巻頭言

常に喜べ、絶えず祈れ、すべてのことに感謝せよ。
これこそ、神があなた方に望んでおられることである。


(Ⅰテサロニケ五・1617より)



20067月 第546号・内容・もくじ

リストボタン待ち続ける神

リストボタン赦しと導きの神

リストボタン救いについて

リストボタン慰霊を越えるために

リストボタン詩の世界から

リストボタンことば

リストボタン編集だより

リストボタンお知らせ



リストボタン待ち続ける神


仕事が終わって夜帰宅するとき、家がまっ暗で誰もいない、待ってくれている人はいないという状態と、妻なり夫なり、あるいは子どもたちが待っている状態とは大きく異なる。待っていてくれる人がいないとき、帰宅もわびしいものになるだろう。人間は本質的に他者とのつながりを求める存在であり、一人きりというのは必ず心にも影を投げかけてくる。待っている人、それがあるから心の支えになるということも多い。
聖書に記されている神、そのお方は、私たちを待っていて下さるという。

…主は恵みを与えようとして
あなたたちを待ち
それゆえ、主は憐れみを与えようとして
立ち上がられる。まことに、主は正義の神。
なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。(イザヤ書三十・18

私たちがどのようであっても、愛の神であるゆえに、祈りの心をもって待っていて下さる。社会的に活躍していても、神の正義や真実とは相いれない心でやっているということもよくあるだろう。人間の道はつねに間違って、それていく。それゆえに神は正しい道に立ち返るのを待っておられる。
このような神がいて下さるゆえに、私たちの心の家はまっ暗な人気のしないものではない。そこには神が、主イエスが待っていて下さる。
人間の愛も誰かを待ち続けることがあるだろう。しかし、ある人があまりにも背き続けているなら、もう立ち返るのを待つことができなくなり、悲しみのうちにあきらめるか見捨てるかということになる。
しかし、神は無限の愛であるゆえに私たちを見捨てることがない。
新約聖書で最もよく知られたたとえのひとつといえる、放蕩息子のたとえはこのような待ち続ける神の姿を表している。

…ある人に息子が二人いた。
弟の方が父親に、まだ父が生きているのに財産の分け前をもらって遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。…
彼は豚の餌を食べたいと思ったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、彼は我に返って言った。『…ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』(ルカ福音書十五・1124より)

このたとえには、何一つよいことをせずに金を使い尽くしてしまった息子ですら待ち続け、心を入れかえて帰って来たら直ちにその息子を責めることもせずに受け入れる心が見られる。
しかし、この兄は帰って来た弟を喜ぶこともせず、そのような人間に最大級のもてなしをした父親を責めて、非難した。ここに待つことのできない人間の姿が、父の心と対照的に示されている。
人間は、悪いことをした者に対してどこまでも待とうとする姿勢はない。悔い改めを待ち続けることをしない。すぐに非難し、裁き、あるいは見下し始める。
このように、人間がよくなることを待ち続けることをしない人間と、どこまでも、十字架上で最後に悔い改めた重い犯罪人のような人をも待ち続けておられた神の愛がうかがえる。

…あなたが呼べば主は答え
あなたが叫べば
「わたしはここにいる」と言われる。(イザヤ書五八・9

神がこのように私たちを待っていて答えて下さるということを、この書を書いたイザヤという預言者は深く体験していたのである。
通常の私たちの経験はこのような待っていて下さる神、というのは信じがたいかも知れない。待っても待っても何にも答えもなく、祈りを聞いてもくれない、といった不満や不信があるからである。
しかし、そうした多くの人たちの反論を越えて、神はこのように待っていて下さるのだ、ということを預言者は啓示されて私たちに示している。聞いて下さらないように見えるのは、それは神の深いご計画のゆえであり、じつは聞いて下さっているのだ。
神は愛であるという。そして愛とはまさに、どこまでも待ち続ける本性を持っている。新約聖書の最後の書である黙示録にもこのような神の待ち続ける愛が記されている。

…悔い改めよ。見よ、私は戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者とともに食事をし、彼もまた、私とともに食事をする。(黙示録三・1920

先にあげた放蕩息子とその帰りをどこまでも待ち続けた父親の姿は、この黙示録の言葉にかなったものである。父親は金を持ってどこへともなく行ってしまい、すべてを使い果たしてしまったような役立たずの息子の魂の戸口に立って彼の魂の扉をたたき続けていたのであった。
そして息子が心を開いて父親に向かってきたとき直ちに父親はこの黙示録の言葉どおりにその息子とともにゆたかな食事をしたのであった。
入口に立って戸をたたき、中から戸を開く者を待ち続けている神がおられるということは、いかに私たちの心の間近におられるかということである。私たちはたとえ目に見える家では待つものがなくとも、この世で自分を待っていてくれる者がもはやなくなったような状況に置かれても、神だけは待っていて下さるのを信じることができる。そして私たちのところに来て下さり、霊的な賜物を豊かに与えて下さるのである。
この世の生涯はいずれ終りを告げる。しかし、死の後には永遠の無や冷たい墓が待っているのでなく、愛と真実に満ちた父なる神が待って下さっているのである。

 


リストボタン赦しと導きの神

この世で生きるときには誰でもさまざまの間違い、罪を犯していく。本当に正しい道が示されているのに、一時の感情から間違った道を選ぶということもよくある。犯罪などたいていそんなことをしたらいけないのはよく知っているはずなのに、一時の感情に引きずられて間違った道に入り込んでしまう。
実際にそのような間違ったことをしなくても、心の中で、よくない思いを抱いたり、憎んだり、真実などない、などと考えて嘘をしてもいいだろうなどと考えてしまうこと、周囲の人間に対して不適切な言動をしてしまうことなど、後からそれは悪かったと思うようなこともたくさんある。言ってはいけないことを言ってしまって取り返しのつかないことになることも多い。
こうしたすべてに悩まされて生きるのがこの世である。前をまっすぐに見つめられないで、何が神の国と神の義なのかを思わず、自分の感情や考えを第一にしてしまう。それに引きずられていく。
このようなすべてに対して、自分の言動の結果、こんな困ったことになった、大きな罪を犯した、迷惑をかけた、など考えているとますます心は萎縮していく。
こうした人間の心の世界に、神は赦しという世界があるのを教えて下さった。そうしたすべての失敗や罪、不適切な言動など、すべてが赦されるのだ、ということ、しかもそれはただ、神を仰ぐだけ、キリストの十字架を仰ぐだけでよい、キリストが十字架にかかったのはそうした私たちすべての日常的な罪のゆえなのだと信じて十字架を仰ぐとき、私たちは、キリストがその十字架の上から、「もうそのことはいいのだ、赦してあげよう」という静かな細い声を聞くことができる。
これこそ福音である。万人にとっての喜びのおとずれである。
そしてただ、赦されただけで終わることなく、そこから新たなところへと導いて下さるのが、聖書で示されている神であり、キリストである。
人間はこうした愛を持たないゆえに、しばしば赦さない。責めて、攻撃し、あるいは見下すことが多い。しかし神は愛であるゆえに、どんな大きな失敗ですらも赦し、慈しみをもって近づいて下さる。
そして赦された者は、神の愛とは何であるかを知らされる。そしてその愛を知った者は、おのずから前進しようという気持ちになる。そのような愛を受けたときには、同時に前進の力が与えられる。
罪のことをずっと思い続けていると、心身は消耗して弱ってしまうが、赦された魂は、新たな力を与えられる。

…しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ書四〇・31

その与えられた力によって私たちは主の道を歩むことができるようになる。それはしかも導かれる道である。この世にもいろいろの道があって、例えば東京に至るまでには実に多様な道を通って行くことができる。
しかし、最もはやい道は航空機だというように決まってくる。
人間の歩む道も、さまざまある。脇道から入り込んで迷い、泥沼に陥りつつ進む道、曲がりくねっていてさんざん苦労してどこに通じているのか分からない道、傲慢な心をもって歩む道、また悲しみばかりの道、あるいは赤穂の浪士のように敵を憎み仕返そうとすることを考えての道、そのような特別な例でなくとも、人間的な敵対感情とか、怒りなどを持ちつつ歩むことも実に多い。
そうした中で、真っ直ぐな道、神の国へのひとすじの道はある。神はそのような道を歩むようにと絶えず私たちの心の手を引かれる。
旧約聖書の最初、アブラハムもそのようにして、数々のこの世の道とは全くことなる道、神に導かれる道を歩み始めたことが聖書に記されている。「あなたの故郷、親族、家族などを離れて、私が示す地に行け」という神の言葉を受けたアブラハムは、その言葉に従って歩み始めた。その歩みは以後数千年にわたって無数の人々の導かれていく歩みを預言するものとなった。
アブラハムは、神の約束の言葉をそのまま信じてそれによって義とされた。神の道を歩むためには、信仰によって、神から義とされることが必要である。すなわち、神から罪深い私たちが、それで正しいのだ、よいのだとみなして頂いた上でなければ歩みは続かないことがこのような古い数千年も昔の文書にすでに記されているのに驚かされる。
この世の道は、赦しがない。競争の道であり、弱いものが踏みつけられ、罪を互いに非難しあい、攻撃しあう応酬の道である。それは、国際社会の数々の紛争にも見られ、個人的な狭いところでも至るところで見られる。そしてそれによって落ち込み、他者を妬み、また怒ったり、憎んだりする道である。そしてその行き着く先は、だんだんと魂が枯れていく。滅びていく。 よりよい存在によって導かれることがなかったら、自分の努力、能力で必死に競争して生きる、ついにはそのような力は必ず失せていくのであるから、そのような道は最終的には消えていく道である。
しかし、神に赦され、主に導かれていく歩みこそは、この世が決して知ることがなかった道である。それゆえに、次のように言われている。

…わたし(神)の思いは、あなたたちの思いと異なり
*
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ書五五・8010

数千年の歳月、無数の人々がこの道を人生の途上に発見して、そのときからその道を歩み始めた。そしてこの日本にも世界の至る所にもこの道は伝えられた。
この道は、目には見えない水が流れている。そして緑豊かな道、命に満ちた道でもある。
とはいえ、キリストの受難、あの激しい苦しみの道のかたわらにどうして水が流れているといえようか、と反論する人も多いだろう。
しかし、キリストの十字架の死とともに、神殿の垂れ幕が真っ二つに引き裂かれる驚くべきことが起こった。神殿の垂れ幕の奥に最も重要な至聖所というのがあり、そこで罪の赦しの儀式が行なわれるのであった。それは一年に一度、大祭司が入って行なうものであった。神殿の垂れ幕が二つに裂けたということは、そうした動物の血や特別な建物や職業的宗教家などによらず、罪の赦しが万人に向かって開かれたということの象徴的出来事であった。
これは、イエスの受難のかたわらに流れている命の水が、そのような歴史的な幕を引き裂くほどのエネルギーをもっていたことを示すものである。
さらに、あのキリストの十字架の苦しみを見て、神などいないと思った人がいる反面、唯一の神を知らないはずのローマ人が、次のように言ったのはまさしくキリストがあの受難の道のただ中を歩んでおられたその時においても、そのかたわらに命の水が静かに流れていたのを示すものである。
その命の水は、いかなる障害にもかかわらず、それが流れていくところの人間をうるおし、変えていく力をもっているからである。

…百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マタイ福音書十五・39

キリストが、「私は道であり、真理である」と言われたのは、こうした道がキリストそのものであり、キリストを信じてキリストに結びつくとき、私たちの歩みはそのままイザヤが預言している、天が地を越えているように、はるかに高い道を導かれて行くことが約束されている。
私たちは現実の力や弱さに引き込まれ、しばしばつまずき、倒れたり、脇道に入り込むことも多い。しかしそれでもなお、私たちがキリストに繰り返し立ち返るとき、それはこの世の汚れに染むことなく、またこの世の流れに押し流されることなく、死の力にさえも打ち勝つ道であり、そのゆえにこそ、永遠の命に至る特別な道なのである。

 


リストボタン救いについて

救いということについて、聖書の基本にある主イエスの言動を記した福音書ではどのように記されているか見てみたい。
救いとは、悪の力に勝利することであるから、主イエスの場合にも、まずサタンからの試み(誘惑)に勝利することが記されている。悪魔の誘惑に敗北するなら、それは滅びであるからだ。
主イエスがサタンの誘惑を撃退することができたのは、旧約聖書においてすでに記されていた神の言葉によってであった。悪魔に対抗するとき、主イエスが第一に用いられた言葉は、「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということであり、さらに、「主を拝み、ただ主に仕える」などの言葉であった。 これらが悪魔の誘惑に打ち勝つための指針であり、これらを守るときに悪魔は退けられ、救いへと導かれるということが、福音書の最初の部分に記されている。

そして次に聖書で記されているのは、イエスの宣教を一言に凝縮したものである。

「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ福音書四・17

このことについては、先月の「いのちの水」誌の六月号にかなり詳しく書いた。
悔い改めと訳された原語(メタノエオー)の意味は、以前にも書いたことであるが個々の罪のことを思い起こして反省する、といったことでなく、神への魂の方向転換に他ならない。この方向転換こそは、天の国すなわち神の御支配を受けることである。そしてそれこそ「救い」なのである。

主イエスの教えとしては最も広く知られている「山上の説教」(マタイ福音書の五章~七章)は、普通にはイエスの道徳的な教えのように受けとられていることが多いが、これも実は、救いを指し示しているのである。
以下にその一部を引用する。

…心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。(マタイ五・36より)

心貧しき者たち、彼らは、天の国を自分のものとするという。天の国、すなわち神の国であり、神の御支配を自分のものにするとは、救われたことに他ならない。
悲しむ者、それがひどくなると、パウロが述べたように、死に至る。
*しかしもしその悲しみの深い淵から、神へと心を方向転換するときには、彼らは神によって慰められると約束されている。
神の慰めを受けるとは、これもまた救いである。

