20047月 第522号・内容・もくじ

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st07_m2.gif本当の教育

教育ということは、ほとんどの人が経験する。だれでもどこかで、いつかは教育され、また教育する立場となった経験がある。学校教員でなくとも、家庭において、子どもや家族への教育、会社やサークルなどでの教育などなど、教えはぐくむということや、教育を受けるということは随所にある。
教育とは引き出すことだといわれる。
*
生まれつき持っている能力を引き出すという意味である。たしかに音楽や英語、数学などの学びにかかわること、またスポーツや、例えば家を建てたりするなどのさまざまの技術は、引き出すことができる。適切な教師によって助言や働きかけ、訓練によってそれらは見違えるような状態となる。

*)「教育する」という英語 educate とは、ラテン語の e(~から) と、 duco(引く、導く)という語から成っていて、「引き出す」という意味を持っている。

しかし、神が持っておられるような愛や真実、正義は引き出すことができない。なぜならもともと人間はそういうものをもっていないからである。人間の魂の深いところから、引き出してくれば、それは自分中心という醜いものが出てくるだけであろう。だから、いくら成績がよくなっても、また何かの技術やスポーツなどができるようになっても、それらができればできるほど、それを自慢に思ったり、できない者を見下したりする、傲慢さや高ぶりが伴うことが多い。
人間から引き出すことができる愛は、自然のままの人間的なものであり、どこまでいってもやはりどこかで自分というものと結びついている。自分が心惹かれるものを愛する、自分によくしてくれるものを愛する、自分への何らかのお返しを期待するような愛というようなものでしかない。
神の愛、それは上から与えられねばならない。次ぎの聖句にあるように、すべてよいものは上から下ってくる。

あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。(ヤコブの手紙一・17

そういう意味では、真の教育は人間にはできないのであって、神によって、キリストによって直接的によきものを与えられ、導かれ、造られていくしかないのである。
それが、主イエスがあのぶどうの木のたとえで語った意味でもある。

わたしにつながっていなさい。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネ福音書十五・45より)

単に知識や技術、考え方などを身につけるにとどまらず、人間の一番深いところがよくなっていく(実を結ぶ)ことは、人間は自分でもそれができないし、当然それは他人にもできないことである。それはただ、神に、キリストに結びついて始めて可能となっていく。

 


st07_m2.gif神の御手

私たちのこの世界には、思いがけないこと、また不幸としか言いようのない出来事も生じる。病気とか突然の事故、戦争、自然災害などなど。そのような時に、神がいるのならどうしてそんなことが起きるのか、そんなことが生じるから神など信じないという人たちもたくさんいる。
しかし、この世に生きて働く神を信じること、その神が愛の神、真実の神であり、天地をも創造され、造り変えることのできる神であると信じることは、まったく別のところからくる。
人は不幸なことが生じなかったら、自然にそのような神を信じるようになるだろうか。
そんなことは決してない。健康で、生活にも何不自由なこともなく、家庭もみんなが元気に生活している、だからといってスムーズに神を信じるようになったりはしない。かえって、そのような苦しみも悲しみもない生活では、いっそう自分中心になっていくことも多い。
神が生きて働いておられる、ということがわかるようになるのは、そうした外部のことによってではない。
実際、遠い昔、モーセがエジプトから奴隷となっている同胞を救い出そうとしたとき、神の力が与えられて、モーセはエジプト王の前で数々の奇跡を行なって、同胞を解放するようにと迫った。しかし、どんなに奇跡を見ても、王は神を信じることはしなかったし、逆に心をかたくなにしたと記されている。
また二千年前にもキリストが数々の奇跡をされたが、だからといって民衆はそれらの奇跡を見て、キリストを信じたり、神への信仰が深まったということもほとんどなかった。弟子たちも三年間そうした数々の奇跡を目の当たりにしていたのに、自分たちの地位を求めたりキリストが十字架で死ぬと言われてもその意味も理解できなかった。民衆もイエスが十字架にかけられることを望んだのであった。
それなら何によってキリスト教の真理が信じられ、父なる神のこと、愛の神のことが信じられるようになったのか、それは時代がよくなったからとか、自然災害が起こらなくなったからとかでもない。
それは、神が直接に一人一人の魂に働きかけたからである。言い換えると神の聖なる霊が働きかけたからである。神の御手は万能であり、いかなる周囲の状況にもかかわらず神を深く信じる魂を創造しうる。聖なる霊は風のごとく、思いのままに吹く、と言われている。まさにその通りであって、神が直接にその見えざる御手を伸べるとき、いかなる状況にある人でも神を信じ、神の愛に感じるようになる。
使徒パウロもキリスト教徒を迫害するリーダー的存在であったのに、神の御手が働き、その光が臨んだときに、たちまち変えられたのであった。
自然の中にも神の御手の働きが随所にみられる。というより、自然はすべて見る目をもってすればすべてが主の御手の働きだと言える。人間の世界では、しばしば神の御手の働きがわかりにくいし、はじめに触れたように、全くそんなものはないと思う人も多い。そのかわりに神は、だれでもが人間を超えた驚くべき御手によって造られたのではないかと、感じるような被造物(自然)を至るところに置いて下さっている。
旧約聖書の詩人もそうした自然のなかに、大いなる神の御手を深く感じていた。

天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。(詩編十九・2

日々に異なる大空のありさま、青い空のさまざまの色調、また白い雲も刻々とその形を変え、色合いも変わっていく。朝夕にはその茜色の空や雲などとともに雄大な光景を現してくれる。
夜になれば、目に見えるものとして最も崇高な星の群れが広がる。
こうした自然の無限の多様性をたたえた姿において、私たちは神の御手をつねに感じるように導かれているのである。
私たちの内なる目、霊的な目が開かれるほど、そうした自然の世界だけでなく、人間の世界にも神の御手があり、その御支配がなされており、それは宇宙の創造以来、長い歴史のなかにもその御手は働いてきたのだとわかるようになる。
大いなるは神の御手! いかなる時代にも決して衰えることなきその御手の働きを信じて生きるところに私たちの希望があり、平安がある。

