信仰によってあなた方の心の内にキリストを住まわせ、
あなた方を愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように。


(エペソ三・11



2009年3月 577号・内容・もくじ

リストボタン春のいのち

リストボタン天来の賛美

リストボタン待ち続けることの意味

リストボタン驚くべき助け リストボタンイエスのまなざしを受けるとき リストボタン第三の天にまで
リストボタン社会問題と信仰の問題 リストボタン弱きところに神の力―岩橋武夫 リストボタン詩の世界から-ブラウニング
リストボタンことば リストボタンお知らせ


リストボタン春のいのち

私たちには春は寒さがようやく終わって暖かい日々がくること、そして草木は芽生え、花は咲き、さまざまの生き物が動き出す季節として感じられる。
しかし、熱帯の国がある。いつも三〇度もの気温であり、周囲の草木にも変化はない。また、砂漠地帯ではうるおいある変化をもたらす植物もごくわずかであるし、北極に近い寒帯では植物もほとんど見られないほど単調な光景である。
そのようなところでなくとも、一年中施設や病院で寝たきりの状態に置かれている人たちにおいては、そのような動きのある初々しい春の変化は感じ取ることはできない。
しかし、そのような状況にあってもなお、新しい芽吹きや温かさを感じるようにと神は聖なる風(聖霊)を吹かせ、いのちの水を信じるものに与えるようにされた。
聖霊の風そよぐとき、変化のない生活を強いられた心にも新たな芽生えがあり、そこに希望の緑は育ち、いのちの水によってそれらは花を咲かせるようになる。
太陽の光をも受けることのできない部屋に寝たきりの人であっても、また全盲の人たちのように、この世の太陽の光を見ることのできない人たちにも、なお、あたらしい光、霊的な太陽であるキリストと神の光を受けることができる道を開いてくださった。
砂漠に水を流し、花を咲かせる神は、春を知らなかった魂にも永遠に終わることのない魂の春を与えて下さるのである。

リストボタン天来の賛美

早朝、おきると小鳥のさえずりが耳にはいってきた。すぐ家の外に出た。かつてない近いところで主の日(日曜日)ゆえの静けさのなかをひたすら歌っていた。
それはホオジロであった。小さな子どものときからこのさえずりは親しんできたし、今もしばしば耳にする。
しかし、この朝は違っていた。驚かせないようにと静かに近づいて行った。ちょうど手前に木があったために、わずか四~五メートルという距離まで近づいてもホオジロは私に気付かず、歌い続けていた。
そこでずっとそのさえずりに耳を傾けることができた。ふだんはこのような低い樹木にやってきたことはなく、いつも高い樹木の梢にてさえずるのであった。
この鳥はもう五〇年も前からよく知っていたが、こんなに近くでしかも一〇分以上もずっとさえずりを聞いたのは初めてのことであった。それは今もなお耳に残っている。私の心に天の世界の賛美を聞かせてくれるために、使わされた天使であった。
高名なソプラノ歌手の歌よりも、私にはこのホオジロの歌声がはるかに心奥深くに流れ込んできた。
これはまさに神の国の賛美であった。いかなる混じり気もなく、聞かせようという心も名誉心もなく、ただひたすら神の創造されたままの声で早朝の大気に浸透していくこの歌声、それは人間にはいかにしても真似ることのできない賛美であった。
この朝のように、至近距離で神の賛美を聞き続けることが与えられることは今後も二度とないであろうが、その澄みきった響きは私の心から消えることがないだろう。

ここも神のみくになれば、
鳥の音、花の香 主をばたたえ、
あさ日、ゆう日 栄えにはえて、
そよ吹く風さえ 神をかたる。(讃美歌九〇番)

 


リストボタン待ち続けることの意味

私たちはだれでも何かを待っている。待ち続けている。難しい問題を抱えている人は、その解決がいつ終わるのかと待ち続けるし、病気に苦しめられている人はいつ治るのか、痛みや苦しみが軽減されるのかと待ち続ける。そして入学、就職等々さまざまのこの世の生活において、いつも私たちはそれらのよりよき状況への変化を待ち続けている。
老齢で病気や孤独に苦しむ人は、この世の命が終わることを待ち続ける人も多くなるだろう。
待つことができない、ということからさまざまのより大きな困難が生じてくることもある。
唯一の神、天地創造をされた神のみを拝するということは、聖書の世界では根本的に重要なこととなっている。キリスト教やユダヤ教だけでなく、旧約聖書から分かれた宗教といえるイスラム教においてもこのことは共通している。この唯一の神以外のものを神とすることは偶像崇拝といわれて一貫して厳しく退けられている。キリスト教をはじめ、ユダヤ、イスラムという聖書を全面的にあるいは部分的に教典とした宗教が現在では世界の圧倒的部分を覆っている。それほど世界的にみれば、偶像崇拝はまちがったことであるということは共通した認識となっていると言えよう。
その偶像崇拝の最初の記事は、この出エジプト記の三二章なのである。しかもそれは、モーセが永遠の戒めとしての十の基本的な神の言葉(十戒)を受け取っているときに起こったと記されている。
モーセが神の言葉を受けるために、人々から離れてシナイ山に登った。シナイ山は、二三〇〇メートルほどもある高い山であり、頂上まで上るだけでもかなりの時間を要する。そこでモーセは神の言葉を受けるために留まった。そのとき、人々は、モーセの帰りが遅いので、モーセの兄弟であるアロンのところに行って、自分たちを導いてくれる神々を造って欲しいと要求した。
モーセによって数々の奇跡を見せられ、神の万能の驚くべきわざを繰り返し人々は経験してきたはずであるにもかかわらず、人々はいとも簡単に唯一の神以外のものを神々として求めている。そしてアロンはモーセを助けてエジプトから脱出してきたにもかかわらず、彼も簡単に人々の要求を受けいれて彼らがもっていた金の装飾物を集めて牛の像を造り、人々はそれを自分たちの神だといって受けいれた。
そしてアロンや人々はその牛に対して神に対してするように、祭壇を造り、捧げ物をささげた。このことはあとで、神からの厳しい裁きを受けることになり、多くの人が滅ぼされることになった。
偶像崇拝の最初の明確な記事、しかもすべての民が押し流されて、それまでの唯一の神の奇跡的な助けを数多く受けてきたにもかかわらず、いとも簡単にその神を捨てて、別の像を造ってそれを神としてあがめるという、考えられないような大きな罪を犯したのであった。
その原因が、金を欲しがるとか病気いやしのためとかでなく、あるいは敵の攻撃が迫ってくるために目に見える偶像を求めたとかいったことでなく、単にモーセの帰りが遅い、待ちきれないということから、偶像を造ってそれをあがめるということになっている。
このように、待つことができないということにも、いろいろあるが、聖書において重要な問題となっているのが、神の言葉を待ちきれないということである。
さまざまの悪しきことは、たいていこのことが関わっている。聖書の最初にあらわれるアダムとエバの記述はさまざまの意味で人間のことを象徴的に示している。サタンを暗示する蛇が、神から食べてはいけないと言われていた唯一の木の実を食べるように誘惑されたとき、もし、少し立ち止まって神からの語りかけを待っていたならば、楽園から追放されることはなかった。神が園を歩く足音が聞こえたと記されているように、神はすぐ近くにおられたのであって、その声を聴こうとする心があればすぐに答えをもらうことができたであろう。
エバは、全く神の言葉を忘れていたのでない。蛇の誘惑に対して「私たちは園の木の実を食べてもよい。しかし、園の中央の木の実は食べてはならない。」と言って、やや不正確ではあっても、一応神の言葉を思いだしていたのである。それに対して蛇はさらに、木の実を食べても決して死なない。かえって神のように目が開けるのだ、と言った。こうした重ねての誘惑を受けたとき、もし立ち止まって神の言葉を待っていたならば、状況は全く異なるものとなったであろう。
このように、人間は人の言葉、サタンの言葉を容易に受け取るけれども、神がおられることを知っていてもなお、神の言葉を待ち続けることができない弱い存在であるということが、聖書の最初から記されている。聖書とは要するにこのことを一貫して最初から最後まで語り続けているのである。
主イエスも、たとえのなかで、待ちきれない人間の罪をつぎのように話された。

…しかし、もしその僕が、主人の帰りがおそいと心の中で思い、男女の召使たちを打ちたたき、そして食べたり、飲んだりして酔いはじめるならば主人は、厳しく罰する。(ルカ十二・45
自分が見下されたとか、正しく評価されなかった、あるいは愛を注いだのに、報われなかった、無視されたなどから怒りや憎しみが生じることが多い。こうしたこともまた、神からの指示を待てないために、そうした怒りや憎しみの感情が生じてくる。静まって神を仰ぐこと、そして神からのまなざしと言葉を受けることによって私たちは自分の魂をも汚し、暗いものとするそうした感情にとらわれないですむ。
聖書で、「静まって、み言葉を待て」といわれているのはこうした理由からでもある。
待ちきれないところから、神ではないものを見つめ、それに頼っていく心が生まれる。神の言葉を待つとき、私たちはそうした神以外のものにまどわされたり、それに頼ることから守られると言えよう。
主イエスが最後の夕食をすませ、ゲツセマネの園で必死の祈りをささげていたとき、ユダの裏切りによってイエスを捕らえようとして剣や棒を持った人々が迫ってきた。それを見て、ペテロは剣を抜いて切りかかった。剣をもっていたのは弟子たちのうちで二人、しかも漁師や徴税人のような武装して戦うなどの経験もない人たちであったから、勝てるはずもない。そのようなことをすればたちまち殺されてしまうだろう。
この時、弟子たちは、イエスからの命令を待とうとせず、剣をもって切りかかった。もし主イエスがそれを止めて、耳を切られた者をいやすなどのことがなかったら、大勢の武器をもった兵士や群衆にたちまち殺されてしまっていただろう。彼らが剣や棒などの武器をもって来たのは、そのようなときに武力で制圧するためであったからである。
しかし、主イエスだけは神とともにあった。武力によっては新たな憎しみが生じて、武力による戦いが生じ、こうした考えでは最終的に双方が滅んでいく。イエスがとった方法は、神の力を全霊をあげて待ち望み、その力によってみずから捕らえられ、鞭打たれ、殺されていくという道であった。そのような困難な道を選び、通っていくための力を受けるために、ゲツセマネの園において血の汗の滴りを流すほどに祈られたのであった。
旧約聖書にも、神の言葉を待ちきれないために、自分の考えで事をしてしまって取返しのつかない事態となったことが記されている。それは、イエスより千年ほど昔、イスラエル最初の王の時代である。
初めての王となったサウル王は、預言者サムエルによって導かれる必要があった。預言者が七日間待つように、と命じてあったにもかかわらず、サウル王は、どこまでも待つことができず、七日経っても来ないので、神に捧げ物を捧げてしまった。しかし、それはサムエルがすることであって、サムエルが捧げ物を捧げてから、何をなすべきかについて、神の言葉をサウル王に告げることなのであった。サウルは七日間待った。そしてもう来ないと思って勝手に捧げてしまった。そのときちょうどサムエルが到着した。そしてサムエルからの言葉は、つぎのようであった。

