真理への嘲笑    2001/11/2

 神に寄り頼むことは、神を信じない人からはあざ笑われることもある。
主イエスも、ユダヤ人の会堂の責任者の娘が死んだと知らされ、その娘を救おうとされたとき、周囲にいたユダヤ人たちはあざ笑った。また、捕らわれたイエスはつぎのようなひどい扱いをされ、嘲笑されたのであった。

そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、
茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。
また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。
このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。(マタイ福音書二七章より)

 真理は救いを与え、主の平安を与える。しかし、真理につながろうとするとき、私たちは世の人から重んじられるどころかかえってこのようなひどい取扱いを受けることがある。歴史上を見ても、長い迫害の時代はまさにこのような状況が数百年も続いたのであった。
 しかし、主イエスは言われた、

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ福音書五・1012

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