って行った、とあり、それは、悪を滅ぼす神の力を表している。エリヤは、そのような力を与えられた生涯であったことが象徴的に示されつつ地上を去っていったのである。

 現代においても、神からの啓示が与えられるときには、目には見えない神の正義の裁きを表す「火の戦車」というべきものでわたしたちは取り囲まれているのが示される。

 この世界は目に見えることだけを見ていたら、まわりは、悪や嘘、偽り、そこから生じる戦争や混乱等々で満ち、囲まれており、先行きは闇である。

 しかし、霊の目が開かれたら、そのような状況にあってもなお、神の力が取り巻いているのが示される。

 黙示録には、その著者が「万の数万倍」のいわば無数の天使たちが、壮大な声で次のように言っているのを聞いたと記されている。

 

…小羊(キリスト)こそは、力、英知、栄光、賛美を受けるにふさわしい御方…(黙示録5の12より)

 

 まわりには敵対するものばかりのただなかであっても、自分を助けてくれる神の力に取り囲まれていることが啓示さる。それゆえに、そのキリストの福音の真理のために、激しい拷問を受け、殺されることさえ甘んじて受けたり、その福音伝道のために命をかけて、すべてを捨てて神に従ってきた人が存在してきたのである。

 歴史的にみると、さまざまな出来事が、霊の目を開かれた人たちによって、良き方向に変えられてきたのを知る。

 そして、わたしたちも、霊の目が開かれるとき、イエスの十字架の意味がわかり、信仰が与えられ、今も神の力が取り巻いていてくださっていることが信じられるようになる。

 わたしたちに、さまざまな難しい問題が起こる。病気、家族のこと、世界の問題。どこを見ても、悪の力に囲まれているようにさえ思える。しかし、霊の目が開かれると、そこに神の助けがあり、神の力に取り巻かれているのがわかる。そのことを明確に啓示されてきた人たちによって、福音は伝えられてきたのである。

 霊の目は科学技術や医療の力では開かれない。それは神の力によってのみ、開かれていく。じっさい、目が見えなくても、霊の目が開かれると、神の御支配がわかるようになっていく方々を知らされている。

 創世記の初め「光あれ」と神が言われた。それは、霊の目が開かれた人が受け取った真理であるし、神の御手が私たちの魂の臨むときには、どんな人であってもその霊の目が開かれ、神の光を感じるようにされることを意味している。

 キリストの使徒ステファノは殺される死の直前に、目が開かれて天のキリストが見え、安らぎに包まれて、殺そうとする人を赦してくださいと祈って死んだ。

 アブラハムも、老年になってやっと生まれた神の約束のひとり子イサクを捧げよと言われ、わからないまま信じて従っていった。そしてイサクを捧げようとしたとき、アブラハムは目が開かれて、捧げものの羊が見えた。

 聖書とは、その全体を通して、そこには目が開かれた人のこと、そこで与えられた真理が記されている書物だと言える。

 人はいつ、目が開かれるかはわからない。神は何をそのために用いられるかわからない。だから、あきらめることはない。もう、ダメだ、ということもない。私たち自身が絶望的な状況に陥ったとしても、そこで目が開かれ、神の大いなる助けに接することもある。 また、祈り続けている相手が、いつ目が開かれるかはだれにもわからないが、神の御心にかなったときには、およそ信仰など持たないと公言していた人でも、突然信じるようにもなる。

 そして、ここでエリシャも祈りによって、目が開かれたことが記されている。二人三人、ともに祈るときにイエスはいてくださる。しかし、油断をしていると、目が開かれなくなる。また、あの人は目が開かれないだろうと他者を裁くとき、自分の目が見えなくなってくる。

 わたしたちも何が起こるかわからない。そして、さまざまな問題を今も抱えている。しかし、はるか数千年前から、どのような敵が来ても、霊の目が開かれるなら「火の戦車が取り巻いていた」と記されているように、いかなる問題が起こっても、そこに神の力が取り巻き、守ってくださっていることを信じて歩ませていただきたい。

「信なくは立たず」これは、古代中国の哲人(孔子)の言葉であるが、現代の私たちの日々の生活もこのひと言は真理であり続けている。


 

リストボタン真に新しくするもの

 

 平成という元号が終わって、令和という元号になる。新しい時代ーという言葉をしばしば見かける。

 たしかに日本だけに通用する元号というのが変るという点においては、新しくなる。しかし、日本以外の人にとっては何らそれは関係ないし、何かが新しくなったということはない。

  少数の人たちによって決められた元号が、国民を本当の意味で新しくすることがあるだろうか。新元号が決まったすぐあとに、副大臣が、山口県と北九州を結ぶ道路に関して、政権の中枢にいる人たちに忖度したなどといって辞職に追い込まれたが、元号が変っても、人間の心は変るものではないのをすぐさま明らかにされたようなものである。

  本当の新しさを生み出すものは、人間の魂の深いところが変えられることによってであり、そのような変革の力を持つものは、日本だけでなく、国や地域、人種にかかわらず、また時代によっても変わらない。

