2006年9月 第548号・内容・もくじ
リストボタン闇と風の湖上をも リストボタン祈られ祈る リストボタン谷間にある者を リストボタン川となって流れる ―祈りの川―
リストボタン日本の根本問題 リストボタン終わることのない讃美 リストボタンことば リストボタン休憩室
リストボタン詩から リストボタン編集だより リストボタンお知らせと報告

リストボタン闇と風の湖上をも

私たちがこの世のさまざまの困難や希望を失うような事態に直面して、そこから助けのないと思われる状況に陥ることがある。だれもこの困難にはどうすることもできない、助けも与えられない。医学も科学技術も人間も、どんなこともこの苦しい状況を解決できない、そのような事態に陥っている人達はたくさんいると思われる。ただその苦しみがあまりにも重く、深いためにだれにもいえず、またそうした人はたいてい孤独であって訴える相手もいないことが多い。
そのような状況にあっても、ただ主イエスだけは、近づいてきて下さる。
それが、海(湖)の上を歩いて弟子たちのところに来られたという記事の意味することである。
夜通し主イエスは山に登って一人祈りを続けられた。マタイ福音書によれば、その夜を徹した深い祈りのあとで、海の上を歩いて弟子たちを助けに行くという記述が続いている。(マタイ福音書十四・2233
弟子たちは逆風のために深夜の大きな湖の上をどうしても目的地にいけずに苦しんでいた。しかし、イエスだけは、どんな風があっても、海のような湖であっても、ふつうなら決して行けないところでも行くことができる。
主イエスの夜通し続けられた祈りのあとに、この湖の上を歩いた記事があるのも、このような祈りをもって私たちの闇に近づいて下さろうとしているのを暗示している。
人々は、病気や孤独、あるいは罪のなやみ、職業上での苦しみ等々、私たちを苦しめ、悩ませる数々のことを持っている。人間は相手のその苦しみの心のただなかには入っていくことができない。
しかし、主イエスは闇の波立つ海の上でも歩んで弟子たちのところに行き、船に乗り込むことができた。そうするとたちまち風は静まり、波もおさまっていった。
イエスが処刑された三日後、弟子たちは部屋に鍵を閉めて閉じこもっていた。しかし、イエスは入って来られ、彼らの真ん中に立って、「あなた方に平和があるように。」と言われた。(ヨハネ福音書二十・19
このことも、イエスはいかに人間が入れないところであっても、驚くべきことに入っていくことができるということを示している。

 


リストボタン祈られ祈る

私たちはまず他人のことを深く祈るためには、自分自身が祈られているという経験が必要である。私自身も体調を崩して起き上がれないようなことがあり、体調がすぐれないことが何か月か続くということがあったとき、祈って下さっている、祈られているという実感を持った。
それは何か支えられるといった実感であり、心に平安を与えてくれるものであった。それがあって他者のために祈るということもより真剣になったと思う。
祈りだけでない、他者を愛する前に、私たちは愛されているという実感が必要である。愛というのはエネルギーを注ぐことであり、祈りも同様であるから、まず私たちのうちに愛するエネルギーがなければならない。それは愛されているという事実が必要となる。
この世には至るところで「愛」という言葉がはんらんしている。
しかし、人間の愛は、永続的な愛でなく、また特定の人にしか及ばないという致命的な限界を持っている。そのような人間の愛であるから人間から愛されても必ずその愛はいずれ消えていく運命にある。
私たちが永続的に愛されること、それは神からでしかあり得ないが、その神の愛、キリストの愛を受けて、愛されているという実感をもってはじめて私たちは他者を愛することができるようになる。
それゆえ、ヨハネの手紙で、「イエスは、私たちのために、いのちを捨てて下さった。(それほどに愛して下さった)そのことによって、私たちは愛を知った」(Ⅰヨハネ三・16)と言われている。
自分で福音伝道しようと人間的な計画や意図ではできない。遣わされているという実感が必要なのである。
平和を造り出す者は幸いだ、と言われている。しかし、まず私たち自身が平和を与えられていなければならない。それゆえに、主イエスは、最後の夕食のときに、「私の平和をあなた方に与える。これは世が与えるような仕方で与えるのではない」と特に言われたのであった。
同様に、絶えず神から聖霊から教えられているのでなかったら、人に教えることはできない。
神からの赦しを絶えず受けている者だけが、他者をたえず赦し、祈りをもって対することができる。
こうしたすべてのために、主イエスは、私にとどまっていなさい、と繰り返し言われたのである。

…私につながっていなさい。私もあなたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、実を結ぶことができないように、あなた方は私につながっていなければ、実を結ぶことができない。 (ヨハネ福音書十五・4

 


リストボタン間にある者を

この世は、どのような世界であっても、強い者が評価される。典型的なのはスポーツである。大新聞でも最も大きく繰り返し報道するのは、スポーツである。それも人間の行動の一つの形であるから、報道されるのは当然であるが、ほかのどのような文化が、あのようにわずかの特定の人間を毎日のように大きな写真とともに報道するであろうか。
学問、医療、福祉、文学、あるいは音楽などの芸術の世界であっても、あのように毎日毎日同じような人間が大量の紙面をつかって登場するということは、あり得ないことである。
強い、力がある、ということはそれほど人間にとって魅力的なのである。 弱いものはたちまち相手にされない。
学校でも、勉強もできない、スポーツも、芸術も何もできない、となると、相手にされないということになりかねない。何かができない、という弱さは谷間に落ち込んでいくようなことである。
強いと思われている人でも、例えば飲酒運転を少ししただけで、懲戒免職になったりすると、とたんに周囲の者からは見下され、収入はなくなり、否応なしに弱さを思い知らされるだろう。今、周囲から注目されるところにいて活躍しているように見えてもいつ深い谷底に落ちていくか分からない。病気や最後に訪れる死ということは、深い闇につつまれた谷間となりうる。
しかし、どんな人生の谷間に置かれても、大きな失敗や罪を犯して見下されて誰からも相手にされなくても、真剣に求めるときに必ず愛をもって相手にして下さるお方がいる。それが聖書に記されている神であり、主イエスである。
これはたしかな事実である。そしてこの一点があるからこそ、キリスト教という信仰のかたちは続いてきた。死んだような者すら、最大の力を注いで生かして下さるのである。この世のいかなる変動にもかかわることなく、このことは変わらない。ここに、神とキリストを信じる者の平安があり、心の土台がある。
無事でいる九九匹の羊をおいてでも、いなくなった一匹の羊のために探して下さるとは、そうした暗い谷間に落ちた者を探し出して下さり、引き上げて下さる神の御性質を表すたとえなのである。

 


