20038月 第511号・内容・もくじ

リストボタン善きものを見つめる

リストボタン神が聞かれる祈り

リストボタン人間の弱さ

リストボタンすべてが過ぎ去る中で

リストボタン信仰とは何か (旧約聖書の信仰)

リストボタン戦争の悪について

リストボタンことば

リストボタン返舟だより

 


st07_m2.gifよきものを見つめること、否定すること

私たちは日々の生活の中で、たえずいろいろの出来事に出会う。そのとき、そうした出来事や人のことで、まず、よい面を見ようとしているか、それともまず悪い面を見ようとしているかいずれかである。何かをだれかが始めた、それをまず批判してしまおうとするのか、それともそれのよいところを見つめて一層それがよくなるようにと願う心で対処しようとするのかになる。
なんでも否定してしまう霊はサタンから来ると言われる。
新約聖書に出てくる有名な放蕩息子のたとえがある。父が生きているうちから、自分のもらうはずの財産の分け前をくれるように願って、それをもらうと、その金をもって遠いところに遊びに行ってしまった。そして放蕩のかぎりを尽くして、豚のえさをすら求めるほどになって、いよいよ死にかかった。そこまで追い詰められて初めてその息子は、自分の罪に気がつき、罪を告白して神に赦しを祈った。自分はもう息子と言われる資格もなくてもよい、父のもとに帰ろうと思って、帰って行った。
そのようなどこにもほめるところもないような息子が帰って来たとき、その父親は、放蕩息子が、かつて犯した数々の悪いことを思わず、今悔い改めたというただ一点のよいことを見つめて喜んで受け入れた。

しかもそれまで一度もしたことのないような、盛大な食事を準備させて息子の帰ったことを喜んで迎えた。
これは驚くべき心の広さである。我々なら到底そんな態度は取れないだろう。「いままで何をしていたのか、どうしてこんなひどい状態になったのか、お前に与えた財産の多額の分け前はどうしたのか、なんと役に立たない息子なのだ…」などなど、まず悪い点を見て、非難や叱責の言葉が出てくるのではないだろうか。
他のあらゆる悪いことがあっても、なおそれらの悪いことを見るのでなく、悔い改めたということ、すなわち善き方向に心を向け変えたというそのただ一つのゆえに放蕩息子を最大の喜びを表して受け入れたということ、そこには、神のお心が感じられる。神が見られる善きことの中心にあるのは、多くのみせかけの善行をすることでなく、それまでの至らぬこと、罪を知って悔い改め、神に心を向け変えるということである。
このように、神はいかに多くの罪が過去にあってもなお、悔い改めという一つの善きことがあれば、過去のさまざまの悪かったところがあたかもなかったかのように、私たちを受け入れて下さる。
なんと不思議なことだろう。我々なら相手がいかに悔い改めたといえども、それがひどい罪なら過去のことがやはり心のどこかに残って赦せないとかいう感情が残るのではないだろうか。
しかし、放蕩息子の兄は、弟が心を入れ替えて帰って来たというのに、その弟のそれまでの悪い行動が心にあって赦すことができなかった。それで弟が帰ってきたのに喜びもしなかった。弟は、悪いことをして、財産を使い果たしたではないか、といって、弟の悪いところだけを見つめて非難したのであった。それだけでなく、そのような弟に最大級の喜びを表して大いにもてなしている父に対しても不満の矛先を向けた。そして、自分は今までずっと父の言いつけに背くことなく、働いてきたのに子山羊一匹もくれなかった、それなのに、放蕩の限りを尽くしたこの弟には自分よりはるかによいもてなしをしてやっている、と言うのであった。
ここには、まじめに働いてきたと思われる兄の心にあった大きな問題が鮮やかに記されている。それは弟や父親のよい点を見つめることができなかったということである。そして双方の悪い点だけを見ようとしている。
弟は自分はもうどうなってもよい、息子と呼ばれなくても使用人同様でもかまわないとすら考えるようになった。しかし、兄は、自分のためにしてくれなかった、自分はよく働いてきたなど、「自分」が中心にあった。
自分中心に考える心は、このように本当に大切なことを曇らせる。そして他者の悪いことのみを見ようとする心になりやすい。
こうしたことが、否定する霊はサタンから来ていると言われる理由である。
自然の美しさや力強さ、西の空いっぱいに染まった夕焼けや広大な海原、山々の連なりなどを目にするとき、また、可憐な野草の花を見るとき、それは私たちのうちにある善きものを助け、励ましてくれるように感じる。夜空の星が私たちに語りかけるとき、それらは私たちの内なるなにかに語りかけ、呼び覚まそうとするかのようである。星に無関心な人はいても、星の光が私たちを否定しようとするように感じる人はまずいないであろう。
私たち自身が、もし神によって、悪いところ(罪)だけを見つめられ、それをもとにして裁かれるというのなら、到底生きていけないだろう。神は私たちのわずかなよきところを見いだし、ほかの悪いところを見逃して下さり、赦して下さる。それによって私たちは新しい力を与えられ、生きる力を与えられる。
さまざまの罪を持ち、闇を持っている人間のなかに、善いものを見いだしてそれを見つめようとする心は、この世で神を信じる心に通じるものがある。
この世で神を信じるとは、さまざまの暗いこと、闇のようなことにも関わらず、完全によいもの(神)を見つめようとすることだからである。それは存在しないものを見つめようとすることでなく、実際に存在するものを見つめることなのであるゆえ、ときにはそんなものは見えないように思われることがあってもあきらめないで、見つめ続けようとする。そのとき、確かにその輝きが見えてくる。彼方に光が目を閉じても感じられてくるのである。
「求めよ、そうすれば与えられる」という主イエスの言葉は、このような闇のただなかになお輝く「善きもの」が与えられるということなのである。

 


st07_m2.gif神が聞かれる祈り

私たちの祈り、願いは聞いていただけるのか。それはだれもが大きい関心を持っていることであろう。聖書にはこのことについてどう書かれているのだろうか。
ヨハネの手紙に次のように記されている。

