リストボタン神への讃美のために戻ってきた人    2003/10/01

聖書には、旧約聖書から現在のハンセン病と思われる病気のことが記されている。ハンセン病はこの世で最も不幸な病気といわれ、また人間が認識した最初の病気であるともいわれる。すでに前二四〇〇年ころのエジプトのパピルス文書にハンセン病は記録されており、ペルシアでは前6世紀に知られ、インドや中国の古い文献にも記されているという。
当時は病原菌のことももちろんわからなかったので、現在のハンセン病以外の皮膚病も含まれていたと考えられる。
新約聖書のキリストの時代になっても、ハンセン病の人たちの状況の苦しみは非常なものであった。そうした恐ろしい苦しみ、それは肉体的にも、精神的にも耐えがたいものであったであろう。ハンセン病以外の皮膚病であれば、そのうちに治って、社会生活に戻ることもできたが、ハンセン病そのものに冒されていた場合には、汚れているとされ、治ることなく次第に病状は進行していく。家族からも社会からも放逐され、体も心も深く傷つき、そのゆえにこの世で最も不幸な病気と言われるほどであったと考えられる。
そうした恐ろしい闇のなかに放置された人たち、そこにはだれも何の救いの手もさしのべることはできなかった。世間の人たちと交際することすらできず、人のなかに入っていくこともできない状態であったからである。
そのような極限状態に置かれた人たちに、深い信頼を呼び起こしたお方が、主イエスであった。
それはつぎのような記事によってもうかがうことができる。

イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。
ある村に入ると、らい病(*)を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、
声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。
イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・1119

ハンセン病の人たちは、一般の人々との交際を禁じられていた。人混みのなかに出て行くこともできなかったようである。だからこそ、ここの記事にあるように、「遠くの方に立ち止まったまま」、大声で叫ばねばならなかったのである。

祭司が調べて、確かに発疹が皮膚に広がっているならば、その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。それはらい病である。らい病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者だ。汚れた者だ」と叫ばねばならない。(旧約聖書・レビ記十三章845節など)

このように、ハンセン病がひどくなると、その苦しみに全身をさいなまれつつ、さらに、家族や周囲からも排斥され、どこにも安住の地はなくなる。そうした絶望的状態にあったにもかかわらず、すでに引用した十人のハンセン病者たちは、イエスはそのような状況から救い出すことができると確信していた。
そのような信仰はいったいどこから生じたのか。とても不思議なことである。主イエスのすぐ近くにいて、数々の教えを聞き、その奇跡を目の当たりにしてきた者たちであっても主イエスが絶大な力を持っていることがわからず、主イエスに信頼するどころか、ねたみや悪意を持ちはじめる者も多くいた。
弟子たちですら主イエスに対して、なかなか絶対の信頼を持つことができなかった。そういう中で、ほとんどだれからも注目されず、その存在すら無視されていたと思われるハンセン病の人たちがこのように全身でイエスへの信頼を表したのは驚くべきことであった。
信仰というのは、私たちが求めて与えられると言えるが、他方では本人がまったく思いもよらない場合でも一方的に与えられる場合もある。私自身はキリスト教という信仰を全く求めてはいなかった。しかし、神の不思議な導きによって、一冊の本から信仰が与えられた。
このハンセン病の人たちは、文字も読めず、主イエスがなさっている数々の奇跡も見ることもなく、またその教えを直接に聞いたこともなかったであろうと考えられる。外に出た人からの情報としてイエスという人がなにか、今までとは全く異なるお方であるという、直感が与えられたのであろう。それゆえに、人がたくさんいるにもかかわらず、遠くに立って、「声を張り上げて」叫んだのであろう。それまでの苦しみのすべてを、渾身の力をこめて、イエスへの叫びとなしたのであろう。周囲のものがどう思うか、邪魔者扱いにされるだろうとか、ほかのことはいっさいかえりみないで、ただ主イエスだけを、主イエスが持っていると信じられるその神の力と憐れみに全幅の信頼をおいて叫んだのであった。
当時は、意外なことに、ハンセン病だとされた人がいやされたかどうか、それは医者でなく、祭司が判断するのであった。しかもほかのいろいろの病気については、祭司がそのような判別をするのではない。それほど、ハンセン病というのは、宗教的な病であったのがわかる。祭司に見せるために行くとは、癒されたということである。彼らは、イエスが触れることも、手をおいて祈ることもしないのに、癒されるのだろうかと信じがたい思いがあったのではないか。しかし、そうした疑いの念を超えて、彼らは、主イエスの言葉を信じた。ほかのいかなる者に対しても持ったことがないような、絶対の信頼をイエスに置いていた。そのゆえに、彼らはそのイエスの言葉の通りに、まだ治ってはいないがともかく、祭司のところへ行こうと歩き始めた。治ってないのに、祭司のところに行ってどうなるか、祭司に追い返されるのではないか、なぜ、イエスはまず病気を治した上で祭司のところへ行けと言ってくれなかったのだろうか、などなど、さまざまの思いが生じてきただろう。
 しかし、それら一切の揺れ動く心に、主イエスへの信頼が打ち勝った。
 そしてそのような主イエスへの無条件的な信頼こそが、求められていることであった。
 彼らは、そうした信仰を持って祭司のところに歩いて行った。どれほどの時間を歩いただろうか。主イエスは彼らの信仰を見届けて、彼らは歩いていく途中でその病気を癒された。「あなた方の信仰があなた方を救った」ということが成就した。
 これは、思いがけない人が、だれも予想できないような、主イエスへの信仰を持つのだということが言われようとしている。文字が読めるかどうかとか学識や、社会的地位、それまでの罪があるかどうか、などそうしたことと一切関わりのない、主イエスへのまっすぐのまなざしがここでは重要なものとされているのがわかる。人間が追い詰められたとき、どこにその必死の気持ちを持っていくか、その方向が問われている。現在なにも苦しみもない、悠々と暮らしているといった人も、いつそうした追い詰められた状況に陥るか分からない。人間は自分でそれらを自由にはできないのである。そして、私たちの霊の目が清められるほどに、私たちの現状は、いろいろの意味で危険に満ちたものであって、私たちがそれぞれに力を込めて叫び、祈る相手を持っていることが必要なのが分かってくる。
 この聖書の箇所で、もう一つ言われている重要なことがある。それは、彼らは主イエスへの絶対の信頼を持つ者たちであったし、それほどの大きいいやしを受けたにもかかわらず、主イエスのところに戻ってきて、イエスに感謝を捧げたのは、わずかに一人であったということである。