リストボタン川となって流れる ―祈りの川―

聖書では、最初から祈りが流れている。
しかし、祈りの川というような表現は、一般には耳にすることはほとんどないように思われる。
祈りとは、静まってすることだというイメージがある。個人的な、一時的なものだとも考えている人は多い。困ったときに、あるいは形式的に一時的にするのが祈りだと思っている人々が多数を占めているのではないだろうか。
しかし、聖書には最初から祈りがこめられている。光あれ、と神が言われた。すると、ただちに光が生れた。徹底した闇と混乱のただなかに光を来たらせる、それはキリストの祈りである。
人間と動物との根本的な違いの一つは、祈りをすることができるということである。祈りとは目に見えないものへの語りかけであり、その見えざる存在からの語りかけを聞き取ろうとすることであるが、動物には目に見えず、嗅覚や聴覚に入らないものには、反応できないからである。
*

*)私が小学低学年のころ、ニワトリをたくさん飼育していたことがある。そのとき、ひよこを卵から育てることもしばしばあり、親鳥がひよこの鳴き声を聞くと、たちまちその声のする方にとんでいく、ということをよく目にした。しかし、ずっと後になって、ひよこを大きなガラス製の容器にいれて、片足を棒に結びつけて実験したところ、ひよこが目の前で口を大きく開けて鳴いているのに、親鳥は何事もないように、通りすぎて行くのを見て、親鳥はひよこの苦しそうな姿でなく、その鳴き声で反応するのだとわかったことがあった。ニワトリは視覚も優れていて小さな米粒を投げても目ざとく見付けて走り寄って拾うが、自分のひよこが、病気とか怪我で苦しそうにしていても何にもないように通りすぎていくのもしばしば見たことがある。

真実な「祈り」とは流れていくものである。大きな河の流れはどこまでも続いていき、その先々の所をうるおし、よき実りを与えていくが、その水の流れのようである。
「祈の友」という集まりがある。
**これは数知れずあるキリスト教関係の団体や組織のなかで、ただ祈りだけを中心にすえるというもので、特異なものと言えよう。この「祈の友」は、今から七〇数年前に、一人の結核で苦しむ青年に示された祈りから始まった。次の文は、その青年が三十歳のころに書いたものである。

…病苦を負わされ、貧苦に閉じ込められ、人には見捨てられ、おのれにもまた絶望する…こうした涙と呻吟のなかにあるとき、私の身代わりに死にたもうたというキリスト、私が永遠の祝福を受け継ぎうる証拠によみがえりたもうたというキリストの福音はじつにおどろくべき歓喜のおとずれであった。
主は私のためにいのちを捨てられた、この私のために。私は初めて真実の愛というものを知った。露ほども報いを求めない愛というものを。…
かつての私と同じように、いまなお、病床に身悶えする二〇〇万の結核病者
***()のうめきが聞こえて、私がこの病苦によって神の福音に接し得たごとく、彼ら一人一人が神の子の生涯に新生させられるようにと祈らずにいられない。
 「祈の友」はこの祈りを使命とするものと考える。肉のことより、霊のこと、自分のことよりも友のこと、何より神のことを祈って、導きあらば、友のため、自分の命を捨てるを光栄とする者の群れである。どうして自分の病状、境遇または自分の信仰のことばかりを祈ることができようか。…
 もとより、人間には神の愛を実行する力がなく、それは全く不可能なことである。しかし、心の方向を神に向けることだけはできる。実行はできなくとも、気持ちだけは、祈りだけは清き、高く、神の子の生涯を目標とすべきである。(内田 正規著「午後三時の祈り」15頁 創言社刊)

*)一九三五年~一九四五年ころは、結核で死亡する人達は、年間十二万人~十七万人にも及んでいた。そのため、結核はかつて国民病、亡国病と言われ、しかも死者、患者とも青年層が多く、国の基盤にも影響を与えかねない状況であった。
**)正確には、「午後三時祈の友会」という。かつて、結核患者が、キリストが十字架上で息を引き取った午後三時にときを合わせて祈ろうという会であった。現在は、結核患者以外の病者、健康な人も含まれ、職業を持つ人、あるいは何らかの事情のために午後三時に祈れない人も多いから、時間も午後三時でなくとも、各人が祈れる時間を自由に決めて祈るようになっている。


この著者である内田 正規(まさのり)は、この文章を書いて三年後に三十三歳で地上の生涯を終えた。彼のはじめた「祈の友」の祈りは現在も引き続いてなされている。祈りとは川のように流れていく、という証しでもある。そして川は周囲の植物をうるおし、芽生えさせ、育てて成長させ、花を咲かせて実を結ぶように、この「祈の友」の祈りは過去七十数年の間、何の力もないような病気の人達を主体としつつ、ずっと流れてきた。
これは、人間の意図したところでなく、神が流れさせてきたからである。「祈の友」を始めた、内田が召されたのは、敗戦の一年前であった。日本が無謀な侵略戦争の泥沼に入り込み、数知れない人達のいのちを奪い、生活を破壊していた暗黒の時代であった。しかしそのような光の見えない時代であってもなお、この祈りの川の流れを止めることはできなかった。
言論は弾圧され、平和を口にするだけでも非国民とされるような基本的人権も踏みにじられた時代、それでも祈りを弾圧することはできなかった。食物も十分にないほどに国民が貧しい状況になってもなお、そのような貧しさを貫いて祈りは流れて行った。
もとより、この祈りはキリスト者ならみんなが与えられているものである。キリスト者とはキリストに属する者、キリストにつく者、といった意味を持っている。
***


***)新約聖書が書かれた時代は、まだ、クリスチャン(キリスト者)という呼び方は、一般的でなかった。クリスチャン(Christian)とは、ギリシャ語の christianos(クリスティアノス) の英語の表現である。これは、「クリスト(キリスト)に属する者」という意味を持っている。この原語は、新約聖書ではわずか三回しか用いられていない。(使徒言行録十一・26、二六・28 、一ペテロ四・16
なお、クリスチャンという言葉は、英語の Christian をそのまま用いたものであるが、これは、「キリスト教徒」と訳されることもある。しかし、本来は、罪の赦しを実感することによって生きて今も働いておられるキリストに属するものであって、ヨハネ福音書で言われているように、ぶどうの幹なるキリストに結びついている者のことであり、霊的な神と同様な存在であるキリストの内にとどまり、またキリストが、人間の魂の内に住んでいる人のことをいう。だから、単に、「キリストの教え」を信じている人ではない。 そのために、「キリスト教徒」という語よりも、「キリスト者」(キリストに属する者)というのがより原語の意味に近いと言えよう。
それならば、パウロなど初期のキリスト伝道にて命がけで働いた人達は、キリスト者にあたるどのような言葉を使っていたのであろうか。
それは、パウロの手紙の冒頭によく見られる言葉がその名称を指し示している。それは、「聖徒」(hoi agioi)という言葉である。「信徒」、「使徒」 などに使われている「徒」は、この場合は「人」といった意味で用いられているから、聖徒というのも、聖人 と同じだと考える人がいる。しかし、聖人とは、「知徳が最もすぐれ、万人の仰いで師表とすべき人」(広辞苑)である。新約聖書でいう、聖徒はそういう聖人とは全く異なる。 信じてまだいろいろと欠点もあり、キリストの教えも十分に分からないような、ごく未熟な信徒であっても、そうしたとにかくキリストを信じるようになった人を聖徒と言っている。これは、神のために分けられた人 という意味を持っているからである。どんなに未熟であっても、キリストを信じて罪の赦しを与えられた者は、この世から分けられて神の国のために用いられるようになったという意味を持っているのである。罪深い者であっても、キリストを信じたことによって聖霊の導きと力を受けて変えられていくからである。

