いのちの水   2019 年  7月号   701号 

とこしえの山々は砕かれ、 永遠の丘は沈む。

しかし、主の道は永遠に変わらない。(旧約聖書 ハバクク書3の6)

目次

イエアスト

 
神と自然と人間と

開かれた目と耳ー

ハンセン病の玉木愛子について

メルケル首相の信仰

・正義の支配ー詩編72

「いのちの水」誌

700号に寄せて(その2)

・「アルプスのハイジ」
あとがき 徳島聖書キリスト集会案内

 

リストボタン神と自然と人間と

 

 神は沈黙していて、私たちへの語りかけなどまったくしていないように見える。

 これは自然の世界を見ても同様である。

 青く広がる大空や、白い雲、また花々、樹木たち…それらが人間に語りかけているなど、思いもしない、そんなことはありえないと思っている人が多数を占めるであろう。

 しかし、神は単なる沈黙でなく、待っておられるのである。

 そして神の愛の産物である自然もまた、私たちが周囲のさまざまの自然に心を開き、聞き取ろうとするのを待っている。

 もともと神は愛であるゆえ、私たちを見つめてくださっている。それゆえ、私たちもそれに応えて、幼な子のような心もて神を見つめようとするとき、また、そのような心で自然を見つめるとき、神が私たちに語りかけておられるのが少しずつではあっても感じられてくる。

 主イエスも、「私にとどまっていなさい、私もあなた方のうちにとどまっている」(ヨハネ154)と言われた。

 

 万物はキリストによらずに成ったものは何一つない。(ヨハネ福音書1の)という言葉がある。

 自然もまた、愛のキリストによる創造だということは、科学やその他の学問によらず、神からの一方的な啓示による。インスピレーションという言葉がある。スピリット(霊)がインー入ってくるということである。神からの聖霊によって考えたこともないこと、あるいは論理や科学などでは考えられないことが、閃光のように入ってくることがある。

 そのとき、風のそよぎや木々の葉の生み出す音も神からの意味深いメッセージとなる。

 空の星のまたたく光も、また木星や金星、火星などの惑星のじっと見つめるような強い光も、みなそれぞれに言葉にならない言葉を語りかけてくる。

 だれでも、音楽や、美しい光景、あるいは人間からの真実な愛を受けたときの感動というものは、言葉ではほんのわずかしか表せないということを知っているであろう。

 心に感じて動かされること、それはいくらでも周囲に広がっている。私たちの心がそうしたものに敏感になればなるほど、そうなる。

 昆虫たちのなかには、驚くべき能力をもっているのがいくらでもある。到底、機器類では検知不可能な、極めて微量の物質を検知して相手を引き寄せるのである。小型のチャバネゴキブリでの研究があり、雌が放出するわずか1億分の1〜100億分の1グラムといった極微量の化学物質が雄を引き寄せるという。

 人間にとって単なる害虫とか何の役にも立たないような蛾であっても、信じがたいような鋭敏な感度が与えられている。

 そうしたことから考えても、人間の霊的感度というべきものは、本来は非常に深く、無限の変化に富んだものとして与えられているであろう。

 ちょっとしたひと言、あるいは一瞬のまなざしによっても、霊的な感度の鋭い魂においては、深く広い内容を感じ取る。

 聖霊がすべてのことを教えると言われるのも、鈍感な人間であっても聖霊が注がれるときには、その人は、遠くのこと、他の人の心のなかで生じること等々、以前はまったくわからなかったことが、示されてくるからである。

 日々の沈黙は、また雄弁となる。


 

リストボタン苦難によって開かれた目、耳

 

  神は、私たちを動物の持っている自然のままの目や耳からさらに、人間だけが持つことのできる、霊的な目と耳を開こうとされ、そのゆえにさまざまの苦しみや悲しみも与えられる。

 年若くして「比類なき困難」に置かれつつも、神の愛に触れて霊の目が開かれていった人の魂の世界の一部を紹介したい。

 

 一人の重き荷を負いつつ、文字通りの暗黒の生活のなかで信仰に生き抜いた一人の女性がいる。

その人、玉木愛子は、1887年、大阪の豊かな商家に生まれながら、子供のときにその商家に働いていた人から  ハンセン病に感染したのだった。

 14歳のときに身体検査のとき、病気の兆候が現れていたのを医者が認め、以後は、家族に迷惑をかけることを恐れ、また家族もそのことを望んだために、学校にも行くことを止め、部屋にこもりきりの生活となった。

 母親は、学校や訪れる者には、遠いところに行っていると偽りを言って帰ってもらうという状態となった。玉木は、自分は要らない存在なのだ、と毎日部屋に隠れるようにして生きていかねばならない深い悲しみと絶望感にさいなまれていった。その時の深い衝撃は次の俳句に示されている。

 

 病名のかなしや 秋日がたと落つ

 

 ハンセン病といえば、歴史的にもっとも恐るべき病気であった。今から130年ほど昔(1889年)に、フランスの宣教師 テストウィードによって、静岡県御殿場に初めて専門の治療所(神山復生病院)が開設された。

 その後、イギリスの宣教師、ハンナ・リデルが1895年熊本に回春病院を作り、後に政治家や渋沢栄一とのつながりも与えられ、以後、ハンセン病の治療に世間の目を向けさせることに大きな影響を与え、各地にハンセン病院が開設されていくことにつながった。

 この病気になると、次第に全身が侵され、家族からも捨てられ、寺社の境内や小屋、あるいは橋の下にて生きていかねばならなくなり、食べることもままならず、雨風に打たれ、冬の寒さに凍えつつ、それらに苦しみつつ、最終的には、顔かたちも直視できないほどに変貌し、顔を布で包んで隠し、四国では88カ所めぐりを食物を乞いながら遠い距離を歩いていくうち病気が進行し、ついには恐ろしい痛みや苦しみ、孤独のなかで死んでいくという悲惨な状況だった。

 玉木が、ハンセン病と知らされたときの深い絶望は、沈み行く夕日の音を立てて落ちる という表現に込められている。

 そのようななかから、熊本の回春病院の存在を知り、家を出ることに決断、そこでの生活が始まるが、次第に病気は進行し、最終的には、両眼は失明、両足まで切断という事態となった。

 そのハンセン病院に入院する最初のときに、その病院の医者から、次のような懇切な長い手紙をもらった。(ここではその一部を引用)

「キリスト者の信じるところによれば、人の幸福、不幸ということは、現在の状況だけでは論じることはできない。このような比類なき困難、苦しみで生涯が終わるのならば、幸福とは、この世で栄華を尽くしたような恵まれた人だけがえることになる。キリストが十字架の苦しみ、恥を耐えて神の言葉に従ったのは、我らの従うべき模範である。」と書かれ、さらに聖書の次のような言葉が引用されて、この世の苦しみのかなたに、永遠の命の世界が約束されていることを示したのだった。

「神はその独り子をたまうほどに世を愛された。すべてイエスを信じる者が滅びることなく、永遠の命を得んためなり」(ヨハネ3の16)、

「すべて労する者、重荷を負う者は、我に来れ、われ汝らを休ません」(マタイ1128

 

 玉木は、初めて受けるそうした愛のこもった手紙に関して、「私の胸は強く打たれました。暗がりのなかに一条の白い道を見いだした感じで、私の行くべき道はここより他にないと、新しい勇気が湧いてまいりました。