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を讃美しながら戻ってきた。そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人であった。
そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・1519より)

少しまえには、大声で叫んで主イエスからの助けを求めた。どうか私たちを憐れんで下さい!という必死の叫びであったが、彼らの信仰によって癒されたこの人は、他の人たちがいやされたのを知ってもイエスに感謝のために戻ってくることはなかったが、この人だけは他の人たちとは逆にわざわざイエスのもとに戻り、大きな声で感謝したという。すべてに見捨てられていたゆえに、イエスに向かって必死の大声で、神からの救いをもとめ、それが与えられたとき、大声で神に感謝するそうした光景を思い浮かべるとき、何ごとにつけ、全身で主イエスに表すという姿勢が見られる。いやしてもらうために叫ぶときは大声であっても、いやされたときは、そのうれしさのあまり何をしようか、どんな仕事ができるだろうか、今まで行けなかったところへ行こう、楽しみがたくさんあるなどなどと自分の前途のことで心がいっぱいになってしまうことが多いであろう。
わざわざいやされたことを知って、喜びと感謝をもって主イエスのもとに戻ってきて、その感謝を全身で表したのは、ただ一人で、しかもその人は、当時のイスラエルの人たちから見下されていたサマリア人であった。
神の御心にかなったことは、人々の予想することとしばしば大きく食い違っているということの例である。
かつて、結核で苦しみ、死の恐怖にさいなまれ、家族からも捨てられたような人が多く療養所にいた。そうした困難な状況のもとで、信仰を真剣に求めた人が治って郷里に帰ると音信がない、それで遠いその人のところまで訪ねて行ったら、その人は信仰を全く捨てていた。とても残念であったと、私たちのかつての集会の代表者であった杣友(そまとも)豊市兄からも聞いたことがある。
ここで、主イエスがとくに言われているのは、神への感謝と讃美ということである。「大声で神を讃美しながら」とある。神を讃美するということは、神様はすばらしい、とそのなされた働きのことを心から喜ぶことである。それがなかったら讃美などできない。そしてそのなされたことが、自分に対してなされたことであれば、神への讃美とともに喜びと感謝の心が伴う。神のなされた働きに無感覚であるほど、神への讃美や感謝は生れないのは当然のことである。
私たちが絶えず霊的に目覚めているならば、神のなされる働きに敏感となり、それが自分と関係のないことでなく、自分に絶えず関わっているということが感じられる。
使徒パウロが、つぎのようにのべているのは、やはり私たちにはともすれば神への感謝や讃美が乏しくなって逆に不満や不平が多くなりがちであるから、それを戒めているのがわかる。