 たとえ、死が近づいてもそのような新しくさせる力は弱まることがない。死の世界の彼方の全く未経験の新しい世界へと死を越えて続いているのが、信仰によって予見されるからである。

 新しくなるというとき、人間の外側が変る、内側が変るーこの二つがある。

 外側ー服装や家、また居住地が変るとき、一時的に新しい気持ちになる。また新しい年がくると、何か気分が変わったように感じることもあるだろう。

 結婚や、出産ということでも同様である。たしかに、そうした区切りで何か新しいものを感じることがあるだろう。しかし、それは一時的である。

 新年も少し経つと、それ以前と変わらない生活の連続となり、新たな服を着ても、すぐにそれに慣れてしまい、また新たなものを求める。令和という元号に変わったからといってもその新たな何かはすぐに消えていく。

 とくに、現在重い病気や、困難な問題のため、絶望的になって死にたいとまで思っている人たちー日本では、毎日六十人近くの人たちがみずから命を断っているーにとって、元号が、変わったからといってその体や心の苦しみが軽くなったりするだろうか。

 旅行に行く、それも何か珍しいもの、ふだんは接しない観光地や風景や食物、温泉といったもので何か新しいものを受けとることを期待するゆえに旅行に行こうとする。

 それによってときにはたしかに、以前と全く異なる世界に触れることもあって後の人生に大きな影響を及ぼすこともあろう。

 しかし、それも全体としてみれば少数である。

 今から五十年ほど昔は、外国に行く人は、年間二十万人余りであったが、現在では、千八百万人ほどにもなっている。それほど多くの人たちが外国へ行っているが、人の心は、より新鮮に、またより清くなったり、正義への感覚が鋭くなっているだろうか。

 選挙での投票率は低下し、原発の大事故、憲法問題、自衛隊や沖縄問題など、政治的に重要な問題が生じても、学生たちもほとんど反応を示さない。

 沖縄の基地問題にしても、繰り返し県民の明白な意志が表されたのに、それでもなお、辺野古への基地移転を強行するというやり方は、明らかに正義に反する。

 戦前において、満州や朝鮮の人たちの強い反対の意志があっても、それを日本の支配権が及ぶようにしたことがあった。

 とくに、朝鮮半島は武力を背景に日本の領土とされた。そして、言葉まで日本語を強制するに至った。

 また、政府は、大量の農業移民として、日本の農家の人たちを満州に移住させる計画を立てた。それは、実に百万戸を二十年にわたって満州に送り出すという驚くべき計画であった。

 他国にそのようなことを強行することは、現代の感覚からすると暴挙というべきである。

 だが、そのような異常なことも、何とも思わないほどに、朝鮮の人たちや満州の人たちの権利やその意志が無視され、蹂躙されていたのだった。

 現在の沖縄における基地問題ー国家権力によって弱い立場の者の立場や考え方を無視して強行するということは、そうした戦前のやり方と共通するものがある。

 原発のことに関しても、福島の大事故の際に、風が関東方面に全面的に吹き続けていたら、関東全域が強い放射能汚染地帯となって数千万人が避難せねばならないという事態になる可能性が濃厚であった。たまたま風が三月上旬という季節のゆえに、大陸からの風は大部分が太平洋に向ったから そうした大惨事にならずに済んだのだった。そしてごく一部の風が関東方面や北西方向に吹いたために、関東の一部には放射能がかなり高くなる地域が生じ、とくに飯館村などは強い放射能を浴びることになった。

 こうしたことから考えても、原発を再稼働したり新たに原発をつくるなどは、巨大地震、巨大火山噴火などによる破壊によって大事故が生じると日本は壊滅的になる。

 しかも放射性廃棄物の処理は 日本のような国土においてはさまざまの意味において著しく困難である。

 こうしたことを考えるとき、若い感性のある学生たちが、真剣な議論を学内で続けるなり、原発に反対の考えを表明するということは当然と思われる。

 しかし、そうしたことは ごく一部の例外を除いてはほとんど見られない。

 五十年ほど昔は、ベトナム戦争や安保改訂問題において、多数の学生たちは、多くの議論、話合いを学生同士でやり、またデモやさまざまの印刷物を配布するなど、国(政府)のやり方が間違っていると感じたことに関しては、敏感に反応し、行動するということがあったのである。

 なかには暴力をふるったりする者もあったが、私自身が当時じっさいに経験したことから言えば、日本や世界の重要問題について真剣に考え、互いの意見を交わしあっていた人たちが多かったのである。

 また、私たちに、さまざまの問題に関して、より正確で、詳しいことを知るために不可欠であるはずの書物を読まなくなってしまったこと…等々、いくらでもマイナスの方向になっていることがある。

 このように、外国旅行とかがいくら増大しても、だからといって人間の心は新しくなったり、純粋な愛や真実が深まったり、真理により敏感になったりしない。

 真理ー正義や愛、あるいは美そのもの等々に鈍感になるーそれは、ほかの動物と本質的に異なるそうした目には見えないものを感じ取る精神、霊といったものを与えられている人間にとって、その本質が古びていくことである。

 そして、生きる力をも強めるものとなっていないことは、前にも記したように、わが国全体でみてもその自殺率は、世界でトップクラスであり(*)、女性の自殺率は世界第三位という。

