休憩室  2000/4

讃美歌と聖歌

 私たちの礼拝とか家庭集会では、讃美歌、讃美歌第二編とともに、聖歌もよく使われています。讃美歌と聖歌とはどうちがうのですかと何度か尋ねられたことがあります。

 ここでこの両者について、その違いなどを考えてみます。

 日本では、明治政府になってもなお、キリスト教迫害の方針は変わりませんでしたが、一八七三年になってようやく、キリスト教禁止の時代が終わって信仰の自由を許されることになりました。

 その時からとくにアメリカやイギリスで歌われていた讃美が多く入ってきました。アメリカやイギリスの宣教師たちがそれぞれの教派で用いていた讃美を日本語でも歌えるようにということで、初めての日本語讃美歌は一八七二年に宣教師会議が横浜で開かれたときに紹介されました。

 また、最初の日本語の讃美歌集は一八七四年に横浜で出版されたものだとされています。

 その後、「讃美歌」という名称の讃美集が日本基督一致教会という初期の合同された教会において出版されました。これが、一八八一年です。今から百二十年ほど昔のことです。

 その後、組合教会、メソジスト教会、浸礼教会などいろいろの教派がそれぞれの讃美集を出すようになりました。

 しかし、教派別の讃美集では、ともに歌えないなど不便があるので、統一された讃美集を出そうと言うことになり、一九〇〇年に、超教派の讃美歌委員会ができたのです。そうして生み出されたのが、「讃美歌」(一九〇三年)で、これはキリスト教各教派が共通に使う讃美歌として編集された最初のものとなりました。現在日本中で用いられている「讃美歌」はこの流れを受け継いでいます。

 これは、追加版が讃美歌第二編として出され(一九〇六年)、さらに、改訂されて一九三一年に「讃美歌」が新しく発行されました。これは、それまでに現れた各種の讃美歌の集大成となりました。

 それが太平洋戦争中も用いられていましたが、戦時には、時局に迎合するような内容の「興亜讃美歌」などというものが日本人の作詞で作られ、太平洋戦争を「聖戦」とし、「八紘一宇(はっこういちう)」を神の国と同一視するようなまちがった内容のものを作ってしまったことがあり、悲しむべき歴史の傷となりました。

 こうした過程を経て、戦後従来の讃美歌の内容、言葉づかいなど全体を再検討する必要に迫られて、日本キリスト教団讃美歌委員会が一九四九年から讃美歌の改訂にとりかかり、一九五一年春に改訂の委員会を組織して、約三年半を要して、一九五四年に現在の「讃美歌」が出版されました。これが、ごく最近まで、全国の教会で「讃美歌」としてひろく用いられてきたものです。

 しかし、この「讃美歌」も伝統的な讃美が主体であったために、それよりも伝道的な歌、また若い人にも向くような讃美など、さらにより多様な讃美を取り入れた讃美集が必要となり、その結果出版されたのが、「讃美歌第二編」で、一九六七年に出版されました。

 また、その後も、日本キリスト教団讃美歌委員会の委員のほかに、カトリック教会やルーテル教会、聖公会からの編集委員なども加えて、エキュメニカル(教会一致)的な委員構成として、現代の信仰の歌としてふさわしい歌を選び、それが「ともに歌おう・新しい讃美歌五十曲・」と題して一九七六年に出版されました。

 この「讃美歌」は現在まで半世紀ちかく歌い継がれてきていますが、数年前から、改訂作業がはじまり、一九九七年に「讃美歌21」という書名で出版されました。

 この讃美歌集は、新しい讃美歌で必要とされるつぎのような歌を取り入れるという観点から編集されています。

1)長い歴史を通した伝えられてきたキリスト教信仰の内容を現代にも生かせる歌。

2)以前の讃美歌は個人的な讃美歌が多かったのに対して、新しい讃美歌は、信仰をともに証しし、信徒が共に歌える歌。

3)キリスト教信仰をまだ持っていない一般の人々に呼び掛けるための伝道的な歌。

4)教派にとらわれない歌。

5)欧米だけでなく、世界各国の歌。

6)礼拝以外の家庭での集会や聖書研究会などいろいろの集会でも歌えるもの

7)歌詞に使われている言葉が誰にでも理解できる歌。

 以上のような方針で編集された讃美歌21が今後は、従来の讃美歌に置き換えられていくものと考えられます。

 キリスト教の讃美には、これまで述べたような「讃美歌」の流れとちがった讃美があります。

 それが「聖歌」です。


 この源流は、アメリカにあります。もともと、アメリカの教会は、主としてイギリスの讃美歌を受け取って用いてきました。しかし、十八世紀の中ごろに、エドワーズという著名な伝道者が現れ、ついで十九世紀の中ごろにはムーディといった大衆伝道者たちが大きな働きをしました。

