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今月の聖句
主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い。  (哀歌三・22〜23)

主の平安を基として  2001/5

 私たちから出る不満、批判、動揺などはすべて私たち自身の内に確たる平安を持っていないことから来る。自ら揺れ動くことのない場に立ちつつ、他人や社会を見つめるのでなければ、そこに真によい何かを注ぐことはできない。
 聖書に現れる旧約聖書の預言者や主イエスは、そのような確固たるものを持ちつつ、人々に向かい、社会の腐敗や誤りと戦った。

 おお来たれ、来てキリストの僕となれ。何ゆえに世の罪悪を怒り、憤ったままで死のうとするのか。何ゆえに社会が冷たいことを怒るのか。
 あなたは、自分自身の不安を周囲の社会や人間に向かって発し続けているのである。
 キリストのもとに来て、主の平安を味わってみよ。そこれはすべての思いを越える平安なのである。
 その平安を自分の心に迎え入れるなら、そのとき、まわりの木々はあなたに向かって手を打って喜び、周囲の人はあなたの志しを助ける者と変わる。(内村鑑三著「一日一生」より。)
 使徒パウロも、
「神を愛する者には、万事がはたらいて益となる」(ローマの信徒への手紙八・298)
と体験的に語っている。
 そうした幸いなる所に私たちは招かれている。主イエスは最後の晩餐のときにつぎのような約束を語った。
「私は平安をあなた方に残していく。私の平安を与える。私はその平安を世が与えるような方法で与えるのではない。」(ヨハネ福音書十四・27より)この神からの平安こそ私たちの一番深いところに留まり、私たちの真の出発点となってくれる。それはこの世のように、妥協や駆け引きで与えられる見せかけの平和でない。それは神の国の平和である。
 この平安よ来たれ!私たちの上に、そして苦しみ、動揺する者たちのところに

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