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対するわたしたちの確信である。(第一の手紙五・14

ここではっきりと言われているのは、何でも願ったら聞かれるというのでなく、神の御心、すなわち、神のご意志(*)にかなったことを願うときには、かなえられるということである。そこで、私たちがまず求めるべきは、自分の願いや祈りの内容自体よりも、神のご意志であることになる。

*)各種の日本語訳聖書では、ほとんど「御心」とか、「御旨」と訳されているが、原文は、セレーマ(thelema)であって、「意志」という語である。日本語訳では、古い永井直治訳、最近の岩波書店から出ている訳などが、「意」と訳している。しかし、外国語訳では例えば二十種類ほどの英語訳をみてもすべて「will」と訳している。ドイツ語訳では、Willen フランス語訳では、volonte を用いていて、これらの外国語訳もみな「意志」という意味の語。
日本語の「心」という語は心やさしいとか、心惹かれる、あるいは心を痛めるなどのように、「意志」よりも感情を表す語として使われることが多い。

神のご意志がわからなければ、私たちは神のご意志に反することを願うことが多くなるだろう。
例えば、職場で嫌いな人間がいる。その人を除いて下さいというのは信仰があるなしに関係なく、だれでもが願うことだろう。また、自分が人からほめられたり、人が注目するような人になりますようにとか、もっと容姿がきれいになりますようにといった願いは、やはり神を知らない人でも子供でもだれでもが持つような願いである。
しかし、例えば職場で信頼できないようないやな人がいるとする。その人をすぐに除いてもらおうという願いは神のご意志にかなうことなのか、それとも、その人とともにいるのにも耐えられる忍耐を与えようと神は意図されているのでないだろうか、さらにそのいやな人が真実な人になるように神に祈ることが求められているのではないだろうか。
また、人からほめられたり、外見の容姿がきれいになりたいという願いより、内面の心が清められ、真実な心になって神に喜ばれる人になることを主が求められているのでないかと考えると、どちらが神のご意志なのかということは、はっきりしてくる。
また、苦しみや悲しみのときに、死にたいというような気持ちになる場合も、長い人生の間には生じることがあるだろう。そのようなときにも、今死にたいというのは、自分の意志や願望であるが、神のご意志はそのように死ぬことを望んでおられるのか、神は私がその苦しみに耐えて、神への信仰を一層深くすること、その苦しみによって自分の心が耕されることを望んでおられるのではないか…と考えるときには、やはりいずれが神のご意志なのかが分かってくる。
それゆえ、主イエスは、私たちがまず求め、祈るべきこととして、主の祈りにおいて、「御旨(ご意志)がなりますように」ということをあげておられるのである。これは、まず神のご意志を求める祈りである。
このように、私たちの願いをまず出すこと以上に、神のご意志を求めることの重要性がわかる。

それから、つぎにヨハネ福音書で言われていることを思い出す。

わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。… わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。(ヨハネ福音書十四・1314より)

これはわかりにくい言葉である。単にイエスの名前を使ったら何でも願いが聞かれるということでないのはすぐにわかる。「あんないやな人を除いてください、イエスの名によって祈ります」、などという祈りが聞かれるはずがないことは誰でもわかる。
イエスの名とはイエスご自身であり、イエスご自身が神と同質であり、イエスは何でもできることを心にはっきりととどめた上で祈るということである。
それは、マタイ福音書の八章(*)に書いてあるように、イエスのただ一言でもいやされると信じることである。


イエスはすべてをなすことができると信じた上で祈るとき、私たちは主の名によって祈ったということになるし、当然イエスが私たちのとりなしもして下さるという意味も含んでいる。私たちの祈りの後に、「イエスの名によって祈ります。」というのもそれである。主イエスへの絶対の信頼をもって祈りますという意味なのである。
さらにヨハネ福音書では次のように記されている。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。
そうすればかなえられる。(ヨハネ福音書十五・7

ここにも、はっきりとどんな祈りが聞かれるのかが示されている。それは、主イエスに留まり続けること、主イエスの言葉がつねに私たちの内に留まっていることである。私たちの心はいつも何に留まっているか、それは自分自身が知っていることである。日常の家族のこと、仕事のこと、特定の人間それは、人間的な意味での愛を注いでいる人間、あるいは赦せない相手とか憎しみとかでいつも忘れられない人間である場合もあるだろう。また、音楽や自然、書物などであるかもしれない。しかしそうした一切のことに優先していつも主イエスが心にあるのかどうか、主イエスの言葉とはすなわち、神の言葉であるから神の言葉がいつも心にあるかどうか、生きておられる主イエスからの語りかけがいつもあるかどうかをここでは指摘されている。
私たちが祈るときに聞き入れて下さる祈りとは、こうした条件にかなった祈りであるということになる。

 