…あなたは、愚かなことをした。神が与えた戒めを守っていれば、神はあなたの王としての支配権を確かなものとしただろうに。しかし、あなたの王権は失われる。(サムエル記上十三章814より)
王は、神が命じたことを守らず、待ちきれなくなり、サムエルを通して与えられる神の言葉を待とうとしなかったため、 イスラエル最初の王としてとくに選ばれたはずのサウル王が、祝福されず王の地位は失われることになった。その原因は聖書に二つ記されているが、そのうちの一つがここに引用したことである。
神の言葉を待とうとしないこと、待つには待ったが待ちきれなくて自分の考えで事を処理してしまったというようなことが、王権を失う原因となったのである。
現在の私たちにとっても、ここに記されたことは重要である。神を信じる者に与えられているのは、神の国である。主イエスは言われた。
「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。(ヨハネ十八・36
主イエスを信じる者たちは、ここで言われているイエスの国、すなわち神の国をすでに地上にあるときから部分的であるにせよ与えられている。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイ五・3)と言われている通りである。
この神の国もまた、サウル王がみ言葉に聞かなかったために、失ったように、私たちもみ言葉を待ち続け、それを第一に重要なものとして聴こうとしなかったら失ってしまう。
私たちは、日常の生活において、神の言葉を待ってから行動したり、言葉を出したりしているだろうか。自分の一時的な気持や考え、あるいは他人の言うことによって行動していることが実に多い。
私たちに力がないのは、サウル王が神からの指図を受けなかったために王の資格を失ったように、神に聴く姿勢をもっていないからだと言える。神(真理)に従えば力があると言われるように、神の指図やうながしを待ち続けること、その姿勢がある限り、神は必ず御旨にかなった時に、私たちに進むべき道を示し、同時にその道を歩んでいく力をも与えられるであろう。

…私たちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理に従えば力がある。(Ⅱコリント十三・8

 


リストボタン驚くべき助け

この世には愛の神、真実な神などいない、と思わせるような出来事がたくさんある。そのため大多数の日本人は、そのような神の存在を信じていない。
しかし、ひとたび神によって示されたときには、どのような出来事があっても神はやはりおられるということを実感するようになる。また、それがはっきり分からないような事態にあっても、信じることができるようになる。
そのような神の存在は、私たちの魂に確かな励まし、慰めあるいは力となるゆえに、神がおられることを実感するのであって単に信じているだけではない。聖書の人物は、たしかに単にいるかどうかわからないものを信じているというのでなく、実際に語りかけ、その人のすべてを捨てて、神のことばに従っていく、という人が多く記されている。
私たちの心の最大の問題である、罪の問題、すなわちどうしても良き事を知っていながらそれができない、また悪しきことだと思いつつもはっきりと手を切れない、といったこと、それは表に出なくとも心の中で、誰しも感じていることである。
そのような罪を全くおかさないようにはできないゆえに、その罪を赦し、清めて下さるということは人間にとって最大の恵みだといえる。そのことを与えられたとき、確かに心は軽くなり、さわやかなものが心に感じられ、それが神がおられるという深い実感を与えてくれるものとなる。
そうした心の内の実感、体験で神の存在を知らされることの他に、私たちの実際の生活のなかでも、目に見えるかたちで神はおられる、ということを感じさせてくれることがある。
それは、神は生きてわたしたちを助けてくださる、ということである。
預言者エレミヤは、いまから二六〇〇年ほども昔の預言者である。彼ほど詳しく預言者自身の苦しみや悲しみ、あるいはその身にふりかかった迫害などが詳しく書かれている人は他にいない。
そのエレミヤが神から受けた言葉は、当時の王や王の側近や宗教家たち、おもだった人たちが考えることとは全く異なっていた。それは、ユダの国の混乱と崩壊は、唯一の神に心から仕えないことが原因である、ということであった。
ユダの王国が新バビロニア帝国の軍によって攻撃され、滅びようとしているのは、人々が神のご意志に背き、悪の道に入り込んでいるからであり、その根源は真実なる神を捨てて、神ならぬものを神としているからだと指摘した。そして彼らの積み重なる罪のゆえにバビロンの軍が攻撃しているのであり、それを切り抜ける唯一の道は、バビロニア帝国の支配に服することだと言った。
このような敵国に降伏せよという言動は、国民を動揺させるとして、憎まれることになった。

…役人たちは王に言った。「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」(エレミヤ書三八・4

王はこのような告発を受けて役人たちにどのようにしてもよいと答えた。彼らは、エレミヤを捕らえて井戸につり下ろした。そこには水がなくぬかるんだ泥があり、エレミヤはその泥のなかに沈んだ。
もしこのままであったら、エレミヤは死んでしまっていたであろう。当時は、カルデア軍(*)がユダの国に迫っているときであり、一般の住民においても食料もなくなってきた状態となっていた。

*)カルデアとは、ティグリス・ユーフラテス川の下流域で,バビロンとペルシヤ湾にはさまれた地域を指していたが、のちには、新バビロニア帝国全体をも指す言葉ともなった。その国の軍はカルデヤ軍と言われている。

そのような状況のもとで、だれもみていないような井戸の中に投げ込まれたとあっては、エレミヤにとっては死が目前に迫った状況となった。そのようなとき、意外な助け手が現れた。
それは、同胞のユダヤ人でなく、遠いエチオピア出身の宦官であった。彼は、王のところに直訴してエレミヤを助けてくれるようにと願ったのである。有力な役人たちが憎んで殺そうとしたエレミヤを助けようとすることは自分にも危害がふりかかってくる可能性が高い。それでもこのような思いがけない人物が起こされて神の言葉を担うエレミヤを助けるために行動したのである。
王は、その嘆願の切実な態度、自分を犠牲にしてでもエレミヤを助けようとするその必死な思いのあふれる宦官に動かされ、すでに役人にエレミヤを死刑にしてもよいとまで許可をしていたのであったが、ひるがえしてエレミヤを助けよと命じることになった。
このようにいわば綱渡りのような状況を経て、エレミヤは助け出されたのである。
こうした意外な助けは、ほかにもいろいろと記されている。
モーセに導かれた民が、モーセの後継者であるヨシュアに導かれることになった。神から約束されたカナンの土地にはいっていくとき、警戒の厳しい状況のなかで、ヨシュアはその入口にある町エリコを調べるために二人の偵察者を送り出した。その二人は、土地の人に気付かれないために監視の眼が厳しくないと思われる、ラハブという遊女の家に泊まった。しかしすぐにそれは土地の人に気付かれて、王からの追手が二人を捕らえようとしてきた。カナンに入ろうとするその出発点において、こうした危険が迫り、そのまま助けがなかったら、彼らはたちまち捕らえられてしまったであろう。
そのとき、意外にもその遊女が二人の偵察者を命がけで助けたのである。遊女とはどのような時代であっても見下され、汚れた者とみなされているが、そのような女が危機に陥った神の民の偵察者を助け、それが、イスラエルの民が目的の地に入る重要な助けともなったのであった。その遊女は、驚くべきことであるが、イスラエルの民が信じている神こそは、唯一の神であり、その神に結びつくことこそ祝福の源であることをはやくも見抜いていたのであった。
この遊女ラハブは神の民の一員となり、そのラハブの子どもがボアズといい、そのボアズの妻がルツ記のルツであった。さらにそのルツの曾孫としてダビデが生まれ、その子孫からイエスが出た。これは、新約聖書の巻頭の書、マタイ福音書の系図に掲載されていて、神は遊女という見下された人間をも救い出し、イエスへとつながっていくようにされるのを示している。
そのことは、どのような人間であっても、神は清めて用いることができるということであり、万人の救いのためにキリストは来られたということをさし示すものとなっている。
使徒パウロも、殺されそうになる危機からまったく予想しない人によって助けられたことが記されている。

…夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。このたくらみに加わった者は、四十人以上もいた。
彼らは、祭司長たちや長老たちのところへ行って、こう言った。「わたしたちは、パウロを殺すまでは何も食べないと、固く誓いました。…わたしたちは、彼がここへ来る前に殺してしまう手はずを整えています。」
しかし、この陰謀はパウロの姉妹の子が聞き込み、兵営の中に入って来て、パウロに知らせた。
それで、パウロは百人隊長の一人を呼んで言った。「この若者を千人隊長のところへ連れて行ってください。何か知らせることがあるそうです。」
そこで百人隊長は、若者を千人隊長のもとに連れて行った。…千人隊長は、若者の手を取って人のいない所へ行き、「知らせたいこととは何か」と尋ねた。
若者は言った。「ユダヤ人たちは、彼らのうち四十人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです。」
そこで千人隊長は、「このことをわたしに知らせたとは、だれにも言うな」と命じて、若者を帰した。
千人隊長は百人隊長二人を呼び、「今夜九時カイサリアへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ」と言った。また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じた。…(使徒言行録二三章より)

このように、危ういところでパウロの甥がこのように、パウロが殺される寸前となっていることを知らせたために、ローマの軍団の長によってパウロは助けられたのである。彼の甥とはどのような人物なのか、使徒言行録でも、彼の書簡においても全く現れてこない。ただ、この命が奪われそうになったときだけ突然現れて、パウロの命を助けることになったのである。
このように、神は、だれも予想できないような仕方で、また予想もしない人物を重要なはたらきに用いることがある。
主イエスも十字架にかけられる最後の夜、ゲツセマネの園で全力を注いで祈った。弟子たちがみんな疲れて眠ってしまってもなお、血の汗のしたたりを落とすというほどに必死になって祈った。
その祈りこそは、霊の戦いであり、 その戦いに勝利したゆえに、十字架につけられて息を引き取るまで人間として最も厳しい道を最後まで歩み通されたのであった。
その生涯の最大の霊的な試練と戦いのときに、天使が現れて力付けたと記されている。
私自身も今までの人生において、幾度かたいへん困難な場面に直面したことがあった。まかりまちがえば、一身上で重大問題となるようなことにも遭遇したことがあった。そのときに、不思議な助けが現れたことが何度かある。それは三〇年以上も前のことであったが今もなおはっきりと思い起こすことができるし、その数年後にもやはり職場で以前から続いていた大きな問題に直面した。それは、到底放置することを許されないような問題であったから、私がそのことを明らかにしていく過程で大きな問題となり、全国紙にも報道されたことであった。そのときも全く意外な助け手が現れて、思いがけない方向へと導かれたのであった。さらにその後も今度は全く異なるやはり難しい問題に直面したが、そのときにも予想もしない人が現れて、道が開かれたことがあった。
そうした私自身の経験からしても、確かに神は生きて働いておられ、真剣に求める者には、思いがけない人や、出来事、あるいは書物などを通して助けが与えられる。多くの人は、この世は悪の力が支配しているか、あるいは偶然とか運命といったもので動いているのであって、神の助けなどないと思い込んでいる。しかし、それは実は大いなる誤りなのである。
神は二千年前にイエスを地上に送り、万人の罪を身代わりに負って十字架にかかられた。その後、復活して聖なる霊としてこの世界に生きて働く存在となった。その霊は生けるキリストと本質を同じくするものであり、風のごとくに思いのままに吹く。そしてその聖なる霊は、また思いのままに人間や書物や出来事を起こして私たちのところに助けとして、また裁きや警告として来られるのである。
主よ、憐れんで下さい! という単純な叫びと祈りは、そうした風のごとくにこの世に存在するイエスの霊を私たちのところに呼び寄せるはたらきをする。そしてその聖霊は、困難に追い詰められた者に新たな道を見出させ、また耐える力を与え、あるいは錯綜した問題を見抜く洞察をも与えて下さるであろう。
求めよ、そうすれば与えられる、という主イエスの約束はそうしたことも含んでいるのである。

 


リストボタンイエスのまなざしを受けるとき
― 三度の裏切りの後で(ルカ福音書二二・5462


イエスが捕らえられたとき、弟子たちはみな逃げ去った。そのうちペテロだけは、イエスが連れて行かれた大祭司の家にはいって行った。イエスにどのようなことが起こるのか、イエスを捨てて逃げ去ったことが心にかかり、一人引き返してイエスの後についていった。
そのときに、女中がペテロを見た、そしてじっと見つめて言った。「この人もイエスと一緒にいた」 ペテロはすぐに否定して「その人を知らない」と言ってしまった。さらに別の女中が「この人はナザレのイエスと一緒にいた」と言ったが、ペテロはやはり「そんな人は知らない」と言って否定してしまった。
女中とは、聖書の原語(ギリシャ語)では、パイディスケー paidiskh と言って、この語は、パイス (pais)「 若者」 という語から派生した語であり、 年若い女中、あるいは女奴隷である。すなわち、最も地位の低い、何の力もないようなものであった。そのような相手によっても、ペテロは簡単に敗北してしまったのである。少し前までは、命を捨ててでもイエスに従っていくという気持があり、また剣を抜いて相手に切りかかったのであり、実際にそうした気持があったことがうかがえる。しかし、その場合も、もしイエスがやめさせなくて、切り合いになっていたら、ヨハネ福音書によれば、兵士たちも加わっていたとあるから、多勢に無勢でありたちまち漁師あがりのペテロは殺されていただろう。
そのような強気は力なき若き女奴隷のような小さな者によって、打ち砕かれてしまった。
いかに人間の意志というのは弱いものであるか、一貫して持続することができないか、そして自分では思いもよらない嘘を言ったり、逃げたりする不真実な存在であることを知らされたのである。
これは、使徒パウロがその手紙で述べていることである。

…わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。
なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。
すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。…
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
(ローマ七・2024より)

