リストボタン二種類の方向転換    2003/6

 日本は今大きい方向転換をしつつある。というよりも、すでに転換した方向をさらに決定的なものとしつつある。それは増大した軍事力を海外へと派遣していく方向である。
 これは、日本の憲法が規定することとは、まさに逆の方向である。
 自衛隊は国を防衛するためのみに用いるというのであったはずだが、自衛隊が創設されてまもなく、その増強の一途をたどるようになった。そして、現在では世界有数の軍備を持つ事実上の軍隊となった。そして、自衛隊を海外に派遣する法律が、九二年の国連平和維持活動協力法(PKO)、〇一年の、テロ対策特別措置法、そして今回のイラク復興法案と続いていく。
 また、それとともに九九年の周辺事態法によって、アメリカが海外で戦争を起こしたときに米軍への支援をすることになったし、先頃の有事三法によって、日本が武力攻撃を受けたときの、国や地方の任務、国民の協力、自衛隊の行動を円滑化することなどを定めた法律ができた。
 最近こうした自衛隊が活動することに関連する法律や議論、それと関連して憲法第九条を変えてしまおうという議論が多くなされるようになっている。
 このようにして、アメリカが持っているような軍事的防衛を日本が肩代わりするとなると、ますます自衛隊は規模を大きくしたり、その活動範囲も大きくなっていかざるを得ない。
 ことに北朝鮮問題がこうした傾向に拍車をかけている。
 だが、この武力によって守り、あるいは守ることを口実に、アフガニスタンでの戦争のように攻撃するという道は、正しい道なのか。いつの戦争もこのように、守るということを口実に起こされてきた。
 実際、一九四六年の憲法議会において、首相吉田茂は、つぎのように述べたことはよく知られている。
近年の戦争の多くは自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜戦争またしかりであります。」この吉田首相の考えはまもなく、次第に変質していく。
 戦争が自衛の名においてなされることは、最近のイラク戦争も同様であった。アメリカの中心部の巨大な建物が航空機によって崩壊させられたことから、さらなる攻撃から自衛するためと称して戦争が行われた。 こうしてタリバンによるアフガニスタン支配はくつがえされた。しかしそれで解決はしたかというと、最近のアフガニスタンでは、政権を追われたタリバンが再び勢力を回復してきて、各地で政府軍やアメリカ軍をねらった攻撃が相次ぐなど、国内状況はかえって悪化傾向にあり、内戦に逆戻りするのでないかとの不安が高まっているという。
 武力によって解決したように見えてもそこにはまた新たな武力による混乱が生まれていく。武力は一時的な解決にみえることをするだけである。
 また、戦争という大量殺人を始めるには、よほどのことがなければできない。それだけの理由がない場合には、不真実なこと、嘘を用いて戦争を始めようとする。かつての日本も、中国兵が満州鉄道の線路を爆破したといって日本軍がただちに攻撃を始めた。これが中国との長い十五年戦争となり、さらに太平洋戦争ともなってアメリカやイギリスなどとの戦争へと突き進んでいくことになった。そして数千万の人々が殺傷されるかつてない悲劇が生じることになった。
 しかし、これは日本軍の一部指導者層がたくらんだことであった。じっさいに爆破したのは日本の関東軍の中尉が数名の部下を使って爆破したので、ただ口実のためにやったために、その直後に満鉄の列車は無事通過できたほどであった。
 今回のイラク戦争の開始においても、イラクが大量破壊兵器を持っていると断定して、その兵器からアメリカを守るためだというのが理由であった。しかし、その断定には根拠がなかったことが明らかになりつつある。アメリカの国防情報局は、昨年九月の内部報告書で、イラクの化学兵器の存在を断定するための信頼できる情報はないと結論していたのに、大統領は国連やホワイトハウスで、それらの大量破壊兵器の存在を断定したという。アメリカの大統領は自分たちが始める戦争を正当化するために、大量破壊兵器に関する情報を意図的に操作していたのではないかという疑惑が次第に膨らんでいる。
 イギリスでもそのブッシュ大統領に一貫して協力したブレア首相に対して、イラク戦争を始めた根拠を追求されている。イギリス政府が、イラクの脅威について出した報告書は、核兵器とか生物化学兵器に関するイラクの脅威を偽物の文書によって造り出したとか、脅威があるように書き直したものであったという。
 日本政府は、やはりアメリカの大量破壊兵器が存在するという断定をそのまま信用して、明確な国連決議も基づかないのに、アメリカによってはじめられた攻撃を早い段階で支持した。
 もしこのまま見付からないときには、アメリカの大統領は自国民だけでなく、国連をはじめ世界人たちを欺いたということになる。
 そもそもイラク戦争はアフガニスタンへの攻撃の延長上にある。そのアフガン攻撃は、アメリカの中心部へのビルの攻撃にあった。それはイスラエルとパレスチナの対立が重要な原因ともいえる。あの攻撃を計画した首謀者とされている人物は、パレスチナ紛争でイスラエルに味方するアメリカを制裁するためだと示唆していたという。
 アフガン戦争、イラク戦争がアメリカによってなされた。しかしイスラエルとパレスチナの対立抗争は止む気配がない。
 アメリカが世界に示したことは、国連の決議がなくとも、武力で攻撃するという、話し合いより武力を前面に出す方式であった。しかしそのような武力で解決しようとする考えが根本的に問題なのであり、イスラエルとパレスチナの対立抗争を生んでいるのである。
 アメリカは一時的にはアフガンやイラクの政権を崩壊させたと言えても、武力という危険なものをもって世界の紛争に介入するという発想を刻み込んだのである。それは今後世界の紛争や内戦、あるいはテロにおいて武力をもって解決を図ろうとする傾向を強めることになっていくであろう。 実際、二〇〇二年度の、世界の軍事費は前年に比べて六%も増加して、九十三兆円にもなるという。アメリカがこうした軍事費の増大、武器の高性能化と増加を引っ張っている状態となっている。さらにアメリカは、小型核兵器の研究を再開することも決定した。日本も、福祉や医療、教育などの費用はつぎつぎと削減されていくのに、軍事費は巨額のままである。
 このような方向は人類が無数の人々の犠牲を払い、つい六十年ほどまえにも、数千万もの人が殺され、傷つき、生涯を破壊された世界的悲劇から学んだ、外交的な努力、平和的な話し合いで問題を解決するという方向に逆行するものである。
 日本はドイツ、イタリアと同盟して、その世界大戦で最も害悪を与えた国の一つであり、また核兵器の恐ろしさを身をもって体験した唯一の国であるゆえにこそ、ほかの国々とは違った根本的に異なる対処をするということで、一切の戦争には加わらない、とする平和憲法(*)を受け入れたのである。

