巻頭聖句

しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、
永遠の命に至る水がわき出る。


(ヨハネ四・14



2008年6月  第568号・内容・もくじ

リストボタン谷川の水

リストボタンベトザタの池

リストボタン成功と失敗 

リストボタン憐れみの神

 リストボタン証し人となる

リストボタン全国集会での証しから玉栄千春

リストボタン全国集会の証しから 杵渕 麗子

リストボタン「ろう者として クリスチャンとして」康恵

リストボタン宇宙基本法の問題点

リストボタンことば

リストボタン編集だより

リストボタンお知らせ


 

リストボタン谷川の水

澄んだ水が谷に流れている。どこを通ってきたのか。それは以前に降った雨が土にしみ込んで、さまざまの土の中を通ってしみ出てきたのが谷川となって流れる。汚れた土の中を通って清い水がしみ出てくるのに自然の不思議さを思う。
神の道、それはこの世のどんなに汚れた世を通ってきても決してその清さを失うことはない。たとえ人の汚れや悪があり、敵意や憎しみ、そしてそれらの大規模な現れである戦争など数々の暗い出来事があっても、そのただ中を流れてその清さと真実を保ち続けている。


どこまでも負って下さる方
誰もが日一日と老年に近づいていく。若い人は自分が老人になることなど考えることもしないであろうが、確実にすべての人は老いていく。
老いとは、さまざまの人間の弱さがしずかに、時には突然に次々と寄せてくることである。
病気、孤独、さまざまの楽しみの喪失、はたらきができなくなることから生きがいの喪失、行動の不自由、人間関係の困難さ、前途の希望が失われて影のようになってしまう等々。病院や施設でさえも、こうした苦しみを部分的にしか除くことはできない。
こうした老いの苦しみをどこまでも担ってくれるのは、ただ人間的なものを超えたお方だけである。

わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。 (イザヤ書四六・4

どんな状況になっても、必ずそばにいて私たちを担って下さると約束してくださる神、最終的には死という最大の難所をも御手をもって持ち運び、越えさせて下さる神を待ち望み、そこに希望をおきたいと願う。

 


リストボタンベトザタの池
―取り残された人と救い

新約聖書の中に、ヨハネ福音書だけにあるどこか不思議な雰囲気の漂う記述がある。それはつぎのような内容である。

エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。
この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。
―彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。―(*
さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。
イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。(ヨハネ福音書五・8

*)この聖書の箇所のうち、―と―で囲んだ部分「彼らは水が動くのを~いやされたからである。」は、二世紀から三世紀ころ、パピルスに書かれた写本や、シナイ写本(四世紀)などにはないために、オリジナルの文書にはなかったと推定されている。そのため口語訳ではカッコ付で書かれてある。
しかし、そのすぐあとのアレキサンドリア写本(五世紀)や、エフライム写本などには記されているので、古い時代から伝えられてきたことが知られる。

これは、置き去りにされた、という痛切な思いにさいなまれた人間の魂の歩みである。周囲のすべての者は、次々と救われていくのに自分だけどうして…というつらい気持である。なぜ、自分だけこの苦しい状況のままで捨ておかれるのか、どうしてほかの者たちはこのような苦しみがなくて楽々と生きているのか、このまま自分はこの世の人たちから置き去りにされて、苦しみと孤独のなかですごしていかねばならないのか…そう考えるとき、この世のすべてに希望はなくなり、もう生きていけなくなる。
自分の命を断ってしまいたいという強い願いは、周囲とのこうした比較による苦しみがその内にあっただろう。
そしてこのような、自分だけが苦しまねばならない、神がいるとしても、見捨てられたのだ。周囲の人たちもこの苦しみはわかってはくれないのだ、という人間への絶望のようなものも生じてくる。
旧約聖書のヨブ記にもやはり、自分だけが見捨てられた、といった深い悲しみが流れている。

…神は兄弟を私から遠ざけ、
知人を引き離した。
親族も私を見捨て
友だちも私を忘れた。
私の家に身を寄せている男や女すら
私をよそ者とみなし、敵視する。
息は妻に嫌われ
子供にも憎まれる
幼な子も私を拒み
私が立ち上がると背を向ける
親友のすべてに忌み嫌われ
愛していた人々にも背かれてしまった。(ヨブ記十九・1319

こうした表現から、周囲のさまざまの人たち、親族、友人、知人…たちからみな一様に嫌われ、自分の家族からすら見捨てられた人の苦しみが伝わってくる。
ヨブという人の苦しみは、彼が人一倍正しいと思われる生活をしてきたにもかかわらず、財産は失われ、子供は死に、妻からも嫌われ見捨てられていく状況で生じたものであった。
ベトザタの池に出てくる取り残されていた人は、かつてどのような生き方をしていたかは全く記されていない。しかし、過去がどうあろうとも、現在の苦しみは自分だけなのではないか、なぜ神は自分だけこんなみじめな思いをさせるのか、といった運命そのもの、神への不満と悲しみが、周囲の人たちの愛のなさと混じり合って深い絶望に陥っているという点では共通したものがある。
この長い病気に苦しんでいた人がいたところは、ほかにも多くの病人や目の見えない人、足の立たない人など苦しんでいた人たちがいた。そこで、時折水が動くことがあった。それは神のしるしであり、そのときに池の水に真っ先にはいるとその人がいやされるのだという。
このように、病気や苦しむ人たちの世界においても、一種の競争のようなものがあった。いやされるのは真っ先に池に入ることのできる人であり、それは病人たちのなかでも強い人である。これらの多くの人たちも神を信じて待っていた。神を信じる世界でもこのような強いものが勝つ、といった状況が見られたというのである。
こうした宗教的な世界においても、ある種の競争があって弱い者が見捨てられる、といったことが見られた。それは現在でも、いろいろな宗教団体や教会などでも社会的に地位が高い人や金持ちなど多くの献金をする人などがその人の信仰と無関係に重んじられるということが見られる。
イエスの当時にあっても、主イエスのたとえに、神殿に祈るために行った人が、「神よ、私は徴税人のように罪を犯す者でないこと、十分の一をささげ、安息日を厳守できていることを感謝します。」というような祈りをしたことが書かれてあり、そのような態度では、神に祝福されない。 かえって、「主よ、罪人の私を赦して下さい。」と胸を打って祈った徴税人のほうが神に受けいれられたのだと主イエスは言われた。
このように、当時も、律法を表面的であってもきちんと守り、守れない人たちを見下すような人たちが重んじられていたことがうかがわれる。 守れない弱さはだれにでもある。それを主イエスは指摘された。
別のところで、「私は神の律法をこどものときからずっとすべて守ってきた。その他何をしたら永遠の命が与えられるのか」と尋ねてきた人に対して、「律法を守ってきたというのなら、あなたが持っている財産をみな売り払って貧しい人たちに与えよ」と厳しいことを言われた。「隣人を愛せよ」ということは、イエスが初めて教えたことでなく、すでに旧約聖書に記されている。律法を守るとはそれをも含むから、本当にすべて守ってきたなどというのなら、そのように金持ちであり続けることはなかったはずだと主イエスは言おうとされたのである。
すなわち、守れない弱さ、人間のどうすることもできない限界(罪)、といったものを自覚することもしないで、自分を誇るような姿勢は必ず裁かれるのであってそこに祝福はないのである。
しかし、当時の宗教的な姿勢がそのような状況が濃厚であったゆえに、このベトザタの池の記述は、そうした当時の状況そのものに対し、主イエスがいかに異なる視点を持っておられたかを示そうとしている。
主イエスは、守れないと自覚するもの、弱くて律法を守ることもできず、救いの池の水の中に自分で歩いて行くこともできないような者、ただその弱さのゆえにうちひしがれて動くこともできない状況にある者を見出して下さり、そこに御手を差し伸べて下さるお方なのである。
これは、あの九十九匹の羊を置いて、失われた一匹の羊を探し求めて下さる羊飼いのたとえと同じである。実際には健康な羊などはいないが、しかしそれでも健康と思われる者を置いて、ついてくることのできない弱い者、そのような者を見出し救いへと引き出して下さるのが主イエスなのである。
この病人は、ほかの誰からも声をかけてもらえなかったようである。だれが声をかけても彼の力になることもできなかった。ここに描かれている状況は、現代では関係のないようなところだと思いやすい。エルサレムのある門の側にいろいろな病人やからだの不自由な人たちが集まっている、そこに池があった、などということは現在の私たちに何の関係もないと思いやすい。しかし、実はよく考えてみると、この世界全体がこのベトザタの池の記述で表されている状況なのである。
至る所に病院がある、病気のひと老齢の人たちが苦しむ施設がある。アジア、アフリカなどには病院や食料すらまともにないような貧困にあえぐ人たちが数知れずいる。また以前からある各地の内戦、最近生じたミャンマーの大災害、中国の大地震による大規模な被災などなど、世界にはまさに至る所に病人や傷、障害で苦しむ人たちがいる。
そうしたところに今も主イエスは赴かれているであろう。そしてそれらは決してニュースにはならない。だれも知らないところで今も見放されたような人たちの魂が救われていることを私たちは信じることができる。
私もかつてはそのようにどうしても魂の平安が与えられずに悩み苦しんだ年月が続いていた。もう出口のない暗夜であった。なぜまわりの人たちはそのような苦しみがないかのように生きて行けるのか、とあえぎつつ生きているような時期があった。 そこに主イエスの救いの御手が差し伸べられ、そこから脱することができた。 ベトザタの池に関する福音書の記事、それはこの世の霊的な、魂の風景なのであり、そのような苦しみと絶望的な世界に主イエスが来て下さるというメッセージをたたえたものなのである。