ペテロにもイエスに従っていこうという意志はあった。しかし現実にはたくさんの人たちのうち最も地位の低いと思われるような若い女奴隷のような者に対してすら、イエスとの関わりを言うことができず、かえって激しくイエスとの関係を否定するという悪を行ってしまった。
ペテロは、女中が「あなたもイエスと一緒にいた」と言ったとき、少し前には、剣を持って大勢の武装した集団に切りかかったほどであったから、自分はイエスの弟子だ、イエスは罪なきお方だと、反論することができたはずである。しかし、それは心の動揺と混乱のなかでは恐れにのみこまれてしまった。
それはたしかにパウロが述べているように人間の内には善を行わせることを妨げる力、罪の力があることを示している。
そうしたすべてを見抜いていたのがイエスであった。イエスのまなざしは、単に非難する心ではなかった。すべての弱さと罪を見抜きつつ、しかもそこからの悔い改め、魂の方向転換を招くお心があった。
当時、人々から見下され、汚れているとされたザアカイにおいても同様であって、彼のそれまでの不正な生き方、金をたくわえたこと、ユダヤ人としてまちがった生き方であったことなどを非難せず、イエスのもとへと招くまなざしであった。(ルカ福音書19章)
また、放蕩息子においても、自分勝手な生き方をして、家族にも大きな迷惑をかけてきたにもかかわらず、そのことについてはひと言も触れることがなかった。遠くに遊びに出ていった息子をも心において見つめ続け、そして魂の方向を転換したときには全面的に受けいれた。
主イエスのこのまなざしは、神のお心そのものである。
ここには、人間の善き意志、しかし力のないこと、罪深いこと、またそれらすべてを見抜いておられるイエスのまなざし、そこから立ち返って神のもとへと招く愛のまなざしがある。そしてそれに応えるペテロの心がある。
激しく泣いた、それは自分がいかに大きい罪を犯したか、罪深い者であるかを思い知らされたことであった。しかし、この涙は、悔い改めに導く命を与えるものとなった。悲しむ者は幸いだ、という主イエスの言葉の成就となった。
イエスのまなざしには、正義と憐れみが深く同居していた。いかに人間は正しい道からはずれているか、それを明確に知らしめるためのまなざしでもあった。それを私たちが認識してはじめて、主イエスの愛の招きを受けいれることができる。
人間の心には、この二つが同居できず、いずれか一つにかたよってしまう。罪を犯した者を非難し、自分の正義を主張するだけになるか、人間的感情で憐れむだけになったりする。放蕩息子の兄は、非難するだけの眼しか持っていなかったたことが記されている。
イエスなど絶対に知らない、知りたくもない、という強い気持は、イエスの本質である愛や正義、真実に背を向けることであり、それがイエスを捕らえ、殺そうという心になっていく。イエスを十字架につけたのは、私たちの罪であると言われるのはそのような意味においてである。
主は、ある人の悔い改めがどこにその出発点があるかを見極められる。
人間が日々の生活で何を考えてなすべきか、主イエスは、私たちの最も基本的かつ、最終的な目標は「まず、神の国と神の正義を求めよ」であると言われた。この姿勢にすべてが含まれているからである。ほかの箇所で、主イエスは、「…『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい」(マタイ 九・13)と言われたように、神の国を求める心は、憐れみを求める心であり、苦しむ者を顧みようとしないのは、正義に反することでもある。
また、ヨハネ福音書四章にあるサマリアの女の記事も、正しい原点に立ち返ることの人生を示している。
当時、ユダヤ人たちは、すぐ北方にあるサマリア地方の人とは交際もしていなかった。偶像崇拝をしている民と混血しているゆえに汚れているとしていたからであった。
主イエスがたまたま出会った一人のサマリア女との井戸端の話しをしていたとき、その女はイエスを特別な人、メシアである可能性が高いと直感した。そしてイエスにいのちの水をいただきたいと願った。
しかし、主イエスは、その女が過去に罪深い生活をしてきたこと、五人も夫を変えてきたことを見抜いておられた。そしてその罪をはっきりと知ってそうした生き方がまちがったものであることを認識してはじめていのちの水は与えられることを示された。
(ヨハネ福音書四章)
自分が正義の原点から離れているということを知らない者、それを認めようとしないで、自分は正しいとあくまで思っているときには、その人は神の憐れみを受けることができないのである。
聖書に二人の金持ちの記事がある。
一人は金持ちであるが、永遠の命を受けたいと主イエスのもとにやってきた。そしてモーセの律法をすべて子どものときから実行してきたといった。その上に何をしたらいいのかと尋ねたのである。自分は正義にかなった道を歩いてきた、と考えていた。しかし、人間はそのようなものでなく、到底正しい道を歩き続けていくことはできないのであり、そのことを知らせるために、「あなたの全財産を貧しい人に与えよ」と実に厳しい言葉を言われた。それはそのような命令によってしかその人は自分の限界に気付かないと見抜いたからである。
しかし、同じ金持ちであっても、徴税人のザアカイには、そのような要求はしなかった。それはイエスをみたい、イエスと出会いたいという真剣な心を持っていたこと、また自分は正しいという意識がなかったからであろう。
このことは、十字架でイエスとともに処刑された一人の罪人も同じである。彼は、「我々は、自分のやったことの報いを受けているのでから、当然だ」とはっきり言っている。そしてその上で、イエスへの全面的な信仰、信頼があった。弟子たちすら、イエスが復活するということ信じられなかったのに、その罪人は、死を目前に控えたその十字架上で、「あなたの御国に行くときには、私を思いだして下さい!」と最期の苦しみのなかで祈り願ったのであった。
イエスのまなざし、それはこうした正義の原点に立ち返っているかどうかを見極め、その上で限りのない憐れみを注いで下さる。それがどんなに重い罪であり、人々が決して赦そうとしない罪であってもイエスだけは神の愛をもって赦される。
イエスのまなざしは、人間を正しい原点へと引き戻し、そこから罪を赦す愛をもって見つめるものである。
主イエスが捕らえられたときには、一睡もしていなかった。その夜は、弟子たちとともに最後の夕食をとり、そのあとゲツセマネの園に行って生涯のうちで最も真剣な苦しい祈りを長時間にわたって眠ることもせずにされた。弟子たちはみんな眠ってしまっていた。
そしてそのあとにイエスは逮捕され、連行されたのである。心身ともにすべてを注ぎだしての一夜であったために、疲れ果てていたであろう。それにもかかわらず、イエスは迷える羊への深い愛を注ぎ続けた。三度もイエスの弟子であることを否認するという背信行為をしてしまったペテロの魂の奥深くをも見つめ、その転落から引き上げようとされたのである。
十字架で処刑されたもう一人の罪人や祭司長、律法学者、長老たちは最後までイエスを罵り続け、「お前は他人を救った。自分を救えない」とあざけった。 確かに主イエスは、みずからを苦しみから解放しようとはあえてされなかった。かえってその苦しみを甘んじて受けられた。そして最後の最後まで他人の救いに心を注ぎだされた。もう十字架で激しい苦しみのあまり息絶え絶えになるようなときにあっても、なお、すぐ横で釘付けられている罪人を救いに入れられたのであった。
三年間、ペテロはイエスと共にいた。そして多くの教えを毎日受けてきた。また数々の奇跡を目の当たりにし、さらにイエスの祈りや生活がいかに通常の人間と異なるかをも深く知らされてきた。
しかし、それでもなお、ペテロの自我は打ち砕かれることがなかった。それは弟子たちの霊の目が眠っていたからである。イエスが捕らわれる少し前に、ゲツセマネの園においてイエスが真剣に祈るようにと命じておいたが、弟子たちはみんな眠り込んでしまっていた。イエスが直面する危機にあるにもかかわらず、すべての弟子たちが眠ってしまったのである。途中でイエスが起こしにきてともに祈れと、言われたがそれでもまた眠ってしまった。
このことは、彼らの魂の状況が深い眠りにあったことを暗示している。自分の罪もイエスの深い赦しの愛も、またイエスの苦しみを通して神の御計画がなされていくということも、そうした深い真理はすべて見えなかった。眠り込んでいたのである。
その眠りを根底から揺り動かし、彼らの固い自我を砕くことになったのが、イエスの逮捕と自分たちの裏切り、そしてイエスの予言通りに三度も裏切ったときにニワトリが鳴いたこと、そのようなペテロにイエスのまなざしが注がれたことによってである。
幾年にわたる修業も学びも、また不思議なわざを見ることも、イエスの深淵なまなざしを受けることには及ばないのである。しかも、そのまなざしはこの場合のように、わずか一瞬ともいうべき短い時間であった。
使徒パウロがキリスト教を邪教だとして迫害を続けていたがそのときにいろいろなキリスト教徒たちの主張や証し、あるいはステファノの殉教などを目の当たりにしてもなお、転換はなされなかった。しかし、ただ天よりの光と主イエスの直接の語りかけによってたちまちそれまでの誤りは砕かれ、イエスへと方向転換をした。
ペテロの回心、それは主イエスとペテロの二人だけの間で生じた。本当の転換はつねにこうした主イエスと私という一対一の関係のなかで生じていく。
そして、この転換は自分の弱さと正義に反する罪深い本性を思い知らされることによってなされる。
ペテロにおいては、このときの経験は、転落というより、再生であったということができる。この苦しい経験によって初めて自分の本性を知り、主イエスによる救いがなければ何一つできないということを思い知らされ、後に聖霊を受けて力強く福音宣教のために立ち上がることへとつながっていくのである。
ペテロはイエスのまなざしを受けて、外に出て激しく泣いた。自分の犯した重い罪に対する悲しみとまた主のはかりしれない愛に触れて深く魂が揺り動かされたゆえの涙であっただろう。涙を流すことができない、ということは心が堅くなってしまったこと、人間らしい心を失ったことでもある。
私たちは深い悲しみや感動によって涙を流すことによって心は清められることがある。悲しむものは幸いだ、神によって慰められるからであると、主イエスは言われた。ふつうの悲しみや涙もその魂に働いてなんからの清めをする。それゆえ、さらにその涙が主によりて動かされた涙であるときには、清めとともにその悲しみから主にいっそう近づけられるという安堵の念を生じる。
み心に沿った悲しみは命に至らせるが、人間的悲しみは死に至ると言われている通りである。
この世の娯楽などに夢中になっているときの喜びより、涙の中から与えられる罪の赦し、悔い改めや慰めがはるかに深い。
「神を信じているなら、いかなる境遇にあっても私たちには喜びや慰めは与えられる。それが悲痛のときに与えられるときには、この世の楽しさが与える満足に勝ること数層倍である。」と内村鑑三も述べている。
「鶏が鳴く前に三度私を知らないと言う」と主イエスは言われた。ペテロが実際に三度イエスとの関わりを否定したとき、鶏が鳴いた。そのときペテロはイエスのまなざしを受け、その言葉を思いだした。もしペテロがイエスの方を向いていなかったらイエスのまなざしを受け取ることはできなかった。イエスのあとを遠くからであってもついて来ずに、遠くへと逃げてしまっていたら、鶏の声もきこえなかっただろう。はなはだしい過ちを犯してもなお、イエスの方向へと歩み、見つめようとしていたペテロにこそ、主のまなざしは注がれ、イエスの言葉に立ち返ることができたのであった。
私たちも鶏の声に相当することが確かに与えられているのであろう。それは何らかの書物や、人との出会いであったり、自分の事故や病気、なるいは周囲の人たちのうちでおきる出来事であったりする。またあるときは周囲の自然がそのようなものとして用いられることがある。
そのとき、常に主イエスの言葉、聖書の言葉に立ち返り、私たちを見つめる主のまなざしを受けようとすることが求められている。
現代の私たちにおいても、そこからすべてが始まっていくからである。

 


リストボタン第三の天にまで

使徒パウロは、その燃えるような伝道の日々のなかで、少なくとも十四年もの間でただ一度しか経験しなかった特別な体験を記している。パウロは主イエス以来無数のキリストの弟子たちのうちで、最も大いなる働きをした弟子であることは、彼の書いた手紙が、他の弟子たちの手紙と比べると、新約聖書のなかで断然多く組み入れられていることでもわかる。それはパウロという人間の考え、思想、エッセイのようなものとは本質的に異なっていて、神からの光を受けて書いたもの、啓示そのものなのである。そのような不世出の霊的天才ともいうべきパウロですら、生涯で一度しか経験できなかったように感じられる。

… わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っているが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられた。体のままか、体を離れてかは分からない。神が知っておられる。…
彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした。(Ⅱコリント十二・24より)
このように、一見ほかの人のことを述べているような書き出しであるが、その後で、これがパウロ自身のことであったことを示している。第三の天とは何であるか(*)、ほかには聖書にはこのような言葉は現れないので、はっきりとは分からないが、人間にはふつうは近づくことのできない特別に神に近いところを指していると考えられる。こうした通常の生活においては経験のできないような霊的な体験は、聖書においてはいろいろな人に与えられている。

*)当時の考え方では、天の世界は何層にも分かれていると考えられていて、第三の天とはそうした層になっている最高の天であり、同時にそれは楽園(ギリシャ語でパラデイソス)であったと考えられる。主イエスとともに十字架にて処刑された犯罪人は、最期のときに、主イエスへの信仰を表して、イエスが御国に行かれるときには、私を思いだして下さい!と、死の間際であったが心からの祈りを捧げた。そのとき、主イエスは、「真実をもってあなたに言う。あなたは今日、私と共に楽園(パラデイソス)にいる。」と言われたことがあった。(ルカ福音書二三・4243

