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  2000/5

 私たちに最も身近なものの一つ、それは道です。どこに行くにも道を通っていく。高速道路、広い道、狭い道、混雑した道、田舎の道、ぬかるみの道、山道等など。それらの道はどこかへと続いています。

 こうした目に見える道のほかに、目には見えない道があります。

 聖書においても、すでに最初の創世記から「命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」(創世記三・24)とあって、早くも普通の道路とは違った、命にいたる道という表現が現れます。

 そしてつぎには、「神は地上を見られた。見よ、それは堕落し、すべての人々はこの地で堕落の道を歩んでいた。」(創世記六・12)と記されています。

 このように、聖書の一番はじめから、命への道があるということと、堕落への道が示されています。

 聖書とは、この二つの道について一貫して書いてある書物であるということができます。そして、命への道とは、

あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。(申命記八・6)

 とあるように、一言でいえば、「主の道」です。これは、このように、神の戒めを守り、神をおそれる道であり、神の道からそれたら神からの罰をいつも恐れていなければならないというニュアンスがあります。

 たしかに、旧約聖書においては、主の命じられる正しい道からそれるときには、のろいがあり、災いが生じることは繰り返し言われています。神の道とはあまりにかけ離れた人間がはじめからそんな道に背を向けてしてしまうということは、聖書でも創世記の最初から見られます。

 神の道というと厳しく、けわしいものというイメージがあります。そこには楽しみとか喜びなどとは結びつかないような堅いものを感じる人が多いのではないでしょうか。

 神の言に従う道は、たしかに厳しい一面があります。歴史を見ても神の言に従うがゆえに迫害を受け、殺されるまでに圧迫された人たちも数多くいます。

 それは主イエスご自身も同様でした。神の言に従う道とは神の御意志に従う道であり、時には耐えがたいほどの苦しみが襲ってくることもありました。

 パウロもつぎのように述べています。

兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。

 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。

 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(Uコリント一・8〜10)

 しかし、旧約聖書の詩編のなかで、主の道について繰り返し述べている詩がありますが、そこでは、この道を歩くときに何が伴うかが書かれています。

どのような宝にもまさって、私はあなたの定めの道を喜ぶ。

私はあなたの命令に心を砕き、

あなたの道に目を注ぐ。

私はあなたのおきてを楽しみとし、

み言葉を決して忘れない。(詩編一一九・14〜16)

 この詩編で定め、命令、おきて、律法などといろいろに表現されているのは、わかりやすく言えば、「神の言」ということです。詩であるから同じ言葉を使わず異なる表現を使っているわけです。それでこのような多様な表現も現在の私たちには、つぎのように、「神の言」と置き換えて読むとわかりやすくなります。

私は神の言に心を砕き、

主の道に目を注ぐ。

私はあなたの言葉を喜びとし、

み言葉を決して忘れない。

 この詩には、ふつうは神の言に従うことは窮屈なこと、縛られるようなものと感じることが多いなかにあって、神の言に従う道を歩くために、神がまず心を広くして下さっていることが告げられています。

あなたによって心は広くされ、わたしは戒めに従う道を走る。(詩編一一九・32)

 たしかに私たちは単なる戒めだけでは心は狭くなり、縛られているように感じてそのようなものから遠ざかりたくなってしまいます。聖書に示された道は、最も厳しいようでありながら、旧約聖書の時代から現在までの数千年もの間、世界で最も多くの人たちがそこを歩んで命に達した道となったのは、その厳しさの背後に、神が直接に私たちの心にふれて私たちの心を広くして下さるという事実があるからです。

 狭い心とは、自分中心の心であり、自分しか見えない心ですが、それはどんな人にも深く残っています。パウロのようなだれも越えることのできない大使徒であっても、なお「自分は欲していない悪をしてしまう」との深い嘆きの声をあげたことがありました。

 自然のままの人間には、思うままに心を広くすることはどうしてもできない。しかし、神が私たちに手を触れて下さるときに私たちの心は広くされ、狭い道、けわしい道をも主に導かれて歩み始めることができるようになるわけです。

 この詩の作者は、神によって心を広くされる経験をしたゆえに、神の言を愛することができるようになったと思われます。

わたしはあなたの戒めを愛し、それを喜びとする。

あなたに向かって手をあげ、あなたのおきてを深く思う。(47〜48節)

 神の戒め(神の言)を愛することができるというのは、神を愛するからです。人間においても、ある人を愛していたら、その人の言葉をも好んで耳を傾けるし、逆に嫌っていたらその人の言葉も同時に嫌うのであって、言葉とその人とは深くつながっています。

 旧約聖書では、神を愛するということは、少ししか現れていません。神を畏れる、ということが信仰を持つということの別の表現でもあったことでもわかるように、人々はその罪への罰を受けることを恐れていたのであって、アブラハム、ヤコブ、モーセなどの代表的な信仰の人物においても、彼らが神を愛したというような表現はほとんど見あたりません。

 しかし、この詩の作者は神の道が、苦しみだけでなく、喜びをも与えるものであり、神はおそれるだけでなく、愛することができるお方であることを知っていたのがわかります。

 また、この詩の作者は、神の道を歩むことは神の命が与えられることであるのも知っていました。

むなしいものを見ようとすることからわたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って命を得ることができるように。(37節)