主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。(民数記十一・23

 


st07_m2.gifヨセフの涙

旧約聖書の創世記の後半に現れるヨセフに関する物語は、子どものときから学習雑誌で読んだことを覚えている。そのときは単なる昔の物語としてであって、中学以上になるともう全く思い出すこともなかった。
そしてそのような昔話が現代に生きる私たちに何らかの関係があるなどということも思いもよらなかった。
しかし、聖書の内容が次第にその深い意味を現してくるにつれて、こうした過去に読んだ単なる物語だと思ったものが、現代の私たちにも深い意味を持っていることに気付いてきた。
創世記四十二章以降もヨセフに関する記述が続いているが、その中で、ここではヨセフが涙を流したことが、繰り返し八回ほども記されていることの意味を考えてみたい。
ヨセフの兄弟たちは、かつて弟のヨセフを殺そうとした。そしてそれはいけないという者もいたので、結局通りがかった商人たちに売り渡し、ヨセフはエジプトへ売られていった。
ヨセフは王の宮廷の役人の家で働くことになったが、そこから無実の罪によって捕らえられ、牢獄に入れられた。しかし、そこで神の力を受けて様々の不思議なこと、驚くべきことが起こり、獄中の人間から、エジプトの最高の実力者の地位にまで上がったのであった。しかもヨセフは地位をあげるためのいかなる運動めいたこともしなかった。ただ、不思議な導きによってそうなったのである。
さらに意外なことが続き、かつてヨセフを殺そうとまでした兄弟たちが飢饉のために、エジプトにやってきて穀物を購入しようとした。そのときヨセフは直ちに兄弟たちに自分の身を明かそうとはしなかった。全く素知らぬ顔をして、兄弟たちの心がよくなったかどうか確かめようとしたのである。
そのためにあえて難しい要求を出した。それは父が最も愛している末の子(ベニヤミン)を、父のいるカナンから連れてくるように命じたのである。兄弟たちは驚き、苦しんだ。長い間、かつての自分たちの重い罪をわすれて生きてきたと思われるが、この苦しみに出会って彼らはその罪を思い起こしたのであった。

彼らは、 互いに言った。
「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」
すると、ルベンが答えた。「あのときわたしは、『あの子に悪いことをするな』と言ったではないか。お前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ。」(創世記四二・2022より)

この兄弟たちの言葉を聞いて、ヨセフは彼らに遠ざかって涙を流した。それは何の涙か。兄弟たちが、自分たちの罪に気づき、その罪の重さに目覚めて悔い改めをはじめたのがわかったからである。ヨセフが涙を流したのはそのことのゆえであった。
新約聖書においても、天において最も大いなる喜びがあるのは、罪人が悔い改めたときだと記されている。

罪人がひとりでも悔い改めるなら、(悔い改めを必要ないとして、自分を正しいと思い込んでいる)九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にある。(ルカ福音書十五・7より)

ヨセフが涙を流して深く心を動かされたのは、単なる再会の懐かしさのためではなかった。自分をかつて迫害した兄弟たちのはるか上の立場となって兄弟たちがかつて自分が見た夢のように、自分の周りにひれ伏しているという驚くべき夢の実現の喜びのためでもなかった。ふつうなら、子どものときに見た夢がそのまま、おそらくは二〇年近く経ってから実現したことに驚き、喜ぶかも知れない。
しかし、神に導かれて生きてきたヨセフはそうした人間的な優越感から喜ぶなどという感情は生じることがなく、罪の悔い改めという一点において深い喜びを感じて、思わず人知れず涙を流したのであった。
兄弟たちはエジプトの最大の実力者が自分たちに命じるゆえに、やむなく遠い父親の住んでいる国に帰り、末の子ベニヤミンを連れて再びエジプトに戻ってきた。
そして穀物を購入したのち祖国への帰途についた。そのとき、ヨセフが用いていた高価な銀の杯をだれかが盗んだとの疑いをかけられて兄弟たちは再びエジプトのヨセフのもとに呼び返された。そしてその銀の杯が、ベニヤミンの袋から見つかった。そのために、ベニヤミンは、エジプトで奴隷にならねばならないと宣告された。
こうしたことは、すべてヨセフが兄弟たちの真実さを試みるためになされたことであった。
兄弟たちはかつてヨセフのことで自分たちがはかりごとをして弟のヨセフが死んだと偽って父親に報告し、父ヤコブを深い悲しみに陥れた。今度は最愛のベニヤミンまでも失えば、父ヤコブの悲しみは耐え難いものとなり生きていけなくなるかも知れないと兄弟たちは思った。
そのような窮地に追いつめられて彼らのうちの一人、ユダ(*)は次のように言った。

ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。
この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」(創世記四四・16

*)このユダはヤコブの子どもであり、アブラハムの子孫の一人。イスラエルの十二部族のうちで、このユダ部族だけが残ったので、後にユダヤ人という名称が生れた。創世記では、ユダという名は、「主をほめたたえる」という意味だとされている。ユダというとキリストを裏切ったユダがあまりにも知られていて、一般的にはこの創世記のユダのことはあまり知られていない。

このように、ユダはかつての自分たちの罪を思い知らされ、それを神が明るみに出したのだと知った。
彼は、ほかの兄弟たちに罪を転嫁したり、自分だけでなく兄弟たちとともに悪事を働いたのだとか言い訳をもせず、そこに神の御手の働きを知らされ、神ご自身が罪を明らかにされたのだと悟った。
このように、このヨセフや兄弟たちの記述は決して単なる話しのおもしろさなどを目的として書かれたのではない。新約聖書の時代にも共通して流れている真理である、罪を知ること、そしてその悔い改めの重要性を指し示しているのである。そして本当に自分たちの罪がわかったとき、その罰をも逃げないで甘んじて受けるという姿勢をユダは持っていた。
そしてもし父がヨセフの代わりに特別に愛しているベニヤミンを失ったら、父ヤコブを苦しめて死なせることになる、そのようなことにならないために、ユダは言った。