 さらに特に若者の自殺率が、世界で最も高いという憂慮すべき事態となっている。(**

 

*)日本での人口10万人あたりの自殺者数= 19.5人。 世界で 6番目。毎日約60人が死んでいる。      (毎日新聞 2018.1.21)

 

**)「絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している。1524歳の自殺率は、90年代以降ずっと上がり続けていて、しかもそれは、日本の特徴。(PRESIDENT Online 2016.1.12 教育社会学者 舞田 敏彦)

 

 さらに、後に述べるが、引きこもりの人たちの多さに驚かされるし、それが若年層だけでなく中高年にも多いということが明らかにされた。

 外側を変えることとは大きく異なるのが、内側を変えることによって新しいものが生まれ、またじっさいに感じられるようになることである。

 外側は変わらないにもかかわらず、見慣れた出来事や、周囲の小さなことに対しても新しいものを実感するようになる。

 わざわざ遠い外国に行って珍しいものや美しい風景に触れなくとも、ごく身近な道ぎわの野草や樹木、また日々の大空や風の動き、樹木の枝や葉の奏でる音楽のなかにさえ、新たなものを見いだすようになる。

 それでは、どのようなことが私たちの内側をその深いところにおいて変えるのだろうか。

 今月号の最初にあげた聖書の言葉を再度ここに引用する。

 

 …だれでもキリストの内にあるならば、その人は新しく造られた者である。

古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。

      (Uコリント5の17

 ここに、私たち自身が新しく造られた者になる道が示されている。それは、「キリストの内にある」ということである。

 新しい者になるーそれは「救われる」ということであリ、そのためには、キリストの内にあることが必要。キリストの内にあるとは、どういうことか。

 「私のうちにとどまれ、そうすれば私もあなた方の内にとどまっていよう」(ヨハネ福音書15の4)

 キリストの内にある、言い換えると、キリストの内にとどまるためには、ただキリストを仰ぐだけでよい。このことは、キリストよりも数百年昔からはっきりと言われている。

 

地の果てのすべての人たちよ、

私を仰ぎ望め。

そうすれば救われる。

      (イザヤ45の22)

 

 神を仰ぎのぞむーただそれだけで、救われる。現在の私たちにおいては、キリストの十字架を罪を赦してくださったしるしとして仰ぎみるだけで、救いの平安を与えられる。 そして私たちは、神の内に、キリストの内にとどまるようになり、神もまた私たちのうちにとどまってくださる。

 福音書には、盲人や中風の人をイエスのもとに運んできた人たちは、ただキリストを神の力を持った御方だと信じて仰ぎみるだけで救いを受けたことが記されている。

 十字架でキリストとともに処刑された重罪人もまた、その最期のときに、自分の重い罪を知り、キリストを仰ぎみて、御国に行かれるとき、私を思いだしてくださいーと心から願っただけで、主から「今日、あなたは私とともにパラダイスにいる」と救いの宣言を受けることができた。

 弟子たちさえ、イエスが死後復活するということを信じられなかったときに、その重罪人は、イエスには神の特別な力が働いていることを確信し、復活を信じていたのだった。

 万物の創造者であり、根源である神こそは、真の意味で私たちを新しくし、しかも永続的に、新しく、死にてさらに完全に新しいものーキリストの栄光と同じようなものと復活させてくださるのである。      (ピリピ書3の21

 


リストボタン引きこもりからの解放

 

 仕事や学校などの社会参加を避けて家にいる状態が半年以上続いている人たち(引きこもり)の人たちが、多いのに驚かされる。

 3月29日に公表されたデータによれば、40〜64歳のひきこもり状態の人が全国に61万人、3年前のデータになるが、15〜39歳の「若年ひきこもり」は54万人と推計されている。

 従来、引きこもりとは、若い人たちに多い現象という意識があった。この調査を担当した内閣府の担当者も、予想以上に多いと言っている。

 

 15歳〜64歳までの合計では、115万人にも及ぶことになる。

 学校や仕事があるのに、いけなくなった。そして家でほとんど一人、あるいは家族といるだけ、という孤独な状況にいる人たちがいかに多いかを知らされた。

 学校や職場に行けない、それは人間の集りに入っていけないということであり、人間との関わりが重荷となるゆえ、苦痛であるゆえだと考えられる。

 今回の発表以前から、全国の自治体や研究者から、ひきこもりの半数が40歳以上という調査結果が次々と出ていたという。

 人間はだれでも重荷を持っている。健康な者といえども、遊びや勉強、また仕事の面で、絶えざる競争に直面して、人間と会いたくないという状況に陥る。

 そのようなとき、閉じこもることによってますます周囲の生徒や社員から置き去りにされてしまったという意識が強まるし、半年以上経ってようやく学校や職場に出たとしても、勉強や仕事は遅れ、ほかの人たちに迷惑をかけるという気持ちとなり、続けるのにはさらに重荷がかかってくる。

 重荷は、引きこもりになっていない人たちにももちろん存在する。やはり学校や職場において非常な競争がなされ、また真実な心でなく、表面的なつきあいによって偽りの人間関係を維持していかねばならないことによって心身への圧迫が生まれる。