 


リストボタン証し人となる

使徒言行録の最初の部分に記されていることは、全員が意志を一つにしてとか、話し合いをして今後のことをどうするか、どのように力を合わせて伝道するか、生活はどうするか、迫害にどう耐えていくか、ユダヤ人との戦いをどうするか、などなどではなかった。
そうしたこの世の考え方とは全くことなる道であった。それは、イエスの約束されたものを待ち望むということであり、集まって必死になって祈るという道なのである。そして与えられたのは、目には見えない力というべきものであった。それは単なる力でなく、愛や清さ、喜び、そして魂の平安など、あらゆるよいものを伴うような力なのである。
それは風のように突然吹いてくる。そしてその風を受けた者は変えられる。弟子たちも同様に変えられたのは、イエスの教えによってではなかった。その目を見張るような奇跡でもなかった。長年の難病がたちどころにいやされるといったすばらしい神のわざでもない。
それは、霊の風によってなのである。
その風を受けると、ただちに人は変る。何に変るのか。イエスの証人にである。イエスの証人とは何か、それはその人の存在が、主イエスの何かを感じさせるものとなるということである。主イエスは福音の言葉を持っておられた。それゆえイエスの証人となった者もまた、同様に福音の言葉を持っているだろう。主イエスは無差別的な愛、敵対する者に対しても愛をもっておられた。イエスの証人もまたそうした愛の一部を持つようになる。イエスは永遠である。イエスの証人もまた、永遠であり、死してもなお生きている。
誹謗中傷されても憎しみをもって返すことなく、つらいことも喜びも神からのものとして受け取っていくという心…イエスの証人とはこうしたものを少しでも備えている人である。
そしてこのイエスの証人となることは、どのような人でも、また、いかなる状況にあっても可能である。スポーツや学問研究、また演劇や歌手、一般の職業などはまず健康でなかったらできない。寝たきりとなったらそれらはみなできなくなる。歌手という仕事は風邪をひいただけでたちまちできなくなる。だから、ある歌手が言っていたが、風邪をひいている人のところには決していかないとか、また別の歌手はつねにビタミンC剤を服用しているとか聞いたことがある。
イエスの証し人、それは健康であればそれなりにできるし、病気になっても健康なときにはできなかったような証しができる。重い病気やからだの障害のある人たちが、健康な人よりもイエスを証しする場合がある、ということは私たちが実際に経験することである。先頃徳島市で開催された、キリスト教(無教会)の全国集会でも多くのさまざまのからだのハンディのある方々がおられたが、その方々はそれぞれにイエスを証ししていることになったし、そのことが会全体がいっそうイエスの証しをすることになった。
またかつての激しい差別を受けたアメリカの奴隷たちも、ストー夫人の「アンクル・トムズ・キャビン」という名作にあったように、めざましいキリストの証し人となった人たちもいる。
あるいは、新約聖書にあるステパノのように、真理を述べたために石で撃ち殺されたが死ぬ前に天が開けてイエスが神の右に座しておられるのが啓示され、そのような神の啓示を受けて、周囲の憎しみにもえる人たちのために祈りを捧げつつ息を引き取った殉教者がいる。ステパノのようなひとは、以後の歴史にも数知れず生じてきたが、彼らこそ、一層のイエスの証人となり、新たなキリスト者を生み出す基ともなった。
いつでも、どこでも、だれにとっても可能な仕事、しかも最も重要な仕事、それがイエスの証人となることである。
そのために必要なこと、それは経験でも能力でもまた生まれつきや健康ですらない。それはただ、上よりの聖なる霊を受けることだけである。ただその一つが与えられるなら、だれでもが、「地の果てまで」、すなわちどのようなところにあっても、イエスの証し人という仕事ができるようになる。
それはいわゆる聖人のようになることとは違っている。神の持っておられる無差別的な愛、真実、汚れなき心、人間的な欲やねたみ等々がすべてなくなったような人、かつ不正に関していのちをかけた勇気を持っている等々がみんな備わっているといった人は、ごく少ないだろう。
パウロも憐れみを受けている者という意識を常にもっていた。神の憐れみなくば、私たちも容易に間違ったところに落ち込むだろう。
そのような土の器であっても、そうした弱い者をも用いて下さる、そして証し人として下さるというところに私たちは大きな感謝を覚える。


 


リストボタン成功と失敗

この世では成功と失敗ということは、しばしば耳にする。とくにスポーツや事業でよく使われる。盗塁に成功とかベンチャー企業を起こしたが失敗したといったことはだれでもなじみ深い言葉であろう。
しかし、ひとたび、聖書の世界に入ると、新約聖書では広く使われている三種類の日本語訳聖書(新共同訳、新改訳、口語訳)においても、一度も成功という訳語はあらわれない。
私自身、信仰にかかわることで何かをして成功した、といった気持になったことはないし、そのような言葉を他人にも自分にも使った記憶がない。
なぜ新約聖書では、成功というようなどこにでも使われる言葉が見当たらないのだろうか。
成功とは「目的を達成すること」であるが、私たちの目的は神の国であり、神のご意志が成就することである。それが究極的な目的であるからこそ、日々の願い、祈りもそこに焦点が合わされている。
あらゆる状況の人にとって、またどんな時代や民族などに関わりなく、人間の究極的な願いは、真理そのものがこの世でなされますように、ということである。それは聖書の言葉でいえば、神のご意志がなりますように、御国が来ますように、という願い、祈りである。主の祈りとは、いつどんな時でも人間の願いとして最も高くて深い内容をもっているゆえに、主イエスがそのように祈れと、教えられたものである。
その第一と第二に置かれているのがこの祈りである。
御国が来ますように、それは神の御支配がなされますように、ということであり、御心が天に行われるように、地にも行われますように、というのは、神のご意志が地上でもなされますように、という祈りである。
*

*)この重要な祈りにおいて、「御心」とか「御旨」がなりますように、と訳されることも多いが、それでは感情的な心のように間違って受け取ることになりかねない。この主の祈りの「御心」の原語は、セレーマ thelema であり、意志を表す。英語訳では will となるが、各種の外国語訳もみな「意志」を表す語が使われている。

私たちの目的が人間的な評価とか、参加者の数など、みかけの状態を目的とするのでなく、神の国であり、神のご意志が成るように、とのことであるから、目的が達成されたかどうかは、その企画に神のご意志にかなったことであったかどうか、にかかっている。
そしてそのことは、ただ最終的には神のみが知ることである。
私たちは聖書によって神のご意志がどのようなものであるかを、詳しく知らされているゆえに、その聖書に記されている精神に少しでも合致するように計画をし、祈りを続ける。
そして聖書の精神とは、当然ながら知的レベルの高い人たちだけを集めるような精神であり得ないことは明らかであるし、主イエスご自身も心を注がれたのは、何らかの意味で苦しみにある人たち、闇にあって前に進めないような人たち、赦されない罪のゆえの苦しみ、あるいは肉体的な苦しみに置かれている人たち、例えば盲人、足の立たないような人、耳の聞こえないような人、また精神の病に陥っている人、長い病気に苦しむ人、貧しい人、差別をされている人等々であったことは、聖書を読めばすぐにわかる。
それは、特定の人々でなく、実は私たち人間はみんなそのような闇にあり、死んだといえる状況であることは、主イエスも使徒パウロもはっきりと述べているところである。
それゆえ、キリスト教にかかわることにおいて、「成功」(目的を達成する)とは、そうした闇にある人たちのところに光がもたらされることにある。
そしてその場合、表面に見える参加者の数などでなく、本当に苦しみにあった人、揺らいでいた人が確かな確信を与えられ、み言葉を受けるということである。
主イエスは、九十九匹の羊をおいて、たった一匹の見失われた羊を探し求めていく心を、神の心とされた。それは、たった一人の人が本当に救いを受けることができたなら、その集まりは主の目的を達成したのであり、「成功」したということなのである。
しかし、多くの人たちが集まっても、単に頭のよい人たちの理解や知識が増やされた、といったことでは、主イエスのご意志にそぐわなかったことであり、そのようなことを目的とすることは聖書にはまったく記されていないことである。
また、何か多数が集まり、娯楽的なことをして、楽しかった、といって帰ってもそれは闇に光が臨んだということとは何の関係もない。一時的に苦しみを忘れさせただけであって、そのあとはいっそう闇が深まってしまうことにさえなりかねない。
聖書の巻頭に、闇と混沌があってそこに神が光あれ! と言われたことによって光が存在するようになった。これは神のご意志をひと言で凝縮したものである。キリスト者としての私たちのなすことはみな、このご意志に沿ったものでありたいと願う。私たちはそのように祈り、主が導いて下さることを願う。
そしてどのようなことになろうとも、たとえ表面的にはよきことにつながらなかったように見えても、すべてを良きにして下さる神を信じることができる。
神こそは、すべてをご意志にかなうように、最終的に導かれる。成功は神がなさることであり、どんなに失敗のように見えても、その隠れたところでたった一人が悔い改めて神に心を向けるなら、また救いのない苦しみにあえいでいた人が、十字架の赦しの平安を与えられるなら、それは「成功」したことになる。
主イエスが、十字架で処刑されるとき、わずか十二人ほどしかいなかった弟子たちはみんな逃げ去り、一人は金でイエスを売り渡し、代表格のペテロは三度もイエスなど知らないといって激しく否認したほどであった。 そして群衆たちは、だれか一人は釈放することができるとローマ総督が言ったとき、ユダヤ人の指導者たちと群衆たちは、みんながそろって強盗バラバを釈放し、イエスを十字架につけよ、と叫んだ状態となった。イエスの生前の活動は徹底的に破壊され残らなかったように見えた。それは完全な失敗のように見えただろう。
しかし、それが実は、完全な「成功」なのであった。神のご意志が成就すること、それが成功であるゆえに、十字架とそれに続く復活こそは成功のしるしであった。そのことを知っていたイエスは、十字架上で「成し遂げられた!」といって息を引き取ったのであった。(ヨハネ福音書十九・30
これは、成功ということが、いかにこの世の基準や判断とかけ離れているかを如実に示すものとなった。
私たちが主のご意志をまず思い、それが成るようにと願い、主にゆだねつつ成すなら、すべては「成功」すると言えよう。私たちが成功させるのでなく、神がご自身の意志を完成なさるからである。


