いのちの水2020 6月号 712

キリストの力は、弱さの中で十分にあらわれる。

                                       (Uコリント129より)

目次

・ 喜び祈り、感謝への道1

・水の流れ

春期四国聖書集会聖書講話と証

・聖書講話 「キリスト賛歌」

           秀村 弦一郎

キリスト者の証言

「神様がしてくださる」

                   高橋ルツ子

「ひとたび死にし身にも」

          大塚寿雄・正子

主がなしてくださった良きこと

               永井信子

「エゴー・エイミ 私はそこに  いる」

           小林典子

ことば

キリストの香り

報告とお知らせ

〇お知らせ

集会案内

 

喜びと祈り、感謝、賛美への道

(春期四国聖書集会での聖書講話)                吉村 孝雄

 新約聖書において、次の言葉は、もう半世紀も前に、聖書に初めて接したとき、驚かされた言葉の一つであった。


 …いつも喜べ。絶えず祈れ。どんなことにも感謝せよ。


 これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることである。(Tテサロニケ5の1618 


 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。


           (コロサイ 4の2) 


 私たちは現在のような世界的な新型コロナウイルスの感染が増大して、数知れぬ人たちが悲しみ、苦しみ、孤独のなかで死んでいくような状況にあって、感謝、喜び、賛美などがありうるであろうか。


 そのことは聖書においてどのように記されているだろうか。そのメッセージの一端を受けとりたい。 

 このことに関して、次の言葉が静かな細き声として響いてくる。 


 …ああ、幸いだ、悲しむ者は(*)。


 その人は神によって慰められる。(励まされる)(**)(マタイ5の4)


 Blessed are those who mourn,for, they shall be comforted.  


 深い悲しみに沈む者へのこの短いひと言のなかに、限りない慰めと励ましがあり、主の愛の本質が刻まれている。


 自分のからだがもう回復できない病に冒され、確実に弱り、また死へとちかづいていることを感じるとき、また愛する家族がそのような状況に陥っていくとき、その人自身、そしてかたわらにある者の悲しみは、何によって癒されるだろうか。


  そのようなときにこそ、この主イエスの言葉は暗夜の星のように浮かび上がってくる。


 愛するものの病気が癒されて喜ぶのは当然のことである。しかし、それがかなわぬとき、ますます病状が重くなり沈んでいきつつある事態にあってそのただなかで、いかにして喜びなどあり得よう。


 ただ、胸をさされるような、込み上げてくる悲しみがあるのみ。

 しかし、そこにも静まって目を閉じれば、その悲しみの奥に光る一点が感じられ、そこに平安が与えられる。 それこそは、キリストが約束されたことー私の平安を与えようーとの御言葉の意味なのだとわかる。


 そうしたことをなしてくださるのが、聖霊である。


 主イエスは、自分は十字架の苦難への道にあることを明確に知っていたが、つぎのように言われた。


「イエスは聖霊によって喜 びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたを賛美します… (ルカ1021  

 また、パウロの書簡にも、聖霊こそがそうした苦難においても天来の喜びを与えるものであることが、つぎのようにも記されている。 


…あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れた。(Tテサロニケ1の6)

…希望の源である神が、…聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。(ローマ1513 


 主イエスは、最後の夕食のとき、その終わりのところで、「あなた方は苦難がある、しかし私はこの世の闇の力に勝利している」と言われた。

 さらに、「私に従うものは命の光を持つ」と言われた。


 そのことは、聖書の巻頭に記されていることー闇と空虚、混沌のただなかにあっても聖なる風(聖霊)が吹き、光あれ!との神の言葉によって光が与えられることである。


 すべてのことに喜べ、感謝せよ、祈れ、とのパウロの言葉、それはこうした聖霊による喜びと主の平安を指し示している。


 「求めよ、さらば与えられん」(マタイ7の7) 

 という御言葉がある。それは命令であり、また約束である。


 私たちも聖霊を求め続けていくとき、そのような平安と喜びが与えられ、そのような主の力を魂の深みにおいて実感して賛美できる道へと導かれていく。


 このキリストの言葉は、じっさいに迫害の苦しいただなかにおいて成就した。


 それは、次のような死に至らせるローマ帝国の厳しい迫害のときに記された文書に見ることができる。 


… ある若い女性ーペルペトゥアという名ーが、キリスト者たることを止めないために、最終的な尋問を受け、それでも心を変えないなら、闘獣の刑(飢えたライオンなどの動物に襲われる)にされるという状況になった。


 その父親は、自分の町から出て、心労のためにすっかりやつれて尋問されている娘のところにやってきた。そして「娘よ、髪の白くなった私を憐れんでくれ。お前の兄弟、母親、お前の子供のことを考えてくれ。


 あの子供ー乳飲み子は、お前が死んだら生きていけないだろう。強情を張るな、お前が殉教して、我々皆を滅ぼすようなことは止めてくれ。」


 私は不幸な父のために苦しんだ。そこで私はこう言って父を慰めた。「被告席にあっても、神のご意志のとおりのことが起こるでしょう。私たちが自分の力の中でなく、神の力の中でいることを知ってください。」


 いよいよ尋問がきて、裁判を担当する代官が「髪の白くなったお前の父や乳飲み子のことをいたわってやれ。皇帝のために犠牲を捧げよ。」と命じた。


しかし、ペルペトゥアは「それはできません」と答えた。


代官は「お前はキリスト者か」((***)と最終的な確認をした。彼女は「私はキリスト者ですと答えた。」


 父親はなおも娘を説得しようとしたが、鞭打たれ取り押さえられた。


 代官は、尋問したキリスト者全員に、ライオンなどの猛獣と戦わせて死に至らせるという恐るべき刑罰を命じる判決を言い渡した。


 その判決を受けたキリスト者たちはみな晴れ晴れとした気持で牢獄へと帰った。…(「キリスト教教父著作集第22巻 殉教者列伝」教文館箱より) 


***)キリスト者とは、


christianos(クリスティアノス)。この語から 英語のChristian  が生じた。 


 このように、広大な野外劇場にて観衆たちの前で、飢えたライオンなどに襲わせて死に至らせるという残酷な刑罰を受けようとしているそのときに、処刑されるキリスト者たちはみな晴れ晴れとした気持ちであったという。


 このような残酷な刑罰を前にして、いかにして晴れ晴れとした気持ちになり得ようか。


 通常の人間精神では到底あり得ないと思われるが、それこそ、聖霊による喜びであった。このような天来の喜びを与えられていたからこそキリスト教は、あらゆる迫害を越えて広がり、日本にまでも伝わってきたのである。


