20018月 第487号内容・もくじ

リストボタン絶えざる前進

リストボタン声を聞く

リストボタン本当の自由を与えるもの

リストボタン日本の宗教的伝統について

リストボタン休憩室

リストボタンことば

リストボタン返舟だより


 

st07_m2.gif絶えざる前進
 私たちの前途にはたえず力を失わせること、落胆させるようなこと、疑問に思うことが生じます。それは、どんな人の毎日においても、自分自身の失敗や罪、この世の不正や悪の出来事、人間関係の困難さ、自分の病気、家族の問題、職業上の問題や経済的問題、将来への漠然とした不安や恐れなどが次々と生じてきます。
 こうしたことばかり考えていると、私たちは前に進めなくなります。私たちに重りがまつわりついて、沈んでいくような気持ちになるのです。
 この世はこうした妨げや重荷で満ちています。それを軽くしない限り前進できず、後ろに引き戻され、あるいは立ち往生してしまう。
 この「はこ舟」という小さな印刷物にしても、私の前の編集者であった杣友(そまとも)さんがかつて、「もうやめようか、と何度も思ったことがある。しかしそのたびに祈りのなかから、止めるなとの声を聞き取ってなんとか続けることができてきた」と、言われたことがあります。
 私も教員となって五年目から、勤務の場(高校)において印刷物を作って配布することを始めたのですが、それを続けていく過程で、いろいろ困難のためにもう止めようと何度も思いました。しかし、そのたびに私もまた「止めるな、続けよ」との細い、静かなみ声を聞き取って、再び立ち上がることができ、続けていくことができたのを思い出します。
 私たちが直面する数々の悩みや心配ごと、罪、失敗など、どのようなことが起こっても、それでも前進を続けることができるのは、自分の努力や決心ではなく、私たちの心の中にいて励まし、立ち上がらせて下さるキリストだということを、私も日々実感しています。そのような、慰め主、励まして下さるお方を持たないことは、なんと孤独でさびしいことかと思います。



st07_m2.gif声を聞く
 私たちは、毎日の生活で、どんな声に聞いて生きているだろうか。多数の人は新聞とテレビ、週刊誌、雑誌などの声を聞いて一日を始めているのではないでしょうか。そして、仕事が始まるとその仕事上のことだけに意識が集中してしまうと思われます。
 仕事から、帰ると疲れて、のんびりと新聞やテレビを見て、一日が終わる、そうした状況で何十年が過ぎていくという人が多いようです。
 しかし、聖書の世界では、まったく違った雰囲気が流れています。それは、新聞やテレビ等と違った神の声に聴くという姿勢です。
 旧約聖書の初めに出てくるアブラハムもそのことから始まっています。アブラハムは今から三七〇〇年ほども昔の人ですが、彼こそは、現代のキリスト者の精神的祖先でもあると言えます。
 アブラハムが、自分に語りかけられる神の声を聞き取って、その声に従っていくところから、以後数千年にわたって今日まで続いている精神的な大河が始まったのです。
 今日のキリスト者も神に聴くというところが、その生命となっています。
 主イエスも言われました。

門番は羊飼い(キリスト)には門を開き、羊(キリスト者)はその声を聞く。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
わたしの羊はわたしの声を聞く。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十章より)

 キリスト者とは、たんに口先で十字架を信じる、復活を信じると言っている人ではありません。日々、キリストからの御声(みこえ)を聴こうとし、その御声に従っていこうとする人なのです。そしてその声を聞き取るためには、私たちは幼な子のような心で、キリストを見上げている必要があります。そしてそのような姿勢を私たちが保ち続けるとき、罪の赦しを実感し、ほかの方法では得ることができない平安を与えられ、新しい力を与えられます。ここにこそキリストを信じる者の大いなる幸いがあります。



st07_m2.gif本当の自由を与えるもの

さまざまの自由
 自由とは何か、真の自由を持っているかどうか、それはあらゆる人間の問題の根底にある。小さな子どもから、大人、老人、そして一つの民族や国家に至るまで、すべて自由を求め、追求している。その過程で、争い、戦争が生じる、そして差別や殺人その他いろいろの罪も伴っていく。それは、自由をまちがったところに求めるからである。
 自由とは、何かについてむつかしい議論をせずともだれでもすぐわかる一面を持っている。部屋に閉じこめられたら自由でないことはきわめて当たり前のことである。携帯電話も自由に話せる、距離や時間、場所の束縛から自由になって話できるということであって、自由を求める要求に応えるところがあるので、たちまち広がったのである。
 科学技術も人間をある面で自由にしていった。例えば、病気は医学という科学によって相当克服された部分がある。しかし、他方では、薬剤の間違った投与、耐性菌の発生、まちがった診断、治療などによって新たな病気もたくさん作られることになった。
 また、車社会となったが、それもどこにでも行けるという自由を与えていった。しかし、他方、車によって、よい空気の中で生きる自由が奪われ、道路建設のために、田園や田舎の自然がつぎつぎと破壊されていきつつある。戸外で自由に遊ぶという自由もなくなった。交通事故で1万人ほどが死んでいるか、怪我をして生涯を自由を奪われる人も、何万人となくいる。
 そうした身近なところから、また世界の大事件となったこともある。いろいろな国で革命や反乱が起こることも何らかの自由を求めての動きである。例えば日本の明治維新も徳川幕府の支配が自由をあらゆる面で縛るものであったから、そのような束縛を脱して、自由を得たいという願いがあったはずである。
 ロシア革命によって、ソ連となったのも、ロシアの皇帝政治の圧迫からの自由を求めるという意味があった。しかしそれはまもなく、新しい束縛、スターリンのはげしい弾圧となって以前にも増して自由を奪う状況となってしまった。
 アメリカそのものの建国も、その出発点には、イギリスの迫害から逃れて、信仰の自由を求めて荒海をはるばる命がけで渡ってきた人たちがいる。わずか百八十トンの船に百二名が、二カ月余りもかけて、アメリカの北東部海岸にたどりついたのであった。そのようにしてたどり着いた人たちのうち、半数以上は、寒さと飢えのために、その年の冬を越すことができずに死んでいった。そうした犠牲の上に、それまでとは違って自由を重視する国が成長していった。