…何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。
この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」(創世記四四・3234

このように、父を苦しみと悲しみにあわせないために自分が奴隷となって一人エジプトに残されてもよい、そのようにして欲しいと懇願した。自分たちが受けている疑いは根拠のないことだと全力をあげて反論しようともせず、甘んじて、自分が遠い異国で奴隷になるということまで覚悟した背景には、ユダがかつて兄弟たちとともに父を欺いて苦しめたことが念頭にあり、そのようなことを自分の命にかけても繰り返さないという決意であった。
このようなユダの心は、すでに引用したように「神がかつて弟たちにした悪事のことで裁きを受けているのだ」(四二章21)というところから来ていると言えるであろう。
自分が犯した罪の重さを知る度合いが深いほど、私たちが直面する思いがけない苦しみであってもそれは、その罪の罰であり、また、その罪の重さを知らせていっそう正しい道に立ち返らせるための神の導きなのだと受け入れることができる。
ユダの心にはそうした罪の悔い改めがあったからこそ、こうした自らの苦しみをすすんで受けようとまでしたのであった。
ヨセフはそのユダの決意を聞いて、そばに仕えている家臣たちを退かせ、大声で泣いた。ヘブル語原文では、「エジプト人は(それを)聞いた。ファラオ(王)の家(の者たち)は聞いた。」(*)とあり、 ヨセフが声をあげて泣いたことが周囲にいたエジプト人にも聞こえたほどであり、そのことが宮廷全体にも伝わったと強調されている。


*)英訳の一つをあげておく。And he wept so loudly that the Egyptians heard it, and the household of Pharaoh heard it.New Revised Standard Version

ヨセフが、大きな声をあげ涙を流したほどの深い喜び、それは兄弟たちの真の悔い改めを知ったからであり、それがユダの自分を犠牲にしても父を守ろうとしたほどにその悔い改めが疑いないものであることがわかったからである。
そのことは、創世記の最後の部分で、ヨセフの兄弟たちが、父ヤコブが亡くなった後で、さらにその悔い改めの心を現したときの描写でも表されている。
兄弟たちはもしかしてヨセフがまだ自分たちがかつて犯したヨセフへの罪を赦さず、仕返しを受けるのでないかと案じた。

…そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。
『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」
これを聞いて、ヨセフは涙を流した。(創世記五〇・1517より)

ヨセフの涙、創世記では繰り返しそのことが記されている。
*
それは八回にも及んでいる。このような記述のなかに、創世記を書いた人が特別にヨセフの涙について動かされたのがうかがえるし、それは書いた人の背後におられる神のお心を映し出しているものだといえよう。


*)最初は二〇年ほども経って、かつて自分を殺そうとし外国人に売り渡した兄弟たちが、自分たちの罪に気付き、いまの苦しみはその罰だと気付いた時(四二・24)、ついで、まだ自分のことを明かしてはなかったときに弟ベニヤミンを初めて見たとき(四三・30)、それから兄弟たちに自分のことを明かしたとき(四五・2)、そして初めて兄弟としてベニヤミンを抱いたとき(四五・14)、兄弟たちをも抱いたとき(四五・15)、さらに長い歳月を経て、父ヤコブと再会したとき(四六・29)、さらにその後父の死去のとき(五〇・1)、そして最後に、さきほど引用した兄弟たちが赦しを乞う願いを聞いたときである。

しかもこのヨセフの涙は、どれも喜びの涙であって、孤独のゆえに流す悲しみや悔しさの涙ではない。彼が兄弟たちに憎まれ、殺されそうになってついに外国に売られたときや、無実の罪で牢獄に入れられたとき、そしてようやくそこから出られると希望をもったときにも忘れられてしまったこと…そうした数々のことにおいてもヨセフが涙を流したとは書かれていない。
こうした涙の最初と最後の記述が、いずれも兄弟たちの罪の悔い改めに関することであった。そこに聖書がどのようなところに心の深い感動があるかを示そうとしているのがうかがえる。
ヨセフの涙は喜びの涙であった。それは単に再会したことでなく、かつて自分を売り渡した兄弟たちが、その罪を知りはじめたこと、そして悔い改めへと導かれていく道にあることを知ったことによる。神が最も喜ばれるのは、表面的によいことをしたことでなく、こうした自分の罪を知ることである。人生の本当の喜びはなにか楽しいことをしたとか、自分の目的通りになったとか人々が認めてくれたとか、でなく、自分の罪を知って悔い改め、そこから神につながり、神からの平安を与えられ、神の国の賜物をいただくようになったときである。
それは九十九匹の羊をおいて、一匹の見失われた羊を探し求め、見出して喜ぶ神の愛、悔い改めた一人の罪人に喜ぶ天使たちの心(ルカ十五・10)であり、放蕩息子の父親が、悔い改めて帰って来たその息子のために、最大限に喜ぶ心として聖書では繰り返し記されている。
人間の喜びはしばしば単に飲食とか名誉、称賛を受けること、金や物などが手に入ったときに生じる。
しかし、神の心はどんなことに喜び、深く心動かされるのかが、ヨセフの涙を通して示されている。
罪を知らず、悔い改めと、赦しのないところでは私たちの本当の平安もなく、力も与えられない。このヨセフと兄弟たちとの出会いの場面そのことを表している。
ヨセフが自分もかつて兄弟たちに誇ったりする人間であったのが、苦難によって砕かれて神中心に生きるようになったこと、悔い改めがいかに重要であるかを知らされたがゆえに、そこから兄弟たちをもその悔い改めへと導こうとしていることが書かれていて、ここに神のお心が示されている。