 また、日本においても、江戸時代に行なわれた厳しい迫害のときに書き記された文書がある。そこに次のような記述がある。 


…しかし、このことは、はっきりと申しておきます。私は黙ってはおれません。


なぜかと言えば、私を励まして、思い切って言わせて下さるのは、御主様です。


  それで、私が語りたいと思うとき、私は魂の中に感じる喜びを押さえることができません。その喜びは、あまりに大きくて、つい外にあふれ出るのです。… 


(レオン・パジェス著 「日本切支丹宗門史」上巻一一八頁、岩波書店) 


 いまから殺されようとするときに至ってもなお、魂の内からあふれ出る大いなる喜びがあったという。


 現在の苦しみにただちに喜ぶことなど感じられなくとも、耐え忍んで、主を仰ぎつつ歩むときには、主のときにかなって聖霊が与えられ、そのように感じるようにしてくださるのを信じることができる。


 私たちの生涯において、愛の神を信じていてもなお、「なぜ、私を捨て、こんなひどい苦しみや悲しみに遭わせるのか!」 との痛切な叫びも その闇と悲しみを通って、光を見るように導かれる。

 ペテロはみずからの罪を深く知ったとき、激しく泣いたとある。そしてその深い魂の慟哭のなかから、主の赦しを受け、聖霊による新たな喜びと力が与えられて賛美の歩みへと変えられていった。


 私たちが自分の罪の深さ、また日常生活のなかでいかに自分が本当の愛や真実、あるいは正義などにそぐわないか、そのことを思い知らされているほど、キリストが私たちのそのような罪のために死んでくださった、そしてただそのことを信じるだけで その深い罪が赦され、さらに聖なる霊までくださるというはかり知れない愛を少しでも実感するとき、おのずから感謝と喜びが湧いてくる。 


 現在のような新型コロナウイルスの蔓延という特別な状況だけでなく、はるか数千年の昔から、この世においては、耐えがたい苦しみや悲しみは常に生じてきた。

 そして、それと同時に逃れの道、命の光への道もとくに二千年前のキリスト以来、愛の神とキリストを信じるだけで、万人に与えられてきた。

 今回の苦難もその苦しみや悲しみを越えて、永遠の命へと導こうとされている神の深い御計画を感じる。

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*)「悲しむ」 と訳された言葉(ペンセオー pentheo)は、愛する人、身近な人の死の悲しみ、あるいは祖国の滅亡、人々の滅びなどへの深い悲しみを表す言葉としてしばしば用いられている。それゆえ、英訳でもほとんどの訳が そうした意味を表す mourn が使われている。

 例えば、旧約聖書のギリシャ語訳では、聖書のはじめの部分ー創世記から歴代誌の部分における意味はほとんどそのような死に関する悲しみをあらわしている。以下にその一部を示す。

・サラは…死んだ。アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた。 (創記23の2)

・ヤコブは…幾日もの間、       その子のために泣き悲しんだ。


                 (37の4)


・主が民を激しく打たれたので、 民は嘆き悲しんだ。

         (サムエル上619)


・地は悲しみ、衰え、世はしおれ、衰え、天も地と共にしおれはてる。 (イザヤ24の4)


   新約聖書においても同様である。


・マグダラのマリアはイエスといっしょにいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行き、 そのことを知らせた。


               (マルコ1610 


**)「慰められる」と訳されている原語は、パラカレオー。この言葉は、慰めるという意味とともに、励ますという意味を持っている。それゆえ、このパラカレオーは、別の個所では、次のように、「励ます」(英語ではencourage)と訳されている。 


・…私たちはいつまでも、主と共にいることになる。それゆえ、今述べた言葉によって励まし合いなさい。     (Tテサロニケ4の18


・主は、私たちが目覚めていても、眠っていても主と共に生きるようになるためである。だから、あなた方は、励まし合い、互いの向上に心がけなさい。


         (同5の1011

 なお、英語では、「慰める」は、comfort であるが、この英語は、もともとcom fort から成る。com は、共に、という意味を持つが、しばしば強調の意味でも用いられる。fort はラテン語のfortis(力強い)に由来する。それゆえcomfort とは、力づける、励ますといった意味になる。


 

リストボタン水の流れ

 

「方丈記」に、次のようにある。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、

久しくと留まりたるためしなし。」 

(流れ行く河の流れは途絶えることがない。たえず新たな水が流れていく。河の流れのよどんだところで、浮かぶ水の泡は、消えたり新たにできたりしつつ、同じ形で長くとどまっていることがない。) 

 平家物語の冒頭には、次の言葉が広く知られている。 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり`

娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す`

奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し `

猛き者もつひには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 

(インドの有名寺院の鐘の音も、すべては移り行くことを暗示する響きがある。 聖樹とされる木の花の色も変化し、力盛んなものすべて衰えていく法則をあらわしている。高ぶる人の力も長くは続かない。春の夜の夢のごとし。勇士もついには滅ぶ、風の前の塵のごとし。) 

 そして全十二巻の最後の巻の終わりには、「…平家の子孫は永く絶えにけれ」と記され、平家の完全な滅亡を記して終わっている。

 さらに、付録のように追加されている巻の最後は、生き残った平清盛の娘、建礼門院が、次のように歌ったことが記されている。

いざさらば 涙くらべんほととぎす 我もうき世にねをのみぞなく

(さあ、涙を較べようほととぎす、私も憂き世でないてばかりいる)

 ここには、自分も含め、万物が衰えていくということへの深い哀しみがあり、前途に闇がたちている感がある。 

 他方、この日本の文学が書かれた時代よりはるか千七百年ほども昔に、ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが語ったと伝えられている有名な言葉がある。

「万物は流転する」(*

 原文は、注に記したように「すべてのものは流れていく」である。

 この点では、方丈記の著者も、この世のことは、川の流れのようにみな流れ去っていくのを感じていたのがうかがえる。

*) τα  παντα  ρει(ta panta rhei    パンタ レイ) ta は冠詞、panta は、すべてを意味する pas の変化形、rhei は、rheo レオー 流れる の変化形。 

 ターレスの言葉は、万物ー目に見える一切のもの、地上のものだけでなく天にある星々も、すべてが流れさっていくということを意味していると考えられる。

 しかし、それらの背後にある変化しないものが存在すると知っていた。彼はそれを ロゴス(logos)と称していたと伝えられている。

 万物は流れていく、移り変わる、過ぎていく、そのことだけなら、何も高名な哲学者や随筆家でなくとも、少し立ち止まって考えれば多くの人も気付くことである。

 しかし、そうした万物流転の背後に、目に見えない不変のものが存在するということは、日本の文学作品ではそれに気付いた跡がほとんど感じられない。

 ヘラクレイトスに限らず、ソクラテス、プラトンには、そうした見えるものの背後に存在する不変の存在ー善そのもの、美そのもの、正義そのものーが存在するということの確信があった。それは、深い思索と霊的直感によって与えられた。

