20048月 第523号内容・もくじ

リストボタン主の慈しみ (詩編百三編より)

リストボタン出会い

リストボタン聖書に示された希望― 詩編より

リストボタン人間の力の過信(原子力発電のこと)

リストボタン委ねる

リストボタンことば

リストボタン返舟だより


 

st07_m2.gif主の慈しみ (詩編百三編より)

わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって
聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。

Praise the LORD, O my soul; all my inmost being, praise his holy name.
Praise the LORD, O my soul,
never forget all his acts of kindness.

この詩は、百五十編が収められている旧約聖書の詩集(詩編)のなかでも、とりわけ印象的な詩の一つです。
まずこの詩の作者が冒頭にて言っていることは、神への讃美で、自分自身に呼びかけて、主を讃美せよ、主をたたえよという短い言葉の中に、作者の気持ちが凝縮されています。
主を讃美することこそ、私たちの人生の目的と言えます。主を讃美できるということは、自分の現在の生活において、不満がいろいろとあったら到底できない。身近な家族のこと、あるいは職場のこと、自分の病気のこと、将来のこと、また、自分が置かれているところでの人間関係の悩み等々…さまざまのことで私たちは問題を持っています。それらが心を占めているときには、到底神を讃美したりできないことです。
讃美とは、心から満たされているときに生れるものであって、魂の深いところでの満足を神が与えて下さったと実感しないかぎり、神を讃美することはできません。
この詩の作者は、そのさまざまの経験のなかで、最終的にこのように神への深い感謝とすべてが神によってなされたこと、いろいろの苦しみや悲しみもそれらが転じて善きことにつながっていったことを深く実感することができたことがうかがえます。それゆえにこそ、このように、自分の歩みを振り返り、 それらによって神への讃美の心がわき起こってきたのだと分かります。
そのことは、

「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
(そのすべての恵みを心にとめよ)」

という言葉にもうかがえます。神が自分に対してして下さったこと、それは限りなく多くあり、それを一つ一つこの作者は思い起こし、それらがすべて神の大いなる愛の御手によってなされたことを感じているのです。
ここには、使徒パウロが述べた有名な言葉と同様な信仰的経験があったのがわかるのです。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙八・28

一つ一つの出来事が、偶然であるとか単に運がよかったとか悪かったと考えているかぎり、このような大きな感謝や讃美の心は生れてきません。過去を振り返り、そして現在を見つめてなお、数々の困難や苦しみにもかかわらず、それらの一つ一つの背後に神の深い愛の御手があると実感できるようになることこそ、私たちの最終的な到達点だと言えます。
そのようなところを目指していたがゆえに、使徒パウロも、繰り返し次のように書いたのです。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、神があなた方に望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ五・1618より)

このようなパウロの言葉のもとにある神への感謝の心は、それより数百年以上も昔に、すでにこの詩の作者の心にもあふれていたのだと分かります。神が私たち人間に望んでおられることは、ずっとそれ以来数千年を経た今も変わらないのです。

主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
長らえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。

この作者は、信仰において最も重要なことを述べています。それは、つぎの三つに要約することができます。
罪の赦し、病のいやし、復活の命。
自分が正しい道からはずれているということ、過去に犯してしまった罪のこと、どうしてもあるべきすがたになれないこと、それは罪ということです。その問題こそがすべての根源にありますが、この詩の作者はそのことを深く見抜いていたのがうかがえます。そしてこのような罪と、病気と、死という人間の直面する最大の問題において神こそがその根本的な解決を与えるものであると知っていたのです。
この詩は、キリストよりはるか昔、数百年以上古い時代に作られたものです。 そのような時代にあって、はやくも信仰の上で最も重要なことが体験として記されていることに驚かされます。この作者が神に感謝し、神を讃美できるということは、この三つのことにおいて神が働いて下さった、そして今後も働いて下さるという確信があったからだとわかります。
この作者がまずあげているのが罪の赦しです。キリストが来られたのも、罪の赦しのためであると記されており、聖書全体を通じて深く流れていることだといえます。
心の問題の根源は、人間がすべて罪を持っているということであり、また体の苦しみは病気であり、最終的な闇は死ということです。これら三つのことはこの世のあらゆる苦しみや悲しみ、人間関係の悪化の根源にありますがそうした最大の問題のただなかに神がきて下さって解決の道を与えて下さったというのがこの詩の作者の実感であったのです。

長らえる限り、良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにして下さる

私たちが聖書を手にするとき、しばしば感じるのは、戦争や病、また敵対する者たちなどに絶えず悩まされ苦しめられているそのただ中にあったにもかかわらず、このように「良いもので満たされる」という実感が記されていることです。
有名な詩編二三編においても、

主はわが羊飼い
私には何も欠けることがない
主は私を緑の野に伏させ
憩いのみぎわに伴われる…
私の敵の前であっても
私の杯をあふれさせて下さる。(詩編23より)

これは、深く満たされている魂のすがたです。この地上の生活で、一体誰が何事もすべて思いのままになり、満たされていると言えるでしょうか。どんな人でも絶えず不満や足りないところを感じています。多くの人が望む生活の安定にしても、これで満ち足りているということはなく、絶えずさらなる安定や豊さを求めてやまないものです。金や権力があっても、さらに上を望み、またそこでは絶えず争いや地位の奪い合いもあります。
そうした地上の生活において、これらの詩にあるように、「生きている限り良いもので満たされ」、「欠けることがない」というような実感は、驚くべきことです。すでにキリストより千年ほども昔からこうした深い満足を与えるのは、神であるという事実を知っていたのです。

主はすべて虐げられている人のために
恵みの御業(義)と裁きを行なわれる。
*
主はご自分の道をモーセに
御業をイスラエルの子たちに示された。

*)ここで、「恵みの御業」と訳されている原語は、ツェダーカーで、従来の訳では「正義、義」と訳されていた。新共同訳ではじめてこのように「恵みの御業」と訳された。しかし、英語訳でも righteousness、または justice (いずれも 「正義」の意) と訳されているのが多数を占めている。この箇所は日本語の口語訳、新改訳も「正義」と訳している。 なお、ドイツ語訳も同様で多くは「正義」を意味する訳語が用いられているが、中には新共同訳のように訳しているのがある。Der Herr vollbringt Taten des Heiles,(主は救いの業をなし遂げる)( Einheitsubersetzung )。

