小鳥への説教  02-7-3

 二千年にわたるキリスト教の歴史のなかでも、とりわけその影響力が大きく、多くの人に親しまれてきたキリスト者がいる。アウグスチヌスやマルチン・ルターなどはことに有名だが、ここで一部を紹介するフランシスコ(*)も世界中で広く知られている。彼は、特にキリストに似た人と言われるが、彼の言動を書いた、「小さき花」という書物にはさまざまの驚くべきことが書かれている。ここでは、そのうち十三世紀末の画家のジオットーも絵に書いた、有名な「小鳥への説教」を引用する。(**

………
 フランシスコが道ばたの木を見ると、その地方では見たこともないほどのあらゆる種類の小鳥の大群が見えた。木の下の地面にもたくさんいた。
 彼はこの小烏の大群を見ると、神の霊にみたされて、弟子たちに『ここで待っていなさい、あそこへ行って兄弟の小烏たちに説教したいから』といった。彼は地面の小鳥たちの方へ行った。
 彼が説教を始めると、木の枝にとまっていた小鳥たちは飛び下り、彼の周りに群れ、その衣にも触れたが、じっと動かなかった……
 フランシスコは小烏たちに話した。
『わたしの兄弟である小鳥たちよ!お前たちは神に感謝せねばならず、いつどこでも神をほめたたえねばならない。というのは、お前たちはどこへでも飛んでゆけ、二、三枚の服、色もきれいな服装、働かなくともえられる餌、創造主のたまものである美しい歌声に、恵まれているのだから。
 お前たちは種をまかず、刈り入れもしないが、神はお前たちを養い、水を飲むための河や泉、身を隠すべき山や丘、岩や絶壁、巣をつくる高い木を与え、お前たちはつむがず、織らないが、神はお前たちや子鳥たちに必要な服を与える。
 創造主がお前たちをたいせつにされたのは、お前たちを愛している証拠である。だから、わたしの兄弟である小鳥たちよ、恩を忘れずに、いつも熱心に神をたたえなさい!」
 小鳥たちはみんなくちばしをあけ、はばたき、首をのばし、小さい頭をうやうやしく下げて、さえずり体を動かしながら、フランシスコのことばを喜んでいることを示した。
 フランシスコはそれを見て心満たされて喜び、小鳥の数がおびただしいこと、美しさ、様々の種類があること、親しみ深さに驚嘆した。
 それから彼は、鳥たちとともに創造主(神)を熱心に讃美した。そしてフランシスコは、小鳥たちに創造主をたたえるように、やさしく勧めた。さて、それがすむと、彼は小鳥たちの上に十字を切って祝福した。すると、小鳥は驚くべき(***)歌を歌いながら飛び去っていった。………
 このような記事を見ても、現代の多くの人はなにも感じないで、小鳥に説教するなどということはあり得ないと思ってしまうかもしれない。
 この小鳥への説教はどのような文脈で書かれているかというと、フランシスコは、自分は祈りに集中すべきか、それとも折々に福音を説教すべきかということで、なかなか神の指示を受けることができなかった。そこで、彼ほどの深い祈りの人であったにもかかわらず、信頼する他者の祈りによって決めたいと願った。それは一人の姉妹クララと兄弟シルベストロであり、ともに祈りにおいて深い力をもった人であった。彼らにこのことを祈って神からの答えを求めると、兄弟シルベストロは、すぐにひれ伏して祈って神の言葉を求めたところ、「神がフランシスコを呼びだしたのは、彼自身のためでなく、彼に他の人の魂を得させるため、すなわち多くの人がフランシスコによって救われるためである」との、神からの言葉を与えられた。姉妹クララも同様の答えであった。
 このことによってフランシスコは、町々へと出かけていき、そこで神の言葉を宣べ伝えるようになったのであった。
 この小鳥への説教は、そのような伝道のために歩き続けていく途中の出来事であった。
 キリストの福音は、人間だけでなく、小鳥にも通じる力を持っていること、フランシスコのような特別に選ばれた人間には、人間以外の動物をも動かす力を与えられていたことがわかる。
 小鳥たちにも通じるということ、それはキリストの福音がどんな人間にも通じうることをも暗示している。その内容自体がどれほど理解できるかということでなく、福音が持っている霊的な力はどんな人にも働きかけ、影響を及ぼすということが暗示されている。
 また、フランシスコは神への讃美をつねに重んじていたが、その心が小鳥たちにも通じて、フランシスコからキリストの福音を聞いた小鳥は、「驚くべき、素晴らしい歌」を歌いつつ、大空へと舞い上がっていった。この小鳥たちの姿は、そのままフランシスコ自身のことでもあった。彼は生きて働いておられるキリストからの福音を聞いてから、それまでの物質的な富への執着が消え去って、神とキリストの無限の豊かさ、愛を歌い続けて天へと飛びかける魂となったからである。
 私たちも、キリストの福音を聞き、本当にキリストの愛に触れたときには、そのことの比類のない力を感じて讃美せざるを得なくなる。
 ここに出てくる小鳥のように讃美しつつ、神の国、天へと飛びかけるものでありたい。

*)一一八二年に、イタリアの首都ローマの北の小さい町アシジで生まれた。そのため、アシジのフランシスコと言われる。フランシスコは、イタリア語の発音では、フランチェスコとなる。カトリックでは「聖」をつけて聖フランシスコというが、プロテスタントでは、人間はどのような人も罪人であり、特別な存在でない。みんな同じような存在であり、神を父と仰ぐ「兄弟、姉妹」であって、本来は特別な敬称を付けるべきでないので、どのような人にも、「聖」という呼称をつけるべきでないという考え方が生じてくる。だから「聖フランシスコ」というようには言わない。
 なお、このフランシスコの名前をとったアメリカのカリフォルニア州にある大都市が、サン・フランシスコ(聖フランシスコという意味)である。
**)ここに引用したのは、ヨハンネス・ヨクゲンセン著「アシジの聖フランシスコ」と、フランシスコの弟子(フランシスコ会の無名の修道士)の書いた「小さき花」の二つを元にして引用した。
***)イタリア語の原文では、maraviglioso という語が小鳥の歌について二回用いられており、小鳥の歌が驚くべきものであったことが強調されている。英語のmarvelos にあたる語で驚くべき、不思議な、素晴らしいなどの意味を持っている。
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