しかし、どんな祈りでも流れていくのではない。自分だけのための祈り、自分の子供など家族だけの祈りは決して未来へと流れていくことはないし、周囲をうるおすものともならない。例えば、息子が希望の大学に入学しますように、というのは、もし希望の大学と学部に入れなくて、希望していないところに入ることになると、場合によっては生涯の方向が変るから家族にとっては切実な願いであるから、祈らずにいられないだろう。
しかし、もしその願いがきかれたらたちまちそのような祈りはそれで終りとなる。このような目先のことについての願い、祈りはそれがどんなに当事者にとって重要な問題であっても、他者にはほとんど関わりがないゆえに、ただそれだけで終わってしまう。
しかし、どこまでも流れていく祈りがある。この世には、さまざまの出来事があり、祈りの流れをせき止めようとする力が働く。戦争も貧困、天災も、科学技術の進展、あるいは、豊かさ等々次々といろいろな状況や出来事が祈りの川を止めようとする。
しかし、静かなこの流れは、何者も止めることはできない。主イエスはしばしば夜を徹して一人で祈られた。その祈りの静かにしてしかも力ある祈りの流れは、以後流れ続けている。 ゲツセマネで燃えるような祈りを捧げられたがその後とらえられ、十字架で処刑された。それはイエスの存在そのものを抹殺しようとするものであったし、イエスの死と共にその祈りなど消滅すると考えられたであろう。あるいはそんな祈りなど全くほとんど誰も心に留めもしなかったかも知れない。
しかし、主イエスは復活し、聖霊を送り、その聖霊にうながされた人達は自ずからイエスの深い祈りの心がよみがえったようになった。そしてその祈りとともに、力強い福音伝道を始めることができた。
主イエスは、祈りの中心を「主の祈り」として教えられた。イエスご自身は、罪なきお方であったゆえに、ご自身の罪を赦してください、という祈りはなく、人の罪の赦しをのみ祈られたのであるが、その他の祈りはイエスご自身の祈りでもあったと考えられる。
それは、「御心が天に行なわれるとおり、地でも行なわれますように。」という祈りは、最後の夕食の後でゲツセマネに行ってなされたつぎの祈りと共通した内容を持っている。

「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。
しかし、私の願いどおりでなく、御心のままに。」(マタイ福音書二六・39

この「御心がなされますように」、との祈りこそは、イエスが最も苦しい十字架の処刑の前夜になされた祈りであり、この祈りの心によって主は、神の道からイエスを引き離そうとするサタンに勝利することができた。
御心とは、原語は セレーマ qelhma であって、意志のことである。人間の意志、欲望でなく、神のご意志がなるように、との祈りである。
この祈りは、そのまま弟子たちに受け継がれ、その後無数のキリスト者たちによって祈られてきた。それはまさに、二千年を超えて流れ続けている祈りの川である。
この祈りはたしかにこの長い間のいかなる戦争や飢餓、ペストなどの恐るべき病気、科学技術の発達など、あらゆる激動にもかかわらず川のように流れてきた。
この祈りは、主イエスが人間関係のうちで最も高い段階の祈りとして言われた、「敵を愛し、敵のために祈る」ということも含んでいる。神の国がきますように、ということは、敵対する人には、その人の心に神の国がきますようにということであり、それは敵対する者への愛の心からの祈りである。
主の祈りをここでふりかえってみよう。

・ 御名があがめられますように。(御名が聖とされますように、神のご性質が、この世とは全く別のものとしてあがめられますように。)
・ 御国がきますように。(神の愛と真実のご支配が私たちの心に、社会に、そして世界にきますように)、
・御心が天に行なわれるとおり、地でも行なわれるように。(神の愛と正義に満ちたご意志がこの世でも行なわれますように)
・私たちの日毎の食物を与えてください。(私たち、ということは、これは日本だけでなく、世界の人々のことを思い浮かべて祈ることになり、また日本においても、病気の苦しみのために食べられない人もいる。そのような人に食物が与えられますように、また人はパンだけでは生きられない、神の口からでる一つ一つの言葉で生きるのであるから、そのような霊の食物を与えられますように。)
・私たちが他者の罪を赦したように、私たちの罪をも赦してください。(人間関係の根本は罪深い人間同士がいかに赦し合うかにかかっている。それは神の愛をいただいて初めてできていくことである。罪を赦し合うことがなければ、人間は互いに非難したり憎しみや無関心、あるいは見下すことになる。)
・私たちを誘惑に遭わせないで、悪から救い出してください。(これは、どのような人にとっても、生涯の最後まで祈るべき祈りである。)

この祈りのような、だれにでも及び、どんな状況の人にでも祈ることができ、またあらゆる人に及ぶというはてしない広さを持った祈りはない。それゆえにこのような祈りは、時間を超えて歴史のなかを流れ続けていく。そして学識ある人、貧しい人、権力ある人もない人も、能力のある人も乏しい人も、みんな同じ線に立って祈ることができる。
これは、自分の子供が健康であるように、という誰もが祈る願いとは全くことなる深さと広さ、そして高さを持っていると言えよう。
このような祈りは必然的に時間を超えて流れていく。そして周囲をうるおしていく。

これは、祈りだけではない。真理そのものが、どこまでも流れ続けていくという本質を持っている。聖書にある神の愛、真実は、数千年も昔のアブラハムやモーセの時代から、ずっと今日まで続いている。歴史のなかを流れ続けているのである。そしてその流れを何者も妨げることはできない。
神の本質は、すでにモーセの時代にはっきりと啓示されていた。

… 主は彼(モーセ)の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」(出エジプト記三四・67より)

