今月の御言葉
神の御旨を行って、約束のものを受けるために

あなた方が必要なのは、忍耐である。



(ヘブル書十・36


19997月 第439号・内容・もくじ

リストボタンこの石ころをも リストボタン二つの情報 リストボタン深き淵より  詩編百三十編 リストボタン神を讃美する歌を
リストボタン君が代の問題点 リストボタン一人の見捨てられた人の救い リストボタンことば リストボタン休憩室


 リストボタン
この石ころをも

 キリストのさきがけとして現れた洗礼のヨハネは、当時のユダヤ人が自分たちは神の民だとして安住しているのを見て、こう言った。

「我々の父はアブラハムだ」などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことができる。(マタイ福音書三・9

 私たちはたとえ石ころのようなものであっても、神がひとたびその御手を触れるときには、有用なものとされる。そして神の国のために小さいながらも働くことができる。その働きとは、目に見えるようなことを社会のなかですることもあろう。

 しかし、たとえ病身であり、外に出られない者であっても、また年老いてふつうの仕事などできない状態となったとしても、神を仰いでその苦しみを堪え忍び、あるいは、神への祈りを深めることによって、神の国のために働くことができる。

 祈りは神の国のための働きの基となり原動力となるが、神の国の働きそのものでもありうる。

 この世では、病気で身体をこわすと、たちまち雇ってくれない状態となり、じゃま者扱いされるだろう。

 しかし、神の国のためには、いかなる状態となっても神は働き人としてやとって下さるのである。 


リストボタン二つの情報

 インターネットはもう、日本でも到るところに広がってきた。それによって世界の情報がいとも簡単に部屋にいながらにして、手に入る。それは驚くべきことであるし、たしかにそれらを善用することもいろいろとできる。

 しかし、人間はテレビでも雑誌でも簡単に情報が手にはいるとなると、安易な内容のもの、良くない内容のものに引っ張られることは、現在のテレビや週刊誌、雑誌の内容を見ればすぐにわかることである。

 インターネットも同様で、きわめて多数の情報は本来どうでもよいこと、あるいは、そうした情報を知ることによって害を受けるものではないだろうか。

 インターネットは知識は与えるが、力は与えない。

 しかし、神は、インターネットなどができるはるか以前、永遠の昔から、神の国の情報を人間に与え続けているのである。神の国の情報を手に入れるために必要なのは、パソコンでも、電話回線でもなく、ただ聖書があれば足りる。さらに昔は聖書なくとも、祈りだけで神の国の無限の情報を、力を与えられてきたのである。

 しかも、その情報はだれでも求めるたけで得られる。

 今日の私たちにおいても、このような神の国の情報こそ、一番必要なものなのである。


リストボタン神を讃美する歌を

 君が代とはこの百数十年の間、天皇への讃美の歌として歌われてきた。どのように解釈をこじつけようとも、君が代とは明治政府以来、たしかに天皇讃美の歌として続いてきたのである。

 しかし私たちは天皇という特定の人間や、その支配を讃美していったい何が得られるだろうか。それをどこまでも押し進めていったその結果が、太平洋戦争であり、数しれないアジアの人々の命を奪い、傷つけてしまい、日本人もまた、多大の命を失ったのである。 私たちが讃美するべきは、そのような特定の人間でなく、宇宙万物を創造し、すべての人間を愛をもって見つめ、導く神でなければならない。すでに内村鑑三は、今から百年ちかく昔にそのことを述べている。


いずれの国にも国歌なるものがなくてはならない。しかし、わが日本には、まだこれがない。「君が代」は国歌ではない、これは天子(天皇)の徳をたたえるための歌である。国歌とは平民の心を歌うものでなくてはならない。国は実は平民の中にあんて貴族の中にはない、平民の心を慰め、その望みを高くし、これに自尊自重の精神を提供する歌が日本国民の今日最も要求するところのものであると思う。(内村鑑三・万朝報・一九〇二年)

 聖書は人間に真の意味で神こそ讃美の最もふさわしい対象であることを示してきた。本当の神を知らされるところにこそ、神への驚嘆があり、感謝があり、叫びがあり、喜びがある。それらが歌となる。

 しかし、そのような愛と真実の神を十分には啓示されていなかったと思われる古代ローマの哲学者ですら、神への讃美こそ人間にふさわしいと書き残している。

われわれに理性があれば、我々は人と一緒の場合にも、一人の場合にも、神を讃美したり、誉めたたえたり、神の愛を数えあげるべきではないだろうか。

 土を掘っているときも、働いているときも、食べているときも、神への讃美歌を歌うべきではないだろうか。

「偉大なるかな神、神は手を与え、胃を与え、知らないあいだに成長させ、眠りながらも呼吸させて下さる」と。

 多くの人々はこのような大切なことがわからなくなっているのだから、だれかがその埋め合わせをして、みんなのために神への讃美歌をうたうべきではないのか。いったい、足の障害を持つ老人である私は、神を讃美するのでなければ、他のなにができるだろうか。私は理性的存在なのである、私は神を讃えねばならない。これが私の仕事である。私はそれをする、そして私に与えられている限り、この地位を捨てないだろうし、またあなた方をも同じこの歌をうたうように進めるだろう。(エピクテートス・語録より)*

