(私たちは)神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。

(ローマ5の23


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今年の夏、全国的に異常な暑さで百年以上もこのようなことはなかったという。わが家の室温が三十五度にもなって何日も続いたのも記憶になかったし、彼岸花が、十月になってから咲き始めるということもはじめてであった。
このごろになって、ようやく秋を実感するころとなった。山間部では色づき始める葉、そのはたらきを終えて落ちていく葉もある。新芽もでなくなり、成長もなくなり、植物はその勢いを失っていく。
しかし、他方では秋には、多くの植物が実をつけ、種ができる。私たちの主食である米、柿や栗、ぶどう、ミカンといった果物が次々と実っていく。
枯れていく季節はまた実りのときでもある。
神はこのように、いつも何かが失われていくときに、他方で良きものを備えておられる。
私たちの人生の秋を迎えるとき、一つずつ枯れていくようになくなっていく。視力や聴力、からだ全体の健康も体力も徐々に失われ、また仕事もできなくなり、知人友人も次々と地上を去っていく。
しかし、他方では愛の神を信じる者にとっては、神の国が近づいてくるという最大のよきものが待っている。
人生の実りとは、過去の一切を、そして日々のことを、神への愛と人への愛とともに感謝をもって思い起こすことができることである。そして現在を、生きて働く主が支え、導いて下さっているという実感、そして未来をも、私たち自身は復活して主と同じような清い永遠のものにして下さる、そしてこの世界全体に主が再び来たりていっさいを変え、新しい天と地にされる
それがどのようにして来るのか、どんなものであるかは言葉を越えることであるゆえに表現はできなくともということを信じることができること、こうしたことも人生の晩年人生の秋の実りだと言えよう。


リストボタン神の手

チリの落盤事故から69日ぶりに救出された人が、「地下には神と悪魔がいた。私は神の手を握った」と言った。
私は、かなり注意深く見てきたが、最近
20年ほどをとっても、毎日新聞は、仏教関係のことは以前から多く掲載するけれども、キリスト教関係のことはほとんど載せない状況であった。その点では、朝日新聞がずっと多くキリスト教関係のことをも掲載してきたと言える。
中国のキリスト教が一億人を越えていて、世界屈指のキリスト教大国であるという記事を去年掲載していたのも朝日新聞であった。
しかし、今回の事故に関して、毎日新聞は、一面トップの最上段に「チリ落盤私は神の手を握った」というタイトルを置いていた。このように第一面トップに「神」にかかわるタイトルを入れたのは、この新聞では初めてのことではないかと思う。
言いかえると、このような世界を注目させた出来事にあった人が、「神の手を握ったから救われた」という発言をしたことが日本人にとって、毎日新聞の編集スタッフにとってもまったく意表をつく言葉であったのをうかがわせるものである。
最年少の
19歳の若者は、「神は、僕の人生にチェンジを与えるために坑内に閉じ込めたのだ」と語ったという。
このような、キリスト教関係の本や印刷物でよく見る表現が、日本の全国紙にしかも、第一面や社会面のトップに記されるということはごく稀なことである。
この事故のあった坑内に取り残された人のなかに、牧師であってこのような作業員の仕事をしていた人がいて、人々の精神的な支えともなったという。
日本人がもしこのような事故から救出されたときに、何というであろうか。神の手を握ったから助かった、とか、神は人生にチェンジを与えるために坑内に閉じ込めた、といったような考え方は到底できないだろう。人間を導き最善に導く神などいないと思い込んでいる場合には、こうした事故も、単に偶然としかあるいは運がわるかったとしか思わないからである。
しかし、神の手と悪魔の手、それはこのような特殊な事故にだけあるのではない。私たちの日々の生活において至る所で、私たちに差し伸べられているこの二つの手があると言えよう。
そして実に多くの人たちが、神の御手を握らず、闇の手を握ってしまったゆえに、深い動揺と混乱、そして希望のない人生を歩くことになってしまう。
そして信仰を与えられている者であっても、油断しているとユダのように悪魔の手を握ってしまう。
とくに今回のような苦難のとき、生きるか死ぬかというときに、いずれの手をつかもうとするかによって決定的な違いが生まれる。
主イエスは、「疲れた者、重荷を負う者はだれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイ
1128)と言われ、常に御手が差し伸べられていることを示された。
しかし、祈りの心がなければ、神の御手は見えない。それゆえに、主イエスは、つねに目覚めていなさい、と教えたのである。


リストボタン虫の音

秋の夜道を歩く。
マツムシ、スズムシ、ツヅレサセコオロギ、エンマコオロギ等々、いろいろな虫の音が聞こえる。それらの鳴き声は、それぞれに意味深い。聞く者に何かを語りかけている。
神の創造を賛美している、私たちに、どんなところでもだれも聞いていなくとも、歌い続けるようにとのすすめをも感じる。また、自分が気付かない罪、なすべきことを思い起こさせようとする警告のようにも聞こえる。
また、あの薄い小さな柔らかい羽で、驚くべき美しい金属音のような音を生み出すことへの驚き、人間がどんなにあの羽をこすっても到底出せそうもない。神の御手が臨むとき、あのような小さなとるに足らないものも楽器になるのである。
私たちも小さな取るに足らない者であるが、神の力を受けるときには、神の国の賛美を奏でる一つの小さき楽器となることができる。


リストボタンキリスト者の成長とはどういうことか

子供を見ていると、半年や一年の間に随分と成長するのは驚くばかりである。容姿や表情、話し方、考え方や判断力などあらゆる点においてぐんぐんと成長していくようにみえる。
しかし、年齢とともに成長していかないものがある。それは他者への愛や真実、あるいは正義に向かって踏み出す力(勇気)、清い喜び、心の平和、希望
等々である。
これらは、いくら、背丈が伸び、知識、考え方が成長していったとしても、それに伴って成長していくことがない。かえって、真実さとか思いやり、心の清さ、勇気などは年齢とともに後退していく者が実に多い。
清らかさなど、幼な子のほうがずっとゆたかに持っていると思われるほどである。
キリストが復活して天に上ったのも、すべてのものを満たすため、であったという。(エペソ書4の
10
 何で満たすのか。それはキリストの賜物で満たすのである。キリストの賜物とは、あらゆる良きもの、すなわち愛、平和、喜び、神の力等々である。
天に上ってそれで終わるのでない、そこから聖霊というかたちになって、この世に再び来られた。はじめは神とともに在り、神であったキリストは、イスラエルの救いのためにこの地上に降りてこられた。しかし、イスラエルの多くの人たちは受けいれず、殺してしまった。
当時の人々は、弟子たちも含めてすべてが終わってしまったと思ったが、決してそうでなかった。
キリストは殺されて後に復活し、聖霊となって全世界、宇宙を満たすために地上に注がれるようになった。
満たす、成長するということは、新約聖書に深く刻まれている。福音書の最後に書かれたヨハネ福音書ではこのことがとくに明確に示され、著者みずからもその体験を豊かに与えられたのがうかがえる。
「この方(キリスト)の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、さらに恵みを受けた。」(ヨハネ
116
成長するということは、このキリストの豊かさを受け取っていくことなのである。
 だから、いくら成績がよくとも、自分で判断できても、またスポーツや芸術、会社運営、政治の世界などで活躍しているとしても、このキリストの豊かさが与えられていくのでなかったら、霊的に成長しているとは言えない。
キリストの豊かさとは、その真実、愛、正義、清さ、永遠の命
等々であり、そうしたものを持っているほど精神的には成長しているということは、多くの人が実感していると思われる。
 というのは、嘘を言う、愛がなく人を見下す、金が第一で正義感もない
といったことでは、成長した人間だとは誰も思わないであろう。
キリストに向かっていくこと、そして主の豊かさが与えられていることが成長していることなのである。
このような意味においては、死に近づくまで、限りなく成長していくことができる。しかし、多くの人は、定年退職したのち、何も仕事がなくなると急速に老化していく。
生きる目標を失うことは、老化を引き起こす。
しかし、キリスト者は、神の国というはっきりとした目標が与えられている。キリストに向かっていくこと、キリストの豊かさを受けることが成長であるならば、いつまでも可能だということになる。死を前にしていても、主に希望を置いている人はキリストに近づいているのだから、成長を続けていると言えよう。
そしてこの地球、そして宇宙も、キリストの再臨による新しい天と地への根本的変革に近づきつつあるということのゆえに、成長を続けているのである。


