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人間の大切さを見つめる流れ-2000/8-5

 ヨーロッパの歴史のなかで、人間が持っている自由、生命、権利を大切にする考え方は、つぎのようないくつか目立った規定となって現れてきた。
 イギリスの権利の章典(一六八九年)は、名誉革命のときにできた法律であった。ここには、当時の王が国会を無視して勝手に、法律を守らず、実行もしないとか法律が効力を停止するとかの横暴をなしていたり、かってに金を集めたりしたことから、そうした権力の乱用をさせないようにし、市民の権利を守ろうとする内容を持っていた。それは、王に請願する自由、選挙の自由や議会での自由な発言を保障するものであった。
 さらにそれからおよそ百年後に出されたアメリカの独立宣言(一七七六年)においては、つぎのような内容が宣言された。

われわれは自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天よりの権利を与えられ、そのなかに生命、自由、および、幸福の追求が含まれることを信ずる。

 ここに、人間が造物主(神)によって平等に造られたということが基本になっているのがわかる。それは神が愛であり、正義の神であるからこそそのようなことが主張できるのである。ギリシャの神々や日本の神々のような不正や欺きをする神々ならば、すべての人間を平等に創造するなどということが初めから考えられない。
 なお、このアメリカの独立宣言の表現を少し変えて、福沢諭吉が「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を述べて、広く知られるようになった。
 そして、日本国憲法にあるつぎの規定は、右にあげたアメリカ独立宣言に記されたものとほとんど同じ内容だとわかる。

 すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その羊飼いの国政の上で、最大の尊重を必要とする。(第十三条)

 フランスの人権宣言(一七八九年)では、その前文に至高の存在ということで、キリスト教的表現を薄めているが、「神の前で、そして神の護りのもとでの宣言」というかたちをとっている。

国民議会は、至高の存在の面前で、かつその護りのもとに、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する。

 そしてそのはじめの重要部分において、つぎのように人間の尊厳を述べている。
・人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、かつ生存する。・・(第一条より)
・あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。(第三条より)

 このように、国家の制度として、歴史のなかで次第に人間はだれでも平等に創造されており、したがって命を護り、自由、幸福追求においても同じような権利を持っているとされてきた。
 これらの歴史的に重要な人権の宣言を見てくると、太平洋戦争のあとでつくられた日本の憲法がこれらの延長上にあるのがわかる。国民主権、基本的人権の尊重といったことはこの憲法で明確に記されている通りである。
 そしてその上に、生命、自由、幸福追求の権利を護るために、戦争放棄ということが記されている。戦争とは、まさに自国だけでなく、相手国の人間の生きる権利、自由を奪い、無差別な大量殺人によって幸福を破壊していくことだからである。
 国家として武力を持たない、戦争に加わらないということこそ、こうした人間の生きる権利とか自由、幸福を破壊する戦争を決してしないという固い決意を表明したものである。日本の平和憲法は長い人類の歴史の歩みのなかで、到達した帰結なのであって、それを重んじることは歴史の必然の流れに沿ったことであり、歴史を導く神の御意志にかなったことなのである。
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