 聖書には、そうした川の流れは、はかなさや万物流転の象徴でなく、万物をうるおす命の象徴として記されている。

 創世記の最初から、その二章には、荒涼とした砂漠の、何もないところから水が湧き出てきた。

 そしてエデンの園にはその水が豊かに流れていた。

 そこから流れ出た水の流れは、ナイル川や、チグリス、ユーフラテス川など四つの大きな川となって世界を潤していたと記されている。

 このことは単なる昔話ではなく、全くの水のない生命のないところに、神によって命をあたえる水が湧き出し、それが全世界を潤しているという象徴的な記述なのである。

 この水の流れは、極めて貴重なものだという意味が込められている。

 イスラエル南部の地方などでは、4月から10月頃までの半年くらいは全く雨が降らないという日本では到底考えられないような厳しい乾燥が続く。

 水がなければすぐに死んでしまうゆえに、聖書が書かれた地域においては、水の流れとは生きるか死ぬかという切実な問題であり、命のシンボルであった。

 キリストもそのような生命線である水について深い意味のある言葉を残された。それは目に見えない霊的な水についてである。

…私が与える水を飲む者はいつまでも渇くことがない。

その人の深い心の内から生きた水が川となって流れでる」と言われた。

    (ヨハネ福音書7の3738

 そしてまた聖書の最後の書物である黙示録のその最後の近い部分では、この世界の究極的な状況が象徴的に記されている。 

 …天使はまた神と子羊なるキリストの玉座から流れ出て水晶のように輝く命の水の川を私に見せた。

 川はその両岸に命の木があり、都の大通りの中央を流れ、毎月実を実らせ、そしてその葉は諸国の民の病も癒す。(黙示録2212節) 

 この人類の歩みの究極的な行き着く先は滅びではなく、そのような命の水が溢れて流れ、そこに祝福の実りが毎月実らせるというそういう象徴的な表現で記されている。

 このように、聖書においては、川の流れはただ万物流転の有様ー空しさやはかなさを意味しているのではなく、命の水の流れを象徴しているのである。

 そして、神は、その水を世界に流れさせると、遥かな古代にそのことをご計画なされ、そして今日に至るまで、確かに全世界に地下水のように流れ続けているようにされたのである。

 さらに、そのことを歴史の流れのなかで、はっきりと世界に示されたのはキリストであった。

 この世には、私たちが、愛と真実の神を信じ、霊の目を見開くならば、命の水が流れているのがわかるようになされている。

 キリストよりも、五百年ほどの預言者が言っている。 

 …渇くものは皆、水のところに来れ!

 金を持たない者も来れ。(イザヤ書55の1より) 

 キリストはこのイザヤの預言を成し遂げた御方だった。

 現代の私たちも様々な社会状況や自身の健康、家族や関わりある人たちの重荷、その他の問題のために、いかに渇き苦しむことがあろうとも、全世界を数千年にわたっても流れ続けていくこの永遠の命の水の流れが与えられており、それを値なくして飲むことが与えられている。

 「求めよ、さらば与えられん」ーこの御言葉に従って、私たちも魂の渇き苦しむ時、その目に見えない生命の川の水に口を付け、手ですくってそれを飲み、新たな力を与えられたいと願うものである。


 

〇春期四国聖書集会の聖書講話から

リストボタン「 キリスト賛歌 」

      フィリピ書 2611

        秀村弦一郎

    (福岡・福岡聖書研究会)

 

 ドイツとの国境・アルザス地方にあるフランスの街コルマールで見た「イーゼンハイムの祭壇画」は衝撃的でした(資料1)。

 16世紀ドイツの画家グリューネバルトによる絵画史に輝く、縦2.7メートル横5メートルの大作です。観音開きの中央に十字架上の凄惨なキリストがリアルに描かれています。

 左にマグダラのマリア、イエスの母マリアと弟子ヨハネが、右には洗礼者ヨハネがいますが、キリストを指さす洗礼者ヨハネの指許に「あの方は必ず栄え、私は衰える(ヨハネ330)」と書かれており、キリストの復活を暗示しています。横長の下段には、キリストの亡骸を前に悲しむ人々が描かれています。

 驚くことに、グリューネバルトはキリストの体全面に無数の青い斑点を付けています。十字架上のイエスにも亡骸のイエスにも。当時人々が苦しめられたペストや麦角菌中毒を表しているのです。

 14世紀に始まるペストの大流行では、当時の世界人口4億5千万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計されています。この聖壇画はイーゼンハイムにあった修道院の付属病院・礼拝堂に設置されていたもので、観音開きの中央扉を開くと復活のイエス(資料2)が現れ、苦しむ十字架上のイエス像と共に、ペストや麦角菌中毒で苦しむ人々や死者を悲しむ人々、感染に怯える人々に慰めを与えたのでした。

 神は私たちにコロナ禍を通して何を告げておられるのでしょうか。

 「私たちの心の奢り、傲慢さに対する神の深い悲しみの警告ではないか」など色々な声が聞こえてきます。

 私も、私が働いてきた高度成長期に始まる数十年が齎している様々な歪を考えるにつけ、神は大きな方向転換を求めておられるのだろうと感じています。Stay Homeの時は神の声を聴くときだ、と。

 そしてこの祭壇画を想起するのです。コロナは見えませんから、青い斑点は描けませんが…。 

  イエス・キリストはコロナで苦しんでいる人々の苦しみを担って下さっており、復活の希望を与えて下さっている、と。

   U

 神の子でありながら、私達と同じ苦しみを味わって下さるイエス。貧しい者、病める者、虐げられる者の友となり、低く低く、私たちのどん底にまで降って下さったことが十字架に示されています。

 そのようなイエスを賛美する初代クリスチャンの讃美歌をパウロが手紙に書き残してくれています。

 フィリピ書の2611  (資料3

 神と共にあった(ヨハネ11)ことを捨てて、ある意味で被造物の中の最悪のもの(罪を犯すもの=人間)となられたイエスの最悪の姿が、十字架上に全人類の罪を担われた姿です。 十字架のイエスは神が造られた最悪のものとなられました。そこまで「へりくだられた」イエスによって神と人の和解が成り、人が生きることが赦されるに至ったのでした。パウロはフィリピの信徒たちと一緒に「キリスト賛歌」を歌わずにおれなかったのだと思います。