リストボタン触媒のはたらき

私たちの身近にあるものは、ほとんどみな化学反応を利用している。衣服やさまざまの家具、電気製品、あるいは紙や、食器やいろいろの製品に含まれる金属製品、プラスチック等々の製品で私たちの生活は包まれている。身近な機械である車一つとっても、自動車そのもの、そしてそのなかにあるものなど、みな何らかの化学反応によって造られている。
そうした無数の化学反応において、二種の薬品を加えるだけで激しく反応するのもある。例えば、酸とアルカリの反応は、ただ両者を混ぜるとたちまち反応するし、ナトリウムと水などもこの二つを合わせるだけで激しく反応する。
しかし、ふつうの温度ではほとんど反応しないか速度がきわめて遅い化学反応も多い。そのような場合、重要になるのが、微量であって化学反応を早くするが、自身は変化しないとみなされる物質である。それは触媒と言われている。私たちのまわりにあるおびただしい石油製品などはほとんど触媒を用いた反応により合成されていると言われるほどである。
水素と酸素が化学反応をして水となる反応は、ふつうの温度では生じない。しかし、温度を700度ほどに上げると、瞬間的に反応して、水となる。ナトリウムを水に入れると激しく発熱して水素を発生する。それが熱によって酸素と反応して爆発的に燃焼して水になるのは、試験管ででも簡単に実験できる。
この反応は、温度が低くとも、触媒があると反応させられる。水素と酸素の反応は、温度が低くても白金やパラジウムを触媒として用いると生じる。
このように、それ自身は変化しないが、反応の速さを変えるはたらきをするのが触媒である。
今年、ノーベル化学賞を受賞した研究も、パラジウムという触媒を用いて、本来なら生じない有機反応を起こさせるものであった。パラジウムというのは一般的には見たことのない人がほとんどだと思われる。白金のなかまであり、貴金属ともされる。
自然のままの状態では、このような貴金属が触媒としてかかわる化学反応などは起こっていなかった。
しかし、人間が見出して使い始めた。これは、さまざまの有用な化学反応に用いられている。
そのような有益なものが造られているとはいえ、他方ではそのために多くの環境破壊もより促進されていくという側面を持っている。触媒によって作られた石油製品は、プラスチックの器具や容器、ガソリンなどごく身近にあるし、衣服や住居、薬品など至る所で用いられている。こうした石油製品が多数の有用なものを生み出した反面では、さまざまの環境破壊、汚染も進行していった。
また、自動車の性能がよくなり、車内も快適になれば、いっそう多くの人たちが車を使う。しかしそれによって交通事故の危険性は世界的に見れば全体として多くなり、多数の人たちが命を落とし、また生涯を破壊されているし、静かな田園地帯が高速道路によってまったく環境が一変して自然が破壊されていくことも多い。便利な化学繊維によって、その地域の産物を用いた伝統的な手作りの衣服はなくなり、新建材などの普及によって、伝統的な住居は次第になくなっていく。
よいものも造られるが、他方そのよいものがまた害を与えるものにもなっているのは、科学技術の必然的な運命なのである。目の前の紙ひとつとっても、昔は植物の繊維を合わせて造っていた。そこには何ら害は生じない。しかし、それを木材を用いて化学薬品を大量に使い、不純物を取り去って現在のような安価で強い紙ができるようになってきわめて便利になった。しかしそのために、森林破壊が起こり、得られた木材を運ぶための道路建設による自然破壊、排気ガスの増大、製紙工場からは有害な物質が排出されるということ、また、その紙によって数知れない有害な情報も出版されていくようになった。
化学反応を速める、それはまた、人間に害のあるものの生産速度も速めることにもなる。
そして、貴重な触媒というのが、地上にどこにでもある、酸素や珪素、アルミニウム、あるいはそれらより少ないが多くある鉄や銅などではなく、白金やパラジウムという、きわめてわずかしかない、従って高価な金属類である場合には、新たな問題が生じる。資源の有限性や、産出がきわめて限られた地域であることから、それらを巡って争いや経済問題が生じる。そしてそれらが有限でありだんだんなくなっていくとどうなるのか、それに対しては答えを持っていない。またなんとかなるだろうという希望的な観測をするだけである。しかし、地上の資源は確実に減少していきつつあるのであって、今後、だれも予測できないような事態も生じる可能性がある。
これに対して人間など生物体のうちにある触媒は、酵素と言われ、体内で造られる。それらの酵素は、食物として取り入れたタンパク質をもとにして合成される。それがさまざまの体内において用いられている。
食べたものが口に入ったときから、触媒である酵素がはたらきはじめ、胃や小腸などに入っていくときも絶えず各種の酵素によって分解され、体内に吸収される。
また、食物として取り入れたデンプンや糖分などを酵素によって分解し、生じたブドウ糖を用いて細胞内にてそのブドウ糖からエネルギーを生み出すときにも各種の複雑な化学反応の過程を経ているがそこにも酵素がつねに働いている。
私たちの体内で常に働いている各種の神経による伝達にはその神経の末端で特別な物質が造られ、それが刺激を伝達するとすぐそれは酵素によって分解されたり吸収される。運動神経の末端から放出されるアセチルコリンは放出されたのちすぐに酵素によって分解されるが、その酵素が働かなかったら刺激がずっと続いて有害な症状が止まらなくなる。
このように、生物体内の触媒である酵素のはたらきがなかったら生物は生きていけないのである。

見えない世界における触媒
このような、触媒のように本来は起こり得ないことを起こすもの、そしてそれ自身は変化をしない。それは、目に見えない世界においても存在する。しかも、それは、特別な能力がなくても生じる。
それが、生きてはたらくキリストであり、言いかえれば聖霊のはたらきだといえる。
疲労して弱り、かつ空腹をかかえた多数の人たちを前に、五つのパンと二匹の魚しかなかった。しかし、主イエスの祝福によって幾千もの人たちが満たされた。それは主イエスの祝福こそ、触媒のはたらきをしているといえよう。
本来なら、遠く離れた町に買いに出かけ、しかもそのようなたくさんの人たちの分はないから、そのときから新たにつくり直していかねばならず、すでに夕方であるから仕事もあまりできず、翌日にパンを焼いていくということになる、そのような遅いことでは間に合わない。
常温ではごくわずかしかあるいはまったく生じない反応が、触媒を使うと低い温度でもたちまち生じる。
同様に、ふつうの人間にはきわめてわずかしかできない、あるいは不可能なことが、主イエスの力によるなら、たちまちできてしまうのである。例えば、自分に何か悪口を言われた、それがどうしても気になって仕方がない、とくにありもしないことを言われたというときには怒りが収まらないということもあるだろう。そして言い返すとか何か復讐のようなことをしようとすら考えるようになることもある。
そうした心に、聖霊の風が吹いてきて、いのちの水が魂からあふれるときにはそのような不快な感情はたちまち消え去っていく。使徒パウロはユダヤ人から激しく迫害されたことが使徒言行録に記されているが、それにもかかわらず、ユダヤ人たちのために、深い祈りを持ち続け、彼らのためには私がのろわれてもかまわないとまで言っている。
ステパノも、怒り狂った人々から石を投げつけられてもなお、平安を保ちかえって彼らのために祈って息を引き取った。それはまさに聖霊の力であった。
私たち人生は乗り越えることのできない高い障壁がある。その壁をいちじるしく低くし、だれもが乗り越えられるようにしてくれるのが、人生の触媒というべきものであり、それこそキリストであり、聖霊なのである。
旧約聖書における神ももちろんそのようなお方であったが、旧約聖書の時代には、イスラエル民族が圧倒的に中心となっていて、彼らのことがとくに記されている。
詩篇などは、この世のさまざまの困難を、神の力によって乗り越えようとする切実な願いであり、悪の力との戦いが赤裸々に記されている。そして実際に神の力によって不可能と思われた病気や敵対する人間、あるいは自分の罪との戦いに敗れることなく、勝利して歩んでいったことが多くその内容となっている。
新約聖書の時代、キリストが現れてからは、それが全世界のあらゆる状況における人に与えられることとなった。
ユダヤ人においては民族的な高い壁があった。割礼というユダヤ人特有の処置をしなければ救われないなど、数々の複雑な規定、律法を守らねば救われないのであった。
しかし、キリストはそれらをすべてを、神を愛し、隣人を愛する、ということに集約された。それによって私たちとしてせねばならないことは、ただ主を信じ、十字架のキリストを仰ぐだけでよいこととなった。そうすれば聖なる霊が注がれ、隣人への愛も自ずから生まれるようにしてくださった。
この世に生きることはいたるところで、毎日、私たちはいろいろな壁があることを知らされる。それを乗り越えていかねば、落ちていく。逆戻りしてしまう。
聖霊は、そして生きて働くキリストは、私たちの毎日の生活において導いて下さるばかりでない。本来は越えられない壁を目に見えない翼を与えて乗り越えさせてくださる。最終的には死というだれもが越えられない無限に高い障壁をも、ただ信じるだけで、越えていくことができるようにして下さるのである。