 


リストボタン憐れみの神

聖書においては、神の愛という言葉とともに、神の憐れみという言葉が多く用いられている。
愛という言葉は、あらゆる対象に成り立つ。それは人間同士だけでなく、相手が動物であっても樹木や野草など植物やあるいは、山川や星などの大空のものであっても成り立つ。
しかし、憐れみというのは、人間に対してである。
このように、憐れみということは、本当の意味では、人間に対してだけ、特に成り立つ言葉なのである。
*

*)動物に対しても言われるが、それは限定された憐れみである。というのは、人間は動物に対しても憐れみを持っているように見えても実は、牛や豚、ニワトリ等々の屠殺、あるいは魚にしても網でとったり釣ったりすることは何のためらいもなくなされているからである。それらは不可欠の人間の食物となっている。

憐れみというのは、上からの一方的な愛の注ぎを意味している。神の憐れみは、旧約聖書から新約聖書にいたるまでずっと記されている。旧約聖書においては、すでに兄弟を殺したカインが本来ならば、すぐに神によって裁きを受けて死なねばならないはずであった。カイン自身もそのことを自覚していた。
しかし、神はあえて、カインを生かし、彼を殺そうとする者がないように、カインに特別なしるしを付けられたという。(創世記四・15
このように本来その罪のゆえに滅びるべき者をも、しるしを付けて保護し、立ち直ることを待つということの中にも憐れみの神の姿がある。
愛を受けている、これは対等という感じを与える。実際神の愛は驚くべきことだが、私たちをあたかも神と対等のように、扱って下さることすらある。主イエスは「あなた方は私の友である」と言われたし、使徒パウロは、「私たちは神の同労者である」(Ⅰコリント三・9)と言った。
*

*)同労者(口語訳)と訳されている原語は、シュネルゴイ。シュンは「共に」、エルゴイは、「働く人たち」 qeou/ ga,r evsmen sunergoi,(英語聖書では、we are God's co-workers あるいは、fellow workers などと訳されている。新共同訳で「力を合わせて働く者」とか、新改訳では「協力者」などと訳されている。)

しかし、憐れみを受けている者という言葉は、明白な上下関係なのである。憐れんで下さい! という必死の願いは、自分よりはるかに上なる神への叫びである。もう死ぬほかはない、あるいはすでに死んでいると言えるような状態にも、注がれるような神の愛を願うときに、私たちは神に憐れんで下さい、と祈り願う。
旧約聖書において、神の愛という言葉よりも、憐れみの神という記述が繰り返し現れる。それは、罪深い人間、あるいは敵の攻撃や病気などによって繰り返し落ちていこうとする人間をも見捨てずに、顧みてその苦しみを御手によっていやして下さるからである。

憐れみを受ける、というような言葉をふだん私たちはほとんど使わない。誰かから憐れみを受けるというと、見下されている、というようなイメージがある。憐れまれることなどいやだ、といった感情が強い。
たしかに人間がだれかを憐れむというとき、それは愛よりも相手の状況を知った上で何の助けもしようとはしないで見下すようなことが多い。人からの憐れみを受けると、後からそのお返しを要求されることもある。
しかし、神からの憐れみを受けることは、そのようなマイナスのことは全くない。ただほとんどの人たちが神など存在しないと思い、神が憐れみを持って私たちを助けて下さると考えてもみないのが大多数である。
何の価値もない者、それをも大切なものとして見つめ、手を差し伸べて下さること、それを経験するときは、本当に神は憐れみの神であることを実感する。
聖書において、愛という言葉はすでに古くから親子や、男女など人間同士の思いを表す言葉として用いられている。愛するという言葉
*が最初に聖書に現れるのは、神がアブラハムに対して、「あなたの愛するイサクを神に捧げよ」という箇所である。(創世記二二・2 それ以外にも愛するという言葉は、創世記だけを見るとみな、ヤコブはラケルを愛した、というように人間同士の愛情を表す言葉として使われている。
その少し後になると、出エジプト記や申命記においては、愛という言葉は、「神を愛せよ」という命令として現れる。そして神は愛である、といった表現はずっと現れることがない。
そのようななかで、早くから、出エジプト記の二二章においてはっきりと神の御性質として、憐れみということが示されている。旧約聖書は神の正義や裁きがたくさんあって、怒りの神とか裁きの神といったイメージが強い。
しかし、旧約聖書をよく読めば、こうした見方は一面的なものにすぎないのがわかる。
旧約聖書のはじめのほうから、神の憐れみ深い御性質ははっきりと示されているからである。

… 寄留者(外国人)を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。
もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。…
もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。
なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。
もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。
わたしは憐れみ深いからである。(出エジプト記二二・2026

ここで言われていることは、裁きの神とは全く異なる憐れみの神という姿である。外国からの人たち、一時的に住んでいる外国人に対し、このような特別な配慮が命じられていることは驚くべきことである。日本人が朝鮮半島からの人たちに対してどのように対したか。それはこのように憐れむということとは全く異なるやり方であった。それは健康を害するようなガスや有毒粉塵が満ちているような炭鉱や鉱山において長時間強制的な重労働を強いるということであり、病気になったらそのまま顧みることもせず、見捨てていくということがたくさん見られた。
それは今から六十年あまり以前のことである。旧約聖書のこの記述は、いつごろのものであるかは正確には分からないにしても、モーセの時代であるとすれば、今から三千数百年も昔である。こんな古い時代から、すでに外国人には冷遇してはならない、ということが書かれてあることに驚かされる。
そして最もみじめな状況に置かれた人たち、それは未亡人や孤児たちであった。現在のように、社会的な保障のなかった古代においては、一家を支える夫が死ぬということは致命的な打撃となった。子供が生まれていて、かなり成人していれば家業を手伝ってもらえるだろうが、小さな子供であればたちまち毎日の生活ができないことになる。当時の仕事は、農業、漁業などにしても肉体労働であり、男手がどうしても必要であるから、女だけになればそうしたすべてはほとんどできなくなる。
また、戦争や病気、事故などで両親を失った孤児についても、社会的な保障がない時代であったから生きていくのも難しい状況に立たされることになる。 このような孤児に対しても神は特別な愛を注がれるゆえに、未亡人や孤児が、周囲の人たちから苦しみを受け、生きていけないような状況に置かれて彼らが神に向かって叫ぶとき、神は必ずその叫びを聞く
*と強調されている。

*)原文は、「聞く」というヘブル語の動詞の不定形と未完了形が二つ重ねられており、同じ言葉をかたちを変えて二回並べるのは、とくに強調した表現である。英訳では、I will surely hear their cry. と訳しているのが多い。

また、上着一枚しか持っていない貧しい人が生きるためにはその上着をすら質にせざるをえないことがある。そんな人には必ず日没までには返さねばならない。と記されている。もし、そのような貧しい人が上着すらない状態で夜を迎えねばならなくなって神に助けを求めて叫ぶときには、神はその叫びを聞いて下さる。
「私は憐れみ深いからである。」という言葉でこの一区切りが締めくくられている。
このように、旧約聖書において、神は愛である、という表現よりも、神は憐れみの神であることがまず現れる。 愛とは、聖書の古代世界でも男女とか親子につかわれるのが一般的であったから、神は愛だという表現が使われなかったのだと考えられる。それに対して、弱い者、見放された者、だれもが無視するような者を顧みて下さる憐れみの神、ということは、誰にでもわかることなのである。
人間はさまざまの意味で弱い存在であり、吹いたら飛んでしまうようなもの、すぐに壊れて土くれになってしまうようなもろいものでしかない。そのような弱い人間は多くの場合無視され、見下され、踏みつけられる。
上着一枚しかないような貧しい人とか、身寄りのない孤児など、権力者とか金持ちなどは相手にしないだろう。そのような何の値打ちもないように見える者を、しっかりと見つめ、助けて下さるお方こそが、神であり、それゆえに憐れみの神なのだと聖書は古い時代から伝えている。
すでに引用した箇所の少し後の箇所には、旧約聖書のなかでは、最も神の御性質をはっきりと記してある箇所がある。