 


st07_m2.gif預言者の孤独

預言者とは、その字のように神の言葉を預かった者、神の言葉を受けた者のことである。神の言葉は黙って受けとるだけのために与えられるのでなく、外部に語るように絶えず仕向ける力を持っている。
預言者エレミヤは、今から二六〇〇年ほど昔の人であるが、そのような古代の人間の心、考え、気持ちが旧約聖書を見るとありありと伝わってくる。
人間が話をするのは、自分が話したいからであり、自分のことを聞いてもらおうと話す場合が多い。
老人になると昔のことを繰り返し同じ言葉であっても長々と話す傾向が強くなる。老人でなくともたまった何かを発散したいかのように、何時間もとりとめもないおしゃべりをする場合もある。
しかし、同じ言葉であっても、預言者の言葉はそのような、自分が話したいから語るといったものとは本質的に違っている。
エレミヤはまだ若いときに、いかなる人間の意見とも、考えとも異なる、真理そのものを語るために、神から特に呼び出されたのであった。そのとき、彼はそのような特別な使命を直ちに受けるということは到底できなかった。それはエレミヤの次の言葉によく表れている。

わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知らないのです。
わたしはただの若者にすぎないのですから。」(エレミヤ書一・6

このように言って神からの使命を辞退しようとした。

しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。
わたしがあなたを、だれのところへ
遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。
彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて
必ず救い出す」と主は言われた。(エレミヤ書一・78

このような厳しい言葉であったが、エレミヤは自分の考えでは到底神の言葉を、当時の社会的な地位がある人、国王や高官たち、宗教家たちに向かって語り、彼らの誤りを直言するということはできなかった。しかし、神からいわば無理に呼び出され、そして神の言葉を与えられ、神によって後押しされて語りはじめたのであった。
そういう意味で、ふつうの人間が自分が話したいから話す、といった人間的な言葉とはまったく異なるのがよくわかる。
これと同様なことは、旧約聖書で最大の人物といえるモーセについても記されている。

今、行きなさい。わたしはあなたをファラオ(エジプト王)のもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」(出エジプト記三・1011

このように、モーセも自分の考えや思いでエジプトで奴隷労働を強制させられている同胞を助け出そうとしたのではなかった。むしろそのようなことは言われても到底できない、考えられないということであった。それで神がモーセに語りかけてエジプトに赴かせようとされるが、モーセは従おうとはしなかった。

それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」(出エジプト記四・10

このように神に反論して、自分にはどうしても行けそうもないこと、人々の前で語ることは全くできないと強く辞退した。
それゆえ、神はモーセに特別な奇跡を行なう力を授けたのである。そしてその奇跡が実際に起こることを眼の前で見せた。しかし、モーセはなお強く辞退した。

主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。
さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」(出エジプト記四・1012

このように、預言ということは自分がしたいからとかしゃべりたいからしゃべるといったのと全く異なるのがわかる。それは場合によっては非常な苦しみや孤独が襲いかかってくるからである。
そのような状況にあっても神のうながしによって強い力が臨み、モーセも最終的には神の力によって導かれ、エジプトから同胞たちを救い出すという仕事に着手することになっていく。
神の言葉はこのように、自然のままの人間には到底語ることができない。
学問的なこと、技術的なことは、自分中心の考えで生きているような人間でも優れた業績をあげることは可能である。自分の名声のために研究をするということもよくある。現にある有名な学者は、競争心がなかったらこのような業績をあげることはできなかったと言ったことがある。
原爆は完成までに数十年もかかると当時の世界的な物理学者が言っていたし、日本の科学者たちも開発をはじめようとしていたが、あまりの技術的困難さから不可能としたほどであったのに、アメリカが巨額の費用を注ぎ込んで、ノーベル賞を受けた科学者を十名ほども含む優秀な研究者を多く集めて開発に前例のないほどのエネルギーを注ぎ込むとわずか数年で完成してしまった。このように学問とか技術なども費用と時間を注ぎ込めば結果はえられる。
しかし、神の言葉を語るということは、そうした金の力や人間的な権力による強制などによっては全くできない。
ただ、自分や周囲の人間を超えた神の力が注ぎ込まれて初めて可能となる。
地上で最も完全な人間として神から送られた主イエスも同様であって、三〇歳になるまではそうした力が与えられていなかったようである。三〇歳になって天からの聖霊が注がれて初めて神の言葉を語る者となった。
パウロも同様であって、彼はキリスト教に心惹かれていたどころか、キリスト教そのものを滅ぼしてしまおうという激しい意図をもって、それに情熱を燃やし迫害をする人たちの急先鋒となっていたのである。
そうした彼の意志とは全く逆の神の意志によって突然、天からの光と復活したキリストの呼びかけによってパウロは神の言葉を宣べ伝える人に変えられた。その後も、パウロは自分の希望とか考えでなく、生きて働くキリストにうながされ、聖霊によって神の言葉(福音)を伝え続けていった。

「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。」(Ⅰコリント九・16

しかし、このように神に呼び出されたような人間であったら、ずっと神の言葉を伝え続けることはできるのだろうか。
神の力によってのみ神の言葉は語られる。それゆえその神の力が取り去られるとき、いかに力強い働きをしていた者といっても、ふつうの人間と同様に弱いものとなる。
旧約聖書の預言者のなかでも、とくに驚くべき力を発揮したのがエリヤという預言者であった。偽りの預言者たちを集めて、真正面に対決し、民衆の前にて彼らに神の言葉を告げ、さらに天からの火を呼び出して偽りの預言者たちを滅ぼしてしまうという他に例のないような驚くべき神のわざをなすことができた。
 しかし、悪意に満ちた王妃によって追われ、命の危険が間近に迫ってきたとき、エリヤはそれまでの大胆な神の僕という姿とは想像もできないほどに力を失い絶望的になってしまった。
彼は王妃を恐れて、遠く砂漠地帯へと逃げて行った。

…エリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバ
*に来て、自分の従者をそこに残し、彼自身は荒れ野**に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。
彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。
「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。」(列王記上十九・34

*)砂漠のなかにあるオアシス。
**)「荒れ野」といっても、日本でいうような、畑として利用されていない放置された荒れ地とか、草木が生い茂っているようなところでなく、草木もほとんどない砂漠状態の場所を指している。


特別に神の力を受けた預言者として旧約聖書全体でも重要視されているエリヤであるが、ここに見られるように、もう死にたいと願い、死の寸前までいっていたのである。
この地域のような砂漠地帯で水も食物もない状態でいれば、激しい直射日光と暑さ、乾燥した大気によって人の命はすぐに失われる。彼はもう生きていけない、力は尽き果てたという疲労感と挫折感に襲われていたのである。
この記事の直前でエリヤがいかに神の僕として著しい力を受けていたかが詳しく記されていたので、そのすぐ後に書かれているこの記事との落差に驚かされる。
聖書は人間崇拝を許さない唯一の書であると言われるが、このようなエリヤの記述はエリヤを過度に重視したり、その人間に注目することでなく、背後でエリヤを動かしている神に注目させるという意味がある。
どんなに勇気ある人間のように見えても、またいかにあるときに力強く働いているように見えても、またどんなに能力に満ちた有能な人間だと思えるような働きをしていたとしても、人間はみんな例外なく弱い存在であり、支えがなくなればたちまち生きていく力を失ってしまう。
エリヤはこのようにして、死の直前にまで追いつめられたがそのぎりぎりのところで、神の奇跡的な力によって命を支えられ、再び立ち上がる力を与えられた。
このことによってエリヤは自分の力では何もできない、神の言葉を語ることも生きていくことすらもできないということを痛切に思い知らされたのであった。
そして彼はまた深い神との一体感によって生きていたが、それは他方では深い孤独の中に置かれていたということでもある。エリヤは、繰り返し一人になったことをのべている。
民に対しては、
「私はただ一人、主の預言者として残った。」(列王記上十九・22

と述べ、神に対しても次の言葉を繰り返し強調している。

「私は神に情熱を傾けて仕えてきました。しかしイスラエルの人々は神との契約を捨て、預言者たちを殺してきたのです。私一人だけが残り、彼らは私の命をも奪おうとしているのです。」(同10節、14節より)

こうした孤独は神の言葉を受けた人の担うべき重荷だといえよう。それはその孤独のなかで神の言葉の鋭い意味とその深さを真剣に神に求め続けていかねばならないからである。
この点については、初めに記した預言者エレミヤ(エリヤより三百年ほど後の時代に現れた)も同様であった。彼もまた、神の言葉を与えられ、著しい孤独のなかで神の言葉を語り続けていった。それは一般の人々に対してだけでなく、国の支配者階層に対しても向けられた。
神がエレミヤを呼び出し、特に神殿の門に立って、神の言葉、真理の言葉を語れと、命じられた。当時の神殿とは、人々の信仰の中心であり、多くの人たちが多方面から集まってくる最も重要な場であった。そのような、支配者たちや社会的な地位のある人、また一般の人々が集まる場において、次のように語れといわれた。それは驚くべき厳しい言葉であり、単刀直入の言葉であった。そのような厳しい言葉はだれも語ったことがなかったし、たちまち世の指導者たち、地位の高い人たち、権力者たちの憎しみをかって、捕らえられるということは予想されたことである。
神はエレミヤに次のように命じた。

主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。…主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。
主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。…
そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地に、永遠に住まわせる。
…わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。(エレミヤ書七・211より)

エレミヤはたった一人で、人々に向かって当時の人たちの不正を指摘し、真正面からそれを神の権威をもって叱責し、真の道を指し示した。
地位の高い人々から低い人々までだれもが、最も重要な宗教施設としてみなしている上、多くの人々が出入りしているその神殿の門に立って、このような厳しいことを単独で言うということがどんなに大変であったかを知らされる。
「主の神殿…という空しい言葉」とは、人々が、神殿があるから他国に侵略もされない、平和が保たれるといって形式的、儀式的な宗教にとどまることで偽りの安全を説いていたことを指している。
宗教家たちが、神聖な場としているところを、エレミヤは、「強盗の巣」と言った。しかもそれは神がそのように告げたと大胆にも述べたのである。
強盗の巣といえるほどに、神殿が本当の神への信仰の場でなく、礼拝の場でもなく、人々の心を神に向かって引き上げ、清め、正しいことへと立ち返らせる働きもせず、かえって、集まる人々からの献金や捧げ物などをふところに入れて自分たちの安楽や権力のために用いている状態であった。
そうした長年の不正と堕落をだれもが何も感じないほどに正しい感覚が麻痺していたときに、エレミヤは神からの言葉を受け、また神からの力を与えられて真理を述べたのである。
主イエスもまた、そうした深い孤独のただなかで神と交わり、神の言葉とその力を受けていた。

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ福音書一・35

このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。(ルカ六・12

このような記事によってイエスは十二弟子たちと共におられたが、その魂の深いところにおいていつも神とともにある単独を保っておられたのがうかがえる。そして、最後の十字架の刑を受けるに至るまでも、弟子たちも周囲のだれもその意味がわからず、主イエスただ一人の全く孤独な歩みを続けられたのであった。
このように、神の言葉は数でなく、それがゆだねられた少数の人によって苦しみと孤独のただなかで保たれ、その力が発揮され、伝えられていったのである。