*)神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらす。(Ⅱコリント七・10

さらに、正しいことを実行する人が幸いだ、と言われておらず、正しいこと(義)に飢え渇く者こそ幸いだ、といわれている。そしてそのような飢え渇くように正しいことを求める者は、満たされると約束されている。何で満たされるのであろうか。それは、ヨハネ福音書の最初の部分で強調されているように、キリストご自身が神の国のあらゆるよきもので満たされているのであって、そのキリストから私たちは目には見えない霊的な賜物を与えられて満たされるということである。
この世は欠けたところで満ちている。至るところで健康が欠けて病気の苦しみがあり、平和が欠乏して戦争や憎しみがあり、食物が甚だしく不足して飢えが広範囲にある。あるいは、愛情が欠けていて、それを無理やりもぎ取ろうとしてさまざまの悲劇が生じる。配偶者以外の異性を求め、また不正な男女の関係を若者が求めていく、あるいは親子であっても、通じるものがなく、双方が満たされないものを抱き続けていく。そうしたこともすべて魂の深いところで満たすものがないからである。
聖書においては、そのような人間の奥深い欠乏感を満たすものがある、ということが繰り返し強調され、記されている。
よほど深い満足を与えるものでなければ、人間の奥底にある欠乏感を満たすことができないが、それができるのは、万能の神でありその神と同質のキリストである。

… イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ福音書四・1314

人間の魂の奥から、目に見えない水、神の国のいのちそのものが溢れ出る、ということは、その人間の魂が最も深いところで満たされているからである。欠乏があるなら、到底そこから周囲によきものが流れ出るには至らない。
このように、山上の説教は単に教えでなく、救いはどのようなものであるかを指し示すものとなっている。
主イエスご自身が、救いということについてどのように言われたか。それは次のような箇所をみるとはっきりしてくる。

マタイ福音書では、五章から七章までの主イエスの山上の教えの部分が終わると、八章から新しい部分に入る。イエスが具体的に何をなさったか、という記述である。その最初に出てくるのは、らい病(*)の人のいやしであった。イエスが山を下りると、大勢の群衆が従ったが、そのとき一人のらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った。
「主よ、御心ならば、私を清くすることができます。」

*)古代において、らい病と訳されてきたされた病気の記述から、治ったときには祭司に見せるなどと書いてあることからも、従来らい病と訳された箇所は現代で言われるらい病とは違った皮膚病も含まれていたことが考えられること、またらい病という言葉には、長い間にしみ込んだ観念があるとのことで、新共同訳のように、「重い皮膚病」とか、日本語に訳さないで、原語のまま、「ツァラアト」とした新改訳もある。しかし、このようよ→ように、「重い皮膚病」と訳すると、なぜ他にもいろいろ重い病気があるのに、聖書で重い皮膚病だけがとくに取り上げられているかの理由が不明となる。

主イエスの前に全面的にひれ伏す姿勢、そしてこのただ一言によって主イエスはその病人の信仰を見て取り、救いを与えられた。当時は誰もらい病の人には手を差し伸べることをしなかったのに、、そしてその一言とともに、群衆がたくさんいるにもかかわらず、そして当時はらい病の人は汚れているので人との接触を禁じられていたというが、そのような状況であっても、なおこのらい病の人は、周囲の人がどう言うか、どんなに思われるか、汚れていて人との交際もできない状況であったのに、群衆の中にでてきたということがどんなに人々から裁かれるか、といったことを考えず、ただひたすらに主イエスにその心を注ぎ、ひれ伏したのであった。人がたくさんいる前で、ひれ伏す、ということはよほどの信仰があったのがうかがえる。もしイエスのことを単なる預言者だと思っていたら、決してひれ伏したりはしなかっただろう。
当時だれもがいやすことのできなかった、らい病を主イエスはいやすことができるという、イエスへの絶対の信頼こそがこの救いのもとになった。こうした深い信頼をいかにして閉鎖的な隔離された生活をしていたはずのらい病人が持つことができたのであろうか。
それは主イエスの恵みであり、神ご自身が引き寄せられたというほかはない。このことを、エペソ信徒への手紙では、次のように述べている。

…あなた方は、恵みにより、信仰によって救われた。(エペソ書二・8

神はそのご計画に従って、思いもよらない人たちを引き寄せ、イエスと神への信仰を持つようにされる。

らい病人のいやしの次には、ローマの百人部隊の隊長の僕が中風で寝込んでひどく苦しんでいる状況である。そのような苦しみに対して、主イエスがすぐに行っていやしてあげようと、言われたが、この百人隊長は、次のような意外なことを言った。

…主よ、わたしはあなたを私の家に来てもらう値打ちもないような者です。
ただ、ひと言おっしゃってください。
そうすれば、わたしの僕はいやされます。

このように言ったが、それは、百人隊長自身の経験として、自分が一言部下に命令すれば、部下はそのとおりに従うということをあげたのであった。イエスは絶大な力と権威を持っているのであるから、医者にもなおせないような重い病気に対してもその一言でいやすことができると確信していたのである。
イエスはこれを聞いて心を動かされ、従っていた人々に言われた。「はっきり言う。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」
*(マタイ八・510より)

*)「はっきり言う」と訳された原文は、アーメーン レゴー ヒューミーン (amen legohumin)であって、直訳すれば、「真実に私は言う あなた方に」である。アーメーンという言葉は、ヘブル語の副詞で、「真実に、まことに」といった意味を持つ語である。なお、この語のもとにある動詞は、アーマン aman であって、これは、確認する、確立する、固く立つ、真実である、などいろいろに訳されている。
それゆえ、この語の本来の意味は、明瞭性でなく、真実性であり、事柄が重要だということを意味しているのであって、「はっきり言う」という訳語のニュアンスとは異なる。例えば子どもが発音をあいまいにしたり、答える内容に確信がないときには口ごもったり、あいまいな言い方になる。そのとき、教師が、「はっきり言いなさい」と言うだろう。この場合、「はっきり」とは明瞭性に関する言葉であって、真実性や重要さとは関わりがない。
それゆえ、新改訳では、原語のニュアンスをくんで「まことに、あなたがたに告げます」と訳され、前田護郎訳でも、「本当に私は言う」とある。カトリックのバルバロ訳でも「まことに私は言う」と訳され、文語訳も「まことに汝らにつぐ」である。
岩波文庫の塚本虎二訳や最近出版された新約聖書翻訳委員会訳(岩波書店刊)では、適切な日本語はないと判断されて、原語のままに「アーメン、私は言う」となっている。
カトリックのフランシスコ訳では「あなた方によく言っておく」口語訳は、「よく聞きなさい。」と訳されているが、この訳語ではイエスが言おうとされていることが真実だというニュアンスがあまり感じられない。
なお、英語訳では、次のようにやはり「真実」(truth)という語やその関連語を用いた訳が多数を占めている。
Truly I tell you,New Revised Standard Version
In truth I tell youNew Jerusalem Bible
I tell you the truth New International Version