 この大衆伝道の動きのなかから生み出された讃美がゴスペル・ソングであり、それは「福音唱歌」と訳されてきました。

 この讃美は、従来の讃美歌が、礼拝堂のなかでの厳粛な、荘重な雰囲気で歌うのが目的であったのに対して、まだ信仰を持っていない人、職業も教養などさまざまなタイプの人に向けての讃美であったために、それまでの讃美歌とは自ずからちがった特徴を持っていました。

 それは、分かりやすい言葉で、メロディーも歌いやすく変化に富んだものが多く含まれています。そして、伝道的目的が重要とされていたために、未信仰の人へ語り掛けるような内容の歌、あるいはキリスト者が救われた喜びや願いを歌う内容のものが多く含まれています。そのため曲は概して明るく、短調の曲がまれで、ほとんどが長調の曲となっています。 こうしたゴスペルソングの最も初期のもののうちに含めることができる曲が、讃美歌のうちでも最も親しまれていると思われる「いつくしみ深き」(讃美歌312番)です。

 この讃美歌は、前述の大衆伝道者、ムーディに同行していた福音讃美の指導者として有名であったサンキーらが編集した「福音讃美歌・聖歌」に収められ、それから全アメリカに広く知られて愛唱されるようになったものです。

 この曲は、日本においても、明治時代に「星の世界」(*)という題で、中学唱歌として取り入れられたので、ほとんどの日本人にとっても親しい曲となりました。

 ゴスペル・ソングの代表的な作者は、全盲の女性であったファニー・クロスビーです。彼女が作った讃美歌(作詞)は八千にも及ぶということです。彼女の作った讃美歌は現在の讃美歌にも八曲が収められています。このように、現在の「讃美歌」にも、ゴスペル・ソングに含まれる曲はかなり収められています。

 伝統的な讃美歌の例として、讃美歌66番をあげてみます。

聖なる 聖なる 聖なるかな

三つにいまして 一つなる

神の御名をば  朝まだき

起きいでてこそ ほめまつれ

聖なる、聖なる、聖なるかな

神のみまえに 聖徒らも

かむりを捨てて ふしおがみ

みつかいたちも 御名をほむ

 これに対して讃美歌312番はつぎのような内容です。

慈しみ深き 友なるイエスは

罪とが憂いを 取り去りたもう

心の嘆きを 包まず述べて

などかは下ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは、

我らの弱きを 知りて憐れむ

悩みかなしみに 沈めるときも

祈りにこたえて 慰めたまわん

 これらの讃美歌の一節と二節を比べてみました。これはメロディーにおいても、312番のほうは、美しいメロディーでだれの心にも親しみやすいものです。

 これは、主イエスがいかに自分の心の友となり、慰めとなって下さるかという信仰の実感を歌ったもので、未信仰の人への信仰の証しともなる讃美です。

 これに対して66番の歌詞は、三位一体の神というキリスト教信仰の基本を讃美としたもので、個人の感情や、信仰体験でなく、神ご自身の本質を讃え、歌っているものです。

 そしてメロディーはそのような歌詞にふさわしく、荘重な感じをたたえたものとなっていて、神の厳粛を感じさせるメロディーだといえます。

 讃美歌312番は本来の意味でのゴスペル・ソングには含めないこともありますが、その特質を持った讃美となっていると言えます。

 ゴスペル・ソングとして代表的なもので、よくアメリカでも日本においても歌われてきたものに、讃美歌第二編の182番「丘の上に十字架立つ」(聖歌では402番「丘に立てるあらけずりの」)や、第二編183番の「九十九の羊」(聖歌429番)などがあります。これらの讃美の歌詞やメロディーを聞くと、ゴスペル・ソングといわれてきた讃美の特徴がさらによくわかります。 

 このように、日本のプロテスタントのキリスト教讃美には、大きく分けて、「讃美歌」の流れと「聖歌」の流れがあります。聖歌は、以上のようにゴスペル・ソングといわれる新しい形の讃美を多く取り入れるという方針を持っていて、福音派といわれるキリスト者たちが多く用いている讃美です。

 しかし、讃美歌に含まれる曲も多く聖歌に含まれており、また、讃美歌を補うものとして出版された讃美歌第二編や「ともに歌おう」には、ゴスペル・ソングの流れをうけた曲も多く取り入れられていますので、多様な讃美を使うことができるようになっています  現代はさまざまのものが激しく変容しつつある時代です。キリスト教の讃美においても、新しい歌詞や曲が多く作られていきます。