 初めて知る聖書の言葉、上よりの光、救いの御手であったからでございます。」と後年に書いている。

 母の愛、そして友人たちの友情などもみな力とはならず、すべてが闇に沈んでいく恐ろしい孤独のなかで、神の言葉と、それを信じているキリスト者の医者の励ましが、初めて光を与えたのだった。

 聖書の巻頭に記されたこと、空しさと荒涼とした闇のなか、光あれ!との神の言葉によって、光が実際に現れたということは、世界の無数のそうした闇にある人たちへの救いの道の宣言だったのである。

 玉木はハンセン病院に入院したのち、だいぶたってから、自分の思いを表現する道として俳句を知らされる。そこに、数々の自分の体験や感動などが凝縮して記されていくようになった。

 

〇さへずりや この恩寵に窓楽し

 

 盲目となって見るものすべてから遠ざけられたとき、窓際によって聞こえる小鳥のさえずりが、さまざまのことを思い起こさせ、神への賛美と聞こえ、自由に大空を飛ぶすがたに自分を重ねて希望を強めることにもつながった。

 見える人には何の感動もない、日常的なことであっても、玉木にとっては、部屋にいながら神から与えられた小鳥の自由な翼に思いをはせるひとときとなった。

 

〇あたたかや 見えざる聖手の大いなる

 神の愛の御手は見えない、しかしその愛のあたたかさは実感することができる。神の愛とはそうした全能ゆえにどのような状況にある人にも届いていく。

 

〇信ずれば 天地のもの あたたかし

 神の愛を信じ、それゆえに罪の赦しを信じて受けるとき、そしてその全能を信じるとき、目は見えず、狭い部屋にてしかも足さえ切断して歩けなくなっても、なお、天地のものが暖かく感じるという。

 最も人間の愛などから遠い、見放された状況にありつつ、なお、神の愛のあたたかさを実感させてくれるのが神の愛なのだと知らされる。

 聖霊は、すべてのことを教えるとキリストは言われた。聖なる霊が注がれるとき、それは神の力そのものであるゆえに、神の愛が何であるかも心身全体を通して知らせてくれるのがわかる。

 

〇わが瞳 星にあづけて闇涼し

 盲目となった作者は、天を恨み、運命を呪うことなく、瞳を星に預けたという。星の光は永遠であり、それは神の光を暗示するゆえ、神に預けたとの心とともに、かつて健康なときに見ていた星の輝きが新たに自分の魂の目の輝きとなっているのを感じさせる。

 「心清き者は神を見る」(マタイ5の8)と言われているように、神によって罪清められた者は、肉体の目が見えなくなっても、神を、霊の目で見ることができるようになる。作者は、星を思い起こすだけで、そこに神の光を感じて、闇さえも涼しげな心地よさを感じているのがうかがえる。

 

 このような、苦難をも超えた神の愛の力を感じさせる俳句を作るようになったのは、目を失ってからであった。俳句の先達から、「みずからの感情を燃やさなければ」と教示を受けたと言う。

 心を燃やすー最もそのために力あるのが、神の力である聖なる霊によって燃やされることである。

 聖書に、「聖霊の火を消してはならない」(Tテサロニケ5の19)と言われているとおりである。

 玉木は次のように書いている。

…心燃やされて俳句に向うようになって、それまでぼんやり見ていた自然界が「さまざまの天は神の栄光を表し、大空はその御手のわざを示す。この日ことばをかの日に伝え、この夜 知識をかの夜に送る」(詩編19の1〜2)の聖書の言葉のように、いっそう主の御業をほめたたえねばやまなくなりました。(「真夜の祈り」玉木愛子著115頁)(*

 

*)こうした玉木愛子の俳句の作品は、戦前に岡山の内田正規(まさのり)によってはじまった結核患者の祈りの集りである「午後三時祈の友会」の会報「清流」に毎号掲載され、結核患者にも広く知られるようになった。

 その患者の一人であった大浜亮一(矢内原忠雄にキリスト教を学ぶ)が後に書店を開き、ここで引用した本もそこから発行されたものである。

 

 現代の世界はどこを見ても、家庭や政治、社会の問題ー差別やテロ、災害等々、暗い心になるよう

なことに満ちている。しかし、玉木愛子のようにどこから見ても光の全く見えない状況にあった人にも、神はその闇の背後に輝く光をしっかり見て、天地に込められたあたたかさを感じとる道を与えられた。彼女の残された俳句などはその証しである。

 そしてそのような光への道は、はるか数千年前から現代に至るまで、ずっと途絶えることなく続いている。私たちもただ信じるだけでその道を知らされ、その道は永遠のいのちへと続いているのを実感させてくださる。

 

 


リストボタンメルケル首相の信仰

 

 ドイツのメルケル首相は、今年の5月30日、アメリカの代表的な大学の一つであるハーバード大学で講演した。

 そのとき、無知や偏狭さの壁を打ち壊すべきことを、みずからが東ドイツに育って、直接にベルリンの壁が大きな分断を示すものだった経験から、明確な言葉で語った。

 また、単独でなく、共同での前進を訴え、一人で進んでも多くは成し遂げられない」と語った。

 さらに、「嘘を真実と、あるいは真実を嘘と言わないように」と、トランプ大統領を名指しこそしなかったが、暗に直接的な批判をすることで、アメリカ大統領のやり方が、真実に反することを述べた。

 このように、第二次世界大戦ご、70年という歳月を友好国としてともに歩んできた国の大統領に対して、その国の代表的な大学の卒業式において、お世辞を言ったりすることなく、はっきりと指摘すべきことを言ったのは異例のことであった。

 日本の首相が、トランプ大統領の嘘やさまざまの独断的な政治、差別的言動等々に一切批判もせずにすり寄っていくゆえに、トランプのポチだ、と揶揄される状態であるのとは大きな違いである。

 それは、メルケル首相のキリスト教信仰から来ている。彼女は、最近日本でも出版された「わたしの信仰」(*)において次のように述べている。

 

*)新教出版社 2018年刊、なお訳者の松永美穂氏は、早稲田大学教授、NHKの教育テレビで、最近「100分de 名著」シリーズの「アルプスの少女 ハイジ」が放映された際の解説を担当し、そのテキスト本の著者でもある。)

 

…私はキリスト者です。キリスト者の出発点は、だれにとっても同じです。すなわち、神が人間を、私たち一人一人を造られたということです。それによって、私たちには責任が伴いますが、同時に信じがたいほどのさまざまの守りをも与えられているのです。

 私たちは聖書を読んで、人間がとても早い時期に罪を犯したことを知っています。

 人間が過ちを犯すこと、しかし、その過ちによって捨てられるのではなく、過ちにもかかわらず神に受けいれられていることは、私に大いに平安を与えてくれます。

 

 私にとって自由とは、キリスト教的メッセージの一番最初に来るのです。神は私たち人間を自由な存在として創られました。

 パウロは次のように言っています。

「あなた方は自由のために召されたのです」(ガラテヤ書513

また、次のようにも述べて、ご自身が人間に自由を与えることを強調しています。

 

…主は聖霊であり、聖霊が主であるところには自由がある。(Uコリント3の17

 

 自由と信仰は互いに密接な関係にあります。

 ルターの最も重要な文書の一つ、「キリスト者の自由」を思いだすべきなのです。

 