イスラエル人は、信仰の民族であった。地上の数知れない人々のなかで、最初にこの宇宙に存在する唯一の神を啓示された特別な民であった。しかし、そのようなイスラエルの民のうちにすら、この異邦人のように主イエスの絶対的な力、その言葉への無条件的な信頼を持つ人はいない、とのことである。こうした信仰深い人が、イスラエル人以外にいるということは主イエスご自身すら思いがけないことであった。
彼はたしかに信仰の人であった。その信仰のゆえに主イエスは言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」

また、次のような箇所も、主イエスへの信仰が救いにつながることがはっきりと示されている。

イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。…そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。
十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。…
会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」
イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」(ルカ八・4050より)

ここでも、死という万人に襲いかかる力に打ち勝つものは、信仰であり、その信仰によって死に打ち勝つ力が与えられる、すなわち救いが与えられると言われているのである。
この記事と結びついたかたちで、さらに次のことも記されている。

…イエスがそこ(会堂長の家)に行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。
ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。
この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。
イエスは、「わたしに触れたのはだれか。だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。
女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(同右)

このように、長い苦しみにさいなまれてきた女が救いを与えられたのは、イエスへの絶対の信頼であった。それまで医者や宗教指導者などあらゆる人によってもいやされなかった難病でも、主イエスこそはいやすことができる、という信仰であった。それはイエスのことを単なる人間とは考えていなかったのがうかがえる。人間以上の存在と信じていた。そのような主イエスへの信頼こそが、大いなる報いを与えられるということなのである。

さらに、こうした信仰による救いが、単にからだの病気が治ったということでなく、もっと奥深いものであることは、次の箇所がそれを示している。

… すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜(ぼうとく)するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。…
人の子(イエス)が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。(ルカ福音書五・1725より)

この記事では、病人自身の信仰は一言も言われていない。病人の友人たちの一途な信仰が主イエスに認められたのである。そして人々は中風をいやしてもらおうとしてきたのに、主イエスは、意外にも「あなたの罪は赦された」と言われたのである。当時は、神のみが罪を赦すことができると信じられていたために、主イエスが罪を赦すなどというのは、神を汚すことだと、激しく怒るようになった。
しかし、主イエスは、友人たちがひとすじにイエスの計り知れない力を信じて屋根をはがしてまで、病人をイエスの前に持ち出したというその信仰を認められたのである。
このような、信仰のみによって救われる、ということがとりわけ印象的に書かれているのは、十字架でイエスとともに処刑された犯罪人のことである。

…十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ福音書二三・3943

ここには、二人の重い罪人がいる。そして生涯の最後において、全く異なる道に別れていく。一つは最後まで神とキリスト、そして神の愛などを信じないで、イエスをのろい続けた。そして滅びていく人の姿がある。
もう一人は、最期のときにイエスこそは救い主だということを信じた。そして彼の重い罪をも赦されるようにと魂の方向をイエスに向けて転換し、何もよいことはしなかったであろうのに、ただ、心からイエスを信じ、イエスの復活を信じ、しかも十字架に付けられたイエスこそが救い主であると信じて救われた第一号となったのである。この福音こそは、後にパウロや他の人たちが命をかけて伝えた十字架の福音であり、それによってキリスト教のシンボルともなったのである。
救いを受けた罪人は、「…我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、(十字架で処刑されるのも)当然だ」と言っているように、特別に重い罪を犯したのであろうと推察される。しかしそれにもかかわらず、ただ十字架のイエスを仰ぎ、信じるだけで、ただちに救いに入れられたのである。
これは、だれにとっても、救いはどのようにしたら与えられるかを、実にはっきりと示すものとなっている。
この記述は、十字架上の犯罪人ということで、我々とは関係のない特別な人のことを書いてあるのだと思われやすい。しかし、そうでなく、この二人こそ、あらゆる人間の前に置かれている二つの道を象徴的に指し示すものとして記されているのである。
人間は、ふつうの常識的な意味で盗みとか殺傷するとかの罪でなく、神の御前に正しいのか、神の愛の道にかなっているのか、という基準に照らされるなら、どんな人でもおよそその基準に従えていないということが明確になる。神の愛とは無差別的であり、悪人にも敵対する人、中傷する人、悪意を持って倒そうとする人などすべてに及ぶものであるし、周りの偶然的に出会う人もみんな隣人であり、そうしたすべての人への愛、祝福の心をもって対するのが神の愛の道である。
このような高い観点から見られるなら、いかなる人もそのような道からはるかに遠いということになる。それゆえに、人間はすべて罪人だ、といわれるし、使徒パウロは、旧約聖書にある言葉を引用して次のように書いている。

…では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのか。全くない。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にある。
次のように書いてあるとおりである。「正しい者はいない。一人もいない。…」(ローマの信徒への手紙三・910より)

このように、人間は誰しもかつて行なったこと、言ったこと、なすべきことをしていないこと、なすべきことすら知らなかったこと、言うべきことを言わなかったこと…などなど罪はいくらでもあり、そのような罪を一つ一つ罰せられ、裁かれるのなら、みんな滅ぼされてしまうだろう。
神の前に大きな罪を犯したものであり、他者に対しても数々の罪を犯してきたことを思いだすだろう。そのような者であっても、ただ、主イエスを救い主として仰ぐだけで、罪の赦しを受けるのである。それはすべての人間のいわばモデルとしてこの一人の犯罪人のことが記されているのである。
そしてそのような単純明快な、信仰によって救われるということを信じないで、愛の神ご自身を信じることをせず、背を向け続けていくこと、そこには何らの平安もなく闇のなかに沈んでいくのが見えるようである。
私たちは皆、同じような罪を犯してきた人間にすぎないが、主イエスを仰ぎ見るかどうかで決定的な分かれ目になる。
信じるだけで救われるということは、新約聖書の福音書全体にさまざまの実例をあげて記されているのがわかる。現在の教会でよく言われる、水の洗礼を受けないと救われない、などということは、全く言われていないのはこのように福音書を調べるとすぐにわかることである。
そしてこの福音書にある、主を仰ぐだけ、ただ信仰によって救われるということは、すでに旧約聖書にもその本質的な真理が示されている。

…地の果なるすべての人々よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五・22

イザヤ書はキリストより四五〇年から七〇〇年以上も昔の預言を集めた書物であるとされているが、その後期のものにはとくにキリストの福音や新約聖書に通じる深い内容が多く含まれている。キリストの十字架の受難をありありと預言する内容もイザヤ書の五三章に見られる。
この四五章もそうした深い真理をたたえたもので、そこにこの救いの本質に関する言葉も現れる。
この真理は、後にキリストによってはっきりと語られ、証しされることになった。そして最後にあげた、十字架上の罪人の救いにみられる、十字架のキリストによる救いこそは、キリストの処刑とその後の復活後に特に呼び出されてキリストの使徒となったパウロが命をかけて伝えたのもである。
この、ただ信じることによって救われる、という真理は、このイザヤよりはるかに古いアブラハムのときにすでに閃光のように与えられている。それは十字架のイエスを仰ぐだけで救われるという真理の預言ともなっている。これは使徒パウロにとっては、十字架のキリストを仰ぐだけで救われるという真理そのものを指し示すものであったから、救いの根本を書いている、ローマの信徒への手紙に、そのことを力を入れて取り上げている。

…アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記十五・6

このように、ただ信じるだけで救われる、ほかには何もいらない、という単純明快な真理は、私自身が深く体験させられたことである。私はこの十字架のキリストを仰ぐだけで、救いを受けてそれまでの深い闇から救い出され、新しい命を与えられた。そして何を将来の仕事にするかということについての考えも根本から変えられた。これは議論とか意見、あるいはだれかの受け売りといったものでなく、動かすことのできない事実なのである。
そして私の生涯を変えることになった救いに関する真理は、このように、アブラハムという三千七百年ほども昔の人においてすでに示されていたが、その後もすでに述べたようにイザヤ書などの旧約聖書にも部分的に示されてきた。
そのうち、旧約聖書の詩集であり、預言の書という性質ももっている詩編もまた、単純な救いの真理を述べている。

…いかに幸いなことか。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。…
「主に私の罪を告白しよう。」
その時、あなたは私の罪と過ちを赦して下さった。…
あなたは私の隠れ家。
苦難から守って下さる方。救いの喜びをもって
私を囲んで下さる方。(詩編三二より)

ここにも、救いが神に向かい、ただ罪を告白するだけで、それまでの苦しみから解放され、救いの喜びによって囲まれている、と言えるほどになったのである。
この詩はダビデの詩とされているが、ダビデのものならば、キリストよりも千年も古くからすでに罪からの救いは、儀式によらず、組織や善き行いを積むことでもなく、ただ神を信じて、その罪を告白するだけでよいという救いの根本がはやくも経験されていたのが分かる。
こうした流れは、キリストにおいて完全なものとなり、救いはただキリストが神と同じ力を与えられている神の子だと信じるだけで、救われるようになった。さらに、キリストはその死が深い意味をもっていることを示された。

…人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。(マルコ福音書十・45

キリストは神の子であり、神と同じ本質を与えられているからこそ、死に打ち勝つお方であり、復活したし、その死そのものも万人の罪をあがなうというかつてない意味を持っていることを示されたのである。
このキリストの十字架での死の深い意味は、使徒パウロが聖霊の教えを受けて、この主イエスの言葉をさらに詳しく述べて世界に伝えることになったのである。

 


リストボタン慰霊を越えるために

毎年七月、八月になると日中戦争や太平洋戦争の何百万人という死者のための慰霊という言葉をよく目にする。
最近つねに問題となっている、靖国神社の問題もまた慰霊ということが根本にある。
「…本来、靖国神社問題とは戦没者に対する慰霊の問題であったのに、外交問題となってしまった」とか、「戦没者の慰霊の中心的施設は、靖国神社で ある」というような表現や主張がよく見られる。
しかし、慰霊とはどういうことなのか、現在生きている人間が死者の魂を慰めたりできるのか、そもそも死者は悲しんでいるなどと決めてかかって、それを慰めなければなどということが本当なのか、そのような考えに何の根拠があるのか、そのようなことの議論は全く見られない。
靖国神社に首相が参拝することによって中国との間に大きな問題が生じ、二国間に相互に相手国を非難するような心情が生れているのは悲しむべきことである。この根源をたどると、靖国神社が、日中戦争、太平洋戦争という侵略の戦争を引き起こした人たちを「神」としてまつり、それを国家を代表する首相が参拝するから問題になる。もし、戦死者などを単に「記念」するという施設ならばこのような問題は生じないのである。
神として祀り、参拝するということは、そこで祀られている戦争責任者をも敬い、あがめる、ということになる。それはかつての侵略の戦争を肯定することにつながるから、中国などは強い非難をするようになった。
しかし、戦没者を記念するということは、それを神として礼拝するというのとは全く異なる。記念するとは、間違った人間なら、そのようなことが生じないように、よき行動をした人たちならそのことを覚えて模範とする、また、関わりある人たちは亡くなった人たちのことを心にずっと覚えるということになる。平和記念館のような施設は、そこで戦争を讃美する施設でなく、戦争の悲劇をあらわす資料を置いて、それを覚えて間違ったことをしないように、平和への心を強めるという目的になる。
このように、靖国神社問題はつきつめてみれば、死んだ人間を神々として祀り、その霊を慰める、といった宗教的発想にある。
宗教といえば、多くの人が思いだす言葉は、この「慰霊」ということで、霊を慰める、ということである。戦争でなくなった人たちの霊を慰める、あるいは、飛行機の墜落による事故死の人たちの慰霊のために、山に登る、ということをよくニュースや新聞などで聞いたり読んだりする。
しかし、聖書では意外なことに、旧約聖書、新約聖書を含めると二〇〇〇ページを越えるような分厚い本であるが、死んだ人の霊を慰めるといったことは全くといってよいほど記されていない。
慰霊という言葉には、その背後には、死んだ人が悲しんでいる、恨んだり、悔しい思いをしている、だからそのような霊を慰めるのだという考えがある。
ことに、事故や戦争とか、人間同士の争いで死んだとか、畳の上でなく、野外で死んだとかになると一層その人は死後も悲しんだり、怒ったりしている、と思われて、そのような霊を慰めないと、生きているものに祟ってきて悪いことをするというのである。

しかし、聖書においては、死者に対する祈りの必要性は意外なことに、記されていない。
祈りというのは、自分自身を含め、生きている者に対するものとしてなされている。旧約聖書には一五〇編から成る詩集(詩編)があるが、そこでは単に自然を歌うとか、人間の愛情を歌うというのは全くなくて、常に生きた人間の苦しみや悲しみに手を差し伸べる神を待ち望むこと、そのような神の助けと愛を経験した喜びと讃美、悪が除かれること、神が創造した自然を讃美すること、神は従おうとする者を必ず恵み、真実に逆らって生きようとする者には必ず裁きがあることなどがテーマとなっている。ここにはどこにも死者への祈りというのがない。
現在の仏教で、死人に対する祈りというのが前面に表れるのは法事などで、それは次の仏教学者の言葉にあるように、生きている人への祈りでなく死者をなだめる行事なのである。
次に仏教関係の書物を多く出している仏教学者の書物から引用する。

「法事とは、葬儀が終わったあと、まだ不安定な状態にある死者の霊魂を、安定化させるために行なわれる儀式である。
従って、その背後には、死んだ直後の死者の霊魂は不安定であり、生きている者に祟りや災厄をもたらすかもしれないといった感情があり、定められた儀式(法事)をすれば死者の霊魂は安定し、祟らなくなるといった一般通念がある。」
(ひろさちや著「仏教のしきたり」70頁 著者は、東大文学部インド哲学科卒後、気象大学教授を経て宗教文化研究所長。仏教思想家)