 日本において個々の人間は、封建制度の束縛から自由となったし、豊かさによって貧困による束縛からの自由を得た。また女性は男性と対等となり、育児や家庭の束縛から脱していった。
 また、そのように重要な「自由」は憲法によっても保証されることになった。現在の憲法において、思想及び、良心の自由、信教の自由、表現、学問の自由など、あるいは、居住・移転・職業選択の自由など多くの自由権が保障されている。
 そうした自由権の保障のおかげで私たちは毎日の生活のなかで、戦前とかもっと古い時代と比べるとき、自由であることの幸いを十分に受けているといえる。
 しかし、人間とは弱いもので、このように自由を受けていても、心から自由だと感じている人は、どれほどいるだろうか。戦前のように、平和主義を主張するだけで、危険な人物と見なされ、神社にいって神々を拝まねば日本人でないかのように非難される、そのような自由のない状況にあれば、何とかしてそのような不正な圧迫から逃れたい、そのような間違った法律などを変えて欲しいと切実な願いとなる。
 しかし、日本では太平洋戦争の敗戦により、そのような状況が根本から変えられて、日本の歴史始まって以来の自由が保障されるようになった。そのような自由を日々心から感謝して生きている人はどれほどいるだろうか。ほとんどは当たり前として何にもその自由について感謝している人はいないのではないだろうか。
 そしてなにか自分の心が縛られている、心からの自由が感じられないという人は実に多いだろう。そうした束縛を脱した人々は、そこで得た金や時間をあらたな欲望や快楽を得ることにも使うようになり、そうした欲望の奴隷となっていく人もまた増大していったからである。
 例えば、離婚は相当自由にできるようになった。結婚関係が自由を束縛するものとして感じている人は相当に多いだろう。結婚とはある意味で束縛であり、当事者を縛るものだからである。特定の人間とずっと生涯ともに過ごさねばならないこと、これは考えてみるとずいぶん自由を縛るものだと思われる。そして離婚して勝手にまた別の異性と関係をもって自由に生きたほうが楽しいという人も多くなってしまった。
 しかし、こうした方向を押し進めた結果、アメリカでは、夫婦の二組に一組が離婚し、子供の三人に一人が血のつながった父親と暮らしていないという驚くべき状況となってしまった。このような家庭の崩壊が生じるのは、夫婦の双方、または片方が自分勝手な自由を求めたからであると言えよう。結婚という束縛からの自由を求めていった結果、こうした家族の崩壊が進んでいくことになった。
 このように、表面的な自由を求めていくときには、家族関係を壊し、その家族から成り立っている社会の基礎をも壊していくことにつながっていく。こうした家庭の崩壊が、若者の心をもむしばみ、暴力や異性関係の乱れ、そこで生まれる子供への非人間的な扱いなどとなり、それがまたその子供たちの将来に暗い影を投げかけていく。
 このようにして、個々の家庭に属する者も、心からの喜びとはほど遠い心の状態となる。自由とは心の清い喜びがなければ感じないからである。心にさわやかな喜びがあるということは、自由を感じているということである。
 しかし、自由ということを、自分の欲望や自分中心の考え通りにすることだとして、そのような行動をとるとき、たちまちそうした自由は束縛へと変わっていく。例えば、道。路を自分の自由に走りたいといって、速度を無視して、信号も無視して走ることを繰り返しているなら、たちまち逮捕されて、運転免許も取り上げられるだろう。
 酒を自由に飲みながら楽しい気分でドライブしたいといってそのような自由をそのまま実行していたらこれも、まもなく逮捕されてやはり運転できなくなり、社会的にも職業をも止めさせられることになるだろう。
 こうしただれでもわかる例で考えても分かるとおり、自由というのは、自分の思うまま、欲望のままにするとすぐにそのような自由もなくなるということである。これは、そうした自分中心に自由にすることがまちがっているからである。
 こういう自由が真理でないのは、このように実際に実行していけば、たちまちそうした自由が奪われてしまうということからもわかるが、それとは別に、そうした自由からは決して心には清い喜びは生じない。それは、そのような自分中心的な自由は、もっと奥には、自分自身の欲望に縛られているからである。

アメリカの黒人奴隷と自由
 アメリカの綿花栽培で白人たちが自分たちは苦しい労働をせずに、自由な生活を楽しみながら利益を得るために、アフリカの黒人を捕らえてきて、奴隷として働かせた。彼らはだまされ、脅迫されて捕らえられ、狭い船に乗せられて運ばれてきた。長い年月にわたって、アフリカから千五百万人もの黒人たちが、船に詰め込まれ、男は足をクサリでつながれて、動物のような扱いを受けて運ばれた。暑いところからであり、多くの黒人が病気で途中に死んだ。
 そうしてたどり着いたアメリカで、長時間を奴隷としてこき使われたが、これも白人たちの自由を楽しみたいという欲望が根底にあった。このような間違った自由の追求も歴史には多くあるが、その一方で、真理から来る自由を求めて勇敢に行動した人も多くいる。 そのうちの有名な例として、黒人に自由をもたらすために命をかけて戦ったマルチン・ルーサー・キングのことを考えてみよう。
 彼が、今から四十年近く前、一九六三年八月二十八日にワシントンで行った演説はあたかも神が背後にいて語らせたかのような真理と力がこもっている。そのとき、二十五万人もの人たちが行進をしてワシントンに集まってきたのであった。それはアメリカにおいて、人種差別を撤廃するための運動の歴史のなかで最も大規模なものとなった。そのとき、キング牧師は、つぎのような演説をした。(なお、引用した部分の訳文は一部省略、簡潔にした)

私はあなた方とともに今日の大いなる出来事に共に加わったことを喜ばしく思っている。今日のことは、私たちの国の歴史において、自由のための最も偉大な行動として、歴史を流れていくであろう。
・中ヲ
今日もまた明日も我々は、困難に直面している。
しかしそれでも私は夢を持っている。
それは、いつの日にか、この国が立ち上がって、「すべての人間は平等に創造されている」という信条を生きるという夢を持っている。・中ヲ
わたしは一つの夢を持っている。子供たちがいつの日か、その肌の色でなく、その品性によって評価される国で生活するときが来るという夢を持っている。