 


st07_m2.gif愛国心

以前から教育基本法の改定の重要な内容に、愛国心とか伝統、文化を重んじるということがある。
そもそも国を愛するとはどういうことなのか。
愛という名が付けば、何でもよいことだと思う人が多い。だから国を愛するというと、その内容をよく考えることなく、当然だという主張が出てくる。
しかし、人間同士でも、特定の人間を愛するというとき、そのほかの人間には全く関心がないということがよくある。例えば、自分の子供を愛していると思っていても、他人の子供には全く関心がないということも多いし、社会的な地位もなく、貧しい子供、勉強のできない子供などになるとまるで相手にしないことが多いと思われる。
特定の異性を愛するというときも、その愛が強くなるほど他の人間には関心がなくなってしまうし、相手が心がわりするととたんに憎しみに変ってしまうことが多い。要するにそれらの愛に共通しているのは、自分中心ということである。
自分の好きな人間を愛する、そしてその愛のお返しが欲しいのである。相手を愛するといいながら、実は自分を愛しているのであって、自己愛の変形にすぎないと言えよう。
これと同様なことが、国を愛するということにも見られる。
日本を愛するというが、最も日本で愛国ということが強調された戦前の時代は、最も日本が自国中心になった時代であって、朝鮮併合などにみられるように、他国を自分の領土としたり、中国への戦争を始めて、おびただしい犠牲者を出したりした。
それは国を愛するとは、国を武力で守ることだとされ、相手国が攻撃してもいないのに、こちらから攻撃をしかけて、それは日本を守るため、祖国愛のためだと教えてきたのである。このように、 愛国心と戦争とは深い関わりをもってきた。特に日本では、愛国と天皇への崇敬とが結びつけられてしまったのである。
そしてこのようなまちがった「愛」は祖国によいものをもたらすどころか、日本においても、主要な都市が爆撃され、数百万の人間の命が奪われ、あるいは爆撃による火災や崩壊のため体がそこなわれて病気となったり、生涯にわたって手足がなくなったりする苦しみを持つ障害者が生じたし、外国では日本よりはるかに多く、一千万をはるかに越えるほどの膨大な犠牲者を生み出した。
このような残酷なことが、国を愛するという美名のもとに行なわれた事実を見るとき、現代において愛国心というものを声高にとなえる人たちが再び日本をかつてのような大きな過ちへと引っ張っていこうとしているのではないかという危惧を抱かざるをえない。
最近は天皇讃美の歌である「君が代」を有無をいわせず強制的に歌わせようとする傾向がますます強まってきた。そのようなことをして子供たちの心を天皇に結びつけようとしているのである。戦前はそれを極めて強圧的に行い、愛国と天皇への崇拝を結びつけ、ふつうの人間にすぎない天皇を現人神だといって神の地位にまでまつりあげた。 そして愛国ということも強制的に教え込み、その上で戦争を推進していった。
現在の君が代の強制も、戦前のあの大きな間違いを再び犯そうとしているようにみえる。
正体不明の愛国心が強調され、軍備をますます増強しようとし、外国へ軍隊を派遣することに力を入れ、そうした方向に反対するものへの圧力を強めていく。
これは人間にもともとある、自我欲の変形であり、自分中心の考えが「愛国心」という衣をかぶって肥大していったものである。
本当の愛国心とは何か。国を愛するというとき、例えばスイスを愛するというとき、その国の自然の美しさを愛するという気持ちの人もいる。しかし、人間への関心がなくては、国ではなく単にその地方の自然を愛するということでしかない。
現在愛国心ということで言われているのはそうした自然を愛するとか、そこに住む人間への愛とかでもなく、単に国の支配の組織に従えということなのである。
愛とは本来、自発的な心の動きであり、慈しむ感情である。だから罰をちらつかせて命令通り従わせてそれで国を愛する心ができているなどというのは、まったく意味のないことである。
「君が代」を強制的に歌わせることが国を愛することになるなどという主張は、要するにそうした命令をだす組織、文部科学省や政府の方針に黙って従えということなのである。
どんなに違った意見を持っていてもそれを出さずに、ただ命令通りに従うとそれが国を愛しているとみなされるから、「戦争は人を殺すことだ、だから悪だ」、と主張すると、国を愛していないと決めつけられる。
こうした事実をみても、国を愛するといっても、実は強制と盲従によって生れたものにすぎないのであって、実体はない。
それゆえ、なにかあるとたちまち瓦礫のようにそのような愛国心は崩れ落ちてしまう。それは、太平洋戦争が終わるとあれほど日夜強調されていた愛国心はたちまち消え失せていったのを見てもわかる。
ロシアの大作家であって思想家でもあったトルストイはこうした、愛国心の本性を鋭く見抜いて次のように述べている。

… 愛国心とは、その最も簡単明瞭で疑いのない意味では、支配者にとっては、権力欲からくる貪欲な目的を達成する道具にほかならない。
また、支配されている国民にとっては、人間の尊厳や理性、良心を捨ててしまうことであり、権力者への奴隷的服従にほかならない。
愛国心とは、奴隷根性である。…(「キリスト教と愛国心」トルストイ全集第十五巻 428頁 河出書房新社刊)

人間を愛するというとき、まったくの偽の愛と真実の愛がある。映画などでいう純愛などというのは特定の人にだけ集中するような心であり、他人はどうでもよいという本質を持っているのであって、みんな偽りの愛、もしくは実体を持っていないという意味で、本当の愛の影のようなものでしかない。
同様に、現在言われているような、愛国心というのも、本当の愛とは似ても似つかないものである。本当の愛、キリストが言われたような愛は、まず人間を大切にする。ことに病気やからだの障害のために弱っている者、傷ついた者、罪に悩み悲しむ者、孤独な者といった人への真実な心である。
そうした弱っている者を慈しみ、そこに上よりの力が注がれるようにと願う心である。
国を愛するというその愛が本当のものであるかどうかは、この面から考えるとわかる。だれかが日本という国を愛するというとき、その愛が本当ならやはり日本の貧しいひと、苦しむひと、弱い立場にある人たちへの深い関心を持つであろう。そのような人間への無差別的な愛があるなら、当然その人間たちをはぐくむ自然をも愛するであろう。
そしてそうした愛の心は、当然日本だけでなく、外国の同様な人たちへの関心ともなる。真の愛は当然自分の国だけに限られたものでなく、政府や天皇に盲従する心などでなく、祖国に住む人への人間愛である。
そのような祖国愛の心は、どうして自分の国の利益だけを考えて、他国に戦争をしかけたりするだろうか。
真の祖国愛は人間への愛に基づくゆえに、戦争などは決して推進しない。しかし、偽の祖国愛は、愛とは似ても似つかない権力への盲従があり、中身のないものであるゆえに、権力者の命令によって簡単に戦争への道を歩んでいく。
現在の政府、自民党などはこうした空虚な愛国心を強調しようとして、教育基本法の改定を計画している。
しかし、真に必要なのは、聖書にあるところの真の人間愛であり、それは神から与えられるものであってこれこそ、人間や国家、社会などあらゆるところでその基礎になるべきものである。