リストボタンたとえ山々は揺れ動くとも詩篇46

聖書全体のなかでも、とくに神の守りに対する不動の確信というべきものを豊かにたたえているのがこの詩である。それゆえ、この詩は「聖なる信頼の歌」(
THE SONG OF HOLY CONFIDENCE)と言われる。
また、宗教改革という歴史的なはたらきをすることになったマルチン・ルターがこの詩に深い共感を与えられ、この詩の内容に合わせて歌詞をつくり、作曲した。それは、日本の讃美歌にも取り入れられ、長く愛唱されてきた。
その意味でこの詩は、世界的なはたらきを五百年以上も続けてきたということができる。
信頼にもいろいろある。日本においては、信頼といえば、多くは人間に対してであり、あるいはお金や組織(会社)などへのものであるが、それらはみないざというときにはあえなく崩れ去るようなものでしかない。
いかなることがあろうとも、壊れることのない神への信頼こそ、聖なる信頼ということができる。
私たちは何によって確固たる精神を抱くことができるのだろうか。社会的な状況は絶えず移り変わる。それに大きく影響されるのが、人間である。周囲の人たちがこう言えば、自分もまたそれに流される。状況が変わって、別のことを言い出すとすぐにそれに従っていく。戦前の日本の天皇や戦争や平和に関する考え方など、太平洋戦争の前と後では決定的に変わった。太平洋戦争の戦争中では、中国などへの侵略戦争をも、こともあろうに聖戦だと言っていた。
このように激変する人間の考え、それは現代もまったく同じである。周囲が軍備を持つべきだ、といえば、平和憲法の重要性を深く知ってきたはずの日本人が簡単にその波に押されて、やはり正式の軍隊を持つべきだ、と言いだす。
平和な時代、戦争の時代、また経済成長の大きかった時代、そして不況の時代等々、人間の考えは次々と変わっていく。
人間そのものも老齢化して、考え方は大きく変化していく。
そうした一切のことが起ころうとも変ることがない確信、不滅の確信というものは、人々の中に見出すことは困難である。
その中で、この詩は、揺れ動く世界のなか、また闇に迷う無数の人たちの上に星のように輝いている。


神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。(詩編
4614

避けどころ(隠れ家)を持つ人たち、それは何と幸いなことだろう。魂の隠れ家を持たないとき、私たちは、病気などの苦しみの時、他者から非難、攻撃され、あるいは中傷されたときには魂が大きく傷つきあるいは、壊れてしまう。そしてひどい場合には生きていけなくなる。
そのようなときに、隠れ家を持つ人は、そこで安らぐことができる。傷口をいやすことができる。壊れかかった心を修復していただき、ふたたびフレッシュないのちの息づく魂へと変えていただける。
その隠れ家を持つということ、それはどこから来るか。それは天地創造の神から来る。それゆえにこの詩の作者は、天地創造のことをここで述べているのである。天地創造をした神であるのならば、天地にいかなる動揺や破壊が生じようとも、そこから修復することが可能になるのは当然のことになる。
無から有を創造した神は、当然、壊れたものをも修復できるからである。
たとい山々が揺れ動き、深い淵からあふれ出ようとするときでも
これは天地の大いなる動揺、災害、などを含んでいる動かされることがない、それは人からでなく、神から来る力であり、確信である。
私たちも何か困難に直面したとき、天地創造をされた神を思い起こす。そのとき、私たちの眼前にある難しい問題とみえるものも、おのずから、溶けていくようにその問題が消えていく。
天地創造をすることのできない神々、そういうものにすがっていたら、目的地へは行くことはできない。


大河とその流れは、神の都に喜びを与える*
いと高き神のいます聖所に。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
夜明けとともに、神は助けを与える。
全ての民は騒ぎ、国々は揺らぐ
神が御声を出されると、地は溶け去る。
万軍の主は、わたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。(
58節)

* )大河と訳された原語(ヘブル語)は、ナーハールで、一般の川を指すとともに、ユーフラテスのような大河をも指すことがある。日本語訳も口語訳、新改訳、関根正雄訳などすべて、「川」と訳している。新共同訳で大河と訳されているのは、豊かな川の流れを強調するためであろう。

上にあげたこの詩の二つ目の段落においては、直前の節にある、全世界の激しい動揺や混乱(山々が揺らぎ、海の中に移る、地が姿を変える、海の水が騒ぎわきかえる )とまったく異なる状況が記されている。
大河とその流れが、神の都をうるおすという。神の都とはエルサレムである。死海付近からバスなどでエルサレムに向かった人は、だれでも、木一本も生えていない死海のほとりの砂漠的状態の地から、エルサレムに向かう登り道にも、ずっと草木が見当たらない砂漠的状態に驚いてしまう。しかも、そのような山を上って標高
800mの山の頂上部に、エルサレムという都会があるのだから、普通の国の首都という概念にはまるで合わない。
そのような山の上の町であるから、大河など流れているはずはない。にもかかわらず、エルサレムに川の流れがあり、それが喜びを与えると記されている。ここにこの作者が受けた啓示がある。いかに渇いているところであっても、神がそこにいますゆえに、川が豊かに流れるということである。
このことは、ほかの旧約聖書の箇所においても印象的な記述がある。


彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。 見よ、水は南壁から流れていた。川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。
川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。(エゼキエル書4719より)

ここにも、エルサレムの神殿からあふれ出て流れていく川が示されている。これは預言者エゼキエルが遠く捕虜となって連れて行かれたバビロンの地で啓示されたときの内容である。
ここにも、その水は神殿からわきあふれる、とある。神殿とは神がおられるところ、神が現れるところであったから、その水は神からあふれてくるのだという意味がこめられている。
現実には、この世には、さまざまの混乱や問題がいつも生じているし、ときにはたいへんな災害も戦争も起きる。この詩では、天地の大異変のような出来事があろうとも、神のおられるところからは、命を支える水があふれ出てくる。これは、人間にはできないことで、神がそのようになされる。
現代の私たちにおいても、この世はいたるところでさまざまの困難な問題で紛糾している。自分が事故や病気になって、重い症状のときには、心も混乱してしまう。そして助けも与えられないときには、神はいないのではないか、という深刻な疑問も心の中に生じてくる。これは旧約聖書のヨブ記に長い内容をもって記されている。
そのような時であっても、私たちがあくまで神にすがり、主を仰ぎ続けるときには、時至れば私たちの魂の奥からいのちの水がしずかに流れてくる。そして揺らぐことのない心へと変えられる。
魂の夜明けが必ずある。
水の流れ、これは聖書の記されたイスラエル地方は、雨量が少なく、川もヨルダン川以外は、一年をとおして流れている川などほとんどない。それゆえに、水の流れを待ち望むのは日本人の比ではない。日本では、どこに行っても水は豊かに流れているからである。
水の流れは、聖書には、その最初から特別な重要性をもって現れる。最初の地上世界の状況は、創世記2章によれば、神が雨を降らせなかったゆえに、草木も生えていない砂漠的状況であった。しかし、そこには、水が地下から湧き出て、大地をすべてうるおしていた。
さらに、エデンという場所からは、一つの川が流れ出て、そこに造られた世界で最初の果樹園とも言えるエデンの園をうるおしていた。
さらに、そこから、全世界へと流れ出て、うるおしていたという記述がある。(創世記2の
614
この詩編四十六篇にある、「川とその流れは、神の都に喜びを与える」という記述は、こうした創世記の記述と深いところでつながっている。
このような、神ご自身からあふれ出る川の流れ、あふれる水を持っているものこそ、この世のあらゆる動揺や混乱、不安から解放され、揺らぐことなき状態へと変えられると言おうとしている。
キリスト以降の時代に生きる私たちにとって、このような魂の世界に流れる川とは、すなわちキリストであり、聖霊にほかならない。


祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ
73738

私たちが、この世の闇の力や混乱から助け出され、真に救われているということは、魂の奥から流れ出るいのちの水があることによってわかる。しかも、その助けは「夜明けとともに」与えられる。
川が流れる、それは人間の心の世界だけでない。周囲の自然もまたその内には「川」が流れている。身近な草木にも、連なる山なみにも、青い空や海など、みなそれらの内にもある種の川が流れている。それはそうした自然は神によって、神の愛によって創造されているからであり、そこには神の愛が刻まれていると言えよう。
私たちがそのことを信じて見つめるとき、それらの自然の中に、たしかに見えざる川の流れがある。星の光にもいのちの流れがあり、青く澄んだ大空や雲にも、そこから流れ出ているものを感じる。


すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ
神が御声を出されると、地は溶け去る。(
7節)