当時から今に至るまで不正は至るところにあり、ことに古代のように人権とかが認められていない時代にあっては、人間の差別、権力や武力による抑圧、不当な裁きなど、現代よりはるかに不正が横行していたと考えられます。
にもかかわらずこの詩の作者は、神が虐げられ、圧迫されている人を正しく扱い、不正を裁くお方であると確信していました。なぜそのような信仰を持つことができたのか、それは歴史の流れを見るときに正義の神の姿がはっきりと示されてきたのだと言えます。
それゆえ、この言葉の後に過去の歴史への記述があるのです。一つ一つの出来事や個々の人間をみているだけでは分からないが、歴史の流れを通して見るとき、全体として神は弱き者、圧迫されている者を守り、導いてこられたのを感じているのです。
現在においてもこうした圧迫されている人たちが正しく扱われているのか、という問題は常に心にあります。この問題は、死後のことを考えて初めてたしかに解決がされるので、地上の生活だけを見ているならばどうしても、弱い者たち、圧迫されている者たちが正義をもって扱われているとは思えないことになります。
その意味においても、死後の生活、また地上の命が終わった後における裁きというものがないならば、不正が横行しているだけだという感じが残るのです。
しかし、キリストの時代以降においては、神の本性をもって地上に来られたキリストが目に見えるかたちで弱い者、圧迫されている人たちのところに来られ、そのような人たちに救いを与えてこられたのがわかります。 そして実際にそのような弱い苦しむ人たちが力を与えられ、新しい命を受けてよみがえったようになって歩み始めたという事実が生じました。
その意味で、この詩で言われている言葉は、キリストの時代を預言するものともなっていて、キリストよりはるか昔から神の正義とは弱い者のためになされるものだと言われています。
神の愛の本質は、私たちの過失や欠点、罪全体に対しての赦しだというのをこの詩の作者は深く実感していました。
それはつぎの言葉を注意深く見るとわかってきます。「罪に応じてあしらうことなく、私たちの悪に従って報いることもない」というのは、まさに罪の赦しにほかなりません。

主は憐れみ深く、恵みに富み
忍耐強く、慈しみは大きい。
永久に責めることはなく
とこしえに怒り続けられることはない。
主はわたしたちを
罪に応じてあしらわれることなく
わたしたちの悪に従って報いられることもない。

主は憐れみ深い、何に対してか、それはさまざまのことに対してですが、とくに私たちの罪、本来なら責めて罰せられるような罪に対してです。それゆえ「永久に責めることなく、怒り続けることはない」とあります。
さらに、この詩の作者が神の赦しの愛をいかに深く実感していたかは、次の言葉に鮮やかに表されています。

天が地を超えて高いように
慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。
東が西から遠い程
わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。

ここには、人間の慈しみ(愛)と、神の愛がいかに無限にかけはなれているかが印象的な言葉で記されています。天は地より無限に高い、そのように、神の慈しみ(愛)は、人間のあらゆる思いや背きを越えて無限に高いというのです。この意味がわかりにくいなら、人間同士の愛がいかに低く、限定されているかを考えるとこの詩の意味がはっきりとしてきます。人間の愛は、肉親とか好きな人や気の会う人といった特定の相手にしか及ばない上、相手を独占したいという欲と結びついていることが多いし、ちょっとした一言や、態度でも簡単に冷えてしまい、憎しみに変ったりするものです。それはいわば、地面にくっついているような低い感情です。それに対して神の愛はいかに人間が背いてもまた気付かなくとも、また、どんなに小さい存在であって弱く病気などで人から無視され、退けられているようなものにも、変ることなく注がれているものです。それは主イエスがたとえたように、太陽のようなものです。万人に無差別的に注がれています。そのような愛だからこそ、それは天が地を越えて遥かに高いのと同様だと言われているのです。
そして神の愛がそれほどまでに測り知れない高さと深さを感じさせるのは、この詩の作者が自分の深い罪が赦されたということがもとにあったのです。主イエスはつぎのように言われました。

少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。(ルカ福音書七・47

このことから、深い愛を持っている者は、多く赦されている者だと言えます。罪の赦しのことを、東が西から遠いほどに赦されていると表現したのは、それほどの深い赦しの実感があったのだということです。罪を遠ざけて下さる、それはあたかも罪などなかったようにみなして下さるということです。このような深い罪の赦しの実感は、はるか後になって、キリストが十字架にかかって万人に開かれたのですが、それよりはるか昔にすでにこのように、罪が完全に赦されたという体験を深く味わっていた人の証しがここにあるのです。
それほどに人間の汚れや闇が洗い流され、清められたときには、そこに神の新しい力と祝福が注がれてきます。人間は本来は、土のように汚れた存在、そして聖書の書かれた地方においては、砂漠地帯がすぐ側にあり、草が乾燥した初夏の熱風にたちまち草も枯れてしまうように、人間もごくかんたんなことで死んでしまう。そんなに取るに足らない存在であるにもかかわらず、神は測り知れない慈しみを注いで下さる。しかも永遠にそれを注ぎ続けて下さる。
人間のはかなさに比べていかに神の慈しみは無限であるか、永遠的であるかを深くこの詩は告げています。
そのように神の永遠を知った者は、その神の支配の力が全世界に及んでいるのに気付くのです。

主は天に御座を固く据え
主権をもってすべてを統治される。(19節)