盆踊りの起源についても、現在ではどこに起源があるのかほとんど考えたりしないで、はなやかな夏の行事となっているが、これすらも、もとは、死者への供養から始まっている。
七月は祖先の霊が家を訪れるものとされ、盆棚で帰って来た祖霊を歓待し、その後子孫やこの世の人とともに踊ってあの世に帰ってもらうのであり、 祖霊を慰め、死者の世界にふたたび送り返すことを主眼としている。
七月に行なわれる京都の祇園祭は数十万人もの観光客が訪れる華やかな祭である。
この有名な祭の起源もまた、死者の霊を慰めるということなのである。平安時代のころ、しばしば疫病が流行したが、その原因は菅原道真(すがわらのみちざね)などの政治的な争いで失脚して、恨みを現世に残して死んでいった人々の怨霊(おんりょう)の祟り(たたり)であると考えられた。この怨霊を御霊(ごりょう)ともいう。そこで神仏に祈りをささげて怨霊を慰め、鎮めることを目的に市中を練り歩く御霊会(ごりょうえ)が度々行われた。祇園祭はこうした行事のひとつ、祇園御霊会を起源として始まった。
このように、現在京都の三大祭として全国的に知られている大きな行事が、怨霊を恐れ、それを慰め、鎮めることから始まっているということは、いかに日本人がこのような死者の霊を恐れていたか、それを鎮めることにエネルギーを注いできたかを象徴的に示すものである。
なぜ、このように日本では、死人の霊を恐れてきたのだろうか。
それは、この世界を支配する唯一の神が存在しないと信じているからである。人間が死んだら一種の霊となって、不気味な恐いものとなる、それぞれの霊が何をするか分からない、という恐れがある。伝統的宗教では、どんな人間でも死んだら神になっていくのであり、恨みを残して死んだり、事故などで不本意ながらいのちを亡くした人はとくになだめられないならば、幽霊のようなものとなって生きている人間にたたってくる、というように考えられている。
しかし、キリスト教はそのような、さまざまの霊などは、神のまえに何の力もなく、神がすべてをご支配なさっているという信仰がもとにある。万能の主、万軍の主といった表現もすべてを支配なさっていることと結びついている。
また、事故や悲劇的な出来事でいのちを奪われた者であっても、その人の生前の心、何に心を向けていたか、この世の真実なもの、清いものにまなざしを向けていたか、自分の罪を知ってみまえに悔い改める姿勢を持っていたならば、その人の霊は神のもとにて復活する。それゆえに、そのような人の死後の魂を慰めたり、恐れたりするということは無用なことになる。
キリストは実に残酷な刑罰で殺されたから、ふつうの日本の伝統的な宗教では、その霊は恨みを持っているとか悲しんでいるということになるが、事実は全く逆で、神のもとに帰り、あらゆる罪の力をあがない、神と同じ存在となって私たちを見守っておられる。
最初の殉教者ステパノもその信仰のゆえに石で打たれたが、死ぬ直前に自分を迫害する人たちへの祈りをなし、天にいるキリストをまざまざと見ることが許されていた。そのような人が死んだら、恨むということはあり得ないのであって、逆に地上に残された人間を見守り、励ましている存在となっていると考えられる。パウロやペテロなど、あるいはそれ以後の迫害されていのちを奪われた無数のキリスト者たちも同様である。
彼らの霊に対して、生きている人が供養したり、なだめたり、あるいは慰めたりするということは全く無意味なのである。そうでなく、そうした人たちを私たちは思い起こし、記念とし、私たちの歩みを正しくすることにつなげるのである。
だから、キリスト教では、死者への慰霊というものはなく、覚えて、よきところを思いだす、記念するというのである。
そして、悪を行なった魂は万能の神が必要な裁きをなさるだろう。しかし、だれがどのような悪によって裁かれるのか、表面的には分からない。息を引き取る最期のときに悔い改めたかも知れないのである。あるいは重い病の床で言葉にならない悔い改めをしたかも知れず、冷たい独房のなかで、重い自分の罪の重さに打ちのめされて悔い改めの涙を流したかも知れない。そうした最後の時までどんなことが魂において生じたか分からないゆえに、私たちは悪いことをした人であっても、だから地獄に行くのだなどと断定は決してできない。それはあくまですべてを見ておられる神にゆだねたらいいことなのである。私たちとしては、すべての人に善きことがあるように、御国を来らせたまえ、と祈り願うことが求められている。

死者の霊だけでなく、この世は私たちに恐れをもたらすもので満ちている。病気や人間関係、あるいは将来の不安、老後の自分、世の中の変動、仕事のこと等々。さらに、死者の霊とは異なる、さまざまの悪の力(霊)が、至る所で私たちを間違った道に誘い込もうとしている。
そうした恐れに満ちたこの世界にあって、闇の力を打ち砕いてくれるのが、聖書で数千年前から示されている神への信仰である。

…あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。
…恐れるな、わたしはあなたと共におる。(イザヤ書四十三・15より)

このイザヤ書の言葉のように、私たちが生きた神からの直接の励ましや語りかけを受けるとき、目に見えない悪の霊的な力は退けられ、たしかに恐れは消えていく。そして新たな力が与えられる。
また、新約聖書には、このようなさまざまの目に見えない悪の力(霊)との戦いの重要性が記されており、そのためにこそ、神は私たちに信仰を与え、神の言葉を武器として戦うことが求められている。

…わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、…悪の諸霊を相手にするものである。
だから、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、…信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができる。
霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
どのような時にも、(神の)霊に助けられて祈り、願い求め、…絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エペソ書六・1218より)

ここに記された道こそ、死者の霊やそのほかのさまざまの悪の力に取り巻かれつつも、それらを恐れたり、打ち負かされたりすることなく、かえって勝利していく道なのである。

 


リストボタン詩の世界から

一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは 年深みかも (万葉集 巻第六 一〇四二)

松の老木、それは大木になるほどに風吹きわたる音は他にはないような、重々しい、そして清い音を奏でるようになる。最近では、松の古木が少なくなってしまい、松に風が吹くときの音に接することはますます少なくなっている。私が子どもの時代には、まだ、海岸にもまた山々にも松の古木が多く見られたものである。そして三〇年ほど前くらいまではまだ松の木が多くあったので、わが家のある山に登ったとき、時々風の強い日には、この独特の松風の音に聞き入ったことがよくあった。
「松風さわぐ 丘の上 古城よ一人 何しのぶ…」という、昔広く歌われた歌謡にもあるが、大きい松に風の吹く音は人を立ち止まらせ、人の心を引き寄せるものがある。
松に風の吹きわたる音の響きは、とくに「松風」とも「松籟(しょうらい)」とも言われる。それは昔からこのように、独特の感慨をもって聞かれてきたからであろう。なお、「籟」には、竹かんむりが付いているが、それは「竹で作った笛」の響きを表す言葉であったからで、そこから「ひびき、風の吹き通る音」を意味するようになった。
松の葉、それ自体は、見栄えのしない針のような細い単調なつくりのものでそれをこすり合わせたところでよい音楽を奏でるなどとは到底想像できない。しかし、神は最高の音楽家でもあり、あらゆる音楽家にその才能を与えたお方であるから、松の葉と、目に見えない風という、いずれもきわめて単純にみえるものを用いてどんな管弦楽も生み出せない深みをたたえた、単純でありながら重々しく、しかも清い音楽を奏でるようにされたのである。
年を経るほど、人間の声はよどんでくることがある。人間の心も生き生きした感動もなくなってくることが多い。木々もまた老化して枝も枯れていく。しかし、この万葉の詩人は歳月を越えて生き抜いてきた松からは清い響きを感じ取ったのである。
人間もまた、自然の樹木がそうであるように、神に導かれるままに生きていくとき、老年になって、何か清いものを周囲に流れさせるようになる。老年の清さ、それは苦しみや歳月の流れに動かされない神の賜物を内に持っているときに表れてくる。