あなたのみ言葉はわたしに命を得させる。苦しみの中でもそれに力づけられる。(50節)

 神の言葉が、私たちを生き生きとさせる、命を与えるということは、多くの人にとってはわからないことだったようです。しかし、旧約聖書の詩編には、このようにそのことを知っていた人もすでにいたのです。

 こうした神の言への愛があったからこそ、この詩人は昼間に神の言葉に従って生きるだけでなく、夜においても、神へのまなざしをいっそう強く持っていたのが次の言葉でうかがえます。

主よ、夜ともなれば御名を唱え、あなたの律法を守ります。

あなたの命令に従うこと、それだけが、わたしのものです。(55〜56節)

 電気のなかった昔は、夜は長い時間がありました。ひとたび外に出るなら深い沈黙があったのです。現代の私たちは、夜に光がこうこうと輝いているのが当たり前と思っています。しかし、それは電気が見いだされてからのことであって、エジソンが白熱電球を作りだしたのが今から百二十年ほど前でしかありません。それまでの長い間、人間にとって夜は暗いのが当たり前であって、この詩人はその長い夜の時間をも、神の名を思い、神への祈りをもって時間を過ごすことが多かったのがうかがえるのです。

 これは、他の詩人によっても見られます。

昼、主は命じて慈しみをわたしに送り、夜、主の歌がわたしと共にある

わたしの命の神への祈りが。(詩編四十二・9)

 夜の長い沈黙の時間も、神との交わりに用いた古代の信仰者のすがたが、こうした詩から浮かび上がってきます。神を愛することを知っていた詩人、そしてその神の言に生きることを喜びとすることができたゆえに、こうした一人で静まる夜の時間にも、祈りをもって神に向かうことができたのです。
戦争と平和 詩編120編

都に上る歌。

苦難の中から主を呼ぶと、主はわたしに答えてくださった。

「主よ、わたしの魂を助け出してください、偽って語る唇から、欺いて語る舌から。」

主はお前に何を与え、お前に何を加えられるであろうか、欺いて語る舌よ

勇士の放つ鋭い矢と、えにしだの炭火を付けた矢!

ああ、私はメシェクに宿り、ケダルの天幕の傍らに住む。

平和を憎む者と共に、わが魂はすでに久しくそこに住む。

平和をこそ、わたしは語るのに、彼らはただ、戦いを欲する。

 この詩の作者のまわりは、すでに長い間敵対する者たちがいた。それらは、悪意をもって中傷し、あるいは、偽りを語って陥れようとする。そこにはただ執ような悪意のみがあった。

 それに対して作者は、ただ平和(シャローム)であろうとした。私は平和に心を注ぐ、しかし、敵対する者たちは、戦争に心が向かっている。

 作者は、メシェクやケダルという、祖国からはるかな遠くに住んだ。しかし、そのような所でも、敵対する者たちはいた。どこに行っても、私は平和へと心を向けていたのに、彼らは戦いに心が向かっていた。

 戦争と平和、これこそ世界のいたるところで、古代から現在にいたるまで問題となってきたところである。

 現在の日本もまさに昨年国会で決まってしまったガイドライン関連法案や、平和憲法改悪問題などとして、この問題が大きく浮かび上がっている。

私は平和、それなのに彼らはただ戦いを欲する・・(7節)

 そしてこの詩人が深く嘆いたように、メセクに宿り、ケダルのテントのかたわらに住んでいても、そのような遠く南北に遠く離れた場所に行っても、どこにいっても、平和を語るときにそれを破壊しようとする力がそばにあった。しかもその力は、なくならない。あまりにもその闇の力とともに置かれたのである。

 この地上では闇の力からどんなに離れようとしても、そこに捕らわれて、生涯苦しみにあう人も多い。

 この詩が、なぜ「都(エルサレム)に上る歌」を集めた詩のはじめに置かれたのか、その理由は五節の言葉から推定できる。

 メシェクとは、現在のトルコ地方の北東部であり、ケダルとは、アラビア砂漠の北部であるから、当時の人々の念頭にあった南北の広い範囲を含めて述べていると考えられる。そのような広い地域のどこに行っても、敵対する者に苦しめられ、悩まされ、そのなかから、神に叫び求め、その叫びに神がこたえて下さったということを意味している。

 こうした世界のあちこちに住んでいた離散のユダヤ人が、年に三度のエルサレムでの大きな祭に上ってきて神殿にて礼拝を捧げようとするときに、その心を表したものだとされている。

 エルサレムとは、「シャレム(シャーローム・平和)の基礎」を意味するとされてきたゆえに、そのエルサレムに上るとは、平和の基礎に向かって上るという意味を含めていると考えられる。

 平和を求め続ける者を踏みにじろうとする勢力が現実には耐えず取りまいており、それらが平和を求める人たちを苦しめる。しかしその苦しみのただなかから、神に向かって叫ぶときに必ず神はこたえて下さる。その経験をこの詩は表しているのである。

 六節の原文は、簡潔に「私は平和」とだけある。私たちもまた平和を求め続ける。

 そうした平和への深い願いは、キリストによって与えられることになった。社会的な平和の本当の基礎がキリストによって初めて与えられたのである。

実にキリストはわたしたちの平和である。(エペソ書二・14)

 キリストによる平和を実感してその平和の源であるキリストを伝えることこそキリスト者の大きな使命だと言える。
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