悪のはびこるこの世にあって、権力や武力をもったものが支配しているかのように見えるにもかかわらず、この詩の作者は、その背後に神が厳然と支配の力を保持して、全世界を支配されているのを知らされたのです。
それゆえ、この詩の作者は、自分の罪の赦しという極めて個人的なところから出発し、そこから歴史のなかにおける神の導きと慈しみ、さらにその神の愛の無限に高く広いことへと導かれ、全世界の支配をいまもなさっている神を知らされていくのです。
そして人間の最後のあり方ともいえる、神への感謝と讃美へと導かれていくことでこの詩が結ばれています。

御使いたちよ、主をたたえよ…
主の万軍よ、主をたたえよ(*
御もとに仕え、御旨を果たすものよ。
主に造られたものはすべて、主をたたえよ
主の統治されるところの、どこにあっても。わたしの魂よ、主をたたえよ。

この最後の部分に見られるように、この詩の作者は、世界のあらゆるものに向かって主への讃美を呼びかけています。それはこの世の被造物のすべて、夜空の星々や太陽、地上の草木や山々、空の雲や大空などいっさいが神への讃美を歌っていることを作者が何らかのかたちで実感していたからだといえます。
それらが単なる物体だとか思っているときには、このような神への讃美を呼びかけるということはあり得ないことです。天地のさまざまのものが、この詩の作者と魂が響き合い、通じるものがあり、すでにこの作者が宇宙万物が神への讃美を歌っていることをほのかに実感していたからこそ、このように呼びかけることができるのです。
闇と悪のただなかの現実の世界にあってこのように、真実なる神への讃歌を歌うことができるのは、まことに神がこの作者の魂のなかに深く入り、その罪を赦し、それを純化し、神への讃美の霊を注いだからだといえます。
現代に生きる私たちにおいても、この作者と同様な歩みが与えられることが可能であり、それゆえにこそ、この詩編は永遠であり、神の言葉だと言われているのです。

*)万軍とは、万象(あらゆる事物)とも訳される。天地のすべてのものを表したり、天使たち、または夜空の星々なども表す言葉。万軍の主という表現は旧約聖書では255回も使われている。これは、軍という言葉があるために、なにか軍隊にかかわるかのような誤解をまねきやすいが、「宇宙の万物を創造し、支配されている神」という意味。

 


st07_m2.gif出会い

私たちが小さいころから実に多くの人に出会ってきた。第一の出会いは母であり、その体内に10か月ほども住んでいたのである。そして生れてからはまず、両親、医者や看護師たちと出会う。
それから無数の人々と出会いつつ、大人になっていく。
しかしその間、いったいどれほどが私たちの魂の成長によい影響を及ぼしているだろう。
いじめをする同級生もある、そうした人間に出会って、一生が変わってしまう人もいる。
私たちはそうした無数の出会いがありながら、自分の魂にいつまでも印象に残るよい影響を与えたという出会いは、数えるほどしかないであろう。
私は小学校時代には心に残る出会いはあまり思い出すことができない。しかし、中学のとき、国語の物静かな先生が、ヒルティの「眠れぬ夜のために」という本を紹介して、自分が眠れないときにこの本を読むのです、と言ったことが今も頭に残っている。
そして大学に入学してからは、たくさんの学生との出会いがあったなかで、同じ理学部のある友人とは特別に親しくなり、なんでも話せる間柄となった。当時激しい活動が繰り広げられていた学生運動や政治社会的な問題についても、専門の学びについても下宿に相互に行っては長時間語り合った。彼の異性の友人のことなども話されたし、一緒に何週間もかけて、隠岐島に滞在、山陰の大山登山もしたりした。しかし、後に私がキリスト信仰を持ったとたんにそれまでの親しさにもかかわらずたちまちその友人とは話しが合わなくなってしまった。
大学三年のとき、私は激しい学生運動に次第に関心を深めて行ったが、そのとき、一人の同じ理学部化学科の学生運動にかかわっていた一人の女子学生Mさんから熱心に理学部学生自治会委員になって欲しいと頼まれた。彼女が継続してやりたいのだが、病気がちになってどうしてもできなくなった、それで私にぜひともなって欲しいというのであった。
私は当時のまじめな理学部の学生に多かった民青系でも、その他の左翼系でもなく、当時の学生としては珍しくギリシャ哲学に傾倒しつつあった学生なのにどうして私に繰り返し依頼してきたのか不思議であった。彼女はそれまでの、学生間のいろいろの議論や討議での私の発言などに関心を持つようになっていたようだ。
私はアルバイトと奨学金で学生生活を送っていたから、実験や勉強の時間がほかの学生と比べていつもかなり少なくなっていたので、時間がなく、そんなことはできないと断ったが、何回も、しかも何時間もかけて話しをもちかけられた。彼女は左翼(民青系)の学生でその真実な姿勢が心に残っている。私は彼女のその熱意によって1年間だけ、自治委員として学生運動にかかわることになった。なお、Mさんは理学部卒業の後に、法学部に入学していまは弁護士となっている。
こうして私は学生にも教授たちにも本当の出会いがなく、心の出会いのある真の友を求め続けていた。そのとき私は主イエスに出会った。その当時はしばしば左翼系の学生と議論しなければならないので、マルクス主義関係の本も読んでいたのだが、そのとき、「マルクス主義とキリスト教」という本をたまたま古書店で見出した。その著者が矢内原忠雄であった。そのとき初めて矢内原という名を知った。その名を覚えてしばらくしてやはり本を探していて古書店でたまたま同じ矢内原忠雄の小さい「キリスト教入門」という本を何気なく手にとっていくつかのページを何の気もなく立ち読みしていたとき、十字架のキリストのことを書いたわずか数行で私はキリスト者になった。
 私の魂に突然なにかがひらめき、不思議なインスピレーションともいうべきものがあったのである。  私は当時、キリスト教とか宗教全般にわたってまったく関心もなく、学生や教授たちも誰一人キリスト教のことを話題にするものなどいなかった。
 マルクス主義など無神論の洪水のような状況のただなかで、私はそれと真っ向から対立するキリスト信仰に出会い、神を信じるように呼び出されたのであった。
あのMさんが私に嵐のような混乱のただなかの学生運動をリードする自治会委員になって欲しいと不思議に思うほどに嘆願してきたのは、なぜだったのか、ずっとわからなかった。
しかし、現在ではそれらもすべて驚くべき神の御手によってなされていたのだということを感じるようになった。
 こうして私はまもなく、今も生きておられる方であることを確信するに至った。
 そしてそのキリストを伝えるべく、高校教員となって生きたいと願うようになった。それまでは人類の将来と科学技術の問題がどうしても頭にあって将来をどう考えたらよいのかわからなくなって悩み抜いていたのであった。
それからさまざまの信仰の人に出会い続けて今日に至っている。
 キリストは出会いをあたえて下さる御方である。
 私は高校教員として、定時制高校(昼間、夜間)、全日制高校に勤務し、また導かれるままに盲学校やろう学校などの教員ともなって、さまざまの障害者とも出会いが与えられ、同僚の教員や生徒たちにもキリスト信仰を中心としてさまざまの出会いが与えられてきた。
 キリスト信仰を与えられるまでは、いくら求めても真の出会いはなかったのに、神を信じるようになってから、求めずして次々と与えられていった。
 まず神の国と神の義を求めよ、そうすれば必要なものは添えて与えられる、という主イエスの約束はこのような方面においても真理なのである。
 そして身の回りの自然においても、以前には感じなかった出会いを、感動を与えられることが続いている。自然との真の出会いは、その背後におられ、それらの自然を創造された神とのいっそう親密な出会いにもつながっていく。
 そして最終的には、私たちは万物の根源であり、あらゆるよき人間や美しい自然の根源である神とキリストに顔と顔をあわせてお会いできるということが約束されている。