 賛歌の前半(68節)はキリストの自発的なヘリくだりを、後半(911節)では神がキリストを高く挙げられたことが歌われます。前半にある「十字架の死に至るまで」はパウロが書き加えたものと言われています(パウロの福音の中心は十字架。もう一つの中心である復活の文字はありませんが、後半は明らかに復活を指しています)。

 なお、新しい「聖書協会共同訳」は、改行することでこれが讃美歌であることを明示していますし(新共同訳では地の文)、キリストの十字架と復活の目的が、「父なる神が崇められるため」とギリシャ語の原文通りに明記されていて、良い訳になっていると思います。

                   V

 福岡聖書研究会は内村鑑三の死後2年目に発足したのですが(今年米寿を迎えました)、発足時の中心人物が田中謙治氏です。氏の五女の命名を頼まれた内村は「謙子」と書き送りました(資料4)

 この名の由来はキリスト賛歌だ、と(「へりくだり」が文語訳では「謙遜」)。そして、謙子さんは音楽に秀でて東京音楽学校(芸大)を卒業して福岡に戻り、福岡女学院の音楽教師になりました。そして福岡聖書研究会の集会での讃美歌伴奏を受け持たれます。

 集会の吉田道也・九大教授と結婚された後も変わらず讃美歌伴奏を続けられ、93歳で召される直前まで欠かされることがありませんでした。

 初代信徒の讃美歌から命名された謙子さんは生涯讃美を歌い続けられたのでした。そのような形で内村の祈りが聴かれたとは、不思議なことでした。

 現在集会の奏楽は若い女性に引き継がれており、奏楽つきで賛美を歌わせていただける祝福は変わることがありません。

   W

 ところで、パウロは「疫病のような人間」と言われています(使徒245)。 最後の伝道旅行から帰った彼はエルサレムで捕らわれの身になり、大祭司一派によってローマ帝国の総督フェリクスの前に訴えられた時に言われた言葉です。

 「世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、ナザレ人の分派の首謀者」である、と。ユダヤ教のリーダー達には、パウロの福音の感染力によるパンデミックが脅威だったのです。

 コロナ・ウイルスはやがては消え去るでしょう。しかし、疫病と言われた福音はパウロがローマで殉教の死を遂げた後も消え去ることはありませんでした。

 それどころか、皇帝ネロやドミティアヌスなどによる300年に及ぶ苛烈な迫害を乗り越えて、キリスト教はローマ帝国の国教になりました。 そして大航海時代(16世紀)に地球規模に拡がり、日本にも伝わったのでした。福音は永遠に消え去ることは無いのです。どうしてでしょうか?それは復活のイエスが永遠に生きておられるからです。

 私は最近特に、復活のイエスが私と共にいて下さることが何と祝福であり、喜びであるかを思わされています。神の前に顔向けできない罪の塊である私を、グリューネバルトが描いたあのみ手に抱き留めて下さっている幸いを、感謝せずにおれません。この集会のテーマ「祈り、賛美、感謝ー神の導き」は私自身の告白でもあります。

 今回も多くの賛美が歌われますが、初代信徒たちのキリスト賛歌を憶えつつ、歌いたいと思います。

 


 

リストボタンキリスト者の証言

     春期四国聖書集会にて

 

「神さまがしてくださる」  高橋ルツ子

  (徳島聖書キリスト集会)

 

徳島聖書キリスト集会の高橋ルツ子です。

 私は幼少の頃から徳島聖書キリスト集会で主日(日曜日)を過ごしていたことを記憶しています。

 私の祖父(大坪克樹)(*)は、高知出身で、明治大学卒業後、徳島県の現在の石井町にて開拓伝道を始めたそうです。

 戦前、戦時中のキリスト教徒にも厳しい時代を生き、若き30代で肺結核によって天に召されました。

 その時私の父は3歳、以前から耳が聞こえにくかった祖母は全聾となっていました。

 祖母は戦時中の極貧の中の子育て、戦争が終わるまで牧師家庭での試練等々。懸命に生きたと思います。

 その後、肺結核により療養所に入った祖母はその病院の結核病棟に入院していた無教会のキリスト者(上西渓水)によって信仰がよみがえり、さらに伝道に来られた徳島聖書キリスト集会の前代表、杣友豊市さんによって同集会へ導かれたのでした。

 後に京都から帰って来られた吉村孝雄さんにも出会い、祖母は吉村さんに最期に近いときに言ったそうです。

「私は多くの罪を犯してきました。けれども、今は信仰によって平安です。」

 病気が重くなり、体力も弱っている中で、主にある平安を与えられていたとのことです。

 祖父と祖母が天に召された後に私が生まれており、この世では二人に会うことができなかったため、私は二人の話を聞いたことと、二人が残したものを見て、思いを巡らせています。祖父の名が記されてある聖書。祖母の字が書いてある礼拝の時のノート。

 祖母は葬儀の時も平安と喜びに満ちた表情であったと聞いています。

 私の父は30代に大きな試練に苦しみました。祖母は苦しんでいる父に言いました。

「真剣に、真剣に、神様に祈ってみなさい。」父はそれまで信仰は持っていない人でした。

父は、藁をもつかむ思いで、神様に真剣に祈り求めたと言います。そして父も徳島聖書キリスト集会に導かれました。内村鑑三の文書に感銘を受けた父は、長女の私に内村鑑三の娘の名である「ルツ子」と名付けました。

 私は幼少の時から父に連れられ、また親しい方々にお世話になって日曜学校で聖書や賛美と祈りに触れる機会を与えられていました。

 けれども26歳で本当にイエス様がわかるまでは今のような信仰はありませんでした。

ただ、子供心に不安や辛いことがある度に、「かみさま。」と心で呼んでいました。そうすると、神様はいつも助けてくださいました。

 私(人間)の予想をはるかにこえた事も用いて、そのことから乗り越えさせてくださいました。「かみさま、ありがとうございます。」と心の中で感謝したことも覚えています。

 小学生の頃は見えなくても純粋に神様を自然に感じることが出来ていました。年齢が上がってくると、神様が遠いと感じてきました。それらは言葉で表すことは難しいですが、何か空しさを感じ、さまようような気持ちでした。

 そんな私は26歳の時に第一子である長女がおなかの中で天に召されたのです。安定期に入って順調に生まれてくる予定だったにも関わらず、ある日突然心音が止まっていました。