旧約聖書の世界では最大の人物といえるモーセは、十の最も根底となる神の言葉(十戒)を受けたときには、四十日四十夜、主とともにシナイ山頂にてとどまった。そのとき、モーセは神と語っていたが、その顔が光を放っていた。(出エジプト記三十四・2830
このような状態もいかにモーセが霊的に高いところに引き上げられていたかを示すものである。そうして高められて、永遠の神の言葉となる十戒が与えられたのであった。 また、旧約聖書のはじめのほうにあらわれるエノクは、神とともに歩んだのち、神が取られたのでいなくなった。という不思議な表現がなされている。エノクと並べて書いてある多くの当時の人たちは、みな「○○年生きた。そして死んだ。」とあるのに、ただ一人エノクだけがこのように、神が取られたと書かれている。それはふつうの人の死ではなく、神が取られたのだとはっきり区別されるほど異なるものであったのだとわかる。
旧約聖書の預言者たちのうちでもとくに重要なイザヤについては、預言者として呼びだされたときのことがつぎのように記されている。

…わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」(イザヤ書六章13より)

これは、預言者イザヤが神から呼びだされた最初のときに与えられた霊的な経験を表している。それは、神を見た、ということである。そしてそれと同時に、天使が聖なる賛美を歌っていたのを聞くことができたことであり、地上の混乱と闇のたちこめるただなかで、限りなく魂が引き上げられて天の国に入れていただいたことが表されている。
一般の人にとっては神とはいるかいないか分からない、ただ信じているという状況の人が多数を占めていると考えられるが、神はその御計画に従って、必要なときには特別に特定の人を選び、こうした特別な高いところへと引き上げられる。
パウロの体験も、エノクが神によって取られたように、その魂が神によって引き上げられて特別な高みに導かれたのだと言えよう。
ダンテの神曲にも、彼のそうした体験が背後にあると感じられる表現が折々にみられる。

…人間の世界から神の世界へ、
有限な時間から永遠の時間へ、
フィレンツェから、正しく健全な人々のなかに出た私は、
ただもう茫然自失の状態であった。…
驚きと喜びのあいだにあって、
私は何も聞かず、何も言わずに心満たされた。(ダンテ著神曲・天国編三一歌3745より)
ヨハネ福音書の第一章には、この福音書の全体が要約されていると言える内容となっている。その第一章の最後にある言葉は次のような暗示的な言葉である。

「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(ヨハネ福音書一・51

天が開けて、天使たちが人の子、すなわちキリストの上に昇り下りするとは、キリストが神の国と地上を完全に結ぶ存在であること、地上の人間でありながら、天からのものを完全に受けているということを象徴的に表している。これはヨハネ福音書がその冒頭で書いていること、キリストは神とともに永遠の昔から存在し、かつ神そのものでもあったが、地上に人間の姿をとって現れたということの別の表現である。
これはキリストだけに起こることではない。この「天が開けて、神の天使たちが昇り下りする」ということは、イエスよりはるか昔の時代には、アブラハムの孫にあたるヤコブにおいてすでに示されたことであった。ふつうの人間には、天の世界は閉じられている。
しかし、神によって選ばれた者には、天という無限の世界、目には見えない神の世界が開かれ、しかもその神の世界へと人間の思いや願いが通じ、さらに神からの祝福が注がれてくる、ということなのである。
兄から命をねらわれて遠い未知の土地へと逃げていくヤコブの旅の途中、人も住んでいないような荒れ野のただ中に、こうした驚くべき啓示がヤコブに与えられた。ヤコブは決して完全な人でもなく、人生に熟達した人でもなく、まだ若くほとんど人生の経験もない人にすぎなかった。それにもかかわらず、神はこのような大いなる啓示を与えて、天が開けて、地上の人間の思いが天に通じ、神からのよき霊的な賜物が人に流れてくるという体験が与えられたのである。
そしてヤコブの時代からはるかのちの時代のイエスにおいて、このことが完全に成就したというのが、ヨハネが受けた啓示であった。そして人生経験も信仰的経験も少ない若者にすぎなかったヤコブに与えられたように、現代の私たちにおいても、与えられることであるからこそ、ヨハネ福音書でも記されていると言えよう。
パウロの与えられた、第三の天に上るということもまた、「天が開けた」という経験であった。大多数の人々には閉じられている天の世界が開かれ、その奥深いところまで、引き上げられたということなのである。パウロの人間としての思いや願いは神にそのまま届き、神の国の霊的な豊かなものが注がれるという状態となった。
主イエスにおいては、常に天が開けていたと言えるが、自分の最後が近づいたときには、とくに三人の弟子を連れて高い山に登った。そして次のようなことが生じた。

…イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。(マタイ一七・2

これは、イエスが人間でなく、神と等しいお方である、ということを示すものであった。天が開けて神の国の光や完全な清い霊が注がれたゆえに、このように輝く姿となった。
私たちにとって、神との深い霊的な交わりが与えられるということは、言い換えると神と人間の深い愛の交わりが与えられるということである。そのことを、ヨハネ福音書において、主イエスは、「私の内に留まれ。そうすれば私もあなた方の内に留まる」と繰り返し言われたし、さらにそれを言い換えて「わが愛の内に留まれ」と言われた。(ヨハネ福音書十五章49など)
そしてこのことをさらに別の表現として、「私たちの交わりとは、父なる神と、神の子キリストとの交わりである」(ヨハネの手紙Ⅰ一・3)と言われていて、そのような神とキリストとの霊的な交流を人々が持つようになるためであると書かれている。
神とキリストとの交わり(コイノーニア)とは、実に奥が深い。この交わりは、その入口にはすべてのキリストを信じるようになった人たちが入ることができる。神が存在する、目には見えないけれども、私たちを励まし、慰めて下さる存在を少しでも感じるとき、そこには神との交わりがある。神に祈ることができるということはすなわち、神との交わりである。キリストのことを思い浮かべてそこから力を与えられること、十字架のキリストを仰いで、罪の赦しを実感することができるなら、それもキリストとの交わりを与えられていることである。
そのような交わりはすべての人に開かれていて、信じるだけでその経験が与えられる。
そこからこの交わりはどこまでも深くなっていく。すでにあげた、使徒パウロの第三の天にまで引き上げられたという経験もまた、この神とキリストとの交わりの特別に深い体験だと言える。
パウロは、このような特別な経験とは別に、キリスト者ならだれでも与えられる神やキリストとの交わりについては、「主にある」、「キリストにある」という表現を用いて表している。英語の in the Lord や、in Christ といった表現はギリシャ語の原語の表現(en kuriw)をほぼ再現していると言える。
パウロはこの表現を非常に多く用いている。この二つの表現は新約聖書には一六四回も用いられている。これに対して、この表現は福音書や使徒言行録、ヨハネやヤコブの手紙、あるいはヘブル書などには全く用いられておらず、ペテロの手紙と黙示録には一度ずつ使われているだけである。
これを見てもいかにパウロがこの表現に彼の信仰とその体験を込めていたかがうかがえる。新共同訳聖書では、それらの表現の多くが「キリスト(主)に結ばれて」という訳語を用いているので、原語や外国語には訳されている、「~の内に」というニュアンスが感じにくくなっている。
キリストは霊的存在であり、聖霊でもある。それゆえに、その聖なる霊の内に置いて頂けるということ、それがキリスト者の最大の恵みなのである。
このパウロの「主の内にある」という特別な表現とその強調は、ヨハネ福音書では、「キリストの内に留まる」という表現となってやはり強調されている。
ヨハネ福音書では、この「留まる」という原語メノーは、三八回、その手紙を合わせると合計で六四回も使われている。(*
しかし、ほかの三つの福音書を合わせてもこの語は十二回、またパウロはその全書簡を通じても十一回程度しか使われていない。

*)ヨハネ福音書では、この言葉は、ヨハネ十五章の有名なぶどうの木のたとえにおいても、「(主と)つながっている」「内にある」「とどまる」などいろいろに訳されているので、同じ原語が繰り返し使われているということに気付きにくい訳語となっている。

しかし、本質的な内容は同じなのであって、パウロの手紙においても、ヨハネ福音書においても、いかにキリストの内にあることが重要であるかを聖書は示しているのである。
キリスト教信仰によってどんな恵みが与えられるのか、それはまず、人間の魂の最大の問題である心の汚れ(罪)が赦され、過去の罪深い生活が赦されること、現在の生活においても毎日の生活の罪を赦され、清められること、そこから新たな力を与えられ、日々の生活の支えとなり、前途の希望が与えられること、思いがけない出来事が生じても最終的にすべて主が導いて下さると信じられること等々数知れずある。
そうした恵みの出発点であり、中心でもある罪の赦しはいつも私たちに与えられているが、それだけで終わることなく、私たちは主の内に深くとどまることが与えられている。それは言葉では表すことのできない霊的な恵みと体験であるから、それをパウロやヨハネは、「主の内にある」とか「主の内に留まる」といった表現でさし示しているのである。そこからどれほど奥深い世界があるのかは、ただ主の恵みにより導かれた人、また、「求めよ、そうすれば与えられる」という主イエスの約束に従って、心砕かれて求める人に与えられるのであろう。
ヨハネはそうした霊的な恵みを、その福音書の巻頭において記している。

…私たちは皆、この方(キリスト)の満ちあふれる豊さの中から、恵みの上に、さらに恵みを受けた。」(ヨハネ一・16
この表現は、この福音書記者がキリストの内に留まり、どのような霊的な深みへと導かれ、天の国に属する賜物を与えられたかをうかがわせるものであるが、それが福音書の最初の部分に置かれているということは、そうしたあふれる恵みへとキリストはすべての人を招いているということを示している。
聖書は一部の特異な賜物を与えられたひとの書でなく、万人への幸いのおとずれを告げる書だからである。
ヒルティはこうした霊的に豊かな賜物を与えられる体験について次のように語っている。