…ドイツの連邦議会には、非常に多くのキリスト者の議員がいます。私たちは、しばしば意見が一致しませんが、だからといってほかの人を「悪いキリスト者だ」とか「よいキリスト者だ」と決めつけるような人はいません。

 キリスト教信仰の安心できるところは、全員が同じ結果を期待されていないところです。

 神は私たちを違う人間に創られたのですから、いろいろの問題に対して、同じ答えになる、ということは、本当らしくないことです。違いがあるからこそ、人生も興味深くなるのです。

 あらゆる問題、毎日絶望してもおかしくないような問題にもかかわらず、キリスト教信仰は、私たちに、明るく生きる能力も与えてくれるのです。

 毎日成し遂げられている多くのことについて、「私たちにはたくさんのことが動かせるのだ」と言ってもよいでしょう。

 25年前の、東ドイツでのデモを思い起こせば、教会で行なわれたこと、祈りやろうそく、変化を呼び起こした平和的な手段を思いだすなら、私たちドイツ人は、物事を良くする力について、たくさんのことを語れるでしょう。

 私たちは、キリスト者としてもそのことを発言していくべきなのです。(「私の信仰」85頁〜92頁より)

 

 メルケル首相の率いる政党、CDU(*)は、福島原発の大事故後、驚くほどのはやさで、原発停止を決定した。(**)それは大事故からわずか4カ月後であった。 それほどすみやかに原発廃止の方針を決定できた重要な理由の一つに、キリスト教信仰にたって考える人たちが多かったことがあげられている。

 日本はあれほどの世界歴史での最大の原発事故であり、8年を経過した現在においても、放射性廃棄物、汚染水、避難所や生活の分断、郷里の喪失等々、いつまで続くかだれもわからない深刻な問題をかかえているにもかかわらず、外国に原発を輸出することに政府も原発メーカーもともに力を注ぐという驚くべき方針をとってきたのと何と大きな違いであろう。

 自分の国の大事故の対応にさんざん悩まされていて、放射性廃棄物の処分など解決の道筋も立たない状況であるにもかかわらず、外国に輸出しようとする、そこで大事故が生じたらどうしようというのかーそんなことは子供が考えてもわかるようなことであるにもかかわらず、推進しようと懸命であった。

 それは、目先の利益、ことに自分たちの政権の保持、自分の会社のもうけのためといった極めて狭い考え方から来ている。

 このようなメルケル政権であるが、難民問題において新たな困難に直面している。困窮している人々により多くの配慮をーとの方針に反対の人たちが増大しつつあるということである。

 それは、難民として入り込む人たちのうちに、テロリストが混入して都会での爆破をやって多くの人たちを殺傷するという新たな事態をいかに対処するか、それらの人々を排除せよ、という人たちの考え方が影響力を増しているのである。

 キリスト教に由来する考え方は真理でありながら、時として受けいれられずかえって強い拒否反応を受けることは、すでにキリストご自身がそうであったし、弟子たちもユダヤ人や後にローマ人からも迫害され苦しめられて殉教していく者も生じた。

 しかし、そうした困難のなかでも、キリストの真理それ自体はいささかも揺るぐことなく伝えられ、続いてきたのである。

 政治という最も欺きや中傷、権力やカネの力の横行する場において、キリスト教信仰を維持し、それを公の場で公言するということの困難は相当なものである。

 それにもかかわらず、メルケル首相は、従来のどのドイツの首相にも増してーとくに近年は、キリスト教信仰のことをはっきりと述べることが増えたという。

 物理学の博士号を取得し、研究者として出発したが、父親が熱心な東ドイツ時代からの牧師であり、ベルリンの壁の分断の状態を目の当たりにしつつ育ったが、ついにそれが崩壊するのをも経験し、その後のドイツの大きな変化をも直接に体験してきた。

 こうした歴史のなかの特別な経験によって、現実に次々と生じてくる困難な問題に対しても、神への信仰によって考え、うながされて決断してきたのがうかがえる。

 私たちは、政治家に関して、どれほど経済成長をなしたか、党員をどれほど増やしたか、とか戦前のように、いかに戦争をたくみに闘ったのか、領土をいかにして拡張してきたか、等々といった目で見えるものを根本として考えるのでなく、目で見えない真理にいかに忠実に、あるいはいかに真理をまず求めようとする精神でなされているか、を重視するようでありたい。

 

*)ドイツキリスト教民主同盟

Christlich-Demokratische Union Deutschlands、の略称)

**)福島の大事故からわずか4カ月後の201178日に、すべての原発を廃止するための法律を、議会で可決させたのだ。

 福島原発事故の直前、ドイツには17基の原子炉があった。メルケル政権は福島原発事故が起きた4日後に、「原子力の停止」を発令し、1980年以前に運転を始めた7基を直ちに停止させた。この7基と、トラブルで止まっていた1基は廃炉になり、残りの9基も20221231日までに順次止めていくことを決定した。

 

 


リストボタン正義の支配ー 詩篇第72

 

  神よ、あなたによる公正を、王に (*

あなたの正義を、(**

 王が正しくあなたの民の

訴えを取り上げ

あなたの苦しむ人々を裁きますように。(***

 

 この詩篇72篇の冒頭の部分は、神の正義が王に、そして王の子供にも与えてください、との願いからはじまっている。主イエスが、「まず神の国と神の義を求めよ」と言われた精神と共通しているのがわかる。

 いつの時代にも、政治においては、偽りが満ちている。戦前の日本でも、そもそも太平洋戦争への導火線となった満州事変も、日本の軍隊の一部の者の策動によって南満州鉄道爆破をおこしておきながら、中国側の仕業であると偽り、中国への武力攻撃をはじめたことがきっかけとなっている。

 それから、中国での戦争は広大な中国全土へと拡大し、長期化し、英米などとの全面的な戦争へと突入していくことになった。そして一千万以上とも言われる中国や東アジアの人々の命を奪い、日本も300万人ほどの人たちが死ぬ大規模な戦争となった。

 このように、政治の世界における嘘は、広大な領域にわたっての戦争につながり、無数の人たちの命を奪い、さらに大怪我など、生涯を破壊された人たち、その家族の人たちの果てのない悲しみと苦しみを生み出していった。

 それは、第二次世界大戦のもとになったヒトラーの独裁も、国会議事堂が炎上したことを、みずからの仕業でありながら、共産党がたくらんだと偽りを公言して一斉に暴力的な制圧から逮捕、そしてみずからの政党が多数を占めるように策動し、全面的にドイツの支配権を奪い取り、そこから1939年にポーランドに突然攻撃をはじめて第二次世界大戦が始まったのであった。

 このように、歴史を見ても、政治家の公然たる嘘、不正がいかに重大な結果をもたらすかが明らかである。

 そうした観点から、この詩編は第二巻の最後に置かれているが、そのなかで、一貫して支配する者、王の正義を強く願い、神からその正義が与えられるようにと祈り願っている。

 そして、その正義とは、一節に、正義によって民の訴えを取り上げ、苦しみ、圧迫されている人たちを公正にさばくようにという言葉が続いている。

 政治とは、金持ち、資産家を優遇したり、まず軍備に、そしてオリンピックなど、大企業の巨額の収入につながる事業に多額の予算を注ぎ込み、災害などで苦しむ人たちへの配慮を後回しにするのは、本末転倒であることを、はやくもこの詩編はいまから数千年も昔から指し示しているのである。