あらゆる谷は高くせられ、あらゆる山と丘とは低くせられ、
高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。
こうして主の栄光があらわれ、すべての人がともにこれを見る日が来る、
*
そんな夢を私は持っている。
これがわれわれの希望である。
この信仰をもってわれわれは絶望の山から希望の石を切り出すことができる。この信仰によって、我々の国の著しい混乱を変えて、兄弟愛の美しいハーモニーと変えることができる。この信仰によって、共に働き、ともに祈り、ともに戦い、共に獄に入れられ、自由のためにともに立ち上がろう。
 私たちはいつの日か、自由になるということを、この信仰によって知っているのだから。
 このアメリカのいたるところから「自由」を鳴り響かせよう。ニューヨークの山の頂上から、ジョージアの山から、テネシーの山から、丘という丘から、ミシシッピの小さな塚からも自由を鳴り響かせよう。
 私たちがあらゆる町や村から「自由」を鳴り響かせるとき、私たちが待ち続けてきたその日を早めることができる。
 その日には、黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、カトリックもプロテスタントも手を取り合って、あの古い黒人霊歌を歌うのである。

ついに自由になった!
ついに自由になった!
全能の神様、ありがとう。
私たちはついに自由になった!
**


*)イザヤ書四十・45
**
Free at last. Free at last.
Thank God Almighty,
we are free at last.


 この有名な演説はたしかに神が背後にいて、語らせた雰囲気がある。自由への激しい願い、そしてその願いは、神の言に重ね合わされて、神が必ず未来において実現して下さるという確信をもって語っているのが感じられる。
 聖書ではこうした究極的な自由は「終わりの日」あるいは、「その日」という表現であらわれる。現実の世界でいかに時間を要するとも、神は必ず実現される。そしてその実現の状況を啓示によって仰ぎ見ることをゆるされたのがこのキング牧師であり、その啓示を神からの権威をもって語ったのがこの演説なのである。
 このように、自由を求める祈りと願いは、神の言と結びついたとき、初めて強いものとなる。それは神がそのはたらきを助けるからである。
 キング牧師が繰り返し強調していること、「自由」を鳴り響かせようとの呼びかけは、主イエスが、その伝道の生涯の初めにおいて、述べられたこと、「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせる」という内容と響き合っている。
 キリストが宣べ伝えた、自由の宣言は、時代を超えて、最も苦しい差別に長く苦しんできたアメリカの黒人指導者によって同じキリストの権威をもって、再び宣言されたのであった。

ルターと自由
 ルターの宗教改革もまた、信仰の自由を求める戦いが発展していったものであった。救いのためには、ただキリストに対する信仰のみでよいとする信仰上の自由が出発点であり、原点であった。ここから、ただキリストのみが真の大祭司(神と人を結び付けるお方)であり、キリスト者もそのキリストを信じて結びつくときに、だれでもが神と人を結び付ける存在(祭司)となるのだという真理を明らかにした。そうして人間であるローマ教皇の支配も受けることもない自由が与えられること、そのような真理を記している聖書こそが人間を自由へと導くのである。
 彼は、宗教改革の代表著作の一つ「キリスト者の自由」という書物を書いてこうした、真の自由を告げ知らせたのであった。

キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人(なにびと)にも従属しない。
キリスト者はすべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する。

 この意味は、キリストを信じて、キリストに結びついた者は、すべてのものに支配されないし、従属しない、かえって、あらゆるものの支配に影響されないで、すべてのものの上に立っている。そこに自由がある。
 それは、キリスト者が結びついているキリストご自身が、いっさいを支配する力を持っておられるからである。たとえいかに地位が低くても、彼自身は、ほかの者に魂は支配されない。この最も代表的な例はキリストご自身であった。キリストは社会的地位は何もなかった。大工の息子としての三十年間ののちわずかに三年間を自発的な食物の提供などを受けて、福音伝道のために費やしたのであり、最も低いところで生活されたことになる。しかし、主イエスは、いかなる王や権力者の支配の上におられた。当時の領主であったヘロデに対してもある時には、つぎのように「キツネ」と呼んだことすらあった。

ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしている」。
そこで彼らに言われた、「あのキツネのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終える。しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。(ルカ福音書十三・3133より)

 また大祭司という宗教界の最も高い地位の者によって最高法院で尋問されたとき、つぎのように答えている。

イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
イエスは言われた。「・中ヲわたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子(キリスト)が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。
そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。」(マタイ福音書二十六・6366

 このように、いずれの場合も、主イエスは自分が殺されるほどに相手が敵意を持っているということを知っておられたが、なおこのようにはっきりと真理を語られた。これは、すべての上に立って支配されている王であることを示している。
 そして、あらゆる病や死ですらも、支配されていることをしばしば示された。それゆえに、そのようなキリストを信じてキリストに結びつく者は、同様な力を与えられる。キリストはすべてのものの上に立つ君主のようなものであると約束されている。

 他方では、キリスト者はすべての人に仕える僕(しもべ)であるという。本来、君主のようにすべての力の上にあるというのは、すべての人に仕えるというのと正反対であってとうていこの二つが結びつくとは思えない。
 しかし、キリストご自身は、この二つを完全に備えたお方であった。たしかにキリストはあらゆる支配権力、死やサタンの力、罪の力にも勝利された。「私は世に勝利している」とヨハネ福音書で言われた通りである。
 他方キリストは、つぎのようにも言われた。

人の子(キリスト)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。(マルコ福音書十・45
 このように、人に仕えることは、支配とは逆のことであるのに、主イエスだけはこの二つを完全に調和させておられたのであった。
 私たちがもしすべての上に立つ、霊的な力を与えられていなかったら、他の人に仕えるということは、自由のないこと、自由とは反対のこととなり、仕えることだけでは到底キリスト者として生きてはいけないだろう。
 まず私たちは他者に仕える以前に、すべての上に立つ力を与えられ、従って自由なものとされているからこそ、その自由な心をもって他者に仕えることができる。
 こうした自由を人間に与えるためにキリストは世に来られた。すでにキング牧師の項で引用した箇所であるが、再度つぎに引用する。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ福音書四・1819より)