*)エピクテートス(AD.50頃〜138頃)はローマ帝政時代のストア哲学者。ローマの奴隷の身分であったが、ストア哲学を学んで、セネカなどと共に古代ローマの代表的哲学者の一人となった。

 人間を讃美するべきでない、神こそ讃美すべきだ。古代哲学者すら、このように神への讃美を最も重要なこととして認識していたのである。

 本当に讃美すべきお方を知らない日本、

 主よ、ここに真の神を啓示したまえ。


リストボタン深き淵から

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐えましょう。

しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです。

わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。

わたしの魂は主を待ち望みます、見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして。

イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。

主は、イスラエルをすべての罪から贖ってくださる。

 
この詩は詩編のすべての詩のうちでも、珠玉の詩の一つであると広く認められています。


 宗教改革者ルターにおいても、この詩は彼が最も愛した詩のうちの一つでした。彼が詩編のうちのどれが最も重要な詩であるかと問われて、ためらうことなく、「パウロ的なもの」と答え、それらは詩編の三二、五一、一三〇、一四三編であると言いました。

 この詩編一三〇編からルターが作詞したのが、讃美歌二五八番、讃美歌21の一六〇番*で、曲もルターが作曲したと言われ、ドイツの代表的な名曲の一つとなっており、バッハのカンタータ(**)にも、「深き淵より」というのがあります。 

*)讃美歌21の一六〇番

深き悩みより われは御名を呼ぶ

主よ、この叫びを 聞き取りたまえや

されど、わが罪はきよき御心に

いかで耐え得べき(讃美歌21・一六〇番)


・讃美歌二五八番

尊きみかみよ、悩みの淵より

呼ばわるわが身を 顧みたまえや

み赦し受けずば きびしき裁きに

たれかは堪うべき

**)カンタータとは、独唱、合唱、管弦楽などから成る大規模な声楽曲をいう。


 深き淵、罪という深い淵を現代ではあまり深刻なものと考えていません。キリスト教でいうような罪のことはほとんど問題にしない傾向があります。

 しかし、よく考えてみると、現代のあらゆる問題は実は罪の問題です。経済問題ということも、物を第一に考え、物をできるだけ自分のものにしようとする物欲と深い関わりがあります。環境問題も実は人間が必要以上の快楽や便利さをどこまでも求めていく物欲の産物でもあると言えます。

 人間は深い淵を持っています。その淵は病気であったり、人間関係であったり、また職業の問題であったりします。家族や親族の問題で深い淵にいる人もあるでしょう。

 病気はそれが重いものであって、末期ガンのように治らないとはっきりわかっている場合には、ことに深い淵にあると思われます。

 しかし、人間関係、家庭の問題、職場の問題、あるいは、将来の問題などそれが深刻になればなるほど、その当事者にとっては、だれよりも深い淵に投げ込まれていると感じるはずです。

 そこからどんなにしたら脱出できるのか、どんなにあえいでも人に相談する気にもならない、それは深い淵にあればあるほど、他人はその深刻さを知らないのがはっきりと感じられるからです。

 聖書とは、そうしたあらゆる深き淵にある人へのメッセージを豊かにたたえた書物であると言えます。

 人間の生涯にはそれぞれの人が数限りない淵に出会うことがあります。そのような時に、何がそこから引き出し、助け出してくれるのかということがこの詩に示されているのです。

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。(一〜二節)

 この詩のはじめの部分は、そうしたあらゆる深い苦しみにある人の祈りとなって、二千数百年の歳月を流れてきたのです。

 いま、健康な人、家族が仲良くできている人、職場でもとくに問題のない人は苦しみの深い淵というのは感じないかもしれません。しかし、そうした人にも深い淵はあり、じつはその人はまさにその罪の深淵のただなかにいるかも知れないのです。

 パウロは言っています。

次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。

悟る者もなく、神を探し求める者もいない。

皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。・・彼らの目には神へのおそれがない。

(ロマ書三・10〜)


わたしはなんと惨めな人間なのか。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるのだろうか。(ロマ書七・24


 最も深い淵にあってもなお、この詩の作者は神に向かって叫ぶことを止めませんでした。

 神を信じていても私たちは深い淵に陥ることがあります。主イエスも十字架にかかるときに、その深い淵から叫んだことが記されています。

「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と。

 もちろん主イエスが叫んだのは罪の淵からでなく、その激しい苦しみの淵からであったのです。

 どのような深い淵にあってもそこから叫ぶこと、希望を持ち続けることがキリスト者には与えられています。そこから必ず救いがあり、淵から引き出される道が約束されているのです。

