リストボタン返舟だより    2003/11

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毎月「はこ舟」をありがとうございます。初めて手にしたときは、難しいなあと頭をひねりながら読んでいましたが、最近は「はこ舟」を読むのが楽しくて、意味深い事を教えて頂けるので、「そうなんだ」「そうなのか」と何かを発見する喜びのような感動が起こります。「聖書を一章ずつ」「今日の力」という本、そして「はこ舟」の一ページを最小限読むことにしています。楽しみの日課となっています。(近畿地方の読者から)

・私は、聖書の意味の深さをますます知らされているのですが、はこ舟においても、聖書が伝えようとしている真理のメッセージの一端を少しでも紹介できたらというのが、願いです。

はこ舟十月号をお送りいただき、ありがとうございました。これほど私の心の痛みをとかしていただいたことはございませんでした。感謝でございました。(関東地方の方)

・どの記事が印象に残ったのか、わかりませんが、主が用いられるとき、小さなものでも、予想していなかった働きをするのを感じています。

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「はこ舟」八月号を読んで、特に「よきものを見つめること、否定すること」「人間の弱さ」の文章に心が動かされ、いままでに感じたことのない気持ちになりましたので、書かせていただきました。何か、すーっと入っていけるという感覚か、自分の力を抜いていけるという感覚かわかりませんが、いままで遠くに感じていたものが近づいたという気持ちにおおわれました。
放蕩息子の話はこれまで、何度か「はこ舟」のなかで読ませて頂きましたが、勧善懲悪の考え方がしみ込んでいる私には、(放蕩な限りを尽くした息子を、悔い改めたからといって罰することもなく、喜んで受け入れるというのは)、どこかで受け入れられないものを感じていました。それは悔い改めて帰って来た弟を受け入れようとせずに、父の愛にみちた対応を非難した兄の気持ちと重なるところです。
八月号のなかの「自分中心に考えることが、大切なことを見る目を曇らせてしまう」という一文が、深く心にしみました。
これまでどれだけ自分中心に生きてきたことか、自分を出すことが強く生きるということだと、真剣に考えていました。しかし、今、自分の力を抜き、他者にゆだねることによって、よき結果をもたらすことになるということがわかり始めてきました。そうした姿勢が、広く事物を見渡せることにつながると思えます。
自分は弱いものだと思っていましたが、年を重ねると強く生きられるとも信じていました。しかし、最近では六十歳を目前にしてますます弱くなっています。いろいろの不安に襲われます。一方で、草木やいきものに慰められるのも事実です。それらが、神によって造られ、神から人間に向かってある意図されたものが込められているのを知るとなんだか安心に変わるような気がします。(四国地方の読者から)

大変わかりやすい平易な言葉で、福音の真理が語られております御誌に、心からの感謝をもって、繰り返し読ませていただいております。「受け身に生きる」「語りかける神」など、聖書のみ言葉とその御心が直接に伝わってくるように思えます。私どもも、これから集会などで語りますときに、大いに参考にさせていただきたいと願っています。(関東地方の方)

大分の集会のときも、四曲ほど私が選んだ讃美をしていただきましたが、そのうち、讃美歌21469番「善き力にわれ囲まれ」という讃美の歌詞は何人かの方々に、とくに今回のテーマであった、「終わりなき希望」との関連で印象に残ったようでした。
ヒトラーの迫害によって、敗戦直前に処刑された、ドイツの牧師、ボンヘッファーの獄中での詩に基づく讃美でした。もうじき殺されるというような悪の力のただなかに置かれていても、彼は、つぎのように書いています。「善き力に われ囲まれ 守り慰められて、世の悩み 共に分かち、 新しい日を望もう。 たとい、主から差し出されるさかずきは苦くとも、恐れず、感謝をこめて、愛する(神の)手から受けよう。善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。」
私たちも、心を暗くさせるような出来事が多い昨今ですが、そうしたただなかで、神の善き力に囲まれているのを実感し、神の時を待ち望んでいきたいものです。
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