 これはまた、パソコンやスマホが広く浸透し、インターネット情報などがはんらんして何でも手に入るという状況が、表面的なつながりは増えても、かえって人と人との真実な友好関係を失わせていきつつあるという側面もある。

 車や電車、飛行機などは膨大な数が人間を乗せて走行、飛行する。インターネットが現れてどのような情報も次々と簡単に手に入る。大規模店舗が現れ、昔からの八百屋、豆腐屋、魚店、洋品店…等々が滅びさっていく。それらはそれらの小さき店の店主との交流の場ともなっていた。

 そこには、魂の交流が生まれない。インターネットとか前述のようないろいろな交通機関やインターネットなどが広く出回るにつれて、ますます人間同士の深い、また素朴な交流は失われていく。

 自然も、道路の普及、建築物のために、ますます遠くなり、あるいは滅ぼされていく。

 自然こそ、引きこもる状況になった魂にもやさしく語りかけるものであるのに…。

 また、会社や公務員などの仕事に出ていって、人との交際などもあるーどこにも引きこもりの状態とは見えない人でも、心が他者とは交流できずに、かたく自分の殻に引きこもっているという状態は非常に多いと考えられる。

 心を注ぎだす相手を持たず、また他者からの真実な心が自分に注がれることがないという状態である。

 そうした魂の引きこもり状態は、人間不信から生まれることもしばしばである。他者から差別、冷遇されたり、侮辱され、あるいは偽りのことを言われたりーそうすることで、人間全体に不信感が生まれてしまう。

 そんなとき、そうした人たちに、あのキリストの言葉ー疲れた者、重荷を負っているひとは誰でも 私のもとに来なさい。私が軽くしてあげよう。(マタイ福音書1128)ー

 それが響き、その静かな細い声を聞き取るときには、そうした引きこもりを脱する力が与えられることは確かである。

 それは神の力であり、人間の力のような不純かつ、影のようなはかない言葉ではないからである。

 人は、人間の考えや交流によってはどうしても脱することのできないものによって縛られている。それを罪の力といっている。

 そこから解放されることこそ、人間の根本問題であり、それを聖書の世界は一貫して告げ知らせているのである。

 


 

リストボタン戦後の皇室とキリスト教

 

 3月30日のNHKの番組「天皇 運命の物語 第4話 皇后 美智子さま」において、明仁(あきひと)天皇のこととともに美智子妃のことも放映された。美智子妃のために話し相手として、呼ばれたのが、神谷美恵子だった。

 神谷美恵子の父は、前田多門といい、内村鑑三にキリスト教を学んだキリスト者であり、後に、朝日新聞社論説委員を経て、文部大臣となっている。その前田と共に内村のもとでキリスト教信仰を導かれた人たちに次のような人物がいる。

 川西実三(日本赤十字社長)、黒木三次(陸軍大将の黒木為驍フ子で、貴族院議員)、黒崎幸吉(無教会のキリスト教伝道者)、高木八尺(東京帝大教授、法学者)、塚本虎二(無教会のキリスト教伝道者)、鶴見祐輔(衆・参議院議員、著述家)、前田多門(文部大臣。前田美恵子ー後の神谷美恵子の父)、三谷隆正(旧制第一高等学校教授、法学者)、三谷隆信(隆正の弟で宮内庁侍従長)、田中耕太郎(最高裁判所長官)たちがいた。

 (なお、同じように内村のもとで聖書を学びつつも、キリスト者とはならなかった人たちに次のような人物がいる。著名な作家として、小山内薫、有島武郎、志賀直哉、武者小路実篤、長与善郎、中里介山ら。教育関係には、森戸辰雄ー文部大臣、衆議院議員、広島大学初代学長ーらがいる)

 

 神谷美恵子が、美智子妃との話合いの結果などを個人的に知らせた相手が、田島道治(たじま みちじ 18851968年)であったが、田島もまた内村鑑三に学んだキリスト者だった。

 田島は、旧制の第一高等学校から東京帝大に学ぶ間に、すでにあげたような人々とともに内村鑑三に信仰を学ぶようになった。

 戦後、田島道治は、初代宮内庁長官。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にあって宮中改革に尽力した。

 美智子妃は、自身がカトリックの聖心女子大学にて学んだ。皇太子と結婚後、民間からの初めての皇后としてさまざまの悩み、悲しみを持った。そのときの相談相手として呼ばれたのが、神谷美恵子であった。

 神谷は、父の前田多門が内村鑑三に学んだキリスト者であったり、伯父の金澤常雄が無教会の伝道者であり、そこで聖書を学んで、キリスト者となっていった。父の前田多門は、朝日新聞論説委員、新潟県知事、貴族院議員を経て、文部大臣となった。

 神谷は、後に、精神科医となり、医長として特に長島愛生園(ハンセン病療養所)にて働いた。津田塾大学教授。兄の前田陽一はフランス文学者。東大教授となった。

 美智子妃は、この神谷美恵子との一対一の交流において、深くキリスト教、またハンセン病という絶望的な状況にいる人たちと関わっている神谷の姿勢に大きな影響を受けたと考えられる。