 聖書は重い罪を犯した人、身体のさまざまの病気や障害、例えば、目や耳が聞こえなくなった人、足の不自由な人、精神の病、悪霊につかれた人、ハンセン病など、ありとあらゆる深い淵にあった人たちがなお、絶望せずそこから叫び続け、そこから救いだされた記録なのです。

 この詩の作者は自分の罪の重さと深さを知っており、そのことを思ったら神に顔向けできないことを十分に知っていました。

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐えることができようか。(三節)

 人間の前には罪を隠すこともできます。しかし、神の前ではいかなる罪もすべて知られており、隠すことはできません。そのような重い罪を犯したときに、ただ裁きを受けるだけです。

 そうした神の厳しい姿を知っているとともに、この作者はもう一つの神のご性質をも深く知っていました。それは、赦しの神ということです。神は宇宙を創造し、万物をいまも支え、すべての悪を裁くという無限大のお方であるにもかかわらず、私たち一人一人の心を深く見つめて、悔い改めの心には、赦しを与えて下さるということは、神の最も根源的な性質であると言えます。

 神に心を向け、心を尽くして赦しを願うときには実際に赦しの実感を与えられるということは、キリスト信仰を与えられた者にとっての最大の経験です。これこそ、使徒パウロが力をこめて新約聖書で語っていることです。

 そのように、はるか後に現れる新約聖書での罪の赦しの深い実感をこの作者ははやくも経験していたのがわかります。


しかし、赦しはあなたのもとにあるからこそ、人はあなたを畏れ敬うのです。(四節)

 ここでは神は赦しの神であるからこそ、人間は神を真の意味で畏れ敬うということが言われています。このような神への見方はふつうには知られていないと思われます。昔から人間が神をおそれるというとき、それは地震や雷、台風、火山といった人間の力をはるかに越えた自然の力への恐怖がそのままそうしたことを起こす神へのおそれとなっています。そこには信頼や真実、愛などといったものはありません。

 しかし、聖書でいう神へのおそれは、そうしたおそれをも含みながらも、それと全く違ったところから生じているのを示しています。それは、自分の最も弱いところ、また誰にも言えないような心の深いところでの罪の赦しという経験です。そのような罪の赦しを受けた者は、そうした赦しを与える神というお方がどんなに偉大で、また深い愛のお方であるかを知らされます。それは地震とか火山とかの自分の外で生じることでなく自分の最も奥で生じることであるので、何にもまして深い実感を与えてくれるのです。

だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。(ルカ福音書七・47

 神への愛、主イエスへの愛は罪の赦しをいかに深く受けたかということと結びついているということです。

 同様に神への真の畏れもまた、罪をどれほど豊かに受けたかによって生じるのがわかります。

 このように神への畏れというのは決して単なる恐怖でなく、深い神の愛を受けたところから自然に生じるものであって、人間的な愛とはまるで違うのがわかります。

 この詩の作者は、罪の重さと神の裁きを知っていました。そしてもし赦しがなかったら、自分は苦しみのうちに滅びてしまうことも知っていました。そこからは絶望への道が続いているのが見えていたのです。

 しかし、そうした絶望のただなかから、神を待ち望み、神の赦しの言葉を待ち続けることを知っていたのです。どれほど真剣にこの作者が神の言、自分を赦し、励ましてくれる言葉を待ち続けたかがつぎの言葉に現れています。

主よ、わたしは待ち望む、

わが魂は待ち望む。

あなたのみ言葉をわたしは待つ。

わが魂は夜の番が朝を待つにまさり、

しかり、夜番が朝を待つにまさって

主を待っている。(五〜六節)


 神を信じる者とは、神を仰いで待ち続ける者なのだとわかります。

 聖書には、旧約聖書のときから、はるかな年月を越えて、メシア(救い主)の到来を待ち続け、迫害のときには、神が裁きをして下さることを待ち続けてきた記録が記されています。現代の私たちもまた、神を信じるときには、あらゆる状況におかれても、望みを失わずに、待ち続け、そこからの解放と御国に入れられることを待ち続け、さらにはキリストがふたたび神の力をもって来られることを待ち続けるのです。

 後ろを振り返ったり、望みを失ったりすることなく、あくまで神へのまなざしをもって待つ民へと変えられていくのがこの詩によって表されているのです。


イスラエルよ、主を待ち望め。

慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとにある。

主は、イスラエルをすべての罪から贖ってくださる。(七〜八節)

 このように、罪の赦しを待ち望み、そこから赦しを深く受けたものは、その体験の深さを自分だけで隠しておくことは決してできなくなります。

 自分に与えられた罪の赦しの経験、深い淵から救い出される経験こそは、万人の共通の経験となることを深く知らされたこの作者は、同胞のイスラエルの人々への呼び掛けをせずにはいられない魂へと変えられていくのです。