…主は雲のうちにあって降り、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。
「主、主、憐れみ深く、恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、
幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪とそむきと過ちを赦す。
しかし罰すべきものを罰せずにはおかず…(出エジプト記三四・67

ここでは、聖書にいう神がどのような神であるかが数千年も前からはっきりと示されている。
ここでも、神の御性質として第一に言われているのが、憐れみの神ということである。ここで、二度も「主」という言葉が繰り返され、さらに、憐れみ深いという意味の言葉も二種類
*が重ねられて用いられているというところにも、特別な強調がなされているのがわかる。

*)「憐れみ深く」と訳された原語は、ラフームである。そしてここで、「恵みに富む」と訳された原語は、ハッヌーンであり、これは、同じ出エジプト記二二章二二節では「憐れみ深い」と訳されている。このように、この出エジプト記三四章の箇所では、憐れみ深いという意味の重要な二種の語が、重ねられて用いられている。

ヤハウエという名の神である私、私こそは、憐れみ深いのだ、第一に憐れみ深いお方なのだ、と情熱的に語りかけようとしているのが伝わってくる。また、このとき、「主は、主の御名を宣言した。主は宣言した。」と、宣言する*という言葉をも二度繰り返している。神の名とは、神の本質そのものであり、それがここでもはっきりと現れている。

*)宣言すると訳された原語は、「カーラー」で、英訳聖書で最も広く読まれてきたAuthorized Version では この語は「cry(叫ぶ)」という訳語で九十八回、「proclaim(宣言する)」という訳語では三十六回ほど用いられている。このように、これは単に 「言う」のでなく、叫ぶというほどに強く言う、従って宣言すると訳されている。

このように、神の永遠の性質を告げるにあたって、その前後の表現などもよく調べると、いろいろな意味で特別な強調された言葉となっているのがわかる。それほどに、この神の言葉を聞き取った人は、これこそ神の永遠の本質だ! ということをまざまざと確信できたのであった。
私たちの現在の生活では、憐れみを受けたい、と願うのでなく、逆に憐れみなど受けたくない、と思っている人が多い。それは、日本人は、宇宙を創造され今も生きて働いておられる神などいない、と思っている人が、九十九%にもなる圧倒的多数であり、憐れみというと人間の憐れみしか思い浮かばない。そして人間の与える憐れみというのは、たいてい恩きせがましく、見下すようなニュアンスがある。人から憐れまれるような人間になるな、と言われたりもする。
それゆえに、私たちのたいていの人は、自分は誰かから深く憐れみを受けた、というように感じる人はごく少ないであろう。むしろ、弱っているとき、倒れそうになっているときに心にも留めてもらえず無視されたという人の方が多いのではないだろうか。
しかし、聖書の世界に戻ってみるとき、人間からの憐れみとは比較にもならない、神の憐れみが真正面から書かれているのに気付く。人間からの憐れみのように見下されるといったものでなく、私たちの最も深い心の傷を知って下さったゆえに私たちの魂のうちにまで来て下さり、すくい取って下さるのである。神は無限に高いところにおられ、その高みから私たちに神のもとにある力を、またいやしや平安を与えて下さる。人間からの憐れみを余り期待して、人のもとに行くならかえって突き放されるだろう。
しかし、神のもとに私たちが憐れみを求めて行くときには、どんなにしばしば行っても決して追い返されることはない。むしろいっそう暖かく迎えて下さる。 一度二度では与えられないように見えても、繰り返し憐れみを心を尽くして求めるとき、神の憐れみは必ず注がれる。
このような、高みから一方的に注がれる神の憐れみこそ、弱い私たちが必要としていることである。
憐れみを真剣に願い求める姿は、旧約聖書の詩編に最もよく表されている。

呼び求めるわたしに答えてください。
わたしの正しさを認めてくださる神よ。
苦難から解き放ってください
憐れんで下さい、祈りを聞いてください。(詩編四・2

主よ、憐れんでください。*
わたしは嘆き悲しんでいます。
主よ、癒してください …
わたしの魂は恐れおののいています。
主よ、いつまでなのですか。(詩編六・34

私はいつも主に目を注いでいます。…
御顔を向けて、わたしを憐れんでください。
わたしは貧しく、孤独です。(詩編二五・16
**


*)「主よ、憐れんで下さい!」という叫びの原文は、「ホンネーニ ヤハウエ」 であり、ギリシャ語では、エレエーソン メ キューリエ evle,hso,n me ku,rie となる。 (これは新約聖書においても主イエスへの叫びとして現れ、ここから、キリエ エレイソン として、ミサ曲に多く用いられる祈りの言葉が生まれた。)ホンネーニとは、ハーナン (憐れむ)という語の変化形である。ハーナンという語から、ハンナという名前や、それにヤハウエの省略形(ヨ)が付け加わって、ヨハンナ (ヤハウエは憐れみ)という人名が生まれた。そこから、英語のJohn (ジョン)、フランス語の Jean(ジャン)、英語のジェーン、ドイツ語のヨハンネス、イタリア語のジョバンニなどとなって、広く知られるようになった。これは、「神は憐れみの神」という真理が、世界の多くの場所で人名となってたえず繰り返し使われ、宣言されている状況となっていると言えよう。真理は不思議な、驚くべき仕方で広く語られることになる例の一つである。

**)「貧しく」 と訳された原語は、アーニィ で、これは「(苦痛や貧しさなどによって)圧迫されている」というのが本来の意味。詩編ではこの語やこれと関連した語がしばしば出てくるので、この語の本来の意味を知っておくことは、詩編の理解には重要。単に、経済的に貧しいというだけでなく、病気や人間関係、敵などさまざまのものによって圧迫され、苦しみ悩んでいる状態を表す語。 この語のヘブル語の辞書による説明を引用しておく。ドイツ語の説明 von Not niedergedrucked,arm,elend ドイツ語のNot(ノート)とは、困窮、困難、苦悩、苦しみといった意味であり、それらによって圧迫されている状態。貧しく、困窮した、悲惨な状況。 英語では、 oppressed by misery, poor, lowly(「LEXICON IN VETERIS TESTAMENTI LIBROS720 P
なお、新共同訳は、最後の行の語順が原文とは違っている。原文では、「私は、孤独で貧しい。」であるから、外国語訳はみな、その語順で訳している。例えば、QUICK, turn to me, pity me, alone and wretched as I am!NJB) あるいは、 Turn to me and be gracious to me, for I am lonely and afflicted.NRS

すでに見たように、旧約聖書で最初に明確に神の御性質として記されているのが、憐れみの神ということである。それゆえに、人間は、その憐れみを求めることによって神の本質に直接に触れることになる。神はその憐れみを必ずや注いで下さるということが期待できる。
もとより、神の無限に大きく広いお心は私たち人間の一時的な求めや苦しみなどにそのまますぐに応えて下さるとは限らない。むしろ応えて下さらないように見えることも多い。しかし、そこからが重要なのであって、応えて下さらないように見えても、それは何らかの私たちに分からない大きな御計画のゆえであり、計り知れないほど深い神の憐れみのゆえなのだと信じることが求められている。
信仰はここでも出発点であるし、人生の曲がり角において重要な手綱となってくれる。信仰なくば、神の憐れみなどもちろんあり得ないし、信仰が揺らいでくるとますます神の憐れみなどが感じられなくなってくる。
神に叫び祈り、憐れみを待ち望むということは、旧約聖書の詩編にも多く記されている。詩編とは、この神の憐れみを求める魂の叫びが多数を占めているほどである。
そのような内容である人間の叫びが、詩編として神の言葉であるはずの聖書のなかに収められるようになったことは、なぜか。それは、そのような追い詰められた状況にある人の叫びを聞いて下さる神の憐れみを記してあるからである。神の憐れみを単に文章で書くのでなく、人間の苦しみからの叫びを通して、そのようななかに注がれるということで、人間を用いて神の憐れみを浮かびあがらせるものとなっている。神の憐れみがいかにリアルなものであるか、それを最も明らかに示しているのが詩編なのであり、それゆえに、詩編が人間の言葉でありながら神の言葉として聖書におさめられているのである。
旧約聖書の詩編における、憐れみの神への叫び、それはそのまま新約聖書の世界に流れていく。
主よ、憐れんでください! という叫びは、新約聖書では、盲人やハンセン病、あるいは自分の娘が恐ろしい病気にかかっている母親が主イエスに向かってなしたものとして記されている。
主イエスご自身が何のために来られたのか、それは心の問題でどうしても乗り越えることのできない人間を担って乗り越えさせて下さることであった。心の問題、それは神のような愛や真実にどうしてもふさわしくない心を持ってしまうということ、そのために間違った言葉や行動をしてしまうということ、そのようなことすべてを罪というが、その罪からの救い、赦しのために来て下さった。
人間の持つ苦しみや悩みの最も奥深いものはそうした心の問題であり、罪の問題である。なぜそういえるのか。それは病人も健康な人も、学者も無学な人も、子供から老人、死に瀕した人まで、また民族や国籍を問うことなく、ありとあらゆる人間が持っているからである。それゆえにこれは人間の本質にかかわる問題であり、最も奥深いものだと言える。
主イエスはまさにこのために来て下さった。私たちの抱えているさまざまの悩みや苦しみは実はこの問題に淵源がある。そうした弱き人間のことを深く見抜いてそこを解決するために来てくださった。そこに主の憐れみがある。それゆえに、次のように言われた。