 その時本当に力となるメッセージをくださったのは主を信じる友人たちでした。

なぜ自分にこんなことが?その時点ではわからず苦しみ、信仰の友のメッセージの意味もわからなかったのですが、不思議と何か他とは違うものを感じました。「神様が与え、神様がとられたのですね。」「私たちにも同じ試練があったが、後にその試練は神様が与えられた意味のあることだと知らされた。」など、不思議と離れていた神様を近くに感じる思いがしました。

 その後、主日になると礼拝へ行きたいと思うようになりました。2005年619日の主日、促されるように礼拝に行こうと思いました。久しぶりに参加できた礼拝で信仰の友が優しく迎えてくださいました。その日の聖書箇所はルカによる福音書222節(**)から始まり、「初子をささげる」という内容で、一番初めの一番大切なものを神様にささげることの重要性を学びました。

 吉村さんのお話から、シメオンは慰められるのを決して諦めずに忍耐をもって祈り続けて待ち望み、聖霊が彼の上にとどまっていた。というメッセージが私の心に響きました。イエス様は私達全ての人々を愛してくださっているからこそ試練も与えられる。しかし、必ず最後には助けてくださる。その時に初めてイエス様がわかった大きな感動がありました。


 それからは思いもしなかった不思議なことが続きました。その中でも私の信仰をより強めたことは、頑なな未信仰であった私の夫もイエス様に出会い、信仰を与えられたことです。

 さらに、中学2年生の娘は、夏に北海道の南西部の瀬棚地域で開催されていた瀬棚聖書集会、それに続いて行なわれていた札幌交流集会、などに徳島聖書キリスト集会の親しい方々と共に近年自ら望んで参加させていただくという恵みも与えられ、北海道の大塚さんをはじめお世話になった方々と遠く離れていても聖霊と祈りによる交わりが与えられていることに心から感謝しています。

 ここまで、私の祖父と祖母から始まり、私自身の信仰について考えた時、気づかされることは、家族の信仰などのきっかけはあるかも知れませんが、誰もが主イエス様に一人一人名を呼ばれ、それぞれの時と場において、神様が信仰を与えてくださっていることです。私達人間が…ではなく、神様がしてくださる。

 コロナウイルスで世界中が苦しむ上においても、シメオンのように忍耐をもって待ち望み、旧約聖書のヨセフのように人生の大きな試練と苦難の連続でも、主が共におられることだけを信じぬき、最後は主に祝福されたその信仰。(***

「きっと神様がしてくださる。」

 私たちもそのような信仰を最後までもつことが出来ますようにと祈り続けたいと思います。 

**)ルカ福音書2章22

***)創世記37章1〜5026

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*)(編者注)

  高橋ルツ子さんの祖父(大坪克樹)が開拓伝道した教会は、後に現在の日本基督教団石井教会となった。

 なお、大坪克樹は、現在の無教会の待晨集会の創始者であった酒枝義旗とともに学生時代から伝道の旅をしたことが酒枝の著書に次のように記されている。

…その年の夏休みに、キリスト教青年会同盟の主催で、学生伝道の旅が計画されました。

 私も〇君、〇君などと共に早稲田の青年会から参加することになりました。

 一行は今は故人となった

大坪君と吉満君、それに〇君… それに私たち三人で、今玉川学園の主事をしている土居さんが指導して、東北から北海道の各地の教会を巡ったのです。

 大坪君は、明治大学の学生で、卒業後は伝道者とてり、福音のためによき戦いをしましたが、先年徳島で病没されました。…

(「暁の光に歩む」酒枝義旗著、三一書房発行一九五一年六月) 

・酒枝義旗については、キリスト教関係の著作については、「酒枝義旗著作集 全13巻」(キリスト教図書出版社)がある。

 なお、次のように説教の印象を書いている人もいる。

 ・…酒枝義旗とは何者かと質された。内村鑑三の高弟、藤井武の信徒だ。早稲田大学で戦後20年余経済原論を教授していた。

 絶望的貧窮の中から身を起こしドイツに留学して大学教授となった。説教が実にうまかった。訥々と語るが愛と信仰に溢れていた。(関西大学名誉教授 鵜飼康東)


リストボタン「ひとたび死にし身にも」(イザヤ273、詩篇682)       

大塚 寿雄

     (北海道・札幌聖書集会)

 

 聖書との出会いは「主張と随想」(東京大学出版会、矢内原忠雄著)も読んだことがきっかけになった。

大学に入学、学生時代は教会に出席して少しずつ聖書がわかるようになった。

就職後は次第に教会から足が遠のき、仕事優先の生活が続いた。

 その後は家族引き連れて新潟、札幌への転勤となった。

ある日、新潟市内で内村鑑三記念講演会のポスターを見て無教会との出会いとなった。初めて聖書をしっかりと読む大切さを学んだ。

 札幌に転勤、そして札幌聖書研究会に出席(途中 東京に再度転勤)札幌から単身赴任。この期間は浦和キリスト集会に出席し、聖書を黙想し神のみ声を聞くことの大切さを学んだ。

2000年、会社定年、退職。定年後はギリシャ語の原典を学びたいと思って北海道聖書学院に聴講生として入学、第二の人生に向かって歩き出した。

 翌年6月急性骨髄性白血病を発症。 抗がん剤治療が始まり急性腎不全を併発。生死の境を彷徨い、ICUでの懸命な治療によって九死に一生を得たが…目が見えなくなっていた。

 この時の失望は奈落の底に落とされたようであった。目が見えない、涙が止まらない。

 心の底から神に願った「見えるようにしてください」と何度も何度も必死に祈った。

 細き静かな声…祈るうちに耳元を通り抜けるような細く静かな声が「見えるものによらず、信仰による」(第二コリント57)。

 もう涙は出なかった。翌年春に退院して自宅療養、退院後も週3回透析。通院が今も続く。視覚を失い、透析入院、定期の検査、入退院。 眼科の手術、日常生活の不安。そして心の闇の中で聖書にこれからどう向き合ったら良いのか。

 日常生活の不安。そして 20004年に入りこれからの歩む道を模索するが人と出会うこと、礼拝に出席することすら心重い。


 一筋の光を求めて札幌集会、神学校聴講などと妻との二人三脚の始まりだった。

 まもなく浦和キリスト集会と徳島聖書キリスト集会との連携によって障害を持って信仰の道を歩む手段があること、音声によるパソコン利用を知り、信仰の友の励ましに支えられた。

 夏期瀬棚聖書集会に来道の吉村孝雄兄ほか信仰の友が札幌に立ち寄ってくださり、第1回徳島と札幌交流集会が始まり、2019年で16回に至る

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主にありて、今生きる           大塚正子

 