st07_m2.gif人間の弱さ

人間は弱い。私が子供のとき、四十歳、五十歳にもなる大人は強いと思っていた。力も強いし、考えもしっかりしていると何となく思っていた。
しかし、自分がそのような大人になり、自分自身や他の大人を見てもはっきりとわかることは、人間はいつまで経っても弱い存在であるということだ。最近も、ある人と話していて、一般的な話をしていたのに、その人が突然涙を流し始めたことがあった。心にずっとたまっていた問題についての悲しみがふとあふれてきたようだった。
何十年と経験を積んだからといって、人間は強くなるというのではない。かえって、生きることの難しさに打ちひしがれて心が弱くなっていく場合も多い。友人や家族など信頼していた親しい人から裏切られ、また別れて孤独になることも多い。そのような経験を重ねると強くなるどころかかえって自分を支えていたものが次々となくなって、頼るものを失い、弱くなってしまう。
さらに、若い間は仕事や育児など、子供や仕事のことで気がまぎれることもあるが、老年になるとそうした支えになっていたこともなくなる。
そうした弱さは、人間の体がふとしたことからも病気になったり、異常を生じたりすることとも関係がある。体の具合がわるいと、少しのことにも耐えられなくなるからである。ずっと気分がわるく、体調が不全であるときには、心も弱くなりがちで、ちょっとしたことにも揺り動かされやすくなる。
それから、人間の弱さは、人を恐れるということと深く関わっている。私たちは、自分の弱さゆえに他の人間を恐れる。自分がこのことをしたり、発言したら周囲はどんなに言うか、それを気にするから思うこともできない。そうした人間を見て恐れるとますます私たちは弱くなる。
地位が高かったら人を恐れないかというと、そうでない。例えば地位が特別に高いのは天皇とか総理大臣である。地位が高いということは、その部下や周囲の人間の支持が必要である。だからたえず周りの人間の意見や考えを恐れることになる。地位が高いほど、多くの人の注目するところとなる。だからこそ、一言を発するにもいつも細心の注意をしていかねばならない。不用意な一言が大変な問題を引き起こすことがあるからだ。天皇は形式的には最も地位が高いところにあるが、最も人を恐れていなければならない。だから自分の思ったこと、したいことすら何もできない。いつも周囲の厳重な監視のもとに置かれていて、それを無視しての言動があればたちまちそのようなことを言わさないようにされてしまう。
また、暴力をふるったりする人間は強そうに見える。 しかし、暴力をふるう心は、相手を恐れる心である。恐れているからこそ、暴力で倒さねばということになる。戦争も、相手国を恐れるからこそ、巨大な暴力(軍事力)をもって相手を倒そうとする。
個人的な憎しみもまた、弱さの現れだといえる。相手からの不当な言動、見下したような言葉や仕打ちに対して、憎しみが生じる。しかし、もし私たちが、本当に強いならそうした不当な言動を気にすることなく、見過ごし、または忍耐をする力があるはずである。私たちがそうした他人の悪に耐えられないからこそ、憎しみが生じる。そういう意味で、人間関係に憎しみが生じるのも、悪しきことを言う人間の弱さとそれに耐えられない人間の弱さが絡み合って生じることである。
主イエスが、「敵を愛せよ、あなた方に悪をなそうとするもののために、祈れ」と言われたのは、こうした弱さからくるさまざまの問題の解決の道を指し示したのであった。
そしてそのためにこそ、キリストは来られた。
学校教育とか一般の道徳教育では、人間が努力して、意志の力で強くなれと言う。しかし私たちの現実を見るとき、どのような意志の強そうな人間でも、やはり内に弱さを持っているのである。意志の力が強そうに見えるのも、弱さを見られないように隠しているだけなのである。人間の弱さは、そのような内面的なことだけでなく、事故やガンなどの病気によっていかに弱いかだれでも思い知らされるものである。さらに死ということの前には、どんな意志の強そうな人間や暴力、武力あるいは権力を持っている人間もみな同様に無力であって、死の力にはみんな飲み込まれていくほかはない。
このようにどこから見ても人間の弱さはどこにでもみられるし、私たち自身が日々痛感していることである。
その弱さという事実から、キリスト教の信仰は出発している。心の内面の弱さ、それが人間の根本にあるが、それを罪という。正しいことやよいことがどうしてもできない弱さ、それが罪なのである。その弱さそのものである、罪を認め、それを赦して下さるお方としてキリストが来られた。私たちの弱さを代わりに担って下さるために主イエスは来られた。
そのような内面の深い問題を解決できるということは、キリストがただの人間でないこと、神と同質のお方であるということになる。それが、キリストを神の子と信じるということである。そのことを信じるときに、ただその信仰だけで、私たちに新しい力が与えられ、神の子どもになることができる道を開いて下さった。神の子どもとは、この世の悪に染まらず、負けないで、神の清めと力を受けて生きる人間ということである。
キリスト教とは、弱いものへの福音に他ならない。新約聖書の最初にある有名なキリストの教えはそれを示している。

ああ、幸いだ、心の貧しい者たちは!
天の国は彼らのものである。
ああ、幸いだ、悲しむ者たちは!
彼らは(神によって)慰められるからである。

心に何も誇るもの、頼るものもなくなった状態、それを「心の貧しい者」と言われている。それは自分の弱さを深く自覚した心である。そうした心をもって、そこから神に求めるとき、神は天の国という最もよいものを与えて下さる。天の国とは神の支配のうちにあるあらゆるよきものを指している。愛や真実、力、清さなどなどをすべて含んでいる。
また、自分の愛するものを失い、あるいは信頼していた者から背かれ、また老年になってすべてを失っていくことへの悲しみ、病気や事故によって働くことも、かつての元気な生活も二度とできない状態になっていく悲しみ、自分の罪によって他者を苦しめ、悲しみをあたえてきたこと、そうした二度ともとに戻せないことへの深い悲しみなどなど、この世界では生きるかぎりそれぞれの人がそれぞれの悲しみをもっている。
そうした悲しみもまた、人間の弱さから生まれるものであって、キリストはまさにその弱さから、神の国へと通じていることを、この有名な教え(山上の垂訓)で語っているといえよう。
パウロのような、キリストの最大の弟子もその弱さを深く知っていたし、弱さからくる痛みを日々実感していた人であった。


わたしの身に一つのとげが与えられた。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願った。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われた。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足している。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからである。(Ⅱコリント十二章より)

この弱さのなかにこそ、神の力が与えられるということ、それは旧約聖書にもたくさん書かれているが、詩編にはそれが具体的にどんなに苦しみ、弱さに打ち倒されそうになっているか、そのなかからいかに神に向かって祈り、叫んだかが多くの箇所で示されている。
そうした人間のさまざまな意味の弱さからくる悲しみ、それは自分自身にもあり、他人や、社会全体にもその弱さがいたるところにある。その悲しみはキリストによって確かにいやされ、また最終的にはこの世界の悲しみもいやされると聖書は約束している。この約束からくる希望はどれほど多くの人を力付けてきたことだろう。
私は、草花にどうしてあのような美しい花、しかもきわめて変化に富んだ花を咲かせるのかと不思議に思われることがしばしばある。柔らかな草花、それは足で踏んだだけでも倒れてしまい、花も失われてしまう。そのような弱くはかないものなのに、見事な花をつけている。これは弱さのただなかにも、神の持っている美しさを持つようにと創造された神のお心ではないかと思われる。
聖書の最後の黙示録の終わりの部分で、そうした弱さとそれと不可分に結びついている悲しみが最終的にいやされるということが記されているのも、神は私たち人間の悲しみを深く知っておられ、それの最終的な解決を示そうとされているのである。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(黙示録二十一・34より)

