休憩室   1999/7

音楽は良薬

 服部正といえば、作曲家として有名な人です。彼は、音楽家としての生涯を送ることになったそのきっかけを次のように言っています。

 十三歳の秋、青山学院の中学部に(日)がすることで私は初めて音楽の美しさを知ることができた。それは毎日、学校で行われる礼拝の時間に讃美歌を歌ったからである。讃美歌・・それはすばらしい音楽であった。長い伝統のなかで、選びに選び抜かれた名曲ばかりであった。毎日の礼拝の中で、この名曲集を歌うことが、私にとって一日のなかの最高の時間であった。・・もともと腺病質で、肋膜炎を患ったりする虚弱児であった私が、音楽に専念することになってから、次第に健康に恵まれてきた。美しい音楽を演奏している間に、私の身体の細胞が元気になって、病気をなおしてくれるような気がした。確かにそうである。熱があっても、頭が痛くても、演奏している間に、その病気は悪化したことは今日まで一度もなかった。それとは反対にさわやかなものが体内にみちあふれ健康が戻ってくることが自覚されるのだった。(一九八〇年発行の「サインズ」より)

 今、私がときどき尋ねている盲人の方で未信仰の方がいます。その人は、聖書は理解しがたく、信じがたいことが多いけれど、讃美歌の美しさに深く感じるといわれる人がいます。私は讃美歌から入って行けるのではないかとも言われたことがあります。

 讃美歌の言葉とそのメロディーには、神の言と同様に、この世の移り変わりを越えて人間の心の深いところを流れていくものがあるようです。現代のあわただしい状況にあっても、神への讃美こそは永遠に続いていくことと思われます。

フィンランドでのキリスト教

 日本では、真の神のことについて全く知らされないままに、生涯を終わることになることが大多数の人の状況だといえます。北欧の国の例をあげてみます。(これは、元神奈川県町議であったフィンランド人ツルネン・マルティさんが語ったことです。毎日新聞九五年十月23日付)

フィンランドは、国民の九五%がキリスト教徒(プロテスタント)です。日曜の朝ごとに、国営テレビ局がどこかの教会の礼拝の様子をありのままに一時間半放映します。ふだんの日でも毎朝、十五分ほど牧師の話を流します。これは、心豊かな日々であろうとするのには、信仰心は欠かせないということで、国民と教会、それに国家の間で折り合いがついているのです。

 これを見てもいかに、日本と大きい差があるかを知らされます。国営放送で日曜日ごとに一時間半も礼拝の内容を放送することによって、その国の人々にとっては、キリスト教の真理が知らず知らずのうちに深く浸透していくことになります。

 日本では仏教国といっても、ほとんどの人が自分の教派の仏教経典すら知らない状態ですし、世界中で読まれている聖書にしてもほとんど知らない状態となっています。こうした状況がまちがった宗教へ若者を追いやる土壌となっているのです。

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