…自分の生活の内に神をそこはかとなく感じることは、われわれにもできることであり、神からわれわれに伝わってくる力を感じることはできることです。…どんな人の生活にも、神の本体に非常に近づいた感じがし、その実在をもはや疑い得ないような瞬間が、少なくともあるものです。
…プロテスタントの教会では、神との直接的交わりを重んじること
*が乏しきにすぎます。そこでは、彼らの説き得る信仰をもってこの世の最高のものと見ていますが、じっさいは最高のものは恵みなのであり、神が内面的に現れること**にほかなりません。
…神に心を傾けることによって、人は神を得るのであって、神に関する知識や研究によってではありません。そして神と交わる場合においても、それは地上における最高の幸福であり、地上唯一の、完全に純粋な喜びでありますが、人と交わる場合と同じことが基準になります。
愛と誠実(真実)がすべてなのです。愛と誠実がなければいかなる信仰も行いも役には立ちません。…
あなたご自身が、この「神に近づくこと」を経験されるように祈っています。それは人生の頂点であり、白銀の輝きなのです。
***
(「Briefe」(書簡集)手紙形式でヒルティが書いた著作。 邦訳名「愛と希望」白水社刊 ヒルティ著作集第六巻150156頁より)

*Mystik このドイツ語は、日本語では、神秘主義と訳されるが、神秘的なことを何でも指すのではなく、ヒルティが用いているのは、神との直接的な交わりを重んじる信仰のあり方という意味である。
**Gnade und innere Erscheinung Gottes
***Mochten Sie die Gottesnahe selbst erfahren;das ist des Lebens Hohepunkt und Silberblick.


このような神との深い霊的交流は、キリスト教の長い歴史のなかでもいろいろな人たちによって証しされてきた。
アシジのフランシスコ
*も特にそうした霊的に高いところに引き上げられた人として広く知られている。

*)アッシジのフランシスコ (一一八一~一二二六年) フランシスコ会(カトリックの修道会)の創設者。フランシスコとは、「フランス的」といった意味。大多数の日本人にとっては、このフランシスコというキリスト者の名前は、個人の名としてよりも、アメリカの大都市サンフランシスコという地名で広く知られている。この都市は、フランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名としたものである。「サン」とは、サント santo(聖なる)の短縮形。アシジとは、イタリアの地名。フランチェスコは、イタリア語読み。

一二二四年の八月、フランシスコは、自分の生涯が終わりに近づいていることを知って、アルヴェルナ山に出かけて深い祈りに徹した。 ある夜、弟子がフランシスコの祈りの場に近づくと彼は、声をあげて祈っていた。
「最愛の主なる神よ、あなたは一体どういうお方でしょうか。また、あなたの役に立たない虫けらのような私は何でしょうか。」と繰り返して祈ったのである。それは、次のような意味だとあとで、フランシスコは、その弟子に話した。
「その祈りによって、二つの光が啓示された。一方の光には、創造主を認め、もう一つの光には、自分自身を認めた。
神の善の無限の深さと、自分自身の悲惨の悲しい深淵を見た。だから私は、『主よ、いと高く、賢く、いと憐れみ深いあなたは、何なのでしょう。いとも、あわれな虫けらのような小さな被造物である私のところに来てくださるとは』と言ったのだ。」
このように、フランシスコは、死が近づいているときに深く感じていたのは自分自身の卑小さと神の無限の愛の深さであった。そしてそのような深い認識の後で、神はフランシスコに特別なしるしを与えられた。
ある夜、彼の深い祈りのなかで、次の二つの願いをかなえて下さるようにと主イエスに祈った。
一つは、主イエスが十字架の苦難で耐え抜かれた苦痛を、自分の心と体でできるだけ感じること。
二つ目は神の子である主イエスの燃え立つような愛、イエスを動かして罪人のために苦しむように仕向けた大いなる愛を、自分の胸の中でできるだけ感じることであった。
そうした祈りをもって長く祈っているとき、天から御使いが現れ、フランシスコは激しい苦しみとともに彼の胸には炎のようなものと、神への生き生きとした愛が残り、彼の体には、手足と胸にキリストが十字架で処刑されたときの傷跡が残された。
アシジのフランシスコにおいては、パウロの第三の天にまで引き上げられるということに相当する経験は、このように、徹底して自分の卑小さを知り、キリストの受難という深淵な意味をみずからの体に同じような傷を受けるという苦しみを知るほどに、キリストと一つにされた経験となったのであった。
パウロもまた、霊的な高いところに引き上げられたが、そのことを誇ることのないようにと、その肉体にいやしがたいとげを持つことになった。パウロがそのために必死にいやしを求めて祈ったが、それはいやされず、かえって主から、「私の恵みは十分である。神の力は弱いところに完全に現れる」というみ言葉が示されたのである。
このように、人間は、神によって高められるときには、私たちが通常では考えることもしないような高みへと引き上げられ、神を単に信じるだけでなく、確かに生きて働いておられること、その愛を深く実感させるのがわかる。
そしてそれは決してそのような高められた状態を誇るとか楽しむためには与えられない。自分の罪や弱さを深く知らされ、神の無限の大きさと愛を知ってどこまでも低くされ、力を与えられ、そこから御国のために働くために与えられるのである。

 


リストボタン社会問題と信仰の問題

社会問題とキリストの福音や信仰とは、どのような関係があるだろうか。
そもそも社会の問題とは何か。人間が二人、三人集まったらすでに一種の社会である。社会とは、「共同生活を営む集団」をいうからである。 最小の社会とは家族社会である。数人の小規模の会社であってもそれもまた、一種の社会である。
互いに愛し合え、という最も重要な戒めは、人間の集まり、すなわち社会への対応の仕方についてであるということになる。
この互いに愛し合うということに最も対立するのは、憎み合うことであり、その行き着くところは互いに殺し合うような事態である。それは戦争や内乱ということである。
それゆえ、互いに愛し合えとの主イエスの言葉に従うとき、社会的には戦争のようなことが起こらないように、と願うことは、ごく自然なことになる。
戦争ということになると、とくに病人、障害者、老人、女性、子供といった何らかの点で弱者にその圧迫や重荷がかかってくる。
さらに、主イエスは、「剣をとる者は剣によって滅ぶ」と言われたがそのことは人間の集団(社会)のかかわる問題の処理に武力を使ってはならないということを意味している。それゆえ、そうした主イエスの精神を受けるならば、戦争ということは、互いに愛し合うことにも真っ向から反するうえに、弱者を踏みつけることにつながるから、そのようなことには当然反対すべきだということになる。
また、主イエスは、当時の社会的な重要な役割を果たしていた神殿について、両替することなどを「強盗の巣」にしているという厳しい言葉で非難し、そうした神殿で商売をしている人たちの机をひっくり返し、追いだしたというほどに強い姿勢を示された。
それだけでなく、当時の社会的指導者であった律法学者、祭司、長老といった人たちの偽善性にも「真っ白に塗られた墓であり、表面はきれいにしているが、内側は汚れで満ちている」と驚くほどの強い表現でその間違った態度を指摘された。これはまさに当時の社会問題を真正面から見つめてその間違いを指摘したことである。
そしてまた、エルサレムの都に近づいたとき、「ああ、エルサレム、エルサレム、お前は見捨てられてしまう。」と涙を流して悲しみ、それは神の時を受けいれようとしなかったからだと言われた。
このことも、エルサレムという言葉で、ユダヤ人全体の社会を指して言われたのである。ユダヤ人全体の精神的状態が、唯一の神への信仰を希薄なものとし、あるいは全く失い、神が特別に遣わされた救い主をも受けいれず、かえって殺してしまうほどにかたくなな心になっていることを悲しまれた。これは、ユダヤ人の宗教的な状況全体を指して言っていることである。
個人の魂のあり方の問題と、そうした一人一人が集まった社会や国家といった問題の根本は同じであるということ、これは、預言書には一貫して記されている。
旧約聖書の代表的預言書の一つであるイザヤ書はつぎのような言葉から始まっている。

天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。
わたしは子らを育てて大きくした。
しかし、彼らはわたしに背いた。…
悪い行いをわたしの目の前から取り除け。
悪を行うことをやめ、善を行うことを学び、
裁きをどこまでも実行して、
搾取する者を懲らし、
孤児の権利を守り、
やもめの訴えを弁護せよ。
(イザヤ書一章より)

