カール・ヒルティ  2001/5

ヒルティについて
 カール・ヒルティが日本に紹介されてから百年ほどになる。
 ヒルティは、一八三三年スイスに生まれた。父も祖父も医者であったが、母方の祖父も医者であった。ヒルティの母親は、信仰の深い女性であって、「彼女の顔は、心の透明な窓であって、そこから、柔らかな輝きをおびてその気高い魂が現れていた。彼女の清く青い眼には、やさしさと平安が満ちていた」と伝えられている。ヒルティの信仰はそうした母親の信仰によってはぐくまれたのがうかがえる。
 一八五四年、法学博士の学位をとり、卒業後は弁護士となった。かれは、信仰あり、正義の心に富んでいたためにたちまち人々の尊敬をあつめて、まもなく州の最も重要な事件はことごとく彼のところに持ち込まれるようになったという。
 その後、彼は四十歳のときに、スイスの首都にあるベルン大学の国法学教授となり、その大学の総長にも二度選ばれている。
 彼の代表著作の「幸福論」の第一部は、ヒルティが五十八歳の時の著書であって、彼は、若いときにはあえてこうしたキリスト教的内容とか、思想的な内容のものを書かなかった。それは、若い時に書いて、その後に考えが変わったときに、かつて書いた不十分なものによって人々がまちがった道に引き込まれることがないようにするためであったという。
 現在、日本で手にはいるヒルティの代表著作(幸福論全三巻、眠れぬ夜のために上下)は最晩年の十年ほどの間に書かれたものである。いかに、かれが、物を書くということに慎重であったかがうかがえる。

ケーベル博士
u初めて日本にヒルティを紹介した人
 ヒルティを初めて日本に紹介したのは、ケーベル博士であった。ケーベルは、一八四八年ドイツ系のロシア人としてロシアに生まれた。十九歳のとき、モスクワ音楽院に入り、ピアノを専攻した。そこで学んだのは有名な作曲家のチャイコフスキーによってであった。そこを優等の成績で卒業して、ピアノの専門家となるはずであったが、公衆の面前で演奏するということを嫌って、方向を転じ、ドイツに行って哲学を専攻することになった。 しかし、以後も音楽の研究は熱心に続けられた。東京大学の依頼によって日本に来たときには、東大にて西洋哲学やドイツ文学、ギリシャ語、ラテン語などを教え、さらに上野の音楽学校(後の東京芸術大学)においてもピアノを教えた。
 ケーベルは、ヒルティについて、つぎのように述べている。「・中ヲ今の世界は、無信仰であり、物質的であり、キリスト教の真理に背いている。そのような世界において、ヒルティのような、その信仰や人生に関して私にきわめて縁の近い作家に出会ったということは、私にとっては大いなる幸福であり、慰めであった。」
 また、つぎのようにも述べている
「朝食をとりながらいつもは聖書のなかの二、三章か、またはヒルティの・磨[れぬ夜のために・を塔k。この・磨[れぬ夜のために・w、私がいつも手近に置いて、また夜よりもむしろ朝、よく休息がとれたきわめてはっきりした頭の状態のときに読みたい書物なのである。」(「ケーベル博士随筆集」岩波文庫)

 なお、夏目漱石はケーベルが日本に来た際、彼の初めての講義(美学)を受けた。その漱石は、「ケーベル先生」という短い随筆を書いている。そのなかにつぎのような一節がある。
「東京帝大の文科大学(文学部)に行って、ここで一番人格の高い教授は誰かと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずケーベルと答えるだろう。それほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始変わらざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生がとっくにさくばくたる日本を去るべくしていまだに去らないのは、じつにこの愛すべき学生あるがためである。」(夏目漱石小品集より)

ヒルティの著作の特徴ほか
 私が初めてヒルティの名前と「眠れぬ夜のために」という書名を知ったのは、中学生の時であった。一人の国語の教師が、授業のときに、一冊の文庫本を持ってきて、授業の前に紹介されたのであった。「私は眠れないときがよくある。そのとき、この本を読むのです。」と言われた。「体が丈夫でないので、椅子に腰掛けたままで授業をします。」と、病弱そうな痩身(そうしん)の体を椅子に腰掛けて話された光景をいまも思い出す。
 その時から、七、八年の後に、私はキリスト者となり、ヒルティをキリスト者としての目で読むようになった。 
 最初に読み始めたのは、「幸福論」全三巻であったが、第一巻にストア哲学者であった、ローマの哲学者エピクテートスの教えがそのまま掲載されてあって、キリスト教信仰以前にギリシャ哲学に深く共鳴した私にとっては、こうした哲学的な教えにも心がひかれた。ヒルティの著作の特徴は、ケーベルが語っているように、「ヒルティの著書のどこを開いても、どの書物においても、またほとんどどのページにおいても、我々は、明晰に単純に、そして決然として述べられた、卓越した思想に出会う」ということである。
 ヒルティの書いたもののなかには、「○○ではないだろうか」とか、「○○かもしれない」といった、自分が確信できないことや、単なる意見はほとんど述べられていない。信仰と、体験から生じた確信をもって書かれているのである。
 この点では、私は、内村鑑三の著作、ことに彼の信仰と考え方が端的に表現されている「所感集」のような短文について同様な印象を持っている。そこにはやはり確信のあることがらだけが、簡潔に表現されている。その短文は、かれが月刊で出していた「聖書之研究」誌の巻頭に置かれてあった文章であって、あのように真理を凝縮してわずか数行で表現するのは至難のわざである。
 ヒルティのキリスト教信仰の特徴は、神との深い直接的交わりを重視するということにある。そのような、キリストとの霊的な交わりが与えられるようになったのは、キリストが十字架にかかって死んで下さったからであり、ヒルティが強調する神とともにあることは、十字架信仰によって罪をゆるされた者に賜物として与えられることなのである。
 十字架信仰によっていかに罪が赦されるか、キリストの十字架の深い意味については、日本の著作としては、内村鑑三のものがとくに深い内容を持っているといえる。そしてそうした赦されたものがいかに歩むべきか、神とともにあることの深い意味、神に導かれる生活とはなにか、真の幸いとは、また日常生活の具体的な問題の対処はいかにすればよいのか、などを求めている者にはヒルティは得難い助け手となってくれる。