主人の発病以前、以後で私のこれまでの人生は大きく変わりました。


 単身赴任中に義母、主人の伯母の二人の介護、看取りをし、すぐに主人の闘病と続く。


 中途失明、透析、通院、定期的検査入退院あり…主に守られここまで歩んでこられたことに心より感謝です。


主に導かれて二人で歩き出してからの後半こそが私の人生の全てと今は思えるようになりました。


 これからの生活を続けていくことの厳しさを目の前にしていますが今はどんなときもイエス様が共に歩んでくださっていることを確信し前を向いて歩きます。

 


 

リストボタン主がなしてくださった

                良きこと

            永井 信子

   (東京・いずみの森聖書集会)

私の中学時代は反抗期で両親を困らせていました。そのような中でも私は心の中では反省しながら自分の生き方を漠然と考えていました。高校に入学してクリスチャンの国語の岩島先生に出会いました。全校生へ向けた先生の訓話が心に響き、私の生き方が指し示されたと感じてキリスト教に関心をもち、先生の集会に入会しました。私は個人的に先生から「信仰は努力では得られません。」「本当に信頼するのは神様だけです」「人を憎むことはその人を失うことです」と言われていたことを心に留めていました。先生は聖書の真理を簡潔に教えてくださっていたのです。

 私は神様から様々な試練を与えられて罪に砕かれ、何もできない弱さをわからせていただき、全能の神にすがるしかなくなっていました。弱い私は人間関係では悩み多くありました。

 あるとき、問題解決のために必死で祈っておりました。すると祈りの中で自分の側の罪、自己中心の罪に気づきました。気づいた瞬間、心の中にパッと光が射し込んだのです。それは赦してくださった神様の光でした。神様から教えられた問題解決とは、私の自己中心の罪を私が気づかせてくださっただけです。 赦された私は、人の罪を赦し、神の愛に帰ることなのでした。また信頼し合っていた友が、信仰の交わりを切ってしまったことをたびたび思い出しては、眠れなくなることがありました。

 ある時、又思い出して、私の信仰と愛の欠乏だったと気づかされて悔い改めて祈っていた時のことです。「その人のことはわたしが面倒を見ている」との声が聞こえたのです。神様に任せていなかった罪をも赦して、そのように応答してくださった神様に感謝しました。

「わたしにつながっていなさい。私につながっていなければ何もできない。わたしの愛にとどまっていなさい」

 そのために、私にはヒルティの言葉「毎朝目を覚ましたら、すぐに善を行う新しい機会が与えられたことに対して神に感謝しなさい」が与えられています。

 私は若い頃はキリスト教系の保育園に勤務し、その後は民生委員・児童委員と保護司を務めてきました。どれも自分が求めたのではなく神様から与えられたものでした。

 その間に出会った女性が信仰に導かれ、今では彼女の方から一緒に祈りましょう、と言われます。こうした出会いは神様からの大きな恵みです。

 神様が良きことをしてくださったことの体験はたくさんありますが、あと二つの出来事をお話しします。

 父が73歳の時に末期癌でICU室に入院していたときに、岩島先生がお見舞いに行ってくださいました。 先生が聖書の復活のお話をされたあと「アーメン」というと父もすぐに「アーメン」と言ったので非常に驚かされました。

 父は教会にも集会にも行ったことはありませんでした。アーメンとの言葉も知っていませんでした。

 先生は病室を出ると奇跡的な出来事に「本当に信じるとこういうことが起きる」と私に言われました。先生はお出かけの前に深いお祈りをされたと知りました。私は「本当に信じること」の大切さが脳裏に焼き付きました。

 父はその一週間しないうちに、医師が奇跡だというくらい回復して退院しましたので私は父と信仰の話が出来ました。父が信仰を求めているのを感じて毎日祈っていましたが、呼吸困難になり再び入院しました。

 私が集会の人たちが祈ってくださっていると伝えると涙を流していました。父との会話はそれが最後となりました。母の時には伝えられなかった福音が伝えらえて神様に感謝でした。

 次に昨年の出来事です。私は西澤さんの清水聖書集会のクリスマス講演会でお話をさせていただくことになっていました。前日激しいめまいが起こり、寝ていても治らないので病院に行き入院できない理由を話して点滴してもらいました。 夕方帰宅しても治らず、眠れるまで一晩中神様に癒しを願っていました。

 昨年、福音歌手の森祐理さんが、徳島のコンサートを前にして体調が悪くなり、徳島聖書キリスト集会の2人の人に祈ってくださいとお願いして癒されたという、森さんの証しを、「いのちの水」誌で読んでいたのを思い出し、神様のご用は必ずなさせて下さると信じて祈っていました。

 明け方少し眠れて、起床時にはすっかり癒されていました。何事もなかったように私は無事に役を果たすことができました。神様に何度も感謝しました。集会の人や多くの人の祈りもあったことも本当に感謝でした。

聖句より

「何事でも神のみ心にかなうことをわたしたちが願うなら 神は聞き入れてくださる」(ヨハネ5の14)

「どこに行けば あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。

天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。」

         (詩編139の7〜8)


 

リストボタン「 エゴー・エイミ 私はそこにいる」

 小林典子 (福岡聖書研究会)

 

 昨年2019年の1222日は福岡聖書研究のその年最後の集会であり、クリスマスの集会でした。久しぶりにおいでになった方もたくさんおられ、本当に皆でクリスマスをお祝いすることができました。とても楽しい、また心満たされる時でした。

 しかし電車に乗って帰路についたとき、確か電車を降りた時だったと思いますが、ふと自分の家に帰りたくないという気持ちがわいてきました。私は夫と次男と3人で暮らしておりまして、  次男は派遣会社の都合で無職になり、全く口を聞かなくなり、食事も別にするようになっていました。

 全く自分の無力を思い知らされる毎日が続いて家の中は沈みがちでした。

 そして歩きながら橋の上に来た時、突然私は小さいころから家に帰りたくなかった事を急に思い出しました、私の両親は私が1歳にならない頃離婚しました。

 その後5歳まで祖母に育てられ5歳になった時父が再婚し新しい母に育てられるようになりました。

 両親はとても教育熱心で、できの悪い私にお稽古事や勉強を習わせてくれましたが、父は私にいつも出来が悪くても人の倍努力すればいい、努力しなさいといつもお説教される毎日でした、 私は友達の家で遊んで家に帰るときいつも家に帰りたくないと思ったことでした。

 そして大人になり結婚してからも、結婚生活になじめず鬱病になってしまいました、結婚も子育てもうまくいかず、本当に私はなんて惨めな人間なんだろうといつも思っていました。

