新しい歌を主に向かって歌え。全地よ主に向かって歌え。
日から日へ、救いのよい知らせを告げよ。

(詩編九六・12 (ルカ福音書二・10


20091 575・内容・もくじ

リストボタン新しい年の祝福を

リストボタン梅と水仙

リストボタン最も重要な課題

リストボタン明けの明星としてのキリスト

リストボタンことば

リストボタン休憩室

リストボタン編集だより


リストボタン新しい年の祝福を

誰しもよきことを願う。キリスト者は最大のよきこと、すなわち神の祝福を願う。神の祝福を受けるとき、最も人間の根源の問題が解決される。それは罪の赦しであり、神からくる平安である。
そしてそのことを深く魂に刻み、その深い意味を知らせるのは聖なる風ともいえる聖霊である。
聖霊は、この世の力に倒されない新たな力を与える。聖霊なくば、神の言葉を知っても力は与えられない。十字架の意味を教えられてもそこに重荷が軽くなるという福音の力が与えられない。数知れない書を読んでも、研究しても、清い力は与えられない。
礼拝に参加することも、知識を得るためでなく、主イエスに出会い、この聖なる風を受けるためである。使徒パウロが言っているように、知識はすたれる。また忘れるし、さらに知識を次々と入れようとすると疲れ、能力の足りないことを知らされる。
神とキリストを求めてともに集まり、祈り、み言葉を聞き、讃美をするとき、私たちはその集まりのただなかにおられるキリストの風を受ける。そして主の平和を与えられ、他者のためにも祈る心が与えられる。
病気の苦しみ、人間関係の悩みや重荷、あるいは将来の不安…それぞれが持っている問題のなかにどうかこの天来の風が吹いてくるようにと願う。
風はどこにでも吹いていく。主の霊がこの世界の至るところに吹き渡り、神の愛を知る人が起こされ、自らが弱く道にはずれた者にすぎないことを悟り、神に立ち返るように、そして主の平安が与えられるようにと願い続けていきたい。

 


リストボタン梅と水仙

冬の寒さのただなかに咲く花として梅や水仙は有名である。ほかのほとんどは枯れたようになり、葉も落として眠ったようにも感じられるが、この二つはそれらの代りになって目覚めているかのようである。
神はこのように、つねにある一部のものを目覚めている存在として起こされる。
旧約聖書にある預言者たちはそうした目覚めた人たちであった。みんなが眠ってしまい何が正しいのか、何が神のご意志にかなったことなのかが分からなくなっている状況のただなかで、そうした周囲の眠りに流されず、一人目覚める人が起こされたのであった。
現在も、神はいろいろな国々においても、また地域やさまざまの職場においても、そうした人を起こされる。 聖書、この書物自体が魂の目覚めをうながす書なのである。

あめんどうの花が 咲きました
痛みの中でも 希望のしるし

戦はすべてを 打ち壊し
傷あとのこす 地の上に

あめんどうの花を 感謝しよう
主イエスの愛のしるしです
(「つかわしてください―世界のさんび」三四番)

あめんどうの花とは、アーモンドの花のことで、聖書の舞台になったパレスチナ地方で、二月ころに咲く花である。野生のものは真っ白い花で日本の梅のように、寒さの中に咲く。私も以前二月下旬にイスラエルを訪れたとき、シナイ山のふもとにある修道院の庭にこのあめんどうの花が咲いていて、その純白が今も印象に残っている。
旧約聖書のエレミヤ書のはじめに、人々がまちがった方向に流されその罪のゆえに国が滅びようとするとき、神はそのご意志を実行しようと見はっているが、その神のお心を表すものとしてあめんどうの花が現れる。
そしてそれはそのまま預言者エレミヤの使命でもあった。当時の人たちがみんな神の正しい道に背いて眠った状態にあるなかで、一人目覚めているあり方を象徴するものとして記されている。
地上にさまざまの戦いや混乱、悪のはびこっている状況がある。しかし、毎年必ず冬の寒さのなかに咲くその花は、主イエスの愛をあらわすものとして受け取ることができる。
たしかに、いかなる状況にあれ、イエスの愛、神の愛は無限であり消えることはない。冬の厳しさ、どこにもよきものがないような中にこそ、それは咲き始める。この一年もあめんどうの花に象徴されるイエスの愛が、さまざまのところで咲く(現れる)のを信じることができるし、私たちも心を開いてその愛を受け取らせていただきたいと思う。

 


リストボタン最も重要な課題

まず神の国と神の義を求めよ、と主イエスは言われた。神の国と神の義とは何か、分かりにくい人も多いであろう。それは現在の私たちにとっては、まずキリストを求めよ、ということなのである。
キリストの中に神の国と神の義がすべて含まれているからである。キリストのように他者の重い罪を身代わりになって担い、死ぬことまでされた。それによって人間の最も深い問題である罪を赦される道を開いて下さった。しかも、死の力に打ち勝つ神の命を求めるものに下さる。神が持っておられるあらゆるよきもの、清い心、真実な心、いっさいに打ち勝つ力等々を求めるものにはだれにでも下さる。社会的に最も弱い立場の者への配慮を第一にされた。死にかかっている人、捨てられたような人たちに手を差し伸べ、神の平安を与えられた。そして不正な者、傲慢なもの、弱者を利用して踏みつけるような者には厳しい態度を示された。
そのようなキリストを求め、キリストを私たちが受けいれるならば、社会のあらゆる問題への最も力ある解決となるであろう。
経済問題が最大の問題であるかのように言われている。しかし、少し前まではそのような大会社の赤字転落もなく、雇用の問題は深刻でなかった。だからといって、人間の心の問題はなかったであろうか。そんなことは決してなかった。自殺者は年間三万人を越えるという状況は、現在のような不況になる以前から生じていたのである。好況で産業が拡大し、企業もゆかたにうるおっているという状況になったからといって、人間の精神的な問題がなくなっていくということはないのであって、物質的にゆたかな生活になればなるほど、全体として浪費がなされ、環境問題は広く全体にひろがり、人間関係も希薄になって、最も重要なだれにでも及ぶような愛や真実、あるいは正義といったものが失われていく。
好況であっても不況であっても、つねに欠けているのは、神の国と神の義を求める心である。そこからあらゆる問題が生じてくる。神の国とは永遠の真実や愛、正義による支配であり、そのような力が満ちているところである。それはひと言でいえば、キリストを求めることである。
そうした神の国をまず第一に求めず、利益を第一に求め、しかも社会的弱者を用いてそうした利潤を得ようとするということから現在の世界的な経済問題のきっかけとなったサブプライムローンの問題が生じているし、また、日本の大企業は巨額の利益を得てきたにもかかわらず、不況となると大量の非正規社員を解雇することになっていった。 ここには、弱者への配慮はまったく感じられない。派遣社員という弱い立場の人たちを利用できるだけ使って、状況が変るとたちまち解雇という。
ここにも、まず、神の国のことでなく、まず自分たちの利潤を第一に考えるという姿勢がある。
また、派遣社員の側においても、もしその人や家族がキリストの福音を知っていたら、職業の選択の仕方や仕事に対する取り組み、また家族同士の関係などももっと違ったものになっていたかも知れないし、またいろいろな状況のために職や住むところを失った場合でも、信仰によって新たな力を与えられて立ち上がるということがより容易になるであろう。
キリストの力は、重い病気や、迫害のときの監禁、また社会的にいっさいを奪われたハンセン病のような人たちやさまざまの障害者に対しても、耐えがたい状況にあってなお、新たな力を求めるものに与えてきたからである。
また、二〇〇一年九月十一日のアメリカで生じたテロ事件以来、世界的に重要な問題であり続けているテロの問題においても、パレスチナ問題が深くかかわっている。もし、ユダヤ人たちがずっと昔に、愛に生きたイエスを求め、イエスを救い主として受けいれていたら今日のような問題は生じていただろうか。
また、ヨーロッパの国々の人においても、本当にキリストの愛を受けいれているなら、ユダヤ人を自分たちの宗教でないからといって迫害するということはありえなかったはずである。
キリストの本当の愛を受けいれないから迫害というまちがったことをするようになり、またユダヤ人もアブラハムにこの土地を与えると約束したことが記されている旧約聖書にこだわるからこそ、すでにたくさんの人たちが住んでいるパレスチナに流入してきたのであった。そこで当然のことながら戦争が生じて以後その対立はずっと続いて今日に至っている。
パレスチナ問題は、歴史的に見れば旧約聖書の時代である数千年の昔にその背景がある非常に古くて複雑な問題である。とくに第一次世界大戦のころからイギリスの支配との関連でイスラエルの建国に関して複雑な問題を生じていった。そして第二次世界大戦のときにヒトラーによるユダヤ人への激しい迫害も生じて、大量の人たちがイスラエルに行こうとする大きな波が生じていった。
そして戦後になってイスラエルの建国ということになった。すると直ちにパレスチナ軍がイスラエルに攻撃を加え戦争となった。そして滅ぼされると思われたイスラエルが勝利した。それ以後こうした両者の紛争はずっと続くことになってしまった。
この複雑な歴史的なもつれを最終的に解き放つのは、キリストの精神である非戦と愛が双方に浸透するということによってであることはたしかなことである。
キリストを受けいれるとき、私たちの祖国はどこかの地方にあるのでなく、天にある。真実に天を祖国とする人々においては、領土を奪い合う戦いは生じないはずである。ある特定の民族がほかの民族と混血するとかしてなくなるということが重大なことではない。すでに、ユダヤ人においても、多くの民族と混血しているのであって、ユダヤ人の定義は血筋でなく、ユダヤ教に改宗した人を指すようになっている。
キリストが捕らえられたとき、剣をもって戦おうとした弟子たちに主イエスは言われた。私の国はこの世のものではないと。
また、イスラム教の根底となっているコーランには、旧約聖書からの引用が多く、旧約聖書のなかのモーセ五書も教典となっているほどである。
しかし、コーランには、次のような箇所がある。