このように、イザヤ書は、「天よ、地よ、聞け」という壮大な呼びかけから始まっている。これから記すことは、一人の人間とか一民族や特定の国の問題でなく、世界全体が耳を傾けるべき普遍的な真理だというのである。確かにイスラエル民族についてその腐敗と罪を指摘しつつ、そこからの解放、救いの道をも同時に明確にさし示しているのであるが、それは真理そのものであり、時間と場所を越えてあてはまる真理であると言おうとしている。
その後に書かれていることは、一人一人の魂のあり方であると同時に、それは社会全体のあり方、国家の指導者や民のあり方を示している。個人の歩むべき道は、そのまま国家民族の歩むべき道であることを示しているのである。
マザー・テレサが、神からのうながしを聞き、聖マリア学院の校長の地位を捨てて、周囲にたくさんいた最も貧しい人たちのために働くということをはじめた。それは神の声であり、組織も何もないところからたった一人に示された神の言葉に忠実に従っていくところから出発した。すると、彼女の教え子が自発的に次々と加わり、一つの修道会が造られるに至った。そして世界の各地へと広がっていった。
このようなマザー・テレサの働きをみても、個人的に、「隣人を愛せよ、弱い人貧しい人を愛せよ」との聖書のメッセージを深く受け取ったところから始まったが、次第に周囲の社会に働きかけることになっていった。個人的な救いと救われた者の歩みということと、社会問題ということとは切り離すことができないことなのであった。彼女は、インドの政治や世界の政治のあり方を批判したりはしなかった。しかし、社会にキリストの愛を告げ知らせるという大きな社会的働きをするに至った。
マザー・テレサが受けた救いの福音は、数十年を経て周囲の貧しい社会に大きな働きかけをすることへと通じていった。
また、日本において、盲人たちに点字の聖書を作り出し、だれもが聖書を読めるようにするにあたって最も大きな働きをしたのは、内村鑑三の信仰の弟子でもあった好本 督(ただす)であった。彼の働きによって盲人にも神の言葉が読めるようになり、現在もなお続いている点字毎日は、やはり好本 督の尽力によってその刊行が開始されたのであった。それは、一九二二年に発行されて現在も続いている。彼の働きは、非常に大きく盲人を神の言葉の世界に開き、またその他の社会的な活動へと道を開くものとなった。
これらはほんの一例にすぎない。キリストの福音と社会的問題ということは、道が続いていることが実に多いのである。どこからがキリストの福音で、どこからが社会的問題であるという明確な線を引くことはできないのである。
はるか古代においても、キリストの福音をしっかりとその魂に受け取ったキリスト者たちは、あの迫害の激しかったローマ帝国においても、どのような苦しみが続いても根絶されることなく、かえって広がり続けていった。そしてついに社会的、政治的な状況そのものまで変えるに至ったのである。
このように、一人のキリスト者からいろいろな社会的方面へとその働きが広がっていくこともあり、国家のあり方まで変革されていくことも生じていった。
主イエスが言われたように、最も重要なことは、「神を愛すること」であり、その神の愛を受けて「人を愛すること」である。そしてこの愛は必然的に社会的なものとなる。愛とは、他者にかかわることであるからだ。
しかし、このようにキリストの福音と社会的な問題がつながっているという事実があるとはいえ、つぎの事実も重要である。
すなわち、社会的にどのように変化しても、そこから個々の人たちの魂の救いが生じるということはないということである。江戸時代はいちじるしい差別的な社会であったし、政治の仕組みもその差別構造の上に成り立っていた。職業や結婚、居住移転の自由、信教の自由といった基本的人権や、福祉といった考えなどはなく、弱者はそのまま捨てられることが当たり前のような時代であった。
現在はそれに比べると比較にならない大きな変化した社会となった。
しかし、だからといって個々の人たちの魂の救いは容易になったであろうか。現在の豊かな社会、便利な社会になっても、魂の救いは江戸時代の暗黒の時代と同様に、自分の罪を認め、キリストに罪をあがなっていただくこと以外には与えられない。
社会が豊かになったり信教の自由が得られたからといって、救いはひとりでにやってくるのでは全くない。
しかし、それでもやはり、キリスト者が社会に関わり、少しでも良くしよう願うのは、キリスト者であれば、キリストが行ったように行おうとすること、キリストが思ったように私たちも思うということからである。
キリストは決して武力をもって悪と戦えと言われなかったゆえに、私たちもキリストにつこうとするなら、そのような考えになる。そこから現在の日本の憲法の平和主義をも守ろうとする考えへと至る。人を殺すこと、憎むこと、破壊したり盗むことは、聖書全体が禁じることであり、戦争はそのようなことが次々と生じることであるゆえに、キリストに従う者はそのようなことはなすべきことでないと考えるはずである。まず愛と真実の神を信じるならば、そのような考えは自然に導かれる。
しかし、まず平和主義を主張したからといって救われるのではない。社会的、あるいは政治的な問題をいかに議論して制度を変えてもなお、個々の魂の救いはそうしたこととは別のところから与えられる。実際、現在は江戸時代などと比べて制度としては、政治や教育、福祉などどの方面をとっても、はるかに向上したと言える。しかし、救いはだからといって近づいたとは言えないのである。かえって、子どものときから性的な誘惑に入り込み、生まれ出る命を堕胎し、また自分中心で学科の勉強ばかりに精を出すために、心の素朴さや純真さをますます失いつつあるのが現状である。
言い換えると、魂の救いは、差別の時代であれ、貧しい時代であれ、また戦争になってしまったような暗黒の状態であれ、どのような事態であってもやはり変ることはない。神を信じ、キリストを信じるということにあるからである。
救われた者は、聖書に記されているように、自分の考えとかでなく、自分を超えた神からの霊によって導かれ、人によってさまざまの方向にその歩みを進めるというのがあるべき姿といえる。ある人は最も小さな社会といえる家族に仕え、家族にみ言葉を伝えることに、またある人は社会的な活動のなかで福音を証しして生きる方向へ、またある人は直接的に福音伝道にと導かれる。それは社会的、あるいは政治的な領域へと導かれる場合もあるし、小さな家族のなかで福音を生き、それによってそこで支えられた家族が社会でまた生き生きと働き、福音を証ししていく、というようなこともある。
救いは、いかなる状況においても、神の一方的な恵みであり、私たちはその恵みを信じて受けるだけで救われる。そして一度救われた者は、様々な方面で聖霊に導かれて生きるのである。

 


リストボタン弱きところに神の力―
盲人岩橋 武夫と神曲の訳者とその周辺


私たちのキリスト集会で、ダンテの読書会をしています。テキストとしては三種類の翻訳を使っています。その一つに、英文学者の寿岳文章訳のものがありますが、訳者の夫人、寿岳しづ(旧名は静子)はキリスト者で、その兄が、日本ライトハウス(設立当時の名称は大阪ライトハウス)を設立した盲人の岩橋武夫でした。
岩橋は一八九八年生まれ。早稲田大学に進むが、病気となって中退。精神的にも肉体的にも深い闇に陥り、苦しみうめいていましたがそのとき、妹は、三年間首席で通していた梅田高等女学校を中退して、兄の看病に専念し、さらに兄の武夫が盲人となってからも献身的に助けました。岩橋は関西学院大学に入学したのですが、当時は盲人を助けるようなボランティアもなく、点字の書籍もなかったために、妹の静子が兄を介助して通学しました。当時男子学生ばかりだったという状況のなか、女性一人が教室に入り、盲人の兄のノートを代わって筆記するということは、大学の講義は長く、毎日ということになれば大変な労力であったと思われます。「学生たちは、高い校舎の窓からわいわいと手をたたいてひやかした。私はそれを黙って耐えたが、年若い妹の静子は、眼が見えるだけにいっそうつらかったであろう。」と岩橋はのちになって書いています。 その頃その大学の学生であったのが、寿岳文章で、彼は岩橋と介助している妹の静子を知って、岩橋の友人となって助け、のちになって妹の静子と結婚したのです。
寿岳文章・しづ夫妻の長女が、寿岳章子で、国語学者として京都府立大学助教授、教授として三六年勤め、憲法を守るための活動にも三〇年ほどもかかわっています。そして長男の寿岳 潤は、天文学者(東京大学名誉教授)として知られています。
岩橋武夫は、関西学院大学卒業後、イギリスのエジンバラ大学にも学びましたが、そのときは、イギリスにいた好本 督の特別な援助を受けたのでした。 好本は、内村鑑三にキリスト信仰を学び、実業家であったが視覚障害者(弱視)となったために、収益を盲人福祉に捧げ、とくに点字聖書の刊行は彼の絶大な援助によってなされていったのです。以前の「いのちの水」誌に、好本の真実なキリスト者としての一面を書いたことがあります。(二〇〇六年十月号)
岩橋の設立したライトハウスは、その後も発展して点字図書の出版、盲学校の教科書の作成、さらに職業・生活訓練センターを建設して、視覚障害者の自立と新職業の開拓に取り組んできました。コンピュータ・プログラマー、工作機械技術者の養成、盲導犬事業や歩行訓練指導者の養成など、多様なはたらきを続けてきたのです。
このようなさまざまのことにつながってきた出発点を振り返ってみますと、失明した岩橋武夫を自分の学業を捨ててまで、兄への愛のために尽くした妹の静子の献身的な生き方が大きく用いられ、その働きがあったからこそ、このような発展がなされていくことにつながったのがわかります。
他者への、とくに弱い立場の者への愛は、神の祝福を受けて大きなことにつながる実例を知らされるのです。
「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(Ⅱコリント十二・9という聖書の言葉を思います。

 


リストボタン詩の世界から

春の朝
ロバート・ブラウニング
*

年は春
時は朝
朝は七時
丘の斜面には真珠の露がおり
ひばりは空に舞い
かたつむりはサンザシに這う
**
 神は天に在り
 この世はすべてよし!
***

The year's at the spring,
The day's at the morn;
Morning's at seven;
The hillside's dew pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven,
All's right with the world!