 正義とは、苦しむ者、弱き者への視点を重視することである。これは神のご意志であるゆえに、このことに背いて政治をなすときには、必ず裁きが生じる。最終的にはそのような政治を行なっていこうとする勢力は滅びていく。

 この詩編の最初の、王と王の子に正義を求める祈りと願いーそれは、古くから霊的な王であるメシアと、その霊的な子であるメシアを信じる人たちへの願いが含まれているというのは暗示的である。

 

72編は、一見して気付くことであるが、「王」という言葉が10数回も使われている。

 現代の私たちには王といっても子供向けの物語などでしか出てこない。

 それゆえ、このような詩は、表面的に読んで、現代の私たちには関係のないような内容と思ってしまうことが多い。

 詩篇の大きな区切りで、第2巻の終わりとなっている。詩篇全体が祈りであって、72編もダビデの祈りの終わりとある。第73編から89編まででまた新しい区切りになっている。詩篇は第4巻まであり、その区切りごとにアーメンとある。

 

 この詩篇72編には、多くの詩篇に見られる個人の喜びや叫びは全くなく、王という言葉が10回余りもあらわれる。この当時の王は神の僕であり、その王が悪ければその民にも災いが降りかかってくる。王が神を裏切ったり、王自身が自分の利得に支配されたら、民全体も崩れていく。

 だからここでは王だけではなく、王の支配下になる民全体の幸いを願うがゆえに、最後にその上に立つ王に祝福を願っている。いまから三千年ほども前の古い時代に書かれたものであるが、支配者に対してどんなことを願っていたということがわかる。

 

… 王が民を、この貧しい人々を治め

乏しい人の子らを救い

虐げる者を砕きますように。                     (4節)

 

 2から4節はそれらを具体的に言っている。貧しい人を裁くというのは、公正に扱うということである。こんな古い時代から、貧しく弱い人たちを見つめるということが言われてきた。一般の支配者はこれとは逆になり、弱い人たちを踏みつけて、搾取してきた。貧しいというのは、苦しい人、圧迫されている人を指す。

 このことは、この詩の終わりの部分にも再度強調されている。

 

… 弱い人 、乏しい人を憐れみ

 乏しい人の命を救い

 王の目に彼らの命が貴いものとされますように。(1314節より)

 

 この詩の作者は、次の文に見られるように、周囲の自然に対しても、我々の通常の詩人や作家などの見方よりはるかに深い観点から見ていた。イザヤ書や詩編などには、そうした霊的な深い見方があちこちで見られる。

 そうした文書の作者たちが啓示を受けて、自然を創造し、支えている神の姿を自然の背後にはっきりと見ていたのをうかがうことができる。

… 山々が民に平和をもたらし

丘が恵みをもたらしますように。(3節)

 

 一般的には、平和をもたらすのは、メシアとか王であり、世俗的には、特別な権力、軍事力を持つ人間とか団体などを考えるであろう。

 しかし、ここでは、意外にも山々が平和、恵みをもたらすようにーと祈っているのである。それはなぜなのか。

 山と丘は揺るぎがなく、神が創られたものである。山々が静けさを保ち、大地に良きものをもたらす。

「私は山に向かって目を上げる。

わが救いはどこから来るか。

山々をつくられた神から来る。」(詩篇121より)

 この有名な詩は、遠くにそびえる山々を見て、ただ単に美しいと思うのではなく、その静けさ、不動の力を見ることから、背後におられる創造主たる神にこそ救いがあるという確信が示されている。

 山は、その堂々たる姿、雪をいただいた高き峯ーそれは見つめる人間に汚れた地上とは別世界を指し示す。その高く清い姿の背後に、神がおられ、神がそうした清く厳粛な世界を高き山々の背後に感じさせるようにしているのだ。

 山々や丘の背後におられる神が、民にシャーローム(「平和」と訳されるが、完成され、満ち足りた状態)と、罪の赦しや悪の力への勝利など、さまざまの恵みを与えてくださるようにーという願いである。

 自然の姿を見て、この世界への神の御支配があるようにというより深い視点で自然を見つめているのが感じられる。

 

… 王が太陽と共に永らえ 月のある限り、

 代々に永らえますように。…

 王が海から海まで

 大河から地の果てまで 支配しますように。(5、8節)

 

 すべての王が彼の前にひれ伏し

 すべての国が彼に仕えますように。

王が助けを求めて叫ぶ苦しむ人を、

助けるものもない貧しい人を救いますように。(1112節)

 

 この詩における「王」とは、メシアを指し示すという受け止め方は、古代からあった。確かに、王が、太陽や月のように、永遠であるようにーという願いは、王を単なる人間と解しては不可解である。人間は、太陽などの天体の寿命に比べるなら、わずか70年、80年ほどにしかならないゆえ、一瞬のようなものだからである。

  この詩に記されている王とは、はるか未来に現れる神の子である。それは、深い祈りの中で啓示として示された。

 

 そして実際に、この詩に名前が現れるソロモンとかダビデの時代より、千年ほども後の時代にキリストが現れ、その霊的な王としての存在が、歴史に永遠に刻まれ、その死のときに、ローマ総督のピラトが「お前は王なのか」との問いかけに対して、あなたが言うとおりだと答えられた。そして、その十字架に付けた罪状書には、「ユダヤ人の王」と、ヘブル語とギリシャ語、ラテン語で書かせた。それは、この三つの言語は、世界の哲学や信仰の世界に決定的な影響を与えることをヨハネは啓示されていたので、全世界に伝わっていくということがピラト自身はそれほどの重大性があるとは認識しないままに、いわば背後の見えざる神の御手によってそのような罪状書を書いたのだった。

 キリストこそが王の中の王なのである。

 

… 王が牧場に降る雨となり、

 地をうるおす豊かな雨となりますように。(6節)

 

 6節の表現も他にはないような表現で、これも最終的には王なるキリストが霊なる雨を降らせることを指し示すものとなっている。

 私たちもキリストから霊の雨を注いでもらうことによって、人々の心の牧場にわずかではあっても、小さな雨を、霧雨のようなものであっても降らせることができるようになる。

 キリストに結びついた人も、復活ののちには、確かに太陽以上に、永遠にイエスと同じような栄光を頂けると聖書にも記されている。(フィリピ書3の21

 

… 王が命を得て、

シェバの黄金がささげられますように。

彼のために人々が常に祈り 絶え間なく彼を祝福しますように。

  この地には、一面に麦が育ち 山々の頂にまで波打ち 茂りますように。(1516節)

 

 15節にあるように、アラビアにある良きものーシェバの黄金がささげられますようにとある。ソロモンの時代に、シェバという遠い地の女王が、ソロモンの英知を聞いて、その英知を受けたいと黄金をもってはるばるとやってきたと記されている。