「神(アッラー)の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。…お前たちの出会ったところで、彼らを殺せ。お前たちが追放されたところから敵を追放せよ。迫害は殺害より悪い。」(コーラン第二章190191

このように神の道のためには、敵と武力でもって戦い、殺せとまで命じており、その戦いを聖戦とよんでいる。イスラム原理主義をかかげる人たちが、武力でテロを起こしたりするのも、彼らの教典そのものにこのような考え方が記されているからである。
それゆえ、もし彼らが、コーランでなく、新約聖書を、そのもとになったキリストを受けいれるなら、主イエスの徹底した非暴力をも受けいれることになり、こうしたテロもなくなるはずなのである。
また、長い歴史のなかで、ユダヤ人を迫害してきたヨーロッパの多くの人たちも、本当にキリストの愛を聖霊の賜物として受けているなら、決して迫害することはなかった。
それは、キリストの愛は、使徒パウロに見られるように、ユダヤ人に対して深い心の痛みをもって愛し続けるものだからである。
パウロは、「私には深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがある。私自身、同胞であるユダヤ人のためなら、キリストから離されてもよいとさえ思っている」(ローマの信徒への手紙九・23より)という驚くべき言葉を残している。ユダヤ人から激しい迫害も受け、殺されそうになったほどのひどい扱いを受けたパウロであるが、キリストの愛を受けるときにはこのように、彼らのために深く心を痛め祈り続けたのであった。こうしたキリストの愛を受けるとき、どうしてユダヤ人を迫害したりすることがありえようか。
ユダヤ人への迫害も、またヨーロッパの多くの人たちが本当のキリストの心を持っていなかったゆえなのである。
貧困であれ、豊かな生活であれ、また世界のどの民族であれ、イスラム教徒であれ、また弱い人、能力のある人、健康な人、死に瀕している病人、飢えや災害にある人たち、そして過去のあらゆる時代から現代に至るまで、キリストそのものがもっておられる無尽蔵な目には見えない富を知らず、求めないゆえに与えられていないゆえにさまざまの問題が生じるのである。
どんな状況でも、キリストを伝えること、それはあらゆる時代のいかなる状況にも必要とされる最も重要なことなのである。
内村鑑三がどのような事態になってもキリストの福音を伝えることをもって最重要課題としたのは福音こそはあらゆる問題への究極的な解決の道だからである。

…私は人に悪人と呼ばれようとも福音を宣べ伝える。善人と呼ばれようともこれに従事する。
世がわが福音に耳を傾くるもこれに従事する。
わたしの生まれたこの国にいかなる政変が起ころうとも、私はこの福音伝道に従事する。
たとい世界は消滅するに至るも、私はこれに従事したいと願う。
福音はわが生命である。
私はわが生涯の中で、福音の伝道に従事しないという時を考えることができない。(「聖書之研究」一九〇一年四月・原文は文語)

最終的には、その時が来るならば、神はユダヤ人の心をも変えて、キリストを受けいれるようにし、世界の人々はキリストの愛へと引き寄せられひとつにされていくということが新約聖書において記されている。(ローマの信徒への手紙十一・2536
このような壮大な希望もまた、キリストの愛ゆえになされるのであって、その意味でも、キリストの愛の福音こそあらゆる問題の究極的な解決を持っているということができる。

 


リストボタン明けの明星としてのキリスト

去年の十月下旬ころから、夕方の西空に輝き始めていた金星は、五月中旬になれば、午前四時過ぎには明けの明星としてその強い輝きが見えるようになる。宵の明星を初めて見た人が、涙が出るほど心を動かされたと言われたほどである。
何十年も生きてきても、夕方の夜空に輝く金星の光を見たことがなかった人は非常に多い。
すでに古代からこの金星の輝きは他の夜空の星とは断然異なる輝きであるから、とくに注目されてきた。聖書においても、その最後の書である黙示録の終わりの部分で次のように記されている。

わたし(イエス)は、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16

ひこばえとは、木を切ったあとで幹から出てくる芽のことである。要するにイエスは、ダビデの子孫として現れるということを意味している。そしてイエスは、輝く明けの明星だという。
それは夜明けを告げる星である。闇がもう終わり、新しい朝が来る、というメッセージをたたえている。闇がいつまで続くのか、それは多くの人にとって深刻な問題となる。病気の場合、苦しみが続くときその苦しみは誰にもわかってはもらえない。手術してもまた薬や放射線などで治療してもどうしてもよくならないとき、そしてますます苦しみがつのるときには、その闇はずっと続くのではないか、と思えてくるだろう。それは主イエスですら、肉体に釘付けという余りにも過酷な攻撃が加えられたとき、その苦しみには終りがないと思えたからこそ、「主よ、主よ、どうして私を捨てたのか!」と叫ばずにはいられなかった。それは夜明けがないという実感なのである。
イエスですらそのような状態となったのであるから、私たちもそのようになることは十分に有りうる。
神を信じていてもなお、この世では耐えがたいと思われるほどの苦しみに会うのであれば、神などない、真実な助けを与えるものなどない、結局は自分だ、と思っている人にとっては訴える相手を持つことができない。
この世では闇がずっと続くという事態に直面することはたいていの人が経験していくと思われる。明けの明星とは、そうした夜明けがないという重い気持を根本的に変えるものなのである。
聖書は旧約聖書からずっとこのいかなる長い夜も必ず夜明けがあるということを一貫して言ってきた。それは、旧約聖書では、「主の日」あるいは、「その日」という表現である。

その日には、人間の高ぶる目は低くされ
傲慢な者は卑しめられ
主はただひとり、高く上げられる。
(イザヤ書二・11

どのような人間の高ぶる力も必ず滅びる、武力や権力、あるいは金の力をもって支配されるような世界は闇である。そのようなものを第一とする(神とする)精神は打ち倒される。
「イエスが明けの明星である」、と聖書で書かれているのはどのような意味であるか。それは、夜明けがあるという知らせなのである。この世は闇である。どんな人でも、闇を持っている。その人の心の中に、病気としてからだの中に、また家庭や親族、あるいは会社や人間関係など、どこかにあるいはそのどこにおいても闇のようなものを持っている。その暗い部分が晴れたらどんなにいいだろうという思いがある。からだの場合、それは病気とくに重い病気の場合である。そのようなとき、心も暗く重くなる。また、心に深い悩みや悲しみがあるときにはからだも元気が出なくなるし、病気になっていくこともある。
現在大きな問題となっているような仕事がなくなっているひとたちが増えていること、そして帰るところがないからテントで生活するといった人たちも増えている。そうした人たちはなぜ帰るところさえないのか。それは自分の家の家族と折り合いが悪くてそこに帰れないという場合もあるだろう。それは自分の心の闇や生活、そして人間関係の中に闇があり、それがすべて重なって、家があるのに、帰れないということもある。
一寸先は闇、といった言葉もある。さまざまの問題がいつ生じるか分からない。今明るいと思っている人でも、いつどんな事故や病気で闇が襲ってくるか分からない。現在の経済状況も、アメリカのサブプライムローン問題に端を発している。数年前まで、このような世界的な経済、金融問題が深刻になっていくとはだれも想像もしていなかっただろう。そのようにだれも予測できない闇が生じてくる。
しかし、他方では、現在のような雇用不安や経済問題が深刻でなかったときには闇がなかったかというと決してそうではない。
心の闇はどんな経済問題とも関わりなく存在しているからである。 現在の一般的な生活は昔よりはるかにすすんでいる。家はきれいになり、車ははんらんし、電気製品はたくさんある。テレビも一家に何台もある。しかし、だからといって心の闇がなくなってより明るくなったとは言えない。
また、昔には貧困、差別や飢饉、病気、そして戦争等々、現代とは異なる闇が至る所でみられた。
このように考えると、明るく見えるこの世界の奥深いところには闇がずっと横たわっているのである。そのような闇の根源は一人一人の人間の心の中に闇があるからである。その闇のことを罪といっている。それは教育や科学技術、医学、福祉がどのように発達しても消すことができなかった。江戸時代と現代と比べたらそれらは比較にならないほど大いなる進歩を遂げている。しかし、心の深い闇を消すことはできなかった。キリストはこの人間に宿る深い闇に光をもたらすために来られた。
どんなに闇が過去現在、将来にあっても、必ず夜明けがあるというメッセージを携えてこの世に来られた。
明けの明星とはまだ、暗いのにその闇に光を投じるものである。それとともに夜明けが来るという知らせをあらわすものである。
キリストは、現在の私たちの心の深い闇である罪をぬぐい去るという光となって下さった。
ある経営者が、最近は経営にとって難しい状況があってトンネルを通っているという感じであった。トンネルを通ってそのうち明るいところに出られると思っていたら、トンネルを出た先は闇だった、と言っていた。これは予想をはるかに越える最近の経済金融不況のことを指している。
このように、この世は、トンネルを通って必ず明るいところへ出て行くとは言えない状況がある。この世で生きること自体が暗いトンネルだと思うようなこともたくさんある。
しかし、もし私たちが神とキリストを信じるときには、そのトンネルの先には必ず明るい神の国、天の国がある。どんなに苦しいことがあっても、主イエスもなぜ私を捨てたのか、とまで叫ぶほどの苦しみがあっても、そのトンネルを通って天の国に帰られた。ヨブという人も長い耐えがたいトンネルを通って、神からの言葉があり、そこから抜けることができた。
私は道であり、真理であり、命である、そのように確言できるお方がいる。
私たちの心もトンネルのなかを通っていくようなものである。しかし、そのトンネルをさっと通り抜けさせて下さるのが、十字架のあがないの信仰であり、復活の信仰である。死んだもの、闇のただなかにあるものを復活させてくださるというのである。そしてこの世も最終的には新しい天と地になるという約束がある。
「わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」(黙示録二二・16
という箇所がある。今から三千年ほども昔のイスラエルの王ダビデの子孫として生まれる救い主イエスは、輝く明けの明星であるというのである。明けの明星とは、金星であって現在(十二月下旬)は宵の明星として毎日夕方に特別に明るく輝いて見える。
この短い聖書の言葉のなかには、イエスがどのようなお方であるかが示されている。
ダビデの若枝、ひこばえ、あるいは子孫と言われているのは、イエスは実際に歴史のなかで大きな働きをしたイスラエルのダビデ王の子孫として、また、本質的に新しい枝として生まれるということである。 イエスが生まれる七百年ほども前から、すでに救い主が現れることが預言されていた。それはイエスが現れるというのは、人間の計画とか、人間の意志、努力、あるいは組織や経済力などとは全く関係なく、神の御計画によってこの世に現れるのだということである。
この世界は単に偶然で動いているのでなく、さまざまの偶然に見える出来事の背後に大いなる愛の神がおられ、その神が支配され、導いておられるということなのである。
キリストが明けの明星である、といわれ、また次のように言われている。