 


st07_m2.gifすべては過ぎ去る中で

古い中国の詩につぎのようなものがある。原文は一般にはもはや使われていない漢字が多いので、現在のわかりやすい日本語にしたものをあげる。

玉華宮 杜甫
*

谷はめぐって流れ、松風は吹きわたる。
老いた鼠は人に驚いて古い瓦のかげにかくれる。
ここは、何という王の宮殿だったのか。
絶壁の下に、荒れ果てた建物が崩れかかって残っている。
暗い部屋に鬼火が青く燃え、
こわれた石だたみの道には、水が浅瀬になって、
悲しく、むせび泣くような音を立てて流れている。
松風の音、水のせせらぎがが笛の音のごとくに響く。
あたりは一面に清くさわやかな秋の色だ。
その昔、ここに仕えた美人たちも、みなすでに黄土と化した。
当時のものを残すのは、ただ石で刻んだ馬があるばかり。
旅の道すがらここに立ち寄り、今昔の感に堪えず、
さまざまの憂いが胸に満つ。
草をしいて座し、声高く歌をうたえば、涙は手にあふれるばかり。
ああ、思えば、しばし、とどまる時もなく、歩み続ける人の世の旅路にあって、
誰が一体永き命を保ち得ようか。
わが命も、世のすがたも、すべては滅び去るものではないか。(「唐詩選」新釈漢文体系 明治書院版)

*)杜甫(712年~770年)は、中国、唐代盛期の詩人。杜甫自身の語るところによれば、すでに少年にして千余編の詩を有していたという。中国最高の詩人としては「詩聖」と言われ、李白(りはく)と並称されては「李杜」と呼ばれる。一貫してその詩を成立させるものは、人間に対する大きな誠実である。人間は人間に対して誠実でなければならないとする中国文学の精神は、この詩人の詩のなかにもっとも活発に働いているということができる。(「日本大百科全書」より)

この詩には、深い悲しみが漂っている。それは、すべてが流れ動いていくことへの悲しみである。杜甫の詩は著者の説明にあるように誠実ということであったとされるが、誠実であるからこそ、この詩には深い悲しみと憂いが込められている。人間というこの深い意味を持つ存在がかくもすみやかに、跡形もなく消えていくのに、いのちを持たない石の像が長く残り、松風や谷川の流れの音が響き続ける。これはどうしたことか。なぜこのように人間は消えていくのか。かつては生き生きした心を持ち、戦い、愛し、そして心動かしてその感動を分かち合った者同士、それらすべてはとどまることなく流れ去っていく。
周囲の自然の清さと美しさがいかに心を動かそうとも、こうしたはかなさのゆえに哀しみが深くなるのみ、という気持ちが伝わってくる。中国の最高の詩人と言われるほどであるから、深い直感によって事物の本質をみつめることができたと思われる。しかし、そうした大詩人であっても、流れ動く万物の背後にある存在には達することができなかったのを、この詩はあざやかに示している。
人間の直感がいかに深く、鋭くとも、それが深ければ深いほどますますこのような哀しみに満ちた見方となっていく。
ここに、なぜ聖書の示す真理が「啓示」であると言われるのがわかる。神によって、「啓(ひら)かれ、示される」のでなければ、この世はすべて消えていくという実感で終わるほかはない。
こうした人間の現実に対して、聖書では一貫して過ぎ去ることのない存在を指し示している。すでに旧約聖書の古い時代に、モーセに現れた神は、神の名(本質)は何かとの問いに答えて、「在りて在るもの」、すなわち、「存在」こそ神の本質であると記されている。神とは永遠の存在であり、神のみがこの万物が流れ動いていくなかで変わることなく在り続けるのである。
そしてその神がすべての人間のために「永遠のいのち」を与えようとして、送られたのが、イエス・キリストであった。そして永遠の命とは、単に長い命というのでなく、それは真実と慈しみに満ちた神のいのちそのものなのである。
ヨハネ福音書の最後の部分で、「これが書かれたのは、あなた方が、イエスが神の子であると信じるためであり、信じて永遠の命を受けるためである。」(ヨハネ二十・31と記されているのは、この中国の大詩人が書いているような癒しがたい悲しみを克服し、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(黙示録二十一・4ためなのであった。
そして、神と同質であるキリストも永遠であり、そのキリストの言葉もとこしえに続く。
「天地は過ぎ去る。しかし私の言葉は決して滅びない。」(マタイ福音書二十四・35
これらの聖書の言葉こそ、この杜甫の詩で表されている悲しみに最終的に答えるものなのである。

 


st07_m2.gif信仰とは何か(旧約聖書の信仰)

聖書全体が信仰とは何かを語っている書物であり、それが実に多様な内容をもっているからこそ、聖書は小さな字でぎっしりと印刷されても、二千ページにもなる。そのどこをとっても、信仰のある側面が記されているといっても過言ではない。そのような豊富な内容からここでは一部を取り出して見たい。

聖書の最初の書物は、創世記である。ここには、信仰がいかなるものか、とくに一部の個人の生き方をたどることによって明らかにされている。
他方では信仰の道がいかに誤りやすいかも示している。聖書の最初の書物がそのような、信仰の道からそれていくことの危険さをまず書いてあることに、気付かされる。