 キリストが生まれた時にも、東方の博士たちがきて、ささげものをささげたともあるが、この詩篇の言葉は、こうした出来事をも預言的に述べているのである。(マタイ二・10

 このささげものとは、今の私たちで言えば、心の中の一番大事なものー砕けた心にある心の真実や愛をキリストにささげるということである。

 10節にある言葉ータルシュシュは、当時の世界の果てであり、はるか全世界からこの王に心からのささげものをささげるようになるということをはるかに預言している。

 現代において世界のほとんどあらゆる国々にあって、キリストに真実な心をささげる礼拝が行なわれていることが思いだされる。

 キリストの栄光がたたえられ、祝福、賛美されるようにとの祈りが続けられている。

 16節には具体的な産業と、それへの祈りがある。どの国でも、まず経済。経済というのはお金。学校でもまず正しいことではなく、まず成績。

 現代の世の中では、最も大切なこと以外のことが全面的に最重要なことであるかのように扱われている。

 しかし、聖書は全く違う。まず正しいことを求めていく。それを無視していくなら、必ず全体が崩れていくと警告している。

 国家全体がよくなるためには、上に立つ指導者、古代では王が神による正義の裁きを行い、そうして初めてその王の権威は、永遠となる。その王が死んでも、その精神は永遠に続く。

 そして、そのような心は、王でなくとも、だれにおいても、ヨハネ福音書で言われているように、いのちの水でうるおされ、豊かに実を結ぶ。そこではぶどうの実が用いられているが、この詩では、小麦の実りが一面に、山々のいただきにまで波うつように豊かとなる。

 ここには、キリストの聖霊に満たされた魂の世界が、ゆたかな詩情によって描写されている。

 

… 主なる神をたたえよ

  ただひとり驚くべき御業を行う方を。

 栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ 栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。

                1819節)

 

 最後に、真に驚くべき業とは、ただ神のみがなさる。それゆえにあらゆる良きことー栄光に満ちている神だけをたたえよと呼びかけられている。

 そして、それは、現代に至るまで数千年を経てのそれこそが、人間の究極的なあり方であることを示し続けている。

 霊の目を開かれるほどに、悪が世界を支配しているのでなく、神の栄光こそが、全地を満たしていることを示される。

 アーメンというヘブル語は、「真実」というのが本来の意味であり、ここでは、よく言われるように「誰かが祈ったことと同じことを祈ります」というのでなく、主イエスが重要なことを言うときに、「アーメン、アーメン」といわれたと同様に、「真実を言う」ということであり、ここまで述べてきたことは、みな真実なのだ、真実なのだ! という強い強調をもって終えているのである。

 

*)公正と訳された原語(ヘブル語)は、ミシュパート mishpat

 この語は、次のような多くの言葉に訳されている。裁き(75回余)、公平(20回)、公正(7回)、正義(3回)、公義(24回)、審判、裁判、定め、命令、行動、定め…等々。このように、これらに共通している本質的な意味は、「正しいこと、正義」ということである。裁きを行なう という文も、正義を行なうという意味を含んでいるのがうかがえるのであって、訳者により、聖書訳も当然さまざまな訳語が用いられている。

 詩篇では、この語と並行して 「正義」(原語は、ツェダーカーあるいは セダーカーとも表記)という語が数多く用いられる。詩であるからなるべく同じ言葉を繰り返し使わないために、正義という言葉の代わりに、ミシュパートを使っていると考えられる。

 

**)この個所の新共同訳は、「恵みのみ業」と訳された。しかし、原語は、ツェダーカーで、本来は「正義」という意味であるから、外国語訳も大多数が正義を意味する語で訳されている。例えば、英訳では代表的なNIV NRS なども、次のように、正義を表す justicerighteousnessを用いている。

 Give the king your justice, O God,and your righteousness to a king's son. (NRS)

 新共同訳のこの詩篇の担当者が、おそらくは個人的な考えから、このような原語の本来の意味からは異なる訳語を選んだのではないかと推察される。「恵みのみ業」という言葉で、どんなことをこの日本語から連想するであろう。健康も、よい仕事、恵まれた結婚、豊かな収入が与えられていること…等々も神様の恵みによる業であると言えようし、周囲の雨やよき花々、夜空の星々、風など…そうした自然も神の恵みのみ業ということができる。

 しかし、この原語の、ツェダーカーは、「正しい、正義」というのが根底にあるのであって、個人的な健康とか美しい自然等々を意味することではない。

 この原語を新共同訳のように「恵みのみ業」のように訳するときには、本来の「正義」というニュアンスが失われ、聖書全体を貫く正義ということが見えなくなってくる。

 私は、聖書講話のおり、詩篇などで「恵みのみ業」という訳語が出てくるたびに、この本来の意味は、そうでなく「正義」であり、公正とか公平と訳される ミシュパート と本質的には同じ内容を持った言葉であることを語ってきたので、今回の聖書協会共同訳において、「正義」と訳語が変更されたのは、こうした原語の知識を持たない大多数の人たちのためにもよかったと思う。

 

***)新共同訳は、「貧しい人々」と訳しているが原語のアーニィ、それとほぼ同じ意味であるアナーウィーム はいずれも、もともとの意味は、アーナウ(圧迫する press )である。 そして貧しい人々といえば、経済的な側面だけを思わせる。例えば、現代の日本人は、貧しい国民とは到底言えないであろう。

 三度の食事もまともに食べられず、飢餓状態といえる人々は世界では、8億2100万人に達するという。(国連の報告書 2018年9月)それは世界の人口の9人に一人は飢えているということになる。

 貧しさは権力やテロなど何らかのものによって圧迫されているから、貧しいという訳もあてはまる。しかし、日本はそれらの国々と比べると全く貧しいとは到底言えないのはただちにわかる。

 しかし、その世界的に見れば豊かな国であってもー貧しくなくとも、苦しむ人々、圧迫されている人たちは、数知れない。それは病気やからだの障がい、あるいは家族、学校、職場などにおける人からの圧迫、言葉の暴力等々、また、差別、侮辱、あるいは敵対関係、憎しみ、等々によって苦しむ人はいくらでもいる。

 それゆえ、圧迫された人たち、苦しむ人たちーという訳語がより原語のニュアンスを表しているといえよう。

 このようなことから、新しい聖書協会共同訳では、「苦しむ人」と訳している。

 

 


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  700号に寄せて

          (その2)

 700号記念号作成は、いろいろな事情からどうしても編集、校正の時間がとれず、掲載するべき原稿が入っていないまま印刷所に出さねばならなくなりました。

 そのなかに、700号記念誌に寄せて送っていただいた原稿も未掲載のままになったものがありました。 それで申し訳ないことですが、今月号にその一部の原稿をも、700号記念号に掲載予定の原稿とともにここに掲載させていただきました。 (吉村)

 

出会い

  ー700号記念誌に寄せて           伊藤 玉恵(横浜市)

 「いのちの水」誌には、毎号、神の愛、イエス・キリストの恵み、聖霊のはたらきにつき、いろいろな角度からわかりやすく記されていて、霊的に豊にされ、感謝しています。

 旧約聖書の世界、文学的なことには、原文や、注釈なども、添えられ、自然界のことも、広く教えられています。 特別に教会歴には、ていねいに説明されていますので、教会で回覧したり、プレゼント用に南部かおねがいすることもあります。

 巻末には、夜空のことも記されていて、楽しく夜空を眺めています。

 風のささやき、草木のことなど、今の現実の社会から目をあげて、創造主に思いを馳せるよう導かれたりと、多方面から恵みをいただき感謝しています。

 毎月これだけのことを準備されることの御労の大きさと、ご協力管咲く皆さまの御愛に深く感謝しています。

 主よりのお報いがお一人一人に十分にありますようにお祈り申し上げます。

 この「いのちの水」誌との出会いは、2011年3月11日、東日本大震災、原発事故のとき、一人の姉妹から「原子力発電と平和」の本を紹介されてからです。

 また、「祈りの友」にも加えられ、祈られ 祈るお互いとなり、この世の闇の深さも知ることができました。

 遠大な神様の御計画のうちにある出会いにと主をあがめています。

 これからも、「いのちの水」誌が人々の中に流れ続け、人々の救いと霊的な成長のために用いられますように、心からお祈り申し上げます。

 