…同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。(黙示録二・28

さまざまの厳しい迫害を受けつつ、それに信仰によって耐え抜いた者には、キリストご自身とも後にたとえられている「明けの明星」を与えるという約束である。なぜ、このような特別な表現で約束されているのだろうか。
この少し手前の箇所から、勝利を得る者に与えられるものがいくつか記されている。

「勝利を得る者は、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」(黙示録二・7とある。また、隠されていたマンナを与えようとも言われている。さらに、諸国の民の上に立つ権威も与えられ、白い衣を着せてもらえるという。
このように悪の力の攻撃に対して神にすがって勝利を得る者に与えられるのは、命であり、力であり、また清めであることがわかる。
そうした中に、この明けの明星を与えるということが記されている。勝利を得る者の特質は、いかに闇が深く私たちを覆うようであっても、つねに夜明けがあるということを内に実感するという約束である。そしてそれはどんなに闇が永く続いても必ず夜明けがあるという強固な希望である。そのようなものが与えられるということである。また、キリストそのものが与えられるということも含まれているであろう。
闇の中、まったき暗黒の中で待ち望むその光、それは明けの明星を見たとき、まさにあの星の輝きこそ、その闇を打ち壊し新たな夜明けをもたらすお方を指し示しているとの深い霊的直感があったと考えられる。
ハンセン病と光
人間の経験したあらゆる病気のなかでも、取りわけ恐ろしい運命となったのが、ハンセン病であっただろう。
ハンセン病療養所の牧師として、何十年という歳月をハンセン病の方々を霊的に導いてこられた播磨 醇(じゅん)氏は、次のように書いている。

…一九五五年の夏、関西学院大学神学部大学院生であった私は、国立ハンセン病療養所内の、光明園家族協会で五〇日間、神学生として夏期伝道実習にあたっていた。毎日ハンセン病の教会員と接しながら、みんなに喜ばれる教会奉仕に励んでいたが、その最後の夜、重病棟のひとりの女性患者から「キリスト様のお話しを」と求められた。 初めて、重病棟に治療着に着替えて入り、ベッドに座っていた後ろ姿の婦人に声をかけた時に、振り向いたその患者の顔を見て、うち震え、私はそのまま意識を失っていた。
気がついてみると、私はその患者のベッドの側にうずくまったままであったが、顔も口もこわばってしまって声もでなかった。
そしてそのまま逃げるようにして、その場を去ったのである。必死になって救いを求めていたその婦人の前で。…
現在、このような重症者を日本の療養所で見ることはない。
しかし、いま振り返ってみて、このことが 「らいと私」との出会いの原点であったのだと思う。
(「極限で見たキリスト―聖書の《らい》をめぐって―」20頁 播磨 醇著 キリスト教図書出版社 )

ハンセン病の療養所内で、毎日患者の人たちと接していたにもかかわらず、最重症患者の顔があまりにも異様な恐ろしい状態であったために、気を失ったという。
私が小さい頃、ときどき母から、最も悲惨な人たちとして、らい病の人のことを聞いた覚えがある。それは、顔を包帯で巻いて神社などで乞食をし、寺社の屋根の下や大きい橋の下などですごしていたということであった。 イギリスのハンセン病の専門家、ブラウンの書いた書にも、「実際に、らいの犠牲者たちが放置されて重症になった場合、ぞっとするような、吐き気を催すような外観を呈したことが多かったことは事実である。その姿は人間とは思えないことがあった。」という。(同書19頁)
以前は、治療薬もなく、放置され捨てられ、家を追放されるか自分で出ていったのであり、だんだんと病気が進むとこのように見た者に恐ろしい外観を呈するようになったのが想像できる。
そのような状況に至るまでに、家族から引き離され、悲嘆と絶望、差別のどん底に突き落とされ、病気の苦しみだけでなく、家族、親族や周囲の人たちとの完全な隔離をされて、生きなければならない状況にあった。さらに家族もまたらい病者の家族として、周囲の冷たい待遇と、肉親をも放置してしまわざるをえない苦しみを耐えていかねばならなかった。
そして普通の病気ならば、治療の状況、治るのにいつまでかかるか、治らないのかある程度の見通しがつく。しかし、ハンセン病においてはそのような見通しもつかず、しかも徐々に体はむしばまれ、さらに悪化すると顔面はひどい状態となり、目も病気におかされ失明し、さらに取り出さねばならないことすらあり、手足もなえてしまったり、さらには切断せねばならない人も生じてくる。
これほど精神的にも肉体的にも、また社会的にも絶望的な病はなかったと思われる。
そこは全くの暗夜であり、どこまでも続く深い深いトンネルであった。
しかし、このような恐るべき道にも、キリストは希望を与えることができてきた。ハンセン病の深い闇の世界に置かれた人たちにとって、その闇にさえも必ず夜明けがあると確信できるならそれは何よりも幸いなこととなる。
ハンセン病療養所の長島愛生園につくられた教会の名前は、一九三一年に創立されたとき、曙教会と名付けられた。それは、文語訳の新約聖書にある次の聖句からであった。
「我はダビデのひこばえ またその裔なり、輝ける曙の明星なり」(黙示録二二・16
明けの明星のように、キリストによる明るい希望を指し示す教会を目指して名付けられた。(「全国ハンセン病療養所内・キリスト教会沿革史」二一六頁)

ハンセン病の人たちにとって、キリストは夜明けを指し示す、強い光を輝かせる明けの明星のごとき存在であったであろうから、この名称は多くの人たちの共感を得たと思われる。
また、現在の日本では最大のハンセン病療養所である、熊本県の菊池恵楓園には、菊池黎明教会がある。この黎明というのも、夜明けということであり、ハンセン病の長い暗夜にも必ず夜明けがある、その夜明けはキリストがもたらすという信仰が背後に感じられる。
恵楓園にはカトリックの「暁星会」という教会もある。この暁星という言葉も、夜明け前の星を言う言葉で、明けの明星である金星を指している。
さらに、鹿児島県の星塚敬愛園にも、「暁(あけ)の星会」という教会があり、これも「暁の明星が、信者と信仰を求める人々の道しるべとなる恵みを願って」名付けたという。
これらに共通しているのは、闇の扉を開く明けの明星たるキリストを待ち望む心であり、信仰である。
魂の夜明け、病のために体は朽ち果てて目も見えなくなり、足も切断し、全身の感覚も失ってしまったような状態になった一人のハンセン病の女性患者(玉木愛子)が次のようにその心境をつづった。

毛虫匍(は)えり 蝶となる日を夢見つつ

玉木はある日不思議な夢を見た。それは、目の前に醜い毛虫が匍っており、美しい蝶がとんでいた。彼女は毛虫は大嫌いであった。その毛虫が、玉木に語りかけた。

「お前は、目の見えるころ、私を非常に嫌った。その嫌う姿がお前なのだ。…
今しばらく嫌われているうちに、まゆができ、中でさなぎに変ると、次には人も喜び、自分も甘い花の蜜を吸い、香りの高い花から花へと移って行けて楽しい美しい蝶となる日が巡ってくるのだ。
嬉しいではないか、今しばらくの辛抱だ」

そのように、玉木は夢のなかで、毛虫を見て、それがこのように自分に語りかけたと書いている。
この言葉は、そのまま彼女の気持をあらわすものであっただろう。自分は、毛虫が歩くように歩くこともままならないほどに病状は悪化し、しかも一般の人々からは忌み嫌われる。しかし、必ずその夜明けが来る。その光をすでに玉木は失明した暗黒の中において、はっきりと見ていたのであった。明けの明星たるキリストを見ていたのである。
どんなにみすぼらしい姿となり、見るも無惨な外見となろうとも、輝かしいキリストの栄光のような姿に変えられるという聖書の約束は、まさにこの毛虫が蝶となるということに他ならない。どんな人でも、ただ主を仰ぐ心を持ち続けるだけで、すべてが清められた存在に復活するのだという約束はとても喜ばしいことである。

…彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さる。(ピリピ 三・21

玉木愛子と同様に、ハンセン病の重い症状のために失明し、手も足も皮膚も病魔にむしばまれて三十二歳で召されて行った青森県の療養所(松丘保養園)の沢田徳一は次のように星の世界で象徴される永遠の神の国への思いを書いている。

永遠につきることなき憧憬は
大いなる神の星空を見出す
創造者は探求者に
別の世界を与えたのだ
見よ、生命と現在は
あの星の世界に通じている。

暗黒に星を求めるわが兄弟よ
永遠に滅びない国を讃えよ
永遠に輝く星の光には
地上の境遇の厳しい差別はない

同じ星の下にある兄弟よ
永遠の星の世界に帰れ
(「星と詩人」沢田徳一著 聖燈社14頁)

目も見えなくなり、全身が病気に冒され近いうちに死を迎えると自覚していた沢田は、その暗黒の中から暗夜に輝く星に強い憧れをもつようになっていったのがうかがえる。あの星のかがやきこそは、闇のなかでも光そのものであるキリストを示すものであり、しかもその希望の星たるキリストは永遠に消えることがない。
ハンセン病の絶望的な闇にある人たちも必ずその光を受けることができるし、地上の命が終わったときにはあの星のような輝かしい永遠の存在と変えていただけるのだという強い希望を与えられていたのが、この詩から感じられる。
沢田は、とくに次の聖歌を好んで歌ったという。

「わが罪のために」
1わが罪のために 見失せ給いし
主を拝しまつる 日ぞなつかしき

(折り返し)
麗しき星の かなたに行きて
目の当たり君を拝しまつらなん

2 見るところ今は 微かなれども
その日には顔を 合わせて相見ん

3 輝くみ顔を 拝しまつらば
憂いと悩みの 雲は消え失せん

4 げにわれの望み われの喜び
主を拝しまつる 日はいや近し(新聖歌 五一五番)

この聖歌の内容は、沢田が心から憧れ、肉体の目は見えないが、魂の目で見つめ、思い続けていたその世界と深い共通点を持っている。
復活という真理はいかなる状況のもとにあっても、明けの明星のように夜明けを告げるメッセージとなる。突然の事故、災害などによって肉体の命を失うことがあろうとも、その人は単に不幸で終わったのでない。そのような悲劇的な死であればいっそうあの食物もなく金持ちの食卓からの残り物を拾って生きようとしていたラザロが死後アブラハムのもとに連れていってもらえたように、主がその魂を引き上げられるであろう。貧困のゆえに、また戦争や災害のゆえに苦しみつつ死んでいかねばならなかったたくさんの人たちにおいても、このことを期待できる。
また、さらにこの世界全体においても、至るところで貧困、飢餓、また内戦や闘争が行われている。人間の歴史とは長い闇の連続、終わることのないトンネルのようなものである。しかし、そこにも必ず夜明けがある。それが、再臨の約束である。
万能の神、そしてこの天地宇宙の創造者である神ゆえに、私たちの小さな汚れた人間をキリストのような輝かしい存在に造り変えるのと同様、この天地をも新しい天と地に造り変えるという真理である。それがどのようなことなのか、私たちは自分の復活の姿を具体的には言葉で説明できないように、新しい天と地も言葉を超えた霊的なものであるであろう。
私たちは、そのような言葉を超えたことを詮索することでなく、その確固たる約束を信じることを求められている。そしてそのことはまさに幼な子のような心で受け取り、信じるものには祝福が注がれる。主イエスが言われた通りである。
私たちの折々の苦しみや闇、そして社会的な混乱や災害、あらゆる問題について必ずそうした夜が明けるときがある。その夜明けを告げるためにキリストは来られたのである。

 


リストボタン神曲・煉獄篇第九歌~十二歌より

神曲はダンテの書いた雄大な構想を持った詩の大作。歴史的にも最も深い内容をたたえた詩とされる。
詩の中にさまざまの人間の感情、哲学やキリスト教信仰、芸術や政治、人間の罪と罰、神の愛と正義等々実に多方面の内容がそこに含まれている。 地獄篇、煉獄篇、天国篇の三つに分かれた長編の詩である。
煉獄というのは、神曲においては天国に行くことができるが、地上の罪ゆえに十分に清められていない魂が、天の国に行ける希望を持ちつつ、よき模範をも示されつつ、罰を受け苦しみを受けることによって清められて天国に行くための備えとするところと想定されている。
悔い改めないために、その罪によって滅ぼされる地獄と、完全な赦しと永遠の救いがある天国は相容れない。
私たちにとっては、煉獄とは、罰を受け、その苦しみによって清められていくこの地上の生活を暗示していると受け取ることができる。神曲が世界的に読まれてきたのは、地獄とか煉獄というものを単に想像して書いたのでなく、地獄編や煉獄編に記されている内容は、ダンテ自身の魂の深い体験が背後にあり、また私たちの心の中や周囲の世界で繰り返し生じている問題への深い洞察で満ちているからである。煉獄篇において現れる罪ゆえの罰もまた、私たちのさまざまの苦しみのひとつの原因とみなすことができる。そしてその苦しみや痛みとともに、清めを受けるということは、地上に生きる私たちが誰でも実感させられていることである。
ここでは煉獄篇第十~十二歌の内容について記すことにする。
煉獄の山に登り始めるにあたって、最初の浄めの道へと登っていく。この浄めの道は、門を入ってから頂上まで七段になった環状の道があり、その道を歩む人たちはそこで罰と浄めを受けていくのである。その山のふもとから環状の道への登りはやさしいものではなかった。
ダンテと彼を導くローマの大詩人ウェルギリウスたちが、煉獄山に登る門に行こうとしても、崖のようであって登ることは困難な状況であった。そのうちに夜が来た。日が沈むと、全く一歩も登ることはできなくなる。 煉獄の門の前のところに一人の当時有名な詩人が現れる。彼は、地面に指で線を引いた。そして、「日が沈んだら、この線ですら、越えることはできない。夜の闇が力を奪い、気力を失わせるのだ。それゆえ登ることは全くできず、山のふもとをさまよい歩くことしかできない。」と言った。
 このような表現のなかにも、神の光、神の導きがなければ、一歩も私たちは前進できないという事実をダンテは読者に告げようとしている。高みに登ることも、前進することも、神の助けなければまったくできないのである。
 このような表現をあまりにも厳しすぎると思う人が多いであろう。しかし、これは魂の奥深い状況を深く知らされた人、人間の霊的な世界をはっきりと啓示された人が共通して知っていることなのである。
 すでに主イエスご自身が、「私の内に留まれ。もしあなた方が私の内に留まっていないならば、何一つ実を結ぶことができない。私を離れてはあなた方は何もできない。」(ヨハネ福音書十五・45)と言われたのも同様である。
 夜を迎えたダンテは、深い眠りに落ちた。そのとき、そこへ天からの使いルチア
*が現れてダンテを煉獄の門へと連れて行った。

*)ルチアとは、殉教した三世紀の聖女で、古くから伝えられた話では、貴族の男から結婚を求められたが、それを断ってキリストへの信仰に生きることを選んだ。ルチアの母は目が悪かったが、ルチアの真剣な祈りによっていやされたという。また、当時、ローマ皇帝による激しい迫害が生じ、ルチアも捕らわれたが、拷問を受けても信仰を捨てなかった。サンタ(聖)・ルチアという歌によってその名は広く知られている。なお、ルチアとは、ラテン語のルークス(lux)から来た名前で、光を意味する。英語では、ルーシィ lucy となる。