この個所で言われている神の本質は、何よりも罪の赦しの神ということである。憐れみ深いとか、忍耐強いといったことも、罪の赦しと結びついている。忍耐強いのでなければ、人間が罪を犯せばただちに罰する、ということになる。それでは人間はだれもみんな裁きを受けて滅ぼされてしまうであろう。それから千数百年を経たキリストの時代になっても変ることはなかった。
日毎の食物が与えられること、体が健康であること、家庭が恵まれていること、作物などを作る仕事がうまくいくこと等々どれもみんな恵みである。しかし、そうしたことが与えられていてもなお、それらを当然と考えてしまったりする心ができてしまう。そのような心こそ罪であるから、人間の心からそうした不純なものを取り去って頂かないかぎり、私たちの心は深いところで満たされることがない。 そして、そのような罪を赦されるのでなければ、私たちは滅ぼされてしまう。
罪を赦す神、その本質はこのように、旧約聖書によれば、すでにモーセの時代から啓示されていた。これは、一般的に思われていること、旧約聖書の神は裁きの神だ、といった理解はかたよったものであることを示している。
そしてこの罪を赦す神が人間のかたちをもって現れたのがキリストであり、それゆえにキリストも罪を赦すということをその基本的な本質としている。
これは、福音書の最初に置かれているマタイ福音書がその第一章でこのことをイエスという名前と関連させて記している。

…マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ一・21

このように、人間にはすべて正しい道からはずれている、という罪があること、そしてその罪があるかぎり人間には本当の幸いはなく、平安もない、それゆえにその罪の赦しを受ける必要があり、神はそのための赦しを与える方である、ということ、この真理はどこまでも続いているのが分かる。
それゆえ、真理のうちに含まれる「平和(平安)」もまた、周囲を満たしつつ流れていく。

…わたしの戒めに耳を傾けるなら
あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。(イザヤ書四八・18

ここで言われていることは、平和(神からの祝福で満たされた状態)は、大いなる川のように流れ続ける。そして神からの恵み(*)も、流れ続け、押し寄せ続けるものとなる。

*)ここで恵みと訳されている言葉は、従来の訳語では、「正義、義」と訳される言葉である。(原語は、ツェダーカー)

神によって罪赦され、神の言葉に聞き従う者は、神との結びつきが生きたものとされる、それはまさに最大の恵みである。そのような意味での恵みが海の波のように押し寄せてくる。
耳を澄ませば、今もなお私たちに与えられる平和が川のように流れ続けているのが感じられ、また恵みも押し寄せているのを実感する。じっさいに、そのような流れがあり、海の波のように押し寄せてくるからこそ、過去数千年の間、どのようなことが生じてもこの流れはとどまることなく、信じる者、神の言葉に聴こうとする者には流れ続けてきた。そして罪赦されて神との霊的結びつきもたえず押し寄せてきた。
私たちは、これだけは今後いかに時代が変化しようとも変ることがないと信じることができる。
こうしたすべてのことを来たらせる祈りの川、それは流れ続ける。

十字架の道は
くるしいけれども
行き着くところは
安らかな園だ
祈りの川は
いつも流れ
賛美の泉 たえずあふれる(「友よ歌おう」31番より)

神は愛であると聖書にある。そして愛とは祈りと深く結びついている。それゆえ、主イエスが弟子たちに、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ福音書二二・32)と言われたが、その祈りは今も続いている。
すでにイエスより五百年ほども昔の詩篇とされている、次の詩にあるように、神は昼も夜も眠ることも休むこともせずに私たちを見守って下さっている。愛をもって見守るとはすなわち祈りの心をもって見るということである。

… 見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない。(旧約聖書 詩編一二一・4

新約聖書でキリストの最大の弟子、パウロが、「どのようなときにも 霊に助けられて祈り、すべての聖徒たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けよ」(エペソ書六・18と言っている。
聖霊なるキリストが私たちの不十分な祈りを支え、導いて下さるのである。祈りも聖霊の導きがなければ、自分中心の人間的なものになって祝福の流れとはならないのである。
また、次のようにも言われている。

…同様に、霊も弱いわたしたちを助けて下さる。
わたしたちはどう祈るべきかを知らないが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さる。(ローマ人への手紙八・26

ここでの「霊」とは、聖霊のことであり、やはり右と同様に生きて働くキリストと同じであり、私たちは行動においても、また考えたり祈ったりすることにおいても常に誤りやすいゆえに、聖霊なるキリストが助け、とりなしをして導いて下さることが記されている。

この世には仕事や毎日の生活のなかで、私たちに敵対したり、理由なく憎んだりする人に出逢ったり、日本や世界の中で不正なことがなされる状況に直面することはしばしばである。
そのようなときに、私たちのとるべき態度はいろいろに分かれる。
一つはそんなことは考えても無駄だから、放っておくという無関心という道。
あるいは、言葉や印刷物でやりかえす、ときには武力、暴力という手段で報復する。
つぎは、それらの問題を困ったことだ、間違いだと思い、それに暴力以外の手段で抗議する。
そうした問題の困難さと人間の弱さを知るゆえに、神の力を待ち望む…

このようにいろいろに対応は分かれるであろう。
キリスト者とは、みずからの罪を知った人であり、その赦しという最大の賜物を受けた人である。そして神がすべてをこの世の背後で御支配なさっていると信じる人のことである。それゆえに、私たちの取るべき基本的なあり方は、そのような神の力が働くことをつねに祈って待つ、ということである。
それは「静かなる抵抗」である。祈りの川を常に流させることである。

…どのような悪に対しても、静かなる抵抗が最もよく勝利をおさめる。
AllemBosengegenuberistruhigerWiederstand das Siegreichste.
(ヒルティ著「眠られぬ夜のために」上 九月二一日より)

ヒルティの言う、「静かなる抵抗」、それが最も強力に働くのは、聖霊によって導かれる祈りである。
過去のあらゆる偉大なキリスト者たちはすべてこの聖霊による祈りによって、この世の悪の力と戦い、勝利してきた。こうした最もおどろくべき例が、十字架にくぎづけられてまで、この静かなる抵抗に生きられたキリストである。
祈りによる抵抗、それは静かであり、むざむざと悪の力に踏みにじられていくように見える。しかし、そうした祈りの道こそは、ヒルティの言うように、確実な勝利への道なのである。
これらはすべて、私たちの祈りが正しく流れていくよう、そしていつまでも祝福の流れとなり、周囲にもよきものをもたらすようにとの神のご配慮に他ならない。

 