 


st07_m2.gifことば

189)苦難のとき
私はいっさいの人間的なものを見る冷静な目を、だが、その人間的なところから人間を高めるものを見る目をも、失わないでいたい。…しかし、いずれにせよ、私は恐れを和らげてくれる最後の力を知っている。
大きな彫像のように、聖書(詩編)の言葉が心に浮かんでくる。今、それがかつて思いもよらなかったほどに意義深いものとなって現れてくる。
「陰府(*)に身を横たえようとも、
見よ、あなたはそこにいます」(旧約聖書 詩編・一三九・8
心静めている厳粛な時に、私は周囲の友にこの言葉を言い、さらにつぎの別の言葉を添えた。
「しかし、私はつねにあなたと共にある。」(詩編七三・23
(「ドイツ戦没学生の手紙」108頁 一九五四年 高橋健二訳 新潮社発行)

*)陰府とは、旧約聖書で、死者が行くとされていた所で、地下にあり、闇にあるとされていた。旧約聖書には後期に書かれたもの以外には、復活するという信仰はまだなかった。

○これは、第二次世界大戦において、ドイツとソ連との戦争のときにドイツ兵として戦場に向かい、捕虜となって衰弱していくなかで妻に宛てて書いた手紙である。この一年後に死亡。戦後になって帰還兵によって妻のもとに届けられた。
この兵士は従軍した医者であった。自分の最期が近づいてくる深い闇と絶望的な状況にあっても、どっしりとした彫像のように浮かび上がってくるもの、それが聖書の言葉であった。ほかの一切がもはや頼りにならないとき、そのような時にいっそう眼前に揺れ動くことなきものとして見えてくるのが神の言葉なのである。
死においても、どのような状況に置かれようとも、神は私たちと共にいて下さるという確信がそこから再び強められる。

190)アシジのフランチェスコの平和の祈り

主よ、私をあなたの平和の道具とし、
憎しみのあるところに愛を
傷つけあうところに、赦しを、
誤っているところに、真理を
疑いのあるところに、信仰を、
絶望のあるところに、希望を、
暗闇に、光を
悲しみのあるところに、喜びを蒔くものとして下さい。
聖なる主よ、慰められるよりは、慰めることを、
理解されるよりは、理解することを、
愛されるよりは、愛することを、
私が求める者となりますように。
なぜなら、私たちが、受けるのは与えることによってなのです。
私たちが(神から)赦されるのは、(人を)赦すことによってなのです。
そして私たちが永遠の命に新しく生れるのは、死によってなのです。

(これは、フランチェスコの名と結びつけられて伝えられた祈りであり、彼の精神をよく反映しているとされる。この祈りは、直接のフランチェスコの書いたもののなかには見られないということであるが、第一次世界大戦中の一九一五年にこの祈りが見出され、以後、「フランシスコの平和の祈り」として広く引用されるようになった。原文を次に掲げておく。)

Lord make me an instrument of your peace
Where there is hatred,
Let me sow love;
Where there is injury, pardon;
Where there is error, truth;
Where there is doubt, faith;
Where there is despair, hope;
Where there is darkness, light;
And where there is sadness, Joy.

O Divine Master grant that I may not so much seek to be consoled
As to console;
To be understood,as to understand;
To be loved, as to love.
For it is in giving that we receive,
It is in pardoning that we are pardoned,
And it is in dying that we are born to eternal life.

89)幼な子のように

神の国は
幼児のごと、己を低くして
信頼一途
受くる者ならでは入ること能わない

人はこれ所詮幼児にすぎず
思いわずらい嘆くは止めて
信じ委ねてただ受けん哉
神は必ず善きものを賜う(内田 正規著「帰りなむ、いざ」17Pより キリスト教図書出版社)

○内田 正規(一九一〇~一九四四)は「祈の友」を起こした人。三三歳で召されたが教派を超えた「祈の友」という集まりは今も続いている。「帰りなむ、いざ」とは、今から一六〇〇年ほど昔の中国の詩人の、陶淵明の言葉であるが、内田はそれをキリスト者として、天の国、魂のふるさとに帰ろうという意味で用いている。結核の重い患者として、日毎の病気の苦しみ、家族への負担、将来の不安などさまざまの悩み悲しみに包まれているただなかで、まっすぐまなざしを神に向け、神の万能に信頼していこうという著者の心がここにある。

 


st07_m2.gif休憩室

○緑の葉
夏は、緑一色。野山に花はわずかです。そして暑く、雨も多い季節。その緑の葉でとくに赤い光、青紫の光を多く吸収して、ブドウ糖を造っています。それをもとにして、人間や動物に不可欠な米や小麦のような穀類やさまざまの果物などに含まれるデンプンや糖類を造り、さらにタンパク質や脂肪など、いろいろの栄養物質も造られています。それは大規模な工場でもできない複雑な化学反応です。そして、その葉の内部の工場の排気ガスが酸素なのです。
また使わない光は、反射してそれが緑色となって私たちの目と心をいやしてくれます。
また秋になって、葉が枯れ落ちるとそれは微生物によって分解され大地に養分として入っていきます。
リサイクルという点からも驚くべきしくみです。私たちがただ暑いと思っている間も、黙々と植物たちは葉という工場で複雑な化学反応を続けています。
神が創造されたものは、かくも無駄なくすべてがよく用いられています。
実は人間の社会も、大きな視点から見れば、もし、私たちが神にすべてを委ねていくなら、無駄なものはなく、万事がよきになるように動かされているのだと言われています。「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。」(ローマ書八・28より)