 


st07_m2.gif聖書に示された希望― 詩編より

わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。(詩編六二・6
わが魂は黙してただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。(口語訳)
For God alone my soul waits in silence, for my hope is from him.
NRS

この短い言葉が、旧約聖書における希望の本質を表している。この言葉の前に、「あなた方はいつまで人に非難を浴びせ、傾いた石垣を倒そうとするように、一緒になって倒そうとするのか」という言葉がある。この詩の作者がこのように真剣に神を仰ぎ望み、神を待ち望むのは、この人の周囲に作者を滅ぼそうとする敵意に満ちた状況があったからである。
切実な希望はこうした苦しみや悲しみに打ち倒されそうになっているときに、輝き始める。
本来ならば、望みが消えてしまいそうなときにこそ、聖書における信仰者はその希望にどこまでもすがろうとする。
この箇所で「希望」と訳された原語は、「待つ、熱心に期待して待つ」といった意味がもとにある。この箇所のギリシャ語訳が、「忍耐 hupomone」と訳される言葉を用いていることも、この原語のニュアンスを補うものである。
どのようなことがあっても、神への信頼をやめない、苦しみのなかであっても、忍耐をもって神を待ち続ける心がここにある。
このような揺るがない希望、忍耐とむすびついて待ち望む姿勢は、旧約聖書のなかではとくに詩編にはっきりと見られる。詩編は具体的な地名や人名、時代、社会的状況などのことが分からなくとも、その直接的な言葉によって数千年を経た今日でも私たちの心に近く呼びかけるものとなっている。

深い淵の底から、主よ、あなたを呼ぶ。
主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。…
主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええようか。
しかし、赦しはあなたのもとにあり
人はあなたを畏れ敬う。

わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望む。
わたしの魂は主を待ち望む。
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。
イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かな贖いも主のもとに。
主は、イスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。(詩編一三〇編より)

このように、この詩においても、この作者は深い淵に置かれ、希望が消えてしまうような時に、そこから神に向かって叫び、祈り語りかけている。
ここで深い淵とは何を意味しているであろうか。
それはこの詩にあるように、重い罪を犯したということである。人間はだれしも罪を犯している。この世のさまざまの問題は、罪を犯したことにある。新聞やテレビで報道されるような犯罪から国家間の戦争、あるいは、個人の間におけるさまざまの問題、それらの紛糾はみんな究極的には人間の罪にある。
神の前で、真実であり得なかったこと、自分の欲望や人間的な考えのゆえにまちがったことを言ったり行なったりしてしまうこと、そうした罪があらゆる問題のもとにある。
この詩の作者がどんな罪のゆえにこのような、深い淵にいると感じたかは分からない。しかし正しい道から遠くはずれていることに気付いたとき、それが人間関係にも致命的な問題を起こし、もう二度と元にもどらなくなったことがあるとも考えられる。そこからかつてない苦しみと悩み、悲しみの淵に陥っていく。そしてその苦しみの中から、いかに自分が犯した罪が重く深いものであるかを思い知らされていく。
もし健康であり、家庭や職場での人間関係もうまくいっていたり、職業的にも恵まれていたらこうした深い罪の意識は生れなかったであろう。
人間はやはり何かの大きな苦しみや悲しみに出会ったとき、はじめて真剣に自らの問題をも考えはじめるからである。
それは新約聖書においてペテロが、キリストとともに三年間を過ごし、主イエスの数々の奇跡を見たり、教えを実際に身近に聞いていたときには、自分の罪が分からなかった。福音書においてもペテロなど十二弟子たちが主イエスが捕らえられて十字架につけられる時までは、彼等が罪を深く知ったということは、書かれていない。逆に自分をイエスの右左において欲しいといったこの世の欲望と同じ地位の高さを求めるなど、それが罪だということすらわかっていなかった。
このように、いかに偉大な教師の側でいたとしても、罪を深く知ることはできるとは限らない。奇跡を見たからといってやはり自分の罪を深く知るようには必ずしもならない。
ペテロたちが実際に自分たちの罪を知ったのは、主イエスが捕らえられるときに逃げてしまったこと、ことにペテロが三度も主イエスを知らないと言ってしまったときに初めて深く自分の罪を思い知らされたのであった。
真理や愛、正義などを十分に三年間も直接にイエスから学んでもなお、それまで受けた大いなる導き手であるイエスを全く知らないなどと言ってしまうほどに、人間は自分で自分の罪の深さが分からないのである。
そしてもう二度と元に戻せないような結果を生んでしまう。自分が何年間も絶大な恩を受けた人を全く知らないなどと、いえばふつうはその人とはもうどうすることもできない溝を作ってしまうであろう。
私たちの場合も人生の歩みのなかで、数々の問題や苦しみが生じるのは、たいていはそうした罪の問題があるからである。
罪こそは私たちの歩みの中に、自分や他人に対して落とし穴を作り、脇道を作り、深い淵へと落ち込ませるものである。例えば、ある重要なことで嘘をついたなら、その嘘が重大なものであるほど、双方の人間関係は致命的となって破壊される。罪はこのように、自分の内なるよきものだけでなく、他人との間にある善きものをも壊していく。
こうしたどうにもならないところをこの詩の作者は「深き淵」と言っている。
しかし、このような深き淵にいるのは、この詩の作者だけであろうか。
そうではない。人間はみんなこのような罪を犯したゆえの深い淵にいる。パウロがローマの信徒への手紙で述べているように、