 これはイエスが自分が育ったナザレに来て、安息日に会堂に入り、そこで朗読された聖書の箇所である。これは預言者イザヤの言葉であった。そしてこの預言の言葉が、「今日、あなた方が耳にした時、実現した」と主イエスは言われた。これは主イエスの伝道の最初の出来事として、ルカ福音書に記されている。
 人間はいたるところで自由を奪われ、束縛され、苦しんでいる。しかしその束縛の根源は何であるのか長い間わからなかった。その根源を示したのが、キリストであり、その福音であった。
 人間を最も深いところで縛っているのは、不正な王や支配者、あるいは誰かほかの人間や差別的制度でなく、また病気や老年でもない。貧困ですらない。それは、罪である。
 私たちはそんな罪などというものが人間を縛っているとは考えたこともないが、そうした思いもよらない根源的な問題をいつもキリストは人々に示してきたのであった。
 罪が私たち人間を縛っている、そう言われてもすぐにそうだと思う人は少ないだろう。罪とは、神に敵対する思いであり、神とは真実や正義、そして愛であるから、それらに敵対する心のなかの思いが罪だといえる。私たちがだれかに対して不信実なことをしたり、憎んだり、また不正なことをして金を受けたりすれば、それは罪である。神が最も偉大で全能であるのに、自分をいつも一番大切なものと考えるときそこにも罪がある。自分中心に考えるとき、人は必ずだれかから認められなければ満足できない。いつもだれか他人の評価を一番に気にする。これが他人によって縛られるということである。
 あるいは、清い正義などない、神を信じても喜びなどないと思う者は、自分中心の一つの道として快楽を求めるようになる。それは快楽というものに縛られることにほかならない。
 こうした例でわかるように、罪は必ずなんらかのもので私たちを縛るようになっている。そしてそのような罪の思いそれ自体が私たちの心を狭く、汚れたものとするので、心に平安がなくすさんだ状態となる。それが私たちの魂の真の自由を奪ってしまう。
 このように、人間はだれでも制度や他の人間、あるいは貧困や病気などによって縛られるのであるが、もし、人間が罪に縛られないなら、そのような苦しい状況にあって、本来なら自由を奪われたという渇きや不満、怒りしかないところでも、深い自由を実感させるものとなる。
 これは、多くの重い障害者や病人、ハンセン病のような極限の不自由を味わわされた人であっても、なお、キリストに結びつくときには、深い霊的な自由を与えられ、実感していたのが、彼らの書き残した印刷物などによってうかがうことができる。
 主イエスは言われた、
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ福音書八・3132

 この短い一言は、人類が数千年求め続けてきた自由へのはげしい願いを最終的に解決するものであった。
 この主イエスの言葉と同様なことをパウロもこう言っている。

主の霊のあるところに自由がある。(Ⅱコリント三・17

 ほかの表面的自由は、すでに述べたように、いくら奴隷制度がなくなっても、こんどは、快楽や自分の欲望(罪)に従って生きることになると、そうした欲望の奴隷となり、霊的自由を根底から失ってしまう。日本においても、戦争中から、戦後にかけての貧困がなくなり、現在では世界でも有数の豊かな国となり、家庭や学校給食、レストランなどいたるところで食物は過剰となり捨てられている有り様である。
 そのような豊かさがどれほど、心の自由となったであろうか。むしろ逆に自己中心の考えや欲望に動かされて生きる若い世代の人たちが急速に増え続けている。
 科学技術により、病気なども多くのものが克服された。しかし元気になって自分の欲望中心に生きることで魂の奴隷状態となっていく傾向が強くなっている。
 こうしたあらゆる外側の自由に対して、キリストは人間の根源からの自由を与える道を示して下さったのである。
 最後は死の力からの自由である。死が近づくとその力にすべての人は縛られていく。死から脱することは本来不可能であった。しかしキリストはそのすべてを閉じこめる死の力すら打ち勝って、死から真の自由、究極的な自由への道を開いて下さったのである。死の後に、完全な自由を持っておられるキリストと同じ姿に変えられるということこそ、私たちの前途には完全な自由が待っているという約束なのである。



st07_m2.gif日本の宗教的伝統について

盆・供養・墓などについて
 八月はお盆の月、日本では正月と並んで最大行事となっていますが、その起源や意味について考えてみます。
 お盆は、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、略してお盆といいます。盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「(地獄や餓鬼道に落ちて)逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、そのために供養を営むのが、盂蘭盆会なのです。

 釈尊(釈迦)の高弟であった目連(もくれん)という人が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は、餓鬼道に落ちて苦しんでいた。 何とかして救いたいと、水や食物を運んでも、その母の口元に運ぶがたちまち炎となって消えていく、そこで釈尊に尋ねると、「七月十五日に、御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えてくれた。その通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦しみから逃れて、無事成仏することができたという。この記述が、盂蘭盆会の始まりといわれています。
 しかし、仏教の経典はきわめて多いにも関わらず、このお盆の起源を書いてある経典は「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」ただ一つで、しかもこれは偽経の疑いがあり、おそらく中国で書かれたものと推定されている。そして、仏教の出発点であったインドの仏教教団ではお盆の行事を行ったという証拠もないとのことです。(「日本の仏教」110P 渡辺照宏著 岩波書店刊)

 このように、本来の仏教にはないような内容であるのにそれが、仏教行事の中心として日本では今も生きているという奇妙なことになります。
 本来の仏教とは、「真理に目覚めた人になるための教え」です。仏陀とはサンスクリット語(古代インド語)の「ブッダ」という言葉をそのまま「仏陀」という漢字になおしただけの言葉です。そしてブッダというサンスクリット語は「目覚める」という意味です。だから仏(ぶつ)
*というのも、本来は、生きているときに真理が何であるかを見きわめて真理に目覚めた人のことであって、死んだら自動的に仏になるというのは、仏教の教えではありません。先にあげた、「日本の仏教」においてもつぎのように書かれています。

