教育基本法とは  1999/9

 現在、日本では、憲法の改正がいろいろと言われるようになった。わずか数年でこれほど状況が変わるとはだれも想像しなかったであろう。

 そしてさらに教育の根本方針を定めた教育基本法をも、変えようという動きが自民党にある。しかもその改訂のテーマを「歴史・伝統の重視」にしようとしている。自民党などには、従来から、この教育基本法が「愛国心教育の足かせ」になってきたなどと不満を持ってきたという。

 なぜ、教育の基本そのものも変えようとするのか、そこにはどんなねらいが込められているのか私たちは知っておく必要がある。

 一般の人々においては、教育基本法といってもどんなことが書いてあるのかわからないという人々がほとんどであろう。

 つぎにその基本精神が現れている教育基本法の前文をあげる。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここにはっきりと目標とされていることは、つぎのような人間である。

一、個人の尊厳を重んじる。

二、真理を願い求める。

三、平和を願い求める。

 このことは、十五年ちかくにわたる中国との戦争と太平洋戦争がこの三つを否定し、または著しく軽んじたことの反省から生まれたものである。この戦争においては、個人の尊厳が驚くべき仕方で、無惨に蹂躙された。戦争とは、なんの危害も加えたことのない、一般の住民に対しても、無差別に爆弾を落として、殺害し、住居を破壊し、生活を根本からくつがえすものであって、最も個人の尊厳を否定していくものだと言えよう。

 一人の人間は無限の価値があるという考え方からは、到底戦争という発想は生じないはずである。国家の利益と称して、一人一人の人間の自由や権利、尊厳を平然と奪い、侵していく全体主義が戦前は堂々とまかり通っていたのである。

 つぎに、戦前は、真理でなく、天皇というただの人間にすぎない人物を現人神として、生きた神とまで持ち上げ、その天皇が世界を支配するのを目標とするまでに到った。人間を生きている神だなどという偽りを日本の国全体が必死になって教え、信じ込ませ、その現人神の命令ということでアジアへの侵略を行っていったのである。

 このような考え方は、真理とするどく対立するものであり、その偽りの本質は中国やアジア諸国への侵略行為によって、明らかになったし、敗戦によって世界中にそのことを表すことになった。

 戦争を正しいこととし、自国を守ると称して、近隣諸国への侵略戦争を繰り返していった。一九三一年九月の柳条湖事件に始まる、中国満州への侵略戦争である満州事変、また、一九三七年七月の蘆溝橋事件から引き起こした戦争を北支事変といい、のちに支那事変といった。さらに、上海への大規模な攻撃を上海事変と称した。このように、日本は中国に対して、つぎつぎと戦争をしかけていき、それらを○○事変と称して、○○戦争という呼称を用いず、戦争であったのに、たんなる衝突であるかのように見せかけようとし、次第に国民が大規模な戦争へと飼い慣らされていくようになっていった。

 こうした戦争に明け暮れた戦前の状況は、戦争が大量殺人という意味で、最悪のことであるという感覚を失わせていくものとなった。教育において戦争が悪であるということを教えることなく、逆に戦争をする職業(軍人)が最も重要な職業であるというように教える状況であった。
 以上のような戦前の教育を根底から変えるために、教育においても平和を愛し願い求める教育を根本においているのである。

 そして「普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」とある。

 これは、戦前の文化は天皇を中心とした日本の伝統ということを極度に重視するようになり、(とくに日中十五年戦争以降)世界のどこにも通用しないような、著しく普遍性を欠いたものであった。

 そして同時に、自由な言論は禁じられ、みんなが天皇に向かって生きるような画一的な人間を養成しようとする状況となり、個性的人間の育成とは逆の方向であった。このようなまちがった教育方針を根本的にあらためる観点から、この「普遍性」、「個性的」ということが言われている。

 戦前は、教育においても、天皇からの言葉だと称する教育勅語が国民道徳の絶対的基準とされ、それが教育の最高原理ともされて、それに向かって最敬礼を強要するほどに、神聖化されていった。

 このように、万事において天皇が中心とされ、天皇に仕える人間を育成することが目標とされた。

 英語すら敵の言葉だといって排斥するような、著しく狭い考え方が支配するようになっていた。

 こうした戦前のまちがった教育方針を根底から除いて正しい方向を指し示している基本的精神から、それをさらに詳しく述べたのが、つぎの第一条である。

第一条 (教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的な聖書に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない。

 このように教育基本法の前文と第一条を見れば、なにを目的としているかがはっきりとわかる。この新しい教育の方向を決めることになった、この基本法はどのような人たちが作ったのであろうか。 敗戦後にあらゆる社会のしくみが再検討され、変えられていく過程で、当然教育についても根本的に見直すことが考えられた。日本の教育の民主化を積極的にすすめるために、アメリカの教育施設団が来日し、その人々に協力して日本の教育の方針を決める重要な委員会が作られた。それが日本教育家委員会である。