 そんなことを考えながら歩いていると、気が付くともう自分の家のドアの前に立っていました。

 ドアを開けようとした時、驚いたことに、私の中に私は間違っているという考えが閃いたのです。

 そうだ、私は間違っている、自分が帰りたくないと思っているこの家にこそイエス様はおられるんだ、そうだ私は一人でこの家に帰るんじゃ無いんだ、私は何の恐れもなくドアを開けて家に入ることができたのです。

 この出来事があってから私はいくつかの聖句と本に出合う事ができました。


…モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに.遣わされたのです』と言えば、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。

 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるというものだ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言え。

『わたしはある』という方がわたしをあなたに遣わされたのだと。」( 出エジプト記3章13〜14節 新共同訳)

「わたしはある」(エゴー・エイミ)

 聖書協会共同訳では「わたしはいるという者である」という訳になっています。 私は以前集会で使っていた新共同訳の聖書にここのところに書き込みしているのを見つけました。

 そこに「私はそこにいる」と書いていました。この言葉は以前福岡聖書研究会でお話し下さったユダヤ教のラビの先生が訳された言葉だと思いますが、私はそこにいる、という言葉が今の私のはぴったりだと感じました。

 出エジプト記312節には

 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたをつかわすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」

 私はこの「必ずあなたと共にいる」という神様の約束の言葉を見つけたとき本当に嬉しかったです。

 次の聖句は新約聖書に出てくる言葉です。


 …彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「私であると」と言われた。

 イエスが「私である」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地にたおれた。(ヨハネ185〜6 新共同訳)

 ここにも書き込みをしていて後ずさりして地に倒れたという所にサタンの力が倒されたと書いていました。(ここはどなたの言葉か分かりませんが)

 イエス様はご自分の事をエゴー・エイミ「わたしである」と言われてます。サタンの力を滅ぼされる、神の子であるイエス様の御名です。


 私はこのモーセに現れた父なる神様、そして神の子であるイエス様、聖霊様によって導かれてきたのだと改めて思いました。特に福岡聖書研究会に導かれたこと、これに尽きます。

 最後に主の名を呼ぶという事についてお話したいと思います。

 私はこの1222日の出来事があってから、ずっとこの状況の中どう生きていけばいいのだろうといつも思っていました。

 主の名を呼ぶという事がたまたま久しぶりにお尋ねした方が帰り際にこれを読みなさいと渡された本の中に何度も書いてあるのを見つけました。(*

 またフィリピの信徒への手紙の講話の中でも主の名を呼ぶという事が取り上げられました。そして主の名を呼びつつ歩いていきたいと思うようになりました。


 本当に預言者ヨエルが言うように、「主(キリスト)の名を呼ぶ者はすべて救われる。」(ローマ人への手紙1013塚本虎二訳)

 この主の名を呼んで日々歩いていく生活、どんなに行きづまった状況においても、イエス様どうしましょうか、イエス様憐れんでくださいと「私はそこにいるだろう」とおっしゃて下さるイエス様の名を呼びなら生きて行きなさいとこの聖句が励ましてくれます。

そしてイエス様がどういう御方か、それが3章に書いてありました。


…なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、かつて持っていた神の栄光を持たない。

 さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ代価を払わず、ただ神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあながいの力で、神に義とされる道が設けられたのである。

(同3の2324 塚本虎二訳)

 神が全てを備えて下さっている事を感謝し、喜び「わが主イエス様」と御名を呼びつつ、この地上を歩んでいけますようにと祈ります。


*)紹介された本は小西芳之助著「ローマ人への手紙講解説教」(恵心流キリスト教)


リストボタンことば

 

(406)目ざすべき唯一のこと

 神があなたをすべての罪から救ってくださった時から、Tコリント13章に記されている愛を増すことだけを目的とするーそのことを、心に刻んでいなさい。

 あなたの地上の生活において、これより高くへ至ることはできない。

(ヒルティ・幸福論第三部327頁より)(*

Settle it in your heart ,that from the moment God has saved you from all sins,you are to aim at nothing,but more of that love described in 1Cor1-13.

*)ヒルティ(18331909)は、スイスの弁護士、キリスト教著作家、政治家、法学者(ベルン大学教授)。日本では『幸福論』、『眠られぬ夜のために』などの著者として知られる。白水社から「ヒルティ著作集」全11巻。


 (407)

心を神に向けよ !

時には食事の時にも 、そしてあなたが友達と一緒にいる時にもだ。

ほんの少しでも神を思い出しただけで、神はいつでも受け入れてくださる。

大きな声で叫ぶ必要はない。

あなたが思っているよりはるかに間近に神はいてくださるのだ。

(ある修道士の言葉から「修道院の台所」23頁 文化出版局 一九八〇年刊)

 (408)沈黙の重要性

心の静けさ  マザー・テレサ

 私たちは、神を見い出す必要がある。しかし、神は雑音や静まらないところにて見いだすことはできない。神は静けさの友である。

 見よ、いかに自然ー樹木、花々、草などが沈黙のうちに成長しているかを。

 星々、月や太陽、それらは沈黙のうちに動いている。

 私たちは、人々の魂に触れるためには、沈黙が必要なのである。


We need to find God, and he cannot be found in noise and restlessness. God is the friend of silence. See how nature - trees, flowers, grass- grows in silence; see the stars, the moon and the sun, how they move in silence

We need silence to be able to touch souls.

(マザー・テレサ「The Joy in Loving228P Penguin Books


 

リストボタンキリストの香り

 

 初夏となってテッポウユリの見事な花が咲いた。以前、山の石垣の縁にあったが、周囲にススキやほかの雑多な草木に埋もれ、周囲の樹木が大きく繁って、ヒョロヒョロとしたものになり、花も一輪だけ辛うじてさいていたが、近年は花も咲かない状態だった。

 それを、去年、日当たりのよい、肥料の聞いた庭先に移植したところ、今年は、高さも1.3メートルほどにもなり、茎も葉も堂々としたものになった。そして6月になって8個の大輪の純白の花を咲かせた。

 そして花に近づくと、高雅な香りが、とくに早朝や夜間に強く感じられるようになった。花が咲き始めて以来、毎朝その良き香りを受けている。

 このテッポウユリは、山に自生するクチナシと共に、私には最も気品のある香りとして感じられる。

  聖書には、キリストの香りという言葉がある。キリストのことをいつごろの人だとかどんな教えを与えたといった単なる知識でなく、キリストを信じて、その十字架の死による罪の赦しを受けるとき、そして聖書の言葉が人間の意見や思想でなく、完全な愛と真実の神の言葉だということ、そしていまもキリストは生きて働いておられること…等々を実感するときーそれがキリストを知るという本当の意味ーそのときには、キリストを知ることから香りが漂うようになるといわれている。