現実のこの世界の状況、それは混乱と動揺に満ちている。そして、いかに力あるものに見えても、神の声によって、それらは溶けていくように力を失い、あるいは崩れていく。
神の一声、それはいかに絶大な力を持つことであろう!
いかなる暗黒、混沌であっても、「光あれ」のひと言によってすべてを変えられるお方なのである。
現代の私たちにおいても、真に神からの語りかけのひと言を受けるときには、心の内なる混沌や闇はたしかに消えていく。


万軍の主は私たちとともにいます。
ヤコブの神は私たちの砦の塔。(
8節)

万軍の主とは、わかりにくい表現である。この万軍と訳された原語(ヘブル語)は、「万象」ばんしょう(宇宙のすべて
詩篇336)とか、天使たちや星々を意味する場合もある。万軍の主というときは、もともとは、イスラエルの軍隊を導く主、という意味であったが、のちには、そのような狭い意味から、宇宙万物を創造され、支配されている主、という意味へと広がっていった。(*

*)現代の英訳聖書の代表的なものの一つは、ギリシャ語訳旧約聖書と同様に、次のように、万能の主と訳している。The LORD Almighty is with us.NIV

それゆえに、この詩篇46篇の8節においては、「万能の主は、私たちとともにおられる」という意味で言われている。万能の神であり、正義と愛の神であるゆえに、悪と戦い、打ち破る神でもある。ヤコブの神とは、イスラエルの神と同じ意味であり、イスラエルの人々が信じ、導かれてきた神こそは、敵対する者が近づけば、撃退し、私たちを守って下さる砦だ、という実感がここにある。

来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。
主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々にあがめられ、全地にあがめられる」。
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。(詩篇
46912

この世の大いなる混乱のただなかにおいて、この詩の作者は、神のいますところに、目には見えない霊的な水の流れを実感した。そこから、作者は、歴史の流れのなかに働く驚くべき神の力を啓示された。それは、真理にさからって動く人々の群れはみな滅んでいくということである。もはや戦うこともできないように、弓、槍などの戦争の武器も破壊される。そうして、武力が力なのでなく、宇宙や世界を創造された神こそが、本当の力あるお方、万能のお方なのだと分る。
ここに引用した「主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。」(
10節)
これは、神が諸国の武力を徹底的に破壊してもはや神のご意志に逆らって戦いをできないようにさばきを行われるという意味で言われている。
こうした神のご意志は、預言者イザヤの書にも現れている。


主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書
24

そして、そこから、世界の歴史においても、その戦争はみな神のご意志にさからって行われてきたものであるから、最終的には、神のさばきのときには、このように武力を破壊され、永遠の平和を造り出される。
それは教育や平和会議とか軍縮の会議によってではなく
それらをいかに積み重ねても今日に至ってもなお、戦争はなくなろうとはしない神の万能の力によってのみ達成される。そしてそれは、最終的にはキリストの再臨によってなのである。
たしかに、万物を創造したゆえに、新しく創造することもできる神の力の臨むとき、それがキリストの再臨のときであり、そのような時でなければ永遠の平和というのはいつまでも来ることがないであろう。
現実の生活のなかで、天地異変というべき大いなる出来事が起ころうとも、永遠の岩である神に頼るならば、決して動揺しない。そのような強固な確信を持ちつつ歩んでいく。そしてその確信のなかにあって、魂にはいのちの水が流れている。魂の力と、うるおいを同時に与えられているこの作者の内面の世界こそは、現代の揺れ動く確信なき世界への適切なメッセージとなっているのである。


リストボタン詩篇46篇に基づく讃美歌について

宗教改革という歴史的に大きな出来事につながったルターの歩みとその戦いは、詩篇
46篇にみられる神への不動の信仰によって支えられ、励まされたのがうかがえる。詩篇46篇を神からの霊感によって作った作者の信仰は、ルターにもそのまま伝わり、世界の歴史に大きな影響を与えることにもつながった。
聖書の詩は、単なる故人の感情とか一時の感慨を記したものでなく、それが神の言葉とされて聖書に収められていることからうかがえるように、背後に神の手が働いていた。
ルターが詩篇
46篇をもとにして、自らの作曲したメロディーに合わせて作詞したのが、「讃美歌」二六七番であり、「讃美歌21」の三七七番である。
讃美歌の歌詞は次のとおりであるが、この歌詞には初めて歌う人、あるいはそうでなくとも、以前から歌っているという人でも、はっきりとその意味を知ったうえで歌っているとは言えない人たちも多いと思われる。

1、神はわがやぐら わが強き盾
苦しめる時の 近き助けぞ
おのが力 おのが知恵を
頼みとせる
陰府の長も など恐るべき

・神のことを「やぐら」と言っているが、一般の人には、やぐらといっても、火の見やぐら、やぐら太鼓、やぐらこたつ、といったものしか連想できないだろう。だから、神はわがやぐら、といっても神の力強さというのはまるで浮かんでこない。また、後半の、
「おのが力、おのが知恵を
」と続く歌詞も、一般の人にとってはとてもわかりにくいもので、現代では、「おのが力」とか、「陰府の長」、「などべき」などといっても理解しづらい人が多数であろうし、そもそも「陰府の長」と言われてもそれが何なのか、すぐに分る人などほとんどいないはずである。それゆえ、この一連の歌詞も、意味が分からないままで歌うということになりかねない。
私の手もとに、一九三一年発行の「讃美歌」があるが、それとまったく同じである。今から八〇年以上前の言葉であるからわかりにくいのも当然である。
これを、新しくできた讃美歌
21の歌詞と比べてみよう。

(讃美歌
21)1、神はわが砦 わが強き盾、
すべての悩みを 解き放ちたもう。
悪しきものおごりたち、
よこしまな企てもて 戦を挑む。

指摘したような、不可解な言葉、わかりにくい言葉はほぼだれでも分る言葉に変えられている。

2、いかに強くとも いかでか頼まん
やがては朽つべき 人の力を
われと共に 戦い給う 
イエス君こそ
万軍の主なる 天つ大神

・ここでも、「いかでか頼まん」といった表現、あるいは、「天つ大神(おおかみ)」という名前は、現代では一般的にはほとんど使われない言葉である。
また、大神というのは、大御神(おおみかみ)を簡略化した用語である。そして、戦前は、大御神とは、天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみとも読む)を連想させる言葉であったし、現在でも、年配の人はそうではないかと思われる。そして、天照大神とは、天皇の祖先の神だと戦前では特に強調され、教えられていた。
そして、大御〜という表現は、天皇に関係するときに使われる。例えば、大御心(おおみこころ)といえば、「天皇の心」であり、大御言(おおみことば)といえば、「天皇のことば。みことのり。」を意味する。(広辞苑)
このような、天皇や神道的ニュアンスを持った独特の用語を使うよりも、そんな連想のない、現代のだれにもわかる言葉を神への賛美として使うのがより望ましいことである。
讃美歌
21ではこの二節の歌詞は、これらの問題ある歌詞は除かれ、次のように変えられ、この歌詞が、従来の「讃美歌」の歌詞よりもいろいろな意味でよくなっているのがわかる。

(讃美歌
21)2、打ち勝つ力は われらには無し。
力ある人を 神は立てたもう。
その人は主キリスト、万軍の君、
われと共に たたかう主なり。

次に三節に移る。
3、悪魔 世に満ちて よしおどすとも
かみの真理こそ わが内にあれ
陰府の長よ 吠えたけりて
迫り来とも

・ここでも、「よしおどすとも」という表現は、たいていの若い世代の人には不可解であろう。また、すでに述べた、「陰府の長」というのが大抵の人にとっては不可解であるうえに、それが吠えたけって迫る、などと言われても、誇張したような表現とか意味不明の表現だということになる可能性が大きい。これも讃美歌
21では、だれもがわかる表現へと変えられている。