 現在の讃美歌の源流は、旧約聖書の詩編にあります。詩編とは、当時の讃美歌集でもあったのです。そこには、個人の嘆き、苦しみがリアルに述べられ、また喜びや感謝、神への讃美も多くあり、また、神の万能や英知を讃え、神の言葉への讃美を内容としたものも多くあります。

 また、詩編よりさらに古く、神への讃美の最初のすがたが見られる出エジプト記の、紅海を渡ったときの感謝や讃美は、踊りと、タンブリンなどの楽器ををもって讃美したことも記されています。

 こうしたことからも、内容的には、神の栄光を讃え、神の言を讃美するものから、個人の苦しみや悲しみを訴える内容のもの、神への感謝や喜びを率直に歌うものなど、いろいろのものが含まれるべきだと思われるし、歌い方についても、厳粛な斉唱から変化のあるコーラス、また楽器を用い、手をたたき、時には大胆に体全体で表現するなどさまざまの歌い方もあってよいのだとわかります。

 それが伝統的な讃美の形のものであれ、新しいゴスペル・ソングの流れを受け継ぐものであれ、双方が私たちの信仰を表す歌となり、福音伝道に用いられ、神の栄光を讃美するものとして主が今後も導かれることと思います。

(*)「星の世界」の歌詞

かがやく夜空の 星の光よ

まばたくあまたの 遠い世界よ

ふけゆく秋の夜 すみわたる空

のぞめば不思議な 星の世界よ

きらめく光は 玉かこがねか

宇宙の広さを しみじみ思う

やさしい光に まばたく星座

のぞめば不思議な 星の世界よ

休憩室 2000-4(2)

オランダの自転車専用道路は二万キロにも及ぶそうです。しかし、日本はわずか二千キロ。日本は山が多いのですが、面積はオランダの十倍ちかくあります。オランダは国民一人一台以上も自転車を持っている計算になるそうです。そして、自転車の保護政策を進めていて、車道を削ってまでして自転車専用道路を増やしたり、乗り捨て自由の無料自転車貸し制度も導入しているとのことです。
 また、欧米では多くのところで、鉄道への自転車乗り入れは認められているのに、日本ではほとんど聞いたことがありません。
 また、オランダに住んだ体験のある人の話では、一番印象に残ったのが照明の明るさの違いだということで、首都のアムステルダムの繁華街でも、大阪・心斎橋の明るさの10分の1くらいの気がしたと言っています。 家庭の照明も軒並み抑え気味で、初めは新聞も読みづらいほどであったとのことですが、慣れると目が順応してきたということです。
 このような状態なので、日本に帰ったとたん、照明の強さがまぶしくて目を覆いたくなるほどの日々が続いたと書いてあります。こんなムダな照明をせめて半分にしたら、原子力発電所の一つくらいは減らせるのではないかと思ったということです。
 しかし、いくら外側の照明を明るくしても、人間の心のなかまでは決して明るくはされません。かえって、強い照明のあふれる都会に住む人たちの心は暗くなっていくのではないかと思われるほどです。
 まことに 御霊は光のごとく
 心の闇を 照らしたまえり
 わが心静かなり 嵐は止みて
 イエスきみの み声のみさやかに聞こゆ(聖歌573番より)
○家庭から出る年間の食べ残しは、340万トンもあるそうです。これはなんと655万人分の食料に相当する量になります。他方、世界で飢えている人たちは八億人もいるということです。
 「人は、パンだけで生きるのでなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」というキリストの言葉が思い出されます。
 飽食の人たちには、神の言が宿るなら、もっと食物を大切にするだろうし、簡素な食事に満足できるようになると思われます。神の口からでる神の言葉こそ私たちが待ち望むものですし、貧しさに苦しむ人たちにも共通して力を与えるものとなると思われます。
アオジのさえずり
 暖かくなってから現在もわが家の周囲では、ホオジロのなかまであるアオジという小鳥が毎日のようにさえずっています。この鳥は、本州中部から北の方で繁殖するけれども、冬には、暖かい地方に下ってくるので、四月いっぱいはたぶんわが家でもそのさえずりを聞かせてくれるだろうと思われます。
 ホオジロは比較的高い木ののこずえで、明るい声でさえずりますが、このアオジはもっと小さな声ですが、変化に富んださえずりを聞かせてくれます。朝に夕に、ほぼきまったところで歌っています。
 人間の場合は、心を神に向け、神を心から信じていないと、神への讃美は生まれないし、また真実な讃美ともなりません。しかし、アオジやホオジロなどはいつも透き通ったような声で、ふつうに歌っているのがそのまま、神への讃美として聞こえてきます

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