リストボタン悪を滅ぼすもの    2003/3

 今度のイラクに対する戦争はテロの悪魔との戦いだという。ここには、悪は武力でなくすことができるという考え方がある。
 しかし、そもそも悪は武力によってなくなるのか。悪そのものと悪人とは、全く異なる意味がある。 誰か悪人がいるとして、その悪人を死刑にしたところで、その悪人が持っていた悪はなくなるだろうか。決してなくなりはしない。その悪は形を変えて別の人間や国を動かしていくだけである。
 それは、具体的にはより広範囲のテロや混乱が生じること、あるいは、軍備のさらなる拡大競争という形となる可能性が高い。それとともに、国々が正義を軽んじ、目にみえない真理を無視して、武力に頼ろうとし、必要なときには相手を武力攻撃しても構わないといった発想がはびこることである。また、一般の民衆のなかに、戦争を引き起こすことになった当事者であるフセインとかアメリカへの怒りや憎しみを造り出して、不安な暗い心を生み出すことである。
 個人の場合について考えても、死刑をどんなに増やしても、やはり悪はなくならない。死刑を増やして悪が一時的に減るようなことがあるとしても、それは恐怖からであり、悪を内在化させただけで、悪そのものも滅ぼすことにはつながらない。
 逆に善もまた、死をもってする迫害によっても滅ぼすことはできない。江戸時代はキリスト教徒であるというだけで、死刑にすることが行われたほどであったが、ついにキリスト教を滅ぼすことはできず、そのような政策を実行していた徳川幕府が滅んでいったのである。
 戦争によって一時的に悪い支配者を倒すことはできるかも知れない。しかし軍事力という人の命を奪う力によって悪人や悪い政府を倒しても、彼らを動かしていた悪そのものを倒すことはできない。
 また、戦争になると、弱い立場にある、子供や老人、病人や障害者の人たちが犠牲となったり、大きな苦しみを受けることになる。そのようなことを引き起こすこと自体が大いなる悪である。悪を滅ぼすといいながら、一般の市民を無差別的に殺傷するというひどい悪を犯していくのである。こういうことだけ考えても、武力が本当に悪そのものを滅ぼすことはあり得ないのがわかる。
 悪とは霊的なもの、目には見えないものである。人間が悪いことをするのは、悪の霊がその人間に入って悪をさせるのである。このことは、ときどき普通の生活では到底犯罪など犯さないような人が、思いもよらない悪事をして明るみに出るということからもわかる。そうした悪事は、人間を動かして悪へとさし向ける目に見えない力(そうした力を聖書では悪霊とかサタンといっている)がなさしめているのである。
 同様に善というのも、霊的なものである。究極的に善きものは、聖書では聖霊と言われている。
 聖書の真理は、悪の問題についてどう言っているだろうか。ある種の人間だけが悪人であって、あとは善人であるなどとはまったく言っていない。人間はもともと、悪の霊にとりつかれている。それゆえ、真実なことに背き、自分中心に生きている。そのことを罪といっている。
 罪があるかぎり、人間はいつ突然に変わってひどいことをするかも知れないのである。
 今回のような戦争を起こす考え方の誤りの第一は、このように、悪は武力によっては滅ぼされないという事実を知らないことである。
 つぎに明白な間違いは、自分たちアメリカは正しい、相手だけが悪いのだという発想である。この点もキリスト教の教えからいうと、本来人間はみんな悪いのであって罪を犯している存在なのである。このことを知らず、間違っている点を悔い改めようとせず、相手だけを悪人だとして攻撃することは無知以外のなにものでもない。アメリカも奴隷制度や、ベトナム戦争など、多くの点で歴史的にも間違いを犯してきたし、現在も地球環境の改善に真剣に関わろうという国際的な努力からはずれていったり、罪深い国家なのである。
 こうした間違いに関してキリストの言葉、すなわち神のご意志を記している新約聖書は全く新しい道を指し示している。それは悪人を殺すことでなく、神の愛の力によって内部から悪を滅ぼす道であった。
 その出発点として、キリストは自ら十字架にかかり、万人の罪を身代わりに負って死なれたのであった。その十字架の死を自分の罪のために死んで下さったのだと信じて受け取ることによって私たちは、自らのうちに巣くう悪の力に勝利するようになる。そしてさらに聖霊という善き霊を受けることが約束されている。
 その聖霊によって私たちは、敵対する者にも、彼らが死んで滅びてしまえという心でなく、彼らの心から悪の霊が追い出されて、代わりに善き霊によって変えられて善き人になるようにとの祈りが起こされる。そうした祈りによって、神が相手の心の根源を変えられるのである。それが本当の意味で、悪を滅ぼすことになる。
 キリスト者とはこうした道をキリストにより、聖書によって知らされた者である。それゆえいかに少数の者しか賛成しないとしても、悪を滅ぼす究極的な道を変わることなく、掲げていきたいと願う。区切り線
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