 キリストの十字架による罪の赦しを受けた者がそれを決して自分だけのものとしておくことはできずに、告げ知らせるようになって、世界にその福音が知らされるようになったのは、この詩の作者の経験と同じ本質があったのがわかります。


リストボタン一人の見捨てられていた人の救い

   ザアカイの回心

 エリコは古い古い町です。紀元前七千年も昔にすでに町ができていたということです。乾燥した広大な一帯のただなかに緑が見られるオアシスがエリコという町なのです。

 エルサレムは八百メートルほどの山の上の町であり、そこからほとんど草も木も生えていない山の斜面を曲がりながら下っていくと、下方に緑のある町が見えてきます。それがエリコです。

 ここで主イエスは、一人のザアカイという人に出会います。彼は取税人(徴税人)であり、金持ちでした。当時の取税人というのは、現代の税務署の役人のように公務員として社会的に安定した地位にある人とは全く違っていました。

 当時のユダヤの取税人は、ローマの政府の命令によってユダヤ人から税金を取り立てるのが仕事ですが、本来取り立てるべき金額以上の税金を徴収してもうけることができたのです。

 したがって、ユダヤ人からは、自分たちを支配しているローマ帝国のために働く人たちだということ、必要以上の税金を取立て、しかも異邦人と交わって汚れている人たちであり、神への信仰に反する人たちだとして、ユダヤ人は見下し、憎んでいたのです。

 だから、彼らは罪人として、まともな人間でないとされていました。

 ザアカイはそうした取税人の頭であり、部下の取税人をも用い、多くの利益を得て、金持ちとなっていたのです。

 ザアカイがどうしてこのような同胞から嫌われ、憎まれ、見下されるような取税人になったのかわかりません。何らかの理由で家が貧しく、どうしても収入が必要だったのかも知れないし、同胞との友好関係より金を大切にする心があったのかも知れません。

 取税人の頭となるまでにそれなりに努力したと考えられますが、その努力はローマの支配者のためになされることになり、それはいっそう、同胞のユダヤ人から憎まれることになったはずです。

 その努力のかいあってザアカイは取税人の頭となり、金もたくさん持つようになりました。しかし、彼の心を推察すると、平安がなく、金はたくさんできても金ではどうすることもできない心の平安がないことを次第に思い知らされることになったのでありましょう。自分が人々から嫌われ、憎まれ、そして見下されて、いまさら同胞のユダヤ人に詫びて取税人を辞めることもできないという気持ちになったと思われます。

 彼は自分の民から嫌われ、今までの自分の生き方がだんだんといやになってきたことは考えられます。しかしその光のない生活をどうしたら改めることができるのか、全くわからなかったのです。

 それと背がとくに低かったということは、それも周囲から見下されがちになっていたと思われます。

 そのようなとき、イエスというお方のうわさを聞きました。その人は今まで全く聞いたことのなかった人のような気がしたのです。彼は主イエスを見たいと思いました。多くの群衆がいるところでは自分の悩みなど到底聞いてもらえる状態ではないと知っていました。しかし、それでもなお、彼の心は主イエスにひかれたのです。自分のなにかを変えてくれるかも知れないと感じたのです。

 それは不思議な引力であって、取税人の頭であるような人が子供のように、いちじく桑の木に上ったほどでした。ふだんなら、威厳を重んじてそんなことは決してしなかったでありましょう。

 主イエスは不思議な力をそのザアカイの心に感じさせたのです。

 ふつうなら、わざわざ木に登ってまで人を見るなどという子供じみたことは決してしないはずです。しかし、彼は、そのような世間体を越えて、主イエスに何かある力を感じたもののようです。

 彼は走って行っていちじく桑の木に登りました。

 その時には多くの群衆がイエスを取りまいていました。その群衆でなく、意外にも木に登ったザアカイを主イエスは見つめ、呼びかけたのです。

 ザアカイの心に以前からずっと続いていた心の暗がりを、主イエスはただ一人しっかりと見つめられたのです。

 この時多くの群衆がいたのになぜ主イエスはみんなから見下され、相手にされていなかった、罪人をとくに見つめられたのでしょうか。

 それは主イエスこそは、どんな多くの人がいてもそれに惑わされず、ただ本当に求めている人を捜すのだと思います。

「人の子(イエスのこと)は、失われたものを捜し求めるために来たのである。」と言われた通りです。

 主イエスはザアカイにその名を呼ばれたように、現在の私たちをも名をもって呼ばれるのです。人間は相手が多くなると、どうしても機会的に扱ってしまいます。

 例えば、医者はが病人の治療にあたるとき、病気の人はそれぞれみんな食事内容や仕事、人間関係、睡眠時間、運動など日常の生活の仕方がみな違うのに、医者は忙しいこともあって、そうしたことを詳しく問うことなく、表面に診断し、薬を処方することが多いのです。