*)「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 どの国も自国を防衛するためと称して軍備増強をしていく、その方向で世界大戦は生じた。だから、日本はそこから全く方向転換をして、軍備を持たない方向に向かって国の歩みを進めていくということであった。
 この方向転換は、世界に類のないものであった。わずかに、コスタリカという国がこのような徹底した平和主義の憲法を持っているだけである。
 しかし、このような方向転換はまもなく終わりを告げる。一九五〇年の朝鮮戦争がきっかけとなって、自衛隊が生まれたからである。そしてその後は肥大を続けて、現在では世界四位の軍事力を持つにいたっている。表面では憲法があるゆえに、平和主義への方向を維持できた。しかし実質は再び軍備増強という方向に向かっていったのである。
 日本の憲法の徹底した平和主義の精神はキリスト教から来ている。「剣をもってするものは剣によって滅ぶ」という主イエスの言葉、「敵を滅ぼすための復讐や攻撃はしてはならない。かえって敵のために祈れ」、「キリスト者の武器は、武力でなく、神の言葉であり、聖霊であり信仰なのだ」という新約聖書にあるイエスやパウロの言葉は、いかにみても武力攻撃を支持する言葉ではない。
 じっさい、キリストも、使徒の代表であったペテロも、ペテロの兄弟であったヤコブ、そしてステパノといった弟子たちも殉教した。書いた手紙が新約聖書の相当な部分をしめるほどに神との深い交わりを与えられていた使徒パウロも、意識不明になるまで石で打たれてほとんど死ぬほどであったが、かれらはみな、武力の助けを借りて相手を攻撃することはまったくしなかった。
 こうした聖書に記されている平和の精神は二千年経った今も変わらない。人間の考えは変わる。国家や教育、また新聞などマスコミの意見や論調もたえず変わっていく。
 イラク戦争のときには、アメリカの世論も戦争反対の意見に対して圧力がかかって自由にものが言えない風潮となった。日本も戦前は政府の戦争政策に反対して、平和主義をとなえようものなら、厳しく弾圧された。そして数千万の死傷者を生みだし、原爆のすさまじい被害を経験し、アメリカの指導のもと、平和主義を基調とする憲法が生まれた。そして政府も国民もそれに賛成した。しかしまもなくアメリカの考えも変わり、日本政府の考えも変質していく。国民の考えもとくに最近の国際情勢によって大きく変わっていきつつある。そして平和憲法を変えてもよいという考えが増えていく。このように、人間の考えはたえず変化していく。
 残念なことだが、キリスト者だと称する人たちであっても、時代の状況に押し流されて変質することがしばしばある。そうしたすべてが移り変わっていくただなかで、決して変わらないものがある。
 それは聖書の真理である。キリストが言われたこと、そのキリストから直接に教えられた使徒たちの記した真理である。
 この世はたえず、流れゆく世論や周囲の状況に押し流されていく。そしてもと来た道へと逆戻りをしていく。
 しかしキリストにつながる者は、たえずそうした流れに抗して、新約聖書に記されている、キリストやパウロの言葉へと方向転換をし続けて行かねばならない。
 私たちは世論によらず、国際的な風潮にもよらず、政治や教育などの指導者、評論家にも頼らない。ただ永遠の真理の書たる神の言葉に頼る。聖書こそは、主イエスが言われたように、天地が滅びようとも、神の言葉は変わらないからである。

天地は滅びる。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。(ルカ福音書二十一・33
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