*)イギリスの詩人。一八一二年~一八八九年。
**)サンザシとは、中国原産のバラ科の植物。日本のカマツカという植物の近縁種で花も、実もよくにている。原文は、単にthorn であって、トゲ、またはとげを持つ植物を意味する。hawthorn は、サンザシ。ここでブラウニングは、単にとげのある植物、茨を指して言っているだけかも知れないし、hawthorn の略として使っている可能性もある。上田敏は、トゲという意味を無視して単に「枝」と訳している。
***)(劇詩『ピパ、過ぎゆく』221行以下 (一八四一年)この劇詩は、イタリア北部の町で、製糸工場の女工として働く少女ピパの物語でここに引用されたのは、その中に出てくる詩。ここに引用したのは、松本侑子訳。
なお、 year'sday's などは、 year isday is の短縮形。


○ なお、参考のため上田敏の訳と、岩波文庫のイギリス名詩選の訳をあげておく。

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
*
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。(上田敏訳・「海潮音」より)

*)揚げ雲雀とは、空高く上がった雲雀。
・この訳は有名であるが、肝心の最後の二行の意味が不明瞭で原文の意味を十分に伝えているとは言い難い。
---------------
歳はめぐり、春きたり、
日はめぐり、朝きたる。
今、朝の七時、
山辺に真珠の露煌く。
雲雀、青空を翔け、
蝸牛、棘の上を這う。
神、天にいまし給い、
地にはただ平和!
(「イギリス名詩選」平井正穂編 岩波文庫)

この詩は、春になるとよく思い出される詩の一つであろう。
冷たい冬の季節、それはすべてが沈黙し、命を失ったようになっている。ようやく冬が終わり春になり、新たな生命が随所で感じられるようになってきた。春の朝、それも皆が目覚めて活動をはじめる七時ころ、周囲の自然を見ると、そこには静かに広がる丘にある野草たちには露が真珠のように日の光を受けて輝く。ふとみれば、雲雀はそのつばさをもって舞い上がりつつ歌っている。さらに近くのとげのある木にはそうしたとげも何の気にも留めないかのようにカタツムリが静かに這っている。ここには、静まった春の朝、清い大気から結ばれた露に清澄なる天来のしずくを思い、広がる丘陵をそうしたいのちの水によってうるおされるさまが感じられる。
また、その静けさを破るように雲雀がその大いなる自然を賛美しつつまったき自由をもって飛翔する。それは自由と賛美の象徴なのである。
命なきもののように見える大気や、露、丘の広がりにも背後の御手の働きがあり、小さな虫にも秘められた神のわざがある。
日常的に見られる光景のなかに、輝くものがあり、メッセージが聞こえてくる。それは、そうした一切の背後に神がおられるから、神の御手によってそれらがなされているからなのである。
その神に信頼するならば、すべて良し! と言える。
不正と闇に満ちた現実の世界にあって、私たちは、愛と真実の神、万能の神を信じるときには、こうした気持を持つことができる。主イエスは幼な子のような心によらなければ、天の国を見ることはできないと言われた。
この歌は、悪に入り込んだ人たちの心に清流を流す少女の歌として劇詩に現れる。
また、モンゴメリの「赤毛のアン」では、その最後にこの詩の最後の部分が引用されている。

「『神は天に在り、この世は総てよし』」と、アンは小さくつぶやいた。
God's in his heaven, all's right with the world,' whispered Anne softly. (第38章)

いかにこの世が問題に満ちていて、複雑きわまりない様相を呈していても、すべてを御手におさめておられる神がおられる、しかもその神は完全な真実と愛をもっておられることを幼な子のように信じるときには、私たちには確かに平安が与えられる。主イエスが、「私は世に勝利している。私の平安(平和)をあなた方に与える」という約束をのこしてこの世を去っていかれたが、確かに信じる者には、この主の平安が与えられ、すべては善い、あるいはさらに良くされるという実感を得ることができる。
それはすでに聖書の最初の部分に、言われたことであり、その後永遠に世界に響き続けていく預言のように記されている。
「神は創造されたすべてのものを見た。それは極めて良かった。」(創世記一・31

 


リストボタンことば

304)聖霊の重要性
…まず第一に人はこの霊(聖霊)を自分で獲得することができないということである。またこの霊は生まれつきの才能ではなく、あるいは人間的伝承によっても得られない。それはそのような人間や組織などの外からやってくる事実であって、それ自体としては説き明かしがたいものである。
しかし、この霊が与えられるとき、それはキリスト教の最上の、かつ唯一の完全な証しである。
この霊を持つ者は、もはや一瞬たりともキリスト教の真理性を疑うことはない。…
人の心の状態がそれを受けうるまでに成熟し、それを願う気持が切実であれば、おそらく直ちにこの霊は訪れるであろう。
しかし、いずれにしてもそれは純粋に神の賜物である。
あらゆる人が、学問のあるなしにかかわらず、老人でも若者でも、男でも女でも、みなこの霊を受けることができる。
この霊は人間の間に少しも外的な差別をもうけない。(カール・ヒルティ著「幸福論」第三部296297頁 岩波文庫)

305)愛と非暴力
…非暴力こそが、言い換えれば、暴力や弾圧によらず、それらに打ち勝つことこそが、人間には不可欠であり、我々の時代の政治と道徳の重大な問題に対する答えなのだということである。
…我々はあらゆる人間同士の対立に対して、復讐、攻撃、報復を拒絶する方法を見出さねばならない。そしてそのような方法の基礎となるものは愛である。(マルチン・ルーサー・キング 「ノーベル平和賞受賞講演より」一九六四年一二月十日 ノルウェーにて)
nonviolence is the answer to the crucial political and moral question of our time -- the need for man to overcome oppression and violence without resorting to violence and oppression.
man must evolve for all human conflict a method which rejects revenge, aggression and retaliation. The foundation of such a method is love.

・ 実際の、目にみえる暴力のほかに、心の中で生じる暴力がある。それは憎しみである。そのような内なる暴力によって、その人自身の心のうちなるよきものが打ち倒されていく。そうした内外の暴力に打ち勝つ唯一の方法こそは、神から与えられる愛である。

 


リストボタンお知らせ

○イースター特別集会
今年のイースターは、四月十二日(日)です。特別集会なので、いつもの礼拝より三十分早く午前十時からの開会です。
子どものプログラム、特別讃美、聖書講話、七~八名による感話、食事と交流などです。午後二時ころまで。

・次に二つの集会の案内が届きましたので、一部省略して紹介しておきます。
○キリスト教・四国集会
すでに何度かお知らせしたように、五月一六日(土)~一七日(日)に、松山市で四国集会が開催されます。
主題   「主の平安」
会場 スカイホテル(松山市三番町8~9~1)
第1日(16日)
11
30分~13時 受付・案内 13時~1340分 聖書講話  愛媛・冨永
14
20分~1820分 主にあるお話し会 (自己紹介・所感)1930分以降は自由時間
第2日(17日)
 630分~730
早天祈祷の時間
9
時~950分 主日礼拝講話   (徳島・吉村)
10
時~1030分主にある讃美 (徳島の皆さん)
10
30分~1130分 主にあるお話(大阪・那須、大分・田中)
締切り:415日 
お問合せ:松山聖書集会 冨永 尚まで ℡090-3784-2888(携帯)
メールアドレス t-tomonaga@r7.dion.ne.jp

○キリスト教・無教会青年全国集会
開催日時:2009年5月5日(火曜子供の日)14:00 ~6日(水曜振り替え休日)13:15
開催場所:名古屋「金山プラザホテル」ゼミナールプラザ(JR東海道本線「金山」駅より徒歩6分)
住所:460-0024 愛知県名古屋市中区正木3-7-15
電話:052-331-6411
テーマ :「信仰をもって生きるとは」
目的:信仰に関する基本的なことがらをともに学び、話し合う。神様の臨在をともに喜び、神様をともに讃美し、神様にともに祈る。
対象年齢:満50歳以下(託児室を準備しますので、ご家族づれでの参加大歓迎です。)
参加費 :11,000円(1泊2日・宿泊費食事代を含む、代金支払いは当日で結構です。)
申込方法:郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号・信仰に関する疑問(省略可)をご記入のうえ、以下のEメールアドレスまたは住所あてに小舘美彦までお送りください。同内容をファックスでお送りくださっても結構です。
Eメールアドレス:
kodate@c-line.ne.jp
 
・住所:〒214-0032 神奈川県川崎市多摩区枡形6-6-1 登戸学寮 
しめきり…2009年4月21日(火曜日)
問い合わせ:何か分からないことがございましたら電話090-5338-3083 の小舘美彦までご連絡ください。
******************
プログラム 全体テーマ「信仰をもって生きるとは」
○第1日(5月5日火曜子供の日)
13:30
14:00 受付
14:00
15:30 開会礼拝
・挨拶「青年全国集会の意義」 小舘美彦
・聖書講話「信仰とは何か」  吉村孝雄
15:30
17:00 あかし「私にとっての信仰:過去、現在、未来」と自己紹介 
・あかし、または自己紹介と交流
17:15
18:00 ゴスペルを歌おう 指導 松永晃子
19:30
21:00 話し合い「信仰に関する疑問について」
・話し合い
○第2日目(5月6日水曜休日)
発題
・発題「内村鑑三の信仰論」 小舘美彦
聖書に基づく学びあい「信仰に関する聖句
・信仰に関する聖句の紹介とコメント・話し合い
・祈りと讃美の集い・感想
13:15
散会

各プログラムの説明
*開会礼拝では、吉村孝雄さんに「信仰とは何か」という題で信仰に関する最も基本的なこと、信仰の大枠のようなことについて話していただきます。
*あかし「私にとっての信仰:過去、現在、未来」と自己紹介では参加者の信仰の状況(信仰を持っていない場合も含む)や信仰に対する考えや信仰を持つにいたった経緯(持てないでいる経緯)などを分かち合います。
*ゴスペルを歌おうでは松永晃子さんの指導を通じてみんなでゴスペルに挑戦し、1~3曲みんなで歌えるようにします。この時にマスターした曲を閉会礼拝の時にもみんなで歌おうと思います。
*話し合い「信仰に関する疑問について」では信仰に関して疑問に思うことをいくつかあげ、それについて話し合いたいと思います。
*発題では、小舘美彦さんが「内村鑑三の信仰論」という題で内村の信仰に関するコメントの中から重要そうに思われるものを紹介します。
*聖書に基づく学びあい「信仰に関する聖句」では聖書の中から信仰に関する主だった聖句を取り上げ、聖書が信仰についてどう語っているかを学びます。この中で今まで話し合ってきた信仰に関する疑問のいくつかでも答えが与えられれば幸いです。
*祈りと讃美の集いではみんなで祈り賛美することを通じて主の臨在がすこしでも感じられたらと思っています。