 しかし良心的な医者であれば可能な限りそうした病人の生活のことも詳しく尋ねるだろうと思います。

 同様に、主イエスは私たちの心の医者として、一人一人の心の状況を知って下さって、そこに呼び掛けをして下さいます。誰からも注目されず、見放されていたような人をこそ、見つめられるということはなんとありがたいことかと思います。

 主イエスは金持ちの議員が何をしたら永遠の命に入ることができるのかと尋ねたとき、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。」と言われ、さらに「金持ちが神の国に入るのよりらくだが針の穴を通る方がやさしい(ルカ十八・25とまで言われたことがあります。

 しかし、ザアカイについては、金持ちでしたが、財産を捨てるとかいっさい主イエスからは言われることなくして、このように即座に救われました。神の国に入ることができたのです。 

 これはどうしてなのでしょうか。

 それは、金持ちの議員は、自分は子供のときから、正しいことを全部守ってきたと言ったことで表れていますが、心に高ぶりがあったからです。高ぶりこそ最も神の国に遠いのです。それゆえその高ぶりを砕くために主イエスは最も厳しいことを言われたのです。

 しかし、ザアカイには、主イエスへ向かう素朴な眼差しがありました。

 神はこのように、外的なことでなく、主に向かおうとする心を大切にされるのがわかります。

 主イエスに対しては、私たちは遠慮することはないのです。ただ切実な求める心があったら足りるのです。

 主イエスによって救われるためには、金をすべて捨てる必要もなかったし、学問を積むことや、善い行いをいろいろと重ねていく必要もなかったのです。

 ザアカイは人をだましたり、脅かしたり、不正の金を持っていたような者だったと考えられますが、彼はただ主イエスに向かう幼子のような心をもっていただけで、救いに入れられたのです。

 ザアカイが主イエスから個人的に呼び掛けられたときから人生が変わったように、私たちも「あなたは私の愛する子」という呼び掛けを聞いたときから私たちの人生は変わるのです。

 ザアカイは主イエスからの呼び掛けを聞いただけなのに、「自分の財産の半分を貧しい人々に施します。もし、だれかから何かをだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」と言ったのです。

 同胞から嫌われ、見下されながら貯めてきた財産の半分までもを、ただちに貧しい人々に与えようというような決断がどうしてできたのでしょうか。

 わずかの金でも全くの他人にやってしまうとなると、惜しいという気持ちが働くのが当然だから、財産の半分を捨てるというような気持ちになったということは、実に驚くべきことです。

 しかもそのような決断は、そのようにせよと権力者から命じられたのでもなく、おどされたものでもなかったのです。まったく自発的にそのような考えにと導かれたのでした。

 それほど主イエスの呼び掛けの力は大きかったのです。ザアカイにおいて真の悔い改めがなされたのがわかります。

 ザアカイは、自分のかつての罪深い行動やそのために同胞たるユダヤ人が自分をさげすんでいること、それはそれまでの自分の行動などがいろいろと思い出されたでありましょう。

 しかし、そうしたことをどれだけ考えても、後悔してもそれは自分というところから自分自身や周りの人間を見つめているばかりでした。そうした人間を見つめる視点から全くちがった方向、イエスに方向転換することをザアカイは初めて知らされたのです。

 彼が、イエスを見たいと思ったが、背が低くて見えなかった。ふつうならあきらめてしまいますが、彼は今回はどうしても見たい、何としても見たいという願いを抑えることができなかったのです。だからこそ、木にまで登ったわけです。

 私たちが何としてもイエスを見たい、イエスと出会いたいと強く願うとき、その心はイエスへと方向転換をしているといえます。そのような方向転換をした魂には、それまで聞いたことのなかった声が響いてきます。それが、「ザアカイよ、今日はあなたのところに泊まる(留まる)」ということでした。

 たしかにこの言葉は、現在の私たちにもあてはめるこができます。私たちがただ主イエスに出会うことを願うとき、必ず主は私たちに個人的に応えて下さる。そして私たちの心に留まって下さるということです。

 主はかつてたとえ話をされたことがあります。

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。

高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書13章より)

 このたとえでいう喜びのあまり持ち物を売り払ったという、「宝の隠された畑」とか「高価な真珠」とは、ザアカイにとっては、主イエスご自身であったのです。

 ザアカイは財産のすべてを売り払うことはしませんでしたが、やはり喜びのあまり、それまでたいへんな執着心でしっかりと持っていた財産を、半分は他人にあげてしまおうという気持ちになり、

 ここに今日の私たちにもあてはまることがあります。

 私たちが本当によいことができないのは、主イエスからの個人的な呼び掛けを聞いていないこと、主イエスのまなざしを受けていないからです。

 もし、主イエスからの呼び掛けを聞き取るなら、それまで何一つよいことができなかった者が、突然に変えられて本当によいことを、誰からも強制されないで、喜びからすることができるようになるということなのです。