 

 次の歌は、現在の昭仁(あきひと)天皇の歌である。

 

 語らひを 重ねゆきつつ 気がつきぬ われのこころに 開きたる窓

 

 天皇は、次のように言われたことがある。

「結婚によって開かれた窓から多くのものを吸収し、今日の自分をつくっていったことを感じます。」

 開かれた窓ーそれは結婚によって開かれたとのことであり、それは、結婚相手の美智子妃によって開かれていったということになる。

 天皇自身、こどもの頃、太平洋戦争の終わった翌年から四年間にわたって、アメリカのクェーカー派のキリスト者であるバイニング婦人の教育を受けており、キリスト教の精神について直接に感じ取る経験を得ていたゆえに、キリスト教系の学校で学んできた美智子妃との結婚で、いっそう窓が開けていったと考えられる。

 美智子妃ご自身は何によって心が開かれたのであろうか。他者が接して精神的に開かれるためには、本人がまず開かれていなければならない。

 彼女は、小学校時代は、カトリックの雙葉学園(ふたばがくえん)で学び、その後、中、高校から大学に至るまでもカトリック系の学校(聖心女子学院)で学んでいたのであるから、キリスト教のことは親しいものであった。

 美智子妃は、幼少のときに、新美南吉(にいみなんきち 19131943年)のでんでんむしの物語を知って、とても心に残ったという。

 それは、カタツムリが、あるとき、自分の殻の中に、悲しみがいっぱいつまっているのに気づいて、もう生きていけない、どうしたらいいかと、別のカタツムリに尋ねた。しかし、そのカタツムリも、自分も同じで、やはり悲しみがいっぱいつまっているという。さらに別のカタツムリに会ってもみな同じであった。

 そこで、カタツムリは、「悲しみはだれでも持っているのだ。私だけでないのだ。それなら私はこの悲しみをこらへて行かねばならないのだ」と悟り、もう嘆くのを止めた。という内容である。

 これは、散文詩のような短い物語である。

 しかし、カタツムリを見て、その殻に悲しみが一杯つまっていると、いったいだれが感じたことがあっただろうか。

 殻を捨てることもできず、その殻を背負ってゆっくり進んでいくカタツムリを見て、新美南吉は、人間世界に深く流れている悲しみを思い、しかもそれを負って歩まねばならないことを彼自身の体験から学び、そこから湧き出るように自然につづったのがこの短篇だったと言えよう。

 じっさい新美は、貧しい家で生まれ、母親は29歳の若さで死んでしまい、後妻が来る。その義母は、南吉につらくあたり、そのため淋しさに耐えられないほどであった。

 後に、巽 聖歌(たつみせいか)という人物と親しくなった。巽は、その名前に表されているが、16歳のときから教会に通うキリスト者だった。

 そして、彼の作詩による「たきび」という童謡で現代の私たちにもなじみの深い人になっている。この歌は、NHKラジオで、うたのおばさんであった松田トシや安西愛子らによって歌われたために、広く日本中に知られるようになり、日本の歌百選にも選ばれた。

 なお、讃美歌「主よ、主のみまえに」(318番)は、巽聖歌の作詩という。そして巽は、新美南吉に対してキリスト者としての友情から、新見の童話を世に出すための重要な役割を果たした。さらに、新見の病気が重くなったときにも、献身的に巽夫妻は彼を看病した。

 しかし、新美南吉は、29歳の若さで世を去った。

 彼の童話のうち、すでに紹介した「でんでんむしの悲しみ」のほかには、「ごんぎつね」が広く知られている。

 これは、母親が重い病気となったために、川で魚をとって母親に食べさせようとしている息子の兵十(ひょうじゅう)がいた。彼が魚を取って籠に入れておいたら、ごんぎつねが、それをいたずらのために、取っては川に捨てていた。兵十が見つけたが、きつねは逃げた。その後、兵十の家で葬式があり、ごんぎつねは、兵十の母親が死んだと知った。そして、自分がいたずらのために兵十がとった魚は、病気の母親に食べさせるためのものだったと知る。

 そして自分が魚をとって捨てたために、母親は食べられず栄養が足らずに死んでしまったのだと気づいた。そのため、きつねは、罪滅ぼしにと、魚屋から魚を盗んできて、兵十の家に投げ込んでおいた。

 しかし、兵十は、あとで魚屋から魚を盗んだと疑いをかけられ、痛めつけられた。それを知ったきつねは、そっと見つからないように栗の実やきのこを取ってきては、兵十の家に運んだ。しかし、とうとう兵十に見つかって、銃で撃たれてしまった。兵十はそのとき、栗の実がたくさん家に置かれているのを見た。そして毎日栗やきのこを運んでくれていたのは、ごんぎつねだったのを知る。

 これは、悲しい物語である。新美南吉自身の寂しく悲しい人生が投影されているのがうかがえる。人間は罪を犯すものだ、そしてそこから深い悲しみが生じてくる。孤独、冷遇、そして自分の弱さや罪ゆえに生じる新たな悲しみ、そして善意が伝わらないでかえって全く異なるように受けとられてしまう悲しみ、出来事の背後にある真実に気づかないで、罪を犯してしまう人間の弱さ、限界ーそして取り返しのつかない悲しい結果を生んでしまう。