 また、死者のことをホトケ(仏)というのも、日本的な考え方である。この言葉は、サンスクリット語のブッダ、漢語の仏陀に相当することは間違いない。*すべての人が死んだら仏陀になる、(ホトケになる)ということは仏教の考え方にはない。(117P

*)仏という漢字を「ホトケ」とも読むのは、ブッダというサンスクリット語と、それを漢字に移した仏陀という言葉とが結びついたことがその由来だと考えられています。ブッダのブがホとなり、ダがトとなり、それにケが加わってホトケとなったということです。

 それは、日本の固有信仰が背後にあります。日本の固有信仰では、人間は死んだ後に十分にまつってもらった霊は、次第におとなしくなって個性もなくなり、ひとつの祖霊となっていくと考えられています。しかし、もしまつってもらえなかった死者は災いをもたらす死霊(しりょう)とか怨霊(おんりょう)といわれるものになってしまうというのです。このことからも、どんな悔い改めもしようとしない悪人でも人間が死んだら自動的に、同じような平和な「ほとけ様」になるなどというのは、本来の仏教でもなく、神道でもない、単なる通俗的な信仰だとわかります。このことについて、専門家の書いた文章から引用しておきます。
  
 死んだ者の霊は、家族や子孫とかによって死者儀礼(食物などを供える供養)が定期的に行われた場合にのみ、その死者の霊は「祖霊」となって、死んだ人間は、名前や人柄、業績などは忘れられ、個人的特徴はなくなり「先祖」となる。・中ヲ
 しかし、死んだあと、子孫によってまつられなかった死者の霊は、どのようになると考えられているか。そのような霊は、死霊(しりょう)と呼ばれたり、「餓鬼」とも呼ばれる。なぜ、餓鬼というかといえば、そのような霊は、子孫に供養を捧げてもらわないために、常に飢えているというのである。
 また、飢えた死霊をそのままにしておくと、災いをもたらすことがあり、病気になることもある。だから家族は定期的に死者供養をしなければならないと考えられていた。(「宗教と科学」第七巻110112Pより 岩波書店刊」)

 これでは生きているときの生き方がどうかでなく、死後の無意味なまつりごとによって「祖霊」(神)というものになるか否かが決まってしまう。金持ちとか子孫を多くもったものとかが、死後の供養を十分にしてもらえるので、祖霊(神)になるということになる。
 だから、子供が生めなかった人などは、死後、まつってもらえないことになり、祖霊になれないで、怨霊となってしまうことになる。
 このように、多くの死者儀礼(法事など)をし、金をかけるほど、死者の霊がおとなしくなって、祖霊になっていく、もし法事などしなかったら、怨霊となって生きている人にたたってくるという信仰から、貴族たちが時間と金をかけて死人の法事などに力を入れるようになってしまったのです。それが現在までずっと続いています。
 現在も、仏壇で死者にご飯などをあげるのは、そうしないと怨霊となって生きている人にたたってくるからであったのです。これは本来の仏教でなく、日本の固有の宗教であり、古代の原始的な宗教のなごりだと言えます。
 このように、法事は仏教の重要な行事と思われていますが、実は、古来の日本の神道の原始的な宗教がその内容なのです。ですから、ある仏教学者
*もつぎのように述べています。

法事とは、葬儀が終わったあと、まだ不安定な状態にある死者の霊魂を、安定化させるために行われる儀式である。したがって、その背後には、死んだ直後の死者の霊魂は不安定であり、生きている者にたたりや災いをもたらすかもしれないといった感情があり、法事をすれば死者の霊魂は安定化し、たたらなくなるといった一般の感情や考え方がある。
 しかしこのような考え方は、日本独特のものであり、本来のインド仏教にはなかった。それゆえ、「法事」というものは、きわめて日本的な仏教行事だと思ってまちがいない。
*)増原良彦。仏教思想家、宗教文化研究所長。

 また、京都での最大の夏の祭である祇園祭も、その起源は怨霊を鎮(しず)めるためでした。夏は、気温も湿度高く、台風襲来もあり害虫もはびこるために、さまざまの病気が広がる季節です。そして都市には人間が集まり、病気や災害の被害も集中します。昔の人は、そうした災いが起こるのは、怨霊のためだと信じていたのです。そこで、その怨霊を慰め、鎮めるために華やかな祭が行われるようになったのです。もともと、怨霊とは、死んだ人のうち、法事などをきちんとしてもらえなかった霊がうろついて生きている人に災いをもたらすと考えられていたのでいっそう華やかに大々的に祭を行うようになったわけです。

 また、やはり京都の夏の風物詩のように言われる、大文字の送り火もその起源は、盆の期間に家に来ていた(と思われていた)祖霊を送り出すためです。祖霊を迎えるときも、暗いので、明かりを頼りに帰ってくるのだと考えて、迎え火をもやし、また帰るときも、暗かったらきちんと帰れないという発想から送り火を焚(た)いたということなのです。 これも今まで見てきたとおり、本来の仏教でなく、日本の昔の民間信仰がもとにあります。
 祖霊は火を焚かねば暗くて家に帰ってくるいということを考えても、そのような頼りない祖霊なら、人間がすがって頼るなどとうていできないはずです。これは、古代の素朴な類推からでたものだと言えます。
 このように、仏教でないものが仏教だとされ、しかもそれが一番大切な行事だとされ、日本人はそうしたあいまいな考え方や信仰をもって、仏教だと思いこんできたのです。宗教とは、そのようなあいまいなものだという観念がしみこんでしまったのです。
 最近、マスコミを賑わした小泉首相の発言、「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。ひとにぎりのA級戦犯が合祀されているということだけで、死者に対してそれほど選別しなければならないんだろうか。」ということも、首相の宗教意識がごく表面的だということを示すものとなったのです。
 亡くなるとみんな仏様になるなどというのは、すでに見たように、仏教の信仰内容にもなく、神道でもないのです。仏教では、真理に目覚めた人をブッダ(仏陀または仏)というのであり、神道でも、死後のおまつりなどをよくしてもらった場合にだけ、たたることをしない静かな祖霊になるという内容だからです。
 こういうどの宗教でもないようなことが、日本人の国民感情だなどと、首相が公言するということは、日本人の多数が死とは何か、仏教とは何か、神道とは何か、ということをきちんと考えてこなかったということを示しています。