リストボタン日本の根本問題

九月二一日、東京地方裁判所で、君が代、日の丸を強制し、従わない教員を罰するという東京都教育委員会のやり方は許されないとして、原告らの主張を認めた判決が出された。このような訴えは、数多く出されているが、はっきりとこのように、「憲法が定める思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ」としたのは初めてのことである。
このような、君が代と日の丸の強制へと方向づけたのは、一九八五年四月、当時の高石邦男初等中等教育局長名により、各都道府県の教育委員会教育長宛に出された通達であった。
これは、戦後初めて全国の公立小・中・高校すべてについて、入学式や卒業式における、君が代や日の丸について回答を求めるという極めて異例なものであった。
当時の、その高石初等中等教育局長は、愛国心の名のもとに、こうした調査結果を公表し、君が代、日の丸をわずかしか用いていなかった、沖縄や京都、関東の一部の都県などに強い圧力をかけるようになる。 この通達の背後には、自民党の強い働きかけがあった。
そしてこの時以来今日まで二〇年あまりの期間において、次第にこうした強制が全国へと広まっていく。
そして愛国心の育成のため、などと主張していたこの高石初等中等教育局長は、そのとき政財界を揺るがしたリクルート事件での罪を問われ、逮捕された。そして懲役2年6月・執行猶予4年の有罪判決が出た。
このような人物であっても、「国を愛する心」を育てるなどということを日本全体の教育委員会に命令するというのだから、彼らのいう「愛国心」なるものには信頼がおけない。
国歌と国旗を掲げ、歌うということ自体は一般的に言えば、国歌も国旗もあるのが好都合であり、それをみんなが何のこだわりもなく歌えるようであったらそれにこしたことはない。
しかし、今から二〇年あまり前から始まった、権力による強制ということは、そもそも一体何が目的なのか。戦前は、日の丸と君が代を前面に押し出して、戦争にかりたてる道具としてきたことはたしかである。その戦争がいかに悲惨なことになったかを、深く知るゆえに、憲法も全面的に改訂し、教育基本法も変えたのであった。とすれば、本来は、戦前の侵略戦争のときにふさわしいものとして用いられた君が代、日の丸も、広く国民のさまざまの人達の議論を集め、かつ学識者たちによって検討し、また新たに一般から公募するなどの方法をとって戦前のまちがった国の体制から全面的に決別するのが本来なすべきことであった。
憲法や教育基本法は根本的に新しくされたのに、古い憲法や教育勅語と深くむすびついて教育の現場でも用いられてきた日の丸、君が代はそのままで残るということ自体が矛盾したことであった。
このうち、日の丸は言葉ではなく視覚的なシンボルであるので、まだしも抵抗感は少ないと言える。しかし、君が代は、歌であり歌詞を持っているから、その歌詞の内容が当然問題とされねばならない。

君が代は、千代に八千代に さざれ石の 巖となりて 苔のむすまで

という短いものである。これは、戦前では、天皇の支配する時代は、何千年でも(永久に)続くように、との意味を持っているとして歌われたものである。この歌詞の意味が何であるのか、そのことを戦前の解釈も含めてはっきりと教えられないから、いつまで経っても国歌とされても、大多数の国民が何かあいまいな気持ちでこの歌詞を歌うということがずっと続いている。この歌を歌っている人は、どのような内容のものと考えて歌っているだろうか。天皇の御代(支配する時代)が永遠に続きますように、といった内容と解釈するなら、これはまるで、心から歌えないものとなる。現在は、天皇は単なる象徴であって、戦前のように日本は、天皇の支配する国家ではないからである。
 また、君が代というのを、「君」を「you」のことだ、と曲げて意味づけ、「あなたの時代」などと解釈するなどというのは、あまりにもいい加減な解釈と言わざるをえない。明治維新から八〇年近い年月を、もっぱら「君が代」とは、「天皇の支配する時代」という意味で使ってきたものを、突然、それを「あなたの時代」だなどと言い出しても、それが千年も八千年も(永遠に)続くように、などと誰が一体本気で歌えるだろうか。
とすれば、これは天皇の御代(みよ・治世)が永遠に続くようにという解釈にならざるをえない。そしてそうなれば、このような事実に合わない内容を歌えといわれても、心から歌う気持ちになれないのが本当であろう。
なぜ、文科省はこの内容をきちんと戦前にいかなる意味として歌われたのか、その歴史からきちんと教えるように指導しないのかと疑問に思う人も多い。それは、そうすれば生徒たちも、いかにこの歌が戦前の軍国主義を引っ張っていくのに大きな役割を果たしたかを知ることになり、一層歌うのを躊躇するようになるだろう。そこで文科省はきちんと内容を指導するようにとは言わないのだとも言われている。
私が教員をしていたとき、県の教育委員会の何人かが、学校視察に来たことがある。放課後に全教職員を集めて、対面で県教委の話しを聞くことになった。そのとき、私が、「君が代」を強制しようとするが、その歌詞の意味をどのようにとらえておられるのかと、県教委の人達の見解をただしたことがあった。意味も分からない歌を強制することは無意味だからである。「君が代」の歌詞の意味をどう考えているか、その説明を聞きたいと言ったところ、「我々は専門家でないから、君が代の意味について十分な答えができないから、後日、回答したい」、などといって何人もの教育委員会の人達が一人も答えられなかったのに驚いたことがある。
それほどこの君が代という歌の意味については、きちんと教育の場でも教えられなかったし、教えようともしなかった。そして結局その回答は教職員には何等連絡がなかったから、学校には後日送られてはこなかったようである。
ずっと以前から、疑問だとされてきたのは、高校の日本史の授業で、太平洋戦争など戦前から現代に至る歴史をほとんどきちんと教えないことについて、教育委員会や文科省は何も指導しないことである。君が代、日の丸などの強制の根拠として、学習指導要領にあるからということを根拠にしてくる。しかし、日本史で教科書を現代史の重要部分を省略しないで、現代まできちんと教えるということもまた、本来学習指導要領の基本にあることなのである。
それは、その時代の歴史を詳しく教えると、生徒たちが、日本の犯した罪の深さに気付くから、教えないようにと仕向けるためでもある、とも言われている。
靖国神社問題も前回と前々回で詳しく述べたように天皇が戦前は深く関与していて、国民を戦争にかりたてる道具としていた。
また、全世界で日本だけにしかない、特定の人間の名前を時間を数える際に使っている、元号制度もまた、天皇とかかわっている。天皇の事実上の名前を時間を数えるときに、用いるということだからである。自分の誕生日を明治○年、昭和○○年などとしか言えない日本人が多いが、それは明治政府が、天皇の名前を使うことによって日本人の魂の中に、天皇の名を刻みつけようとしたのが出発点にある。昭和天皇の本来の名前は、ヒロヒトである。昭和とは、そのヒロヒト天皇の死後の諡(おくりな)であるから、昭和○○年と言うことは、天皇の個人名を使って時間を数えていることになる。さらに、昭和○○年ということは、昭和天皇の治世(支配)の○○目、ということであって、現在の主権在民という理念にも矛盾するのである。
また、日の丸の旗は、太陽が中心に描かれている。天皇が天照大神の子孫だという神話を大まじめに受けとる立場にとっては、日の丸の旗は天皇を象徴していることになって、天皇を現人神として敬うことは、日の丸の旗を敬うことと同一線上にあるということになっていた。
自民党の憲法改悪の議論も、伝統、文化を大切にする、というのがある。ここでいう伝統の代表的なものが、天皇制であるというのである。このように、日本の政治や社会で大きな問題はその背後に天皇ということが深く結びついている。
靖国神社の参拝がなぜ国際問題にまでなるのか、それは天皇のために死んだ軍人たちが、神として祀られ、天皇が特別に参拝していた神社であるからである。だからこそ戦前で特別に重要視され、現在でもほかの神社と異なる政治的問題をもっている。
現在政権党である自民党の最大派閥の領袖(りょうしゅう)である、森喜朗元首相は、今から六年半ほど前、神道政治連盟国会議員懇談会(会長・綿貫民輔)でのあいさつで、「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてきた」と述べ、「神社を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえる」と言って大きな問題になったことがある。
 このような考えは、戦前の教科書に出てくる文言
*を思いださせるものがある。
小泉、安倍両氏は、この森派に属していた人物であり、このような間違った考え方の流れを受け継いでいる側面がある。単なる人間(天皇)を現人神として崇拝し、その命令を絶対視していくことは、太平洋戦争の遂行を支えるものとなっていた。