…神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださる。          (2コリント2の14

 私は五十年以上前に、初めて京都でキリスト教の集会に参加したとき、そこに連なる20人ほどの人たちの賛美の歌声には、そうしたキリストの香りを感じたし、ことに何名かの老婦人の方々の雰囲気にも、それまで知った高齢の女性には感じられなかった雰囲気があった。それが、聖書に記されている「キリストの香り」だった。

 そして、テッポウユリだけでなく、自然のさまざまの植物や大空の青い空、そこに漂う白い雲、夕日や朝焼けの美しい色合い、いま深夜にも見える木星の強い輝きやその他の星々…それらもみな、キリストの香りを漂わせている。


リストボタン報告とお知らせ

 春期四国聖書集会

5月9日土曜日から10日日曜日にかけてキリスト教独立伝道会と徳島聖書キリスト集会との共催で春季四国聖書集会が開催されました。

 本来は徳島市のホテルで一泊二日をかけて開催予定でしたが新型コロナウイルスのために集会をすることができなくなりその代わりにインターネットのスカイプを用いた集会となりました。

 Skype で接続された方々は約50名ほどでしたが、一箇所に数人、あるいは5〜6人集まったところもありさらに LINE あるいはスマートフォンなどから部分的に直接電話を受けてその内容を聞いて参加された方々もありました。

 そして部分参加の方々も合わせ、さらにはインターネットをしていない方々、また聴覚障害などのために電話で受けることもできない方々はその集会の内容ー聖書からのメッセージや12名による証しなどを詳しく印刷した印刷物が事前に参加希望者に郵送され、実際の集会のプログラムの時間に合わせて各自が自宅でリアルタイムで集会に参加するという形を取りました。

 全てが初めての集会でしたが、一部で接続に不都合があったりしましたが、全体として110名近い人達がこの春期四国聖書集会に参加することができ、遠く北海道から鹿児島に至るまでの各地域の方々が目に見えないインターネットによって結ばれ、ともに御言葉を学び、賛美し、祈りを捧げるーそうした集まりが神様の恵みと導きによってなされたことは大きな感謝でした。

 こうした初めての集会に関して新鮮に感じた方も多かったので、まずその集会の受け止めた方々の感じた事柄を前の5月号に掲載しました。

 そして今月号は第一日目の土曜日の聖書講話と証しを掲載しました。

 来月号には 二日目の主日礼拝の聖書講話と証しを掲載する予定です。

 今回の集会は キリスト教独立伝道会と、私どもの徳島聖書キリスト集会の方々が、祈りまた協力し合って共催という形でなければとてもできなかったようなことが色々となされ、共同での開催ということの恵みを新たに強く感じたことです。

 また今回のインターネット Skype による集会のために初めて Skypeのインストールされた方々もあり、なかには直前にそれができるようになって急きょ参加された方々もおられます。

 今後ともそういう方々が何らかの形でこのインターネット Skype を福音を伝えるために用いることができたらと願っています。

 徳島聖書キリスト集会では10年ほど前から一部の家庭集会で、スカイプでの参加はできるように始めて以来少しずつ他の家庭集会でもスカイプでの参加はできるようにして、そこからも多くの方々との関わりが与えてあげておりましたが、今回のことを契機としてそのつながりがより広められて感謝です。

 なお、徳島聖書キリスト集会てでは、毎週火曜日第134の夕拝や、一部の家庭集会にも引き続いて参加される方々もおられ一層徳島聖書キリスト集会とまた新たな繋がりが強められて感謝しているところです。  


〇お知らせ

春期四国聖書集会の録音CD

 なお、今回の春期四国聖書集会の録音がありますので希望の方は一般の CD プレーヤーでも聞けるタイプのものは CD5枚になっています。5枚セットで500円です。

 それから MP3というタイプの録音では CD1枚に収まり、それは送料とも1枚200円でお送りしています。

 すでに、いろいろな方々から申し込みがありましたが、さらに希望の方がおられましたら吉村孝雄まで電話,FAXまたはメール などで申し込みください。代金は、二百円以下の切手でも結構です。私から送付する以外に、集会員の数度勝茂さんから送付される場合もありますが、代金はいずれも吉村宛て送ってください。


主日礼拝について

 私どもの徳島聖書キリスト集会も新型コロナウイルスのために3月から集会所における礼拝を休止して全て Skype によって続けております。

 6月以降の集会の主日礼拝の開催方法に関しては、はっきりしたことは言えませんが、しばらくスカイプでの方式で続け、第3日曜日の6月21日以降から集会場での礼拝を始めることができればと願っています。(ただし、京阪神地域でのコロナの第二波などの感染が生じた場合には さらに集会場での開催は延期となります)

 なお、集会の持ち方がどのようになっても、スカイプでの参加は自由にできますので参加ご希望の方も引き続いて参加ができます。


 

リストボタン集会案内

 

 新型コロナウイルスのために、徳島市の集会場での礼拝、夕拝などは、休止し、インターネットのスカイプで行なっています。家庭集会も、北島集会と海陽集会のみ、スカイプで継続しています。

 参加申込は、数度勝茂さん、または、吉村孝雄まで。

 初めてスカイプで参加希望のときは、またはスカイプのインストールに関しては、奥付に記してある吉村まで、電話、メールなとで連絡してください。

 

1、主日礼拝…毎週日曜日 午前1030分〜12時半。

2、北島集会

 毎月第2月曜日と第4月曜日 午後1時〜3時。

 この集会は板野郡北島町の戸川さんのお家での家庭集会でしたので今はインターネット Skype です。申し込みは、次の夕拝と同様、数度勝茂さんに申込をしてください。

3、夕拝

毎月第1、第3、第4第火曜日  7時30分〜9時頃。

 

 〇スカイプでの参加における注意点

@主日礼拝において、Skype で参加希望の方は950分ぐらいからパソコンを起動しさらに Skype も起動して待機していてください。

A 参加者の方から担当者(数度(勝)、貝出、林)を呼び出すことはしないようにして、担当者からの呼び出しを待つということを守ってくださいますよう、お願いします。

Bそれから現在でもしばしば 間違いがあるんですが Skype の画面の左上にあるチャットというボタンを押さないようにとくに注意してください。

 それを押すと以前のこの Skype の集会で参加していた方々を一斉に呼び出してしまうことになり、二重に呼び出しがなされたり、今回は参加しないという人まで呼び出してしまうことになり、混乱します。