 ダンテは意志強固であったと思われるが、自分の力では登ることができず、眠っている間に天使によって煉獄山の門のところまで引き上げられたという。
ここにも私たちの現実の歩みが象徴的に表されているのである。私たちがもう登れない、光がないと思ったときにも、思いがけない手段で私たちを引き上げて下さる。自分の努力の限界を感じ、なすすべもないといった時にすら助けは与えられる。信仰の歩みは飛躍である。不連続的なのである。神への信仰と、神の国への前進へのあこがれと求める心を失わないときには、必ず時至れば助けが来る。そして前進できない状態となった魂を引き上げて下さる。
 これは、日々の信仰の歩みがそうであるが、信仰の出発点も神が引き上げて下さって初めて信じることができるし、最後の死のときも、病や老衰その他で死という闇に沈もうとするときに、主が引き上げて下さるのである。十字架上で釘付けにされた重い罪人が、イエスへの信仰を精一杯の心を込めて告白したとき、ただちに主イエスは「あなたは今日パラダイスに入る」と約束してくださったように。
 浄めの道を歩もうとすること自体、このように、自分の力ではその門にもたどりつけないということを現している。ダンテは、政治や文学、芸術、また科学などに通じた天才であったと言えるが、それにもかかわらず、このように魂の浄めということについては、人間の生まれたさまざまの能力もどうすることもできない無力を深く知っていたのがこのような記述にも現れている。
私たちにおいても同様であって、学力やスポーツの力、芸術の才能、さまざまの知識、技術などは適切な教師と訓練、そのための費用などが注がれるならば、それに応じて深められ広がっていく。しかし、魂がより浄められ、高い精神的な世界へと登っていくことは、そうした生まれつきの能力とか努力、金、時間などではどうすることもできないということなのである。
天からの助けがなかったらより高きへは登ることができないという明確なメッセージがこのダンテ神曲には随所に見られる。
 ようやく門にたどりつき、門番によって額に七つのPの文字が記された。それは、peccatum(ペッカートゥム、ラテン語で「罪」の意)という言葉を表すもので、煉獄の山を登りつつ、この七種類の罪を浄めるようにと門のところにいた天使から言い渡された。そして天使が、煉獄の門を開くとき、次のような警告を与えた。
「入れ、だが、決して忘れるな。誰であっても後ろをふりかえる者は、再びこの門の外に出されてしまうのだ。」
 このことは、旧約聖書にある記事を思い起こさせる。頽廃した生活にまみれ、神の道をかえりみようともしなかったソドムとゴモラの人たちが、神の裁きを受けて滅ぼされたとき、神への真実をもって歩んでいたアブラハムのゆえにその親族も救いの道が備えられ、滅びから免れた。しかし、その滅びゆく町の様子を振り返って過去の生活に執着しようとするなら、塩の柱となると、警告されていた。しかし、逃げていく途中で、アブラハムの甥の妻は、神の警告に反して後ろを振り返ったために塩の柱となったと記されている。(創世記十九・26
 神を信じて御国への道を歩むことを許された者は、ただまっすぐ前を見つめ、歩んでいくことが求められている。神を知らないときには、究極的な目標が存在しないのであるから、たえず混乱した目であちこちを見ていわばジグザグにあるいは後退したり停滞したりして歩むことになるしその行き着く先はすべてが消えてしまう得体の知れない死が待っているだけである。
 しかし、神という完全な清さと愛や真実に満ちた存在を知らされたなら、そこにこそ私たちの究極的な幸いがあることは確実なのであり、そこにだけ目を注いで前進することは当然のつとめとなってくる。
 ようやく門の扉が開かれ、煉獄の世界へ入ろうとした。その門の扉は予想もしなかったほどにさび付いたかのように開きにくいのであった。それは稀にしかその門は開かれないためなのである。そしてその門の扉は、すさまじい音をたてて開いた。
 煉獄の門が静かに開いたのでなく、めったに開かれないような音であり、その音の大きさもまたダンテがとくにその音の比べようのないほどの音であったと記しているのはなぜだろうか。それは、魂の清めのためにこの煉獄の門を入る人がそれほどまでに少ないということを強調しているのである。
 人間はまちがった愛を持つために、曲がった道をもまっすぐな道と思ってしまう。それゆえに多くの人たちは地獄の門のほうへと向かっていく。そして神のもとに登る煉獄の門へとたどりつく人は稀なのである。(煉獄篇十歌第一行)
 このように、人間がなにかをするとき、それは必ず何らかの愛(執着)からである。しかし、その愛はほとんどがまちがった愛だということになる。真正の愛を持っているときには、煉獄の門へと向かうのである。 
 このことについては、主イエスも言われた。
「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない」(マタイ七・14
 また、他方ではこの門の開くときの音が非常に大きな音であったということは、たった一人でも煉獄の門を入っていくことが重要な重々しい出来事であるということも暗示している。
 そしてその重い音が開くとともに、奥から響いてきたのは、心にしみ通るメロディーと歌声であった。私たちが天よりの力によって導かれ、より高きへと進むときには、かなたからうるわしい響きが聞こえてくる。そのよき響きによって背後に続く世界が暗示されているのである。
 そこで歌われていたのは、「私たちは神を讃美します」(テー デウム ラウダームス Te Deum laudamus
*であった。
 煉獄という浄めを受ける世界、そこで浄めを受けている人たち全体の祈りと願い、讃美としてこの曲が流れてきたのである。これは地上にあってやはり神の言葉と導きにより聖霊によって浄めを受けつつ歩む私たちもこの讃美に心を合わせることができる内容である。

*)これは、テ・デウムと言われて古来有名な讃美である。最近ではインターネットを用いれば、簡単にこのテ・デウムという曲を聞くことができるので、歌詞とその原詩の発音と意味などを書いておく。一般的に外国の歌、讃美などはそのまま聞いても言葉が分からないから単にメロディーだけを味わうだけになり、それではその曲の持つ意味はとても少なくなってしまうからである。
 Te(テー)は、人称代名詞 tuの対格で「あなたを」、 Deum(デウム)は、神(Deus)の対格で「神を」、laudamus(ラウダームス) は、讃美する、ほめたたえる(laudare)の一人称複数形で「私たちはほめたたえる」の意。
神であるあなたを私たちは讃美します。 Te Deum laudamus (テー デウム ラウダームス)
主であるあなたを告白します。Te Dominumconfitemur.(テー ドミヌム コーンフィテームル)
永遠の父であるあなたを Te aeternumPatrem (テー アエテルヌム・永遠に パトレム・父を)
全地は敬うのです。 omnis terra veneratur. (オムニス・すべて テルラ・地 ウェネラートゥル・敬う)
この讃美の歌詞には、キリストの十字架上での死により、血を流して人間をあがなったこと、死に勝つ決定的な出来事としての復活、再臨のキリストを待つ希望、そして、そのような万能の神に祈り願う万人の祈りとして、憐れみを願う祈りなど、キリスト教信仰の重要な内容がすべて含まれている。それゆえに、千七百年ほども歌いつがれてきた。
 この聖歌の終わりのほうにはあらゆる人間が本来持っているといえる願いが記されている。
 
私たちを憐れんで下さい。主よ。 Miserere nostriDomine, (ミセレーレ・憐れんで下さい ノストリー・私たちを ドミネ・主よ)、
私たちを憐れんで下さい。 misererenostri.
あなたの憐れみが、主よ、私たちの上になされますように。 Fiat misericordiatuaDomine super nos,(フィアット・生じる、起こる ミセリコルディア・憐れみ トゥア・あなたのもの スペル・~の上に ノース・私たち)

 私たち人間の実態を思い知らされるとき、また自分だけでなく周囲の人間、そして世界の至る所にあるさまざまの悲劇や苦しみを思いみるとき、ただ私たちはこの世界のすべてを支配されている神に向かって、主よ、憐れみたまえ!と祈り願うほかはない。
 この「憐れんで下さい!」という短いひと言は、旧約聖書の詩編でもまた新約聖書の福音書においても、しばしば見られる嘆願の祈りである。何も言えないほど苦しみや悲しみあるいは絶望的な状況にあっても、「主よ、憐れんで下さい!」と祈ることはできる。そしてその短い祈りを主は聞いて下さる。これは、ギリシャ語では、キリエ・エレイソン という表現になって、ミサ曲において重要な部分となっている。
 そしてこの歌の最後の部分には、揺らぐことのない希望が歌われている。

主よ、私はあなたに希望を置いてきました。In teDominesperavi. (イン テー ドミネ スペーラーウィー・希望する)
私は永遠に、混乱させられることはない。(希望をなくすることはない)non confundar in aeternum. (ノーン コーンフンダル・混乱する イン アエテルヌム・永遠に)
 