アダムと信仰ということは、ほとんど言われることがない。アダムといえば、人類最初の人間、罪を犯して禁じられた木の実を食べて、エデンの園から追い出されたことしか印象にないという人も多い。
しかし、アダムは神から直接に創造されたのであり、神のことは信仰というより、何よりも身近な存在であった。神は、人間が語るように親しく、アダムに語りかけている。「エデンの園の他のすべての木から取って食べてよい。しかし、中央の木の実は決して食べてはならない。必ず死ぬのだから」と言われたり、神が女であるエバを創造してアダムのところに連れてきたとも書かれている。こうした密接な関係があったのに、それでもなお、アダムは、神に従い続けることができなかった。
 ここに、信仰をもって生活することにおいて、いかに正しい道を歩き続けることが困難であるかがはっきりと示されている。聖書の最初にこのように、信仰の困難が記されていることは、驚くべきこととは言えない。それ以後のイスラエルの民の歴史がまさにそうであったからである。
 アダムについで、聖書を読むものに印象的であるのは、神とともに歩んで、神がとられていなくなったというエノクの記事である。信仰によってこのように、死が克服されるということがこのエノクの記事で暗示されている。
 ノアについては、その「はこ舟」のことでとてもよく知られている。周りの人がすべて、神の裁きなどないと思い込み、間違った生活にはまり込んでいた。そのただなかで、ノアは主の前に恵みを得ることができた。そして神とともに歩み、神への信仰をもって生きた。そこから全地への滅びから逃れることになった。
 神とともに歩むとは、信仰の姿をよく表している。単に信じているということでなく、日々の生活のなかで、いつも神の言葉を聞き、神の示しを受けて生きることである。
 そのようなノアであったからこそ、大洪水で一年もの長い間、「はこ舟」にて漂流していたが、その後ようやく水が引き始め、ついに陸地が現れ、ノアたちが陸地に降り立ったとき、最初になしたことは、主のために感謝しての礼拝であった。 しかし、そのようなノアであったが、生活が安定してきたときには、ぶどう酒に酔って裸で寝ていたところを子供に目撃されるとか晩年になって信仰にゆるみが生じてきたことが記されている。
 こうした信仰の生活が途中で揺らぐことがあるのは、ノアよりずっと後の人間であるが、ダビデにおいてとくにはっきりと示されている。子供のときから神を信じ、武力や詩作、音楽などいろいろの方面に恵まれていたダビデは、さまざまの困難に出会ってもつねに神への信仰を中心として生きてきた。自分が仕えていたサウル王に対しても、王がどんなに理不尽な攻撃をしてきても、なお、正しく信仰の道からはずれることはなかった。しかし、生活が安定してきたとき、重い罪を犯すことになった。それは取り返しのつかない大きい問題を生んだ。 
旧約聖書において、決定的に信仰の重要性を示したのが、アブラハムである。アブラハム以前の、アダム、エノクやノアの場合と同様に、信仰は彼らが求めたというより、神から与えられている。

アブラハムの信仰
アブラハムは人生のある時に、神からの呼びかけを受けて出発した。アブラハムにおいて、とくにはっきりと現れているのは、信仰とは、神に導かれる生活だということである。信仰を持っているというと、しばしば、ある信仰箇条を信じているという意味にとられる。復活を信じるとか、万能の神の存在とかである。しかし、ノア、エノクやアブラハムにとって、信仰とは、生きて働く神とともに日々を示されて生きることであった。
 ハランからカナンまでは直線距離でも、五百キロもある遠いところである。しかも全くアブラハムにとって未知のところであった。しかし、アブラハムにとっては、信仰とは従うこと、未知の世界へと神の導きを信じて歩むことであった。

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。(創世記十二・1-4

こうして神に従っていったアブラハムではあったが、子供が与えられなかった。もうアブラハム夫妻は子供のことをあきらめていた。しかし、あるとき、神が現れて子供が与えられること、そしてさらに夜空の星のように、増え広がることが言われた。こうした神の約束の言葉をすぐにはほとんどだれも信じられないだろう。しかし、アブラハムはそうした信じがたい言葉を信じた。神の全能と導き、そしてアブラハムへの愛を信じた。そのような神の御計画を信じるという、ただそれだけで、神はアブラハムを義とされたとある。このような言葉は聖書においてはここで初めて現れる。

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。」…
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみよ。あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記十五・16より)

 アブラハムは初めからこのように神のことをすぐに信じるものであったのではない。この箇所の直前には、神が現れて、アブラハムの受ける恵みが非常に大きいと言われたが、彼はそれをすぐには信じることができなかった。しかし、神がアブラハムをテントの外に連れ出して、夜空の星を見させて神の大いなる祝福を告げたとき、アブラハムはその神の祝福の言葉を信じた。それが、神によって、義と認められたという。
義とされるとはどういうことなのか、これには、少しも説明がない。またこの「義とされる」という表現は、旧約聖書の膨大な内容にもかかわらず,他では現れない。旧約聖書の言葉の海のなかに、一つだけ浮かんだ木の葉のように感じるものであるにもかかわらず、この一言が新約聖書では実に重要な意味を持つようになる。
 ちょうど、「自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という戒めは、レビ記十九章十八節に現れるのみで、分厚い旧約聖書の他の箇所には出てこない。これもそこだけに一言出てくる言葉であるが、主イエスはそれを、神を愛することと並んで、最も重要な戒めと位置づけられた。
 使徒パウロはこの創世記にある一言のなかに、キリストの福音の核心が込められているのを、啓示によって悟ったのである。それが彼の書いたローマの信徒への手紙の四章に詳しく記されている。
 アブラハムの以後、ずっと後にモーセが現れ、神からの直接の言葉を受け取った。それが十戒であり、そこからじつに多数の戒めが付け加えられた。それが、旧約聖書の申命記、レビ記、民数記などに詳しく記されている。
 こうした戒めによって、旧約聖書では戒めを守ることが救いになるとの考え方が当然になっていった。そしてこの「信仰によって義とされる」という真理は、いわば、地下水が大地の表面から深いところで流れているように、旧約聖書の表面から隠れたところで、保たれていたのである。
 それが、キリストによって導かれた使徒パウロによって、取り出されたのである。
 このように、旧約聖書のうち、創世記では、とくにアブラハムの詳しい記述によって、信仰とは動的なものであり、導かれていくものであるということが最初から記されている。神は私たちが神を信じてじっととどまっていることでなく、神が示す新しい場へと導こうとされる。同じところに止まっていない、たえず前進していく姿勢がある。信仰のない人にあっても、そうした前進を心がけている人も多いだろう。しかし、信仰との違いは、必ず目的地に着くことができるということである。信仰なければ、途中に生じるさまざまの妨げによって最終的には、その前進は阻まれてしまう。いかに目的に近づいたといっても、最後は死によってすべては失われてしまう。
しかし、現代の私たちの信仰は、死を超えた神の国への前進であって、私たちの方で信じることを捨てないかぎり、必ず神の国へと導かれる。
こうした動的な信仰のあり方が示されているとともに、アブラハムにおいては、信仰によって義とされること、すなわち罪赦されて神の子どもとしていただける道がすでに暗示されている。このことは、神によって導かれるための出発点にあることであり、信仰に生きるための原点なのである。信仰によって義とされるという真理の重要性は、キリストによって光が与えられ、使徒パウロがそれを前面に出してくるまで、いわば地下水のように気づかれないところで流れ続けていたといえる。