『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ九・13

憐れみの神はそのまま、罪の赦しの神なのである。主イエスは、罪人を招くため、憐れみのゆえに来られたというこの引用を別の箇所でもされている。
それは安息日に麦の穂を摘んで食べていた弟子たちを、穂を摘むとは収穫の一種として安息日に禁じられていたことを破ったとして当時の宗教熱心な人によってとがめられたことがあった。そのとき、主イエスはやはりこの言葉「私が求めるのは憐れみであっていけにえではない」という言葉を用いられている。
このように、二回も同様なことが記されていることによって、神は罪深い者への憐れみをもって対する存在であること、そのことを具体的に現すために主イエスが来られたのだといわれている。
だが、その根源的な罪の問題のためだけではない。実際の生活で私たちは病気やからだの障害、あるいは人間同士の問題で悩み苦しむ。病気の痛み、苦しみはひどくなれば耐えがたくそれは寝ても覚めても忘れることはできなくなり、安眠はなく食事もできなくなり、心の病気にまで進んでいくことも多い。こうした点から主イエスは、からだの苦しみについても叫び求める者に、しばしばいやしを与えられた。

イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。(マタイ九・27

主は、盲人がどんなに苦しい、かつみじめな思いをして生きてきたか、その苦しみと悲しみをすべて見抜き、彼らの信仰を確認したうえで、二人の目に触れて「あなた方の信じているとおりになるように」と言われると、そのとき彼らは目が見えるようになった。
これは、盲人という特別な人たちにだけあるのではない。
私たちにも、同様なことが生じる。私たち自身の心や他人の心、そしてこの世の見えない部分の悪や、逆に真実なものが見えないからこそ、さまざまの苦しみが生じる。神の御手もその正義の御支配も見えないのである。しかし、そこから憐れみを真剣に求めるときには、主イエスが御手をのべて魂の目が見えるようにして下さる。
また、肉体の目は、見えていても、心の問題で、日々苦しくてどうにもならない、人間からの敵意や中傷、そして誤解等々からたえず攻撃を受け、その傷口が痛み続ける、ということもある。
その心の傷をいやして下さい、憐れんで下さい! という叫びは多くのひとたちが人知れず口にだしていることであろう。
私たちは自分の考えや意志、あるいは能力や人生経験といった人間的なものによっては歩んでいけない。過去に犯してきた罪の赦しがなかったら他人に教えたり導くこともできない。キリストの第一の弟子といえるパウロもそうした自分の本質的な弱さを深く知っていた。
パウロが記した手紙のなかでも最も重要なローマの信徒への手紙において、救いとは何かを書いたのち、同胞であるユダヤ人の救いはどうなるのかということに、神の長い歴史的な御計画があることを示し、最後にそのようにして救いの真理が与えられた者はいかに毎日を生きるべきか、について触れている。
その最初に彼が言っているのは、意外なことである。

…こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなた方に勧める。
  (ローマの信徒への手紙十二・1

これから実生活における具体的な詳細な指示を与えようとするとき(十二章~十五章)、まずパウロが心にあったのは、自分は神の憐れみを受けて今日がある、ということであった。
その道の達人が後からくる人たちに教えをするとき、「神の憐れみによって言う」このような言い方をすることがあるだろうか。熟達した人ほど自分の経験や身についた技能、知識などがあふれているから自信をもって語るであろうが、パウロはキリスト教の世界で比類のない達人であったにもかかわらず、自分は神の憐れみがなかったら言えないのだ、という意識を持っていた。
それは深い罪の意識からくるものであったし、その罪が赦されているという実感からのものであった。
また、そのすぐ後にも、「私に与えられた恵みによってあなた方一人一人に言う…」(同三節)と書いている。ここにも、自分の熟達した知識や確信から言う、といわず、神の恵みを受けているからこそ、あなた方に教えることができる、という意識がつねにあったのがうかがえる。
五千人のパンの奇跡、それは四つの福音書のすべてに記されており、さらに、マタイとマルコの福音書では少しだけ違った形でやはり同じようなパンの奇跡(四千人の奇跡)が掲載されている。マルコはイエスの誕生や若いときのことなどまったく省略している簡潔な福音書であるにもかかわらず、このパンの奇跡は二回も繰り返して書いている。福音書全体では、六回にもわたって書かれてある奇跡であり、このような特別な記述はほかの奇跡にはないことである。それほどまでに力を入れて書かれたパンの奇跡、それはごくわずかなものが主イエスの祝福によって限りなく増やされ、人々を満たしていく、ということである。
その重要な奇跡の前に書かれていることが、イエスの憐れみなのである。

…イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、深く憐れみ
* (マタイ十四・14
とある。また、ほぼ同じ記事である、四千人にパンを与えた記事においても、やはりこの同じ「深く憐れむ」という言葉が記されている。

…イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「私はこの人たちに深い憐れみの心を感じる
* (マタイ十五・32

*)ここで「深く憐れむ」とか、「深い憐れみの心を感じる」と訳された原語は、スプランクニゾマイであり、スプランクノン(内臓)を動詞化した言葉である。内臓が痛むほど、からだ全体で感じる、といったニュアンスがある。それで、ある訳では、「私は、はらわたがちぎれる思いがする。」と訳されているほどである。(「新約聖書」岩波書店刊) 新共同訳のように、「群衆がかわいそうだ」という表現では、この原語の特別なニュアンスが伝わらない。かわいそうだ、というのは、ごく日常的に虫や植物のようなものに対しても使われるし、ちょっとした日常的なことにでも使うのであって、福音書でイエスの心情を表す場合だけに用いられているこの原語とは大きい差がある。

五千人のパンの奇跡、それはいかに主イエスが小さなもの取るに足らないものを用いて大きな祝福を注ぐことができるか、を示すものである。これはその後二千年にわたってキリスト教の真理が、取るにたらない無学なもの、奴隷やごく普通の庶民たちによって広められ、数知れない人たちを霊的に満たしていったことを象徴する出来事であり、預言ともなっている。そうしたあらゆる時代のいかなる状況にある人たちにも共通しているのが、霊的に食べるものもなく弱り果てていることであった。
そうした全世界にいる魂の貧困を深く憐れんだがゆえに、そうしたすべての人たちに与えることのできるお方であるということを示したのが五千人のパンの奇跡なのである。主イエスがなされること、その背後にはつねにこうした深い憐れみ、からだ全体で感じるような痛みを感じつつなされる憐れみがある。

愛はあらゆるものに対して及ぶ。いわば上下左右全方向なのである。
それは、身近な動物や植物、さらには山河や星や雲といった自然などに及ぶし、親子、男女、友人、さらに重い病人からマスコミにもてはやされるスターとか真理の探求に邁進する学者、そしてさらには敵対するような人に対して、あるいは目には見えない神や聖なる霊に対する愛にいたるまで、実に千差万別である。
主イエスも、「第一に神を愛すること、同様に大切なのは隣人を愛すること」と言われ、愛は神にも人にも及ぶべきことを示された。
このような多方面な性格を持つ愛に比べて、憐れみは、一方的な流れである。上から下に向かう水の流れのように、高みから下に向かうものが憐れみである。
私たちは自分が滅ぶべきような悪いもの(罪をもった人)であると、深く知れば知るほど、そこに流れ注がれる水を求める。そしてただ天を仰ぐだけ、神の憐れみを願うだけで、おのずから天からの水が流れてくる。

天つ真清水 流れきて
あまねく 世をぞうるおせる
長く 渇きし わが魂も
汲みていのちに かえりけり (讃美歌二一七より)

 


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神の愛と導き           玉栄 千春(沖縄)