(讃美歌
21)3、悪魔世に満ちて 攻め囲むとも
われらは恐れじ 守りは固し
世の力さわぎ立ち 迫るとも
主の言葉は 悪に打ち勝つ

最後の節は、全体の内容を締めくくるものとなるが、これも従来の讃美歌では、一般の人にはわかりにくいものとなっている。

4 暗きの力の よし防ぐとも
主の御言葉こそ 進みに進め
わが命も わが宝も 取らば取りね
神の国は なおわれにあり

「よし防ぐ」とか、「取らば取りね」といった表現も、わかりにくい。
これも、讃美歌
21では、わかりやすく、かつ締めくくりとしてふさわしい歌詞に変えられている。

(讃美歌
21)4、力と恵みを われに賜わる
主の言葉こそは 進みに進まん。
わが命 わがすべて 取らば取れ。
神の国は なおわれにあれ。

讃美歌の歌詞は、ひと言ひと言が重要な意味を持つゆえに、メロディーとの関連があるので、変えることが難しいのも多いが、いろいろと努力されているのがうかがえる。
なお、「わが命わがすべて取らば取れ」の部分は、一九三一年版の讃美歌では、「わが生命もわが妻子もとらばとりね」となっていた。それが、一九五五年版では「わが命もわがたからも
」となり、さらに讃美歌21 では、「わが命わがすべて取らば取れ」となった。この移り変わりも、よりよい歌詞、わかりやすい歌詞にしようとの努力がうかがえる。
「わが妻子」と言っても、未婚の人や病気などでなくした人もいるので、一般的でないから、戦後の版では、「わが宝」となって一般的な表現に変えられ、さらに讃美歌
21では、「わがすべて」とさらにわかりやすい表現へと変えられた。
以上のように、戦後まもなく改訂がはじめられ、一九五五年に発行された従来の「讃美歌」は、その表現、用語、そしてその選曲が圧倒的に欧米にかたより、さらに一八〇〇年代のものが当然のことながら、多数を占めていることからも、その改訂が求められてきたのは当然のことであった。
そうした検討を経て、讃美歌
21が一九九七年に発行された。これについては、昔から歌い慣れてきた従来の讃美歌が歌いやすく心にしみ込んでいるということや、愛唱されてきた賛美がなくなったとか、曲と歌詞がうまくあっていないように思われるのもあり、また曲をより原曲に近づけたために、歌いにくくなったのもあるなど、問題点もいろいろある。
しかし、戦前では当たり前であった天皇制用語、神道用語、さらに一般の人にはわかりにくいような文語的表現などをできるだけ避けて、よりわかりやすい言葉にしたこと、欧米だけでなく、広く世界のすぐれた賛美を収録してグローバル化した現代にふさわしいものとしたという点などはすぐれた改革点だと言える。
昔からの讃美歌には、文語的な力強い表現、含蓄ある歌詞も捨てがたいものがあるし、それらを保存して歌っていくという別の重要性もある。
しかし、文語訳聖書から口語訳に移ったとき、文語訳の優秀性のゆえに、口語訳への移行を望まなかった人も多かったが、次第に口語訳へと移行し、現代では文語訳を礼拝に用いているという教会は特殊な例を除いては存在しなくなった。
文語的な、格調高い表現にこだわっていたり、伝統や習慣を重んじていたら、万民への福音伝達という、より大いなる次元のことがおろそかになることがある。
中世の長い期間、ラテン語訳の聖書が神の言葉とされ、英語などに訳すること自体を異端とされたりしたほどであった。ルターと同じ時代のイギリスのティンダルは、英訳聖書をさまざまの苦難をへて完成したが、捕らえられ、処刑されてしまったほどである。しかし、彼の訳した英訳聖書がのちの欽定訳聖書(
King James Version)となって、世界で最も広く読まれる聖書となった。
讃美歌においても、文語の歌詞が、江戸時代の終わり頃からキリスト教が入ってきて以来、長く当然であった。従来の「讃美歌」には、口語の讃美歌は一つも含まれていない。聖書もほとんどすべての教派において、万人にわかりやすい口語となっている状況にあって、賛美は神の言葉をもとにしているべきであるから、当然、賛美も口語でするのが本来のあり方となってくる。
実際、讃美歌
21でも全面的に口語での賛美に変えようというのがはじめの方針であったが、全面的に口語にすることの困難さと、従来の歌詞への愛着の強さのために、断念し、部分的に文語のものも入れるようになったのであった。
また、讃美歌第2編には、「みことばをください」という口語の讃美歌が入っている。これが作られて二年後にこの第2編の讃美歌が作られたこともあって、このような口語の賛美を入れること自体に讃美歌を検討する委員会では反対が多かったという。しかし、実際に讃美歌第2編に含まれると、この歌は全国的に歓迎され、愛唱されるようになった。
こうした神の言葉や賛美ということの本来の意味を考えていくとき、だれにでもわかるということは不可欠のことであって、従来の「讃美歌」のように、全部わかりにくい文語、現在使っていない言葉で賛美をする、ということ自体、万人への福音という精神には合わないということになる。
なお、友よ歌おう、リビングプレイズ、プレイズ&ワーシップ、あるいは、現在の日本の賛美集のうちで、最もグローバルな賛美集である、「つかわしてくださいー世界のさんび」
*というのもすべて口語である。カトリックの典礼聖歌集は二〇年ほど前に出版されたものであるが(約280頁)、それもほとんどすべてが口語の歌詞での賛美となっている。

*)「つかわしてくださいー世界のさんび」という、賛美集としては異例の名前であるが、これは、世界教会協議会やその他の教派を超えた集会で用いられてきた賛美集から選ばれて作成された、70を越える国々の294曲の賛美集であったが、日本語版は、そこから35曲を選んで作られた。(日本キリスト教団出版局発行)自分の安心や救いの喜びを歌うだけでなく、救われた人は、それぞれがふさわしい場へとつかわされていき、証しをし福音を伝えていくという精神をこの賛美集のタイトルにしている。キリスト者とされたときから、自分の救いに安住していることなく、新たな場へと遣わそうとする神のご意志があるからである。

詩篇46篇をもとに、ルターが作詞・作曲した讃美歌*は広く歌われるようになった。

*)そのドイツ語歌詞の最初の部分は次のようなものである。
Einfeste Burg istunserGott, einguteWehr und Waffen.
(アインフェステブルクイストウンザーゴット、アイングーテヴェールウントヴァッフェン)
(私たちの神は堅き砦、よき守り、そして武器である。)
Erhilftunsfreiausaller Not, die unsjetzt hat betroffen.
(エアヒルフトウンスフライアウスアラーノート、ディウンスイェッツトハットベトロッフェン)
(神は、今も我々に降りかかるあらゆる苦難から私たちを助けて自由にして下さる。)


このルターの讃美歌は、のちにバッハのカンタータ*にもルターの讃美歌と同じ名前で取り入れられたので、より広く知られるようになった。(BWV80番)

*)ラテン語のカンターレ(cantare)「歌う」に由来する言葉で、独唱・重唱・合唱と管弦楽からなる声楽曲を言う。バッハの教会カンタータが有名。  

この詩篇46篇をもとにした讃美歌として、ほかに愛唱されてきたのは、讃美歌286番(新聖歌297番)である。

1、神はわが力 わが高きやぐら苦しめる時の 近き助けなり
2、たとい地は変わり 山は海原の中に移るとも われいかで恐れん
3、神の都には 静かに流るる
きよき河ありて み民を潤す
4、御言葉の水は 
疲れを癒して新たなる命 
与えて尽きせじ

以上のように、詩篇
46篇はその内容が、とくに神への堅き信頼に貫かれているゆえに、宗教改革者ルターの信仰を励ますものとなり、そこから広く愛唱される讃美歌が生まれ、側面から助ける役割をも果たしたのである。
詩篇の内容は、それ自体一つの泉となりそこからあふれ出てさまざまの国々へと流れ込み、そこで聖なる霊の風を送り、あるいはいのちの水となって多くの人たちの魂をうるおし、力を与えてきたのである。


リストボタンダンテ 神曲煉獄篇第27歌(その2) 浄めを終えた魂のすがた

煉獄の山の最後の環状の道を通り、そこから山の頂上に至る登りの道を上がるためには、その環道に燃えている火を潜っていかねばならなかった。それは非常な苦痛を予想させたため、ダンテはその火を到底くぐっていけないと感じた。
しかし、ひるむ彼に力を与えて火の中を潜らせたのは、その火を潜って初めてベアトリーチェに会えるという希望であった。ベアトリーチェとは、神の愛の象徴である。その希望を生き生きと保つようにと、導き手のウェルギリウスは、ベアトリーチェのことを語り続けた。
そして、その向こうから響いてくる賛美の歌声によっても導かれて、ついに非常な苦しみを覚えつつも、炎のなかを通って出ることができた。そして、頂上に至る最後の登りへとさしかかった。
そのとき、日は沈み暗くなった。煉獄においては、日が沈むと、一歩も上に向かって昇ることができないのである。
夜の闇になるとたちまち一歩も昇ることはできない。
このことは、いかに、意志が強く、知識や能力があっても、なお、霊的に前進すること、高みに昇ることは、できないことをダンテが深く知っていたことを示している。
それは、目に見えることがどんなにできるかといった表面的なことにとらわれないで内奥を洞察する眼力が必要とされる。
ダンテにこうした見通す力を与えたのは、一つには、彼の経験していった苦難であり、苦悩であり、孤独であったと考えられる。神は、特別に深い見抜く目を与えようとする人には、また特別な苦しみや悲しみを与えて鍛えようとされる。
光を受けていなければ私たちは上っていくことはできない。知識や技術などをいくら習得しても、それは、平面的にひろがるだけであって、より高くは昇ることはできない。
幼い子供には知識や技術、経験もない。それに対して、大学を卒業するまでには多くの知識、技術、経験を与えられる。しかしそのような人たちの心は、より高くなっただろうか。すなわち、より清い思いを抱き、より純粋な愛がふくらみ、より敵対する者たちへの祈りは深まったりしただろうか。
そういうことはない。すなわち、高きへ昇ることは、そうしたものによってはできないのである。
すでに第七歌にあったように、太陽の光がなかったら、彼らは、横に動くか、下に降っていくしかできない。


