リストボタン神のものは神に  1999/5

さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。

彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか、納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」

イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」

彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、

イエスは言われた。「皇帝(カイサル)のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(マルコ福音書十二・1317

 この聖書の記事を初めて読むときには、ローマ皇帝などというのは、二千年も昔のことであり、私たちには何の関係もない話だと思ってしまうかも知れない。

 まず、当時にどんなことが意味されていたのかを考え、その後で、現代における意味を考えてみたい。

 もし、イエスがローマに税金を納めるなら、メシアでないことになる。メシアとは、ローマの支配をくつがえすお方なのであるからだ。それゆえこの問答はたんに権威に従うかどうかの問題だけでなく、イエスはメシアなのかどうかという問題が背後にあった。

 しかし、主イエスはローマに税金を納めよと暗に言われた。ローマに屈服するようなメシアとは当時のユダヤ人には考えられなかった。ローマに税金を納め、ローマ帝国にむざむざと捕らえられ殺される、それがどうしてメシアなのか。

 税金を納め、捕らえられるイエス、そして十字架という最も厳しい刑罰を受けて殺されてしまうイエス、それがメシアなのであった。

 いかなる宗教も、政治もこんな貧しく、弱く見える王はないだろう。イエス・キリストは最も弱く貧しい王であった。

 しかし、こうした弱さの極みに見えることのなかに、最も徹底的に皇帝のものは皇帝に返し、神のものは神に返したという姿がある。

 皇帝のものは皇帝に返すとは、皇帝の権威に従うということを意味する。税金を納めることは、それを命じる皇帝の権威に服するということになる。また、神のものは神に返すとは、税金を納めるからといって、ローマ皇帝を神として仰ぐのでなく、唯一の神への信仰と礼拝はあくまで止めないということになる。

 私たちはこの世で生きるかぎり、どの権威に従うかが重要な問題となる。

親の権威、学校の先生の権威、勤務先の長の権威、地方自治体の権威、国の権威などなど。そうしたすべての権威と全くちがった権威がある。それが神の権威である。

 この世で生きる私たちは、つねにこの世の権威にも従わねばならない側面をもっている。それによって、社会生活の便利さ、安定などの利益を受けている。例えば、道路、警察、学校教育、社会保険、医療などなどである。

 そのゆえに、私たちは政治的、また社会的権威に従わねばならないところがある。

 親の権威に従うのも、親が生まれ落ちたときから、私たちが世話し、数々の面倒なことをもその子供のために行ったがゆえに成長することができたのである。それゆえに、子供は親という権威にも従わねばならない。

 こうした側面はたいていの権威について言える。

 しかし、これらの権威と全く別の権威がある。それが神の権威である。

その神の権威に従いつつ、この世の権威にも従うということが求められている。

 主イエスは、この世の権威である、ローマ総督が決めた判決に従って、十字架を担って歩くこと、その十字架で殺されることを甘んじて受けた。

 しかし、他方で神に従った。神の権威に従ったがゆえに、律法学者や長老、祭司長たちの権威に従わなかった。キリストはこのように、権威者のものは権威者に返し、神のものは神に返すということを徹底的に行ったお方であった。

 この聖書の箇所を読むたびに私に思い出されるのは、西洋哲学の源流にあるソクラテスである。

 ソクラテスは、晩年において、ソクラテスは犯罪人であり、若者を惑わすといって訴えられた。そしてもう明日、死刑になるというとき、その友人が獄舎にやってきて、何とかして死刑を免れて欲しい、獄吏などを金で買収することもできる、今晩中にどうか逃げて欲しい、そうでなければ、いままで、ソクラテスが真理へと導いてきた人々を放置することになるではないか、自分としても助け出せるのにしなかったら非難されるのだといって、ソクラテスを救いだそうとした。

 その時、ソクラテスは法によって死刑の判決が降ったのにそれを正しく指摘する努力をしないで、逃げ出すのは法に従うことをかつては認めていた人間がすることではない。それは、自分が不正を受けたからといって、不正をもって仕返しすることだ。しかし、どんな場合にも不正をしてはならないのだ。