墓について
 また、こうした問題について深く考えてこなかったということは墓についても言えます。墓は仏教には絶対不可欠だと思いこんでいる人がほとんどです。この点について、最近多くの仏教の啓蒙書を出している仏教学者の考えを下に引用します。

 本来、インドの仏教では墓は不必要であった。最近の日本人は、いささか異常なまでに墓にこだわっている。いっぽうで墓地不足がいわれているのに、他方では基づくりが奨励され、墓参りがすすめられる。
 墓に対する基本的知識の欠除が、問題を複雑にしているようだ。仏教はインドに発祥した宗教であるから、仏教の葬法は基本的に火葬である。インド人は古来、火葬を採用しており、仏教は火葬をあたりまえのこととして採用したからであるところで、火葬というものは、ほんとうはいっさいの遺体をなくしてしまうのだ。遺体は肉と骨とから成るが、肉のほうは火葬にすれば消滅する。骨のほうは焼けずに残るが、インド人は焼け残った骨をすべてガンジス河に捨てた。
 現在でもインド人は、いっさいの骨をガンジス河に流してしまう。だから、墓をつくる必要はないのである(余談ながら、現在の日本では、火葬をして遺骨を残すためによけいな苦労をしているらしい。火力が強いと、遺骨は全部灰になって残らない。そこで火力を調節して、わざわざ遺骨を残すように焼いているのである)。
 インド人は遺骨をガンジス河に流し墓をつくらない。………
 さて、問題は、われわれの日本である。じつは日本の伝統的な葬法は土葬であった。土葬の場合は、死体に対する恐怖の感情が抜きがたくある。いったん埋葬した死者が、ひょっこり起き上がってくるのではないか…といった心配がある。
 それで、死体を縄で縛ったり、あるいは死体の手足の骨を折ったりする。さらには死体に大きな漬物石のような石を抱かせて埋葬したり、埋葬した上に大きな石を置いたりもする。死者が地上に出てこないようにするためだ。
 じつをいえば、墓の起源はこの石なのである。…
 ところが、近年になって、日本では火葬が普及した。しかし、日本の火葬はインドのそれとはちがって、遺骨を残す火葬である。ほんとうは遺骨を残さず、すべてを焼き尽くしてしまえばいいのであるが、土葬の慣習のあるところに火葬が入ってきたものだから、遺骨を墓に埋めないと日本人は落ち着かないのである。それで、わざわざ遺骨を残して、墓に埋葬する「しきたり」になった。
 そうなると、こんどは墓が大切にされる。墓参の習慣がつくられ、あげくは「墓相」といったものまでが登場する。馬鹿げた迷信である。…
 わたしは、このような迷信がはびこるのも、日本の火葬ではなまじ遺骨が残るからだと思う。遺骨を残さぬようにするか、インド人のように遺骨を海か川に捨てる「しきたり」に変えたほうがよいと思う。…
 仏教は、死者が死後にどのような状態でいるかを、正しく啓蒙する義務を負っているのだ。
 たとえば、浄土宗や浄土真宗であれば、死者は極楽浄土に往生したのであって墓の下にいるわけではないと、人々に教えなければならない。したがって墓をつくる必要はないと教えるのが仏教の役目である。ところが、日本の仏教は、そのような仏教本来の役目を放棄して、日本人の「しきたり」にあわせて教義をつくる傾向が強い。その結果、仏教は「葬式仏教」となり、また、寺院は墓の管理の仕事をするようになった。(「仏教のしきたりがわかる本」増原良彦(筆名 ひろさちや)著 なお、著者は、東京大学インド哲学科卒業、同大学院修了、仏教思想家、気象大学教授を経て、宗教文化研究所長。仏教に関するわかりやすい本を数十冊書いている。)
 
 
次にお盆には、僧侶が檀家を一軒一軒まわって御経を読む棚経(たなぎょう)といわれる習慣があります。これはどんのことから始まったのか、案外知られていません。現在では多くの人が盆に祖霊が帰ってくるからそのようにするのだと思われていますが、これは江戸時代に、キリスト教を徹底的に滅ぼすために、すべての家がどこかの寺が属するように命じ、家族の名前と属する寺の証印を押して代官所に提出しなければならなかったのです。そして、檀家が仏教徒にまちがいないかを僧侶に確認するように、命じたことから始まっているのです。要するにキリシタン迫害のために、監査する目的から、僧侶が一軒一軒をまわるようになったのです。
 前述の仏教学者もこの習慣はキリシタン迫害から始まっているために、「この習慣の起源はあまり感心できるものではない。…夏の暑い盛り、全部の檀家を一軒一軒まわる僧侶のほうもたいへんだろうし、あまり意味のない習慣はやめてもいいのではないだろうか。」と言っています。そもそも祖霊が帰ってくるというように信じるのは、本来の仏教でなく、日本古来の神道の習慣であって、それを僧侶があたかも仏教の重要な仕事であるかのようにしていること自体も矛盾したものです。さらにこうした矛盾したかたちの上に、大急ぎで一軒一軒をまわって意味の説明もない御経を唱え、お布施を受け取って帰るというので、口には出さないけれども多くの人がこれが本当の宗教だろうかと疑問を持つことにもなっています。
 また、盆のときには、精霊棚(しょうりょうだな)といって、盆の間、家に帰ってくるという死者の霊をもてなすために、臨時に作る供養棚があります。仏壇の前に置いたり、縁側に置いたりするのです。しかし、仏教といっても、日本で最も多くの信徒を持つ教派の一つである、浄土真宗では、死者は浄土に往生しているから、霊がお盆に帰ってくるなどということはないとして、精霊棚は作らないのです。