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平安があなた方の心と考えを主イエスによって守ることになる。
(ピリピ 四・47より)

だれでも子供のときから、人からなにかをもらったら「ありがとう」と言いなさいと教えられてきただろう。しかし、それは一種の礼儀として当然のことだと思うだけで、そこに喜びや本当の感謝の心がない場合でも、形式的にそう言うようになることもある。
感謝や喜びというのは、この聖書の箇所にあるように、長年の苦しい病気から開放をしてもらったというような特別な場合であっても、なお一時的な感情に終わって、その喜びを神に向かって表し、神への感謝を捧げるということに結びつかないことが多い。
たえず神に向かって感謝し、神を讃美するところに、神からも新しい祝福が注がれる道がある。このハンセン病の人のいやしの記事においても、いやされた喜びと感謝を神にささげ、イエスにひざまずいてそれを表したのは十人のうちの一人だけであったが、その人に対して主イエスは、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われた。直接にこうした力づける言葉、励ましの言葉を受けることができたのであった。
パウロがいろいろの箇所でこのように、感謝をこめて神に祈れといっているのも、そのように神への感謝や讃美をもってするとき、神からも絶えず新たな恵みと祝福が注がれてくるからである。すでに引用したピリピ書で「神の平安」が与えられて心が守られる、ということはそうした一例である。

ここで記されている十人のハンセン病が癒された人たちはその後どのような生活に移っていっただろうか。それは記されていないが、受けた恵みを大声で感謝し、神への讃美するために戻ってくる心が継続されるとき、主イエスからも絶えざる恵みが注がれていったと想像できる。しかし、自分が受けた恵みを神への感謝と讃美にあらわさないでそのままになっていくとき、神との生きた関わりは乏しくなり、上よりの祝福や恵みもまた乏しくなっていくことであろう。
私たちも日常生活において出逢う、さまざまの出来事をことあるたびに神のわざとして受け止め、神への感謝と讃美のために神のもとに立ち返るようでありたいと思う。
「神を讃美するために帰って来た者は他にいないのか」と主イエスは今も問うておられる。

*)らい病、らい病人に関する訳語について。同じ新共同訳でも、最初に出版されたものは、「らい病」と訳されているが、現在発行されているものは、「重い皮膚病」となっている。これは、当時、この病気のなかには、現在のハンセン病(らい病)以外の皮膚病も含んでいたと考えられるからである。なお、一九九六年四月、「 らい予防法」 が廃止されると国・ 厚生省は公的に「 ハンセン病」 の病名に改めた。
レビ記にはその病気が治ったら祭司に見せて一定の清めの儀式をした後に、一般の人と同様な生活にもどれるとある。(旧約聖書・レビ記1314章) 治る場合もあるのがこの記事からうかがえるから、その場合にはハンセン病とは違った病気であったのがわかる。しかし、ハンセン病は、聖書の世界だけでなく、世界的にいかなる病気よりも恐れられ、中国でも天の刑罰をうけた病気などとまで言われたのも、その病気の恐ろしさにある。顔や手足の著しい変形や麻痺、さらに手足を切断せねばならなくなる場合もあり、患部がひどくなると、ひどい悪臭を生じたりということもあった。しかも昔は遺伝すると思われたりして、ハンセン病は、特別に恐れられ、忌み嫌われた病気であった。聖書に出てくるハンセン病患者は、こうした悲惨な状況に置かれた人であったと考えられる。新しい訳のように「重い皮膚病」と訳すると、なぜ、他にも重い病気は結核や心臓などの内臓や強い伝染性のペストなどいくらでも病気があり、それらはみんな重くなると耐えがたいものとなり、死に至るのに、どうして重い皮膚病だけがとくに聖書に出てくるのかが分からなくなる。今年十月発行の新改訳聖書の改訂版では、「らい病人」という言葉を使わず、原語のヘブル語のツァーラアトを用いて、「らい病人」は、「ツァラアトに冒された人」と訳が変えられた。しかし、これでは、一般の読者にとっては、何のことか分からない。各種の外国語訳聖書ではどうか、多数は、「らい病人」にあたる言葉を用いている。(leper(英語)、Aussatzige(ドイツ語) lepreux(フランス語)など。英語訳の一部には、「らい病」は、virulent skin-disease (悪性の皮膚病)と訳している New Jerusalem Bible infectious skin disease (感染性の皮膚病)としている、New International Versionなどもある。)
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