*)『日本ヨイ国キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国』『日本ヨイ国ツヨイ国。世界ニ輝クエライ国』(小二年用修身教科書)

東京裁判(*)がよく問題になる。原爆投下の責任が問われなかったことやA級戦犯のことはよく問題になるが、この裁判で、本来は最高の責任者であるはずの天皇の責任が最終的には追求されず(一部の国がきびしく天皇の責任を問題にしたが)、退位すらなかったということは、後々まで大きな問題を残すことになった。太平洋戦争は天皇の名によって開始され、また終結したのであり、会社でも、部下が大きな罪を犯せば、社長が辞任することになる。そうしたこの世の常識的なことすらなされなかったために、太平洋戦争という甚大な悲劇を起こした罪というのが全体としてあいまいになり、それが太平洋戦争を実行していった最大の責任者たちを神と祀る神社で彼らをも崇敬することになり、それが現在の靖国神社参拝問題にもなっている

*)日本の戦前・戦中の指導者二八名の被告を〈主要戦争犯罪人〉(A級戦犯)として,彼らの戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。(「世界大百科事典」による)

 憲法とともに、教育基本法を変えようとする動きが大きくなっているが、とくに「日本の伝統」を重んじることが強調されようとしている。ここにも、こうした人達によってしばしば最大の伝統とされるのが、天皇の存在である。
 そうした人達は教育勅語を持ち出してくる。しかしこれは、やはり天皇中心の発想が根本にある。これは、この勅語自体を見ればすぐに分かることであり、文部省が書いた次の表現にもはっきりと表わされている。

「…わが国の教育は、明治天皇が『教育ニ関スル勅語』に訓へ給うた如く、一に我が國体に則り、肇国(ちょうこく)の御精神を奉体して、皇運を扶翼(ふよく)するをその精神とする。」(「國体の本義」一二一頁 一九三七年三月 文部省発行)

 このように、この勅語の精神は、第一に、「国体」に則る、すなわち、国体を基準としてするということである。国体とは、次のように規定されている。
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これは我が、万古不易の国体である」(「國体の本義」九頁)

 このように、教育勅語とは、天皇が神であって永遠に統治するという発想を根源に置いているのであり、そこから教育も、その皇室の運を助けるのがその精神だ、というのである。いかに、教育勅語が、国民中心でなく、天皇中心であるかがこれを見れば明らかである。
 このように、日本では明治維新以来、国家、国民にとって重要な関わりをもってきて、現在もそうであり続けるのが天皇のことであり、天皇を基本的人権すら奪うような状況に閉じ込めておいて、神にまで祭り上げ、その存在を利用しようとすることが間違いの根本にあった。
 現在も、教育や政治、そして国際問題にまでなっているのは、その元をたどればこの問題なのである。
 天皇という存在自体は、一種の王であり、それがヨーロッパの一部の王政の国のように、神に仕え、国民に仕えるべき存在というのがはっきりしていれば特別に問題にはならないだろう。王政がなくなったら、国の問題は解決するとは限らない。現在では王制を持たない国が圧倒的に多い。王政がなくとも、問題はいたるところにあるのは絶えずニュースなどで報道されている。
 しかし、ヨーロッパの王政の国々では決して起こらないこと、それは、王を神とするような発想が日本にはあるから問題なのである。それは、古代において、ローマ帝国の皇帝が自分を神としてあがめるように命令したような、時代錯誤的発想である。
 聖書にも王制は旧約聖書にある。しかし、それは、次の詩にあるように、神こそ王であり、その神は愛と正義に満ちて真実なお方であるという信仰が基本にある。地上の王はその神から力と英知を与えられ、民に仕える存在なのである。
…神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。(詩編四七・9

このように、明治になってから、現在に至るまでの様々の問題の背後に、天皇という人間を神としてあがめるという間違った宗教的発想がある。
 どの国々にもいろいろな問題があるが、日本にはとくにほかの国には生じない特殊な問題があると言えよう。そうした人間を神とするような発想こそ克服されねばならないのであって、それこそ聖書に記された真理、キリストによる罪の赦しに表された神の愛に導かれることがこうした問題の究極的な解決の道なのである。

 


リストボタン終わることのない讃美

現在の日本では、神を賛美するということは実に分かりにくいことである。キリスト者は一%にも満たないという。万物の創造者としての神とキリストを信じない人達が九九%を占めているとすれば、その神に讃美するということはさらに不可解なことになる。これだけ世界に不合理なことが生じているのに、どうして神がいるといえるのか、その神に讃美などいかにしてできるのか、と多くの人は考える。
見える世界をいくらみつめても、そのような万物を創造した神、しかも愛と真実の神がおられるなどということは分からな
い。私自身も学校教育をいくら受けても全くそうした神に近づくこともなかった。
私が神のことをじっさいにおられると実感し、キリストの過去の人物でなく、人間を超えた神のごとき存在であるということが分かったのは、考えた結果でなく、不思議な力で受け入れるように導かれたからであった。
そうして自分の魂のうちに、神の存在を感じ、キリストの愛を知るようになって、はじめて神を賛美するということが分かってきた。
そして神に感謝し、その愛のみわざと万能をたたえるということははるかな昔からなされてきたことだと分かった。
さらにそのような讃美がつねになされている世界があるということも。
黙示録に次のような記事がある。
…天が開け、そこに神がおられるのが示された。そしてその神のまわりに四つの生きた天使的存在がいた。この四つのものには、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
全能者である神、主、
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(黙示録四・8より)