○苦しみの きわまる時し むらきもの 心は澄みて み顔を思ふ
(「真珠の歌」20頁)
この歌集は、「祈の友」の人たちによるもので、結核で日夜苦しめられ、家族とも分かれ、死が間近に感じられるような状況にあって作られたのがうかがえる。苦しみや悲しみが強いほど打ちのめされるが、そのときに主を仰ぐとき、かえってほかの様々のことがぬぐい去られ、主のみ顔がはっきりと感じられる。なお、「むらきもの」とは、「群肝の」、で多くの内臓を意味し、そこから心にかかる枕詞となった。

 


リストボタンことば

238)神と正しい関係にある人にとっては、結局、敵というものはもはや存在しないのである。すべてのものが神のしもべにすぎない。(ヒルティ著 眠られぬ夜のために下 七月二十二日の項より)

・…Der mit Gott ganz richtig steht, gibt es uberhaupt schliesslich keine Feinde mehr;es sind alles nur Knecht Gottes.

神は、万物を支配しておられるゆえに、敵対する人をすら神がその御計画のために用いられる。神は、敵だけでなく、すべてを最終的にはよきに転じることができる。このことを、使徒パウロは、「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマの信徒への手紙八・28)と言った。私たちが神にしっかりと結びついているならば、生じる様々のことがすべて益となるように働くのなら、このような実感を深く持つときには、そのように感じさせてくれる神への感謝と讃美が生れるだろう。そしてこれこそ、「常に喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」(Ⅰテサロニケ五・16ことができる境地であり、そのようなところへと私たちは招かれていると言えよう。

239)神の純粋な精神は、人間の生命の中よりも、自然のなかにこそ、より純粋に、より明確に現れている。いや、単にそれだけでない。人間は、自然のなかに純粋に現れているこの神の精神のなかにこそ、人間の本質や品位や高貴さを、鏡に映して見るように、まったく明瞭に、かつ純粋に、また全く根源的な姿において、観るのである。
…自然のあらゆる事物のなかで、草や木、ないし植物、とくに樹木ほど、その沈黙の思慮深さと、その内的生命の明瞭な表現とのゆえに、真実で、明瞭で、かつ完全で、しかも単純な現れ方をするものは他にない。(「人間の教育」上巻 二一三~二一四P フレーベル著 岩波文庫)

・神の純粋な精神、すなわち清さ、力、無限の多様性、雄大さ、美しさ等々は、たしかに人間よりも自然の世界がずっと豊かにもっている。樹木、とくに大木のもっている沈黙の力、その姿は、それに触れるものにふしぎな感動を与える。他の動物にない、人間の最も霊的ないとなみは、目に見えない神を仰ぐことであり、祈りであるが、樹木の姿はその沈黙の姿が祈りを象徴していると言えよう。

・フレーベルは、一七八二年ドイツ生れ。父親は牧師。ペスタロッチの深い影響も受けた。生後九か月で母をなくしたこともあって幼児教育の重要性に目覚め、Kindergarten (キンダーガルテン)という名称の施設を作ったことで有名。なお、「幼稚園」はその訳語で「子ども達の庭」を意味する。植物に水や肥料をやり、育つのを助けるように、幼児に対しても自然的な成長、発育を助けるべきことを説いた。

 


リストボタン編集だより

○来信より
月の初め、「今日のみ言葉」(コリント人への手紙第一10:13)の配信を頂きました後、
私は思いもかけず、仕事において大きな失敗をしました。
何度「今日のみ言葉」を読み返したか、わかりません。
しかし、先日「無から有を生み出す」神様は、やはり思いもかけない解決を与えて下さいました。
あの配信と、み言葉、家族の祈りに本当に支えられました。
いま、神様への感謝で胸がいっぱいです。
み言葉配信の働きをどうもありがとうございます。
栄光を全てイエス様にお返しします。(九州の方)

・神の言葉は、主がなそうと思われるときには、予想していないような働きをすることができます。私たちの努力とか熱心がいくらあっても、それは主が用いられなかったら何も生じませんが、小さなことでも主が用いられると不思議な働きをするのを感じます。

○七月十三日(木)~二十日(木)までの八日間、吉村(孝)は、北海道から東北、関東、中部地方などのいくつかの集会を訪問し、み言葉について語る機会が与えられました。
最初の十三日~十六日(日)までの四日間は、北海道南部の、日本海に面し、奥尻島の対岸にある瀬棚町において、去年と同様に瀬棚聖書集会が開催されました。今年で第三十三回となるこの集会は、酪農をしている人たちが多く、さらに米作農業、養豚などに従事している人たちが主となって開催されているものです。今回この聖書集会の開催の事務局となった野中 信成さんが生れて間もないころにこの聖書集会は始まったということで、ほかの人たちも幾人かは幼児のときから参加してきたようで、多くの人たちの祈りが注がれてきたゆえに、三十数年もの間、この瀬棚地区の聖書集会が続いてきたのが感じられました。また、三十歳前後の若者たちは多くは、山形のキリスト教独立学園の卒業生で、そこでのキリスト教に基づく教育も主に用いられているのを感じたことです。
参加者は部分参加の人も合わせて、名簿には四十五名ほどが載っていましたが、参加できなかった人もいるようなので、実際はもう少し少なかったはずです。しかし、名簿にない子どもたちも合わせると、五十人ほどが何らかの形で加わった集会になりました。
聖書講話は四回、最後の利別教会においての礼拝を合わせると、五回の聖書講話がプログラムに折り込まれ、座談会や感話、瀬棚の農家へ、北海道外からの参加者が別れて一日だけ宿泊することも、それぞれが恵まれたときとなり、「讃美」のひとときなどもあり、全体として地元の人たちの信仰と仕事、そして家庭に触れ生きた神の導きを実感することができました。
今回は、北海道以外からも、徳島聖書キリスト集会から七名、長野県、福岡市、横浜市などから各一名ずつ参加してより広い集まりとなったことも感謝です。
瀬棚での最後の日は、日本キリスト教団の利別教会においての礼拝でした。ここでも去年と同様に、主日礼拝の聖書講話(説教)の機会が与えられました。

・札幌での交流集会…これは瀬棚の聖書集会の終わったあとに、開かれるようになりました。もともとは、埼玉の関根 義夫氏が代表者となっている聖書集会に属していた中途失明者の大塚 寿雄兄が札幌に転居していて、その大塚さんと徳島聖書キリスト集会の視覚障害者の何人かの方々との交流があり、そこから札幌での集まりへと導かれたのでした。今回も、札幌聖書集会、旭川平信徒集会、苫小牧の集会、札幌発寒集会、そして札幌独立教会に属する方々が二十名ほど参加し、そこに徳島と福岡からの八名が参加しての集会となりました。この集まりも三回目となり、それまでは全く知らなかった札幌や苫小牧など各地のキリスト者の方々との出会いが与えられ、私どものキリスト集会とも新たな交わりが開けたことも大きな恵みです。