いいですか。この線ですら、
日没後は越えることはできないのです。
上へ登るのを妨げるものは何もないが、
夜の闇だけは、山に登るのを不可能にして
気力を失わせるのです。
地平線の下に日が沈んでいる間は、
夜の闇とともに下に降り
山の麓をさまよい歩くことしかできないのです。(煉獄篇第7歌
5360行)

これは、地上の人間の精神的なすがたを指し示している。いくら知識や学問を増やし、また経験や年齢が増大しても、上よりの光がなければ、横に動くか、下に降ってしまうことでしかないということなのである。
世界大戦など、知識や普通の意味の能力に恵まれた人たちがやり始めたことである。また、物理学の知識は増えたが核兵器など人類に重大な脅威を与えるものを造ってしまったという意味では、下に降ってしまったものだともいえる。
「闇に追いつかれないように、光あるうちに、光の中を歩め」(ヨハネ
1235)という言葉は、現代の私たちにとっても常に真理である。光のうちに留まるのでなければ、私たちは闇に追いつかれ、闇の支配下に移されてしまうからである。
私のうちに留まれ、そうすれば私もあなた方のうちに留まる。私のうちに留まっていないと、あなた方は実を結ぶことができない。(ヨハネ154
こうしたことはみな同じことを述べている。

夜になって上れなくなったダンテとウェルギリウスたちは、上に登る石段の途中で夜を過ごすことになった。
昼の間は活発に動き回っていた山羊は反芻するときにはおとなしくなり、暑い日中には木陰で休む。また、羊たちも夜になると、羊飼いたちに見守られて眠る。それと同じように、ダンテもウェルギリウスという羊飼いに見守られて夜を過ごすことになった。
左右の岸壁は彼らを取り囲んでいるために、そこからは少ししか外が見えなかった。そこで、いつもよりもっと大きく明るい星を見た。
ダンテは、いろいろと考え(羊や山羊が反芻するように)、星を見つめているうちに、眠りに入った。それは重要なことが起きる前にそれを予告する眠りであった。その星とは金星であり、明けの明星なのである。それは「たえまなく愛の火に燃えている」と表現されている。金星のことを、英語でビーナスというが、もとは、ギリシャ神話で菜園の女神であったが、のちに美と愛の女神とされるようになった。
キリスト教においては、神の愛によって万物は創造されたゆえに、自然界の事物は何らかの意味で神の愛が込められている。星も同様で、神の愛によって輝いている、燃えているということができる。
とくにここで、ダンテが山羊や羊の反芻することを取り上げているのも、人間にはものを考えるということ、あるいは霊的な意味を深く知るためにも、過去に生じてきた出来事をいろいろと思いめぐらすことが重要となる。それは霊的な反芻と言える。
山羊は、餌を求めて活発に活動する。そして日が高く登ったときには、木陰にて休み、反芻する。この情景描写は、ダンテ自身のことをも含めて書いている。彼もたえず行動的であった。しかし、つねにそれとともに、自分がなしたこと、周囲の人間の動向などを詳しく黙想する。神の守りのこと、またなすべきことをも黙する祈りのなかで、霊的な反芻を繰り返すのである。
夜は、羊たちは牧者に守られてゆったりと過ごすが、牧者は、群れの近くに野宿し、羊たちを見守り、育てていく。
この記述は、完全な牧者であるキリストを思い起こさせる。主イエスは、夜通し祈ったほど、周囲の助けなく絶望的になっている魂の救いのために愛を注いだお方であった。
イエスの母マリアについては聖書全体ではごくわずかの記述しかない。福音書でも、ルカ福音書とマタイ福音書に少しマリアのことが記されているだけであり、ヨハネ福音書にはまったく記述もない。むしろ七つの悪霊を追いだしてもらったマグダラのマリアの方はすべての福音書に記されており、十字架の処刑のときも、復活のときにも第一に記されているほどの重要な位置づけがなされていて、イエスの母マリアよりも重きが置かれているほどである。
また、パウロやペテロ、ヨハネの手紙などにもイエスの母マリアのことは出てこない。そのようなわずかな記述のなかで、次の言葉はマリアの特質をあらわすものとして受け取られてきた。
「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(ルカ福音書
219
これは、ダンテが書いている「反芻」だと言える。聖書の言葉、礼拝で学んだこと、あるいは自分が受けたこと罪、恵み、不可解な出来事、思いがけない出来事等々、どんなことであれ、自分が歩んだあとを思いめぐらし、反芻することは新たな恵みを受けるためにも重要なことである。
絶えず目新しいこと、珍しいことを追いかけていくのは、それと逆であり、そこには祝福がない。
ダンテが星を見つつ、いままでのことを思い返してその意味などを考え反芻していたとき、眠りに入ったがそこで夢に現れたのは、二人の若くて美しい女性であった。


私の名はレア、花輪を編もうとして美しい手を動かしながら私は行きます。
鏡をながめて、みずから喜ぶことができるように。ここで我が身を飾るのです。
私の妹のラケルは、その鏡の前を離れずに、終日そこに座っています。
私が手で私の身を飾るのを喜ぶように
彼女はその美しい目を見ることを喜ぶのです。
妹は見ることに、私は、行うことに満足を覚える。(煉獄篇第
27100108行)

*)以下に、この箇所の「私の妹のラケルは」の部分に関して、英訳の代表的なものである、ケアリ訳と、ロングフェロー訳を参考のために引用しておく。
But my sister Rachel, she
Before her glass abides the livelong day,
Her radiant eyes beholding, charm'd no less,
Than I with this delightful task. Her joy In contemplation, as in labour mine.
(ケアリ訳)
------------------------
But never does my sister Rachel leave
Her looking-glass, and sitteth all day long.
To see her beauteous eyes as eager is she,
As I am to adorn me with my hands;
Her, seeing, and me, doing satisfies.
(ロングフェロー訳)

ここには、創世記にでてくるヤコブの妻となったレアとラケルに託して、人間のあり方の二つが象徴的に描かれている。
 鏡とは、中世においては、瞑想、観想(
contemplation)の象徴であった。鏡にうつった目を見つめるとは、自分のそうした観想の力を深く知ろうとすることであり、またその自分の目の背後にいます神を見つめるということでもあった。
 レアは行動することによって、満たされる。だがラケルは、見ること、観想的な生き方によって満たされ、喜びを感じる。
 この二つは、煉獄篇
28歌以降にあらわれる、マチルダとベアトリーチェという二人の女性を暗示するものである。
 レアは花を摘んで花輪にするため、手を休める暇もない。よき行動をすることによって、次々と霊的な花輪を増やしていく。それは現代も同様である。私たちのよきわざは、主イエスによって覚えられ、花輪に託されていることであろう。
もう一つのタイプである、ラケル、それは黙想である。レアは、行動的、ラケルは瞑想的、反芻的である。キリストは、この双方を完全なかたちで併せ持っていた。夜を徹して祈り続け、また他方、日中はきわめて行動的であられた。
聖書において、ヨハネ福音書はここで言われているラケル的側面を他の福音書よりも強くもっている。例えば一章においては、見る、という意味の言葉が、ギリシャ語で4種類、
13回も用いられている。こうした点においても、ヨハネ福音書がほかの三つと異なって、「見る」ということの重要性を示しているのがわかる。
そして、この二つの型に近いあり方は、新約聖書において、マルタとマリアの記事にも見られる。主イエスが彼女たちの家を訪れたときに、マルタは接待に忙しくしていたが、妹のマリアはじっとイエスのもとで話しに聞き入っていた。マルタは、マリアが何も自分を手伝おうとしないのを見て、イエスに向かって、妹に手伝ってくれるように言って欲しいと、不満をあらわした。しかし主イエスは、必要なことはただ一つ、マリアはよい方を選んだのだ。それを取り上げてはいけない。(ルカ
103842)と言われた。
 このような主イエスの言葉によって、私たちはまず、み言葉に聞き入ること、み言葉を魂に深く受け取ることが求められているということがわかる。そうでなければ、マルタのように、平安を失い、だれかを非難したり裁いたりする心が生まれてしまう。
 このことは、旧約聖書においても繰り返し現れる。
 例えば、詩篇において、詩篇全体の巻頭言といった役割を果たしている詩篇第一篇では、次のように記されている。