 ザアカイは、周囲の人から、大人のくせに木に登ってイエスを見ようとしているとかの嘲笑的に見られても気にすることはありませんでした。また、主イエスが「今日はあなたの家ちぜひ、泊まりたい」と言われたときにも、初めて出会う他人を、しかも群衆が注目しているただなかであったけれども、直ちに、イエスの言葉通りに急いで降りてきてイエスを喜んで迎えたのです。

 すると、そのようなイエスとザアカイの言動に対して、それを喜ばずに、冷たく批判する人々がただちに現れました。いつでもこのようにして神のわざが働くところには、それを崩そうとする力も働くのです。

 けれどもそうした妨げる力を越えて、神の方へと魂の方向を転じて、新しい世界に導き入れられる人は今日まで二千年の歳月をこえてずっと続いています。

 主イエスが初めてガリラヤ湖のほとりで福音を伝え始められたとき、「悔い改めよ、神の御支配は近づいた。」と言われました。この悔い改めということは、自分が犯した個々の罪を思い出して、あのようにするのでなかったとか思うことでなく、魂が神への方向転換をすることを指しています。

 神が預言の通りにイエスを遣わして、そのイエスによって新しい支配をなさる時代になったということです。だから神とイエスの方向に心を方向転換せよ、ということです。

 ザアカイはまさにその心の方向転換をして、神の国に導き入れられたのですが、この主イエスの呼びかけは現代の私たちにもいっそう強くなされているのです。


リストボタン君が代の問題点

 君が代、日の丸とセットで扱われることが多いが、ここではとくに君が代に重点をおいて考えてみる。

 私は高校や盲、ろう、養護学校などで教員を三十年ちかく勤めたが、その間ずっと君が代の問題は念頭にあった。生徒に歌わせるということは、その歌詞を歌うことであり、その意味がわからなかったら歌う意義がなくなる。

 そのとき、どう考えても君が代は私たちが歌える歌ではないとの感を深くしていたため、その歌詞が戦前はどのように歌われていたか、どんな意味のものとして歌われていたのかを生徒たちに教えることにしていた。

 天皇の御代(天皇が支配する時代)が永遠に続きますようにとの意味で歌われてきたし、たしかに現在においてこれほどまでに力を入れようとするのは、やはり君が代が天皇を歌う歌であるからだ。

 政府はよく外国での国歌、国旗の尊重を持ち出すが、外国の例を見てみよう。(毎日新聞六月十二日付けなど参考)

 イギリスでは、国歌は慣習として、メロディーだけが演奏される。学校の入学式とか、卒業式では、国旗や国歌は掲揚も斉唱もしない。

 アメリカでは、連邦法で、学期中は校舎に国旗を掲揚すべきだと規定されている。国歌は各州の政府に扱いがゆだねられている。

 またフランスでは、入学式とか卒業式自体がないので、それらの式に国旗、国歌を用いること自体が問題となっていない。

 ドイツでは、入学式、卒業式でも通常は、国歌や国旗は掲揚されたり、斉唱されることはない。また、国歌を法律で規定するということもなく、有名な作曲家ハイドンの「皇帝」という曲に歌詞をあてている。


 中国では、一九四九年の建国のときに、一般から募集して選ばれた「五星紅旗」が国旗に制定されている。

 オーストラリアでは、一九七四年に国民投票が行われて、十九世紀に作られた国民歌が支持されて八四年に国歌となっている。国旗も一九〇一年のオーストラリア連邦の成立したときに、やはり公募で選ばれている。


 こうしたヨーロッパの主要国の例をみると、いかに日本が特別に学校での掲揚や斉唱を強力に推進しようとしているかがわかる。

 アメリカが国旗については掲揚に力を入れ、学期中は掲揚し、学校によっては毎日国旗に宣誓することが規則とされている学校もあるという。このような状態をみて日本も国旗を学校でいつも掲揚すべきだなどという議論をする人がいる。

 これはアメリカと日本の国家ができたいきさつや地理的状況の大きな違いを知らないところからくる。アメリカは、合衆国(United States)というが、それは united(結合された)state(国家)という意味であり、その名の通り、多くの民族や国が寄せ集められた国家なので、たえず意識的に一つの国であるということを国民の意識にたたき込んでおかねばならない。

 しかし、日本は島国であり、外国からの侵略にはほとんど会うこともなく、長い年月を過ごしてくることができた。民族的にも圧倒的多数が日本人であり、アイヌ人や韓国の人は全体からみると、ごく少数者である。

 だから、日本において、北海道とか四国が日本から離れて独立するなどはおよそ考えられないほどに、一つの国として歴史的にも民族的にもまた地理的にもまとまっている。(ただし沖縄は歴史的にも違った歩みをしてきたので、独立という考えを持つ人もいる)