「また、群集が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。」(マタイ9章36節から)
わたしは元うつ病患者です。うつ病と診断をうけ、社会生活を送れるようになるまでに長い月日を要しました。私の場合は、いつも死ぬ事を考え、強い不安感、厭世感、無気力感などの主症状がありました。三年ほど前からは薬も飲まずに生活を送れるようになり完治しました。それはイエス様と聖書との出会い、家族の支えと愛があっての事です。
簡単に言っている様ですが、実際心の回復までには長い時間がかかりました。 
一番に言えるのは、イエスさまとの出会いが無ければ私と私の家族はそれを乗り越える事は出来なかったということです。今、この病気で苦しんでいるひとが沢山いるとの事です。
私は病気になる以前は、自分の事も周りの人のことも「赦す」ということができず常に完璧を求めていました。自分や人を責めては完璧を求め続け、要求が満たされないと今度は責めの思いが怒りに変わりました。人に弱みを見せることもできず、それにもかかわらず自分の中に「土台」という、揺るぎないものがない為、心の中は常に恐れや不安がありました。「赦す」とか、「不完全でいい」というような、価値観は私の頭のどこにもありませんでした。しかし常に自分で自分を追い詰め、自分の物差しで生きていく事は過酷で耐え難く、そんな状態が続いた事が、病の引き金となった一因ではないかと考えています。
この病気だけではなく、なんらかの理由で生きる目的を見失ったり、苦しみの中をさまよい消えかかっている命がこの世界の至るところにはあると思います。初めに読み上げた御言葉を読む時、倒れ、弱り果てていたかつてのわたしをイエスさまがあわれみ、救い出してくださったことを思いだします。そのまなざしは今もどこかで倒れ掛かっている誰かに対して向けられています。
病の中にあったある日のこと、部屋で死ぬ方法を考えていましたが、気がつくと家にあった聖書を開き、パラパラとページをめくっていました。
「すべて重荷を負うて苦労している者はわたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」のマタイによる福音書11章28節の御言葉が目に入ってきました。この言葉を目にした時、初めて心の苦しみを本当に認めてくれる存在に出会った、そんな気がしました。死ぬ事ばかりを考えていたわたしがなぜだか、すがりつくようにしてイエス・キリストを求め始めました。
教会へいき、聖書の世界に触れ、そして本当の意味でのキリストの十字架の愛というものを知ることになりました。高校生の頃に洗礼を受けたものの一旦は神様から離れ、神さまを馬鹿にすることもありました。 罪も犯し、与えられた命に感謝の気持ちもありませんでした。生を尊ぶ気持ちはかけらもなく、挙句の果てには死ぬことしか考えられなくなっていた私。そんなわたしの罪を帳消しにするためにイエスさまが痛い苦しい思いをして十字架にかかってくださったことがその時始めて理解できました。
「汚いままでいい。弱いままでいい。死にたいと思っていてもいい。そんなあなたの為に私は命をすてた。それほどあなたはわたしにとって大事な存在なのだ」と十字架の出来事は教えてくれました。わたしをこんなに大事に思ってくれる存在がいる。初めて私に向けられた命がけの愛でした。この愛を知り、わたしの内面に変化がおきてゆきました。
死ぬことよりも、生きることを考えるようになり、弱い自分、できない自分を許すことができるようになり、新しい一日に希望が持てるようになりました。
内面の変化がゆっくりと現れてゆき、私の心はいつしか癒されていました。癒されることは諦めていたので、信じられないことでした。その期間を通して、わたしとイエスさまは離れられない親友になっていました。イエスさまの愛はわたしの人生を全く新しいものにしてくださいました。
イエスさまは共にいて、わたしの人生を導いてくださっています。困難の時には助けを与え、信仰が弱るときには、生活の中のちいさな出来事を通して「わたしはあなたと共にいる。だから大丈夫」と語りかけてくださいます。日々の些細なことに楽しみを感じられる事、心に平安があり、希望がもてること…それらのことは、以前のわたしには考えられないことでした。こういう気持ちはイエスさまの愛がくれたものです。
神さまの愛は無条件で一方的です。人間の愛の様に移り変わりやすく、いつまで続くか分からないような、そんな愛ではありません。どんな人にとっても、そのような普遍の愛を教えてくれる存在が必要です。そのような愛のなかでこそ、人は本当の意味で生きることができるからです。そのような愛を提供できるのは神さまだけです。
時々「生きる目的を見失い、自分の存在価値が分からない」と耳にします。心の中に空洞を抱えて苦しんでいる人が現実には沢山いるのだと教えられることがあります。そのような人が、神さまの愛と福音に出会い、この世界に休み場所と、生きてゆく希望を見つけることができたらと願います。
そして、自分という存在が愛された尊い存在であるということを知ってほしいと思います。イエスさまはルカによる福音書10章2節の中で、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」とおっしゃいました。欝で苦しんだ頃は行き着く先が見えませんでしたが、その苦しみを経験したことは、この愛を知るためだったと今では理解できます。私は、先に救われたものとしてイエスさまと歩む人生の素晴らしさを伝える働き人として、これからの人生をイエスさまの為に歩みたいと決心しています。 

・家族はみんなクリスチャンという環境に生まれ育ち、私自身は高校2年生の頃洗礼を受けクリスチャンとなりました。十字架の愛を本当の意味で知ったのはクリスチャンとなってだいぶ後のことです。今はキリストの命がけの愛に感謝しつつ、イエスさまと共に日々の生活をほのぼのと、味わいながら歩ませてもらっています。(玉栄さんは三年前の徳島での、キリスト教・無教会四国集会に初めて参加されて以来、その翌年は姉の麗子さん、次の年は母親を同伴して参加され、今年は沖縄や関東に在住の友人と共に参加された。なお今回は姉妹で10分ずつ主に導かれた証しをされた。―編者注)

 


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私が受けた神の愛とその導き
杵渕麗子

最近、友人と話している時「私が仏壇に手を合わせて祈るように、キリスト教の神様に祈っているの?」と質問されました。また、職場で「光も宇宙も全て作ったのが神様なんて、すごいね!」と私が言った言葉に同僚は驚いて「君はそれを信じているの?」と言い返してきました。私が今、当然のように思っている「聖書の神様がこの世界を創造された」事は万人が同じように思っていないのです。すっかり忘れていました。その彼らの言葉に「懐かしいな」と感じるほど。でも、かつては私も彼らと同じように最近まで聖書の神様を心から信じていませんでした。
私はいつの間に、イエス様を信じていない向こう側から、信じ、生きる希望とするこちら側に来ているのでしょうか? 
私は幼い頃に教会で洗礼を受けたのですが、時が経ち、働き始めた頃から次第に「神様は心の弱い人のもの。」と教会から離れていきました。ちょうどその頃、オウム真理教などが事件を起こしニュースで騒がれたので「宗教を持つ=怖いこと」といったイメージで、さらに聖書から遠のいていきました。でも、そんな状況になっても、朝晩の祈りだけは続けていました。矛盾しているのですが、祈らないと眠れませんでした。 
神様は放蕩娘の私の毎晩の祈りを聞き、願いを全て叶えてくださいました。 そして、願う事がなくなった所で私は鬱になりました。仕事の忙しさと上司からのイジメとが重なり、愛と許しも知らないので精神的に追い詰められた結果でした。夢や目標がなかったので乗り越える気力がなくなっていました。当時(6年ほど前)はまだ、鬱の知識が一般的になかったので、私も体調不良に始まり、無気力と不安感と恐怖心に襲われて過ごしていましたが、それが鬱だとは気がつきませんでした。 
回復のきっかけは、私の頭に出来た円形脱毛を母が見つけたことでした。これを見て、「私は疲れているのだ。休まなければいけない」と自分に教えることが出来ました。同時期に、皇太子妃の雅子様が適応障害になられたのをテレビ番組で知り、私も彼女と同じ状態であったことを知りました。回復までに1年以上かかりました。 鬱の中では「なぜ私だけがこんなに苦しいのか」と思う日々だったのに、自分に起こっている病を認め、回復していく過程では神様が私の命を守ってくださっていたのだと再確認する時間となりました。鬱を通らされたことで私の人生には喜び、深み、感謝が増えました。
喜びの一つに、妹が長い間苦しんだ鬱から回復された事がありました。彼女は心療内科からもらった大量の薬を飲み、痙攣で倒れた事もあり、目はどこを見ているのか分からない状態でした。私は彼女とどう接していいのか分かりませんでした。心療内科に通えばいつかは治る、脳を活発にする食べ物を与えれば正常になると思っていました。しかし、状態は悪くなっていき、全く先の見えない戦いが続きました。しかし、妹はあの状況の中で「教会に行きたい」と色々な教会に行き始め、ついに聖書の言葉に心の平安を見出だしたのでした。妹の説得で私たちも教会に聖書の神様に再び戻ることが出来ました。 私が鬱になったことで妹の気持ちを理解でき、妹と共に鬱を乗り越えることが出来ました。そして、心の痛みを経験することで優しさを持つようになり、神様からの愛を知ることが出来ました。 今では家族が神様を軸にして御言葉にしたがって歩めるように、互いに励ましあい、時には修正しあいます。他では得られない喜びです。神様によって救われた家族です。この幸せを今、かみしめています。
心の病になったことで、自分の限界を知り、神様に生かされている命の奇跡を知りました。お金や物では本物の幸せを得ることはできないと知ることが出来ました。無神論者の多い日本では現在、鬱に苦しむ人が多くいます。私は自分の判断基準に任せて人生を生きることは、自分を神様とすることだと思っています。その神様は時に体調不良になり判断基準にも変化があります。知識を得て理解に限界があり確実性、永久性はありません。そんな不安定な神様に多くの人は従い、全ての問題を一人で解決しようと、抱え込む状態に陥るのだと思います。神様を知らない多くの命が、雑誌やインターネットで得られる膨大な情報から「自分という神様」に判断基準となる資料を取り入れます。かつては私も同じ中にいました。

「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ二二・32の御言葉は、教会に再び戻った時に牧師からもらったしおりに書かれていました。 一人ひとり、違う御言葉が手書きされていて、私はこの言葉を受け取りました。今はこの御言葉が私の人生のテーマです。聖書に生きる人生を与えられ、こうして神様のしてくださったことを証しできる場所に導いてくださったこと全て含めて、神様に感謝しています。そして、まだ神様を知らない人たちに本物の神様を知ってもらう為に神様の示す方法でこれから先の人生を用いられたいと願っています。