いかに幸いなことか
主の教えを愛し、その教えを昼も夜も心に深く思う人は。
その人は流れのほとりに植えられた木。
時がくれば実を結び、
葉もしおれることがない。

 主の教えとは神の言葉である。まず神の言葉を深く受けいれることによって私たちの魂に神の国からの水が流れ、それによって実をつけることができる。すなわち、現実の行動においてもよきものを生み出すことができると言われている。
 み言葉に聞き入り、受け取ることが出発点なのである。
 ラケル的な「観ること」、真理にかかわるもの、霊的なものを見つめることによって究極的な幸いがあるということは、すでにギリシャ哲学の代表的存在であるプラトンやアリストテレスもとくに重要なこととして書いている。


真実在を観ることがどのような喜びをもたらすかということは、真理を愛する人を除いては他の誰も味わうことはできない。(プラトン著「国家」582C 岩波文庫版では下巻272頁)

 また、アリストテレスも、次のように述べている。
人間のうちで最善の部分(理性・ヌース)を働かせる活動こそ、究極的な幸いであり、それが「観る」(テオーリア)という活動である。それは常にどのような状況においても持続できるからである。
(「ニコマコス倫理学第
10巻第7章」河出書房版 日本の大思想U223頁)

 この点においては、聖書と共通しているところがある。
 しかし、こうしたギリシャ哲学者の深い洞察にもかかわらず、重要な点で聖書の内容と大きく異なるものがある。それは、プラトンもはっきりと述べているが、そのような真理愛、真実在を観るということは、そのための能力が必要であり、思索するための時間、ゆとりが必要となる。
 しかし、聖書の世界においては、どのような人でも学問的なこと、哲学的な思索もできない人であっても、みずからの弱さを知り、ただ神を仰ぐだけで、神との交わりの生活へと導き入れていただけるのである。
 福音書のなかでも、最後に書かれたヨハネ福音書は、深遠な霊的な内容をたたえているが、その著者として伝えられたヨハネは漁師であったし、キリストの弟子の代表的な存在であったペテロもまったく学問もない漁師であった。
 そして罪深い者であっても、十字架のキリストを仰ぎ、罪を赦して下さったと信じるだけで、私たちは清めを受けて、神を見ることへと導かれる。

心の清い者は幸いだ。その人は神を見るからである。
(マタイ福音書5の8)
 ギリシャ哲学で究極的な幸いといわれていること、神を観ることと、聖書に言う神を見ることとはもちろん同じではない。ギリシャ哲学にいう神の観想は神との深い霊的な一体感にとどまるが、聖書においては神を見るという幸いを与えられた者は、また神からの生きた語りかけを受ける。旧約聖書の預言者などそれははっきりと記されているし、キリストを霊の目で見ることを与えられた者は、生きたキリストとの交流が与えられ、聖霊による導きを受けるようになるなどが大きな違いである。
しかし、肉眼では見えない真理を見ることの大いなる価値、幸いを指し示している点においては共通したものを持っている。
 主イエスは、「聖霊によって喜びあふれた」と記されている。(ルカ
1021)使徒パウロも、しばしば聖霊による喜びについて触れている。

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びである。(ローマ 1417

そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、私たちに倣う者、そして主に倣う者となり(Tテサロニケ 16

 こうした聖なる霊による喜びとは、神を観る喜びに通じるものである。そしてそれは、ギリシャ哲学では、哲学的エリートにしか与えられなかった神を観る喜びが、この引用聖句にあるように、信じる人たちには苦しみのただ中にあっても与えられたものである。
 私たちは、キリストを信じること、十字架を仰ぐことによって罪赦され、清められ、主と出会い、聖霊によって導かれて実を結ぶようになること、それが日々の目標となる。
 

旅行者が帰路につき、わが家に近く
宿るにしたがって、ますますいとおしく
おもわれる暁の光は、
すでに四方から闇をおいはらい、それと同時に
私の眠りをも逐(お)った。そこで私が起きあがると
偉大な教師たちはすでに起きていた。
「人が多くの枝をかきわけて
懸命に探し求める甘い果実は
今日きみのすべての飢餓をしずめるであろう」
ウェルギリウスは私にむかってこのような言葉をもちいたが、この言葉のように
多くの喜びを与える贈り物はなかった。(煉獄篇
27109117

夜明けとともに、ダンテは一時の眠りから目覚め、いままで地獄、煉獄をずっと導いてきたウェルギリウスが、ようやく奪われることなき真の幸いを与えられるところに達したことをダンテに告げた。
 一夜の眠りによってこのように、より高い世界へと導かれているのがわかる、そのような日々の歩みができたらどんなによいことであろう。夜明けとともに、私たちはより高きへと導かれていくようでありたいと願われる。
 あらゆる人間は、幸福を求める。しかし、まちがったものに求めてしまうからさまざまの悲劇や苦しみが生じる。ダンテはウェルギリウスに導かれてきたゆえに、ようやく長い浄めの道を終えて祝福された場所、真の幸いを与えられる地上楽園に着いた。
 

高きへ登りたいとの望みの上に願いが加わって、
一歩一歩と登るうちに
私は上に行きたいという願いが次々と湧き出て、
羽が生えて飛ぶかのように感じた。
私たちがすべての階段を登りおえていちばん上段に立ったときに、
ウェルギリウスは目を私にそそいでいった。
「わが子よ、一時的の火と久遠の火を眺め、
これからさきは私自身が
知らないところへきみはついたのだ。
私は知恵と技術をもちいてきみをここへ導いた、
いまから後はきみの意志を案内者とし給え、
険しい道を出て、狭い道を離れたのだから。(同
121131

 上への登りは、ふつうの登山にあっても、精神的な上りであっても、普通は苦痛を伴う。それゆえに人は安易な道、下への道、落ちていく道へとはまりこんでしまうことが多い。
 ところが、ここに至ってダンテは、上に登る願いはますます強まり、羽が生えたかと思われたほどであった。
それは、清めを受けた魂のすがたを象徴するものであった。清めを受け、神の恵みを受けることによって自然に上に登る力も意志も与えられる。つばさのある魂となるのである。
 そしてダンテはそれまで、地獄のさばきの永遠の火と、浄めの一時的な火をともに経験し、ようやく目的の煉獄の山の頂上に着いた。そこから先は、理性を象徴するウェルギリウスは導くことができない。意志が清められたゆえに、ダンテ自身の意志によって歩んでいける、というのである。
 自分の意志が神の意志に一致するとき、私たちもそのようにされることであろう。


きみの顔を照らす太陽を見よ、
地面がみずからここに生じる若草や木々を見よ。
涙を流して私をおまえのもとへつかわした
美しい目がよろこんで来てくれるまで
おまえは、座っていてもよいし、歩いていてもよい。
今後は、私の言葉や私の合図に期待してはならない。
おまえの自由意志は正しく、健やかなのであるから、
その命じるままに行わないのは誤りとなる。
それゆえ、私はおまえの上に、王冠と法冠
*を授けよう。(煉獄篇27109行〜終行)

*)王冠と法冠とは、原文では、corono e mitrio 英訳では、crown and mitre 。法冠と訳された語は、司教冠のことで僧帽とも訳される。

 ダンテがこのように導かれて、地獄と煉獄を歩み、ついに頂上に達することができたのは、ウェルギリウスの導きによる。そしてそのウェルギリウスは、どうしてそのようにダンテを導くようになったかといえば、天上にいたベアトリーチェという女性が、涙を流して、その愛によって、ダンテの導きを依頼したからであった。
 ダンテは、暗く峻厳な森、思い返すだけでも生きた心地がしないほどの闇の森を人生の半ばほどにようやく出ることができた。そしてそこから光の射す山に上ろうとした。けれども、たちまち彼の前途をはばむ強力な敵が現れて、ダンテは登ることを断念し、ふたたび滅びの中へと落ち込もうとしていた。それを知ったベアトリーチェが、天から降ってウェルギリウスにとくにダンテを導いて地獄、煉獄を導いてくるようにと依頼したのであった。自分の力で光射す山に登ることができない、導かれていくのでなかったら、人は、どんなに意志が強固であっても、願いがあっても上っていくことはできないということをダンテは自らの体験でも深く知らされたゆえに、この神曲にもそうした構成を取っている。
 煉獄の山の頂きにおいて、ウェルギリウスは、ダンテに冠を与えた。それは、ダンテがまったき意志の自由、行動の自由を得たゆえであった。
 煉獄篇において、ながくダンテを導いてきたウェルギリウスがダンテに与えた最後のものは、王冠であった。それは彼が神とむすびついた自由な意志を妨げるさまざまの罪を清められたゆえである。
 私たちは小さきもの、罪深いものであるが、それにもかかわらず、神の力によって罪きよめられるときには、あたかも王であるかのように、扱って下さるということは、次のように新約聖書にも記されている。


あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。(Tペテロ 29
憐れみ豊かな神は、私たちをこの上なく愛して下さり、その愛によって罪のために死んでいた私たちをキリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。(エペソ2の4〜6)
 この神曲の煉獄篇27歌で言われていることもまたそれと同様のことであり、ダンテは煉獄の清めを終えて、一人の王となり、戴冠式というべきものを受けたのである。そして私たちもまたそのようなことが約束されている。
 罪が清められないあいだは、私たちは内なる罪の奴隷となっており、悪の力によってひきまわされ、罪が支配している。しかし、それらが清められたときには、私たちは神(キリスト)と結びつくゆえに、自由となり、神以外のいかなるものにも支配されないものと変えられる。言いかえれば、小さいながらも王となる。これが、エペソ書に言われている意味である。

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネ 832
 王とは、いかなるものにも束縛されない自由な存在である。
このような「王」とされるのは、権力や武力、あるいは策略や学識、生まれつきによるのでもない。真の自由とは、ただ信仰によって与えられるからである。ここに万人が霊的な「王」となる道が開かれているのである。


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ヒガンバナ
今年は、観測がはじまって以来最も暑い夏でした。彼岸花が十月になってようやく咲き始めたとか、五十年以上もわが家の山の斜面で群生して咲いてきたヒメヒオウギズイセンという橙赤色の花の咲く植物が、いっせいに枯れてしまったのも初めてのことです。
彼岸花は球根植物です。気温が高いうちは、球根から花芽が出るのがおさえられていたのがわかります。例年は、九月二十三日の彼岸の前後に不思議なほど正確に咲き始めるので名称も彼岸花となっています。
わが家には、近くの小川の岸辺から球根を採取してきたヒガンバナが毎年その華麗ともいうべき花を咲かせています。周囲がまだ緑一面であるのに、真っ赤な花を咲かせるのはとくに目立つもので、庭のアクセントにもなります。
あのような何の変化も感じ取らないように見える球根が、地上の温度を敏感に感じ取って花芽を出すということに、不思議な御手のはたらきを感じさせられます。
私たちは、どんなときに目に見えない花芽を出していくのだろうか。神の愛の光を受けたとき、そのみ言葉を感じたとき、そこから霊的な花芽が育っていき、その人にふさわしい花を咲かせるのだと思ったのです。


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来信より
「核廃絶と憲法九条」について、戦争廃絶こそ、全人類の最大眼目である、日々、見逃している盲点を明示され、剔抉(えぐりだす)してくださり、ハッとさせられました。(関東地方の方)

○…
岡田利彦さんの、「黎明」という絵をながめていると、何か平安に満たされるような(聖霊が降ってくるような)思いがします。(九州の人)
・北海道・釧路の画家、岡田利彦さんはキリスト教のさまざまの絵を書いておられます。最近の絵に、「黎明」というのがあります。
キリストの弟子たちが、ガリラヤ湖上にて、夜通し逆風のために波に苦しめられ、夜明けごろになってもなお、目的地に着くことができなかった。
疲労困憊(ひろうこんぱい)していた夜明けころ、イエスが湖の上に現れ、歩いて弟子たちのところに来られた。この絵では、夜明けの光を背後に受けつつ、弟子たちの乗っている舟に近づく姿が描かれています。
目的地に進んでいこうとしても、どうしても能力や堅固な意志の不足、この世の戦いや、病気、自分の内なる弱さ、罪深さ、周囲の人たちの反対や妨げなどによって進むことができない、ということはだれでもしばしば経験していることです。
そうした弱さに苦しめられて人生の大波のゆえに呑み込まれ、あるいは沈んでしまうことも多くあります。
そのようなところに、イエスが現れて下さる。それはまさに私たちの魂の夜明けです。私自身もそのような経験を与えられ、そこから生涯の方向が変えられました。
主イエスだけは、どのような逆風の中であっても、また荒波たける海でも、静かにそこに立って下さる。そして私たちのところに来てくださることを思いださせてくれる絵です。


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「野の花」文集の原稿
毎年、発行している文集です。これは私たちの集会から発行しているものですが、どなたでも自由に投稿できます。
「野の花」文集を発行する目的は、福音のために神に用いていただくためです。手にとる人が、何らかの意味で神のこと、キリストのことを思い、より近づけられるようにとの願いから発行しています。
十月末が締切りです。字数は、九月号には、千字以内とありましたが、二千字の間違いでした。二千字以内にまとめて、メール、添付ファイル、原稿用紙、あるいは、コピー紙に印刷するなどの方法で吉村孝雄までお送り下さい。
ワープロで入力できる方は、それをテキストファイルにして、添付ファイルでメールでお送りくださるのが一番好都合です。なお、FAXでは、文字が見えにくくなって、しばしば問い合わせねばならないことがありますので、FAXでなく、郵送でお願いします。
添付ファイルにするのが難しい場合は、メール本文に書いて下さっても結構です。
なお、誤字、表現の間違いや何らかの不都合な箇所などは、カットや修正することがあります。
☆原稿の送付先、メールアドレスは、「いのちの水」誌の奥付にあります。


○11
月の各地での集会
今年も、去年と同じ次の場所にて、み言葉を語らせていただく予定になっています。主の御許しなければできないことですし、主がともにいて下さらなければ何もよきことは生じないので、祈って備えていきたいと願っています。この外にも、個人的な訪問、家庭への訪問などもあります。問い合わせは、吉村孝雄まで。

1112日(金)午後7時〜9 時半場所独立ケアセンター(梅木龍男宅)大分市東津留1-7-21 電話 097-552-8235
1113日(土)午後2時〜4 時半場所河津はり治療院(河津卓宅熊本市水前寺4-2-7)電話 096-383-0437
1114日(日)午前10時〜12 時場所アクロス福岡福岡市中央区天神1丁目電話 092-725-9111 食事と交流 12時半〜午後2 時(場所移動)
1115日(月)午後1時〜2 時半(島根県浜田市)
1115日(月)午後7時〜9 時半場所土曜会館島根県雲南市木次町寺領
1116日(火)午後3時〜5 時場所ニュー砂丘荘鳥取市浜坂1390-230 電話 0857-26-2728
1117日(水)午後4時〜6 時場所三光荘岡山市中区古京町1-7-36 電話 086(272)2271

青年全国集会
・日時
… 1120日(土)〜21日(日)
・場所
今井館聖書講堂(東急東横線「都立大学前駅」より徒歩7分)東京都目黒区中根1の4の19
電話
03-3723-5479
・テーマ「聖霊」
・目的
聖霊に関する基本的なことがらをともに学び、話し合い、賛美する。
・対象年齢
50歳以下。
・参加費
五千円(一日目の夕食、二日目の昼食含む、宿泊代金は含まれていない。)
・申込先
214-0032 神奈川県川崎市多摩区枡形6の6の1 小舘美彦 E-mail…kodate@c-line.ne.jp
・締切11月10日
・宿泊は、自分で近くのビジネスホテルを申込む。
★プログラム

11
20日(土)14時〜21
開会礼拝・挨拶 小舘美彦・聖書講話「聖なる風と水 聖霊のはたらき」吉村孝雄(50分)
自己紹介と証し(「私にとっての聖霊」添田潤、小舘知子各2030分)
ゴスペルを歌おう(45 分)指導松永晃子
聖霊に関する聖句の輪読(15分)、話し合い(60分)、分かち合い(15分)
11
21日(日)午前10時〜17
聖日礼拝と発題
・聖書講話「神の愛と聖霊がとどまるように
主イエスの最後の祈り」吉村孝雄(20分)
・証し「私にとっての聖霊」上泉新、大野きょう子
(各
2030分)
・発題「聖霊の力」(
2030分)木村護郎クリストフ
・発題「湖の上を歩け」(
2030 分)小舘美彦
祈りと賛美の集い(60 分)中川陽子
話し合いサブテーマ「聖霊を求めて」(話し合い、分かち合い、質疑応答など合計 75分)
閉会礼拝・感想(15分)参加者23 名・閉会の言葉と祈り小舘美彦(20分)
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☆下の絵は、編集だよりで紹介した