 煉獄というのは、ラテン語では、プールガートーリウム(purgatorium)というが、これは、浄める(purgare)という言葉から来ている。それゆえ、煉獄篇のことを浄罪界と訳している本もある。しかし、そこでは苦しみを与えられてその苦しみによって浄めを受けるということであるから、煉獄と訳されている。「煉」とは、鉱石を火で熱して悪い成分をとり除き、よい成分だけを取り出すという意味がある。火で熱するような苦しみを与えられ、汚れたものを取り除いて清めるという意味からである。
 しかし、そうした苦しみだけでなく、うるわしい音楽の響き、讃美の歌もそこには流れているということがここで暗示されている。
私たちのこの地上での歩みもまた、さまざまの苦しいことがあるが、それはひとつには浄めのためであり、その苦しみの中でも、また折々に天国からの音楽や御国の風のようなものを感じさせていただけること、そのようなことをこの煉獄の門の讃美は示すものとなっている。
 ダンテとウェルギリウスが門を通っても、すぐに第一の環状の道に着いたのではなかった。門から最初の環状の道にたどりつくまでがまた特別な道であった。それは岩の裂け目の道であって、それは右へ左へと曲がりくねり、寄せては返す波のようであった。その岩のくぼんでいるところをたどって登っていく。それは、針の目の道のようであったと記している。
 この表現も、主イエスが「金持ちが天の国に入るより、らくだが針の目を通るほうがたやすい」(ルカ十八・24)といわれたことを用いている。
 この煉獄の山への登りは、門にまでたどりつくことから始まって、そこから門に入り、さらに第一の環状の道へと至るまで、自分の力では到底登れない絶壁のようなものあり、重い扉あり、門番あり、また細い険しい道あり、といった具合につねに上よりの助けなければ登っていけないのであった。
 この登りの困難さ、それは私たちにとっても、御国への道の歩みの困難さを暗示している。霊的に考えれば同様な越えがたい困難や苦しみ、意気消沈するような人間同士の不信や分裂、病気の苦しみ等々、もう歩めない、前進はできないと思われるような事態に直面すること、それはまさにこの、険しい崖、細い道の連続であってただ天の助けのみによって私たちは進んでいけるのである。
 そのような細い道をたどってようやく最初の環状の道にたどりついてまずダンテとウェルギリウスが驚いたのは、「砂漠の中の道よりも、なお孤独なこの平らな道…」であった。人が誰もいないのである。この環状の道は、高慢な者すなわち、神などいない、人間のもつ力、金などがすべてだとする高ぶりの心を悔い改めさせ、その罪が罰せられ浄めを受ける道である。
 ここは砂漠の道よりなお孤独…という特別な表現をしているのは、そうした高ぶりからの悔い改めをする人がいかに少ないか、を表している。
 このように、いろいろな表現で、煉獄の山に登る人がごく少ないということが強調されている。
 現代の私たちも、たしかに周囲に無数の人たちがいるにもかかわらず、とても不思議に思えるほどに、自分の罪を知り、そこからの悔い改め(神への方向転換)をして、神とキリストを信じ、神の永遠の愛と万能、そしてキリストの復活や十字架による罪の赦しなどを信じる人が少ないのであり、ダンテのこうした描写は私たちの現在の状況をも見抜いた上でのことだと分かる。
 ようやくたどりついて、まず目にしたのは、道の山側の壁面に刻まれた絵画であった。彫刻とはいえ、それは迫真の力をもって迫ってくる内容を持っていた。
…純白の大理石より造られ、昔から言い伝えられた名彫刻家も、また自然そのものも恥じ入るほど絶妙な彫り物で描かれてあった。それは神ご自身がそこに彫り込んだからである。自然の事物も神の言葉によりて造られたし、人間はその自然の事物を見てそれを模範として造る。しかし、この崖に彫り込まれた絵は、神ご自身が刻み込んだゆえに、自然や芸術の大家もはるかに及ばないのだといっている。
 そのように生き生きと描き出された題材はなにか、それはルカ福音書に描かれてある、イエスをみごもったときに天使からそのことを告げられたマリアの態度であった。
 何百年という歳月、涙をもって待ち望んでこられた救い主の誕生を告げるために来た天使は、うるわしい姿そのままに、生きているかのように彫刻され、私たちのすぐ前に見えるその姿は、ものを言わぬ彫刻とは到底おもえなかった。その天使がマリアに語りかけているその言葉が聞こえるようであった。
 そしてその天使の言葉に答えたマリアの言葉「私は主の仕え女です」が、マリアの姿に書き込まれていた。どのような思いがけないことであっても、また受けいれがたいことであっても、それが神から来ていると信じて受けいれる、神の言葉であり、そのご意志ならあたかも奴隷が主人の命令をすべて受けいれるように、全面的に受けいれるということである。仕え女とは、原語は、ドゥーレー doule であって、女奴隷といった意味の言葉である。(男の奴隷は、ドゥーロス doulos
この彫刻が刻まれたのは、単に模範ではない。天からの使い、あるいは神の言葉に全面的に従おうとするそのマリアの姿と声が聞こえるほどにありありと神の前の謙遜を実感するとき、その彫像を前にする者もまた、その神の前にへりくだるようにうながされるからである。神との深い結びつきを間近に生き生きと見るものは、その者もまたその深い結びつきを経験するようにと導かれるのである。神はたえず分かち与えようとする。心開いて見るものは、その見るものによっても新たな力や謙遜を与えられる。心開かない人にとってはただの風であり、また水の音であっても、神への心をもって見聞きする者にとっては、ふつうの風も水の流れの音すらも神の国からの風としてまたいのちの水として実感できるのと同様である。
 このマリアの彫刻以外にもいくつかの、神に聞き従う姿が刻まれていた。それによって生き生きした彼らの実物に触れ、そこに語りかける神や天使の言葉を実際に自分が受け取っているように感じて、傲慢を砕かれ、神に聴き従う力を与えられる。こうした恵みの彫像をまずダンテは見ることを与えられ、そのあとで傲慢の罪のために裁きを受け、罰を受けた例が、こんどは道の表面に刻み込まれているのを知った。
 私たちの歩みにおいても、神はまず恵みを与え、次いでその恵みを心して受けないときには、苦しみを訓練として与えるということが思い起こされる。しかし、私たちはその恵みにあまりにも気付かないのである。ちょうどアダムとエバが周囲一面、よき果物などが満ちていた楽園であったのにその大きな恵みに深く気付くことなく、簡単に神の言葉に背を向けてその楽園から追放されたように。
 このような神の前に砕かれて低くされた人たちの彫像を見つめていたとき、ダンテは導きの師であるウェルギリウスから、うながされて気付いたのは、その道を近づいてくる人たちであった。それは神の前での高ぶりを罰せられている人たちの姿であった。彼らは重い石をになわされ体を地面にまで折り曲げて歩いているのである。神の前にへりくだろうとしなかったがゆえに、その全身がいやおうなく重荷を背負わされ曲げられていたのであった。
 しかし、このような苦しい罰であっても、彼らには必ずよき未来があった。苦しむことは地獄においてもあった。その根本的な違いは何であったか。それは地獄の苦しみは終わりなき苦しみであり、滅びの苦しみであった。しかし、煉獄の苦しみは救いの希望を伴った苦しみなのである。
 このことは、使徒パウロが、次のように述べていることに通じるものがある。

… 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。(Ⅱコリント七・10

 この第一の環状の道の表面に第一に描かれていたのは、どの天使よりも上にある天使として造られたにもかかわらず、傲慢のゆえに、稲妻のように天から落ちていった天使であった。そのことは福音書に次のように記されている。このようなことを主イエスは目には見えない世界を見抜く力によって見た。

…彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。」(ルカ一〇・18

このようなおよそ我々の通常の生活とはかけ離れたようなことは、自分とは関係のない記事だと軽く考えがちである。しかしダンテはこの主イエスのひと言のなかに、神の前の高ぶりが受ける裁きを劇的に表現しているものと受け取っていた。そしてこれは実際ダンテ自身の霊的体験であっただろう。どんなに能力があっても、またそれまで宗教的に生きてきたとしても、それがもとで気をゆるめるとたちまち人間は高ぶって自分の力を誇るようになってしまう。あるいは、神の罰などない、と道に反することをしてしまう。神の罰などない、というように思い込むことは神の力の上に自分の判断や想像を置くことであって、非常な高慢だということになる。
こうした神のさばきをないがしろにする高慢のゆえに、ダビデは大きな罪に陥り、たちまち神の選んだ王、類まれな武将、また詩人、音楽家といった多様な栄光ある地位から、たちまち引き下ろされ、子供同士が殺し合うような悲惨な状況となり、さらに自分も息子に殺されそうになって逃げ回るという事態になった。これは、天使として上に立つ存在であったのに、その高慢さのために天から一瞬にして落とされていったということに通じるものがある。
神の力は絶大である。徐々に落ちていくのでなく、一瞬にして落ちてしまうのである。いまどんなに神の正義や裁きをあなどり、無視する高慢な力がはびこっていても、時至ればたちまちそうした力は落ちていくのである。
その他さまざまの古代ギリシャの人々が伝えてきた高慢が罰せられる例や、最初のイスラエルの王であったサウル王が神に従おうとせず、自分の考えでことをすすめていこうとしたために罰せられ、敵軍によって死んでいくなどの聖書の例が描かれているのであった。
聖書だけでなく、ギリシャ神話にあるようなこともここに出てくる。それは、高慢ということへの罰は、いつどのような場所であっても生じるのだということを示そうとしているのである。
 そして最後に描かれていたのは、大きな都市トロイア(ホメロスの叙事詩によって有名な都市)が、その高ぶりによって罰せられ、灰塵に帰したことがあげられている。それは、真実で永遠の神、万能の神がおられるのにそれを無視したどんな繁栄も、高い地位や権力も、時がくれば必ずこのように滅び去っていくということを確証することとしてあげられている。
このような、神の裁きを受けた実例が次々と描かれている。それを見て浄めを受けていく。
 この道の表面に描かれた絵もまた、驚くべきすばらしいものであった。そのすばらしさについてつぎのように記している。

…画筆にせよ、もしくは彫刻刀にせよ、そもいかなる巨匠であったのか、どのような霊妙な天才をも驚嘆させるあの形と線の描き手はいったい誰なのか。死人は死人に、生きている人は生きているかとあやしむほどだ。見をかがめて歩く間、私は道の表面に刻み込まれた彫像を踏んで歩いたが、それは、その事実を目の前に見るよりもさらに真に迫っていた。(第十二歌6469
 