 このような日本において、あえて国旗への忠誠を強制するなどということは学校教育において今、何が一番重要なのかを見失っているところから来ている。

 学校で心の支えになるもの、時間や場所によって変わらないもの、すなわち真理が教えられないし、教師もそれを知らない者が多数を占めているからこそ、生徒たちも心の奥底で本当に信頼できるもの、頼るものを知らないままで大きくなっていく。

 土台がない状態なのである。そうした土台こそ一番重要であるのに、そのような土台づくりをしないで、本来ただの布切れである日の丸や天皇への賛歌にほかならない君が代を半ば強制的に歌わせることによって、生徒たちの心を荒廃させることにつながっても、何等よいことは生じないだろう。

 学校にも校歌や校旗があるように、一般的にいえば国に国歌、国旗を決めておく必要はあるだろう。国旗、国歌は国のシンボルとなるからこそ、国民の間で、歌詞、音楽の両面から十分な時間をかけて新しいものを考えていくことこそ必要なのである。

 ドイツやイタリアは第二次世界大戦のときに日本と同盟していたが、それらの国は侵略戦争に重大な関わりをしたということで、その戦争当時の国旗や国歌を戦後は変えている。

 戦前は君が代、日の丸ともに天皇を意味し、または天皇を指し示すものとして最大級の尊重がなされた。そして天皇が現人神として崇拝されたほどであった。

 戦後五十数年たって再び君が代、日の丸へのある種の不可解な力の入れ方からうかがえるのは、日本人の精神の根本に天皇にかかわる何かを植え付けようとする勢力が感じられる。

 しかし、そのようなただの人間にすぎない天皇を学校教育で特異なほどに強調することこそ、若い魂になかに一種の偶像的なものを刻み込むことになりはしないか。そんなまちがったものを心のなかに刻むことからさらによくないものが若い世代に醸成されてくるように思われる。

 日本では天皇が象徴だとされるが、そもそも天皇というような人間が国歌の象徴となれるだろうか。鳩は平和の象徴であり、白は純潔の象徴であると言われる。そして鳩や白というものは変わらずに存在している。鳩の柔和さ、また、純白の持つ清いイメージなどは変わることがない。

 しかし、天皇というのは、本質的に我々と同じ人間であり、ときには精神的に未熟な人、あるいは何らかの罪を犯したり、病的な人が天皇になることもあるだろう。世襲の王とか支配者のなかには、つねにそうした人間として未成熟な者も見られてきたところである。日本の天皇に今後とも、そんなことはないなどと決していうことはできない。

 もし、そのような不適格な人が天皇となった場合、そうした人物が日本を象徴できるであろうか。イギリスの王室に見られたように、王となる予定の人物が男女の関係で不正なことをしたりすることもあり得る。もし、日本の天皇となる人物が同様な罪を犯した場合、このような人間が日本の国を象徴するというようになってしまうではないか。

 このように、天皇という人間を国の永続的な象徴にするということ自体が問題なのであり、そのような象徴天皇を年若い人々に強制的に歌わせるということは何等よい結果を生まないだろう。


日の丸の問題点

 また、日の丸は太陽が真ん中にあるきわめて単純、率直な図柄である。これは、本来は、その図柄から多くの人に親しまれやすいものであろう。

 しかし、この日の丸をどうして戦前から、特別に重んじようとするのかというと、そこにも、天皇との関連が見られる。

 戦前において、天皇家の祖先は太陽神である天照大神であり、天皇はその天照大神の子孫であって、現人神であるとされた。そこから太陽を表す日の丸を見るときに、天皇を連想するようさせるという目的があった。

 七月六日の沖縄における国歌・国旗法案の地方公聴会にて、平良 修氏(日本キリスト教団佐敷教会牧師)が次のように述べているのもそうしたことを言っているのである。

「日の丸は日本国を・日出ずる国・とし、太陽神の神の霊を受け継ぐ天皇によって支配されるべき特別な国体であるという思想を表している」

 このように、君が代、日の丸の根本問題は、それがいずれも、戦前のように天皇を国民の意識に深く植え付けようとするところにある。ただの人間をそのような日本人の精神の根源に据えるというようなことからは、真によいことは決して生じない。それは戦前がそのような思想からどんな悲惨なことが日本やアジアの国々にもらたしたかを見ればわかることである。

 現代の日本の問題はそうした人間精神の根本に据えるべきものが教育においても教えられないというところにあるのであって、天皇のような人間でなく、宇宙を創造した、愛と真実に満ちた神、今も生きて働く神にこそ置くべきなのである。

 君が代、日の丸の問題は単に国歌、国旗を法制化するかどうかの問題でなく、日本人の精神の根源に関わる問題であり、未来の日本人がなにを精神の基とするのかという問題とつながっているのである。


101)上を仰ぐ心からの愛のまなざしは、それを受ける神のがわからは、たしかに最も美しい形式的な祈りよりも価値があるものである。

 私たちもまた、そのような「物を言うまなざし」・それは小さな子供やさらに小さな動物すらも持っている・をどんな、表面的にきれいな言葉よりも愛する。(ヒルティ・眠れぬ夜のために上二月二五日)


