善き力に守られて 2000-1 -009-3
ボンヘッファーは、ドイツでヒトラーの悪魔的支配に従わず、キリスト者としての真実のゆえに、一九四三年四月、ドイツの秘密警察によって捕らえられた。そしてヒトラーの自殺とそれに続くドイツ降伏の少し前に二年間の監獄や強制収容所での生活ののち、絞首刑によって命を断たれたのであった。
それは米英国などの連合軍による解放の数日前であった。
彼が監獄のなかでどんな気持ちを抱いていたのかを知る一つはつぎの詩である。これは、ドイツ秘密警察の監獄の中で作られたが、そのときは、ベルリンは激しい空襲を受けていたという。その空襲で自分たちのいる監獄も焼かれて死ぬかも知れないし、ドイツ警察によって殺されるかも知れない、いずれにしてもどこを見ても闇と混乱と破壊が押し寄せている状況であった。
新しい一九四五年
よき力に真実に、そして静かに取り囲まれ、
不思議にも守られ慰められて、私は毎日毎日をあなた方と共に生き、
そしてあなた方と共に新しい年へと歩んで行く
過ぎ去った年は私たちの心をなおも悩まし、
いまの悪しき日々の重荷はさらに私たちにのしかかるだろう。
ああ、主よ。
この恐れ惑う魂に、あなたの備えて下さった救いを与えて下さい。
あなたが苦き杯を、あの苦しみの苦き杯を、
なみなみとついで差し出されるなら、
私たちはそれを、ためらわずに感謝して、
あなたのいつくしみ深き愛の御手から受け取ろう。
あなたがこの闇の中に持って来て下さったともしびを、
今日こそ暖かく静かに燃やして下さい。
御心ならば、私たちを再びともに会わせて下さい。
私たちは知っている。
あなたの光が夜の闇をつらぬいて輝くことを。
静寂が今や深く私たちのまわりを包む時、
共に聴こうではないか。
ひそやかに私たちの回りに広がっていく、
世界の豊かな音の響きを。
善き力に不思議にも守られて
私たちは心安らかに来るべきものを待つ。
神は朝も夜も、また新しい日々も
必ず確かに私たちと共にいて下さる。
この詩をもとにして作られた讃美が、新しい讃美歌21に収められている。この詩にふさわしい曲がつけられ、讃美するたびに当時の闇と恐れのただなかにあっても、なお神の善き力に守られているという信仰を保ち続け、そのゆえに希望を持ってその苦しい日々を戦っていた一人の魂が身近に迫ってくる。
この讃美は去年の無教会のキリスト教全国集会の特別讃美の時間に紹介され、参加者全員で讃美したときの重々しい響きを忘れることができない。
私たちの存在が巨大な悪の力によって押しつぶされそうになるときがある。そのような時、ボンヘッファーはその全存在をもって戦い、耐え、時としてはげしく動揺を経験させられるただなかにあって、神の光を見ることを得て、このような詩を作ることができたのであった。これは、あとの世代に残されたボンヘッファーの遺言のようなものだと感じる。
悪の勢力が周囲全体を取りまき、怒涛のように弱き者を押しつぶしていくそのような時にあってもなお、彼は、「私たちのまわりに広がっていく、世界の豊かな音の響き」を聞き取っていたのがわかる。そして、押し寄せる闇の力にも増して、彼は不思議な神の力によって守られているという実感をも持っていたのである。
(参考)
善き力に我れかこまれ(讃美歌21 四六九番)
(一)善き力にわれかこまれ、
守りなぐさめられて、
世の悩み共にわかち、
新しい日を望もう。
(二)過ぎた日々の悩み重く
なお、のしかかるときも、
さわぎ立つ心しずめ、
みむねにしたがいゆく。
(三)たとい主から差し出される
杯は苦くても、
恐れず、感謝をこめて、
愛する手から受けよう。
(四)輝かせよ、主のともし火、
われらの闇の中に。
望みを主の手にゆだね、
来たるべき朝を待とう。
(五)善き力に守られつつ、
来たるべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます。
(この讃美歌を覚えて歌いたい方はご連絡下さい)
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