では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるだろうか。全くない。ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にある。
次のように書いてあるとおりである。
「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。…」(ローマ三・912より)

こうした見方は私たちの常識ではない。世間の常識では、悪い人、罪人もたくさんいるが、よい人もたくさんいるのであって、みんなが罪を犯しているなどということは全く言われないことである。
たしかに人間的な見方からすれば、そのように言える。しかし絶対的な正しさや無限の神の愛、清さという点から見るとき、人間のなしていることは罪にまみれている。心の奥深いところまでそうした清さや愛で満ちているとか正しさばかりであるなどということは考えられないことである。
人間は自分や他人のこと、社会や世界のことで何が正しいのか、間違っているのかということすら、正しくは分からないのであるから、本当に正しいことを考え、感じ、それを行なうということは本来できないことなのである。
このような罪ふかき本性をもった自分はどうしたらいいのか、そのまま裁かれ、滅びていくほかはないと思われる、それがこの詩の作者の深き淵にいるということである。それは正しい神からどこまでも離れてしまっているという意識である。
しかし、この詩が私たちに告げているのはそのような深い淵から私たちは叫ぶことができる、そしてどんなに深い罪を犯して取り返しのつかないことになっても、それでもそこから叫ぶことができるということである。
聞いてください、私のこの叫びを、罪を犯したこの私を、他人にも取り返しのつかないことをしてしまったこの私をどうか赦してください、と叫ぶことができる。
それは聖書の世界に住むことを許されたもののいわば特権である。
もしこのような叫びをあげる相手をもたなかったら、私たちは犯した罪の重さのゆえにどこまでも深い淵のなかを落ち込んでいくしかないであろう。

主よあなたが罪をすべて心に留めるなら
主よ、誰が耐えることができようか

しかし、罪ゆえに魂が縛られ、深い淵に沈んでしまい、心が前に進むこともできなくなったときであっても、赦しは神にある。赦しによって私たちの心を縛っていたものはなくなっていく。そこに自由が与えられる。それは縛られた魂がたしかに解放されたという実感である。
このような古い時代において、神は私たちの心の最もどうにもならない問題を解決して下さる御方であるということがはっきりと記されていることに驚かされる。
赦しを神から与えられるとき、人間からは依然として評価されず、憎しみや軽蔑を受け続けているとしても、深い安らぎの心が与えられる。それは何にも代えることができない。それはどんな地位や権力、金の力をもってしてもできないことと実感する。
それゆえに、神への畏れはここから生じる。神の絶大な力を実感することがなかったら、神への畏れは生れない。ここでいう神への畏れとは、恐怖とは全くことなる感情であって、絶大な力を持つ御方への深い敬意と愛の溶け合った感情である。魂の最も深いところでの出来事がなされてはじめてそのような感情が生れる。
そして罪の赦しという深い体験から、どのようなことに対しても希望を持つ心が生れる。罪の赦しこそは、人間が神の力を実感する最も深いものであるからである。それゆえ、この詩にはつぎのような強い希望の心が繰り返し記されている。

わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望む。
わたしの魂は主を待ち望む。
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。

私たちが弱くつぶされそうになったときにも見捨てないで、赦し、力を与えるという神の愛を本当に知ったとき、私たちには希望が生れる。この世はたしかに闇があり、苦しみがあり、どこに行っても悩みがある。そして最後には病気や死が待ち構えている。
そこには希望が次々と壊れ、消えていくしかないように見える。そのただなかに神は希望を見出すようにして下さっている。
いかなることがあっても壊れないような希望、それはこのように罪赦されたという実感から自然に生じるのである。
これは通常の希望といかに異なっていることであろうか。ふつうの希望は、自分のうちなる深みからでなく、外側をまず見ることから生じている。友達をもちたい、容姿がきれいになりたい、パイロットや野球の選手になりたい、いい大学に入りたい、健康とかよい結婚への希望などなど、それらはみんな自分の心の深いところとは関係なく、外側のものを見てそれをたんにほしがるという気持ちなのである。
しかし、外側のそうしたものは時間が経てば消えていくし、たいてい自分の手の届かないところにある。またそれらは偶然や他人の意志で変わってしまう。
しかし、罪赦されたところから出発する希望は、自分という最も身近なところから出発するゆえに、強固なものとなる。
罪を赦すような愛、万能の力それを自分にもまた他人にも豊に与えられるようにとの願いが生じる。そしてそのような万能の神が自分の直面する病気や人間関係、また将来のことなどさまざまの問題についても希望を持つようにとうながしてくれる。
他人のこと、世界のことについてもその万能のゆえに希望を失うことがない。それゆえこの詩の作者も、自分の罪赦された経験から、他者へとその心が広がっていく。

イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かな贖いも主のもとに。
主は、イスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。

自分の同胞にも、豊かな罪の赦しを与えられる神を待ち望め、と呼びかける心が生れる。それは深き淵にいて、もう絶望的な苦しみにあえいでいた魂といかに異なる状況であろう。