 以上のような、仏教と神道の入り交じった習慣を信じるなら、たえず死人の霊という本当にあるのかどうかも定かでないものを信じて、そうした霊が悪いことをするのではないかとおびえることになります。そして供養されない死人の霊は、生きている人に病気や事故などでたたってくるというのです。そして金持ちが多くの費用を使って僧侶を呼んだりご馳走したりしてもてなすと霊はおとなしくなるなどということを信じるなら、いかにも金中心だということになってしまいます。そのような金によって動くような霊を信じて何の益があるでしょうか。
 これに対してキリスト教では、死人の霊がたたるなどということはいっさいありません。人間はすべて生きていても、死んだ者もみんな、万能の神、愛と真実の神の御手の中にあって、生前に神の前に悔い改めたかどうか、どれほど神の御意志に従って生きたか、といったことによって、すべてを見抜いておられる神が裁かれるのです。そしてどのような罪を犯したとしても、心からの神への悔い改めによってその人は救われる、永遠の命を与えられて神とともに生きるようになることが約束されています。
 ですから、日本では非常に多く使われる、「慰霊」ということ、死んだ人の霊を慰めるなどということは、新約聖書でもまったく記されていないのです。私たちは死んだ人については、愛と真実の神がその万能をもって、最善にして下さっているのだと信じて委ねることだけが必要なのです。



st07_m2.gif休憩室
○血が固まりやすい
 私たちは心配をしたり、恐怖を持ったり、あるいは不安や怒りが、体内の血の状態と関係があるとは、ほとんど考えてもみないことです。しかし、この点について、学生の試験などを用いて実験したところ、試験中には、血液が凝固する時間が非常に短くなっていたということです。また、ある人たちに検査、採血するといっておいたところ、不安を多く持った人ほど、血が固まりやすくなっていたとのことです。
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 ようするに、緊張したストレス状態では血が固まりやすくなっている、そのほかにも、こうしたデータがあるとのことで、私たちの心の動きと無関係なように思われる、体内の血液の状態が深く関わっているということに驚かされるのです。
 血が固まりやすい状態となっていると、脳梗塞、心筋梗塞といった病気になりやすくなるし、老人性痴呆の多くは、血管性のものと言われており、血が固まりやすいという状態は、脳や心臓といったとくに重要な部分に大きな影響を及ぼすことがわかります。
 しかもそれが心の状態と深く関わっているというのです。
 こうした点を考えると、聖書で言われている、主にある平安、主にある喜びや感謝ということが心身によい影響を及ぼすことがわかります。

*)「血液の不思議」70P 講談社刊

○八月も終わりに近づき、ツクツクボウシが夏の終わりを告げています。都会でも公園などの木にはセミが多くみられて、日本ではどこにでもなじみ深い昆虫です。セミは、はかない虫の代表のように言われます。しかし、幼虫として土のなかで、数年から十七年も生きていると言われます。アブラゼミ、クマゼミなどなじみあるセミは、六~七年、アメリカの十七年ゼミといわれるものは、その名の通り十七年も地中で過ごすのです。
 このようなセミでは、地中が本当の生活で、わずか十日ほどの地上の生活はほんの仮の生活のようなものといえます。そのとき、自由に空中を飛びまわり、大きい声でなくのです。しかしそれは本当にはかない期間です。
 私たち人間のことを考えてみますと、地上の生活はせいぜい七十年~八十年ですが、神を信じて生きた者は、死後にキリストと似た姿へと変えられて天の国にて、神やキリストとともに永遠に生きると約束されています。この永遠の命に比べると、地上の生活はほんの短い一瞬で、仮の生活のようなものです。そして、この肉体という衣を脱ぎ去ったあとの、天での生活こそが、私たちの本当の生活でそこにいたるまでの準備期間が地上の生活だと言えます。天での生活はもはや終わることなく、苦しみや悲しみに悩まされることもなく、過ぎ去ることもないのです。



st07_m2.gifことば
信者と不信者
 神は存在すると言う者が、必ずしも信者ではない。神はなしと言う者が必ずしも不信者ではない。常に事物の光明的半面に着眼する者、これが信者である。
 それに対して事物の暗黒的半面に注目する者、これが不信者である。常に病を語る者、常に失敗を嘆く者、常に罪悪を憤る者、これが不信者である。
 常に健康を祝する者、常に成功をたたえる者、常に聖徳を悦ぶ者、これが信者である。
 パウロは、言う「すべて神の約束は彼(主イエス)の中に然り(しかり)となり、また彼の中にアーメンとなる」と。神は然りであり、またアーメンである。神は万事において積極的である。
 そして人は神を信じれば、必然的に希望の人、歓喜の人、満足の人、すなわち全く積極的な人物となる。コリント後書一章二十節。(内村鑑三著「聖書之研究一九一三・二月号」)

○口先でいくら、神を信じるとか言っても、その心のなかで、いつも暗いこと、希望のないこと不満なことを思っている場合、またそれを口に出しているなら、その人は本当に神を信じているとは言えないというのです。なぜかというと、神とは、光であり、希望であり、万能であり、愛であるので、その神を信じ、魂が結びついているなら、自然と物事の明るい側面に目を向けることができると言っているのです。
 引用されているパウロの言葉の意味は、主イエスにおいて、神の約束はすべて実現したということです。神の約束とは、罪からの救いであり、悪の力に勝利すること、死に打ち勝つこと、神のいのちそのものと言える永遠の命を与えられること、そのような人間にとって最も重要なことがすべてキリストにおいて実現しているのであり、キリストを信じるときにはすべてよきことが実現するという確信を持つことができるようになるという意味です。

人を愛するの愛
 私は人を愛すべきである。しかし、私には真実の愛がない。それをどうしたらよいのか。私は人を愛すべきであるのに、私は人を愛することができない。
 私はこのことを考えると、悩み苦しむ。
 しかしキリストに人を愛する真実な愛がある。そして、キリストが私の内にあって、私を用いて、真実に人を愛するのである。私はわが全身をキリストにゆだねて、キリストの聖(きよ)き愛をもって人を愛することができる。私は人を愛そうとして愛することはできない。しかし、キリストが、わが内にあって、人を愛するようにするならば、私は容易に人を愛することがてきる。ああ、私は何と幸いなことか。(同右書一九一三・三月)

