リストボタン心のうた  水野源三の短歌から    2003/5

かぎりなき 主の御恵みを指し示す 窓からのぞく柿の若葉よ

・寝たきりの作者にとって、家に車がなかったので、今のように車に乗せて遠くにつれて行ってもらうこともできず、車イスもなかったので、家族などが周囲から採取してくれる野草や樹木の花などを見るのが精一杯というところで、ふだんはただ窓から見える単調な景色に触れることでしかできなかった。
 そうしたきわめて変化の少ない窓からの風景も、春になって柿の若葉が見えるようになった。それまで枯れたようになっていた木に小さい若芽が現れたと思うとつぎつぎとあちこちから芽を出して、それが初々しい新緑の葉となっていく。
 そうした小さな自然のたたずまいを見るだけでも、作者にとっては主の恵みを指し示すものとして感じられた。
 柿の若葉は、適当な光と温度によってぐんぐんと成長していく、それを見て、私たちも枯れたようになっていても、主の力を受けるとき、あのようにいのちに満ちた姿を現すことができるのだということ、主によって造りかえられるとき、日々新しくされていくのだという思いが重なる。
 感じる心、見る目さえあれば、どんな小さな出来事も、主の恵みを指し示すのである。

スズランが今年も咲きし庭の隅 永久(とわ)に尽きるなき主のいつくしみ

 人が忘れていても、毎年スズランは今年も咲き始める。ここにも変わることのない主の慈しみが指し示されている。もし、主イエスからの恵みを感じないときには、スズランが今年も咲いた、ただそれだけしか思わないだろう。しかし、春になって当たり前のように咲き始める花を見てもそこに、神の愛と変わることない神の真実を感じるのである。区切り線
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