神のまわりにいた天使的存在が、夜も昼も絶えることなく、神への讃美を歌っているということ、そしてその生き物は翼があり、そこには一面に目があったという。それはこの天使的存在が、自由自在であり、すべてを見通す力を与えられていたことを示している。(翼と目がそれを表す)
ことに特徴的なのは、神に対して、いかなるものにも汚されず、動かされない永遠の存在であることを、「聖、聖、聖、」という三度の繰り返しで表していることである。いかにこの世が悪がはびこり、迫害のさなかであろうとも、霊的に神に引き上げられた魂は、そのような永遠の讃美を聞き取ることができたのであった。
そして、その神は、永遠の昔から存在し、今もおられて導き、悪をさばき、従うものにめぐみを与え、さらに時至れば、悪を(悪人でなく)根底から滅ぼす力を発揮される、ということがありありと示されたのである。
いかに雲が厚く地上を覆っていても、その上方には太陽が輝き続けている。同様に、いかにこの世が混乱し闇の力が覆うように見えても、それは一時的、表面的なことにすぎない。あくまで天の世界では神の聖なる存在は力をもって存在し続けている。
自然のさまざまの現象はそうした天の国の聖なる讃美を指し示すものとして創造されている側面がある。秋になると空はひときわ青く澄み、雲の白さも清く、草むらの虫の歌も聖なる讃美である。
秋の野山に咲き始める野草たちもまた地上の汚れに染むことなく、何千年となく咲き続けている。そうしてこの黙示録にあるような神への讃美へと見る者をつねにうながしているのである。

 


リストボタンことば

242)存在するもののなかで、最も古いものは神である。神は創造されたものでないからである。
最も美しきものは、宇宙である。神の創造したものであるゆえに。
*
最も速いものは、知性(心)である。あらゆるものを貫き走るがゆえに。**
最も賢きものは時である。あらゆるものを明るみに出すがゆえに。(タレースの言葉より)

*)ここで「宇宙」と訳された原語(ギリシャ語)は、コスモス(kosmos) 。これは、「秩序」といった意味があり、宇宙は最も秩序ある美しいものであるから、宇宙という意味にも使われ、そこから、秩序あるものは美しいから、英語のcosmitic は、美容、化粧という意味にもなり、秋に咲く美しい花、コスモスという植物名にも用いられるようになった。
**)ここで知性と訳されている原語は、ヌース(nous)であって、「理性」とも訳される語である。


原文は、詩的な表現で簡潔である。例えば、右の注をつけた原文は次のようになっている。
kalliston kosmos poihma gar theou
最も美しい 宇宙 作品 なぜなら 神の
tachiton nous dia pantos gar trechei
最速 理性 通す 全て というのは 走る

・ヨハネ福音書には、はじめにロゴスがあった。ロゴスは
神であった。---とある。この地上に生れてイエスと名付けられたお方は、永遠のはじめから神とともに、また神であられた、という表現を思わせるものがある。
すべてのものは移り変わり、生れては消えていく。宇宙の星々も同様である。しかし、ただ神のみはそうした移り変わりとはいっさい関わりなく存在しておられる。
最も美しいもの、それは宇宙だという。それは、宇宙にある星々、そして大空の美しさ、星々の動きなどを総称して言っていると思われる。
旧約聖書にも、つぎのように記されている。「天は神の栄光を物語り 大空は御手のわざを示す。」(詩編十九・23)人間によって決して変えられない、汚されないゆえに、神が創造されたままの美しさを保っている。
最も速いものとは、心(知性、理性)である、このような表現は意外に思われるだろう。現在では、光が最も速いというのは、常識のようになっているし、人工的なものについても、地上の新幹線とかジェット機、ロケットなどを連想するからである。
私たちの、心(判断力、知性)は、確かに、一瞬にして遠い星のことへと思いを馳せることができる。最も速いという光でも、太陽系のある銀河宇宙に最も近いアンドロメダ星雲まで、二三〇万年もかかる。
しかし、私たちの知性は、一瞬にしてアンドロメダ星雲まで思いを馳せることができる。タレスは、今から二六〇〇年ほども昔のギリシャの哲学者。

243)人間の精神は平常の時には、浅薄な考えや興味の言わば厚い被いにつつまれているが、苦しみのときには、その被い(おおい)がことごとく取り除かれて、その代わりに純精神的なことを容易に理解でき、一切の人間関係を正しく評価し、また感情が真実になってくる。しかもこれらは、以前どんなに努力を積んでも得られなかったものである。
この点において、苦しみはすべての善い行いよりもまさっているとさえいえる。苦しみに満ちた日の間に、生まれつきの素質からすればとうてい超えられない内的進歩の限界を乗り越え、ふつうでは決して退散しそうもなかったさまざまの性癖(せいへき)が苦しみの灼熱のなかで溶かし去られるのである。(「幸福論」第三部一四五頁より)

・たしかに私たちは、苦しみを経験しなかったら、どんなに年齢を重ねても、また学問ができても人間が何であるか、また神の愛とは何かといったことは表面的にしか分からないだろう。
病気もしていないし、家族もよい、何も苦しみはない、という人がいる。しかし、そのような人がもし、主イエスの言われたように、「まず神の国と神の義を求める」という生き方へと踏み出そうとするとたちまち苦しみは生じる。例えば、毎週やってくる日曜日の過ごし方一つをとっても、まず神の国を求めるために、会社の仕事があっても、また家族との旅行や遊びなどの娯楽をおいて日曜日の礼拝集会に行く、ということを始めるとたちまちそれまで和気あいあいの家族であっても、家族の反対に直面するであろうし、職場でも評価を下げられることにつながるだろう。そしてそれはその後もずっと何らかの苦しみをもたらすことにもつながりかねない。
みんなが黙っていることを、神の国を求める心から、間違いだ、と指摘したらその職場や集団から排除されることにつながりかねない。そこから苦しみは始まる。
「それぞれが自分の十字架を背負って、私に従え」(マタイ十六・24)と言われた。 それぞれが何らかの十字架を負いつつ、従っていくとき、私たちは苦しみに出逢ってもそのなかで神の助けと導きをじっさいに知ることができ、生きた神ということを実感させて下さるようになる。

 


リストボタン休憩室

○九月に入って、風はそれまでの蒸し暑さが消えていき、さわやかな風を感じるようになりました。湿気の多い風と高温につけられたような日々であったから一層このさわやかな風が心地よく感じます。
温度が同様であっても、太平洋の湿度の高い風と、大陸からの湿気の少ない風とではまるで異なるものとして感じます。
ちょうど、新聞やラジオやテレビ報道に乗ってくるこの世の風は犯罪や暗い出来事が多くて気持ちを暗くするようなものが多いけれども、天を仰ぐときに感じられる霊的な風は、まったく異なるものがあります。
エアコンは、夏の蒸し暑さから一時的に解放してくれますが、その部屋だけのことです。しかし、天からのさわやかな風は、地上のどこにいても、私たちの心をまっすぐに神に向けるだけで与えられるという、他には代えがたい特質をもっています。
偏西風というのは常時吹いている西よりの風です。天の国からも常時地上に向かって吹いている風があります。私たちが天の国からの風を感じ取ろうとするとき、聖書、空の青さ、白い雲、夕日、夜空の星、川の流れ、そして樹木、野草といったものがそれを助けてくれます。