 新見は、母親の愛を知らずに育ち、父親からも愛されず、義母からもいじめられ、成績がよかったために、より高い教育をめざしたがなかなかうまくいかず、また好意を持つ女性とも何人か出会ったが、いずれもいろいろな事情のため結婚に至らずに終わった。

 そして重い病気となった。

 でんでんむしの悲しみ という童話は、こども向けの話しに見えて、実は彼の内面の叫び、うめきがあのような表現になったのである。自分は悲しみの一杯つまった重荷を背負っている。

 どうしてなのか、なぜこんなにも悲しみが一杯なのか、それに耐えかねて友人に問うた、助けを求めた。しかし、友人も表面的にはそう見えなかったが、実はその心の深いところで、消えることのない悲しみをかかえて生きているのだった。

 人間はだれでも、そうした悲しみを背負って歩んでいるのだと知ってようやく嘆くのを止めたーこれでこの物語が終わっている。

  この新美南吉の悲しみを、キリスト者として巽 聖歌は、そばにあって深く感じたゆえに、新見のために祈りをもって励まし、慰めた。

 新美南吉自身の深い悲しみと、友人巽の主にある愛によってこの物語を含む童話集が世に出ることになった。

 このような内容の物語を美智子妃は、読んで深い共感を得たという。それは自分自身が、皇室という孤独に圧迫され、苦しみ、悲しみにあったゆえであったろう。

 美智子妃の最大の悲劇は、話し相手がいないこと、「孤独」であったと、神谷美恵子は、キリスト者の田島道治(初代宮内庁長官)に書き送っている。

 美智子妃の悲しみや周囲からの圧迫は、59歳のとき、倒れ、数カ月間、声が出なくなるという症状を発症するほどに深刻だったのがうかがえる。

 それゆえに、このでんでんむしの物語や、ごんぎつねの物語を書いた新美南吉の著作に深い共感を与えられてきたのであろうし、後にある学校の児童たちにその著作を寄贈し、推薦したのだと考えられる。

 こうした自分自身の悲しみと苦しみを通して、キリスト教関係の人たちとの接触が与えられ、そこからさらに、皇后としての重要な使命の一つとして、苦しみや悲しみにある人たちに少しでも接して、励ましや慰めを与えようとすることだと考えるようになったと推察できる。

 皇太子は、戦後アメリカのキリスト教(クェーカー派)に四年間接し、また、美智子妃は小学校から大学までキリスト教の学校で学び、そして皇室には、侍従長や侍従、あるいは宮内庁長官たちに内村鑑三の無教会のキリスト教の影響を受けた人たちがあり、またそれ以外のキリスト教の人たちも女官長などにいた。さらに、美智子妃が話し相手として選んだ女性もまた、無教会のキリスト教の影響を受けた人であったなど、不思議な摂理によって、日本の象徴である天皇、皇后のお二人がキリスト教の精神をも汲み取って行かれたあとがわかる。

 神は、まったく無学な人、何も地位もなく、寝たきりの人も愛されて、神の国のために用いられる一方では、内村鑑三に学んだ学生から輩出した知的にも優れた人物をも用いられる。

 全体として、大いなる神の国への流れには、ありとあらゆる人たちを用いていかれるのだと知らされる。

 


リストボタンキリストに導かれて

 ー森 祐理、岡 兼次郎    両氏による証し

 

 三月23日(土)〜24日(日)の二日間にわたって、お二人がコンサート、そして徳島聖書キリスト集会の主日礼拝にて奉仕してくださった。

 森 祐理さんは、その歌によって、またそのときに話される証しによっても、キリストの福音を伝え続けている歌手として、また岡さんはその祐理さんのコンサートを音響などで支えている方である。

 ここでは、24日(日)の主日礼拝のときに、語ってくださったキリスト者としてのお二人の証言を掲載する。

 

森 祐理さんの証し

 今朝、たくさんの皆様と礼拝をできることをうれしく思います。

 神様から恵みを受けるばかりのわたしたちですが、神様に捧げられるのが礼拝です。こうして、集まらせていただくと、初めてあった人、昔からの知り合いの人も、家族ですね。ここは、なんとも、畳の部屋で昭和的な雰囲気と、そしてスカイプの最新の機器を使っているという、独特な雰囲気ですね。

 前にここに来させていただいたのは9年前になります。ここの雰囲気は印象に残って忘れられないです。あっという間ですね。そして、ここは変わっているかな、と思ったけれど、まったく一緒です。同じ畳です。(笑)

 何より、昨日のコンサートのために祈り、支えてくださったこと、ありがとうございました。祈りによって勝利しました。主の道具とさせていただいた。祈りに乗っかって歌うことができました。