 ケーベルが、「眠れぬ夜のために」はその題名に反して朝の最も頭がすっきりしているときに読むと言っているのは、当然だといえる。朝の一日の方向を決めるときにあたって、聖書やヒルティのような真理の言葉によって出発することはそうでない場合とは大きい違いを生じるからである。
 ヒルティは、ドイツ語圏の国々で広く読まれただけでなく、「幸福論」の内容の抜粋集は、やがてヨーロッパのほとんどすべての言語に訳されたし、日本語にも訳された。ロシアではとくに早く読まれるようになって、幸福論第一部の全訳の初版は二カ月以内に売り切れたという。現在でもヒルティの著作は発行されていて、例えば私の手もとにも、ドイツのヘルダー社から一九九一年に発行された、「眠れぬ夜のために」(Fur Schlaflose Nachte)である。

 私たちの夜の定期的な集会(夕拝)や、いくつかの家庭集会において、聖書の学びのあとで、岩波文庫本のヒルティの「眠れぬ夜のために」や「内村鑑三所感集」の一項目ずつを学んでいる。そうすることによって、それらの著作の内容がいかに聖書と関わっているか、かれらが聖書をどのように読んでいるのかも学ぶことができるし、聖書の学びをより深めることができるからである。

 つぎにその「眠れぬ夜のために 第一部」から、いくつかを引用して、短いコメントを付けてみる。 

おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。
 おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。
 彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。
 その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」(エレミヤ書十七・58、同書二十二・58
 この言葉は、最初考えるよりも、多くの真実をふくんでおり、これを信じる者はさまざまの悲しい人生経験を味わわなくてすむ。
 すくなくとも私は、これまでの生涯で、人間をあまり頼りとした時は、そのつど、まもなくその支柱をとりはずされてしまった。
 これに反して、神への信頼が十分であったとき、それが裏切られたという場合を、私は一度も思い出すことができない。
 このことがほんとうに信じられるようになるには、長い時間がかかる。そして、それができる前に、人生はほとんど終りかけている。しかし、そのとき初めて人間を真に愛しはじめる。(十二月六日の項より)

・ヒルティは、家庭環境には幼少時から恵まれ、母親も信仰あつい人であったし、十四歳という子供のときからすでに神の声を聞いたと述べているほどである。そして若いときから一貫してキリスト信仰に生きて、神と人のために生きた人物であったが、それでもなお、右のように、「神への信頼は決して裏切られないこと、人間にあまり信頼したときには必ずそれが取り除かれてしまった」というような真理が体得されるまでに人生の大部分を要したという。
 聖書の箇所がいかに深い意味をもち、いかに長い歳月のさまざまの苦しみや困難を経てようやくその意味が明らかにされるかがわかる。

ひとは他人からなにも得ようと思わないなら、全く違った目で彼らを見ることができ、およそそのような場合にのみ、人間を正しく判断することができる。(四月二十一日)

・私たちはつねにまわりの人間を正しく判断する必要がある。どんな性格なのか、長所、短所、あるいはどんな悩みや問題を抱えているのかなど、できるだけ正しく知らねばならない。それによって私たちがいかに関わるべきかがまったくちがって来るからである。
 その際に、ヒルティは、正しい洞察力とは、相手からなにも得ようと期待しないところに得られるという。それは、なにかを期待している、例えば、相手から誉めてもらうとか友達になりたいとか、地位を得る助けにしようなどと考えていると、そのようなことが期待できない人間に対してはそっけなくするだろうし、相手の優れたところも見ようとしないし、悩みなども見抜くこともできない。それに対して何も期待しない心をもって向かうと、相手のありのままの姿が入ってくる。
 しかし、人間はなにかをいつも期待している。だから、相手が自分を誤解したり、見下したりすると、とたんに非常な溝が生じてしまう。それは知らず知らずのうちに、相手から認められること、相手からのよい評価を期待しているからである。
 まったく何も期待しないなどということが有り得るだろうか。
 それは、ただ、私たちが人間から受けるよりはるかに大きいもの、よいものを受けているときにだけ、そのように周囲の人間から期待するものを持たないようになれる。
 そしてそれは、新約聖書で記されているように、キリストから満ち満ちたものを豊かに受けて初めて可能となる。キリストが言われたように、ぶどうの木であるキリストにつながっていることによって私たちはキリストからのゆたかな栄養を受ける。そしてそのとき人間から受けるどんなものにも増して魂を満たすものだと実感する。そのとき初めて私たちは、何も期待しないで人間と関わることができる。

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