リストボタン休憩室  2002/3

春の花
 春には多くの花がいっせいに咲き始めます。ウメ、サクラなどの樹木の花をはじめ、スイセン、チューリップ、アネモネ、フリージャなどと花屋にもよく見られる花が多くあります。それらの色や形も鮮やかで目立つものももちろん美しさも姿も多くの心を惹くものです。
 他方、野草には、春先に山のやや湿ったところなどで咲いているセントウソウなど、純白のその花の直径はわずかに数ミリ程度ですが、手にとって見て、さらにルーペで見ればその美しさは心に残るものです。決して花屋にも出ることなく、花瓶にもいけられることもない小さい花なので、山道でしか出会うことはありません。しかし、こうした花に山の自然の中で出会うとどこかほっとするような気持ちにさせてくれるものです。人間の商魂や収集欲などに汚されない野草だからです。

「あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」(ルカ福音書九・48より)

 聖書のなかにはこのように、小さき者を重んじる言葉がいろいろあります。自然のままの人間は、たえず大きいものを求めます。大きい家、よい成績、スポーツなどでは優勝、多くの金、さらに大きい国、強力な軍備などなど。しかし、キリストの心は小さいもの、取るに足らぬようなもののなかに大きい意味を発見することを教えてくれます。

 聖書のなかにも小品であるけれども、心に残る内容のものも収められています。例えば、旧約聖書のルツ記です。ここには、信仰と勇気と愛が見られます。ルツという一人の異邦の女性がいかにして、キリストの祖先の一人となっていくかが描かれています。
 また、新約聖書のなかでは、フィレモンへの手紙は、わずかに一ページ余りの短い手紙ですが、そこにキリスト信仰はどのように人間を変えていくかが記されており、印象深い内容となっています。


 春の星というとまず北斗七星です。北の空にちょうどひしゃくを立てたような形になってはっきりと見えてきますから、だれもがすぐに見つけることができます。これは星座でなく、大熊座という星座の一部分です。このわかりやすい形のため、また北極星を見つけるための手段としても、世界中で昔からどれほど多くの人たちの心をさそってきただろうかと思います。
 昔は、電気がなかったので、夜は大多数の人々にとって、室外も室内もともに真っ暗であったわけです。油を灯火として使うということは、とても高価すぎて庶民では到底長い時間を使えなかったので、夜の長い時間は本当の闇であったと考えられます。そこで星を見つめる時間もはるかに多かったと考えられます。電灯がなくともはっきりと見えるものは、星や月だけであったからです。
 日が暮れてからの長い時間は、夜空の星を見つめ、闇に輝く光のことに心を向けるための時間であったように感じられます。
 星を見ながら古代の人たちは何を考えたのだろうか。聖書の神を信じた人々は、星を通して、天地を創造された大いなる神の御手を思い起こした人たちも多かったはずです。今も、あわただしく、騒音や人工的な光が満ちている中、夜空の星たちは、「静まれ、天地創造」


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