 

「いのちの水」誌 700号          出崎 優美(岐阜県)

 いままで、自分のささやかな日常生活や教会生活において理不尽な要求や報われない待遇など根本的な疑問を抱かざるを得ない場面に遭遇したり小さなつまずきによって生じる外界との差に過敏に反応して内向きに考え込むことをしばしば体験してきました。

 でも いろいろな思いに困惑しながらも導き出した結論として一人ひとりの信仰が深くなるためには個別に与えられる苦難がとても影響するのだということでした。

 キリスト教以外の宗教においても 修行や瞑想などによって統制された自我にめざめる域にまで達することがあるかもしれませんが最終的には人間を超えた「Something Great」に身をゆだねるほかはないとわかるのではないのでしょうか。

 私が60代になった今過去を振り返ってみると乗り越えてきたというよりも ひたすら歩んできただけという気がするのですが苦しみや嘆きや深い悲しみというのはどんな場合でも「死」ではなく「生」に対する条件を自覚するきっかけではないのかと思えるようになりました。

 それが聖書を通して得た私自身の信仰の核となっています。

 イエスさまは「明日のことまで思い悩むな。その日の苦労は、その日だけで十分である」と語ってくださいました。

 だから何度も何度もこの御言葉を繰り返しつつ生きていこうと思います。

そして「敗北と勝利とを、お前自身が区別してはならぬ」というパステルナークの言葉も励みにしながら大きな御手の中で安心したいと思います。

 

 これからも続いていく「いのちの水」誌を通してますます神さまの栄光を現すことができますようにお祈りいたします。

 

 

「いのちの水」誌で心に残った文 

      竹下 八千代(京都市)            (中途失明者)

 聖書とは、その全体を通して、そこには目が開かれた人のこと、そこで与えられた真理が記されている書物だと言える。

 人はいつ、目が開かれるかはわからない。神は何をそのために用いられるかわからない。だから、あきらめることはない。

 もう、ダメだ、ということもない。私たち自身が絶望的な状況に陥ったとしても、そこで目が開かれ、神の大いなる助けに接することもある。 また、祈り続けている相手が、いつ目が開かれるかはだれにもわからないが、神の御心にかなったときには、およそ信仰など持たないと公言していた人でも、突然信じるようにもなる。

 そして、ここでエリシャも祈りによって、目が開かれたことが記されている。二人三人、ともに祈るときにイエスはいてくださる。しかし、油断をしていると、目が開かれなくなる。また、あの人は目が開かれないだろうと他者を裁くとき、自分の目が見えなくなってくる。

 わたしたちも何が起こるかわからない。そして、さまざまな問題を今も抱えている。しかし、はるか数千年前から、どのような敵が来ても、霊の目が開かれるなら「火の戦車が取り巻いていた」と記されているように、いかなる問題が起こっても、そこに神の力が取り巻き、守ってくださっていることを信じて歩ませていただきたい。

「信なくは立たず」これは、古代中国の哲人(孔子)の言葉であるが、現代の私たちの日々の生活もこのひと言は真理であり続けている。

 

 

 出会いの不思議  

          森 久恵 (徳島県)

 「いのちの水」誌2004年8月号の「出会いの不思議」という文を読んで、私も同じ思いを持ちました。

 貧しい両親のもとに8人もの子供の中の一人に生まれました。ミルクもなく、乳も出ないため、米のとぎ汁を飲んでいたとのこと。私はいろんな苦しみ悲しみ、憎しみあり、神様なんかいるものか、何が神様に感謝だーなどと思っていました。

 けれど、自分がそんな境遇だったため、小さいひと、弱いひとを見ると助けたくなる、でも私の力などまったく取るに足らないもの。

 でも、これでもかこれでもか、という苦しみ、悲しみの中を通っていまの私がある。この中の一つでも欠けていたらまたちがった自分、ちがった人生だっただろう。

 高校時代に、吉村先生に出会い、キリストに出会い、信仰によって新たに兄弟姉妹といえる人たちに出会い、絶望せずに生かされてきたと思う。

 小さいときだれに、どうして、なぜ、誰に教えてもらったのか、一人テントの中で聖書に関する話を聞いて、人さまの家に上がり、話しを聞いていたことを覚えています。でもそんなことずっと気にも留めなかったけれど、吉村先生に出会って聖書を学んでいる間に思い出した。不思議にはっきりと覚えている。

 ずっと後になってそのときの話が、キリスト教に関する話しで、旧約聖書のヨブのことについての話だったのだとわかった。

 その後 長い時間かけていろんな道を歩いて、吉村先生に、そしてキリストに、兄弟姉妹に結びつきました。

 8人兄弟姉妹のなかで、私一人救われました。 まだまだいろんな中でさまよっているような私ですが、たくさんのひとに、それも本当にいい人ばかりに守られ、励まされて支えられて自分が少しでもまわりの人のわずかでも役に立つことができています。本当に不思議です。

 人生で一番大切なものが与えられました。

 

 

「いのちの水」誌

     700号によせて

  綱野 悦子(中途失明者)

 「はこぶね」から「いのちの水」へと700号の今に至っての恵みを思うと主の霊に導かれ支えられたことを思い主に感謝します。

 

 私が1977年に徳島聖書キリスト集会に導かれてからしばらくして点字の「はこぶね」を手渡されて読み始めました。

 杣友豊市、吉村孝雄両氏が執筆されていましたが、その頃に、韓国の 安利淑著の「たとえそうでなくても」の内容の一部が、杣友さんによって毎月連載されていました。

 まだ聖書を学び始めたばかりだったので難しいことはわからないままでしたが、イエス様に祈りみ言葉に信頼しゆだねて生きる信仰と希望の確信を知らされました。

 私は戦前の日本統治下での朝鮮のキリスト者がどれほどの迫害を受けていたかをそれを読んで初めて知らされました。

 どんなに拷問を受けても、主への祈りと聖書のみ言葉が常に心にあり、それによって驚くべき守りと力をいただいて希望を持って忍耐していたことを知らされました。

 杣友さんは、その紹介文の中で「どんなに取り去ろうとしても心の中にたくわえたみ言葉とイエス様への祈りは取り去ることができない」と書いてありました。

 毎月の連載が待てずにこの本の朗読テープを図書館からかりて聞きました。

この「たとえそうでなくても」はダニエル書の3章18節のみ言葉からのものでした。

 私もみ言葉を心にたくわえていこう。点字の聖書を持ち運ぶことなんてできないのだからとその頃にロマ書を暗唱しようと思いました。

 私がそんなことを想っていると杣友さんに話したらノートに書き留めてくださいました。

 その後私の体調が悪くなり途中で挫折してしまいましたが、今も深く心に残っています。

 私が「いのちの水」を読ませてもらっていて思うのは、主の霊に導かれてのみ言葉の説きあかしは日々力を与えられる恵みでしたが、短いけれど自然のなかに神様の声をきくような文にも心清められ深められています。

