はこ舟 2003年6月号
内容・もくじ
愛とさばき
海の深みに
集会の重要性について
神の国とは何か
二種類の方向転換
休憩室
ことば
返舟だより


リストボタン愛とさばき   2003/6

キリスト教は愛の宗教だと言われる。そしてそれは事実である。どんな罪悪を犯した者でも、ただ心から赦して下さる神の愛、十字架にキリストが死んで下さったと信じるだけで、すべてが赦され、神の国のよき賜物が与えられるというのは、人間の社会では考えられないことである。殺人のようなひどい犯罪を犯してしまえば、どんなに悔い改めても、裁判で重罪とされ、周囲の人々からは生涯冷たい目でみられるだろう。しかし、神はそうしたあらゆる人間の感情や人間の愛とは本質的に異なっている。
放蕩息子という有名なたとえ話しがある。生きているうちから財産の分け前をもらい、父から遠く離れて放蕩の限りを尽くしたが、その挙げ句に食べるものもなくなり、最も汚れたとされていた豚の餌すら求めるほどであった。そのような状況に陥ってもうそのままいけば死ぬ他はないというところまで追い詰められたとき、初めてその息子は自分の罪に気づいた。そして天に対しても父に対しも罪を犯したと深く悟って、もう使用人でもいからと父のところに帰って行った。そのような息子であったが、父親は遠くからその息子を見つけて、走り寄り、大いに喜び、抱きしめて最上のごちそうをしてやったとある。ここにも聖書でいう神がいかに愛の深い御方であるかが示されている。 また、いつの世でも見下され、苦しめられる貧しい人、重い病人、障害者、ハンセン病の人たちをまず第一に省みて慰め、力を与えられた。この世からは極刑にしてさらしものにするしかないとみなされ、十字架につけて殺されていくような重罪人にすら、主イエスは愛を注がれて、その人が最期のときに主イエスを信じたことによって、最初にパラダイスに行くようにされたほど、その死んでいく罪人を愛されたのである。
こうした記事はそのまま現代の私たちにも経験できることである。神に背き、罪を犯して神を忘れていてもただ神を仰ぐだけでたしかな赦しを受け、十字架のキリストを仰ぐだけで、罪赦され、心の平安を与えられることを実感することができる。キリスト者とはまさにそうした神の愛を実感した人だといえる。
このような愛の神であるが、他方キリスト教では神のさばきということもはっきりと記されている。ただ神に心を向けかえるだけで、何にも代えがたい主の平安を与えられる道が備えられているのに、それをあえて意識的に拒み、真実なものを踏みにじることを続けていくならば、さばきが必ずある。また主の名を用いていながら、じつは自分の利益を求めていくような偽りの心を続けていくなら、やはりさばきは必ず生じる。それは何かの事故や病気ということで、その警告やさばきが行われることもあるだろう。しかし、そのようなことは真実に生きる人にも生じることであり、さばきとはいえないことも多い。
さばきはもっと身近に実感できることである。私たち自身においても、他人に不信実なことをいったり、したりすれば何か心が穏やかでない。清い喜びは確実に消えていく。そこにさばきがある。逆に他人にたいしてそれがよくない人であっても、もし祈りをもって対することができたとき、どこか心にさわやかさがとどまる。
神がもっておられるような真実を軽んじ、自分中心に汚れた考えや行動を続けていくときには、その人は必ず心が濁り、それはよどんだ目や表情、濁った声などとなって自然に外にも現れてくる。そこにさばきがある。そしてそのような場合には心のなかに決して澄んだ喜びや深い平安は与えられず、真実な友人などが確実にいなくなっていく。
このように、さばきはいわゆる不幸とされるようなことでなく、私たちの日常の心の世界に確実になされているのである。
旧約聖書の預言書において、つぎのように記されていることは、いまから二五〇〇年以上も昔に書かれたことであるが、そのまま現代に生きる私たちに、神のさばきがとんなことであるかを告げている。

その心が主を離れ去っている人はのろわれる。彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく、人の住めない不毛の地、暑い荒れ野を住まいとする。(エレミヤ書十七章より)

そのよう者は、深い平安なく、心にうるおいなく、真に心を結び合う友も与えられない。
しかし、このような状態に陥って神の御手にかかることがいかに重大なことかを思い知らされて、神に立ち返るとき、そのような状態からでも人は再び神の愛を受けて生きることができるようになる。ここにも神の愛がある。
神の愛は、果てしない。しかしまた神のさばきも、たんに個人にとどまらず、家庭や社会、国家全体、そしてその背後にある悪そのものにも及ぶのである。神への愛が聖書のいたるところで示されているとともに、しはしば神をおそれよと言われているのはそうした愛とさばきを同時にもって、すべての人、全世界に及ぼすことができるからである。

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