深き淵、それはこうした罪のゆえでない場合も多くある。病気や事故、あるいは家族の離反、そして職業上での困難や、人間との対立などなどである。
ことに病気が重くなってくればそれは耐えがたい苦痛と将来への不安、すべてが失われるという悲しみ、他人に大きな負担をかけるという心の重さなどが幾重にも取り巻くことで深い淵に落ちていくように感じることであろう。
こうしたとき、本当に神への叫びをあげるときに主は聞いて下さる。
しかし、そのときでも、そのような苦しみを通して自分の罪を知ることが求められている。
主イエスも、中風で寝たきりの苦しい生活をしてきた人が担がれて主の前に、家の屋根をもはいでつり降ろしたとき、意外にも「あなたの罪は赦された」と言われた。彼等は自分たちの仲間が中風で苦しんできた、もう絶望的なほどの苦しい生活のゆえに必死でイエスを信頼して遠くから運んできた、そこには彼等自身の罪の意識はなかったであろう。しかし主イエスは彼等の主イエスへの信頼のゆえに、彼等自身も気付いていなかった人間の根本問題に御手を触れて下さったのである。
また、サマリアの女が井戸のそばでイエスと話して、永遠の命の水を下さいと求めたとき、主イエスは彼女の過去の罪を明らかにされた。罪を犯してきたということに立ち返ることなしに、いのちの水は与えられないからである。
私たちがいかに深い淵、暗黒の淵に置かれようとも、主は必ずその愛する者のためにそこから引き戻してくださる。そのとき、私たちが自分の罪を深く知れば知るほど、そこに与えられる赦しをもいっそう深く感じ、そこから生れる希望も揺るぎないものとなるのである。



st07_m2.gif人間の力の過信(原子力発電のこと)

関西電力の原発、美浜三号機の配管破断事故で、死者四人、負傷者七人という日本の原発史上最大の事故が生じた。そうした事故はアメリカで、一九八六年にすでに生じており、美浜三号機と同様に、配管が破断して高温の蒸気が噴出し、四人が死亡、八人がやけどをしたことがあった。
しかし、その後関西電力は報告書で、「日本の原発では徹底した管理が行なわれており、そのような事故は生じないと考えられる。また、配管が磨耗して薄くなってしまっているかどうか膨大な箇所の検査をした」という内容の報告書を国に提出していたという。
かつて、阪神大震災のときにも、その一年程前にアメリカのロサンゼルスでの大地震で高速道路の橋桁が崩壊したとき、日本の技術者は、日本ではあのようなことは決して起きないと自信にみちた調子で語っていた。しかし、現実にはそれよりはるかに大規模に高速道路の橋脚が倒壊し、橋桁が落下して甚大な被害が発生したのであった。
今回の原発の事故に、アメリカのスリーマイル島原発の事故のように、さらに別の安全システム上の事故が重なったなら、重大事故である炉心溶融(*)ということにまでつながりかねない重要な事故であった。
このように、科学技術への過信は場合によっては取り返しのつかない事態を招くことになる。
多くの科学技術者や、それを用いる政治に関わる人間たちは、人間のすることはすべてきわめて不完全であるという基本的な認識ができていないことがしばしばある。今回の破断事故も、破断したところが点検リストに入っていなかったということであり、ほかにもそうした点検リストからもれている箇所が多数見つかっている。
厳密に正しく検査をしようとすれば、膨大な数の点検をしなければいけないのであって、それらを完全にするかどうかは、下請けの会社の誠実さにもかかわっている。いくら電力会社の首脳部や技術者が命令したところで、最終的に保守点検をするのは人間であり、その人を動かすのも人間であり、その人間は疲れも生じるし、勘違いもある。またときには嘘もつくし、安楽を求め、楽に収益を得ることを考える傾向がある。
それゆえ、どんな精密な科学技術であっても、個々の人間のなかに宿るそうした不真実な本性があるかぎり、今後もいかに検査などを徹底すると言ってみても、絶対安全などということはあり得ないのである。
このようなことはごく当たり前のことであり、だれでもわかっているはずのことであるが、いつのまにか、「絶対安全」だとかいう言葉が発せられるようになっていく。そして事故が起こってからいろいろの間違いや手抜き、嘘などが発覚する。
もしも、日本の原発でチェルノブイリのような重大事故が生じたら、日本では人が狭い国土に集中しているために、死者や病人がおびただしく発生し、国土は放射能で汚染され、大混乱に陥って農業などの産業、経済や交通などにも致命的な打撃が生じることが予想されている。
また、日本ではロシアのように別のところに大挙して移住するところもなく、住むところもなくなる人が多数生じるという異常事態になるであろう。
だが、日本ではそんなことは生じないなどと、何の根拠もないのに、断言するような電力会社や科学技術者、政治家もいる。しかし、過去の原発事故の歴史や、今回の事故を見てもそのような断言は虚言に等しいといえる。
そうした綱渡りのような危険な原発を止めることを真剣に取り上げ、そのためにはどうすればよいのかということを真剣に考えていくべき時なのである。
人間の弱さがこうした社会的な問題にもその根底にあり、その弱さや不真実、利益、金第一主義といった本性をいかに克服できるのか、それが根本問題である。
このような人間の奥深い性質に関わることは、どんなに科学技術が発達しても少しも変えることはできない。
社会的な汚れと混乱を声高(こわだか)に非難してもそれを言う人自身のなかにも同様な汚れ、罪がある。
現代の科学技術は、はるか数千年の昔に書かれた創世記にある、バベルの塔を思い起こさせる。

彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。」(創世記十一・4より)

