文字サイズ大きくするボタン文字サイズ中「標準に戻す」ボタン      

神々の国ではなく   2000/7-4

 総理大臣が「日本は天皇中心の神の国」といったことが、だいぶ問題になりました。しかし、驚かされることですが、開き直って、日本はやはり天皇中心の神の国だと言い出す人もいます。一部の宗教団体の中にはそうした主張を強めているものもあります。
 日本人の多くは、神の国といってもそこで神とは何を指しているのかがまるで、はっきりしていないのです。今回の首相の発言にしても、日本は天皇中心の神の国といっても、そこで言われている神とはいったい何者なのか、それがごくわずかしか触れられていませんでした。天皇が関わる問題には、きちんと議論しない傾向があります。
 しかし、こうした問題こそ、国家の前途を左右するのであって、まず基本的なことを知っている必要があります。
 天皇中心とは、どんな意味でいけないのか。
 天皇中心ということを押し進めていくとどうなるか、それは太平洋戦争のようになるのです。天皇を神として、天皇が政治の場でも中心となり、陸海軍の全権を握り、神聖にして、犯すべからずということになり、そのような天皇が「中心」となって、戦争の開始も、中国やアジア諸国への侵略もその天皇が命令するというかたちで行われたのです。そして死ぬときも「天皇万歳」といって死んでいったのです。
 学校教育の場においても、天皇から賜ったとして、教育勅語を神聖視して、それに最敬礼をして礼拝するかのごとき態度を取らねば処罰されるという状態でした。内村鑑三は、教育勅語への敬礼が足りなかったというだけで、教職を追われ、不敬漢として生活にも困る状態に追いやられたほどです。
 さらに、時間を数えるときにも、天皇中心を徹底して浸透させるために、天皇の名前を言わなければ時間を表すことができないようにしてしまいました。それが元号制です。その結果、現在でも、自分の生年月日をいうのに、昭和○○年としか言えない人が多数を占めている状態です。それは、昭和天皇の統治の○○年目という意味なのであって、その元号制の意図を知ったら到底使う気持ちにはなれないはずのものです。
 このような天皇中心は、また、靖国神社という奇妙な神々の社(やしろ)とも関係が深い。これは、現人神である天皇がおまいりをする神社だということで、特別に重んじられました。この神社は、江戸時代末期から、日清、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争などの戦死者を「神」として祭っている神社であり、そこで神々としてまつられているのは246万人にも及びます。このようなおびただしい神々をまつる宗教施設というのは、ほかに例をみないものです。戦死した人をどんな人であっても神々としてしまうので、戦争中にアジアの人々に残酷なことをしたあげくに、殺していったような人もみんな神々となってまつられているという、実に不可解な神社です。しかもこの神社が日本でも有数の重要な神社だというのですから、いよいよ奇妙な現象と言わねばなりません。
 また、日本は山や川などの自然を神々としているのであって、だから日本は神の国だなどという人も現れました。しかし、そうした自然が神々だというのなら、どこの国でももともと、自然の満ちた状態であって、みんな神々の国だということになってしまい、意味をなさなくなります。

 日本では「神々」というときどんな存在が神であったのかを知っておくことが不可欠となります。日本ではいたるところに神社があり、そこで祭られているのは、さまざまの神々です。さきほど述べた戦死した人はひどい悪事をはたらいた人でもなんでもみんな神々となるし、そうでなくとも、神道の考え方によれば一般的に死者はみんな神々となっていきます。だから、神々には、善い神もあれば、悪い神々もいるわけです。その上、生きている人間(天皇)まで戦前は、生きている神(現人神)とされていたほどです。
 さらに、シロヘビ、狸、キツネなどの動物も神々とされるし、大木や山、さらには人体の一部までも神々とされてまつられている例もあります。そのことからたしかに日本は「神々の国」と言えます。
 こうした神々のすがたは、聖書に記されている宇宙を創造した愛と正義の神といかに日本の神々とが違っているかを知るために、以前の号と重なるところもありますが、古事記の一部を引用します。

 スサノオの命(みこと)は、こう叫ぶと、勝ったあまりの勢いで、乱暴を働いた。天照大神が田を作っていたその田の畔(あぜ)をこわしたり、溝を埋めたりし、また食事をする御殿に糞をしてまわるという狼藉の限りを尽くした。・中ヲこんなひどいことをしても天照大神はとがめもせずにいた。あるとき、大切な衣を機織の女たちが織っていたとき、スサノオの命は、その建物の屋根に登ってそこに大きな穴をあけて、皮を剥いだ馬を投げ込んだ。女たちはそれを見て仰天し、そのうちの一人は機織りの道具で体を突いて死んでしまった。・中ヲ(古事記 上の巻・二より)

 こうした悪事をする者であるのに、スサノオの命を神として、祭っている神社には、名古屋の熱田神宮とか、京都の観光名所ともなっている八坂神社など多くあります。
 また、因幡の白兎で有名な大国主の命(おおくにぬしのみこと)に関する記述を見てみます。

 この神の兄弟の大勢の神々が、ある女を妻にしたいので出かけて行った。その途中で、皮を剥(は)がれた兎が浜辺で哀れな様で寝ていた。神々は、その兎に海の水で洗い、風の吹くところで乾かして、高い山の上で寝ていたらよいなどと言って、傷がいっそうひどくなるような偽りの助言をした。その結果、兎は見るも無惨な状態となって全身の痛みに苦しんでいた。そこに大国主命が来て、ガマの花粉を塗るように教えていやしてやった。
 その後、目的の女性を獲得しようと行ったが、その女は、拒否して大国主命との結婚を希望した。それを憎んだ兄弟の神々は、大国主命を殺そうと考えてある山のふもとで、次のように言った。
「この山には、赤いイノシシがいる。それを山から追い落とすから、お前はそれをつかまえろ」こう言って、真っ赤になるまで火で焼いた巨岩を山の上から突き落とした。それを赤いイノシシだと思った大国主命がふもとでしっかりと抱いて受けとめた。しかし、そのために黒こげになって死んでしまった。しかし、母親が特別な治療を別の神々に頼んで生き返らせてもらった。そこで兄弟の神々はまた大国主命をだまして山に連れ込み、大木を切り倒して幹の割れ目に楔(くさび)を入れておいた。そこに大国主命を入れて、いきなり楔を引き抜いたので、幹の割れ目がふさがってついに挟み殺してしまった。・中ヲ(古事記 上の巻・四より)

 こうした実際の記述を見ても容易にわかるのは、日本でいう神々というのは、聖書でいわれる神とはまったく本質が異なる存在であること、要するに人間と同じものだということです。これは、日本だけでなく、ギリシャ神話などに現れる神も同様で、その神々は人間を欺いたり、女性を誘惑したり、奪いあうための戦いをしたり、正義の神とは思えないすがたを示しています。
 天皇という偶像中心にした、何でもが神々となる国でなく、真理と正義の神、宇宙の創造主である神を中心とし、その神を信じて、その神に仕える人たちの国こそ、真に望ましい国の姿なのです。
区切り線
音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。