・吉村(孝)以外の徳島からの参加者は、その後徳島に帰りましたが、私は札幌での集会のあと、仙台、山形、八王子、山梨、静岡など各地での小集会にてみ言葉を語る機会が与えられ、また主にあるあらたな交わりも与えられました。
仙台は初めて訪れる土地でしたが、「いのちの水」誌の読者の方々がおられ、また私のみ言葉のための働きを覚えて下さる方々もいて初めてであっても親しみを感じるところでした。午後の集会開始までまだ時間があったので、迎えて下さった市川 寛治兄とともに、青葉城跡、その前の広瀬川の流れのほとりを散策、近くのキリシタンの殉教碑にも案内して下さいました。信仰を捨てない人たちをその川の水牢に入れて責めて迫害したこと、命に代えてもその信仰を守り通した先人の苦しみとそのような堅固な信仰を与えた神の力を、そしてその力は今も働いていることをも思いました。
午後からの集会には、十人未満の方々でしたが初めての方、仕事の合間に来られた方、高知の四国集会での私たちの仲間となっている原 忠徳さんが長くともに学んだ集会の方などとともにみ言葉を学びました。
夜は山形の聖書集会の方々、十名あまりの人たちと、石澤 良一兄の経営する「サヤカ」という場所で行なわれました。今回初めてお会いする何名かの方々も含め、長い信仰の歩みを持ったかた、最近この山形聖書集会に加わった方などここでもみ言葉の学びを中心にしての集会が与えられました。
翌日は八王子市での永井宅での集会で、八王子市の方々を中心として、川崎市、多摩市、相模原市、府中市などからの参加者でした。今回初参加の三名を合わせて十五名ほどの参加者でした。このみ言葉の学びのために特に会社の仕事を休んで参加された若い方もおられ、み言葉はいろいろな人たちを引き寄せる力があることを感じたことです。
夜は、初めて山梨県に出向き、夜に加茂 悦爾、昌子ご夫妻宅での集会となりました。加茂さんご夫妻は、今から七年ほど前に、徳島での四国集会に山梨から一日がかりで列車で岡山→高松まわりで参加されたことがありました。聖書は初めてという方、随分久しぶりの方、また参加するかどうかはっきりしなかった方なども参加して、初めて出会う方々との学び、賛美や交流を共にすることができて感謝でした。
静岡では、石川 昌治兄宅での集会、そして岩辺さん宅に移動して短い時間でしたがそこでも小集会を与えられて、帰途につきました。
以前からの知り合いであったり、「いのちの水」誌を通しての交わりがあっても、実際に顔と顔を合わせて見ることは、また異なる祝福が与えられることを実感しました。
聖書にも、使徒パウロが直接に会うことの重要性を書いています。

…兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので――心においてではなく、からだだけではあるが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。
だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうと思いました。ことに、このパウロは、何度も行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。(Ⅰテサロニケ二・1718

また、パウロは書いたものを送るだけでなく、直接に会って霊的な力を補いたいと次のように言っています。

…顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。
どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。
どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。(Ⅰテサロニケ三・1012

ここに、直接に会うことが、霊的な賜物、祝福を相手に伝えるものであることが記されており、パウロがどこかにみ言葉のために行くときにも、つねに真剣な祈りをもって、神の言葉、聖霊が伝わるようにと願いつつ行動していたのがうかがえます。そしてそれによって単なる知識でなく、人々の間に神の愛が満ちあふれるようにと、願っていたのです。
このように行く先々で神の愛が広まるように、それで満ちるようにという願いのみで働いていたのはまさしくパウロが神の僕であったしるしです。
私たちは不十分な者であるけれど、たしかに、主の名によって互いに交流することは、相互に足らないものを補い合うということが可能になります。それはそうした交わりの内にいます主がなして下さることなのです。このことは、今までの四国集会や小さな各地の集会などでも、たえず経験させられてきたことです。
今回も、徳島聖書キリスト集会の方々、そして集会を開いて下さった相手方の方々によって変ることなき祈りが捧げられ、そうした祈りに私も支えられての一週間であったことを思い、感謝でした。

 


リストボタンお知らせ

○祈の友四国グループ集会
今年は祈の友のグループ集会も愛媛県の「祈の友」が担当です。近いうちに、松山市の二宮 千恵子姉からの案内がなされる予定です。従来は九月二十三日の休日でしたが、今年は、九月十八日(月)の祝日(敬老の日)になっていますので、間違わないようにして下さい。
○北田 康広さんの、二つ目のCDが八月二日に発売されます。今回のものは、とくに、平和への祈りが感じられる曲目になっています。内容は次のようなもので、北田さんの歌と後半はピアノ演奏です。1、一つだけの命 2、さとうきび畑 3、心の瞳
4
、千の風 5、平和の扉 6、死んだ男の残したもの 8、やすかれ我が心よ(讃美歌)9、鳥の歌 10、勝利をのぞみ(讃美歌21471番)14、来たれ異教徒の救い主よ(バッハ)15、祈り(リスト)他

○八月二六日(土)~二七日(日)静岡の西澤 正文兄が来徳され、去年と同様に、特別集会がなされます。

○集会名 『無教会全国集会二〇〇六 さっぽろ』
日時 二〇〇六年九月九日()~十一日()
開催場所 北海道 札幌
申込期限:821日(月)連絡先 黒川清孝 〒064-0915 札幌市中央区南15条西14丁目2-7-106(? 011-562-7145, E-mail: kurokawa@car.ocn.ne.jp)
主題:「無教会の源流を求めて-札幌バンドの信仰とその系譜」
会場:北星学園大学(札幌市厚別区大谷地2-31 ? 011-891-2731
参加費: 2日間6,000円(1日のみ 3,000円、学生半額)外に昼食代 1,000円 バス・ツアー参加料:1,000円 口座記号番号02730-3-77350 加入者名:無教会全国集会2006さっぽろ

プログラム
1日(99日)(土)
講演:井上 猛(札幌独立キリスト教会)「独立の源流としての札幌バンド」
講演:山城俊昭(森の家の教会)
「世の光」に接する-『後世への最大遺物』を英訳出版して」
分科会(各教室)自己紹介 講演I, IIについての懇談
…………………………………………………………
2日(910日)(日)
聖書:ローマの信徒への手紙321-31節 説教:千葉 恵(遠友聖書集会) 
「『ローマ書』における神と人の信実」
講演III (チャペル)講演:田村光三(東京聖書集会)「開拓者・浅見仙作翁」
全体会(チャペル)「札幌バンドについての所感」:大島智夫(海老名
聖書集会)
講演I-IIIを巡る意見交換 分科会(各教室):14:45-15:45 今回主題について語り合う 各分科会からの報告等
3 911/(月)バス・ツアー