この素朴な言葉を表面的に読むだけでは、単なる神話か、昔の空想的物語にすぎないと思う人が多いだろう。
しかし、創世記は随所に以後数千年にわたって真理であり続けるような内容が、それとなく秘められている。
ここでも、数千年前のメソポタミア地方で最も貴重な技術的産物が、大きな塔であった。それがバベルというところにあったために、バベルの塔というように言われるようになった。
当時の技術がすすんで、石の代わりに、自然にある土を用いて建築材料とするレンガを造り出し、アスファルトをも得て、高い塔を作り、天にまで届かせようと考えたという。
現代でこれにあたるのは、科学技術のさまざまの産物であり、それらは、人類を破滅に導くような核兵器や、、クローン人間を造るとか、自然界にない動植物を造り出すことなど、危険なものも今日では数多く現れている。人間の精神まで、科学技術が進んだら左右できるのではないかなどということすら言われている。
しかし、そうした科学技術とその産物はいかにもろいものであるか、また人間がそうした科学技術の産物に頼り、それらは絶対安全だなどと言い出したとき、人間がみずからの醜さ、弱さや無力を忘れて、何となく神の座に座っているのと同様である。

私たちはつねにまず第一の出発点は私たち自身にあることを知り、私たちの内部のそうした不純、罪を赦され、清められ、そこから新しい力を受けるという原点に立ち返ることこそが、基本になければならないと思う。 キリストが来られたのは、まさにこの最も困難な問題の解決のためなのであった。
自分自身がまず、そのようにして内部の罪から解放され、神の国のために生きるようになっていくこと、それが私たちのなすべきことであり、また信仰によってなすことができることである。
この世の全体としての状況は、最終的には神ご自身が導かれるのであってそれを私たちは信じて生きることが求められている。
キリストが人間の罪の赦しため、罪の力から引き出すために地上に来られたという意味は、現代の世にあってますますその意義を深めているのである。

*)炉心の核燃料が融点を超えて溶融する原子炉の重大事故。一九七九年三月に米国スリーマイル島2号機で起きた事故では、原子炉炉心の約半分が溶融した。さらに一九八六年にソ連のチェルノブイリ原発で起こった原子炉の炉心溶融(メルトダウン)は、全ヨーロッパに放射能をまき散らした。この事故以降、この原発周辺の広大な地域で、数万人が放射能に関係のある病気で死亡している。この事故によって生じた甲状腺ガン患者は二千人近いと言われている。またこの原発事故により広島原爆の六〇〇倍ともいわれる放射能が北半球全体にばらまかれ、日本の国土でいえば五〇%にも及ぶ広大な地域が汚染され、数多くの人が放射線を受けることになった。被災三国(ベラルーシ、ウクライナ、ロシア)だけでも九〇〇万人以上が被災し、四〇万人が移住。六五〇万人以上が汚染地に住み続けている。
福井県の原発で炉心溶融のような大事故が生じると、京阪神の大都会をすぐ近くに控えていることから、ロシアのチェルノブイリ事故をはるかに上回る死者と、一〇〇万人を越えるガン患者が生じるとも想定されており、その場合の被害の甚大さは、阪神大震災などとは比較にならない。



st07_m2.gif委ねる

この世は偶然が支配している、神などないと思っている人が大多数を占める日本においても、一五四九年にキリスト教が初めて日本に伝えられてから、神とキリストを信じる人はこの四五〇年あまり途絶えたことがない。
それは確かに神がおられるという実感を与えられる人がいかなる時代になっても変ることなく生れてきたからである。どんなに悪がはびこり、また迫害が厳しく、背教する人も次々と生じてもなおキリストを信じる人がたえることなく続いてきたのは、神がおられるという実感を与えられるからである。
そのためには、祈り、学び、礼拝集会などいろいろがそのような実感を与えるのに役立ってきた。それとともに委ねるということの重要性がある。私たちがいるかいないかわからないように感じても、思い切って真実なる神に委ねて決断したとき、予想していなかった神からの助けや道が開かれることを私は経験してきた。
そのたびに神が生きて働いておられるという確信が深められてきた。
委ねるとは、目をつぶって飛び下りるような気持ちでもある。その決断をすればどうなるか分からないが神のみを見つめて決断をする、そこにだれもが予想していなかった道が開けていった。
これは書物では学べないところがある。その決断をせねばならないような状況は、各人によって異なる。それぞれが置かれた状況での決断はただその人だけがその困難さを知っているし、あとに続く苦しみなども自分が背負っていかねばならない。
そうした決断をする心を神はじっと見ておられる。私たちが真実な心でなせばなすほど、神の国をまず見つめて自分のことを第一にしない心であるほどに、神は私たちを未知のところ、神のわざを実感できるところへと導いて下さるのである。



st07_m2.gifことば

191)病気や高齢の人のなかには、「私は人の役に立つようなことは何もしていない」と言って心を痛める人がいる。しかし、彼らは忘れてしまったのであろうか、その祈りはいつも神に迎え入れられているということ、その祈りは彼らの思いをはるかに超えて何らかの事を満たしているということを。(「信頼への旅」ブラザー・ロジェ著 149P

・私自身、このような嘆きの言葉をよく耳にしてきた。しかし、弱き者を慈しまれる神、キリストに従う者だからといって差し出す水一杯にも豊かな祝福を約束された主は、病の人、老齢の人の小さき祈りをも決して無にされることなく、それを必ず何らかのことを満たすために用いられる。それはだれかの心の平安を満たすことであったり、社会のどこかにいのちの水を、平和をもたらすことであったり、病の人の苦しみを軽くすること、家族のなかに恐れを神への信頼に変えることであったりするであろう。
192)あなたが神の導きに身を委ねるならば、いろいろと「計画」を立てることを差し控えなさい。あなたを前進させるすべてのものが、はっきりとした必要が生じたり、適切な機会が与えられたりして次々にしかも正しい順序で、あなたを訪れてくる。(「眠れぬ夜のために上 五月五日の項より」)