 すでにこの第一の環状の道にたどりついたとき最初に目についたのは、崖の大理石の面に刻まれた彫像であったが、それについてもダンテはいかなる大芸術家や自然すらも恥じ入るほどであり、あたかもそこから声が聞こえるほどであったと書いている。そして地面に彫刻されたものもまた、生きているもののように鮮やかに迫ってきたという。
 ここには、ダンテが芸術の究極的なすがたはここにあると言おうとしているのが感じられる。神が彫刻した像は自然すらも恥じ入るほどといった表現は、もし人が神のそのままの力を与えられるなら、芸術に非常な力を与え、人間の魂を深く揺り動かす力を持っていると言おうとしているのである。たしかに、単に、リンゴやぶどうなどの果物を皿に盛っているのを見ても何とも感じない人であっても、それが名匠の手による絵画とされたとたんに、心を引きつけ、なにかが心で燃えるような気持になることがある。自然のままの音になれきった人であっても、それらから霊感を与えられたものを音楽にすると、大きな力を受ける人たちも多い。ふつうの日常生活には何の感動もないが、それをもとにした俳句や短歌、あるいは詩文となると、とたんに人の心に留まって何らかの働きを始めるということがある。
現代の多くの人たちはこのような神の裁きを受けている例をみたところで、何とも思わないという人が多くいるであろう。
しかし、神を信じ、神に導かれている人にとっては、神による裁きの実際を思い起こすことは重要なことになる。すべてを支配している神などいない、この世に永遠に変わらない正義や真実などない、金が第一だとか、自分が偉いのだとか自分の力で成し遂げたのだ…等々、高慢というのは、たんに言動が高ぶっているというのでなく、その心に目には見えない万能の存在を認めようとしないで人間の力、自分の力を第一とする心、罪などないというような心の動きなどをすべて含んでいる。
そのような意味における高慢は、しばしば目に見えるかたちでその裁きを現すようになる。その言動や表情、目の感じ、さらに言葉の声の質などにもその高慢さはおのずから現れてくる。それは実に不思議なことである。目に見える人間の表情や目、声を出す声帯などはからだを造っているタンパク質などが素材であり、それらの物質的な形成が、その人の心の状態に従って影響を受けていくということなのである。
神の前での高慢が必ず罰せられるということを、さまざまの方面からの具体的な画像で見つつ、煉獄の山の環状になった道を心を引き締めて歩んでいたダンテと導いている先生(ローマの大詩人ウェルギリウス)たちは、煉獄の山を登っていくのであるが、環状になった道が、層状にあるという設定になっている。そして山の低いところから七つの環状の道が頂上までにつけられている。より高い環状の道へと登るには、その登り道がとても細くて見付けられないほどになっている。その点でこの煉獄の山の登りは、ふつうの山道の登りと全くことなっている。
私たちが、浄められつつこの世を歩むときも、同様である。より高きを目指して歩むのでなく、同じところをぐるぐるまわるだけなら、導きも不要である。しかし、より高きへと登るためには必ず導きが必要となる。ダンテとウェルギリウスもいずれも歴史に残る稀な大詩人であり、広く深く人間精神の世界に通じている人であった。にもかかわらず、煉獄の山においては、より上の環状の道へと登るのはどうしたらよいか見つからないのである。
そのとき現れたのが、天使であった。このときの描写は光に満ちたものである。(少しでも、ダンテの描写をより正確に受け取るために、次に、岩波文庫の文語訳、英語の韻文訳とイタリア語の原文を掲げる)

美しきもの こなたに来れり、
その衣は白く、顔はさながら
瞬く朝の星のごとし

Toward us, dressed in white,and with a face
serenely tremulous as in Morning Star,
the glorioua being came,radient with Grace.
Tr.by John Ciardi :NEW AMERICAN LIBRARY

A noivenia la creaturabella,
biancovestito e nellafacciaquale
par tremolandomattutinastella.

 この天使の導きがなければ、最初の環状の道から、その上の環状の道へと登る道が見付けることができないのであった。ダンテを導くために現れた天使は美しく、汚れなき純白の衣、それは、神とキリストにふさわしいもので、神によって清められていることを示す。さらに、明けの明星のごとき強い光にまたたく顔なのであった。
 この汚れた世界、さまざまの醜い人間的なものの満ちたこの世、罪の汚れに覆われ、闇にさまようこの世界にありながら、そのただなかにこのような御使いが現れるということ、それはダンテ自身の霊的な経験であったであろう。
 私たちを本当により高きへと導くものは、学問でも、生まれつきの才能、あるいは多くの知識や経験ですらない。このように天の高みから送られてきた天的な存在なのである。使徒パウロは学問や生まれつきの才能はゆたかに恵まれていた。しかし、そうしたものをもってしてもキリストの真理の世界へは一歩も登ることはできなかった。彼をキリストの霊的高みへと引き上げたのは、まさにこの天使で象徴的に示されているような罪なき存在、光に満ちた存在―キリストご自身なのであった。
 夜空に輝く星、ときにまだ暗いときから目の覚めるような強い輝きを持っている明けの明星(金星)こそは、私たちに現れる御使いをよく表している。そのような存在が何らかのかたちで現れるということ、それこそ大いなる奇跡である。
 ダンテもその霊的世界における奇跡を体験したゆえに、この神曲に証ししているのであろう。
 その天使は、翼をひろげ、言った。
「来れ、階段はこの近くにある。
これから先は登るのはたやすくなる。
この招きに応じて来る者は、非常に少ない。
ああ、人間よ、上に高く飛ぶために生まれてきたのに、
なぜほんのわずかの風で墜ちていくのか」(第十二歌9196行)

ここでも再び、このより高きへと登る道への招きに応じて来るものがきわめて少ないことが天使の言葉として記されている。高く神のみもとへと飛び翔るために生まれているのに、わずかのこの世の風で墜ちていくことを嘆いている。
私たちの日常経験することが、このように印象的に表現されている。
その天使は、ダンテたちを導き、岩のえぐられた細いすきまのような道のところに連れて行った。そしてその翼をもってダンテの顔をはたいた上で、上の環状の道へと通じる険しい絶壁に岩を縫って階段の道がついていたところに導いた。左右の突き出した岩が体をかすめるほどに狭く、登りにくい危険な道であった。 しかし、そのような狭き道へと踏み入れたとき、突然、讃美の歌声が響いてきた。

…その声のうるわしさ、語り伝えるべき言葉もないほどであった。
ああ、これらの道が、地獄の道といかにはなはだしく違っていることか!
地獄への入り口では、恐ろしい嘆きや叫び声とともに入ったが、
ここでは、歌声とともに入るのだ。(煉獄篇第十二歌112行~114行)

その讃美とは、「幸いなるかな、霊(心)において貧しき者たちは!」という、新約聖書の最初に現れるキリストの祝福の約束の言葉であった。神の前における高慢とは、この霊において心貧しき状態とは正反対の心である。その高慢さが罰せられ、その受けた苦しみによって浄められるとき初めて人は、この幸いなるかな!という言葉をわがものとして聞くことができる。
真実な存在たる神に逆らい続けた魂は闇において苦しまねばならない。しかし、同じ苦しみであっても、地上の命あるときに悔い改めて神を信じるに至ったものは、同じ苦しみを受ける歩みにおいても、このような清い讃美の歌で迎えられるのである。
ダンテは、このように絵画的、彫刻的なものの深い意味をもこの煉獄において示しているとともに、音楽、とくに神への讃美の持つ輝かしい意味をも随所で散りばめている。
キリスト教の長い歴史において、絵画や讃美、あるいは讃美のもとになった神を讃美する詩などは、たしかに苦しいこの世の歩みを軽やかにし、私たちの霊的前進と高みへの登りを迎えるよろこばしい働きをしてきたのである。
そのときダンテはその聖なる階段を登って行ったが、そのときすでに歩き終わった第一の環状の道を歩いていたときよりずっと軽やかに進んでいけるのを感じた。それは以前、煉獄の門を入るときに額に記された七つの Pの文字(peccatum 罪という言葉の頭文字)のひとつが消されているのが分かった。消えた罪とは、高慢の罪であった。神を認めようとせず、神の正義や真実などを存在しないとみなし、人間的なものを第一とする高ぶりこそ、罪の根源である。それゆえその根源的な罪が除かれたゆえに、ほかの罪の重さも自然に軽くなって感じられるということであった。
 私たちにおいてもこうした意味の高ぶりが砕かれ、魂の深いところにおいて神のみに頼ろうとする心貧しきものとなるとき、この世の歩みは一段と軽くされる。そのことはキリスト者となった人たちはすべて程度の多少はあっても実感しているのである。
 天の国への歩みを内容とする点においては共通している、バンヤンの「天路歴程」という作品においても、重荷を背負って歩いてきた旅人が、キリストの十字架のところまできたとき、その重荷が落ちてそれ以後ずっと軽くなって歩みを続けるということが書いてある。
 私たちのこの世における神の国を目指す歩みをダンテはさまざまの描写によって描き出し、私たちをこの旅路をともに歩むようにと招いているのであって、この煉獄篇は神の厳しさと他方では神の愛が並行して織りなされた作品となっている。

 


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302)天の下には幸福で満たされた者などほとんどいない。悲しみや不安がどこからでも追いかけてくる。
おそらく皆さんの働きは、いつの日か、悩み疲れた者がしばしの休息と清涼剤を得る泉となるかもしれない。」
*
「私ではなく―あそこから、天から、すべてがもたらされるのだ」**
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*)オラトリオ「天地創造」を演奏するために集まった演奏家たちに向かって言ったハイドンの言葉。
**)ハイドンの死の前年に最後に参加した彼の作品「天地創造」の演奏会で、終わったときの聴衆からの大きな拍手に対して、彼は天に向かって両手をあげて述べた言葉。いずれも「大作曲家の信仰と音楽」教文館発行 4145頁より。
オラトリオとは、キリスト教の音楽劇。宗教的音楽劇の呼称。イタリア語で小礼拝堂とか、祈り場などを意味する。ラテン語の オーラーレ
orare(語る、祈る、願う)が語源。
・ハイドンは明るいキリスト教音楽をたくさん作曲したが、家庭的には恵まれなかった。ここで言われている悲しみや苦しみとはそうしたことも背景にあると思われるが、彼は音楽が、そのような人たちの安らぎとなるようにと願っていたことがうかがえるし、自分の作曲した音楽も最後まで神から贈られたのだと実感していたのが分かる。

303)キリストの寛大さは何と驚嘆すべきことか。
すこししか良いことを行わなかった者にも多く与えるばかりでなく、また彼を、"あふれる大水のように" その豊さにおいて守り、前進させるのである。(「アシジのフランシスコの第二伝記」41頁あかし書房刊)