 ここに来る前、三月ですので東北での追悼コンサートがありました。今年も、すばらしいものでした。

 今回は、コンサートでイエスの話をしようが、賛美歌を歌おうが、時が来た!という感じで、スポンジに水がしみ込むように、福音が伝わっていることがわかりました。皆さんの心が神様に向いてきている!それを実感した東北の一週間でした。「神のなさることは、ときにかなって美しい」と実感しました。

 そして、帰ってきたその翌日。14日です。…頭が痛い!のどが痛い! 数日後に三豊市でのコンサートを控えていました。熱がある。めまいがある。一日、立ち上がれませんでした。

 一晩たっても、翌日も動けない。「神様、東北の祝福はどこに?」と思いました。

 神は、わたしの傲慢を砕かれた、と感じました。あさってコンサートに行かなければならない。どうしたらいいですか?祈りました。

 すると、神様に「正直に言いなさい」と示されました。それで、「主催者に心配をかけたくないです」と神様に答えました。そのとき、「徳島の人は違う」と示されました。 神様に正直にいうように示されました。それで、コンサートの連絡の役をしてくれているおふたりの方に「寝込んでいます、祈ってください。」とメールをしました。

 すると、おふたりとも「よく話してくれました。具体的に祈らせていただくことができます。教えてくださってありがとうございました」と返信がありました。

 共に祈り合いながら歌う。それに気がつくために、起こされたことだと思いました。祈ってこそ、神が働いてくださる。自分が頑張ればいいのではない。

 昨日のコンサートは、祈りの勝利です。こうして、各地で歌うことは、楽しいことだけではありません。しかし、どんな時でも、歌いつつ歩まん!です。

  今まで、どんなときでも、主は乗り越えさせて下さいました。それが、2013年のクリスマスコンサートの頃。ちょうど、初めてこの集会にきてから三年後のことです。 そのころ、東北に通って歌っておりました。11月28日、横浜の逗子でコンサートがありました。そこで、声を使い果たして、声が一言も出なくなりました。

 そのあとの礼拝、コンサートなど15回、全部キャンセル。それは、どんなにつらかったか。「どうしよう。二度と歌えなくなればどうしよう。」…でも、全部キャンセルして、ぽつんと座っているしかなかった。…二度と歌えなくなったらどうしよう。二度と歌えなくなったら…。

 あるとき祈っていると、神様から示されました。

…二度と歌えなくなっても、神様は関係なく愛してくださる。わたしが、歌っているから神に愛されているのではない。寝たきりになっても、何もできなくても、関係なく愛しているのだよ…と。

 二十年、福音歌手として働いてきて、はじめてうれしい涙が出て来ました。「この愛を伝えたい。もし、また歌えるなら、また伝えたい。」必死で祈る中で、神の愛を伝えたい、という、その祈りに神様は答えてくださいました。 それが、ラジオ放送「モリユリこころのメロディ」です。 今回、そのラジオを聴いて、遠い和歌山からコンサートと、このきょうの集会に、来てくださったご夫妻がおられます。感謝です。

 もし、声を失わなかったら、ラジオが始まっていなかったです。

 和歌山から来てくださって、ありがとうございます。わたし、あの時声を失ってよかったです(笑)。

 苦しみは苦しみで終らない。試練は試練で終わらない。今も、ここにおられる方にも、ことばで言えない苦しみを味わっておられる方がいるかもしれない。

 しかし神は愛です。その先に、大いなる御心をなすためになされたことです。だから、大丈夫。主に信頼して、涙の祈りを主は絶対に聴いてくださいます。神様は祈ることさえできないとき、そのため息も、うめきも聴いてくださっているのです。

 

岡 兼次郎さんの証し

(岡さんは、祐理さんの音響などを担当されています。奥様も子供さんも家族ぐるみで事務的なことなど担当されておられる祐理さんの共労者です)

 

こんにちは

 祐理さんは、歌だけではなく話もすばらしいです。二十年以上、祐理さんの働きを助けていますが、何千回と聞いていても一回も飽きたことはありません。

コンサート会場で、うしろで音響をしています。祐理さんと初めて会ったのは、阪神淡路大震災の前の年でした。それは、はじめて祐理さんのコンサートの音響を、ある病院のオープニングセレモニーで頼まれたのでした。

 そして、次の年、一月十七日震災。そのとき、わたしは名古屋住んでいました。イベントの企画、運営をする会社のサラリーマンでした。それで、震災があり、何かしたい、できることはないかと思いました。金銭的に余裕はなく献金するのは無理だから、コンサートして、神戸に送ろうじゃないかということになりました。それでは、わたし、去年一緒に音響をした女性がいるから、その人に出てもらいましょうといい、祐理さんに電話しました。すると、祐理さんが、電話の向こうで、阪神の地震で弟が亡くなりました。祈ってくださいといわれました。 それで、わたしは、コンサートは他の人と名古屋ですることにしようと思い、電話を切ろうとしたら、祐理さんが「名古屋に行きます」と言ってくれました。二月十一日、会場も音響も、照明も、ただでできて、コンサートの収益を神戸に送ることができました。それを機会に、祐理さんを手伝うことができるようになりました。