 このようにソクラテスは言って、自分を助けだそうとした弟子(クリトンという名)の説得を断ったのである。悪法も法であるという主張だとして有名である。

 これは、カイザル(皇帝)のものはカイザルに返した例としてみることができる。

 しかし、それだけでなくもう一つの有名な作品である「ソクラテスの弁明」においては次のように言われている。ソクラテスには子供のときから、ある声が聞こえてくるのであって、その声はなにかをせよとすすめることは全くなく、何かいけないことをしようとするとき、それを差し止める声となって聞こえてくるであった。そして、今度の裁判を受けるために法廷に出てくるときには、その声が差し止めなかったという。だからソクラテスは自分が法廷に出向くことは正しいことであり、またそこで自分の考えを明確に述べることにもその天からの声は差し止めなかったから、それは正しいことなのだと判断したと言っている。

 このように、ソクラテスは目には見えないが、神からの声というものに命をかけても従っていく姿勢があった。

 ここに、神のものは神に返すという態度がはっきりと見られる。

 このように、ソクラテスは権威に服従させようとする国家には従って、死刑をも甘んじて受けたが、また他方そのような決断をしたのは、人間でない存在からの「声」に従ったからだということになる。この点で、ソクラテスは神のもの(神への礼拝)は命をかけて返したということになる。

 主イエスはどうであったろう。

 主は裁判の席に立たされたときにも、ローマ総督ピラトがひどく驚いたほどに全く何も言い返そうとはしなかった。その当時の法が定める裁判の決めるままに、いっさいの反論をもされずに全面的に従った。そうしてその判決の通りに最も残酷な刑罰にも服したのであった。ここに、カイザルのものをカイザルに徹底して返した姿がある。

 他方では、主イエスは、逮捕される前夜にはひどい苦しみをもって祈り続けた。

 できることなら、十字架の刑罰を逃れさせてほしい、しかしただ父の御意志をなして下さい!と必死に祈った。それは、神のものを神に返そうとする激しい戦いであった。それは、人間としての弱さをも主イエスは持たれていたためであった。

 そしてその必死の祈りの最後にすべてはただ神の御意志にゆだねるという決断をされたのである。そして処刑された。

 使徒たちは、当時の権威者たちから、キリストの復活のことを話してはならないと命令された。しかし使徒たちは、あなた方に従うより、神に従うといって、復活を証しし続けた。

 信仰者の苦しみと戦いは、神のものを神に返そうとするところにある。自分の楽しみというものを持っていて、それを楽しむだけなら神に返すことがない。

 だが、ここで私たちが考えておく必要があるのは、カイザルのもの、支配者のものといってもそれはじつはもっと大きい視点でみると、すべては神のものなのである。神が一時的にカイザルにゆだねているにすぎない。

 それゆえ、究極的に重要なことは、神のものを神に返すことだということになる。

だからこそ、キリストが処刑されて以後、キリストの復活により聖霊を注がれて、使徒たちが新しい力を与えられて、キリストの復活を宣べ伝えていったとき、彼らは逮捕され、牢獄に投げ込まれたことがあった。そのとき、使徒が言った言葉はつぎのようなものであった。

しかし、ペテロとヨハネは答えた。「神に聞き従うよりもあなた方に従う方が、神の前に正しいかどうか判断してもらいたい。」(使徒行伝四・16

 
ここでも自分のいのちをかけても神のものを神に返そうとする姿勢が見られる。これこそ、キリスト教が世界に広まっていった理由なのである。


 だが、他方このような姿勢は、ときには非常な苦痛をともなうことがある。

すでに聖書において、旧約聖書のダニエル書でも、そのようなことが記されている。

バビロン王は、金の像を造らせてそれにひれ伏して拝むことを命じた。家来は人々の前で叫んだ。「人々よ、この像を拝め、もしひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる。」(ダニエル書三章より)