杵渕麗子 三四歳 会社員 沖縄県出身
10
歳で洗礼を受けました。その間、迷いを経験し教会を離れましたが4年前に本当のキリストに出会い、2年前に内村鑑三と無教会に会う導きが与えられました。今回、妹と二人で証しする機会が与えられたのも神様からの導きと感謝しています。 神様から受けた恵みについて書くためのブログをはじめました。http://inunoanyo.blog.shinobi.jp/ 

 


リストボタン「ろう者として クリスチャンとして」 桑原 康恵

みなさん、はじめまして。私は、桑原康恵と申します。聴覚障害者とは、色々な人がいます。その中で、手話を母語として生活しているろう者の一人です。
両親は聴者ですが、私は生まれつき病気(高熱)により、耳が不自由になりました。2歳から徳島県立ろう学校へ通学し、中学1年生まで徳島にいました。当時のろう学校は、まだ手話教育よりも、口話教育でした。他の聾学校もほどんど同じです。
つまり、アメリカ人が、日本語を学ぶことと同じようなものです。
ろう学校の先生たちは、ほとんど手話を知りませんでした。私は、休憩時間や遊びの時間にろう学校の先輩たちから手話を学びました。家族はみんな聴者なので、家の中では口話中心に、声を出しながら(ろう学校で発音訓練を行いましたが、聴者みたいな声ではありません)話をしたり、メモでやりとりしたりして過ごしました。日本語の読み書きを正しく学ぶこともなかなか難しかったです。
家族には、本家で仏教信仰の熱心なおばあさんがいて、おばあさんと一緒によく行動していました。そのため、お寺に行ったり、色々な仏様の話も聞きました。
小学5年生の時に、ろう学校に転入された吉村先生と出会いました。吉村先生は生徒の方に向けて、最初は口話中心でしたが、だんだん手話で話しかけてくれるようになり、すぐ手話を覚える先生でした。そういう先生を今まで見たことがありませんでした。
それだけでなく、教科書には書いていないことを色々と教えてくれたり、人間についてや、ろう者の歴史も、教えてくれました。生徒たちに人気の先生でした。
先生と親しくなるにつれて、先生の集会にも連れて行ってもらうようになり、色々な障害を持った人たちと出会う機会をくれました。そこでは、「人間は健康な人もいれば、生活に不自由な人もいるが、心はみな同じものを持っている」と教えられました。だんだん通うようになって、色々な思いを打ち明けることができる場所が集会だなと、その魅力を感じました。家族とは違う世界がそこにはありました。なぜかなと思いつつも、先生の話をたくさん聞くことができました。話の内容は、聖書物語や日本の活躍した人たちなどです。
三年間、そういう環境に恵まれ、中学1年から千葉県市川市にある国立筑波大学附属聾学校へ転校しました。吉村先生や家族を離れて、新しい環境で多くの友達と出会うことができました。同じろう者が全国から集まっている学校に希望が膨らみました。
上京へ発つ前に、吉村先生は「君には、神の計画がある」と言われたことが、今でも忘れません。その時の私にはその言葉の意味がわかりませんでしたから。
学生時代を終えて社会人となり、聖書はいつも持っていましたが、神の事がまだ十分にはわかりませんでした。ある日、職場の友人を通して、ろう者が集まる「ろう教会」に行くようになりました。牧師は手話でみことばを語り、また教会のろう者たちとの交わりも増え、だんだん 私が小学、中学、高校時代に吉村先生から聞いてきた聖書の話と同じでした。なんだか、私が神を知らない間に過ごしてきたことも、すべて神様が見つめていたんだなと思い、また私の色々な行動や悩みも全部知っているんだと思うようになり、そこで吉村先生の言葉もやっと意味が分かるようになりました。
二十五歳の時に、神様の愛を受けて、共に歩む決心を起こしました。これは、誰かが遠くから私のために祈られていること、また神の愛も終わりがなく、追っておられることにも気づきました。こうして、早10年が経ちました。今振り返ると、この10年の時間はあっというまでした。色々な気持ちの戦いや貴重な経験をしてきたと思います。聖書のみことばは日本語のため、意味が深く理解することが大変なところもありますが、一生学習するのは、面白いです。世界の歴史や、イエス中心の話に人間の生きるべき姿を教えられたり、社会への問題、人間関係の問題、そして与えられたろう者である私の存在を再確認できる場所でもあります。私は、他の人に自分の持っている力を与える人間になりたいと思っています。
以前から、神の為に何かを働きたいと祈り続けたことが答えになり、現在は、手話訳聖書を製作している日本ろう福音協会のスタッフとして働いています。まだ色々な課題もありますが、神が力になってくれることを信じています。ろう者の母語である手話訳聖書の翻訳は、日本語の理解、イスラエルの文化の理解、そして、神様の気持ちや言いたいことを多くのろう者に手話で表現することが求められ、難しく責任の重い仕事だと思います。
それから、私は翻訳の仕事だけではなく、地域のろう活動も去年から始めました。ろう者は社会の中では、小さな民族(少数民族)のようなものです。ろう者の文化や生活について理解してくれる人たちも多くはありません。障害者であることの差別や、情報不足のために消費者トラブルに巻き込まれる事件も少なくありません。まだまだ立場の弱いろう者、特に高齢者のろう者の生活を保障していくためには、地域のろう者の力が必要です。ろう協会での活動により、ろう者を理解してくれる人たちが増えてくれることを願っています。
今いる私は、今までの経験をさらにレベルアップしたところに神様は遣わしてくださっていると思っています。どんな事にも果敢にチャレンジする自分は、試されているような気もしますが、キリストの背景・生き方に似ている面もあり、力を与えられます。人間にとって大きな困難や問題だと思うものも、見方を変えるとそれがちっぽけだと思うように変わり、平安になれることもあり、とても不思議に思います。人間は様々な感情が生まれやすいので、いつも感情に流されないように、気をつけたいと思っています。そのためには、私たちの原点である聖書と神様の愛を思うことでしょう。祈りの場所と同じようです。キリストは私たちの模範の人です。だから、色々な悩みや苦しみにも耐える力をくれるようになり、不思議なお方です。
仕事においても、生活においても、手話に対しても、あらゆる事すべてに感謝して、私がここにおられることも神が共にいてくださるからと思います。そして、皆が幸せになれることを心から願います。

桑原 康恵… 一九七三年徳島生まれ。2歳より中一まで徳島ろう学校、その後 筑波大学附属聾学校中学部転校・高等部。筑波技術短期大学機械工学科卒業。三菱自動車本社、4℃。1998年洗礼。現在勤務:日本ろう福音協会。
日本ナザレン教団小岩教会所属。(ろう活動)江戸川ろう者協会副理事長・手話事業局長・財務部長務め中。

 


リストボタン宇宙基本法の問題点

四〇年ほども続いてきた宇宙利用を平和目的に限るとしてきたかつての国会決議を驚くほどの短期間(わずか四時間)という実質審議で根本的な変更をすることになった。
それは長く宇宙の利用は平和目的に限るという内容であったが、今回の改訂は、軍事目的に利用する道を開くものとなった。
そのため、自衛隊が、軍事的な情報を集めるための高性能な衛星や、ミサイルを監視したり、場合によっては何らかの攻撃を加えたりする方向へと進んでいく可能性が高くなった。
この宇宙基本法の成立を推進するために、二年ほど前に、日本経済団体連合会が、二〇〇六年六月に、「わが国の宇宙開発利用推進に向けた提言」を公にしていた。そこでは、明確に、宇宙産業を活性化するということが第一に言われている。
「…関係省庁・機関が一丸となって、宇宙産業の活性化・国際競争力の向上、国民の安全・安心の確保…を実現する抜本的な体制の構築を目指す「宇宙基本法」の一刻も早い成立を求める。」
このような経済界の要求と政治家、防衛関係の人間たちの軍事力拡張の意図が一致して、いとも簡単に変えられたのである。
宇宙というのは日常生活との関わりが分かりにくいため、国民からもはっきりとした強い反対の考えは生じにくい。そうした点をたくみに利用して、今回の宇宙基本法を短時間で決めてしまったところがある。
このようにして、自国を守るため、という目的であるはずの自衛隊を、宇宙からの攻撃もできる体制へと変質させようとしている。 これは憲法の平和主義に反することである。
この宇宙基本法の理念には、「宇宙空間の平和的目的の利用に関する規定に則り、国際の平和及び安全並びに我が国の総合的な安全保障に寄与するものでなければならない」とか、「宇宙開発を通じて、国際の平和及び安全並びに我が国の安全保障に資するための措置を講ずるものとする」などと書かれているので、一見すると平和利用の精神が保たれているなどと受け取られるかもしれないが、軍事と直結する安全保障のためという目的が明確に書かれている。
いつの時代でも、軍備の拡張や戦争にかかわる道は平和という名のもとに行われる。太平洋戦争も、天皇の開戦のときの言葉は「…東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。」という言葉で結ばれていたのである。
このような表面的な言葉によってその危険性を見失うことがあってはならない。
今回の基本法の制定は、平和憲法を別の方向からなし崩しにしていこうという流れを感じさせるものである。
これとは別に、国際宇宙ステーションに設置する「きぼう」という実験棟のニュースが大きく報道された。しかし、これも船内の無重力のなかでの動きなど、子供に見せて喜ばせるような内容をとくに強調しているばかりで、テレビのニュースなどはその問題点などには、全く触れていない。
この宇宙ステーションというのは、すでに二〇年以上も前に、アメリカの呼びかけで始まり、今までに五五〇〇億円もの巨費が使われてきた。 さらに今後は年間四〇〇億円もの維持費がかかるという。これは毎日一億円以上が使われていく計算になる。
このような巨費を投じて何をするのかというと、無重力状態で実験するというが、研究者たちの間には、わざわざ多額の費用をかけて宇宙で実験する必要もないという声も出されているというし、以前に予定していた実験のなかには、地上や飛行機で可能になったのもある。そして宇宙飛行士の向井千秋氏がある研究者を訪問したおり、彼女が「何とかして一つでも成果を出したい」と言っていたという。それを聞いた研究者は、「わざわざ宇宙の 〈きぼう〉で実験しても成果の出せるテーマはほとんどないのではないか」と言った。「きぼう」は九〇年代はじめの設計なので、飛行士が持ち込むノートパソコンのほうが、〈きぼう〉のどのコンピュータより高性能だという。(毎日新聞三月一一日による)
このような問題点以外にもいろいろな問題をもっていながら、あたかも希望ばかりのようなニュースの報道ぶりである。
こうした報道だけに接していると、宇宙開発に関わる軍事との関連など、一般の人々にとっては気付かないままになっていく。
 福祉や教育、医療といった方面には容赦なく金を削っているにもかかわらず、こうした軍事と深い関わりのある方面には惜しげなく巨費を使おうとする。
宇宙での実験といった目的にしても、維持費だけでも、毎日一億円以上も使うなど、ほかの数しれぬ種類ある研究分野に比べると、突出していて途方もないような巨額なのである。なぜ、基礎研究といって、ごく限られた分野の研究にそのような多額の金が使われるのかということが当然疑問になってくる。
宇宙というと、何かロマンチックなイメージを持ちやすい。さらに宇宙ステーションで無重力遊泳とかドッキングさせる、そこで特殊な実験をするなどといった何か明るいイメージに背後に隠された、軍事的な問題を私たちは忘れてはならないと思う。