 詩編における信仰

 創世記における信仰が、動的であり、導かれて未知のところへと歩んでいく姿が示されているのに対して、詩編における信仰は、応答して下さる神が強調されている。詩編の作者の信仰とは、苦しみのとき、敵に追い詰められ、あるいは病気の痛みにさいなまれるとき、神にむかって叫び、神への助けを懇願するときに神が応えて下さったという実際の経験が根底に流れている。それは詩編の随所で見られるが一つふたつ例をあげてみる。
 詩編十三編を見ると、いつまでこの苦しみは続くのか、悲しみはいつ終わるのかという激しい叫びがある。死ぬかと思われるほどの苦しみがこの詩の作者の経験としてあった。しかし、そこから最後には、答えが与えられたという全身にしみわたる幸いがこの詩の内容となっている。
 
いつまで、主よ
わたしを忘れておられるのか。
いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い
日々の嘆きが心を去らないのか。
いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え
わたしの目に光を与えてください
死の眠りに就くことのないように
敵が勝ったと思うことのないように
わたしを苦しめる者が
動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。

あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います
「主はわたしに報いてくださった」と。(詩編十三編より)


詩編十八編もそうした内容である。

死の波が私を囲み
滅びの大水がわたしを襲った。
陰府の縄がめぐり
死のわなが私を襲う。

苦難の中から私は主を呼び求め
わたしの神に向かって叫ぶ。
神はその宮よりわが声を聞き、
叫びは、御耳に届く。
… 主は高きより御手を伸ばしてわたしをとらえ
大水の中から引き上げてくださる。
敵は力があり
わたしを憎む者は勝ち誇っているが
なお、主はわたしを救い出される。
彼らが攻め寄せる災いの日
主はわたしの支えとなり
わたしを広い所に導き出し、助けとなり
喜び迎えてくださる。(詩編十八・520より)

いずれの詩も、悪に追い詰められ、その苦しみと危険はただならぬものがあった。ただ必死に叫び、神の力にすがる他はない状態だというのがうかがえる。死の波、大水が私を襲い、死の縄が、私を襲うという表現には、もう死が間近に迫っているという緊迫した状態を感じさせるものがある。こうしたぎりぎりのところから、この詩の作者は神に叫ぶ。その必死の祈りと叫びに神は答えて下さる。いかなる人間も助けを与えてはくれないような状況にあって、ただ神のみが変わらぬ助けと力を与えて下さるのを信じて呼び求めたのであった。こうした祈りや叫びには神は必ず答えて下さる。その確信が信仰なのである。信仰とは、なにもないときに、神を信じていますと、いうだけのものでなく、人生の最大の危機、それは病気や人間関係であったり、老年の危機であったり、また戦争など社会問題と関わっていることもある。しかし、どのような状況にあっても、必ず求めるものに答えて下さるというのが、こうした詩編の私たちへのメッセージなのである。
 このように、応答して下さる神ということは、詩編によってとくにはっきりとわかる。
しかし、この世の現実は、どんなにしても神からの応答がないと感じられ、恐ろしい苦しみにあえぐこともしばしばある。そうした沈黙している神を前にして、もう信じていくことができないほどの苦しみに直面することがある。そうした信仰の危機は、詩編にも多く見られる。「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」に始まる詩編二十二編はその代表的なものの一つであり、そうした信仰の危機的状況を一つの長い詩に表したのが、ヨブ記である。
 こうした信仰の危機においても、神は最終的には顧みて下さり、救いへと導かれることがヨブ記の内容となっている。
 しかし、迫害の時代には実際に望むような助けも与えられないようなことが生じる。
そのようなときでも、信仰に踏みとどまるという強固な信仰も記されているのが、ダニエル書である。この書物では、迫害における個人の信仰とはどのような内容でありうるかを次のような言葉で記している。それは、バビロンの王が、金で造った偶像を拝めとの命令を出した。しかし、三人の神を信じる者たちは、つぎのように答えた。

シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。
わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。
そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル書三・1618