 サラリーマンなので、土日の休みに音響を手伝うようになった。それがはじまりです。しかし、だんだん、祐理さんの音響の手伝いが忙しくなってきました。クリスマスは毎日のようにコンサートがありました。毎週、土日はコンサート会場、その間の日もコンサート。有給休暇も足りなくなりました。

 うちは、よく家族会議をするんですね。どうしたらいいか。家族で相談しました。するとそのとき幼稚園だった下の娘が、こういいました。「お父さんは、ふだん、神の国とその義を第一にしなさいといっているのに、何を悩んでいるの?」と。それで決まりました。

 会社はイベントの企画、運営をする会社です。十二月二十八日、退職届を持って会社に行きました。…あっさりと受理されました。「え!?」という感じでした。実は、会社は負債を抱えていたのでした。それで一月からはフリーになりました。でも、こんどは、仕事がない。お金がない。クリスマスまでは忙しかったけど…。そしたら、娘がピアノやめていい、塾やめていいと協力をしてくれました。あとできいたら行きたくなかったようでした。

 そんなとき、ある日、その退職した会社の社長から電話かかってきました。呼び戻すためと思いました。すると「会社を、ゆずるからやってみないか」と言われたのです。わたしには会社を買い取るお金はないと言いましたら、退職金くらいのお金を融通してくれたらゆずるよと言われました。名古屋テレビが運営しているホールでいろんな企画をしていました。

 また、家族会議です。お金はないし、どうしたらいいか。こんどは長男が「何とかなるんでない? やってみたら?」と言い、決まりました。すぐに、やりますと返事をしました。しかし、銀行に言ってもお金を貸してくれませんでした。親戚とかから借りてスタートできました。その後二十年間、一回も赤字がありませんでした。神様が助けて下さいました。駆け出しだったときの昔からの友だちが「岡ちゃんが、会社はじめたから、仕事しよう」と助けてくれました。いまも、会社は運営しています。

 ちょうど会社をはじめて十年すぎたとき、県外から帰り、名古屋に着いたとき、会場の守衛から電話があり「煙出てます」と言われました。「えっ!?」すぐに、名古屋駅から車をとばしました。会場は三車線くらいの広い道路の前にありますが、その道路が封鎖されていました。遠くに消防車が21台。はしご車が二台放水していました。誰も何もわたしに話しかけない…。消防隊の隊長と話しました。有毒ガスが出てたいへんだったようです。名古屋テレビの人が中継してました。火は三時間で消えました。有毒ガスで、酸素ボンベも足りなくなったようです。夜中に鎮火しました。次の朝、現場に行きました。中は水浸し、真っ黒。非常線がはられて誰も入れない。そして、その日から消防、警察の事情聴取がありました。なかなか厳しいです。原因を追究しないといけないから。尋問ですね。わたしはいなかったのに、どこかのスイッチを切り忘れたのではないかと。

 その日も眠れず三日間つづいて、夜にソファでうとうとしていたら、ふと、わたしが、小学校の時、ヨブの生涯の寸劇をしたことを思い出しました。わたしはヨブの役でした。その時に自分で語ったセリフを思い出したのです。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほむべきかな」小学校6年から、その後自分の口で言ったことがない。そのことばを急に思い出したのです。そしたら、すっと深い眠りにおちました。

 朝、行ってみたらもう、非常線がなく、友達が三十人くらい、片づけをしてくれていました。もう、この会社は、あきらめようと思いました。真っ黒になっていますから。しかし、そこで、3月31日、すごいものがみつかりました。20年間かけすての保険がみつかったのです。今日中に申請したら、もとどおりになるかもしれないと言われました。 申請すると八千数百万円のお金が下りました。火事で真っ黒になってしまったもの、全部新品、音響もすべて新品になって、あたらしくホールを再開することができました。自分も平安の中で、進んで行きました。もっとお客さんが増え、祐理さんの音響資材が、新調もできました。

今、こういうことがあって、よかったですねと話ができる。でも、また、続けて、いろんな問題が起こると思うのです。

父が、7〜8年前に亡くなって、一億以上の借金があったこと。わたしの片目が病気で見えなくなったこと。いろんなことがおこってきます。でも、そのときに聖書のことばを与えてくれました。

ヤコブ一章2節 「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」

いいことあったら、やった!とおもうでしょう。ヤコブがこう書いているのです。目のこと、親の借金。やった!と思うのです。本当にうれしい。神がそれを通して何をしてくれるか。火事の時、自分はあきらめて、捨てていたのに、神はそれ以上に何倍のことをしてくれた。神は、今、片目だけど、神はそれを通して何をしてくれるのかと。

きっと、みなさんに次に会うときに、こんなことしてくれたと言えると思います。徳島に来たらつぎにも話せるように祈っております。

 


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 「いのちの水」誌は、その前身の「はこ舟」誌から始まって、六月号で七百号を迎えることになります。

 この間、多くの方々の祈り、協力費、そして感想などを寄せてくださったりで、支えをいただいたことを思います。

 そうした意味で、たくさんの方々の共同で生み出されてきたということができます。

 そのための七百号記念号としたく思いますので、「はこ舟」、「いのちの水」誌を通して、何らかの印象に残ることがあれば、書き送ってくだされば幸いです。

 


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