○人は自分の感情とか意志によっては、反抗しつづける人や、悪意を持っている人に対して怒りや憎しみを抱いてしまい、愛するなど到底できません。しかし、もし私たちの内にキリストが住んで下さるなら、そのキリストがそのような敵対する人に対しても祈りの心を持ってすることができる、愛することができると言っています。ですからキリストを内に持っていないということが最も悲しむべきことであり、逆にキリストが内に住んで下さるということが最も喜ばしいこととなります。

自由なる私
 私は万人を敵として持ってもよい。キリスト一人を味方として持つならば。
貴族を敵として持ってもよい。平民を敵として持ってもよい。金持ちを敵として持ってもよい、貧しい者を敵として持ってもよい。
キリスト一人をわが主として崇(あが)めたい。私はキリストの僕であり、何人にも左右せらるべき者ではない。去れよ、人よ、私は自由の主なるキリストの自由の僕なのである。人はなんらの束縛をも、私の上に加えることはできないのだ。(同一九一三・三月)

○神はわが砦、わが岩と旧約聖書の詩編でよく歌われていますが、新約聖書の時代になってから、それはそのままキリストに置き換えることができるようになりました。キリストがわが砦となり、わが岩となって下さるのであるから、どんなに敵対する人があり、どのような悪意が注がれようとも、キリストが楯となって守って下さる。どんなに自分を束縛しようとする者がいても、キリストと結びついているとき、魂の自由を実感する。

神の愛
 愛とは、一切の生命がたがいにつながりあっていることを認めることである。だから、私が人を傷つけるなら、私は私自身を傷つけているのである。もし、あなた方が私を傷つけるなら、あなた方は自分自身を傷つけているのだ。(「自由への大いなる歩み」128P マルチン・ルーサー・キング著)

○ここで言われている愛とは新約聖書に出てくる、神の愛であり、ギリシャ語ではアガペーという言葉である。神からの愛を受けるときには、人間がみんな一つにつながりあっていることを実感するようになる。それゆえ、他の人間も霊的に深いところで自分とつながりあっているのであり、他人を愛することも、自分を愛することのように、自然な心の働きとなる。敵対する人間もまた自分とつながっている部分を持っているのを実感するゆえに、そうした人間のためにも祈ることが可能となる。

非暴力
 暴力行為に訴えるのは、キリストの道ではない。キリストの道は十字架の道なのである。私たちはみずから求めたものでない苦痛には、私たち自身を救う力を持っていることを信じなければならない。(同書230P

 非暴力の抵抗の立場を取る者は、宇宙は正義に味方するという確信に基づいている。したがって非暴力を信じるものは、未来を深く信じている。(同書129P

○主イエスは「剣を取る者は剣によって滅びる」という有名な言葉を言われた。武力も一種の暴力であるが、そうした方法では滅びへといくだけである。



st07_m2.gif返舟だより

○ある読者の方よりの来信です。

「・中ヲ私たち家族は心身ともに疲れはてています。信仰が弱いですから思いわずらってしまいます。はこ舟は信仰の助けとなります。これからも引き続きお祈り下さいますように心よりお願い申し上げます。」

 私たちが、「心身ともに疲れはてている」、そのときには、どうしてそのように疲れはてているか、誰にも言えず、心の傷を抱えて苦しみ、痛むという経験を持っている方も多いと思われます。
 そのようなときにはただ「主よ、憐れんで下さい!」という短い祈り(叫び)だけしかできないように思います。いくら祈っても事態が変わらない、いつまでこの苦しみは続くのか、もう祈ってもだめなのだと疲れて祈れなくなることもあります。しかしそのような時こそ、主はその御手をもって支えて下さっているのだと信じて歩みたいと思います。

○関東地方のある方からの来信です。

 ご多忙のところ、集会のテープをご恵送いただいてまことにありがとう存じました。以前に私ごときいと小さき者の書いた手紙をよく覚えて下さったことに大変驚きました。私自身はすっかり忘れていました。
 最近、事情がありまして近くの教会をやめました。(以前からほとんど出席できていませんでした。)それから一週間ほどして、遠い徳島より、テープが送られて来ましたので、何だか不思議な気がいたしました。一通り聞かせて頂きました。大変役に立ちます。それで引き続き、聞かせて頂きたいと存じますので、申込書を送ります。・中ヲ

・だいぶ以前に、ある方から頂いた手紙の内容で心にかかっていたことがあり、何かの助けになるかとようやく時間をつくってテープを送ったところ、ちょうど教会をやめたところだったとのこと、会ったこともない遠い所の方ですが、主が集会のテープをもそのように用いて下さることを感謝です。今後のみ言葉の学びがいっそう祝福され、聖霊が注がれますように。

○京都桂坂での集会
 八月五日(土)、六日(日)の二日間、京都桂坂のふれあい会館にて、近畿地区キリスト教集会(無教会)が開かれました。私が偶数月に参加してみ言葉を語らせて頂いているいくつかの集会が合同して開いたもので、大阪狭山の宮田 咲子姉が中心になって企画されました。
 京都、大阪、神戸、徳島などから四十名近い人たちの参加があり、ここでもまたキリストがともにいて下さって、み言葉の学びと主にある交わりのよき時を与えられて感謝でした。なお、この会場は、徳島で長くいて徳島聖書キリスト集会を支えて下さっていた杣友さんが転居されたすぐ所の近くで、杣友ご夫妻も参加できたことも主の不思議な導きと思われました。

○妻の入院治療について多くの方々からのお祈り、またいろいろのご配慮をありがとうございます。九月には退院して自宅療養できるのではないかと思っています。この「はこ舟」の宛名貼り、封入などは従来はほとんど妻によってなされてきましたが、今回の入院でかわりに、集会の有志の人たちのご奉仕で続けられています。
 また、妻のためにも祈りを共にということから、そのことを一つのきっかけとして「祈の友」に入会して下さる方もあり、主の導きと感謝です。