○セミたちの元気のよい鳴き声がいつしか聞こえなくなったこのごろですがそれに代わって、たくさんの虫たちのコーラスが野山に響くようになっています。とくに誰の耳にもなじみあるのが、エンマコオロギの澄んだ流れるような響き、マツムシのチンチロリンといった鈴をころがすような声、それからスズムシのリーン、リーンという声です。 ツヅレサセコオロギのジィッ、ジィッという地味な鳴き声も草むらや石垣などのどこからともなく聞こえてきます。
小さな柔らかい羽をこすり合わせてあのような美しい響き、しかも大きな音が出るのは奇跡のようなことです。子供のときエンマコオロギを飼育してその鳴き方を観察し、あとで羽をこすってみたが全く音も出ないので、とても不思議だったことを覚えています。
神がなそうとすれば、不可能だと思われるようなことを簡単になされるという例だと思います。
私たちもまた、小さな罪深いものに過ぎないのですが、神の御手がはたらくとき、神の証し人としてささやかながら、この世に讃美の歌を響かせるものへと変えられるといえます。



リストボタン詩から

○(水野源三の詩)
神様
今日もみ言葉をください。
一つだけで結構です。

私の心は、
小さいですから
たくさんいただいても
あふれてしまい
もったいないので

・たった一つのみ言葉であっても、それが直接に神から、主イエスから与えられたと実感するとき、大きな力となる。人間同士でも、一言の愛のこもったまなざしや言葉で支えられるのであるから。

○大海(おおうみ)の 水底(みなそこ) 響(とよ)み 立つ波の 寄せむと思へる 磯のさやけさ
(万葉集 巻七・ 1201

・大いなる海の底までとどろかせて、波が岩肌荒い磯に打ち寄せている。何と清々しいことか!
この詩人は、重々しい波音を聞きつつ、真っ白い波を打ち寄せている海、その磯全体に何ともいえない清々しいものを感じたのである。大海原の真っ青な深い色、そして力をもって打ち寄せる白い波、そこに心をも澄み渡らせるようなものを感じ取ったのである。自然の光景や色彩、音は私たちの心にこのような天来のものを注いでくれる。

 


リストボタン編集だより

来信より
○この一か月、「待ち続ける神」という言葉が絶えず心に浮かんでいます。この放蕩息子の話しを、これまで、いく度か耳にしていたけれど、あの父親の愛情を、待ち続けてくださる神の姿に重ねて考えたことがなかった私は、「これこれ、父親よ、あなたのその甘い姿勢が次男をスポイルしてきたんじゃないの?」と、長兄に同情していたものでした。恥ずかしいです。とても恥ずかしくて涙が出ました。
どんな罪人に対しても、こちらを振り向けばそこに待っている神がおられる、ということが、とても美しい音楽のように心に響きました。「待ち続けることができない私」を叱っています。
それと、「靖国神社」のこと、とてもすっきりしました。長年自分の心のなかで、迷っていた問題だったものですから。小学生の娘に質問されたのですが、スラスラ答えることができました。(近畿地方の方)

○…八月号で、「靖国の混乱」、神様の御前に許されない靖国の姿を浮き彫りにして下さって、感謝します。キリスト者はこのような靖国観を強く持つべきでしょう。…(関東地方の方)

 


リストボタンお知らせと報告

○八月二六日(土)~二七日(日)には、静岡市から、西澤 正文兄ご夫妻やほかに水渕 美恵子姉、石原みつ子姉のお二人で合わせて四名の方々が、徳島聖書キリスト集会に来訪され、土曜日集会(手話と讃美、聖書の集会)と大学病院に入院中の勝浦 良明兄を訪ねました。翌日の日曜日、主日礼拝では、吉村 孝雄が「主よ来てください」(黙示録二二章から)と題して短い講話をし、そのあと、西澤兄によって聖書講話 「私は主である」がなされました。そしてご自分の最近の体調の異常にかかわる経験を率直に話され、弱きところに神の力があらわされること、その経験を通して学んだことなどを語られました。 参加者は四〇名余り。日頃集っていない方、初めての参加者などもあり、み言葉と讃美、祈りを共にすることができ、神の国からの新たな風を受けることになって感謝でした。
○九月一七日(日)の礼拝が終わって、眉山のキリスト教霊園にて、故杣友めぐみ姉の納骨式が行なわれました。ご両親である杣友 進平、益子ご夫妻はじめ、ご家族、親族の方々も、主日礼拝から参加され、納骨式も二〇人ほどの方々が集まってなされました。地上の生活においては、苦しいことも多かったかと思われますが、今はすべてが主の愛によって包まれていることを信じて感謝です。ご遺族の方々の上にも主の導きがありますように。

○九月一八日(月)午前十一時~午後四時まで、松山市にて、「祈の友」四国グループ集会が開催されました。参加者は四国と兵庫県からの二〇名ほどが参加して、み言葉に聞き、祈りと讃美、そして交流の時間が与えられました。聖書講話は「祈りの川」と題して吉村 孝雄が担当。今月号にその内容を掲載しました。

○礼拝CDを聞くためのプレーヤ
先月号にも紹介しましたが、私たちの徳島聖書キリスト集会での日曜日の聖書講話と火曜日夕拝の聖書講話をMP3という形式でCDに録音したものを希望者に配布、送付しています。(一か月の約八回~一〇回分の集会記録が一枚のCDに入っています)しかし、MP3のファイルを聞くことができるためには、MP3プレーヤかDVDプレーヤがないと聞けないのです。最近発売されたMP3プレーヤは、従来の携帯用のCDプレーヤと同じ大きさで、直径十四センチ、厚さ二センチほどです。価格は、三九八〇円(税別)です。近くに大型の電器店があるところでは問い合わせたらこれと似たものがあるかも知れません。これがあると、私たちの集会で作っている聖書講話のCDが聞けます。もちろん普通の音楽CDも聞くことができます。重さは乾電池除いて約二〇〇グラム、リモートコントローラー、イヤホン、乾電池、交流電源用のアダプター付きです。問い合わせても電気店にない場合には、購入希望者は吉村(孝)まで連絡ください。

○十月八日(日)は、吉村 孝雄は、福岡市での、第十二回信愛ホーム九州地区同窓会集会にて、「主はわがいのち、そして光」と題して語る予定です。14時~1530分。「信愛ホーム」とは、視力に障害を持つ人のための施設。創立者は内村鑑三の信仰の弟子であった平方龍男(ひらかた たつお)。ハリ治療の学習と実技指導を行うとともに、キリスト教信仰にもといを置いた、精神的な成長をも重視している施設です。

○十月二九日(日)には、東京聖書集会の代表者である、塩澤 潤氏が来徳され、特別集会の予定です。主日礼拝の聖書講話を担当してくださいます。時間は、いつものように、午前一〇時三〇分より午後二時ころまでです。