休憩室-2000/8-7


 真夏の風物詩は積乱雲(入道雲)です。水平線に接してむくむくと盛り上がる積乱雲のすがたは、夏らしさとともにふしぎな力を感じさせるものがあります。
 日本人にとっては、雲とはただ、そのような眺めの対象であり、暑さをやわらげてくれる夕立を生み出すものであり、からからに渇いた畑を潤してくれる恵みの雨をもたらすものと 感じます。
 しかし、雲は聖書においては、たんに雨とか日陰になるなどといった気候のことだけにとどまってはいないのです。

そして祭司が聖所から出たとき、雲が主の宮に満ちたので、祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。そこでソロモンは言っ た、「主は日を天に置かれた。しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。(列王記上八章10〜)

 このように、主の宮に満ちるもの、そこに神が住むと言われているほどです。私たちが雲を見るとき、そこに神が住むというようなイメージは全くないはずです。ここにも、古代の聖 書の民の感じ方が私たちと相当異なっているのを感じます。

 また、旧約聖書の出エジプト記19章とか20章には、有名な十戒を神から与えられる状況が書いてあります。そこにも雲が神の臨在の象徴であることを示すつぎのような記述が あります。

主はモーセに言われた、「見よ、わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨むであろう。それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである」 。モーセは民の言葉を主に告げた。
そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。

 命を支える水をもたらす雲、無限に高い空に浮かぶ雲、その限りない変化の有り様、そして神の深さを示すかのように包んでしまう雲、そこに旧約聖書の人たちは、神を思い 、神の臨在を感じたのがうかがえます。

返舟だより

○来信より
・・以前から、本当に苦しくて、もうダメかなと思うとき、「はこ舟」誌が届き、勇気を与えられてなんとかやってきました。一つの試練が終わると、少し休みがあって、神様は必ず、
次の試練を下さると思っています。-----ときどきどうしようもなく、苦しくなります。しかし、キリストとともにくびきを負うことは負いやすく、荷も軽くなると約束されているので、イエス様
を信じて生きたいと思います。苦しいとき、いつもこのように、神様からはげましていただけることは大きな幸いです。(関東地方の読者より)

・神は愛する者を鍛錬されるというみ言葉を思い出します。私たちが苦しむのは、神から見放されているためでなく、神が愛して下さっているのだということを。

○韓国の朴氏からの来信です。
 昨日(八月一日)、無教会全国集会(韓国)を終わって帰りました。約七十名の参加者が集まっておもに聖書の学びを行いました。終わりの感話会のときに、徳島聖書キリ スト集会のことを少しですが紹介することができました。集会に集うことがいかに大事であるかをもう一度感じることができた徳島の三週間でした。・・(中略) いつか機会がありま したら、こちらの兄弟と一緒に徳島の集会に参加できることを願っています。
 また会える日を待ちつつ集会の皆様の上に主イエス・キリストのよき導きがありますよう、お祈りいたします。

 ・朴 氏は、今年七月に再び韓国から徳島大学に三週間ほど出張で来られ、その間、私たちのキリスト集会に参加されて、主にある学び、礼拝を共にすることができました 。国は別であって、遠くに住んでいても、主にあって一つに結ばれていることの恵みを感じました。右のように、韓国でも毎年全国の無教会のキリスト者が集まって全国集会が行 われているとのことです。音声ページトップへ戻る

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