 


リストボタン詩の世界から

五月山 卯の花月夜 ほととぎす 聞けども飽かず また鳴かぬかも(「万葉集」一九五三)

・ 五月の山の景色はよいものだ。卯の花(ウツギ)が咲いている月の晩に、ホトトギスが鳴くのをいくら聞いても飽くことがない。さらに幾度もくりかえして、鳴いてくれたらよいが。(「折口信夫全集」第四巻五〇七頁の訳による)
五月から六月にかけて山で目立つのは各種のウツギのなかまの白い花である。緑一色となっていく初夏でその純白の花はとくに心に入ってくる。それとともに、この頃に鳴くホトトギスの声は実に印象的でしばし聞き入ってしまう。何かを訴えるように、叫ぶようにして鳴くのはこの鳥が第一であろう。それゆえに古来ここに引用した万葉集や古今、新古今などでも多くの歌がある。
ホトトギスは多くの人々の関心を強くひいたために、あてられる漢字も 時鳥、不如帰、杜鵑など八種類もあり、俳人で有名な正岡子規の名前「子規」もまたホトトギスを意味するし、ほかの名前として、うづきどり・夕影鳥・夜直鳥(よただどり)など七種類もの名が広辞苑にもあげられている。こんなに多くの名前を持った鳥、それほど注目されてきたことを表している。私もわが家のそばの谷間でのウツギの花の純白に心あらわれ、また、その山から時折このホトトギスの鳴き声が聞こえると思わず聞き入ってしまう。神がこの鳥の特徴ある声を用いてなにかを語りかけているように感じるからである。

あわれみのような
伊丹 悦子

ひとばんじゅう
発光する美しい声でうたって
わたしたちをはげまし
なぐさめてくださる虫たちよ
かがやくような
主のおこころ

空には星
こぼれるようにまたたいて
どこから来るのか
私たちが地球と呼ぶこの星の
天と地の間には
神の憐れみのような
安らかで
しずかな風も吹きとおる (「泉への道」36頁)

・六月、ホタルの季節になるとわが家の近くでや闇に輝くホタルが現れる。そして神のお心の一端を点滅する光で示してくれる。今月号に書いた、神の憐れみに関する詩でもありここに引用した。


心の病  
   貝出 久美子

心の病は
レントゲンには写らない
CTを撮っても 
MRIにも
心の中は写せない
ただ
神様のひとみには
はっきりと写る
その心の苦しみと痛み
(「ここに光が」七頁)

・精神科の看護師の仕事の中から生まれた詩。
 どんな機械もコンピュータも心の本当の病は写せない。その度合いを測定もできない。しかし、神はたしかにすべてをそのお心に写し、いまはいかに事態は闇のようであっても、時至れば愛をもって最終的に導かれると信じていく、それは神が万能であり、愛であるから。この信仰によって私たちは自分自身にある罪やこの世にあるさまざまの悪や悲しみにも立ち向かいたいと願う。

 


リストボタンことば

286)神と悪魔
神は助けようとし、悪魔は、挫折させようとする。神は何とかして善を見ようとするが、悪魔は、何とかして悪いものを見つけ出そうとする。
善を残して悪を覆うのが神である。悪を明るみに出して善きことを追いだそうとするのが悪魔である。
神の前にては、小さな善きことも、幼い芽が太陽の光を受けたように、成長するが、悪魔の息に触れると、小さな悪も大きな悪となってあらわれる。
神は奨励するお方であるが、悪魔は、失望させようとする。私たちは神を愛して悪魔を恐れる。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇三年一月 )

・これは、ずっと以前に読んで心に残る言葉となった。もし神が私たちの心の奥まで見つめ、真実でもなく、愛にもふさわしくない思いを一つ一つ取りだして断罪されるなら誰一人立つことはできないだろう。
神は私たちが正しくない思いや愛のない思いや言動をたくさんしても、ただ一つの小さな善きこと、神を仰ぎ見て赦しを祈ることをこの上もなき善きこととしてそれだけをもって他の罪を見ないようにして下さる。
その神の愛によって私たちは成長できる。
私たちは、人間同士の関わりのなかで、うっかりするとここで言われているような悪魔のわざに落ち込む。それゆえにその悪魔のわざから守って下さる神を愛し、少しでもその神の愛にふさわしいように導かれたいと願う。

287) 神を信じる人にとっては、すべての悩みや苦しみがしだいに消えて、そのかわりに、ある確かな信念が生まれる。
すなわち、一切のことが必ず良くなるのであって、何事も、例えば不幸にせよ、人の悪意にせよ、自分のあやまちにせよ、ほんとうのわざわいをもたらすことはないという信念がわいてくる。
(「幸福論」第三部 ヒルティ著一〇一頁)

 


リストボタン編集だより

○今月号には、五月の全国集会でなされた第一目の三人による証しを掲載しました。全国集会の記録集には同じものが入る予定ですが、「いのちの水」誌に掲載することで、それとは別に伝道にも用いられるようにと願っています。

○神の憐れみを受けることは、魂にとってのいのちの水となることで、今月号にはそのことを少し詳しく聖書を元にしつつ書きました。読者の方々においても、日々神の憐れみによって、新たな力が与えられますようにと祈ります。

 


リストボタンお知らせ

○無教会全国集会の録音CD(MP3版)は、七〇人ほどから申込がありましたが、前夜の交流会からの録音なので、分量が多く、製作に時間がかかっていますが、近いうちに出来上がる予定です。MP3CDを使えない方のために、録音テープでも申込はできます。
なお、全国集会のときに用いられた、全体の讃美、特別讃美、群衆などでの讃美など、多くの讃美が用いられましたが、それらの讃美だけを取りだしてCD、あるいはDVDにしたものも別個に作っています。 新しい讃美を覚えたい方は、これを用いられるとよいと思われます。

○手話讃美に関心を持たれる方が多いようですが、全国集会の録画とは別に私たちの集会で録画した手話讃美を二五曲ほど集めたDVDもお送りすることができます。(送料共で五〇〇円)
○今年の七月十七日(木)~二〇日(日)まで、北海道の瀬棚にて、瀬棚聖書集会が行われます。 吉村 孝雄はそれに聖書講話を担当していますが、その会が終わって翌日の二一日(月)は、やはり去年と同様に、札幌にての交流会が行われる予定です。
それ以後の予定は、全国集会関係のことが今年はたくさんあったので、まだ決められていない状況です。

○「泉にゆく道」伊丹 悦子詩集 今月号にもそのなから一つの詩を引用しましたが、全国集会のときにも販売していました。送料込みで一冊五百円でお送りできます。

○第八回 近畿地区無教会 キリスト教集会
・主題 「永遠の命」イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ1125
日時…二〇〇八年八月九日(土)午後一時~一〇日(日)午後一時まで。
内容…聖書講話( 吉村孝雄) 講演、証し、み言葉に聞く、内村鑑三を読むなど。
会場…ふれあい会館 京都市西京区 京都市洛西ふれあいの里保養センター
阪急京都線桂駅下車。駅の西口から市バス。
会費…九〇〇〇円。
申込先