・これは生きた神の働きを実感した人の言葉である。私自身、必要なときに思いがけない人から必要なものが与えられたこと、重要な岐路にあるとき、予想もしなかった人が現れて助けてくれたこと、また予期していない助けが与えられたことも、みな自分の計画や予想してなかったことであった。偶然ばかりがあるようなこの世界において、私たちが委ねていく心があるとき、神はそれに応えて不思議を現して下さる。



st07_m2.gif返舟だより

○八月七日(土)~八日(日)の二日間、京都桂坂のふれあい会館にて、近畿地区無教会 キリスト教集会が開催され、京阪神のほかに、奈良、愛媛県、徳島県、広島県などからも参加者があり、五〇名ほどが集いました。
年齢的にも高校生から、九五歳の方までいろいろの方が参加して、「希望」をテーマに聖書を学び、講演もあり、特別讃美や証し、早朝祈祷、読書会もありました。今回も土曜日と日曜日の二回の聖書講話は吉村 孝雄、講演は、山形謙二氏(神戸アドベンチスト病院長)が担当。
なるべく多くの人に司会など何かの役割が与えられるように配慮されていて、全体として今回の集まりもキリストのからだであるとの感じを与えられたことです。
聖書やキリスト教に全く初めての若者も、大阪狭山集会に属している人の紹介で参加したのですが、そのような人にこそ、主が天の国の何かをその魂に刻んで下さったことを思います。
日曜日ごとの集会が基本ですが、その上にこうした合同の特別集会が与えられることは、大きな幸いです。日頃出会うことのない、キリスト者たちとの出会いからまた新たなつながりが与えられ、学びがあり、ふだんの集会では与えられない霊的な飛躍が行なわれてそれから新しい成長が始まることも実際にあります。
来年の桂坂の集会もさらに祝福され、闇に打ち勝つ光としての役割がなされますように。

○八月十三日(金)~十六日(月)
北海道の南西部にある日本海側の町、瀬棚町(小樽から百七十キロほど南)にて第三十一回の、瀬棚聖書集会が行なわれ、去年に引き続いて、吉村(孝)が聖書講話を担当することになり、私たちの徳島聖書キリスト集会からも四名が同行し、また兵庫県の方も一人参加して部分参加を含めて三十名ほどの参加で行なわれました。
三泊四日という聖書集会としては長い日程で、地元の参加者は酪農家の方々で、参加できる日とか時間帯に聖書集会に参加するといったかたちで、また、その家の家族で参加するといったかたちになっている人たちもあり、ほかの地域の聖書講習会とはかなり異なる集会です。
聖書講話は新約聖書と旧約聖書の双方を用い、聖書全体のメッセージを見つめることができるようにと考えました。また、日本キリスト教団利別教会での礼拝説教は、詩編のなかから選びました。それは、詩編の特別な重要性にもかかわらず、教会、無教会を問わず、概して詩編がわずかしか取り上げられていないと感じていたからです。
瀬棚聖書集会が終わってから、札幌に行きましたが、そこで私たち徳島からの参加者との交流会が準備されていました。そこでは、旭川や苫小牧からも参加者がありました。旭川から札幌まで百四十キロ、苫小牧市からでも九十キロほどもあるのに、幾人もの方々が参加して下さって感謝でした。そして地元の札幌市内の方々も十六名ほど、さらに神奈川県から札幌にちょうど来ていた方も参加され二十一名の方々が私たち徳島聖書キリスト集会との交流会に参加して下さいました。
はじめは、中途失明された大塚さんご夫妻とお会いするということから始まったのですが、札幌の方々にも紹介していただき、さらにそのことが旭川や苫小牧のキリスト者にも広がって今回の交流会となりました。
その後、私は青森県、岩手県、山形県と立ち寄り、それぞれ数年~十年ぶりの再会を与えられました。弘前では以前徳島にも来ていただいた斉藤さんを訪ね、いままでの歩みなど、またキリスト者が町立の病院長として歩む際に直面する困難も知らされました。岩手県盛岡市では、キリスト教を学校の基本においている高校の教員をしている田口さんが、学校を案内して下さり、その後自宅にてご夫妻と主にある交わりが与えられました。最近は「農夫」という四ページほどの印刷物によってその考えておられることや信仰が伝わっていました。
 奥さんは、静岡県清水市での集会のときにいつもお目にかかっている、石原 正一さんの娘さんということで、私が北海道瀬棚町で、一日を宿泊させていただいた野中 正孝さんとキリスト教独立学園時代に同級であったとのことで、いろいろとつながりがあることがわかり、主の見えざる御手を思いました。
 ついで、山形県の寒河江市(さがえし)の、黄木 定(さだむ)兄を訪ね、いろいろ山形の地における無教会関係の人たちのことをうかがいました。そして翌日は、黄木さんの車で、長い年月、山形無教会を支えてこられたキリスト者の方々を訪ねることができました。いずれの方々もご夫妻で迎えて下さり、短い時間でしたが主にある交流が与えられ、それまではお名前だけ、あるいは全国集会で挨拶だけしたことがあった程度のことでしたが、今回は親しくお話をうかがうことができました。
そのうち、小関さんは以前からこの「はこ舟」と、「今日のみ言葉」というインタ-ネットで送付している伝道用のメールを通じての交わりがありました。小関さんは、ホームセンターを経営され、多くの支店をもつ大きな会社となっていますが、つねにキリスト中心に歩んでこられたことを以前からも知らされていました。今回は親しくご自宅にうかがって主にある交流のひとときを与えられました。
 その際、奥さんから、意外なことを聞きました。それは、私は大学四年のときに初めてキリスト教を知って、無教会の京都北白川集会に短い期間参加しましたが、そのとき、富田 和久、塩谷饒(ゆたか)の 二人の方が聖書講義を担当されていましたが(現在はお二人とも、召されています)、そのうちの塩谷氏の奥さんが、小関さんの奥さんの姉だと知って、三十五年以上も前のことが目の前に鮮やかに浮かんでくるような気がして、その長い歳月も主が見えざる御手をもって導いて下さったことを感じました。
ときどき主はこのように、この広い世界で無数の人たちが無秩序に生きているように見えるにもかかわらず、主が生きて働いて私たちを必要なときに、その導きを知らせるために意外な出会いを与えて下さることを思いました。
徳島では考えられない東北地方の涼しい大気のなかに、青い空、白い雲が浮かび、主への感謝をあらたにしたことです。