リストボタン鹿のように谷川の水を求めて    2003/4

 私たちのキリスト集会でもう十数年前からよく用いてきた親しみやすい讃美に、「鹿のように」というのがあります。
 この讃美の歌詞は、旧約聖書の詩がもとになっています。

涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て
神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩篇四二・23)(*

 聖書が書かれた地方ではいかに水が貴重であるか、谷といってもふだんはほとんどは水のない涸れたものばかりで、いつも流れている川らしい川といえば、日本であれば小川のようなヨルダン川があるだけです。水を飲まねばすぐに死が待ちかまえています。水は生命線なのです。日本のように至る所に小川や谷川があるのとは全く異なっている厳しい状況なのです。そうしたところで必死に水を求めてさまよう鹿のように、私は必死で神を求める。ただ神のみが私の魂を満たすお方だから  こうした内容の詩で、主イエスの言われた、「飢え渇くように、正しいことを求める」心がこの詩には表されています。

*)この詩には、作曲家のメンデルスゾーンも曲をつけて、ちょうど詩篇と同じ番号の作品番号四二となっています。また、讃美歌21の一三〇番(涸れたる谷間に)、一三一番(谷川の水を求めて)一三二番(涸れた谷間に)も、やはりこの詩篇四二編を内容とした讃美歌ですし、新聖歌にも二曲が取り入れられています。

 この詩篇には多くの曲が付けられていますが、讃美歌などに採用されている曲よりも、おそらくだれの心にも親しみやすいのは、はじめに述べたゴスペル的讃美だと思われます。
 この曲は十年余り前の、徳島で開催された無教会のキリスト教全国集会においても、聴覚障害者とともに手話讃美にも用いた讃美ですし、県の郷土文化会館での市民クリスマスでも、私たちの集会員と他の聴覚障害者の多い教会の人たちとともに手話讃美をしたことがあります。
 さらにこの讃美は去年二〇〇二年の十二月に徳島市文化センターで行われた、市民クリスマスにおいても、鳴門教育大学の音楽の教授が、よい曲だ としてコーラスの曲目に取り上げ、さらにその教授の定年退官記念の演奏会にも曲目の一つとされていました。
 そうしたことからも、私たちにはいっそうなじみ深い讃美となっている曲です。
ここでは、紹介のためにその讃美の訳と原文を書いておきます。

鹿のように

鹿が水を求めてあえぐように
私の魂はあなた(神)を求めています。
あなただけが、私の心の願い
私はあなたを拝することを心から願っています。
あなただけが、わが力、わが盾
あなたにだけ、私の霊が従うように。
私は金銀よりも、あなたを求める。
あなただけが、私を満たすことができる。
あなただけが、本当の喜びを与えるお方
そして私の瞳(といえるほどに大切な存在)
あなたは私の友であり、兄弟です。
本当はあなたは王であるのに。
私はあなたを、愛しています。ほかのどんなもの、いかなるものよりも。

As The Deer
  (Marty Nystrom

As the deer panteth for the water
 
So my soul longeth after Thee
You alone are my heart's desire
And I long to worship Thee
(chorus)
You alone are my strength
 my shield
To You alone may my spirit yield
You alone are my heart's desire
And I long to worship Thee

I want You more than
gold or silver
Only You can satisfy
You alone are the real joy-giver
And the apple of my eye

You're my friend
And You are my brother
Even though You are a King
I love You more than any other
So much more than anything

 この讃美を作詞作曲したのは、マーティ・ニストロムという人です。この作者自身が、多くの自作の讃美のなかでもとくにこの「鹿のように(AS THE DEER)」を、心に大切に思っている作品であったのがうかがえる次のような文を書いていますし、そのCDのタイトルにも、この讃美の歌詞の一節を用いています。
 それは「私の心の願い(My Heart'Desire )」というタイトルです。日本では現代のアメリカの讃美作者の信仰に触れることは少ないと思われるので以下にこの作者の短文をあげておきます。なお、作者の生の声に触れるために一部の原文を添えておきます。………………
「あなた(イエス)だけが私の心の願い」(You alone are my heart's desire) この神に向かってなされた告白は、「鹿のように」という讃美の歌詞の中に含まれています。この歌を書いたのは数年前のことですが、これらの言葉は、私にとっては、イエスを私の心の王座(最も重要なところに)留めておくために絶えず思いだすものとして留まり続けてきました。
 私はこの言葉を私の重要な決定をしなければならないときに、個人的な基準として用いてきたのです。生きることや伝道の必要からくるいろいろの求めによって心が動揺するときに、この言葉によって心が呼び覚まされる思いになったのです。
 私はこれらの言葉によって、私の心や考え、あるいは行動が神から迷い出たとき、それは罪だと知らせてくれたのです。
 あらゆる人間の心には渇きがありますが、それはただイエスだけが満たすことができます。
 しかし私は、この渇きをいろいろの物事や人間関係やキリスト教関係の奉仕によっても満たそうとしてきました。
 そうした時いつも、忍耐強く、恵み深い救い主イエスが私を主のもとに引き戻して下さったのです。
 これらの礼拝の讃美があなたを創造し、あがなって下さったお方(神とキリスト)との親しい交わりを求める心をさらに新しくしますように。
 あなたが「神ご自身の心にかなった」者となりますように。

(なお、この讃美の曲を知りたい方は、末尾の住所かメールで連絡下されば、インタ-ネットメールでこの音楽ファイル(MIDIファイル)をお届けできます。)
ホーム・ページ係りのもの付加:メールで希望の場合は、右よりお申し込みください> 鹿のように・・・MIDファイル希望メール。
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