 このように、いかなることがあっても、信仰を捨てないという毅然たる姿勢が表明された。実際、これはローマ帝国や日本の江戸時代の厳しい迫害、あるいは、世界の多くの地方でも初めてキリスト教が入っていったときにはこうした迫害がつねにあった。そのとき神に立てられたキリスト者たちは、このように命をかけて神を信じてその信仰を貫いた。それは人間の意志や努力ではなく、神がそのような人を起こされ、特別に力を与え、導かれたのである。
 ダニエル書には、こうした極限状況における信仰が記されているだけでなく、そうした神の真理を迫害し、その真理につく者たちを滅ぼそうとする悪の力、その悪の力によってたてられた国家や社会がいかに動いていくか、それらは個人の信仰などと関わりなく偶然によって、悪意や武力によって動いているように見える。しかし、そうした個人を超えた大きな世界的な動きすらも、実は背後に神の大きい御手があり、御計画がある。そして最終的には、神のいっさいの力を与えられた人の子のような存在が現れて、支配するということが暗示されている。
 このように、ダニエル書では信仰ということが、単に個人の平安とか救いにとどまらず、全世界を支配し、歴史を導いていく神への信仰が記されている。そしてそのことは、主イエスによってさらに完全なかたちを与えられることになる。
以上のように、旧約聖書における信仰は、神によって導かれていく信仰であり、それは未知の世界へとどこまでも導かれていく信仰だといえる。そうした導かれていく過程で、さまざまの苦難や悲しみに出会う。そうした苦しみのときに、必ず応答して下さるという信仰もとくに詩編において繰り返し記されている。そしてさらに自分や自分の国だけでなく、世界全体が大いなる御手によって導かれているのだという信仰へとつながっていく。

 


st07_m2.gif戦争の悪

八月は多くの人が太平洋戦争の敗戦のこと、そしてあの戦争全体のことを思い出す月となっている。そして広島、長崎に原爆が落とされ、何十万という人の命が失われ、傷つき、命が助かった人たちも長い間放射線のための病に苦しむ人を生み出した。ガン治療のために、放射線を体のごく一部に照射しても後遺症で苦しまねばならない状態になる人もいる。そうしたことから考えても、全身に多量の放射線を浴びた人たちが、その後どれほどの苦しみにさいなまれていったか、私たちの想像をはるかに超えるものがある。
一瞬にして十万、二十万もの人の命を奪い、後々までも、多大の苦しみの後に死んでいく人たちのことを知らされるにつけても、核兵器の恐ろしさを思い知らされる。
このような惨状を与えた、アメリカが非難されるべきなのは当然である。しかし、およそ戦争という大量殺人や破壊行為は、どちらかだけが正しくて、他方が悪いということは単純にはいえない。それぞれが相手の命を奪い、傷つけあっていくゆえに、双方が殺人という重い罪を犯していくのが戦争である。
私たちはなぜあのような悲劇が生じたのか、どのようないきさつと状況があったのか、少しでも正しい認識を持つために、いつも歴史のなかで考えていくことが必要である。
あの悲劇はアメリカが何もしていない日本にいきなり落としたのではない。まず、日本がアメリカやイギリスに対して戦争を始め、真珠湾に奇襲攻撃を与えて、多大の命を奪い、損害を与えたことへの報復の結果であった。
さらにさかのぼると、そのような戦争への道は、日本が一九三一年に、中国に対して戦争をしかけたことに出発点があった。これは満州の奉天近くで満鉄線の線路が爆破されたことからであるが、その爆破は軍部が計画的に行ったことであり、それを中国が攻撃してきたと偽って、戦争へとつきすすんでいくことになったのである。このように、中国にも、アメリカに対してもまず、日本が戦争をしかけたのであった。
 終戦の五カ月ほどまえ、一九四五年三月十日には東京大空襲が行われ,三〇〇機の B29が東京に爆弾を投下し、強風で燃え広がって、死者は約10万人に達した。その後もわずか十日ほどの間に、大阪、神戸、また名古屋が焼夷弾で焼き払われた。さらに五百機ものB29が大都市を爆撃し、京浜、中京、阪神の都市を焼き尽くした。六月中旬からは地方都市への夜間焼夷弾爆撃が始まり、つぎつぎと焼き払われていった。
 沖縄での地上戦では、一九四五年四月からのわずか三カ月ほどで、沖縄の人々は十万人もの死者を出し、日本軍人も十一万人もが戦死した。それほどに攻撃はすさまじいものであった。アメリカ軍は約千五百隻の艦船と、延べ54万八千人もの兵をもって攻撃をしたのである。
 こうした大軍が、沖縄戦のあと、空襲とともに九州や四国、そして全国に襲いかかるなら、各地で無数の死者や傷ついた人で埋まっていっただろう。
 原爆が落とされる少し前、七月二六日に出されたポツダム宣言は,日本が非軍事化と民主化を二本の柱とする対日処理方針を受け入れて、即時無条件降伏することを求めていた。これに対し日本では,その二日後に鈴木首相が軍部の圧力に屈してポツダム宣言を黙殺して「断固、戦争を完遂することに邁進する」と発表した。これはポツダム宣言を拒否したことであり、その後わずか十日もたたない八月六日、広島に原爆が落とされたのであった。それはポツダム宣言が言っていた、「日本が無条件降伏しないかぎり、日本は、迅速かつ完全な壊滅があるのみ」ということの驚くべきはやい結果であった。
そして当時のアメリカのトルーマン大統領は「もし、日本がポツダム宣言を受け入れないなら、日本国内のどんな都市も、その機能を破壊し、戦争能力を根こそぎ抹殺する準備を整えている。」と言明していた。こうした、状況から、日本の指導者たちは、予想していたよりはるかに早く現実に「完全な壊滅」が行われることを目の当たりにしてようやく、本気で降伏を受け入れようとし始めたのである。
そして数日後、さらに長崎への原爆、ソ連の参戦という決定的なことが生じた。
しかし、それでもなお、陸軍大臣は「一億マクラを並べて倒れても、大義に生くべきなり」として徹底抗戦を主張し、参謀総長、軍司令部総長なども同調していたのであった。
このように、広島や長崎への原爆投下がなく、一般的な空襲などの攻撃では、日本はまだまだ戦争を継続していただろうし、ポツダム宣言のいうように、日本全土が壊滅的打撃を受け、数知れない人たちが死んでいっただろう。その意味では、原爆投下によって生じた数十万の人たちの死や言語に絶する苦しみは、ほかの地域の人たちのいわば身代わりとなったのであった。
いずれにしても、政府の指導者、軍人、そして最終的な決定者である天皇の判断の間違いゆえに、日本にはおびただしい人が犠牲になる道しか残っていなかったのである。
ポツダム宣言が出されたとき、ただちに受け入れていたら、広島の原爆はなかった。天皇がもっと半年ほど早く戦争を終わらせることに全力を尽くしていたら、やはり広島、長崎、沖縄、東京大空襲、そしてその後の全国の空襲もなかったのである。
さらに、そうした戦争自体を始めなかったらやはり、広島や長崎どころか、中国やアジアの人々、そして米英の兵隊たちなど、すべて合わせて数千万にものぼる人々の悲劇もなかった。
ヨーロッパにおける第二次世界大戦も、一九三九年九月、まずドイツがポーランドに戦争をしかけたことから始まった。そしてヨーロッパ全体にわたって、無数の人々の命が奪われ、さまざまのものが破壊された。そして攻撃を始めたドイツの降伏で終わった。ドイツが戦争をしかけてなかったらそうした一切は生じていなかったのである。
ベトナム戦争は一九六〇年頃からアメリカが始めたもので、十数年のはげしい戦争の結果、アメリカが敗北し、戦争の誤りはアメリカも公式に認めるようになった。戦争の犠牲者はアメリカとベトナム双方で、およそ、一二〇万人、負傷者は二〇〇万人以上といわれ、使用した弾薬や爆弾は第二次世界大戦をはるかに超えたという。
アメリカ軍はベトナム戦争においてゲリラの隠れ家と食糧源を破壊する目的で枯葉作戦を実施し、大量の除草剤(枯葉剤と呼ばれた)を散布した。このため熱帯の密林に長期間の生態系破壊をもたらしたほか,ダイオキシンと呼ばれる化学物質による強力な発癌性,胎児への催奇性などが,多くの住民に対して、また散布に参加した米兵にも悲惨な災害を与えていった。
これも結局は、戦争をはじめたアメリカがこうした甚大な被害を生み出したのであった。
戦争ということは、まずどちらかの国がしかけると、攻撃をうけたほうは反撃する、そこで双方のおびただしい人が死んでいく。政府の指導者や軍部は人間が大量に死んでいくことであるから、国民の非難を避けようと、一度始めたら何とか勝利をえようとして簡単には止めようとしない。
その意味で、まず戦争を決して始めないことが根本的に重要になる。
現在の平和憲法はそのような深い反省から、まず戦争を絶対に始めないという精神が根底にある。このような歴史の無数の悲劇を教訓として作られたものを、変えてしまおうというのは、そうした無数の人々の命や苦しみから与えられた教訓を捨てようとすることであり、聖書に記されている究極的な真理(*)に反することである。