 私のように視力を失ったものでも野草や星や自然の中におられる神様のことを書いてくださり心の世界を広げてくださる気がしてうれしく読ませていただいています。

 これからも一人でも読んでくださる方が広がり、み言葉の力、祈りをこめて書かれているこの「いのちの水」によって十字架のイエス様の愛と聖霊が心にあふれ流れていきますようにと願い祈ります。

(「いのちの水」は点字の印刷物からカセットテープになり、現在はCDで聞くことができ、またパソコンのできる方はテキストファイルで読めるようになっています。)

 

 

「いのちの水」誌 

    700号に寄せて      石川光子・石川正晴(徳島市)

 

 古本屋で立ち読みをした一冊の本で神さまに招かれ、使命を与えられ、それから信仰ひと筋に歩んでこられた吉村さん。

 まだ私達が三十代の頃、初めて礼拝をされている杣友さんの所へお伺いした時は吉村さんもお話されていて、集会員の数も十人に満たなかったと思います。

 杣友さんはいつも温厚な笑顔で、朗々と神さまのお話をされていました。

「はこ舟」誌の原稿を書いておられるのを見かけた事もありました。

 吉村さん、杣友さんと共同で書かれ、そのあと「いのちの水」となり、吉村さんが一人でも多くの人に神さまを知って頂きたいという思いと祈りで七〇〇号まで休むことなく執筆され、全国各地に発送されておられるのは、私達にとっては大きな恵みであり感謝です。

「いのちの水」誌には巻頭にすっと入る文章にはじまり、聖書からのメッセージを原語を通して、より深く掘り下げ、真実に近いものへと導いて下さいます。

 また、神さまが創造された自然、宇宙等も詳しく掲載され、ある時は時事問題など、みことばを通して語って下さったり、私達の知らなかった事、解らなかった事も解説され教えて下さいます。

 礼拝に伝道にと、お忙しい中を今まで続けてこられたのも、神さまのお守りと祈りがあってのことと思われます。

 どうぞこれからもご自愛の上に、この「いのちの水」誌が祝福され用いられますように。

 

いのちの水 全てうるおし 涸れることなし

 

 

「いのちの水」誌

            700号

           内藤静代(徳島市)

 今年6月の「いのちの水」誌が700号を迎えることを知り、愛の父なる神様と、救い主イエス・キリスト様に心からの感謝と喜びを捧げます。

 1956年4月の創刊号を発刊された太田米穂、その後受け継いだ杣友豊市両氏とそれを継続された吉村孝雄様の御愛労がいかに大きなものであったかを驚くばかりです。

 「本当にありがとうございました」と申し上げるより他の言葉がありません。

 昔から人生50年という言葉がありますが、私はちょうど50歳ころに、不思議ないきさつで、杣友さんの家庭集会に導かれて、来年は米寿となる現在までお世話になっておりますが、私の人生にとってこのことが唯一の正しい選択であったことをつくづく思います。

 それにもかかわらず、今も信仰的には進歩もなく、申し訳ない状態が続いておりますが、どうか最後まで、徳島聖書キリスト集会の一員として、お導きくださいますように、吉村様はじめ、皆さまにお願い申し上げます。

 

 

「いのちの水」誌

           700号      中川陽子(徳島県)

 「はこ舟」誌が「いのちの水」誌に変わった時、これもとてもいい名前だなぁと思ったことを覚えています。「はこ舟」のタイトルも、そこにいつも描かれている小さな鳩の絵も大好きでした。そのタイトルには私たちが信仰によってはこ舟に入れていただき、救っていただけるという安心感がありました。

「いのちの水」は、私たちクリスチャンの渇きを癒し、私たちがいつも求めてやまない聖霊様がタイトルとなっていて、その文章からは神様から流れてくる清らかな流れを感じています。

 吉村さんはいつも社会的な事柄も聖書の視点を通して語られ、また身近な自然や古今東西のさまざまな文学から、神様の愛やご意志を汲み取り、鮮やかにそれを見せてくださいます。

 その中でも特に印象的だったのが2018年の11月号でした。この号は吉村さんが定時制高校や工業高校、盲学校、ろう学校などで色々な問題に直面し、キリスト者としてどのように向き合い、神様のお力によって対応されて来られたかという証しでした。

 その一つ一つが、驚くような大きな問題で、これを黙認せずに、ご自身の保身ではなく、生徒さんたちのためにまっすぐに向かわれたお姿にとても感動しました。

 今年3月に福音歌手の森祐理さんと音響の岡兼次郎さんが当集会主催のコンサートと翌日の主日礼拝に来られた際、お二人はこの号を持ち帰られましたが、4月のメロディ会(森祐理さんの後援会)の後で祐理さんにお会いした際には、開口一番「あの『いのちの水』誌 11月号の文章の内容は本当にすごい体験で、読んでびっくりするとともにとても感動しました。私のコンサートの後、吉村さんが『まっすぐに福音を語ってくださってありがとう』ということを言ってくださいましたが、そのお心の背景がよく分かりました。吉村さんに是非このことをお伝えください。」と託されました。

 吉村さんは神様のお導きに従って、教育界の中でも特に厳しい、難しいところを通ってこられたと思いますが、そこを通られたからこそ、まるで砂漠に花が咲いていくように私の母をはじめたくさんの教え子の方々がキリストの福音に触れて信じ、今も集会の大切なメンバーであり、その家族にも福音、いのちの水が脈々と流れていっています。

 吉村さんはその教育の仕事の最初から、神様の福音を伝えるということに全力を注いでおられました。わたしの家には母が高校を卒業するとき、新任で担任だった吉村さんが卒業生一人一人に贈られた内村鑑三の本があります。母に贈られたのは「基督信徒の慰め」でした。その背表紙の内側には、吉村さんの字で神様を伝える言葉が丁寧にびっしりと書き込まれています。

 それを贈られたときには、母はまだ信仰を持っていなかったので、その時の吉村さんには約50年後の今のこの集会の様子や、母やその家族と信仰の兄弟姉妹になっているという状況は、想像もできなかったことだと思います。

 母は吉村さんに伝えられた言葉の数々がずっと胸にあって、深く葛藤していました。結婚して子育てをしていたある日、突然「キリスト教の本を読みたいから買いに行く」と言って小さかった私や弟を父に託して出かけたのです。

 そしてその日に、その徳島駅前の大きい書店の前でばったり吉村さんと再会し、それから徳島聖書キリスト集会に通い始めました。この贈られた本とメッセージを見ると、20代の頃からこんなに伝道の姿勢を持ち、実行されていたのだと言うことに本当に驚きます。そしてその熱意を与え、力を与えられた神様に感動します。

 世界の中でも福音が語られることが圧倒的に少ないこの日本で、この「いのちの水」誌がこれからも用いられ、聖霊様がまた新たな人に影響を及ぼし、人々の渇きを潤していってくださいますようにと祈ります。

 


 

リストボタン「ハイジ」のなかから

 

 アルプスの少女ハイジという名前は日本では子供たちにも、そして大人たちにも広く知られています。しかし、それは単なるかわいい、子供向けのアニメとしてであり、そこにキリスト教信仰が深く根付いているということはほとんど全く知られていません。著者のヨハンナ・スピリは熱心なキリスト者であって、その作品にも随所に著者のキリスト教信仰が現れています。ここでは、「ハイジ」の中からそうした著者の信仰を表す箇所の一つをあげておきます。

  