・これと似たことはキリスト者となった人たちの誰もが実感するところであろう。良いことどころか罪深いものなのに、それを赦し、また心の平和というほかに代えがたいよきものを与えられてきたという実感である。 少ししか良いことを行わなかった者、そればかりか、まったく良いことを行わなかった放蕩息子にすら、ただ悔い改めたというだけで、最大のよきものを与えられるというたとえが主イエスによって語られた。

304)…キロンは呻きをあげてパウロの前にひざまづき、手で顔をおおって動かずにいた。
パウロは星の方に顔をあげて祈りはじめた。
「主よ、あなたの御前のこのみじめな者、その悲しみ、悩みと涙をごらん下さい。我々のために血をお流しになった恵みの神よ、あなたの苦しみによって、死と復活によってこの者をお赦しください。」
それから沈黙し、なお長い間星を見つめて祈っていた。(「クォ・ヴァディス」下巻237頁 岩波文庫)

・キロンとは、恩人グラウコスを裏切り、それだけでなくその妻と子を奪い、暗殺者をけしかけたばかりでなく、そのすべてをキリストの名によって赦してもらいながら、なお、さらにグラウコスを迫害者の手に渡したという悪魔につかれたような男である。しかし、彼は最後になってその深く重い罪を悔い改めるに至った。
パウロがそのようなキロンに対して心を込めて祈ったが、その祈りは夜空にまたたく星を見つめつつなされた。星は神の永遠の光を象徴するものゆえ、星を見つめて神に祈るとき、いっそう私たちの祈りも引き上げられる。

 


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○宵の明星
去年の十月下旬ころから、夕方の西空に輝き始めていた金星は、その後も強い輝きを増しつつ十一月下旬には、木星と上下に並び、さらに三日月もすぐ側に並んで輝くという、今後相当長い間は起こらないと思われる珍しい現象が見られました。
金星は、宵の明星としてまだ二月中は夕方に見られます。そして五月中旬になれば、午前四時過ぎには明けの明星としてその強い輝きが見えるようになります。
 木星と金星が次に接近して見えるのは、二〇一二年三月一四日、さらにその次は二〇一五年六月三十日にこの二つの明るい星が近づいて見えます。そのうち、後者の時には木星と金星は重なり合うほどになります。それ以後は二〇一九年にも、この二つは近づきますが、いずれの場合も、月は見えないか遠くにあって今回のような三つの天体がすぐ近くに見えるということはないのです。
聖書にはキリストが明けの明星として記され、ダンテ神曲にも、地獄篇、煉獄篇、天国篇のそれぞれの歌の、原文のイタリア語では、最後の言葉がいずれも星(ステレ stelle)(*)という言葉で終わっているということなど、星はいろいろな箇所に現れます。
*)単数は stella。なお、語源的には、英語のstar ドイツ語のシュテルン Stern 、ギリシャ語のアステール aster、アストロン astron などと関連している。
これも、ダンテが特別に星に強い関心があったことを示していること、地獄にても煉獄にても、また天国にても、私たちが見つめることができるもの、また見つめるべき究極的なものは星に象徴されているキリストであると言おうとしているのがわかります。


○クヌギの落葉
落葉樹であっても、冬になってようやく葉を落とす樹木があります。それは、クヌギやコナラ、クリなどです。ほかの多くの落葉樹は冬になるころまでに葉が色づき、落ちていきます。しかし、クヌギは十二月になってもほとんど葉が残り、後半になってようやくいっせいに落ち始めます。毎日ひとつふたつと褐色に色づいた葉がひらひらと落ちていき、わが家に至る道は、この頃クヌギの葉で敷きつめられた味わい深い道になります。一本のかなり大きいクヌギの木があるからです。
それでも、まだコナラは葉を落とさず、クヌギが葉をほとんど落としてしまうころ、一月が近づくころに落ち始めます。このように、同じブナ科の樹木であっても、異なる落ち方で、一つ一つの樹木のあらゆる点において、それぞれの個性があるのを感じるし、落ちていく葉の一つ一つの落ち方、また道に落ちた葉のひとつひとつがまた姿や形が異なるもので、それぞれに神のお心が込められたなにかを感じさせられるのです。

 


リストボタン編集だより

○十二月の「今日のみ言葉」にあった「主はすべて」のみ言葉と美しい砂丘の写真に、大きな神様の御愛に包まれていることを感じます。マルコ福音書などにあるように、多くの貧しい人たち、病める者たちがイエス様のもとに引き寄せられいやされていく様に触れて、私も大きくあいた風穴が少しずついやされていく御恵みを感謝しております。…(関東地方の方)

○集会に出かけていかない私たちのために、綱野さんを通して「天宝堂便り」とともに「いのちの水」誌や「今日のみ言葉」などを送られていますことをありがとうございます。集会の皆さまの暖かいお心遣いで読ませていただいていることを、感謝しています。十月の「今日のみ言葉」にあった「主を前に」は、書かれていること、すべてが本当にそうだとつくづく思い、心にしみ入りました。(四国の方)

○私は以前、誌名が「はこ舟」から、「いのちの水」になりましたとき、何か「はこ舟」という名の方が、真理の言葉が舟に盛られて送られてくるようで、いいように思いましたが、今は、かけがえのない、「いのちの水」に、本当に渇いた心身、魂をうるおされております。
旧約聖書の言葉を、折々に原書からひもといて下さいますこと、十月号の「忍耐と慰めの神」では、「忍耐」と「希望」という二つの言葉が、ギリシャ語訳の旧約聖書では共にヒュポモネーというギリシャ語であらわされることがあるのを知り、聖書の言葉の示す深い意味が、心のなかに刻み込まれました。
十一月号では、「真理の力」という文に、真理は水面に落ちて広がる波紋のように、二千年の歴史を通して、現在に続いておりますことを大切に受けました。
私たちも、受けましたその真理を、小さな小さな波紋でも、広げていくことができますように…。
「今日のみ言葉」「野草と樹木たち」も楽しみに、拝見しております。ときどき体調などで開かないことがありますが…。十二月の「今日のみ言葉」と、鳥取砂丘のハマゴウの写真にも、とても思いを深め、魅せられています。(関東地方の方)

○…十二月号の文の中で、ろう教育者「高橋 潔」についてお書きになった記事により、初めて、日本の聴覚障害者のこと、手話について知ることができました。私はうかつにも、聴覚障害者や手話についてはほとんど知りませんでした。吉村さんが熱心にろうあ者の教育に取り組んでおられた理由が初めて分かりました。(四国の方)

 


リストボタンお知らせ

○「野の花」文集
文集「野の花」は、毎年一度一月に発行している文集です。県内外のいろいろな方々による投稿が含まれています。 これはキリスト者として、単に特定のキリスト集会だけの文集でなく、いろいろな人が文によって出会い、交流できるように、またそれが証しとなって、まだ信仰を持たない方にキリスト教信仰の証しとなり、伝道となり、さらにすでにキリスト者となっている人においてはその人の信仰を強めるような働きをすることを願って編集しています。
余分を希望する方は、一冊協力費二百円(送料共)で複数冊をお送りすることができますので、吉村 孝雄までメール、電話、ファックス、あるいはハガキなどで申込ください。

○本の紹介
「回顧七〇年 わが恵みなんじに足れり」有賀 慶治著
これは、長野県上伊那地方の信仰に生きた人の記録です。 二、三歳のころ重い熱病にかかってそのために、「以後七〇年は麻痺した右足を友としてすごしてきた」とあります。晩年になってうながされてこの自伝を証しのために書いたとのこと、主にある素朴な書き方によって生きた主の導きが心に入ってきます。弱いところに主の力が注がれた実例がここにもあります。

○ダンテ著「神曲」
今月号に、ダンテの神曲・煉獄篇の内容の一部を不十分ですが書きました。「神曲」は、次の三つの版で購入できます。
①神曲 河出書房新社 平川祐弘訳 三九九〇円
②神曲 集英社文庫 寿岳文章訳 各一〇〇〇円
③神曲 岩波文庫 山川丙三郎訳 上・中・下各700円~800

なお、その他に一九二九年発行の生田長江訳(新潮社版)、一九四八年発行の竹友藻風訳(創元社)、中山昌樹訳(矢内原忠雄の土曜学校講義のなかのテキスト)、野上素一訳(一九六二年筑摩書房 世界文学体系)なども必要に応じて参照しています。私はこれらは数十年前にいろいろな古書店などを調べて購入してきたものですが、現在でもこれらはインターネットなどで入手できる場合があります。
さらに、原文テキストや、英語訳、注解などを希望する場合には、いろいろ発行されていますが、煉獄篇について言えば、次を紹介しておきます。アマゾンから購入可能です。一と二はイタリア語原文と英語訳の対訳と注解がついており、三は、原文、翻訳の部と、注解が別になっています。英語を学んだ人も多いので、余裕のある人には、こうした人類の古典をなるべく詳しく外国の注解などでも学んでほしいので書きました。

The Divine Comedy of Dante Alighieri:Purgatorio / Robert M. DurlingRobert Turner Ronald L. Martinez 二〇〇三年初版 七〇四頁(Oxford University Press

The Divine Comedy of Dante Alighieri: Purgatorio (Galaxy Books)Oxford University Press) 四四六頁。 これは、一九三九年初版のもので、訳と注解は John D.Sinclair 私はこの書で多くの示唆を与えられてきました。

Purgatorio (Divine Comedy Vol.2) Dante AlighieriPrinceton University Press)八五〇頁