*)・あなた方が聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ福音書五・44
・ …こうして彼らはその剣を打ちかえて、鋤(すき)とし、その槍を打ちかえて、鎌とし、国は国にむかって、剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書二・4


一度戦争をはじめてしまうと、双方は愛する家族や友人が殺されたということで、憎しみが増幅されていく。もともと全く憎しみなどもっていなかった、遠い未知の人たちを憎み、殺すことを願うようになる。それは大きな罪である。何も知らない人、本来何ら敵意ももっていなかった人を無差別に殺すようなことは深い罪であり、戦争はそうしたことをどこまでも追求するものである。
現在もアメリカがイラクにまず、戦争をしかけたことから、新たな難問が生じている。
だからこそ、戦争を始めてはならないのであって、そのために、戦争の深い傷をうけ、また他国にも与えた日本が平和をあくまで守り、武力をもって活動しない方針を守ることが重要なのである。こうした考え方が、戦後五〇年を過ぎたころから次第に軽視されるようになりつつある。
しかし、時代や社会的状況に関わらない永遠的真理は、いつの時代にも少数の者が守り、主張していくのである。

 


st07_m2.gifことば

161)向こうのくぐり門が見えますか。あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。(「天路歴程」新教出版社版 42頁 バニヤン著)

・聖書以外では最もよく読まれた本の一つとされるのがこの書物で、それは数々の苦しみを経て、目的地なる神の国に導かれていく歩みを記したもの。その出発点に書かれているのがこの言葉である。信仰を持つとは、ここで言われているように、彼方へ続く道とその方向に輝く一点の光を見つめて生きていこうとすることである。

162)信仰は冒険である。富や名誉を得るための冒険ではない。理想を行うための冒険である。良心に響く神の声に従おうとする冒険である。(「聖書之研究一九二七年七月」内村鑑三著)

・冒険とは、未知のところ、何らかの確実でないところに向かって踏み出すことである。そこにおのずから信仰が必要となってくる。周囲の人の歩むままに流されていく歩みには冒険はなく、信仰は力なきものとなるであろう。

162)私の生涯で、最も助けとなったことは、朝目覚めるごとに、まず最初に、魂で神を仰ぎ見なさい、と訓練学校で教え込まれたことです。(これは、ナイチンゲールが、直接ある訓練学校で学ぶ人から聞いたとして引用している言葉。「ナイチンゲール書簡集」現代社 8頁)

 


st07_m2.gif舟だより

○近畿地区無教会集会
八月九日(土)~十日(日)の二日間、京都桂坂にて、大阪狭山聖書集会が中心となってお世話くださり、近畿地区無教会・キリスト教集会がありました。ちょうど台風の四国地方への上陸と重なり、愛媛県の南部や松山、徳島などの参加者は、フェリーがとまって、JRに変更して長い時間をかけての参加となったり、高速バスが出ないので、三時間ほどもバスを待つことになったり、いろいろの妨げがありましが、全員参加できました。ほかに、近畿外では東京や鳥取からの参加者もあり、五十五名ほどの集まりでした。講師としては東京から日永 康氏が、内村鑑三についての講演、私(吉村(孝))は、旧約聖書の信仰、新約聖書の信仰について聖書講話を担当しました。若い人も参加がだいぶあったので、若者の集まりも設けられ、初めての方、日頃参加したことのない方も参加があり、み言葉の学びや主にある交わりが与えられて、新しいいのちを与えられた思いでした。主はいろいろの主にある集まりを祝して導いて下さることを実感したことです。