 その委員長は南原繁(東大総長)で、その下に、山崎匡輔(成城大学長、東大教授、文部次官)、天野貞祐(第一高等学校長)、田中耕太郎(学校教育局長、後に文部大臣、最高裁判所長官)、長谷川如是閑(芸術院会員、文化功労者)、柳宗悦(日本民芸館長)などのメンバーであった。
 このうち、南原繁は内村鑑三門下の無教会キリスト者であったし、山崎匡輔も、「内村の著書によって救われた一人であった」と言っている。

そして「私は、内村先生の弟子としては、あるいは正統派に属しないかも知れないが、ひそかに内村鑑三先生の本当の弟子の一人である言っても、今は天にある先生は、おそらくそれをきっと許して下さるものと信じるものである。」と書いているような人物であった。(「回想の内村鑑三」

岩波書店刊254頁)そして天野も、またキリスト者にはならなかったが、若いとき、内村の門をくぐったことのあり、長谷川も、内村の創刊した「東京独立雑誌」の読者の一人であった。

 また、田中耕太郎も最初は熱心な内村の弟子の一人であって、彼のキリスト教信仰の元は、内村から学んだと言えよう。(彼は、友人の結婚問題に関わる内村のキリスト者としての厳しい判断についていけずにカトリックにかわった。)

 この少しあとに、教育刷新委員会ができ、その委員長は、安倍能茂、副委員長に南原繁(後に委員長)がなり、その委員会の審議を経て今日の教育基本法の制定へとつながっていった。

 また、戦後の三人の文部大臣は前田多聞、安倍能成、田中耕太郎たちであった。田中はすでに触れたが、前田多聞はやはり内村鑑三の日曜集会で学んだキリスト者であり、安倍はキリスト者にはならなかったが、岩波茂雄(岩波書店の創設者)のすすめで、毎日曜日の内村鑑三の聖書講義に一年ほど出席していた人である。

 このように見てくれば、戦後の新しい教育がいかにキリスト教、とくに内村鑑三の深い影響のもとにあったかがよくわかる。

 そして、これは、内村鑑三がキリスト教の本質、真理そのものを最も鋭く見抜き、それを体得していたからであったと言えるし、彼らの弟子たちもそのキリスト教の真理を深く受け継いでいたことがうかがえる。

 南原繁は戦後教育の方向の決定に最も大きい役割をはたしたが、彼は、こうした戦後教育の基本を決める全過程で、そうした委員会や審議会に占領軍の介入があったりしたことは一度もなかったと再三にわたって言明している。(小学館版・日本の歴史・第31巻による)

 こうした事実を知らない人たちが、アメリカの押しつけであるなどと言ったりしているのである。

 キリスト教こそ最も普遍的な真理をうちに持っているものであり、そのゆえにこそ全世界に広がり、老若男女のあらゆる年齢層に、また職業や身分的なもの、貧富の差や、健康と病弱などあらゆるものを越えて広がっていった。

 教育基本法の前文において、「真理と平和を希求する人間」、「普遍的にしてしかも個性的な文化の創造をめざす」と言われているのは、以上のような背景を考えると、キリスト教の精神がそこに深く流れているのが感じられる。

 これは、人間を天皇と教え、侵略戦争をも正義の戦争などと教える偽りの教育を根本から変える方針を明確に持っているのである。

 このように考えると、そのような過程を経て作られた基本法をなぜ変えようとするのか、変えてどのようにしようとするのだろうか。

 改訂しようという人たちは、「日本の歴史・伝統」を重視する方向へと大きく曲げようというのである。しかし、その日本の歴史・伝統を徹底的に重視した教育とはすでに実験済みである。それは戦前の教育である。

 その戦前の教育の根本方針は教育勅語に表されている。ここではくわしくは触れないが、教育勅語では、教育の根本は日本の国体にあるとされていた。それは天皇を現人神として絶対的な位置もおく体制を指している。

 そのような天皇というただの人間を絶対的な存在として位置づけることは、世界に通用しないものであり、偽りにすぎない。

 現在の日本の動向は、教育というつぎの世代の人々を形作る重要な領域においても、真理に反する動きがしだいに目につくようになった。

 人間に本当に必要なのは、一国だけにしか通用しない伝統や歴史でなく、万国にわたって、しかも永遠に通用する真理である。そうした真理とは、二千年の歴史を見ても証しされているように、聖書に記されているのであって、教育の基本も当然そのような永遠の真理に基づかねばならない。

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