・神は私たちの心からのまなざしを一番に喜んで下さるということは、実にありがたいことです。苦しみの折には、ただそうすることしかできないことがあるからです。

 多くの美辞麗句よりも、真実な何ものかを語るまなざしこそが心に届くと言われていますが、それはヒルティの言うように動物すらも、さらには夜空の星や野草の花の一輪、山にしずみ行く夕日などもそのような、いわば神からの何ものかを語るまなざしのようなものを感じることがあります。

102)キリストがあって、聖書がある。聖書があってキリストがあるのではない。

 キリストがもし実在しないのなら、聖書を百万回読んでも我らはキリストが今も生きておられるということを実感することはできない。

 キリストは想像された存在ではない。実在するお方なのである。

 キリストは聖書を離れてもなお、存在しておられるお方なのである。

 我らは聖書を尊ぶあまりに活ける救い主を古き文字の中に発見しようとしてはいけないのである。(「内村鑑三所感集」一九〇五年)


リストボタンY.K

まよい

いつになったら実行するか

まだ決められなかった

自分の迷い

あの頃は悩み続けた

不安だらけの日々


主イエスと出会い感動した

これからは過去を捨てて

新たな道で

主とともに歩いていく

 
どんなときも

祈るときも歩いている時も

 すべて生きている時も

  頭は神のことばかり

力を与えくれるかのように

  私の心は燃え続ける

   主とともに歩き

   平安をもって

失われた人々を救いたい

どんな時も求めて、願い

感謝し、新鮮な日々を・・

  すべてどんな時も

主イエス様を忘れない・・

(作者のY.Kさんは、徳島ろう学校を経て筑波大学付属ろう学校、筑波技術短期大学を卒業後、現在は会社員)


リストボタン短歌

○主を頼み思いわずらうことなかれ

  すべては神の御手にあるなり


○幼な子のごとき子の者たちに

  父なる神は現れにけり

   (加藤茂樹著 「短歌で読む新約聖書」より)


リストボタン休憩室

音楽は良薬

 服部正といえば、作曲家として有名な人です。彼は、音楽家としての生涯を送ることになったそのきっかけを次のように言っています。

 十三歳の秋、青山学院の中学部に(日)がすることで私は初めて音楽の美しさを知ることができた。それは毎日、学校で行われる礼拝の時間に讃美歌を歌ったからである。讃美歌・・それはすばらしい音楽であった。長い伝統のなかで、選びに選び抜かれた名曲ばかりであった。毎日の礼拝の中で、この名曲集を歌うことが、私にとって一日のなかの最高の時間であった。・・もともと腺病質で、肋膜炎を患ったりする虚弱児であった私が、音楽に専念することになってから、次第に健康に恵まれてきた。美しい音楽を演奏している間に、私の身体の細胞が元気になって、病気をなおしてくれるような気がした。確かにそうである。熱があっても、頭が痛くても、演奏している間に、その病気は悪化したことは今日まで一度もなかった。それとは反対にさわやかなものが体内にみちあふれ健康が戻ってくることが自覚されるのだった。(一九八〇年発行の「サインズ」より)

 今、私がときどき尋ねている盲人の方で未信仰の方がいます。その人は、聖書は理解しがたく、信じがたいことが多いけれど、讃美歌の美しさに深く感じるといわれる人がいます。私は讃美歌から入って行けるのではないかとも言われたことがあります。

 讃美歌の言葉とそのメロディーには、神の言と同様に、この世の移り変わりを越えて人間の心の深いところを流れていくものがあるようです。現代のあわただしい状況にあっても、神への讃美こそは永遠に続いていくことと思われます。

フィンランドでのキリスト教

 日本では、真の神のことについて全く知らされないままに、生涯を終わることになることが大多数の人の状況だといえます。北欧の国の例をあげてみます。(これは、元神奈川県町議であったフィンランド人ツルネン・マルティさんが語ったことです。毎日新聞九五年十月23日付)

フィンランドは、国民の九五%がキリスト教徒(プロテスタント)です。日曜の朝ごとに、国営テレビ局がどこかの教会の礼拝の様子をありのままに一時間半放映します。ふだんの日でも毎朝、十五分ほど牧師の話を流します。これは、心豊かな日々であろうとするのには、信仰心は欠かせないということで、国民と教会、それに国家の間で折り合いがついているのです。

 これを見てもいかに、日本と大きい差があるかを知らされます。国営放送で日曜日ごとに一時間半も礼拝の内容を放送することによって、その国の人々にとっては、キリスト教の真理が知らず知らずのうちに深く浸透していくことになります。

 日本では仏教国といっても、ほとんどの人が自分の教派の仏教経典すら知らない状態ですし、世界中で読まれている聖書にしてもほとんど知らない状態となっています。こうした状況がまちがった宗教へ若者を追いやる土壌となっているのです。