○夏の夜空
このごろの夜の空でまず目立つのは、サソリ座とそこにある有名なアンタレスです。夜の八時~九時ころには南の空のやや低いところに赤い星が輝いています。まだこのアンタレスを見たことがないという人は、ぜひ見ておいてほしいものです。冬のオリオン座とともに、サソリ座は最も簡単に見つけることができるし、真冬に輝くオリオン座のリゲルや大犬座のシリウスなどの青白い輝きに対して、アンタレスの赤い輝きは印象的です。太陽の二三〇倍という巨大な星で、太陽のところにおけば、地球や火星などもすっかり収まってしまうほどです。なお、リゲルやシリウスの表面温度はそれぞれ約一万 、一万二千度と極めて高温ですが、アンタレスは三千五百度ほどなので、あのように赤く見えるのです。夜空の星を見つめていると、私たちの世界のいかに小さいか、人間がいかに空しいことに明け暮れているかを感じさせてくれるものです。

 


st07_m2.gif返舟だより

○屋根造りの細腕職人ですが、仕事中に足を捻挫して自宅療養の身となりました。いままで、じっくり読んでいませんでしたが、じっくり読ませて頂きました。ともかくさわやかな感じを抱きました。聖書と今の時代とがよく溶け合って決して神学、学者じみた文の構成がなく、本当にわかりやすく説いておられ、学ばされること多しであります。とかく聖書の真理ということで、やや高いところでふりかざして日曜日の集会で講義をする傾向があるゆえに学ぶこと多しと述べたわけです。
…キリストの十字架の道は素晴らしいです。私のいるところは、小松島市から何百キロも離れていて、会ったことも話したこともないのに、何の違和感もなく、いつの日だったか話したねと言える感じが起こるのですから不思議です。
「はこ舟」518号の感想、それはすべて神様にイエス様の御名を通して捧げられて、何一つ異なるものない、と感じました。本当に感謝であります。そして愚生も良きことをしっかり学んでごくわずかでも十字架の道に役立つことができるように祈り求めたいと思います。(関東地方の方)

○「はこ舟」を読み、主の生命あふれるみ言葉をわかりやすく伝えて下さり、ありがとうございます。「天路歴程」、「神曲」、ゴードンの著書「死の谷をすぎて」などの内容も紹介されていますが、そこには聖霊の啓示とそれによる啓発、そこにしっかり根源的な伝道の姿勢をもっておられると感じます。立花隆著「イラク戦争・日本の運命・小泉の運命」(講談社)について、著者の立花はキリスト者ではないのでしょうが、的確な歴史への目を持っており、「平和憲法が最大の資産である」と書いてあり、教えられました。(関東地方の方)

○聖言を日々の生活に生きる上で心すべき様々の点を平易に、多様な方向からしかも、中心につねに収斂(しゅうれん)させて述べて下さり、心充たされます。(近畿地方の方)

○いつも御地でのお集まりの様子をお知らせ下さいましてありがとうございます。「はこ舟」、集会だよりなどを嬉しく拝受しました。お集まりのご様子を偲びつつ繰り返し拝見しております。そして「はこ舟」からはみ言葉の学びについて、多くのことを学ばせて頂きました。伝道とパウロのことなど、あらためて眼を開かれる思いがいたします。これからも再読三読して歩みの指針とさせていただきたいと存じます。私の方も、日曜日の礼拝集会(聖書の学び)のほか、月に一度の集まりを都内で持っていますが、いずれも豊かなお恵みの内にありますことを感謝しております。(関東地方の方)

○毎月「はこ舟」、集会だよりなどまた、インタ-ネットでは「今日のみ言葉」に加えて美しい山野草の写真もお送り下さっていつも感謝です。インタ-ネットでお送り下さったものは、各店にネットで配送しております。店によって対応は違っていますが、植物の写真もカラーでコピーして掲示板に張り出している店もあります。日本にはまだまだ聖書に接したことのない人が多いと思いますが、こうして少しでも聖書を知る人が多くなれば有り難いことです。…(東北地方の方)

 


st07_m2.gifお知らせ

○はこ舟協力費を送っていただくときに、従来は切手で送って下さる方も割合いたのですが、最近は、クロネコメール便 に変更したため、切手を使わなくなっています。それで、切手以外の方法(郵便振替または定額小為替)でお送りいただくと好都合です。振替番号は、「はこ舟」の末尾に書いてあります。また小為替はあまり使ったことのない人が多いようですが、どこの郵便局でも取り扱っていますし、普通の封筒にて手紙文や連絡文とともに送付できます。 (なお、もし古い切手があるとか何らかの理由がある方は切手でも結構です。テープ発送などに用いていますので。)
○八月七日(土)~八日(日)は、京都の桂坂にて、例年のように近畿地区無教会集会が開催されます。私たちの集会からも参加者があり、吉村(孝)は次の瀬棚聖書集会とともに聖書講話を担当しています。
○八月十三日(金)~十六日(月)まで、吉村(孝)は北海道瀬棚での瀬棚聖書集会に参加。瀬棚とは、奥尻島の対岸にある日本海側の町で、札幌から二百キロ余りの距離にあります。
○静岡市の石川 昌治氏が、八月二八日(土)午後に来徳され、翌日二九日の主日礼拝にて聖書講話をして下さいます。主題は「ガラテヤ書を学ぶ」(ガラテヤ書二章1920節)です。
○「祈の友」四国グループ集会。九月二十三日(木)秋分の日に開催予定です。
去年は松山にて、今年の会場は、徳島聖書キリスト集会場。