(ハイジと友達になった、クララという少女を診ていた医者がいた。その医者は、たった一人の娘があった。医者は、夫人を亡くしてからは、その娘がただ一つの慰めとなっていた。しかし、その娘も二、三ヶ月前にこの世を去ってしまったので、それからは、その医者は、すっかり変わってしまった。医者は、フランクフルトの町にいるクララの父親から依頼されて、スイスの山にいるハイジのところに行くことになった。以下の引用は、ハイジの所に着いた医者との会話から)

 

「ほんとにいい景色ですね。だが、もし悲しい心をいだいてここへ来た人があるとすれば、どうしたらその人はこの美しい景色を楽しむことがきるでしょう」

「そんなことないわ。だってここではだれも悲しくはないんですもの。悲しいのはフランクフルトだけなのよ」ハイジはさけびました。

 医者はちよっとわらいましたが、すぐに笑顔になって言いました。

「だが、もし悲しみをすっかりフランクフルトにおいてこられなかったら、そのときはどうしたらいいのでしょうね」

「どうしたらいいかわからないときは、神様のところにいってお話するといいわ」ハイジはきっぱりと答えました。

「なるほど、いい考えですね。しかし、悲しい目にあわせたのが神様自身だとしたら、そのときは神様になんと申しあげたらいいのでしょうかね」

 ハイジは、神様はどんな悲しみからも救ってくれるものと思っていたので、しばらく考えこまざるを得ませんでした。

「そのときは待つのです。」しばらくたってからハイジはそう言いました。

「自分で自分にこう言い聞かせるの。

 神様はわたしたちを悲しみから必ず救い出してくださる、わたしたちはじっと忍耐して待っていなければいけないって。

 そうすればきっと道が開けるわ。そして神様がいつも善い思いを持っておられたことがわかるようになるわ。わたしたちは、先のことがわからないものだから、自分たちはいつも不幸なのだと思ってしまうのよ」

「美しい信仰ですね。いつまでもその信仰をすてないでください」医者はそう言って、

山々や谷間をながめながらじっとすわっていましたが、やがてまた言いました。

「だがね、目がかすんでしまって、こんな美しいけしきを楽しむこともできず、その美しさを思うとますます心の悲しくなるような人もあるということが、あなたにはわかりますか」

 ハイジは喜ばしい心のなかを弾丸で打ちぬかれたように思いました。

 目がかすむと言ったのでおばあさんのことを思い出したのです。おばあさんは、ここへ連れてこられても美しい景色を見ることはできないにちがいない、それはハイジにとっていちばん悲しいことで、目の見えない暗やみのことを考えると、いつも悲しくなるのでした。

 ハイジはせっかくの楽しい心が突然の悲しみによって妨げられてしまったので、ちょっとのあいだ何も言うことができませんでしたが、やかで重々しい声で言いました。

「わたしよくわかりますわ。でもおばあさんだって、すきな讃美歌を歌ってあげると、光がもどってきて、幸いな気持ちになれるって、おばあさんが言ってたわ」

「どんな歌?」

「わたしの知っているのは『朝日の歌』です。全部ではないんですけど。おばあさんがいちばんすきなので、わたし何べんも読んで、歌ってあげました」

「そうですか。それじゃ、わたしにも歌って聞かせてください」

 そう言って医者はすわりなおしました。ハイジは手を組んでじっと考えていました。「おばあさんが、心がすがすがしくなるって言ってたところからはじめましょうか」

医者はうなずきました。ハイジは歌いはじめました。

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さまざまの 悲しい思い

時にあなたを 襲うとも、

神はあなたを救う

神こそは、心の支え

 

力ある神が敵に向かえば

今しも敵は散りゆく

そのゆえに、さまざまの苦しき出来事も

喜びの光に輝く

 

もしも、神の恵みが

しばしの間見えなくなり、

苦しむ人たちを棄てるように見えるとも、

神の恵みを決して疑うな

み恵みはとこしえに変わらないゆえに。

苦しみを耐え、神を待ち望む者の

心の上に 大なる神の愛は輝く

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 ハイジは、医者が聞いていないのではないかと思って急にやめました。医者は片手で目をおおったまま、眠っているようにじっとしていました。 あたりはしんと静まり返っていました。

 医者は遠い昔を思い出しているのでした。まだ子供のころ、その母親が自分の頭に手をまわして今ハイジのうたった歌をうたってくれたのです。

 もう何年も聞いたことのない歌でした。医者には、昔聞いた母親の声が聞こえ、あのやさしい目が自分の上に注がれているように思えたのでした。そしてハイジが歌いやめたときも、思いは遠いむかしに帰っていくのでした。

 やがて我に帰ってみると、ハイジが不思議そうな顔をして見つめていました。

「ハイジ、ほんとにいい歌でしたね」医者の言葉には、喜ばしい響きがこもっていました。

「またいつかここへ来ましょう。そしたらまたこの歌を聞かせてください」

目の見えないおばあさんは、愛するハイジがフランクフルトに帰ってしまうのではと思って、ますます心配になったのです。しかし、また讃美歌を読んでもらおうと思いつきました。

 

もろもろの 物は善からん

神のみを  信じる者よ

翼もて   我は翔け行く

汝をこそ われは救わん

「そうそう、私の聞きたいと思っていたのは、それだよ」こう言っておばあさんの顔からは苦しみの色が消え去っていきました。ハイジはじっとおばあさんの顔を見つめて言いました。「神様が救うって、何もかも善くなることなんでしょう。おばあさん。」

「そうだよ」おばあさんは、うなづいて言いました。「なんでも神様の善きご意志でないものはないんだよ。」

ハイジは二、三度繰り返して読みました。ハイジにもすべてのものが神様の善きご意志なのだと思うと喜ばしくなるのでした。

 夕方になってハイジは山をさして登って行きました。頭の上には、星がつぎつぎに輝きだし、胸のなかの喜びにまた新しい光を送ってくるような気がしました。ハイジは何度も立ち止まって見上げないではいられませんでした。とうとう空一面に星がいっぱいに輝きはじめたとき、ハイジは大きな声で叫びました。

「そうだわ、私たちがいつも幸いで、何も恐れることがないのは、神様が私たちのためになることを何もかもして下さるからだわ!」

 輝く星は、ハイジを見つめる目のようで、その星に見送られて帰り着くとおじいさんも家の前で星を仰いでいました。…

 

嵐の雲は覆うことがあろうとも

天にいますあなたの父なる神は

あなたに、内なる平安を与える

神は、あなたを悩ますものは何もないようにして下さる

もし、神があなたを守り、祝福されるなら、

永久(とわ)の喜びを

あなたは勝ち取る

 

Though the storm clouds gather,

God thy Heav'nly Father

Gives thee peace within.

Nothing shall distress thee,  

If God keep and bless thee,

Lasting joy thou'lt win.

〇主よ、われ今何をか待たん

わが望みはなんじにあり 

(詩篇三九・8ーヨハンナ・スピリの墓碑に書かれた言葉)

 


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リストボタンあとがき

 多くの方々からのお祈り、協力費、お手紙などありがとうございます。

 いろいろな事情から、返信を書くこともなかなかできないのでいますことをおゆるしください。

 病気その他のさまざまの問題で重荷を負っている方々のところに主の力がのぞみますように。

とこしえの山々は砕かれ、 永遠の丘は沈む。

しかし、主の道は永遠に変わらない。(旧約聖書 ハバクク書3の6)


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