 このように神に返すべき礼拝を人間が奪い取ろうとすることは歴史上でいかに多くあったことだろう。

 日本においても、キリスト教が伝わって数十年後、一五八七年に出された豊臣秀吉のバテレン(宣教師)追放令から三百年にわたる長い年月の間、この問題のために現在では想像もできないような恐ろしい刑罰が下されることがあった。

 江戸時代には、神のものを神に返そうとするキリスト者たちを根絶するために国家が鎖国という方針をとって外国との関わりを拒絶するほどであった。

 また明治になっても、ふつうの人間にすぎない天皇を現人神とする国家の方針が出されて、真実に神のものを神に返そうとする人々を苦しめてきたのであった。

 この一見すると、個人の内面の問題にすぎないように見える問題がいかに国家、社会を揺るがすほどの大きい問題をはらんでいるかがうかがえるのである。

 以上のような歴史的、また社会的問題となる一方で、この問題は個人の日々の生活にもふかく関わっている問題である。


 神のものを神にかえす、この短い言葉はじつにさまざまの内容を含んでいる。キリスト教会でずっと行われている献金ということも、はたらいて得た報酬の一部を神に返そうとすることである。いろいろの奉仕もよきわざも同様である。日曜日を何とかして神への礼拝として用いようとすること、ほかの趣味やスポーツなどよりも優先して日曜日の礼拝に参加しようとすることは、神のものを神に返そうすることである。

 しかし、よく考えてみると、私たちのものだと言えるものはあるのだろうか。職業から得られる報酬(お金)にしても、健康がなかったら、そうした報酬はない。その健康はいくら自分で気をつけていても、突然の事故や病気で失われる。それはどんな人も自分を超えたものの力で守られてはじめて健康な状態を続けることができる。

 私たちの健康もからだも心もみな神のものなのである。神こそが万物を創造し維持しているのだから。

 それゆえに、私たちが神のものを神に返そうとするとき、例えば、収入の十分の一を献金したらそれで十分ということでなく、私たちが神のものであるということがわかればわかるほど、すべてを捧げるということが究極的な意味で神のものを神に返すことなのだと知らされる。

 だからこそ、聖書では「あなた方のからだを聖なる捧げものとして神に捧げよ」(ロマ書十二・1)と言われている。

 ここでいう、「からだ」とは単なる肉体のことでなく、肉体と心、精神などもあわせた全体としての人間であって、私たちの全体を神に捧げよということである。それは日々の生活そのものを神に捧げたものとして送るようにとの意味である。

 現代の問題は、カイザルのもの(政治的権威あるものの支配)をカイザルに返すことはしても、神のものを神に返そうとする姿勢がないということである。

 それは、そもそも神のものがあるということも知らない人が大多数となっていて、みんな自分のものだと考えている。

私たちは真の道からそれるとき、いつも神のものを自分のものと錯覚する。


 主イエスは神殿において、激しい態度をもって、そこで商売している人たちを追い払い、その机をひっくり返すほどの厳しい態度を表された。それは神のものを神に返そうとせず、かえって神に礼拝する場所で自分の利益をむさぼっていることがいかに罪ふかいかを全身でもって指摘するためであった。

 私たちの罪というのは要するに、神のものを知らず自分のもの、あるいは他者である人間のものと思いこむところにある。

 旧約聖書のヨブという人が、自分の財産や子供たちを思いがけない事件が起こって失ったとき、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記一・21と言った。

 ここには、自分の財産や家族といえども自分のものでなく、神のものであってそれを失ってもそれは神が人間にはわからない深いご計画をもって取り去られただけなのだという考えがある。

 今持っているものも実はみな神のもの、神からゆだねられているにすぎないのであって、必要なときには神が取り去られると思っているとき、私たちから何かがなくなっても、平安を持ち続けることができるだろう。

 そのような自分のものなど実はないのだと感じている心こそ、主イエスが言われた「心の貧しい者」であり、そのような心にこそ、神の国は与えられると約束されているのである。


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